日本美の原風景とその構造原理。記紀歌謡や西行・芭蕉をヒントに今の身辺空間をひらく。
     
Japanese Art. 美の荒野を目指す。
   哥座 UTAKURA       Home  Review of www  枕草子 百人一首練習帳  尾瀬
Category.1
たて書き表示です。Mac不可 歌人・俳人 作品集
人麻呂
西行
芭蕉
 
実朝
一茶
良寛
たて書き表示です。Mac不可 記紀万葉・歌・物語
新古今集
古今集
万葉集
古事記
日本書紀
風土記
竹取物語
源氏物語
たて書き表示です。Mac不可 社会システム集
日本国憲法
旧帝国憲法
 
十七条の憲法
 
 
 
 
 
 
 美の原風景を訪ねて

淡海の海夕浪千鳥汝が鳴けば 心もしのにいにしへ思ほゆ

「この一首さえあれば、日本はもう沈んで無くなっても良いじゃないか」といったのは、たしか新感覚派の横光利一だったか。

   


  歌座 美学研究所
   
   
 
 
 
 
   
   
   
   
 
 
 
 
   
 
 
 


      

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

          

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

        

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

       

 

 

 

 

 

 

 

 

 

         

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

         

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

         

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

         

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

         

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

         

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

         

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

         

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

         

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

         

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

         

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

         

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

         

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

         

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

         

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

         

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

         

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

         


    解題
    哥座(うたくら) および 哥座星座(うたくらせいざ)とは    
 

  ふだんからなじみ深い裏手の山や前浜の海など、身近の自然やジブンの身体は、すでに了解済みの「空間」のなかに、疑うこともなく自明に存在している。この「こと」「もの」が生成流転している無意識空間は、万葉集はじめ、多くの歌仙の哥、俳諧、詩などの「韻文」により、ながい時の熟成を経て、身体空間や歴史、自然空間へと昇華され、「わたくしたち」自身の空間システムの原型となり、具体的な血肉となってきたものだ。あるいは、わたくしたち自身の今の意識や身体をさえ紡ぎだしてくれていると言い換えることも出来ようか。未来をも決定づけていくはづのこの無意識空間。ここでは、その無意識空間を生み出す源として、決して表にでてくることもなく、秘匿胎蔵され続けている先験的時空座標を措定し、そを哥座(うたくら)と命名した。

  この座標の自得のもとに、今日の情報テクノロジーまでを可能ならしめている西欧のテクネーの妥当性や、近代自然科学の拠ってってきた始原的プラットフォームを再検証し、それとパラレルに発展してきた結果である、東西の芸術世界で未だ支配的となっている近代描写の意味や、表現といふ基礎概念、さらにコンセプト - コンテンツ制作というひとくくりでもって古典からサブカルチャーまで呑み込もうとしている現代美術のあり方、そして、制作主体の問題を冒険的・創作的に問い直していきたい。そこで、従来の芸術や学問のジャンルを越へ、時代、場所、立場をクロスオーバーし、随意に集合離散、活動できる超私的なパフォーマンサーたちの一期一会の関り合ひ可能な「場」として、哥座星座(うたくらせいざ)を創設した。

  方法論的には、歴史途上で、輸入されてきた印・中・欧の抽象的美学概念に代へ、まづ、冒険的創作による視座の体験的自覚が最優先課題となる。いまなほ現代西欧思想の翻訳された概念・論理でもって自らを分析して事足れりとする思潮が主流だが、それに換へ、原始の尻尾を色濃く残しているはづの普段のことばや、あるがままの身体性を手がかりに、無文字時代から連続性の途切れずにある固有の法、ロゴスを体得・抽出。その法を敷衍,発展化させていく。その際には、「俤」、「ひびき」、「にほひ」といった、先人から受け継いできた固有の概念、そしてまた「付合」などさまざまな古典的手法も重要となるだろう。印・中・欧美学のより一層の深い理解のためにも今後ますますこの自己文脈の体験的自覚による視座の獲得といふ基礎プロセス構築作業の必要性が要請されてくると思われる。
 いつの日か秘蹟にまみへ、 「モノ」「コト」「コトバ」が、そこで円融具足する古くてあたらしい「座(Kura)」から次代を担う「ナニモノカ」が発掘されんことを。
 

                               「哥座美学研究所   二千九年一月     

    

 

 

  本居宣長 - 「からごころ





  西田哲学 -「純粋経験」  「絶対矛盾的自己同一」全文

  


UTAKURA ART WORKS-1                      

 

 
   
「非象」  Modern Art Exhibition  有 
       木綿布と自然石- 上野都美術館  


                           



一、内なる第一、第二言語洗い出し

 

    二、第一言語の定義づけ作業中。

 ■ ウ ツ ■ 
 ■ ウツツ ■ 
 ■ ア ル ■
 ■ ナ シ ■
 ■ 〜 ず ■
 ■ あらなくに ■
                                   
 ■ おおき ■  
 ■ ちさき ■
 ■      ■

 

第一言語空間に固有の関係項」洗出し。
   身体関与させた場合と関与のない場合。

 ■ おもて うら ■
 ■ うしろ まえ ■
 ■ あと さき ■
 ■ アル ナシ ■
 ■ うえ した ■
 ■ みぎ ひだり ■
 ■ かむ のむ ■
 ■ みんな はんぶん ■
 ■ はじめ おはり ■
                                   

第一言語の 基本動作
 ■ うがつ ■   
 ■ けづる ■

 ■ わ る ■
 ■ す る ■
 ■ う つ ■
 ■ う む ■
 ■ なげる ■

 ■ ありく ■
 ■ はしる ■
 ■ たたく ■

 ■ ねまる ■
                            
第一言語の身体語
 ■ ほほ ■ 

 ■ ほね ■
 ■ ほぞ ■

 ■ ほと ■
 ■ め・は・せ・け・て■
 ■ みみ・ちち・もも・ほほ ■

 ■ あ・たま  あ・し  あ・ぎと■
 ■ すね  ほね  むね■
 ■ くち   くび ■
 ■ つめ   ゆび ■
 ■ のど   ほと ■
 ■ まゆ   はな ■

明けは陀羅尼、夕は経


 
         

   抽象表現主義 対 具象非表現主義 「科学といふ物語」の始まり。
   オムファロスの石をめぐっての一考察  
ギリシャ デルフォイにて  有
 

       

    コスモス世界の臍(ほぞ)
  オムファロスの石



この被征服民族ピュロス女系社会の石が、世界の臍・要石として、アポロン神殿地下の実質上の守護神である。男性原理による調和のとれたコスモス世界、その地下宮殿には、ディオニソス以前から女性原理社会の象徴であるオムファロスの縄目文様石が鎮座しつづけている。 ギリシャコスモスの美の世界や、近代自然科学にまでつらなる古代ギリシャの ロゴスのアポリアを支えるプラットフォームとして・・・。
時にその秘密は、浄化をともなうカタルシスの装置として、ギリシャ悲劇や、パラドックスによりあきらかにされた。この構造は、規模こそ小さいが、高野山に旧来文化としての祠を祀り、その上にあたらしい印・中文化としてのの大寺院を建立したかの空海の精神構造と比較しうるだろう。
 ■ ピュロスの女系社会から ■
 ■
アポロンの抽象男性原理世界へ

デロス島に上陸し、アポロンを生み出した一族はペロポネソス半島からパルナッソス山麓のデルフォイへと侵攻。短期間に女系ギリシャ全土を制圧。(デロス島でアポロンとアルテミスの誕生した様子や弓を引く幼子アポロンは壷絵になっており、そこからそのへんの事情が読み取れる)、これよりデルフォイ地下神殿に女系社会であった被征服民族の象徴が鎮座し、祭られることになる。世界の臍として。ここから新旧交換ドラマとしての神託が発っせられる。悲劇の源であるデルフォイ。ただ、この悲劇は、パラドックスの論理と同じく、女系社会の記憶の原風景を残した智慧の体現としての悲劇であったはずだ。かくして、コスモスの調和は地下宮殿に鎮座したディオニソスの守護のもとにオムファロスが保障することとなった。オムファロスは決して地上に姿を顕してはならなかった。地球の臍、ギリシャ制圧の世界の中心、面積をもたない点。そこから、調和のとれたコスモス座標軸をひくことのできる抽象的で、具象を昇華した中心点であり続ける必要があった。ただし、この美しいコスモス社会には、維持のための仕組みが隠されていた。それが密儀としてのデルフォイの神託である。時にケイオス世界からのカタルシス、浄化は一点の曇りないコスモス世界を維持するためには必要であったに違いない。 ここに、ギリシャの抽象表現主義の完成をみた。 「科学といふ物語」がはじまったのだ。
(あらゆる古代社会では、世界のはじめとしての柱や石が認められるが、ここ古代ギリシャにおける中心点の設定は、その後の文化圏に及ぼした影響の大きさからみて、あるいは、そこからもたらされた奇跡的ともいうべきコスモス世界という究極の抽象化世界の在り方からみて、他の文化圏の中心点設定とは、その質と意味が異なっている。)

初期ギリシャは、このカタルシスという智慧ゆえに、後世の西欧が陥ったようなニヒリズム世界ではなかった。
    

万葉仮名


「漢字」と「漢字を仮名として」使用。
「音(おん)仮名」+「訓(くん)仮名」+チャイナ文借用+当て字
「四十七文字」+「ゐ・ゑ・を」を加えた五十音図。
   ひらがな・カタカナの語源
あ(安)  い(以)  う(宇)  え(衣)  お(於) 
か(加)  き(幾)  く(久)   け(計)  こ(己)
さ(左)  し(之)  す(寸)  せ(世)  そ(曽)
た(太)  ち(知)  つ(州)  て(天)   と(止)
な(奈)  に(仁)   ぬ(奴)  ね(祢)  の(乃)
は(波)  ひ(比)  ふ(不) へ(部)  ほ(保)
ま(末)  み(美)  む(武) め(女)  も(毛)
や(也)  ゐ(為)  ゆ(由)  ゑ(恵) よ(与)
ら(良)  り(利)  る(留)  れ(礼)  ろ(呂)
わ(和) ん(无)
ゐ(為)  ゑ(恵)  を(遠)

    カタカナの語源
ア(阿)  イ(伊)  ウ(宇)  エ(江)  オ(於)
カ(加)  キ(幾)  ク(久)  ケ(介)  コ(己)
サ(散)  シ(之)  ス(須)  セ(世)  ソ(曽)
タ(多)  チ(千)  ツ(州)  テ(天)  ト(止)
ナ(奈)  ニ(仁)  ヌ(奴)  ネ(祢)  ノ(乃)
ハ(八)  ヒ(比)  フ(不)  ヘ(部)  ホ(保)
マ(末)  ミ(三)  ム(牟)  メ(女)  モ(毛)
ヤ(也)  ヰ(井)  ユ(由)  エ(慧)  ヨ(与)
ラ(良)  リ(良)  ル(留)  レ(礼)  ロ(呂)
ワ(和)  ン(无)

ヰ(井) ヱ(衛の簡体語?) ヲ(乎)
 (ヱ(衛の簡体語は常用漢字に含まれないので表示不能)


THE 芭蕉 

   
猿蓑集
  
300
299 298 297 296 295 294 293 292 291 290 289 288 287 286 285 284 283 282 281
続猿蓑集 
280
279 278 277 276 275 274 273 272 271
 270 269 267 266 265 264 263 262 261

野ざらし紀行
260 258 257 256 255 254 253 252 251        002 004


本居宣長


    仁斎・徂徠・契沖・真淵・宣長

            - 玉勝間より

からごゝろを清くはなれて、古(ヘ)のこゝろ詞をたづぬる。そこで言(ことば)と事(わざ)と意(こころ)を一致させて「思い」を開いていく。
すると、そこにおのずと古来言語の本質が開示してくる。 そこで生じる秘蹟としての感嘆。「思い」。それが、彼のいふ「もののあはれ」であろう。


     「あがたゐのうし」


宣長と真淵の出会い。  一七六三年五月二五日 
あがたゐのうしは古(ヘ)學のおやなる事
からごゝろを清くはなれて、もはら古(ヘ)のこゝろ詞をたづぬるがくもむは、わが縣居(ノ)大人よりぞはじまりける、此大人の學の、いまだおこらざりしほどの世の學問は、歌もたゞ古今集よりこなたにのみとゞまりて、萬葉などは、たゞいと物どほく、心も及ばぬ物として、さらに其歌のよきあしきを思ひ、ふるきちかきをわきまへ、又その詞を、今のおのが物としてつかふ事などは、すべて思ひも及ばざりしことなるを、今はその古(ヘ)言をおのがものとして、萬葉ぶりの歌をもよみいで、古(ヘ)ぶりの文などをさへ、かきうることゝなれるは、もはら此うしのをしへのいさをにぞ有ける、今の人は、たゞおのれみづから得たるごと思ふめれど、みな此大人の御蔭《ミカゲ》によらずといふことなし、又古事記書紀などの、古典《イニシヘノミフミ》をうかゞふにも、漢意《カラゴヽロ》にまどはされず、まづもはら古(ヘ)言を明らめ、古(ヘ)意によるべきことを、人みなしれるも、このうしの、萬葉のをしへのみたまにぞありける、そも/\かゝるたふとき道を、ひらきそめられたるいそしみは、よにいみしきものなりかし、


     からごゝろ

漢意《カラゴヽロ》とは、漢國のふりを好み、かの國をたふとぶのみをいふにあらず、大かた世の人の、萬の事の善惡是非《ヨサアシサ》を論ひ、物の理(リ)をさだめいふたぐひ、すべてみな漢籍《カラブミ》の趣なるをいふ也、さるはからぶみをよみたる人のみ、然るにはあらず、書といふ物一つも見たることなき者までも、同じこと也、そもからぶみをよまぬ人は、さる心にはあるまじきわざなれども、何わざも漢國をよしとして、かれをまねぶ世のならひ、千年にもあまりぬれば、おのづからその意《コヽロ》世(ノ)中にゆきわたりて、人の心の底にそみつきて、つねの地となれる故に、我はからごゝろもたらずと思ひ、これはから意にあらず、當然理《シカアルベキコトワリ》也と思ふことも、なほ漢意をはなれがたきならひぞかし、そも/\人の心は、皇國も外つ國も、ことなることなく、善惡是非《ヨサアシサ》に二つなければ、別《コト》に漢意といふこと、あるべくもあらずと思ふは、一わたりさることのやうなれど、然思ふもやがてからごゝろなれば、とにかくに此意は、のぞこりがたき物になむ有ける、人の心の、いづれの國もことなることなきは、本のまごゝろこそあれ、からぶみにいへるおもむきは、皆かの國人のこちたきさかしら心もて、いつはりかざりたる事のみ多ければ、眞《マ》心にあらず、かれが是《ヨシ》とする事、實の是《ヨキ》にはあらず、非《アシ》とすること、まことの非《アシキ》にあらざるたぐひもおほかれば、善惡是非《ヨサアシサ》に二つなしともいふべからず、又|當然之理《シカアルベキコトワリ》とおもひとりたるすぢも、漢意の當然之理にこそあれ、實の當然之理にはあらざること多し、大かたこれらの事、古き書の趣をよくえて、漢意といふ物をさとりぬれば、おのづからいとよく分るゝを、おしなべて世の人の心の地、みなから意なるがゆゑに、それをはなれて、さとることの、いとかたきぞかし、


     漢  意

漢國には、おほよそ人の禍福《サキハヒワザハヒ》、國の治亂《ミダレヲサマル》など、すべて世(ノ)中のよろづの事は、みな天よりなすわざとして、天道天命天理などいひて、これをうへなく尊《タフト》く畏《オソ》るべき物とぞすなる、さるはすへて漢國には、まことの道傳はらずして、萬の事はみな、神の御心御しわざなることをえしらざるが故に、みだりに造りまうけていへるものなり、そも/\天は、たゞ天つ神たちのまします御國のみにこそあれ、心ある物にあらざれば、天命などいふことあるべくもあらず、神を尊《タフト》み畏れずして、天をたふとみ畏るゝは、たとへば、いたづらに宮殿《ミヤトノ》をのみ尊みおそれて、其君を尊み畏るゝことをしらざるがごとし、然れ共、外(ツ)國には、萬(ヅ)は神の御しわざなることをえしらざれば、此天道天理の説を信じ居(ヲ)らむも、さることなるを、皇國には、まことの道の正しき傳への有(リ)ながら、それをば尋ね思はずして、たゞ外(ツ)國のみだりなる説をのみ信じて、天といふことを、いみしき事に心得居て、萬(ヅ)の事にその理(リ)をのみいふは、いかにぞや、又太極無極陰陽乾坤八卦五行など、こと/”\しくこちたくいふなる事共も、たゞ漢國人のわたくしの造説《ツクリコト》にて、まことには其理とてはあることなし、然るに神の御典《ミフミ》をとくともがら、もはらこれらの理(リ)をもて説《トク》なるは、いかなるしれわざぞや、近きころにいたりて、儒意をのぞきてとくと思ふ人も、なほ此天理陰陽などの説のひがごとなるをば、えさとらず、其|垣内《カキツ》を出(テ)はなるゝことあたはざるは、なほ漢意の清くさらで、かれにまどへる夢の、いまだたしかにさめざる也、又天照大御神を、天津日にはあらずとするも、漢意の小《チヒサ》き理(リ)にかゝはり泥《ナヅ》みて、まことの道の、微妙《タヘ》なる深きことわりあることを思はざるもの也、此大御神天津日にまし/\て、その御孫《ミマノ》命天より降り坐て、御國しろしめす御事は、人のちひさきさとりをもて、其|理(リ)は測《ハカ》りしらるべききはにあらず、おのが智《サトリ》もてはかりしることあたはざるをもて、其理なしとおもふは、例の小《チヒサ》きからごゝろなるをや、


         


       草のいほりに今日も暮らしつ

      
  わたくしたちの内なる二種類のことば
  第一言語としての古言(ふること)。
  もうひとつの擬態して
  ナリスマシする言語として
  外の文化を受容するための第二言語
  これら両言語間の拮抗を主題としている

 


 


UTAKURA ART WORKS-2                      




 「哥座 UTAKURA 舞踏」  in London   
アルミホイールによるDANCE パッケージ  
  舞踏 Yumi ART & 統括 Direction  有  




 UTAKURA ANOTHER WORKS
 ■
「Each Other」 ワールドトレードセンター in N.Y. 2000     
■「ディオゲネス追悼 works」  
       Mt. ETONA  in  シシリー  
    ・・・ ・・・
 他整理中  



         目次へもどる




徒然想起

座 美学研究所   2009年4月21日   長谷川 有   E-mail :YU HASEGAWA

全てタテ書きです。Macと一部ブラウザ不可
世界最大・最長            たて書きウェブサイト!

 
 
稀少版
源氏物語朗読
視聴版

哥座 みくじ


 
■■■■■
UTAKURA_HOME/CRITISISM/CULTURE/ART/LITURATURE/NATURE/ABOUT US /GREEN MAILl
2008 copy right Uta!Kura.com