一、内なる第一、第二言語洗い出し
■ ウ ツ ■
■ ウツツ ■
■ ア ル ■
■ ナ シ ■
■ 〜 ず ■
■ あらなくに ■
■ おおき ■
■ ちさき ■
■ ■
「第一言語空間に固有の関係項」洗出し。
身体関与させた場合と関与のない場合。
■ おもて うら ■
■ うしろ まえ ■
■ あと さき ■
■ アル ナシ ■
■ うえ した ■
■ みぎ ひだり ■
■ かむ のむ ■
■ みんな はんぶん ■
■ はじめ おはり ■
第一言語の 基本動作
■ うがつ ■
■ けづる ■
■ わ る ■
■ す る ■
■ う つ ■
■ う む ■
■ なげる ■
■ ありく ■
■ はしる ■
■ たたく ■
■ ねまる ■
第一言語の身体語
■ ほほ ■
■ ほね ■
■ ほぞ ■
■ ほと ■
■ め・は・せ・け・て■
■ みみ・ちち・もも・ほほ ■
■ あ・たま あ・し あ・ぎと■
■ すね ほね むね■
■ くち くび ■
■ つめ ゆび ■
■ のど ほと ■
■ まゆ はな ■
抽象表現主義 対 具象非表現主義 「科学といふ物語」の始まり。
オムファロスの石をめぐっての一考察
ギリシャ デルフォイにて 有
コスモス世界の臍(ほぞ)
オムファロスの石
この被征服民族ピュロス女系社会の石が、世界の臍・要石として、アポロン神殿地下の実質上の守護神である。男性原理による調和のとれたコスモス世界、その地下宮殿には、ディオニソス以前から女性原理社会の象徴であるオムファロスの縄目文様石が鎮座しつづけている。
ギリシャコスモスの美の世界や、近代自然科学にまでつらなる古代ギリシャの ロゴスのアポリアを支えるプラットフォームとして・・・。
時にその秘密は、浄化をともなうカタルシスの装置として、ギリシャ悲劇や、パラドックスによりあきらかにされた。この構造は、規模こそ小さいが、高野山に旧来文化としての祠を祀り、その上にあたらしい印・中文化としてのの大寺院を建立したかの空海の精神構造と比較しうるだろう。
■
ピュロスの女系社会から ■
■
アポロンの抽象男性原理世界へ■
デロス島に上陸し、アポロンを生み出した一族はペロポネソス半島からパルナッソス山麓のデルフォイへと侵攻。短期間に女系ギリシャ全土を制圧。(デロス島でアポロンとアルテミスの誕生した様子や弓を引く幼子アポロンは壷絵になっており、そこからそのへんの事情が読み取れる)、これよりデルフォイ地下神殿に女系社会であった被征服民族の象徴が鎮座し、祭られることになる。世界の臍として。ここから新旧交換ドラマとしての神託が発っせられる。悲劇の源であるデルフォイ。ただ、この悲劇は、パラドックスの論理と同じく、女系社会の記憶の原風景を残した智慧の体現としての悲劇であったはずだ。かくして、コスモスの調和は地下宮殿に鎮座したディオニソスの守護のもとにオムファロスが保障することとなった。オムファロスは決して地上に姿を顕してはならなかった。地球の臍、ギリシャ制圧の世界の中心、面積をもたない点。そこから、調和のとれたコスモス座標軸をひくことのできる抽象的で、具象を昇華した中心点であり続ける必要があった。ただし、この美しいコスモス社会には、維持のための仕組みが隠されていた。それが密儀としてのデルフォイの神託である。時にケイオス世界からのカタルシス、浄化は一点の曇りないコスモス世界を維持するためには必要であったに違いない。
ここに、ギリシャの抽象表現主義の完成をみた。 「科学といふ物語」がはじまったのだ。
(あらゆる古代社会では、世界のはじめとしての柱や石が認められるが、ここ古代ギリシャにおける中心点の設定は、その後の文化圏に及ぼした影響の大きさからみて、あるいは、そこからもたらされた奇跡的ともいうべきコスモス世界という究極の抽象化世界の在り方からみて、他の文化圏の中心点設定とは、その質と意味が異なっている。)
初期ギリシャは、このカタルシスという智慧ゆえに、後世の西欧が陥ったようなニヒリズム世界ではなかった。
万葉仮名
「漢字」と「漢字を仮名として」使用。
「音(おん)仮名」+「訓(くん)仮名」+チャイナ文借用+当て字
「四十七文字」+「ゐ・ゑ・を」を加えた五十音図。
ひらがな・カタカナの語源
あ(安) い(以) う(宇) え(衣) お(於)
か(加) き(幾) く(久) け(計) こ(己)
さ(左) し(之) す(寸) せ(世) そ(曽)
た(太) ち(知) つ(州) て(天) と(止)
な(奈) に(仁) ぬ(奴) ね(祢) の(乃)
は(波) ひ(比) ふ(不) へ(部) ほ(保)
ま(末) み(美) む(武) め(女) も(毛)
や(也) ゐ(為) ゆ(由) ゑ(恵) よ(与)
ら(良) り(利) る(留) れ(礼) ろ(呂)
わ(和) ん(无)
ゐ(為) ゑ(恵) を(遠)
カタカナの語源
ア(阿) イ(伊) ウ(宇) エ(江) オ(於)
カ(加) キ(幾) ク(久) ケ(介) コ(己)
サ(散) シ(之) ス(須) セ(世) ソ(曽)
タ(多) チ(千) ツ(州) テ(天) ト(止)
ナ(奈) ニ(仁) ヌ(奴) ネ(祢) ノ(乃)
ハ(八) ヒ(比) フ(不) ヘ(部) ホ(保)
マ(末) ミ(三) ム(牟) メ(女) モ(毛)
ヤ(也) ヰ(井) ユ(由) エ(慧) ヨ(与)
ラ(良) リ(良) ル(留) レ(礼) ロ(呂)
ワ(和) ン(无)
ヰ(井) ヱ(衛の簡体語?) ヲ(乎)
(ヱ(衛の簡体語は常用漢字に含まれないので表示不能)
THE 芭蕉
猿蓑集
300 299
298 297
296 295
294 293
292 291
290 289
288 287
286
285
284
283
282
281
続猿蓑集
280 279
278
277
276
275
274
273
272
271 270
269
267
266
265
264
263
262
261
野ざらし紀行
260
258
257
256
255
254
253
252
251 他 002 004
本居宣長
仁斎・徂徠・契沖・真淵・宣長
- 玉勝間より
からごゝろを清くはなれて、古(ヘ)のこゝろ詞をたづぬる。そこで言(ことば)と事(わざ)と意(こころ)を一致させて「思い」を開いていく。
すると、そこにおのずと古来言語の本質が開示してくる。 そこで生じる秘蹟としての感嘆。「思い」。それが、彼のいふ「もののあはれ」であろう。
「あがたゐのうし」
宣長と真淵の出会い。 一七六三年五月二五日
あがたゐのうしは古(ヘ)學のおやなる事
からごゝろを清くはなれて、もはら古(ヘ)のこゝろ詞をたづぬるがくもむは、わが縣居(ノ)大人よりぞはじまりける、此大人の學の、いまだおこらざりしほどの世の學問は、歌もたゞ古今集よりこなたにのみとゞまりて、萬葉などは、たゞいと物どほく、心も及ばぬ物として、さらに其歌のよきあしきを思ひ、ふるきちかきをわきまへ、又その詞を、今のおのが物としてつかふ事などは、すべて思ひも及ばざりしことなるを、今はその古(ヘ)言をおのがものとして、萬葉ぶりの歌をもよみいで、古(ヘ)ぶりの文などをさへ、かきうることゝなれるは、もはら此うしのをしへのいさをにぞ有ける、今の人は、たゞおのれみづから得たるごと思ふめれど、みな此大人の御蔭《ミカゲ》によらずといふことなし、又古事記書紀などの、古典《イニシヘノミフミ》をうかゞふにも、漢意《カラゴヽロ》にまどはされず、まづもはら古(ヘ)言を明らめ、古(ヘ)意によるべきことを、人みなしれるも、このうしの、萬葉のをしへのみたまにぞありける、そも/\かゝるたふとき道を、ひらきそめられたるいそしみは、よにいみしきものなりかし、
からごゝろ
漢意《カラゴヽロ》とは、漢國のふりを好み、かの國をたふとぶのみをいふにあらず、大かた世の人の、萬の事の善惡是非《ヨサアシサ》を論ひ、物の理(リ)をさだめいふたぐひ、すべてみな漢籍《カラブミ》の趣なるをいふ也、さるはからぶみをよみたる人のみ、然るにはあらず、書といふ物一つも見たることなき者までも、同じこと也、そもからぶみをよまぬ人は、さる心にはあるまじきわざなれども、何わざも漢國をよしとして、かれをまねぶ世のならひ、千年にもあまりぬれば、おのづからその意《コヽロ》世(ノ)中にゆきわたりて、人の心の底にそみつきて、つねの地となれる故に、我はからごゝろもたらずと思ひ、これはから意にあらず、當然理《シカアルベキコトワリ》也と思ふことも、なほ漢意をはなれがたきならひぞかし、そも/\人の心は、皇國も外つ國も、ことなることなく、善惡是非《ヨサアシサ》に二つなければ、別《コト》に漢意といふこと、あるべくもあらずと思ふは、一わたりさることのやうなれど、然思ふもやがてからごゝろなれば、とにかくに此意は、のぞこりがたき物になむ有ける、人の心の、いづれの國もことなることなきは、本のまごゝろこそあれ、からぶみにいへるおもむきは、皆かの國人のこちたきさかしら心もて、いつはりかざりたる事のみ多ければ、眞《マ》心にあらず、かれが是《ヨシ》とする事、實の是《ヨキ》にはあらず、非《アシ》とすること、まことの非《アシキ》にあらざるたぐひもおほかれば、善惡是非《ヨサアシサ》に二つなしともいふべからず、又|當然之理《シカアルベキコトワリ》とおもひとりたるすぢも、漢意の當然之理にこそあれ、實の當然之理にはあらざること多し、大かたこれらの事、古き書の趣をよくえて、漢意といふ物をさとりぬれば、おのづからいとよく分るゝを、おしなべて世の人の心の地、みなから意なるがゆゑに、それをはなれて、さとることの、いとかたきぞかし、
漢 意
漢國には、おほよそ人の禍福《サキハヒワザハヒ》、國の治亂《ミダレヲサマル》など、すべて世(ノ)中のよろづの事は、みな天よりなすわざとして、天道天命天理などいひて、これをうへなく尊《タフト》く畏《オソ》るべき物とぞすなる、さるはすへて漢國には、まことの道傳はらずして、萬の事はみな、神の御心御しわざなることをえしらざるが故に、みだりに造りまうけていへるものなり、そも/\天は、たゞ天つ神たちのまします御國のみにこそあれ、心ある物にあらざれば、天命などいふことあるべくもあらず、神を尊《タフト》み畏れずして、天をたふとみ畏るゝは、たとへば、いたづらに宮殿《ミヤトノ》をのみ尊みおそれて、其君を尊み畏るゝことをしらざるがごとし、然れ共、外(ツ)國には、萬(ヅ)は神の御しわざなることをえしらざれば、此天道天理の説を信じ居(ヲ)らむも、さることなるを、皇國には、まことの道の正しき傳への有(リ)ながら、それをば尋ね思はずして、たゞ外(ツ)國のみだりなる説をのみ信じて、天といふことを、いみしき事に心得居て、萬(ヅ)の事にその理(リ)をのみいふは、いかにぞや、又太極無極陰陽乾坤八卦五行など、こと/”\しくこちたくいふなる事共も、たゞ漢國人のわたくしの造説《ツクリコト》にて、まことには其理とてはあることなし、然るに神の御典《ミフミ》をとくともがら、もはらこれらの理(リ)をもて説《トク》なるは、いかなるしれわざぞや、近きころにいたりて、儒意をのぞきてとくと思ふ人も、なほ此天理陰陽などの説のひがごとなるをば、えさとらず、其|垣内《カキツ》を出(テ)はなるゝことあたはざるは、なほ漢意の清くさらで、かれにまどへる夢の、いまだたしかにさめざる也、又天照大御神を、天津日にはあらずとするも、漢意の小《チヒサ》き理(リ)にかゝはり泥《ナヅ》みて、まことの道の、微妙《タヘ》なる深きことわりあることを思はざるもの也、此大御神天津日にまし/\て、その御孫《ミマノ》命天より降り坐て、御國しろしめす御事は、人のちひさきさとりをもて、其|理(リ)は測《ハカ》りしらるべききはにあらず、おのが智《サトリ》もてはかりしることあたはざるをもて、其理なしとおもふは、例の小《チヒサ》きからごゝろなるをや、
草のいほりに今日も暮らしつ
わたくしたちの内なる二種類のことば
第一言語としての古言(ふること)。
もうひとつの擬態して
ナリスマシする言語として
外の文化を受容するための第二言語
これら両言語間の拮抗を主題としている