枕草子

                        

  清少納言


  枕草子  目 次
  

  
      歌座表紙 


 春は、あけぼの。
二 ころは
三 正月一日は、
四 同じことなれども聞き耳異なるもの
五 思はむ子を
六 大進生昌が家に、
七 上にさぶらふ御猫は、
八 正月一日、三月三日は、
九 よろこび奏するこそ、
一〇 今内裏の東をば

一一 山は
一二 市は
一三 峯は
一四 原は
一五 淵は
一六 海は
一七 みささぎは
一八 渡りは
一九 たちは
二〇 家は

二一 清涼殿の丑寅の隅の、
二二 生ひ先なく、
二三 すさまじきもの
二四 たゆまるるもの
二五 人にあなづらるるもの
二六 にくきもの
二七 心ときめきするもの
二八 過ぎにしかた恋しきもの
二九 心ゆくもの
三〇 檳榔毛は、

三一 説経の講師は、
三二 菩提といふ寺に、
三三 小白川といふ所は、
三四 七月ばかり、いみじう暑ければ、
三五 木の花は
三六 池は
三七 節は、
三八 花の木ならぬは
三九 鳥は
四〇 あてなるもの

四一 虫は
四二 七月ばかりに、風いたう吹きて、
四三 にげなきもの
四四 細殿に、人あまた居て、
四五 主殿司こそ、
四六 をのこはまた、随身こそ
四七 職の御曹司の西面の立蔀のもとにて、
四八 馬は、
四九 牛は、
五〇 猫は、

五一 雑色、随身は、
五二 小舎人童は、
五三 牛飼は、
五四 殿上の名対面こそ、
五五 若くてよろしき男の、
五六 若き人、ちごどもなどは、
五七 ちごは、
五八 よき家の中門あけて、
五九 滝は
六〇 河は

六一 暁に帰らむ人は、
六二 橋は
六三 里は
六四 草は
六五 草の花は
六六 集は
六七 歌の題は
六八 おぼつかなきもの
六九 たとしへなきもの
七〇 夜烏どものゐて、

七一 忍びたる所にありては、
七二 懸想人にて来たるは、
七三 ありがたきもの
七四 内裏の局は、
七五 まいて臨時の祭の調樂などは、
七六 職の御曹司におはしますころ、木立などの遥かにもの古り、
七七
 あぢきなきもの
七八 ここちよげなるもの
七九 御仏名のまたの日、
八〇 頭の中将の、すずろなるそら言を聞きて、

八一 返る年の二月廿よ日、
八二 里にまかでたるに、

□□ もののあはれ知らせ顔なるもの
□□ さて、その左衛門の陣などに行きて後
□□ 職の御曹司におはしますころ、西の廂に
□□ めでたきもの
□□ なまめかしきもの
□□ 宮の五節出ださせたまふに
□□ 細太刀に平緒つけて
□□ 内裏は、五節のころこそ、

□□ 無名という琵琶の御琴を、
□□ 上の御局の御簾の前にて
□□ ねたきもの
□□ かたはらいたきもの
□□ あさましきもの
□□ くちをしきもの
□□ 五月の御精進のほど、
□□ 職におはしますころ、八月十よ日の月明るき夜
□□ 御方々、君たち、上人など、
□□ 中納言まゐりたまひて、
□□.........................
□□.........................
二七六  うれしきもの
二七九  たふときもの
二九五  きらきらしきもの
三〇四  見ならひするもの
三一七  うちとくまじきもの

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目次枕草子歌座表紙



一 春は、あけぼの。

 春は、あけぼの。やうやう白くなりゆく、山ぎは少し明りて、紫だちたる雲のほそくたなびきたる。
 夏は、夜。月のころはさらなり、闇もなほ、蛍の多く飛びちがひたる。また、ただ一つ二つなど、ほのかにうち光りて行くも、をかし。雨など降るも、をかし。
 秋は、夕暮れ。夕日のさして、山の端いと近うなりたるに、烏の寝どころへ行くとて、三つ四つ、二つ三つなど、飛び急ぐさへあはれなり。まいて、雁などのつらねたるが、いと小さく見ゆるは、いとをかし。日入り果てて、風の音、虫の音(ね)など、はた言ふべきにあらず。
 冬は、つとめて。雪の降りたるは言ふべきにもあらず。霜のいと白きも、またさらでも、いと寒きに、火など急ぎおこして、炭持て渡るも、いとつきづきし。昼になりて、ぬるくゆるびもていけば、火桶の火も白き灰がちになりて、わろし。

二 ころは、

 ころは、正月、三月、四月、五月、七、八、九月、十一、二月、すべて、をりにつけつつ。一年ながら、をかし。
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三 正月一日は、

 正月一日は、まいて空のけしきもうらうらと、めづらしう霞(かす)みこめたるに、世にありとある人は皆、姿、かたち、心異(こと)につくろひ、君をも我をも祝ひなどしたる、様異(さまこと)に、をかし。
 七日、雪間の若菜摘み、青やかにて、例はさしもさるもの目近からぬ所にもて騒ぎたるこそ、をかしけれ。白馬(あをうま)見にとて、里人は、車清げにしたてて見に行く。中の御門の閾(とじきみ)引き過ぐるほど、頭、一所にゆるぎあひ、刺櫛(さしぐし)も落ち、用意せねば折れなどして、笑ふもまたをかし。左衛門の陣のもとに、殿上人などあまた立ちて、舎人の弓ども取りて、馬ども驚かし笑ふを、はつかに見入れたれば、立蔀(たてじとみ)などの見ゆるに、主殿司(とのもりづかさ)、女官などの行き違ひたるこそをかしけれ。いかばかりなる人、九重をならすらむ、など思ひやらるるに、内裏(うち)にも見るは、いと狭きほどにて、舎人の顔のきぬにあらはれ、まことに黒きに、白きものいきつかぬ所は、雪のむらむら消え残りたるここちしていと見苦しく、馬のあがり騒ぐなどもいと恐ろしう見ゆれば、引き入られてよくも見えず。
 八日、人の、よろこびして走らする車の音、異に聞こえて、をかし。
 十五日、節供まゐり据ゑ、粥の木ひき隠して、家の御達(ごたち)、女房などのうかがふを、打たれじと用意して、常に後を心づかひしたるけしきも、いとをかしきに、いかにしたるにかあらむ、打ちあてたるは、いみじう興ありてうち笑ひたるは、いとはえばえし。ねたしと思ひたるもことわりなり。新らしう通ふ婿の君などの、内裏へまゐるほどをも心もとなう、所につけて我はと思ひたる女房の、のぞき、けしきばみ、奥の方にたたずまふを、前に居たる人は心得て笑ふを、「あなかま」と、まねき制すれども、女はた、知らず顔にて、おほどかにて居たまへり。「ここなる物、取りはべらむ」など言ひ寄りて、走り打ちて逃ぐれば、ある限り、笑ふ。男君もにくからずうち笑(え)みたるに、ことに驚かず、顔すこし赤みて居たるこそ、をかしけれ。また、かたみに打ちて、男をさへぞ打つめる。いかなる心にかあらむ、泣き腹立ちつつ、人をのろひ、まがまがしく言ふもあるこそ、をかしけれ。内裏わたりなどのやむごとなきも、今日は皆乱れて、かしこまりなし。
 除目(ぢもく)のころなど、内裏わたり、いとをかし。雪降り、いみじうこほりたるに、申文(もうしぶみ)持てありく、四位、五位、若やかにここちよげなるは、いとたのもしげなり。老いて頭(かしら)白きなどが、人に案内言ひ、女房の局などに寄りて、おのが身のかしこきよしなど、心一つをやりて説き聞かするを、若き人々はまねをし、笑へど、いかでか知らん、「よきに奏したまへ、啓したまへ」など言ひても、得たるはいとよし、得ずなりぬるこそ、いとあはれなれ。
 三月三日は、うらうらとのどかに照りたる。桃の花の今咲き始むる、柳などをかしきこそ、さらなれ。それも、まだまゆにこもりたるは、をかし。広ごりたるは、うたてぞ見ゆる。
 おもしろく咲きたる桜を長く折りて、大きなる瓶(かめ)にさしたるこそ、をかしけれ。桜の直衣(なほし)に出袿(いだしうちぎ)して、まらうどにもあれ、御せうとの君たちにても、そこ近く居てものなどうち言ひたる、いとをかし。
 四月、祭のころ、いとをかし。上達部(かんだちめ)、殿上人も袍(うへのきぬ)の濃き薄きばかりのけぢめにて、白襲(しらがさね)など同じ様に、涼しげにをかし。木々の木の葉、まだいとしげうはあらで、若やかに青みわたりたるに、霞も隔てぬ空のけしきの、なにとなくすずろにをかしきに、すこし曇りたる夕つ方、夜など、忍びたる郭公(ほととぎす)の、遠く、そら音(ね)かとおぼゆばかりたどたどしきを聞きつけたらむは、なにここちかせむ。
 祭近くなりて、青朽葉、二藍(ふたあい)の物どもおし巻きて、紙などにけしきばかりおし包みて、行き違ひ持てありくこそ、をかしけれ、末濃(すそご)、むら濃(ご)なども、常よりはをかしく見ゆ。童女(わらはべ)の、頭ばかりを洗ひつくろひて、なりは皆ほころびたえ、乱れかかりたるもあるが、屐子(けいし)、沓(くつ)などに「緒すげさせ、裏をさせ」など持て騒ぎて、いつしかその日にならむと、急ぎおしありくも、いとをかしや。あやしうをどりありく者どもの、装束き(そうぞき)したてつれば、いみじく定者(ぢやうざ)などいふ法師のやうに、ねりさまよふ、いかに心もとなからむ。ほどほどにつけて、親、叔母の女、姉などの供し、つくろひて率てありくもをかし。
 蔵人思ひしめたる人の、ふとしもえならぬが、その日、青色着たるこそ、やがて脱がせでもあらばやとおぼゆれ。綾ならぬは、わろき。

四 同じことなれども聞き耳異なるもの

 同じことなれども聞き耳異なるもの
 法師の言葉。男の言葉。女の言葉。下衆の言葉にはかならず文字余りたり。
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五 思はむ子を

 思はむ子を法師になしたらむこそ、心苦しけれ。ただ木の端などのやうに思ひたるこそ、いといとほしけれ。精進物(さうじもの)のいとあしきをうち食ひ、い寝(ぬ)るをも。若きは、ものもゆかしからむ。女などのある所をも、などか、忌みたるやうにさしのぞかずもあらむ。それをも、安からず言ふ。まいて、験者(げんじや)などは、いと苦しげなめり。因(こう)じてうちねぶれば、「ねぶりをもにして」など、もどかる。いと所狭(せ)く、いかにおぼゆらむ。
 これは昔のことなめり。今はいと安げなり。

六 大進生昌が家に、

 大進(だいじん)生昌(なりまさ)が家に、宮の出でさせたまふに、東の門は四足になして、それより御輿(みこし)は入らせたまふ。北の門より、女房の車どもも、まだ陣のゐねば、入りなむと思ひて、頭つきわろき人もいたうも繕はず、寄せておるべきものと思ひあなづりたるに、檳榔毛(びらうげ)の車などは、門小さければ、障りてえ入らねば、例の、筵道(えんだう)敷きておるるに、いと憎く腹立たしけれども、いかがはせむ。殿上人、地下(ぢげ)なるも、陣に立ち添ひて見るも、いとねたし。
 御前にまゐりて、ありつるやう啓すれば、「ここにても、人は見るまじうやは。などかは、さしもうちとけつる」と笑はせたまふ。「されどそれは、目馴れにてはべれば、よくしたててはべらむにしもこそ、驚く人もはべらめ。さても、かばかりの家に車入らぬ門やはある。見えば笑はむ」など言ふほどにしも、「これ、まゐらせたまへ」とて、御硯などさし入る。「いで、いとわろくこそおはしけれ。など、その門はた、狭くはつくりて住みたまひける」と言へば、笑いて、「家のほど、身のほどにあはせてはべるなり」と答(いら)ふ。「されど、門の限りを高う造る人もありけるは」と言へば、「あな、恐ろし」と驚きて、「それは、于定国(うていこく)がことにこそはべるなれ。古き進士などにはべらずは、うけたまはり知るべきにもはべらざりけり。たまたまこの道にまかり入りにければ、かうだにわきまへ知られはべる」と言ふ。「その御道もかしこからざめり。筵道(えんどう)敷きたれど、皆おち入り騒ぎつるは」と言へば、「雨の降りはべりつれば、さもはべりつらむ。よしよし、またおほせられかくることもぞはべる。まかり立ちなむ」とて去(い)ぬ。「なにごとぞ、生昌がいみじうおぢつるは」と問はせたまふ。「あらず。車の入りはべらざりつること言ひはべりつる」と申して、おりたり。
 同じ局に住む若き人々などして、よろづのことも知らず、ねぶたければ皆寢ぬ。東の対の西の廂(ひさし)、北かけてあるに、北の障子に懸金もなかりけるを、それも尋ねず、家主なれば、案内を知りてあけてけり。あやしくかればみさわぎたる声にて、「さぶらはむはいかに、さぶらはむはいかに」と、あまたたび言ふ声にぞ、おどろきて見れば、几帳の後ろに立てたる燈台の光はあらはなり。障子を五寸ばかりあけて言ふなりけり。いみじうをかし。さらにかやうの好き好きしきわざ、ゆめにせぬものを、わが家におはしましたりとて、むげに心にまかすなめりと思ふも、いとをかし。かたはらなる人をおし起こして、「かれ見たまへ。かかる見えぬもののあるは」と言へば、頭もたげて見やりて、いみじう笑ふ。「あれは誰そ。けさうに」と言へば、「あらず。家ぬしと局主と定め申すべきことのはべるなり」と言へば、「門のことをこそ聞えつれ、障子をあけたまへ、とやは聞えつる」と言へば、「なほそのことも申さむ。そこにさぶらはむはいかに。そこにさぶらはむはいかに」と言へば、「若き人おはしけり」とて、ひきたてて去(い)ぬる後に、笑ふこといみじう、あけむとならば、ただ入りねかし、消息を言はむに、よかりなりとは誰かは言はむ、げにぞをかしき。
 つとめて、御前にまゐりて啓すれば、「さることも聞えざりつるものを。昨夜(よべ)のことにめでて行きたりけるなり。あはれ、かれをはしたなう言ひけむこそ、いとほしけれ」とて、笑はせたまふ。
 姫宮の御方の童女(わらはべ)の装束つかうまつるべきよし、おほせらるるに、「この袙(あこめ)のうはおそひはなにの色にかつかうまつらすべき」と申すを、また笑ふもことわりなり。「姫宮の御前の物は、例のやうにては、にくげにさぶらはむ。ちうせい折敷、ちうせい高坏(たかつき)などこそ、よくはべらめ」と申すを、「さてこそは、うはおそひ着たる童女も、まゐりよからめ」と言ふを、「なほ、例の人のやうに、これかくな言ひ笑ひそ。いと謹厚なるものを」と、いとほしがらせたまふも、をかし。
 中間(ちゆうげん)なりをりに、「大進、まづもの聞えむ、とあり」と言ふをきこしめして、「また、なでふこと言いて笑はれむとならむ」とおほせらるるも、またをかし。「行きて聞け」と、のたまはすれば、わざと出でたれば、「一夜の門のこと、中納言に語りはべりしかば、いみじう感じ申されて、『いかで、さるべからむをりに、心のどかに対面して申しうけたまはらむ』となむ、申されつる」とて、また異事(ことごと)もなし。一夜のことや言はむと、心ときめきしつれど、「いま、静かに、御局にさぶらはむ」とて去(い)ぬれば、帰りまゐりたるに、「さて、なにごとぞ」とのたまはすれば、申しつることを、さなむと啓すれば、「わざと消息し、呼び出づべきことにはあらぬや。おのづから端つ方、局などにゐたらむ時も言へかし」とて笑へば、「おのがここちにかしこしと思ふ人のほめたる、うれしとや思ふと、告げ聞かすならむ」と、のたまはする御けしきも、いとめでたし。
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七 上にさぶらふ御猫は、

 上にさぶらふ御猫は、かうぶり得て命婦のおとどとて、いみじうをかしければ、かしづかせたまふが、端に出でて臥したるに、乳母(めのと)の馬(むま)の命婦、「あな、まさなや。入りたまへ」と呼ぶに、日のさし入りたるに、ねぶりてゐたるを、おどすとて、「翁丸(おきなまろ)、いづら。命婦のおとど食へ」と言ふに、まことかとて、しれものは走りかかりたれば、おびえまどひて、御簾(みす)の内に入りぬ。
 朝餉(あさがれひ)の御前に上おはしますに、御覧じていみじう驚かせたまふ。猫を御ふところに入れさせたまひて、をのこども召せば、蔵人忠隆、なりなか、まゐりたれば、「この翁丸、打ち調(てう)じて、犬島へつかはせ、ただ今」とおほせらるれば、集まり狩り騒ぐ。馬の命婦をもさいなみて、「乳母かへてむ。いとうしろめたし」とおほせらるれば、御前にも出でず。犬は狩り出でて、滝口などして、追ひつかはしつ。
「あはれ、いみじうゆるぎありきつるものを。三月三日、頭の弁の、柳かづらせさせ、桃の花をかざしにささせ、桜、腰にささせなどして、ありかせたまひしをり。かかる目見むとは思はざりけむ」など、あはれがる。
「御膳(おもの)のをりは、かならず向ひさぶらふに、さうざうしうこそあれ」など言ひて、三、四日になりぬる昼つ方、犬のいみじう鳴く声のすれば、なぞの犬のかく久しう鳴くにかあらむと聞くに、よろづの犬、とぶらひ見に行く。御厠人なるもの走り来て、「あないみじ。犬を蔵人二人して打ちたまふ。死ぬべし。犬を流させたまひけるが、帰りまゐりたるとて、調(てう)じたまふ」と言ふ。心憂(う)のこと、翁丸なり。「忠隆、実房なむど打つ」と言へば、制しにやるほどに、からうじて鳴きやみ、「死にければ陣の外に引き捨てつ」と言へば、あはれがりなどする夕つ方、いみじげにはれ、あさましげなる犬のわびしげなるが、わななきありけば、「翁丸か。このころ、かかる犬やはありく」と言ふに、「翁丸」と言へど、聞きも入れず。「それ」とも言ひ、「あらず」とも口々申せば、「右近ぞ見知りたる。呼べ」とて、召せば、まゐりたり。「これは翁丸か」と見せさせたまふ。「似てはべるれど、これはゆゆしげにこそはべるめれ。また、『翁丸か』とだに言へば、喜びてまうで来るものを、呼べど寄り来ず。あらぬなめり。それは、『打ち殺して捨てはべりぬ』とこそ申しつれ。二人して打たむには、はべりなむや」など申せば、心憂がらせたまふ。
 暗うなりて、もの食はせたれど食はねば、あらぬものに言ひなしてやみぬるつとめて、御けづり髪、御手水(てうづ)などまゐりて、御鏡を持たせさせたまひて御覧ずれば、さぶらふに、犬の柱もとに居たるを見やりて、「あはれ昨日、翁丸をいみじうも打ちしかな。死にけむこそあはれなれ。なにの身にこのたびはなりぬらむ。いかにわびしきここちしけむ」と、うち言ふに、この居たる犬のふるひわななきて、涙をただ落としに落とすに、いとあさまし。さは、翁丸にこそはありけれ。昨夜は隠れ忍びてあるなりけりと、あはれに添へて、をかしきこと限りなし。御鏡うち置きて、「さは翁丸か」と言ふに、「ひれ臥して、いみじう鳴く。御前にも、いみじうおち笑はせたまふ。
 右近の内侍召して、「かくなむ」とおほせらるれば、笑ひののしるを、上にもきこしめして、わたりおはしましたり。「あさましう、犬などもかかる心あるものなりけり」と笑はせたまふ。上の女房なども聞きてまゐり集りて呼ぶにも、今ぞ立ち動く。「なほこの顔などのはれたる、ものの手をせさせばや」と言へば、「つひにこれを言ひあらはしつること」など笑ふに、忠隆聞きて、台盤所の方より、「まことにやはべらむ。かれ見はべらむ」と言ひたれば、「あなゆゆし。さらに、さるものなし」と言はすれば、「さりとも、見つくるをりもはべらむ。さのみも、え隠させたまはじ」と言ふ。
 さて後、かしこまり許されて、もとのやうになりにき。なほ、あはれがられて、ふるひ鳴き出でたりしこそ、世に知らずをかしくあはれなりしか。人などこそ、人に言はれて泣きなどはすれ。
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正月一日、三月三日は、

 正月一日、三月三日は、いとうららかなる。
 五月五日は、曇り暮らしたる。
 七月七日は、曇り暮して、夕方は晴れたる空に、月いと明く、星の数も見えたる。九月九日は、暁方より雨すこし降りて、菊の露もこちたく、おほひたる綿なども、いたく濡れ、うつしの香ももてはやされたる。つとめてはやみにたれど、なほ曇りて、ややもせば降り落ちぬべく見えたるも、をかし。

九 よろこび奏するこそ、

 よろこび奏するこそをかしけれ。後をまかせて、御前の方に向かひて立てるを。拝し舞踏しさわぐよ。

一〇 今内裏の東をば、

 今内裏の東をば、北の陣といふ。なら木のはるかに高きを、「いく尋(ひろ)あらむ」など言ふ。権中将、「もとよりうち切りて、定澄僧都の枝扇にせばや」とのたまひしを、山階寺の別当になりてよろこび申す日、近衛づかさにてこの君の出でたまへるに、高き屐子(けいし)をさへはきたれば、ゆゆしう高し。出でぬる後、「など、その枝扇をば持たせたまはぬ」と言へば、「もの忘れせぬ」と笑いたまふ。
「定澄僧都に袿(うちぎ)なし、すくせ君に袙(あこめ)なし」と言ひけむ人をこそ、をかしけれ。

一一 山は

 山は 小倉山。鹿背山。三笠山。このくれ山。いりたち山。忘れずの山。末の松山。かたさり山こそ、いかならむとをかしけれ。いつはた山。かへる山。後瀬の山。朝倉山、よそに見るぞをかしき。おほひれ山もをかし。臨時の祭の舞人などの思ひ出でらるるなるべし。三輪の山、をかし。手向山。待ちかね山。たまさか山。耳成山。
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一二 市は

 市は 辰の市。里の市。海石榴(つば)市、大和にあまたあるなかに、長谷寺にまうづる人のかならずそこに泊るは、観音のご縁あるにや、心異なり。をふさの市。飾磨(しかま)の市。飛鳥の市。

一三 峯は

 峰は ゆづるはの嶺。阿弥陀の峰。弥高(いやたか)の峰。

一四 原は

 原は 瓶(みか)の原。あしたの原。園原。

一五 淵は

 淵は かしこ淵は、いかなる底の心を見て、さる名を付けけむと、をかし。な入りその淵、誰にいかなる人の教へしけむ。青色の淵こそ、をかしけれ。蔵人などの具にしつべくて。隠れの淵。いな淵。

一六 海は

 海は 水うみ。与謝の海。かはふちの海。

一七 みささぎは

 みささぎは うぐひすのみささぎ。かしはぎのみささぎ。あめのみささぎ。
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一八 渡りは

 渡りは しかすがの渡り。こりずまの渡り。水はしの渡り。

一九 たちは

 たちは たまつくり。

二〇 家は

 家は 近衛の御門。二条。みかゐ。一条もよし。染殿の宮。せかゐ。菅原の院。冷泉院。閑院。朱雀院。小野の宮。紅梅。県(あがた)の井戸。竹三条。小八条。小一条。
枕草子 清少納言 枕草子 清少納言

二一 清涼殿の丑寅の隅の、

 清涼殿の丑寅の隅の、北の隔てなる御障子は、荒海の絵(かた)、生きたるものどもの恐ろしげなる、手長、足長なろをぞ、描きたる、上の御局の戸おしあけたれば、常に目に見ゆるを、にくみなどして笑ふ。
 高欄のもとに、青き瓶(かめ)のおおきなるを据ゑて、桜のいみじうおもしろ枝の五尺ばかりなるを、いと多くさしたれば、高欄の外まで咲きこぼれたる昼つ方、大納言殿、桜の直衣のすこしなよらかなるに、濃き紫の固紋(かたもん)の指貫、白き御衣ども、上には濃き綾のいとあざやかなるを出だしてまゐりたまへるに、上の、こなたにおはしませば、戸口の前なる細き板敷に居たまひて、ものなど申したまふ。
 御廉の内に、女房、桜の唐衣どもくつろかに脱ぎ垂れて、藤、山吹など、色々このましうて、あまた、小半蔀(こはじとみ)の御廉よりおし出でたるほど、昼の御座(おまし)の方には、御膳(おもの)まゐる足音高し。警蹕(へいひち)など、「をし」と言ふ声聞こゆるも、うらうらとのどかなる日のけしきなど、いみじうをかしきに、果の御盤取りたる蔵人まゐりて、御膳奏すれば、中の戸よりわたらせたまふ。御供に、廂より大納言殿御送りにまゐりたまひて、ありつる花のもとに帰り居たまへり。
 宮の御前の、御几帳おしやりて長押のもとに出でさせたまへるなど、ただなにとなく、よろずにめでたきを、さぶらふ人も思ふことなきここちするに、「月も日もかはりゆけども久に経る三室の山の」といふ言を、いとゆるるかににうちいだしたまへる、いとをかしうおぼゆるにぞ、げに、千年(ちとせ)もあらまほしき御有様なるや。
 陪膳つかうまつる人の、をのこどもなど召すほどもなく、わたらせたまひぬ。「御硯の墨すれ」と、おほせらるるに、目は空にて、ただおはしますをのみ見たてまつれば、ほとど継ぎめも放ちつべし。白き色紙おしたたみて、「これに、ただ今おぼえむ古き言、一つづつ書け」とおほらるる。外に居たまへるに、「これは、いかが」と申せば、「とう書きてまゐらせたまへ。をのこは言加へさぶらふべきにもあらず」とて、さし入れたまへり。御硯とりおろして、「とくとく、ただ思ひまはさで、難波津もなにも、ふとおぼえむ言を」と責めさせたまふに、などさは臆せしにか、すべて面さへ赤みてぞ思ひ乱るるや。
 春の歌、花の心など、さ言ふ言ふにも、上臈二つ三つばかり書きて、「これに」とあるに、

 年経れば齢(よはひ)は老いぬしかはあれど花をし見ればもの思ひもなし

といふ言を、「君をし見れば」と書きなしたる、御覧じくらべて、「ただこの心どものゆかしかりつるぞ」と、おほせらるるついでに、「円融院の御時に、草子に『歌一つ書け』とおほせられければ、いみじう書きにくう、すまひ申す人々ありけるに、『さらにただ、手のあしさよさ、歌のをりにあはざらむも知らじ』とおほせらるれば、わびて皆書きけるなかに、ただ今の関白殿、三位中将と聞こえける時、

 潮の満ついつもの浦のいつもいつも君をば深く思ふやはわが

といふ歌の末を、『頼むむやはわが』と書きたまへりけるをなむ、いみじうめでさせたまひける」など、おほせらるるにも、すずろに汗あゆる心地ぞする。年若からむ人は、さもえ書くまじきことのさまにや、などぞ、おぼゆる。例いとよく書く人も、あじきなう皆つつまれて、書きけがしなどしたる、あり。
 古今の草子を御前に置かせたまひて、歌どもの本(もと)をおほせられて、「これが末、いかに」と問はせたまふに、すべて夜昼心にかかりておぼゆるもあるが、け清う申し出でられぬことは、いかなるぞ。宰相の君ぞ、十ばかり、それもおぼゆるかは。まいて五つ六つなどは、たおぼえぬよしをぞ啓すべけれど、「さやは、けにくく、おほせごとを映えなうもてなすべき」と、わびくちをしがるも、をかし。知ると申す人なきをば、やがて皆読み続けて、夾算(けふさん)せさせたまふを、「さてこれは知りたることぞかし。など、かうつたなくはあるぞ」と、言ひ嘆く。なかにも、古今あまた書き写しなどする人は、皆もおぼえぬべきことぞかし。
 「村上の御時に、宣耀殿(せんやうでん)の女御と聞えけるは、小一条の左の大臣殿の御娘におはけると、たれかは知りたてまつらざらむ。まだ姫君と聞えける時、父大臣の教へきこえたまひけることは、『一には、御手を習ひたまへ。次には琴(きん)の御琴を、人より異に弾きまさらむとおぼせ。さては、古今の歌廿巻を皆うかべさせたなを、御学問にはせさせたまへ』となむ、聞えたまひける、と、きこしめしおかせたまひて、御物忌なりける日、古今を持てわたらせたまひて、御几帳をひき隔てさせたまひければ、女御、例ならずあやし、と、おぼしけるに、草子をひろげさせたまひて、『その月、なにのをり、その人の詠みたる歌は、いかに』と、問ひきこえさせたまふを、かうなりけり、と心得させたまふも、をかしきものの、ひがおぼえもし、忘れたるところもあらば、いみじかるべきこと、と、わりなうおぼし乱れぬべし。その方におぼめかしからぬ人、二三人ばかり召し出でて、碁石して数を置かせたまはむとて、強(し)ひきこえさせたまひけむほど、いかにめでたくをかしかりけむ。御前にさぶらひけむ人さへこそ、うらやましけれ。せめて申させたまへば、さかしう、やがて末まではあらねども、すべてつゆたがふことなかりけり。いかでなほ、すこしひがごと見付けてをやまむ、と、ねたきまでにおぼしめしけるに、十巻にもなりぬ。『さらに不用なりけり』とて、御草子に夾算さして、大殿籠りぬるも、いとめでたしかし。いと久しうありて起きさせたまへるに、なほこのこと、勝ち負けなくてやませたはむ、いとわろし、とて、下の十巻を、明日にならば、異をもぞ見たまひあはする、とて、『今日定めてむ』と、大殿油(おほとなぶら)まゐりて、夜ふくるまでなむ、読ませたまひける。されど、つひに負けきこえさせたまはずなりにけり。『上わたらせたまひて、かかること』など、殿に人々申しにたてまつられたりければ、いみじうおぼし騒ぎて、御誦経など、あまたせさせたまひて、そなたに向きてなむ、念じ暮したまひける。好き好きしう、あはれなることなり」など、語りいでさせたまふを、上も、きこしめしめでさせたまふ。「我は、三巻四巻をだにえ見果てじ」と、おほせらる。「昔は、えせ者なども皆をかしうこそありけれ。このころは、かやうなることやは聞こゆる」など、御前にさぶらふ人々、上の女房こなた許されたるなどまゐりて、口々言ひいでなどしたるほどは、まことに、つゆ思ふことなく、めでたくぞおぼゆる。
枕草子 清少納言 枕草子 清少納言

二二 生ひ先なく、

 生ひ先なく、まめやかに、えせざいはひなど見てゐたらむ人は、いぶせく、あなづらはしく思ひやられて、なほ、さりぬべからむ人のむすめなどは、さしまじらはせ、世の有様も見せならはさまほしう、内侍のすけなどにてしばしもあらせぱや、とこそ、おぼゆれ。
 宮仕へする人をば、あはあはしう、わるきことに言ひ思ひたる男などこそ、いとにくけれ。げに、そも、またさることぞかし。かけまくもかしこき御前をはじめたてまつりて、上達部、殿上人、五位、四位はさらにも言はず、見ぬ人はすくなくこそあらめ。女房の従者、その里より来る者、長女、御厠人の従者、たびしかはらといふまで、いつかはそれを恥ぢ隠れたりし。殿ばらなどは、いとさしもやあらざらむ。それも、ある限りは、しか、さぞあらむ。
 上などいひて、かしづき据ゑたらむに、心にくからずおぼえむ、ことわりなれど、また、内裏の内侍のすけなどいひて、をりをり内裏へまゐり、祭の使などに出でたるも、面立たしからずやはある。さて、こもりゐぬる人は、まいてめでたし。受領の、五節出だすをりなど、いとひなび、言ひ知らぬことなど、人に問ひ聞きなどは、せじかし。心にくぎものなり。
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二三 すさまじきもの

 昼ほゆる犬。春の網代。三、四月の紅梅の衣。牛死にたる牛飼。ちご亡くなりたる産屋。人おこさぬ炭櫃、地火炉。博士のうち続き女子生ませたる。方違へに行きたるに、あるじせぬ所。まいて節分などはいとすさまじ。
 人の国よりおこせたる文の、物なき。京のをも、さこそ思ふらめ。されどそれは、ゆかしき事どもをも書き集め、世にあることなどをも聞けば、いとよし。人のもとに、わざときよげに書きてやりつる文の返事、今は持て来ぬらむかし、あやしう遅き、と、待つほどに、ありつる文、主文をも結びたるをも、いときたなげに取りなし、ふくだめて、上に引きたりつる墨など消えて、「おはしまさざりけり」もしは「御物忌とて取り入れず」と言ひて持て帰りたる、いとわびしく、すさまじ。
 また、かならず来べき人のもとに車をやりて待つに、来る音すれば、「さななり」と、人々出でて見るに、車宿にさらに引き入れて、轅ほうと打ちおろすを、「いかにぞ」と問へば、「今日は、ほかへおはしますとて、わたりたまはず」など、うち言ひて、牛の限り引き出でて去ぬる。
 また、家のうちなる男君の、来ずなりぬる、いとすさまじ。さるべき人の宮仕へするがりやりて、はづかしと思ひゐたるも、いとあいなし。ちごの乳母の、ただあからさまにとて出でぬるほど、とかく慰めて、「とく来」と言ひやりたるに、「今宵は、えまゐるまじ」とて、返しおこせたるは、すさまじきのみならず、いとにくくわりなし。女迎ふる男、まいていかならむ。待つ人ある所に、夜すこしふけて、忍びやかに門たたけば、胸すこしつぶれて、人出だして問はするに、あらぬよしなき者の名のりして来たるも、かへすがへすもすさまじといふはおろかなり。
 験者の、物怪調ずとて、いみじうしたり顔に独鈷や数珠など持たせ、せみの声しぼり出だして誦みゐたれど、いささかさりげもなく、護法もつかねば、集り居、念じたるに、男も女もあやしと思ふに、時のかはるまで誦み困じて、「さらにつかず。立ちね」とて、数珠取り返して、「あな、いと験なしや」と、うち言ひて、額より上ざまにさくり上げ、欠伸おのれうちして、寄り臥しぬる。いみじうねぶたしと思ふに、いとしもおぼえぬ人の、押し起して、せめてもの言ふこそ、いみじうすさまじけれ。
 除目に司得ぬ人の家。今年はかならず、と聞きて、はやうありし者どものほかほかなりつる、田舎だちたる所に住む者どもなど、皆集り来て、出で入る車の轅(ながえ)もひまなく見え、もの詣でする供に我も我もとまゐりつかうまつり、物食ひ酒飲み、ののしりあへるに、果つる暁まで門たたく音もせず、「あやしう」など、耳立てて聞けば、前駆追ふ声々などして上達部など皆出でたまひぬ。もの聞きに宵より寒がりわななきをりける下衆男、いともの憂げに歩み来るを、をる者どもは、え問ひにだに問はず、外より来たる者などぞ、「殿は、なににかならせたまひたる」など問ふに、答へには「なにの前司にこそは」などぞ、かならず答ふる。まことに頼みける者は、いと嘆かしと思へり。つとめてになりて、ひまなくをりつる者ども、一人、二人すべり出でて去ぬ。古き者どもの、さもえ行き離るまじきは、来年の国々、手を折りてうち数へなどして、ゆるぎありきたるも、いとほしう、すさまじげなり。
 よろしう詠みたりと思ふ歌を、人のもとにやりたるに、返しせぬ。懸想文は、いかがせむ。それだに、をりをかしうなどある返事せぬは、心劣りす。また、騒がしう、時めきたる所に、うち古めきたる人の、おのが、つれづれと暇多かるならひに、昔おぼえて異なることなき歌詠みておこせたる。
 もののをりの扇、いみじくと思ひて、心ありと知りたる人に取らせたるに、その日になりて、思はずなる絵など描きて、得たる。
 産養(うぶやしなひ)、馬のはなむけなどの使に、禄取らせぬ。はかなき薬玉、卯槌など待てありく者などにも、なほかならず取らすべし。思ひかけぬごとに得たるをば、いと興ありと思ふべし。これはかならずさるべき使と思ひ、心ときめきして行きたるは、ことにすさまじきぞかし。
 婿取りして、四、五年まで、産屋の騒きせぬ所も、いとすさまじ。大人なる子供もあまた、ようせずは孫なども這ひありきぬべき、人の親どち、昼寝したる。かたはらなる子どものここちにも、親の昼寝したるほどは、寄り所なく、すさまじうぞあるかし。師走のつごもりの夜、寝起きてあぶる湯は腹立たしうさへぞおぼゆる。師走のつごもりの長雨。「一日ばかりの精進解斎」とやいふらむ。
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二四 たゆまるるもの

 精進の日の行ひ。遠きいそぎ。寺に久しく籠りたる。

二五 人にあなづらるるもの

 築土の崩れ。あまり心よしと人に知られぬる人。

二六 にくきもの

 急ぐことあるをりに来て、長言するまらうど。あなづりやすき人ならば、「後に」とても、やりつべけれど、さすがに心はづかしき人、いとにくく、むつかし。硯に髪の入りて、すられたる。また、墨の中に、石のきしきしときしみ鳴りたる。
 にはかにわづらふ人のあるに、験者もとむるに、例ある所になくて、外に尋ねありくほど、いと待ち遠に久しきに、からうじて待ちつけて、よろこびながら加持せさするに、このころ物怪にあづかりて困じにけるにや、居るままにすなはち、ねぶり声なる、いとにくし。
 なでふことなき人の、笑がちにて、ものいたう言ひたる。火桶の火、炭櫃などに、手のうらうち返しうち返しおしのべなどして、あぶりをる者。いつか、若やかなる人など、さはしたりし。老いばみたる者こそ、火桶のはたに足をさへもたげて、もの言ふままに押しすりなどはすらめ。さやうの者は、人のもとに来て、居むとする所を、まづ扇してこなたかなたあふぎちらして、塵はき捨て、居もさだまらずひろめきて、狩衣の前巻き入れても居るべし。かかることは、いふかひなき者の際にやと思へど、すこしよろしき者の、式部の大夫などいひしが、せしなり。
 また、酒飲みてあめき、口を探り、鬚ある者はそれをなで、盃、異人に取らするほどのけしき、いみじうにくしと見ゆ。「また飲め」と言ふなるべし、身ぶるひをし、頭ふり、口わきをさへ引き垂れて、童の「こう殿にまゐりて」など謡ふやうにする。それはしも、まことによき人のしたまひしを見しかば、心づきなしと思ふなり。
 ものうらやみし、身の上嘆き、人の上言ひ、露ばかりのこともゆかしがり、聞かまほしうして、言ひ知らせぬをば、怨じそしり、また僅かに聞き得たることをば、わがもとより知りたることのやうに、異人にも語りしらぶるも、いとにくし。
 もの聞かむと思ふほどに泣くちご。烏の集まりて飛び違ひ、さめき鳴きたる。
 忍びて来る人、見知りてほゆる犬。あながちなる所に隠し臥せたる人の、いびきしたる。また、忍び来る所に、長烏帽子して、さすがに人に見えじとまどひ入るほどに、ものにつきさはりて、そよろといはせたる。伊予簾など掛けたるに、うちかづきて、さらさらと鳴らしたるも、いとにくし。帽額の簾は、まして、こはしのうち置かるる音、いとしるし。それも、やをら引き上げて入るは、さらに鳴らず。遣戸を、荒くたてあくるも、いとあやし。すこしもたぐるやうにしてあくるは、鳴りやはする。あしうあくれば、障子なども、こほめかしうほとめくこそ、しるけれ。
 ねぶたしと思ひて臥したるに、蚊の細声にわびしげに名のりて、顔のほどに飛びありく。羽風さへ、その身のほどにあるこそ、いとにくけれ。
 きしめく車に乗りてあるく者、耳も聞かぬにやあらむと、いとにくし。わが乗りたるは、その車の主さへにくし。また、物語するに、さしいでして、我ひとりさいまくる者。すべてさしいでは、童も大人いともにくし。あからさまに来たる子ども、童を見入れ、らうたがりて、をかしき物取らせなどするに、ならひて、常に来つつ居入りて、調度うち散らしぬる、いとにくし。
 家にても宮仕へ所にても、会はでありなむと思ふ人の来るに、そら寝をしたるを、わがもとにある者、起しに寄り来て、いぎたなしと思ひ顔に引きゆるがしたる、いとにくし。今まゐりの、さし越えて、もの知り顔に教へやうなること言ひ、後見たる、いとにくし。
 わが知る人にてある人の、はやう見し女のこと、ほめ言ひいでなどするも、ほど経たることなれど、なほにくし。まして、さしあたりたらむこそ、思ひやらるれ。されど、なかなか、さしもあらぬなどもありかし。
 はなひて誦文する。おほかた、人の家の男主ならでは、高くはなひたる、いとにくし。蚤もいとにくし。衣の下に躍りありきて、もたぐるやうにする。犬の諸声に長々と鳴き上げたる、まがまがしくさへにくし。
 あけて出で入る所、たてぬ人、いとにくし。
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二七 心ときめきするもの

 雀の子飼。ちご遊ばする所の前たわる。よき薫物たきて、ひとり臥したる。唐鏡のすこし暗き見たる。そき男の、車とどめて、案内し問はせたる。頭洗ひ、化粧じて、香ばしうしみたる衣など着たる。ことに見る人なき所にても、心のうちは、なほいとをかし。待つ人などのある夜、雨の音、風の吹きゆるがすも、ふと驚かる。

二八 過ぎにしかた恋しきもの

 枯れたる葵。雛遊びの調度。二藍、葡萄染めなどのさいでの、押しへされて、草子の中などにありける、見つけたる。また、をりからあはれなりし人の文、雨など降りつれづれなる日、さがし出でたる。去年のかはほり。

二九 心ゆくもの

 よく描いたる女絵の、言葉をかしう付けて多かる。物見の帰さに、乗りこぼれて、をのこどもいと多く、牛よくやる者の、車走らせたる。白くきよげなる陸奥紙に、いといと細う、書くべくはあらぬ筆して、文書きたる。うるはしき糸の練りたる、あはせ繰りたる。てうばみに、てう多く打ち出でたる。ものよく言ふ陰陽師して、川原に出でて、呪詛の祓へしたる。夜、寝起きて飲む水。
 つれづれなるをりに、いとあまりむつまじうもあらぬまらうどの来て、世の中の物語、このころある事のをかしきもにくきもあやしきも、これかれにかかりて、公私おぼつかなからず、聞きよきほどに語りたる、いと心ゆくここちす。
 神、寺などにまうでて、もの申さするに、寺は法師、社は禰宜(ねぎ)などの、くらからずさはやかに、思ふほどにも過ぎて、とどこほらず聞きよう申したる。
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三〇 檳榔毛は、

 檳榔毛(びらうげ)は、のどかにやりたる。急ぎたるは、わろく見ゆ。
 網代は、走らせたる。人の門の前などをよりわたりたるを、ふと見やるほどもなく過ぎて、供の人ばかり走るを、誰ならむと思ふこそ、をかしけれ。ゆるゆると久しく行くは、いとわろし。

三一 説経の講師は、

 説経の講師は、顔よき。講師の顔を、つとまもらへたるこそ、その説くことの尊さもおぼゆれ。ほか目しつれば、ふと忘るるに、にくげなるは罪や得らむとおぼゆ。このことはとどむべし。すこし齢などのよろしきほどは、かやうの罪得がたのことは、、書き出でけめ。今は罪いと恐ろし。
 また、尊きこと、道心多かり、とて、説経すといふ所ごとに、最初に行きゐるこそ、なほ、この罪の心には、いとさしもあらで、と見ゆれ。
 蔵人など、昔は御前などいふわざもせず、その年ばかりは内裏わたりなどには、影も見えざりける。今はさしもあらざめる。蔵人の五位とて、それをしもぞ、いそがしう使えど、なほ、名残つれづれにて、心一つは暇あるここちすべかめれば、さやうの所にぞ、一度、二度も聞きそめつれば、常にまでまほしうなりて、夏などのいと暑きにも、かたびらいとあざやかにて、薄二藍、青鈍の指貫(さしぬき)など、踏み散らしてゐためり。鳥帽子に物忌付けたるは、さるべき日なれど、功徳のかたには障らずと見えむ、とにや。
 そのことする聖と物語し、車立つることなどをさへぞ見入れ、事についたるけしきなる。久しう会はざりつる人のまうであひたる、珍しがりて近う居寄り、もの言ひうなづき、をかしきことなど語りいでて、扇広うひろげて、口にあてて笑ひ、よく装束したる数珠かいまさぐり、手まさぐりにし、こなたかなたうち見やりなどして、車のあしよしほめそしり、なにがしにてその人のせし八講、経供養せしこと、とありしこと、かかりしこと、言ひくらべゐたるほどに、この説経のことは聞きも入れず。なかには、常に聞くことなれば、耳馴れて、珍しうもあらぬにこそは。
 さはあらで、講師居てしばしあるほどに、前駆すこし追はする車とどめておるる人、蝉の羽よりも軽げなる直衣、指貫、生絹のひとへなど着たるも、狩衣の姿なるもさやうにて、若う細やかなる、三、四人ばかり、侍の者またさばかりして、入れば、はじめ居たる人々も、すこしうちみじろきくつろい、高座のもと近き柱もとに据ゑつれば、かすかに数珠押しもみなどして聞きゐたるを、講師もはえばえしくおぼゆるなるべし、いかで語り伝ふばかりと説き出でたなり。聴聞すなど倒れ騒ぎ、額づくほどにもなくて、よきほどに立ち出づとて、車どもの方など見おこせて、我どち言ふことも、なにごとならむとおぼゆ。見知りたる人は、をかしと思ふ、見知らぬは、誰ならむ、それにやなど思ひやり、目をつけて見送らるるこそ、をかしけれ。
 「そこに説経しつ、八講しけり」など、人の言ひ伝ふるに、「その人はありつや」「いかがは」など、さだまりて言はれたる、あまりなり。などかは、むげにさしのぞかではならむ。あやしからむ女だに、いみじう聞くめるものを。さればとて、はじめつ方は、かちありきする人はなかりき。たまさかには、壺装束などして、なまめき化粧じてこそは、あめりしか。それも、もの詣でなどをぞせし。説経なとには、ことに多く聞こえざりき。このころ、そのをりさし出でけむ人、命長くて見ましかば、いかばかり、そしり誹謗せまし。
枕草子 清少納言 枕草子 清少納言

三二 菩提といふ寺に、

 菩提といふ寺に、結縁の八講せしに詣でたるに、人のもとより「とく帰りたまひね。いとさうざうし」と言ひたりければ、蓮の葉のうらに、

  もとめてもかかる蓮の露をおきて憂き世に、または帰るものかは

と書きてやりつ。まことに、いと尊くあはれなれば、やがてとまりぬべくおぼゆるに、さうちうが家の人のもどかしさも忘れぬべし。

三三 小白河といふ所は、

 小白河といふ所は、小一条の大将殿の御家ぞかし、そこにて上達部、結縁の八講したまふ。世の中の人、いみじうめでたき事にて、「遅からむ車などは立つべきやうもなし」と言へば、露とともに起きて、げにぞ、ひまなかりける轅(ながえ)の上にまたさし重ねて、三つばかりまではすこしものも聞ゆべし。
 六月十よ日にて、暑きこと世に知らぬほどなり。池の蓮を見やるのみぞ、いと涼しきここちする。左右の大臣たちをおきたてまつりては、おはせぬ上達部なし。二藍の指貫、直衣、あさぎのかたびらどもぞ透かしたまへる。少し大人びたまへるは、青鈍(おにび)の指貫、白き袴もいと涼しげなり。佐理(すけまさ)の宰相なども皆若やぎだちて、すべて尊き事の限りにもあらず、をかしき見物なり。
 廂の簾高う上げて、長押の上に、上達部は奥に向きて長々と居たまへり。その次には、殿上人、若君達、狩装束、直衣などもいとをかしうて、え居も定まらず、ここかしこに立ちさまよひたるも、いとをかし。実方(さねかた)の兵衛の佐(すけ)、長命侍従など、家の子にて、今すこし出で入りなれたり。まだ童なる君など、いとをかしくておはす。
 すこし日たくるほどに、三位の中将とは関白殿をぞ聞えし、かうの薄物の二藍の御直衣、二藍の織物の指貫、濃蘇枋の下の御袴に、張りたる白きひとへのいみじうあざやかなるを着たまひて歩み入りたまへる、さばかり軽び涼しげなる御中に、暑かはしげなるべけれど、いといみじうめでたしとぞ見えたまふ。朴、塗骨など骨はかはれど、ただ赤き紙をおしなべてうち使ひ持たまへるは、撫子のいみじう咲きたるにぞ、いとよく似たる。
 まだ講師ものぼらぬほど、懸盤して、なににかあらむ、ものまゐるなるべし。義懐(よしちか)の中納言の御様、常よりもまさりておはするぞ、限りなきや。色合ひの花々といみじうにほひあざやかなるに、いづれともなき中のかたびらを、これはまことにすべてただ直衣一つを着たるやうにて、常に車どもの方を見おこせつつ、ものなど言ひかけたまふ、をかしと見ぬ人はなかりけむ。
 後に来る車の、ひまもなかりければ池に引き寄せて立ちたるを見たまひて、実方の君に「消息をつきづきしう言ひつべからむ者、一人」と召せば、いなかる人にかあらむ、選りて率ておはしたり。「いかが言ひやるべき」と、近う居たまふ限り、のたまひあはせて、やりたまふ言葉は聞えず。いみじう用意して車のもとへ歩み寄るを、かつは笑ひたまふ。後の方に寄りて言ふめる。久しう立てれば、「歌など詠むにやあらむ。兵衛の佐、返し思ひまうけよ」など笑ひて、いつしか返事聞かむと、ある限り、大人上達部まで皆そなたざまに見やりたまへり。げにぞけせうの人まで見やりしもをかしかりし。
 返事聞きたるにや、すこし歩み来るほどに、扇をさし出でて呼びかへせば、歌などの文字言ひあやまりてばかりや、かうは呼びかへさむ、久しかりつるほど、おのづからあるべきことは、直すべくもあらじものを、とぞおぼえたる。近うまゐりつくも心もとなく、「いかにいかに」と、誰も誰も問ひたまふ。ふとも言はず、権中納言ぞのたまひつれば、そこにまゐり、けしきばみ申す。三位の中将「とく言へ。あまり有心すぎてしそこなふな」と、のたまふに、「これもただ同じことになむはべる」と言ふは聞ゆ。藤大納言、人よりけにさしのぞきて、「いかが言ひたるぞ」と、のたまふめれば、三位の中将「いと直き木をなむ押し折りためる」と聞こえたまふに、うち笑ひたまへば、皆なにとなくさと笑ふ声、聞こえやすらむ。中納言、「さて、呼びかへさざりつるさきは、いかが言ひつる。これや直したる定」と問ひたまへば、「久しう立ちてはべりつれど、ともかくもはべらざりつれば、『さは、帰りまゐりなむ』とて、帰りはべりつるに、呼びて」などぞ申す。「誰が車ならむ。見知りたまへりや」など、あやしがりたまひて、「いざ、歌詠みてこの度はやらむ」などのたまふほどに、講師のぼりぬれば、皆、居静まりて、そなたをのみ見るほどに、車は、かい消つやうに失せにけり。下簾など、ただ今日はじめたりと見えて、濃きひとへがさねに二藍の織物、蘇枋の薄物の上着など、後にも摺りたる裳、やがてひろがながらうち下げなどして、なに人ならむ、なにかは、またかたほならむことよりはげにと聞えて、なかなかいとよし、とぞおぼゆる。
 朝座の講師清範、高座の上も光りみちたるここちして、いみじうぞあるや。暑さのわびしきに添へて、しさしたる事の今日過ぐすまじきをうちおきて、ただすこし聞きて帰りなむとしつるに、しきなみに集ひたる車なれば、出づべき方もなし。朝講果てなば、なほいかで出でなむと、前なる車どもに消息すれば、近く立たむがうれしさにや、「早々」と引き出であけて出だすを見たまひて、いとかしかましきまで老上達部さへ笑ひにくむをも聞き入れず、答へもせで、強いて狭がり出づれば、権中納言の、「やや。まかりぬるもよし」とて、うち笑みたまへるぞ、めでたき。それも耳にもとまらず、暑きにまどはし出でて、人して「五千人のうちには入らせたまはぬやうあらじ」と聞えかけて、帰りにき。
 そのはじめより、やがて果つる日まで立てたる車のありけるに、人寄り来とも見えず、すべてただあさましう絵などのやうにて過ぐしければ、ありがたくめでたく心にくく、いかなる人ならむ、いかで知らむと、問ひ尋ねけるを聞きたまひて、藤大納言などは、「なにか、めでたからむ。いとにくし。ゆゆしきものにこそあなれ」と、のたまひけるこそ、をかしかりしか。
 さて、その二十日あまりに、中納言、法師になりたまひにしこそ、あはれなりしか。桜など散りぬるも、なほ世の常なりや。「置くを待つ間の」とだに言ふべくもあらぬ御有様にそこ見えたまひしか。
枕草子 清少納言 枕草子 清少納言

三四 七月ばかり、いみじう暑ければ、

 七月ばかり、いみじう暑ければ、よろづの所あけながら夜もあかすに、月のころは、寝おどろきて見いだすに、いとをかし。闇もまたをかし。有明はた、言ふもおろかなり。
 いとつややかなる板の端近う、あざやかなる畳一枚うち敷きて、三尺の几帳、奥の方におしやりたるぞ、あぢきなき。端にこそ立つべけれ。奥の後めたからむよ。人は出でにけるなるべし、薄色の、裏いと濃くて、表はすこしかへりたるならずは、濃き綾のつややかなるが、いとなえぬを、頭ごめにひき着てぞ寝たる。香染めのひとへ、もしは黄生絹のひとへ、紅のひとへ袴の腰のいと長やかに衣の下より引かれたるも、まだ解けながらなめり。そばの方に髪のうちたたなはりてゆるらかなるほど、長さおしはかられたるに、またいづこよりにかあらむ、朝ぼらけのいみじう霧り立ちたるに、二藍の指貫にあるかなきかの色したる香染めの狩衣、しろき生絹に紅の透すにこそあはらめ、つややかなる、霧にいたうしめりたるを脱ぎたれて、鬢のすこしふくだみたれば、鳥帽子のおし入れたるけしきもしどけなく見ゆ。朝顔の露落ちぬきさきに文書かむと、道のほども心もとなく「麻生の下草」など、口ずさみつつ、わが方に行くに、格子のあがりたれば、御簾のそばをいささか引き上げて見るに、起きて去ぬらむ人もをかしう、露もあはれなるにや、しばし見立てれば、枕上の方に、朴に紫の紙張りたる扇、ひろごりながらあり。陸奥紙の畳紙の細やかなるが、花か紅か、すこしにほひたるも、几帳のもとに散りぼひたり。
 人けのすれば、衣の中より見るに、うち笑みて、長押におしかかりて居ぬ。恥ぢなどすべき人にはあらねど、うちとくべき心ばへにもあらぬに、ねたうも見えぬるかな、と思ふ。「こよなき名残の御朝寝かな」とて、簾の内になから入りたれば、「露よりさきなる人のもどかしさに」と言ふ。をかしき事、とり立てて書くべき事ならねど、とかく言ひかはすけしきどもは、にくからず。枕上なる扇、わが持たるしておよびてかき寄するが、あまり近う寄り来るにやと、心ときめきして、引きぞ下らるる。取りて見などして、「うとくおぼいたること」など、うちかすめうらみなどするに、明うなりて、人の声々し、日もさし出でぬべし。霧の絶え間見えぬべきほど、急ぎつる文もたゆみぬるこそ、後ろめたけれ。
 出でぬる人も、いつのほどにかと見えて、萩の露ながらおし折りたるに付けてあれど、えさし出でず。香の紙のいみじうしめたる匂い、いとをかし。あまりはしたなきほどになれば、立ち出でて、わが起きつる所もかくやと思ひやらるるも、をかしかりぬべし。
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三五 木の花は

 木の花は 濃きも薄きも、紅梅。桜は、花びら大きに、葉の色濃きが、枝細くて咲きたる。藤の花は、しなひ長く、色濃く咲きたる、いとめでたし。
 四月のつごもり、五月のついたちのころほひ、橘の葉の濃く青きに、花のいと白う咲きたるが、雨うち降りたるつとめてなどは、世になう心あるさまに、をかし。花の中より黄金の玉かと見えて、いみじうあざやかに見えたるなど、朝露に濡れたる朝ぼらけの桜に劣らず。郭公(ほととぎす)のよすがとさへ思へばにや、なほ、さらに言ふべきにもあらず。
 梨の花、よにすさまじきものにして、近うもてなさず、はかなき文付けなどだにせず、愛敬おくれたる人の顔など見ては、たとひに言ふも、げに、葉の色よりはじめて、あはひなく見ゆるを、唐土には限りなきものにて、詩にも作る、なほさりとも、やうあらむと、せめて見れば、花びらの端にをかしきにほひこそ、心もとなうつきためれ。楊貴妃の、帝の御使いあひて泣きける顔に似せて、「梨花一枚、春、雨を帯びたり」など言ひたるは、おぼろけならじと思ふに、なほいみじうめでたきことは、たぐひあらじとおぼえたり。
 桐の木の花、紫に咲きたるは、なほをかしきに、葉のひろごりざまぞ、うたてこちたれど、異木どもとひとしう言ふべきにもあらず。唐土にことごとしき名つきたる鳥の、選りてこれにのみ居るらむ、いみじう心異なり。まいて、琴に作りて、さまざまなる音のいでくるなどは、をかしなど、世の常に言ふべくやはある、いみじうこそめでたけれ。
 木のさまにくげなれど、楝(あふち)の花、いとをかし。かれがれに、様異に吹きて、かならず五月五日にあふも、をかし。
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三六 池は

 池は 勝間田の池。磐余(いはれ)の池。贄野(にへの)の池、初瀬に詣でしに、水鳥のひまなく居て、立ち騒ぎしが、いとをかしう見えしなり。
 水なしの池こそ、あやしう、などてつけけるならむとて、問ひしかば、「五月など、すべて雨いたう降らむとする年は、この池に水といふものなむ、なくなる。また、いみじう照るべき年は、春のはじめに、水なむ多く出づる」と言ひしを「むげになく、乾きてあらばこそ、さも言はめ、出づるをりもあるを、一筋にもつけけるかな」と、言はまほしかりしか。
 猿沢の池は、采女(うねべ)の身投げたるをきこしめて、行幸などありけむこそ、いみじうめでたけれ。「寝くたれ髪を」と、人丸が詠みけむほどなど思ふに、言ふもおろかなり。
 おまへの池は、またなにの心にてつけけるならむと、ゆかし。鏡の池。狭山の池は、三稜草(みくり)といふ歌のをかしきが、おぼゆるならむ。こひぬまの池は「玉藻な刈りそ」と言ひたるも、をかしうおぼゆ。
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三七 節は、

 節は、五月にしく月はなし。菖蒲、蓬(よもぎ)などのかをりあひたる、いみじうをかし。九重の御殿の上をはじめて、言ひ知らぬ民のすみかまで、いかで、わがもとにしげく葺かむと、葺きわたしたる、なほいとめづらし。いつかは、異をりに、さはしたりし。
 空のけしき、曇りわたりたるに、中宮などには、縫殿(ぬひどの)より、御薬玉とて、色々の糸を組み下げてまゐらせたれば、御帳立てたる母屋の柱に左右に付けたり。九月九日の菊を、あやしき生絹(すずし)の衣に包みてまゐらせたるを、同じ柱に結ひ付けて月ごろある、薬玉にとりかへてぞ捨つめる。また薬玉は菊のをりまであるべきにやあらむ。されどそれは、皆、糸を引き取りて、もの結ひなどして、しばしもなし。
 御節供まゐり、若き人々、菖蒲の刺櫛さし、物忌付けなどして、さまざま、唐衣、汗衫(かざみ)などに、をかしき折枝ども、長き根にむら濃の組して結び付けたるなど、珍しう言ふべきことならねど、いとをかし。さて、春ごとに咲くとて、桜をよろしう思ふ人やはある。
 土ありく童などの、ほどほどにつけてはいみじきわざしたりと思ひて、常に袂まぼり、人のにくらべなど、えも言はずと思ひたるなどを、そばへたる小舎人童などに引きはられて泣くも、をかし。
 紫の紙に楝(あふち)の花、青き紙に菖蒲の花の葉細く巻きて結ひ、また、白き紙を根してひき結ひたるも、をかし。いと長き根を文の中に入れなどしたるを見るここちども、いと艶なり。返事書かむと言ひあはせ、かたらふどちは見せかはしなどするも、いとをかし。人の女(むすめ)、やむごとなき所々に、御文などきこえたまふ人も、今日は心異にぞなまめかしき。夕暮れのほどに、郭公の名のりしてわたるも、すべていみじき。
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三八 花の木ならぬは

 花の木ならぬは かへで。桂。五葉。そばの木、しななきここちすれど、花の木ども散り果てて、おしなべて緑になりにたる中に時もわかず濃き紅葉のつやめきて、思ひもかけぬ青葉の中よりさし出でたる、めづらし。
 まゆみ、さらにも言はず。そのものとなけれど、宿り木といふ名、いとあはれなり。榊、臨時の祭の御神楽のをりなど、いとをかし。世に木どもこそあれ、神の御前のものと生ひはじめけむも、とりわきてをかし。
 楠の木は、木立多かる所にも、ことにまじらひ立てらず、おどろおどろしき思ひやりなどうとましきを、千枝に分れて、恋する人のためしに言はれらるこそ、誰かは数を知りて言ひはじめけむと思ふに、をかしけれ。
 檜の木、また、け近からぬものなれど、三葉四葉の殿づくりもをかし。五月に雨の声をまなぶらむも、あはれなり。
 かへでの木のささやかなるに、萌えいでたる葉末の赤みて、同じ方にひろごりたる葉のさま、花もいとものはかなげに、虫などの枯れたるに似て、をかし。
 あすはひの木、この世に近くも見え聞こえず、御嶽に詣でて帰りたる人などの持て来める。枝ざしなどは、いと手触れにくげにあらくましけれど、なにの心ありて、あすはひの木とつけけむ。あぢきなきかね言なりや。誰に頼めたるにかと思ふに、聞かまほしくをかし。
 ねずもちの木、人なみなみなるべきにもあらねど、葉のいみじうこまかに小さきが、をかしきなり。楝の木。山橘。山梨の木。
 椎の木、常盤木はいづれもあるを、それしも、葉がへせぬためしに言はれたるも、をかし。
 白樫といふものは、まいて深山木の中にもいとけ遠くて、三位、二位の袍(うへのきぬ)染むるをりばかりこそ、葉をだに人の見るめれば、をかしきこと、めでたきことに取り出づべくもあらねど、いつともなく雪の降り置きたるに見まがへられ、素盞鳴(すさのを)尊、出雲の国におはしける御事を思ひて、人丸が詠みたる歌などを思ふに、いみじくあはれなり。をりにつけても一節あはれともをかしとも聞きおきつるものは、草、木、鳥、虫も、おろかにこそおぼえね。
 ゆづりの葉の、いみじうふさやかにつやめき、茎はいと赤くきらきらしく見えたるこそ、あやしけれど、をかし。なべての月には、見えぬものの、師走のつごもりのみ時めきた、亡き人の食ひ物に敷く物にやと、あはれなるに、また、齢を延ぶる歯固めの具にも、もて使ひためるは、いかになる世にか、「紅葉せむ世や」と言ひたるも、頼もし。
 柏木、いとをかし。葉守の神のいますらむも、かしこし。兵衛の督(かみ)、佐(すけ)、尉(ぞう)など言ふも、をかし。
 姿なけれど、椶櫚(すろ)の木、唐きめて、わるき家のものとは見えず。
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三九 鳥は

 鳥は 異所のものなれど、鸚鵡(あうむ)、いとあはれなり。人の言ふらむことをまねぶらむよ。郭公。水鶏(くひな)。しぎ。都鳥。ひは。ひたき。
 山鳥、友を恋ひて、鏡を見すればなぐさむらむ、心若う、いとあはれなり。谷隔てたるほどなど、心苦し。
 鶴は、いとこちたきさまなれど、鳴く声の雲居まで聞ゆる、いとめでたし。頭赤き雀。斑鳩(いかるが)の雄鳥。たくみ鳥。
 鷺は、いと見目も見苦し。眼居(まなこゐ)なども、うたてよろづになつかしからねど、ゆるぎの森にひとりは寝じとあらそふらむ、をかし。水鳥、鴛鴦(をし)いとあはれなり。かたみにゐかはりて、羽の上の霜払ふらむほどなど。千鳥、いとをかし。
 鶯は、詩などにもめでたきものに作り、声よりはじめて、様、かたちも、さばかりあてにうつくしきほどよりは、九重の内に鳴かぬぞ、いとわろき。人の「さなむある」と言ひしを、さしもあらじと思ひしに、十年ばかりさぶらひて聞きしに、まことにさらに音せざりき。さるは、竹近き紅梅も、いとよく通ひぬべきたよりなりかし。まかでて聞けば、あやしき家の見所もなき梅の木などには、かしがましきまでぞ鳴く。夜鳴かぬも、寝ぎたなきここちすれども、今はいかがせむ。夏、秋の末まで、老い声に鳴きて、虫食ひなど、ようもあらぬ者は名をつけかへて言ふず、くちをしくくすしきここちする。それも、ただ雀などのやうに常にある鳥ならば、さもおぼゆまじ。春鳴くゆゑこそはあらめ。「年たちかへる」など、をかしきことに歌にも詩にも作るなるは。なほ春のうち鳴かましかば、いかにをかしからまし。人をも、人げなう、世のおぼえあなづらはしうなりそめにたるを、そしりやはする。鳶(とび)、烏などの上は、見入れ聞き入れなどする人、世になしかし。されば、いみじかるべきものとなりたれば、と思ふに、心ゆかぬここちするなり。祭の帰さ見るとて、雲林院(うりゐん)、知足院などの前に車を立てたれば、郭公も忍ばぬにやあらむ、鳴くに、いとようまねび似せて、木高き木どもの中に、諸声に鳴きたるこそ、さすがにをかしけれ。
 郭公は、なほ、さらに言ふべきかたなし。いつしか、したり顔にも聞こえたるに、卯の花、花橘などに宿りをして、はた隠れたるも、ねたげなる心ばへなり。五月雨の短き夜に寝覚をして、いかで人よりさきに聞かむと待たれて、夜深くうちいでたる声のらうらうじう愛敬づきたる、いみじう心あくがれ、せむかたなし。六月になりぬれば、音もせずなりぬる、すべて言ふもおどかなり。夜鳴くもの、なにもなにもめでたし。ちごどものみぞ、さしもなき。

四〇 あてなるもの

 あてなるもの
 薄色に白襲の汗衫。かりのこ。削り氷にあまづら入れて 新しき金まりに入れたる。水晶の数珠。藤の花。梅の花に夢の降りかかりたる。いみじううつくしきちごの、いちごなど食ひたる。
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四一 虫は

 虫は 鈴虫。ひぐらし。蝶。松虫。きりぎりす。はたおり。われから。ひをむし。螢。
 蓑虫、いとあはれなり。鬼のうみたりければ、親に似てこれも恐ろしき心あらむとて、親のあやしき衣ひき着せて、「今、秋風吹かむをりぞ、来むとする。待てよ」と言ひ置きて逃げて去にけるも知らず、風の音を聞き知りて、八月ばかりになれば、「ちちよ、ちちよ」と、はかなげに鳴く、いみじうあはれなり。
 額づき虫、またあはれなり。さるここちに道心おこして、つきありくらむよ。思ひかけず、鳴き所などにほとめきありきたるこそ、をかしけれ。
 蠅こそ、にくきもののうちに入れつべく、愛敬なきものはあれ。人々しう、かたきなどにすべき大きさにはあらねど、秋など、ただよろづの物に居、顔などに濡れ足して居るなどよ。人の名につきたる、いとうとまし。
 夏虫、いとをかしう、らうたげなり。火近う取り寄せて物語など見るに、草子の上などに飛びありく、いとをかし。
 蟻は、いとにくけれど、軽びいみじうて、水の上などをただ歩みに歩みありくこそ、をかしけれ。
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四二 七月ばかりに、風いたう吹きて、

 七月ばかりに、風いたう吹きて、雨など騒がしき日、おほかたいと涼しければ、扇もうち忘れたるに、汗の香すこしかかへたる綿衣の薄きをいとよくひき着て、昼寝したるこそ、をかしけれ。

四三 にげなきもの

 にげなきもの
 下衆の家に雪の降りたる。また、月のさし入りたるも、くちをし。月の明きに、屋形なき車のあひたる。また、さる車に、あめ牛かけたる。また、老いたる女の、腹高くてありく。若き男持ちたるだに見苦しきに、異人のもとへ行きたるとて、腹立つよ。
 老いたる男の、寝まどひたる。また、さやうに鬚がちなる者の、椎つみたる。歯もなき女の、梅食ひて酸がりたる。下衆の、紅の袴着たる。このころは、それのみぞあめる。
 靭負(ゆげひ)の佐の夜行姿。狩衣姿も、いとあやしげなり。人に怖ぢらるる袍は、おどろおどろし。立ちさまよふも、見つけてあなづらはし。「嫌疑の者やある」と、たはぶれにも咎む。入りゐて、そらだきものにしみたる几帳にうち掛けたる袴など、いみじうたづきなし。
 かたちよき君たちの、弾正の弼(ひち)にておはする、いと見苦し。宮の中将などの、さもくちをしかりしかな。

四四 細殿に、人あまた居て、

 細殿に、人あまた居て、やすからずものなど言ふに、きよげなるをのこ、小舎人童など、よき包み、袋などに衣ども包みて、指貫のくくりなどぞ見えたる、弓、矢、楯など持てありくに、「誰がぞ」と問へば、つい居て「なにがし殿の」とて行く者は、よし。けしきばみ、やさしがりて、「知らず」とも言ひ、ものも言はでも去ぬる者は、いみじうにくし。
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四五 主殿司こそ、

 主殿司(とのもづかさ)こそ、なほをかしきものはあれ。下女の際は、さばかりうらやましきものはなし。よき人にもせさせまほしきわざなめり。若くかたちよからむが、なりなどよくてあらむは、ましてよからむかし。すこし老いて、ものの例知り、面なきさまなるも、いとつきづきしくめやすし。主殿司の、顔愛敬づきたらむ、ひとり持たりて、装束、時に従ひ、裳、唐衣など今めかしくてありかせばやとこそ、おぼゆれ。

四六 をのこはまた、随身こそ

 をのこはまた、随身こそあめれ。いみじうびびしうて、をかしき君たちも、随身なきは、いとしらじらし。弁などは、いとをかしき官に思ひたれど、下襲(したがさね)の裾短くて、随身のなきぞ、いとわろきや。
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四七 職の御曹司の西面の立蔀のもとにて、

 職の御曹司の西面の立蔀のもとにて、頭の弁、ものをいと久う言ひ立ちたまへれば、さし出でて、「それは誰ぞ」と言へば、「弁さぶらふなり」と、のたまふ。「なにか、さもかたらひたまふ。大弁見えば、うち拾てたてまつりてむものを」と言へば、いみじう笑ひて、「誰が、かかる事をさへ言ひ知らせけむ。それ、『さなせそ』とかたらふなり」と、のたまふ。
 いみじう見え聞えて、をかしき筋など立てたる事はなう、ただありなるやうなるを、皆人さのみ知りたるに、なほ奥深き心ざまを見知りたれば、「おしなべたらず」など、御前にも啓し、また、さしろしめしたるを、常に「『女はおのれをよろこぶ者のために顔づくりす。士はおのれを知る者のために死ぬ』となむ言ひたる」と、言ひあはせたまひつつ、よう知りたまへり。「遠江(とほたあふみ)の浜柳」と言ひかはしてあるに、若き人々は、ただ言ひに見苦しきことどもなどつくろはず言ふに、「この君こそ、うたて見えにくけれ。異人のやうに歌うたひ興じなどもせず、けすさまじ」など、そしる。
 さらにこれかれにもの言ひなどもせず、「まろは、目は縦ざまに付き、眉は額ざまに生ひあがり、鼻は横ざまなりとも、ただ口つき愛敬づき、おどがひの下、頸きよげに、声にくからざらむ人のみなむ、思はしかるべき。とは言ひながら、なほ、顔いとにくげならむ人は、心うし」とのみ、のたまへば、まして、おとがひ細う、愛敬おくれたる人などは、あいなくかたきにして、御前にさへぞ、あしざまに啓する。
 ものなど啓せさせむとても、そのはじめ言ひそめてし人を尋ね、下なるをも呼びのぼせ、常に来て言ひ、里なるは、文書きても、みづからもおはして、「遅くまゐらば、『さなむ申したる』と申しにまゐらせよ」と、のたまふ。「それ、人のさぶらふらむ」など言ひ譲れど、さしもうけひかずなどぞ、おはする。「あるに従ひ、定めず、なにごとももてなしたるをこそ、よきにすめれ」と、後見きこゆれど、「わがもとの心本性」とのみ、のたまひて、「改まらざるものは心なり」と、のたまへば、「さて、憚りなし、とは、なにを言ふにか」と、あやしがれば、笑ひつつ、「仲よしなども人に言はる。かくかたらふとならば、なにか恥づる。見えなどもせよかし」と、のたまふ。「いみじうにくげなれば、さあらむ人をば、え思はじ、と、のたまひしによりて、え見えたてまつらぬなり」と言へば、「げに、にくくもぞなる。さらば、な見えそ」とて、おのづから見つべきをりも、おのれ顔ふたぎなどして見たまはぬも、真心にそら言したまはざりけり、と思ふに、三月つごもり方は、冬の直衣の着にくきにやあらむ、袍がちにてぞ、殿上び宿直姿もある、つとめて、日さし出づるまで、式部のおもとと小廂に寝たるに、奥の遺戸をあけさせたまひて、上の御前、宮の御前出でさせたまへれば、起きもあへすまどふを、いみじく笑はせたまふ。唐衣をただ汗衫の上にうち着て、宿直物もなにも埋もれながらある上におはしまして、陣より出で入る者ども御覧ず。殿上人の、つゆ知らで寄り来てもの言ふなどもあるを、「けしきな見せそ」とて、笑はせたまふ。さて、立たせたまふ。「二人ながら、いざ」と、おはせらるれど、「今、顔などつくろひたててこそ」とて、まゐらず。
 入らせたまひて後も、なほ、めでたきことどもなど、言ひあはせてゐたるに、南の遺戸のそばの几帳の手のさし出でたるにさはりて、簾のすこしあきたるより、黒みたるものの見ゆれば、則隆がゐたるなめりとて、見も入れで、なほ、異事どもを言ふに、いとよく笑みたる顔のさし出でたるも、なほ則隆なめりとて、見やりたれば、あらぬ顔なり。あさましと笑ひ騒ぎて、几帳引き直し隠るれば、頭の弁にぞおはしける。見えたてまつらじとしつるものをと、いとくちをし。もろともにゐたる人は、こなたに向きたれば、顔も見えず。
 立ち出でて、「いみじく名残なくも見つるかな」と、のたまへば、「則隆と思ひはべりつれば、あなづりてぞかし。などかは、見じとのたまふに、さつくづくとは」と言ふに、「女は寝起き顔なむ、いとよき、と言へば、ある人の局に行きてかいばみして、またもし見えやするとて、来たりつるなり。まだ上のおはしましつるをりからあるをば、知らざりける」とて、それより後は、局の簾うちかづきなどしたまふめりき。
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四八 馬は、

 馬は、いと黒きが、ただいささか白き所などある。紫の紋つきたる。蘆毛。薄紅梅の毛にて、髪、尾などいと白き。げに、ゆふかみとも言ひつべし。黒きが、足四つ白きも、いとをかし。

四九 牛は、

 牛は、額はいと小さく白みたるが、腹の下、足、尾の裾などはやがて白き。

五〇 猫は、

 猫は、上の限り黒くて、腹いと白き。
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五一 雑色、随身は、

 雑色、随身は、すこしやせて細やかなる。よき男も、なほ若きほどは、さる方なるぞ、よき。いたく肥えたるは、寝ねぶたからむと見ゆ。

五二 小舎人童は、

 小舎人童は、小さくて、髪いとうるはしきが、裾さはらかに、すこし色なるが、声をかしうて、かしこまりてものなど言ひたるぞ、らうらうじき。

五三 牛飼は、

 牛飼は、大きにて、髪あららかなるが、顔赤みて、かどかどしげなる。

五四 殿上の名対面こそ、

 殿上の名対面(なだいめん)こそ、なほをかしけれ。御前に人さぶらふをりはやがて問ふもをかし。足音どもして、くづれ出づるを、上の御局の東面にて、耳をとなへて聞くに、知る人の名のあるは、ふと例の胸のつぶるらむかし。また、ありともよく聞かせぬ人など、このをりに聞きつけたるは、いかが思ふらむ。「名のり、よし」「あし」「聞きにくし」などさだむるも、をかし。
 果てぬなり、と聞くほどに、滝口の弓鳴らし、沓の音し、そそめき出でづると、蔵人のいみじく高く踏みこほめかして、丑寅の隅の高欄に、高膝まづきといふゐずまひに、御前の方に向ひて、後ざまに「誰々か、はべる」と問ふこそ、をかしけれ。高く細く名のり、また、人々さぶらはねば、名対面つかうまつらぬよし奏するも、「いかに」と問へば、障ることども奏するに、さ聞きて帰るを、方弘聞かずとて、君たちの教へたまひければ、いみじう腹立ち叱りて、かうがへて、また滝口にさへ笑はる。
 御厨子所の御膳棚に、沓置きて、言ひののしらるるを、いとほしがりて、「誰か沓にかあらむ。え知らず」と、主殿司、人々などの言ひけるを、「やや、方弘が汚き物ぞ」とて、いとど騒がる。
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五五 若くてよろしき男の、

 若くてよろしき男の、下衆の女の名、呼びなれて言ひたるこそ、にくけれ。知りながらも、なにとかや、片文字は、おぼえで言ふは、をかし。
 宮仕への所の局に寄りて、夜など、あしかるべけれど、主殿司、さらぬただ所などは、侍ひなどにある者を具して来ても、呼ばせよかし。手づからは声もしるきに。はした者、童などは、されどよし。

五六 若き人、ちごどもなどは、

 若き人、ちごどもなどは、肥えたる、よし。受領など大人だちぬるも、ふくらかなるぞ、よき。

五七 ちごは、

 ちごは、あやしき弓、しもとだちたる物などささげて遊びたる、いとうつくし。車など、とどめて、抱き入れて見まほしくこそあれ。
 また、さて行くに、薫物(たきもの)の香、いみじうかかへたるそ、いとをかしけれ。

五八 よき家の中門あけて、

 よき家の中門あけて、檳榔毛の車の白きよげなるに、蘇枋の下簾、にほひいときよらかにて、榻(しぢ)にうち掛けたるこそ、めでたけれ。五位、六位などの、下襲の裾はさみて、笏のいと白き扇うち置きなどしてとかく行き違ひ、また、装束し、壺胡[竹/録](つぼやなぐひ)負ひたる随身の出で入りしたる、いとつきづきし。厨女(くりやめ)のきよげなるが、さし出でて、「なにがし殿の人やさぶらふ」など言ふも、をかし。

五九 滝は

 滝は 音無の滝。布留の滝は、法皇の御覧じにおはしましけむこそ、めでたけれ。那智の滝は熊野にありと聞くが、あはれなるなり。轟の滝は、いかにかしかましく恐しからむ。
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六〇 河は

 河は 飛鳥川、淵瀬も定めなく、いかならむと、あはれなり。大井河。音無川。七瀬川。
 耳敏川、またもなにごとをさくじり聞きけむと、をかし。玉星川。細谷川。いつぬき川、沢田川などは、催馬楽(さいばら)などの思はするなるべし。名取川、いかなる名を取りたるならむと、聞かまほし。吉野河。天の河原、「たなばたつめに宿借りらむ」と、業平が詠みたるも、をかし。

六一 暁に帰らむ人は、

 暁に帰らむ人は、装束なといみじううるはしう、鳥帽子の緒、元結かためずともありなむとこそ、おぼゆれ。いみじくしどけなく、かたくなしく、直衣、狩衣などゆがめたりとも、誰か見知りて笑ひそしりもせむ。
 人はなほ、暁の有様こそ、をかしうもあるべけれ。わりなくしぶしぶに、起きがたげなるを、強ひてそそのかし、「明け過ぎむ。あな見苦し」など言はれて、うち嘆くけしきも、げに飽かずもの憂くもあらむかし、と見ゆ。指貫なども、居ながら着もやらず、まづさし寄りて、夜言ひつることの名残、女の耳に言ひ入れて、なにわざすともなきやうなれど、帯など結ふやうなり。格子押し上げ、妻戸ある所は、やがてもろともに率て行きて、昼のほどのおぼつかなからむことなども言ひ出でにすべり出でなむは、見送られて、名残もをかしかりなむ。思ひいで所ありて、いときはやかに起きて、ひろめきたちて、指貫の腰こそこそとかはは結ひ、直衣、袍、狩衣も、袖かいまくりて、よろづさし入れ、帯いとしたたかに結ひ果てて、つい居て、鳥帽子の緒、きと強げに結ひ入れて、かいすふる音して、扇、畳紙など、昨夜枕上に置きしかど、おのづから引かれ散りにけるを求むるに、暗ければ、いかでかは見えむ、「いづら、いづら」と叩きわたし、見いでて、扇ふたふたと使ひ、懐紙さし入れて、「まかりなむ」とばかりこそ言ふらめ。
枕草子 清少納言 枕草子 清少納言

六二 橋は

 橋は あきむつの橋。長柄の橋。天彦の橋。浜名の橋。ひとつ橋。うたた寝の橋。佐野の船橋。堀江の橋。かささぎの橋。山菅の橋。をつの浮橋。一筋渡したる棚橋。心狭けれど、名を聞くにをかしきなり。

六三 里は

 里は 逢坂の里。ながめの里。寝覚の里。人妻の里。頼めの里。夕日の里。妻取りの里、人に取られたるにやあらむ、わがまうけたるにやあらむと、をかし。伏見の里。朝顔の里。


六四 草は

 草は 菖蒲。菰(こも)。葵、いとをかし。神代よりして、さるかざしとなりけむ、いみじうめでたし。物のさまも、いとをかし。沢瀉(おもだか)は、名のをかしきなり。心あがりしたらむと思ふに。三稜草(みくり)。蛇床子(ひるむしろ)。苔。雪間の若草。木蚋(こだに)。酢漿(かたばみ)、綾の紋にてあるも、異よりはをかし。
 あやふ草は、岸の額に生ふらむも、げに頼もしからず。いつまで草は、またはかなくあはれなり。岸の額よりも、これは崩れやすからむかし。まことの石灰などには、え生ひずやあらむと思ふぞ、わろき。ことなし草は、思ふことをなすにやと思ふも、をかし。
 忍ぶ草、いとあはれなり。道芝、いとをかし。茅花(つばな)も、をかし。蓬、いみじうをかし。
 山管。日かげ。山藍。浜木綿。葛。笹。青つづら。なづな。苗。浅茅、いとをかし。
 蓮葉(はちすば)、よろづの草よりもすぐれてめでたし。妙法蓮花のたとひにも、花は仏にたてまつり、実は数珠につらぬき、念仏して往生極楽の縁とすればよ。また、花なきころ、緑なる池の水に、紅に咲きたるも、いとをかし。翠翁紅とも詩に作りたるにこそ。
 唐葵、日のかげにしたがひて傾くこそ、草木といふべくもあらぬ心なれ。さしも草。八重葎。つき草、うつろひやすなるこそ、うたてあれ。
枕草子 清少納言 枕草子 清少納言

六五 草の花は

 草の花は 撫子(までしこ)、唐のはさらなり、大和のも、いとめでたし。女郎花。桔梗。朝顔。刈萱(かるかや)。菊。壺すみれ。
 竜胆は、枝ざしなどもむつかしけれど、異花どもの皆霜枯れたるに、いと花やかなる色あひにてさし出でたる、いとをかし。
 また、わざと、取り立てて、人めかすべくもあらぬさまなれど、かまつかの花、らうたげなり。名ぞうたてあなる。雁の来る花とぞ、文字には書きたる。かにひの花、色は濃からねど、藤の花にいとよく似て、春秋と咲くがをかしきなり。
 萩、いと色深う、枝たをやかに咲きたるが、朝露に濡れてなよなよとひごり伏したる。さ牡鹿のわきて立ちならすらむも、心異なり。八重山吹。
 夕顔は、花のかたちも朝顔に似て、言ひ続けたるにいとをかしかりぬべき花の姿に、実の有様こそ、いとくちをしけれ。などて、さはた生ひいでけむ。ぬかづきといふ物のやうにだにあれかし。蘆の花。
 これに薄を入れぬ、いみじうあやしと、人言ふめり。秋の野のおしなべたるをかしさは、薄こそあれ。穂先の蘇枋にいと濃きが、朝露に濡れてうちなびきたるは、さばかりの物やはある。秋の果てぞ、いと見所なき。色々に乱れ咲きたりし花の、かたもなく散りたるに、冬の末まで頭の白くおほどれたるも知らず、昔思ひて顔に風になびきてかひろぎ立てる、人にこそいみじう似たれ。よそふる心ありて、それをしもこそ、あはれと思ふべけれ。


六六 集は

 集は 古万葉。古今。

六七 歌の題は

 歌の題は 都。葛。三稜草。駒。霰。

六八 おぼつかなきもの

 おぼつかなきもの
 十二年の山篭りの法師の女親。知らぬ所に、闇なるに行きたるに、あらはにもぞあるとて、火もともさで、さすがに並みゐたる。今出で来る者の、心も知らぬに、やむごとなき物持たせて人のもとにやりたるに、遅く帰る。ものもまだ言はぬちごの、そりくつがへり人にも抱かれず泣きたる。

六九 たとしへなきもの

 たとしへなきもの
 夏と冬と。夜と昼と。雨降る日と照る日と。人の笑ふと腹立つと。老いたると若きと。白きと黒きと。思ふ人とにくむ人と。同じ人ながらも心ざしあるをりとかはりたるをりは、まことに異人とぞおぼゆる。火と水と。肥えたる人、痩せた人。髪長きと短き人と。

七〇 夜烏どものゐて、

 夜烏どものゐて、夜中ばかりに、いね騒ぐ。落ちまどひ、木伝ひて、寝起きたる声に鳴きたるこそ、昼の目に違ひてをかしけれ。
枕草子 清少納言 枕草子 清少納言

七一 忍びたる所にありては、

 忍びたる所にありては、夏こそをかしけれ。いみじく短き夜の明けぬるに、つゆ寝ずなりぬ。やがてよろづの所あけながらあれば、涼しく見えわたされる、なほ今すこし言ふべきことのあれば、かたみに答などするほどに、ただ居たる上より、烏の高く鳴きて行くこそ、顕正なるここちして、をかしけれ。
 また、冬のいみじう寒きに、埋もれ臥して聞くに、鐘の音の、ただ物の底なるやうに聞ゆる、いとをかし。鶏の声も、はじめは羽のうちに鳴くが、口を籠めながら聞けば、いみじうもの深く遠きが、明くるままに近く聞ゆるも、をかし。

七二 懸想人にて来たるは、

 懸想人にて来たるは、言ふべきにもあらず、ただうちかたらふも、またさしもあらねどおのづから来などもする人の、簾の内に人々あまたありてものなど言ふに、居入りてとみに帰りげもなきを、供なるをのこ、童など、とかくさしのぞき、けしき見るに、斧の柄も朽ちぬべきなめりと、いとむつかしかめれば、長やかにうちあくびて、みそかにと思ひて言ふらめど、「あなわびし。煩悩苦悩かな。夜は夜中になりぬらむかし」など言ひたる、いみじう心づきなし。かの言ふ者は、ともかくもおぼえず、このゐたる人こそ、をかしと見え聞えるつことも失するやうにおぼゆれ。
 また、さいと色に出でてはえ言はず、「あな」と高やかにうち言ひうめきたるも、「下行く水の」と、いとほし。立蔀、透垣(すいがい)などのもとにて「雨降りぬべし」など、聞こえごつも、いとにくし。
 いとよき人の御供人などは、さもなし。君たちなどのほどは、よろし。それより下れる際は、皆さやうにぞある。あまたあらむ中にも、心ばへ見てぞ、率てありかまほしき。

七三 ありがたきもの

 ありがたきもの
 舅にほめらるる婿。また、姑に思はるる嫁の君。毛のよく抜くる銀の毛抜き。主そしらぬ従者。
 つゆの癖なき。かたち、心、有様すぐれ、世に経るほど、いささかの疵なき。同じ所に住む人の、かたみに恥ぢかはし、いささかのひまなく用意したりと思ふが、つひに見えぬこそ、難けれ。
 物語、集など書き写すに、本に墨つけぬ。よき草子などは、いみじう心して書けど、かならずこそきたなげになるめれ。
 男、女をば言はじ、女どちも、契り深くてかたらふ人の、末まで仲よきころ、難し。
枕草子 清少納言 枕草子 清少納言

七四 内裏の局は、

 内裏の局は、細殿いみじうをかし。上の蔀上げたれば、風いみじう吹き入れて、夏もいみじう涼し。冬は、雪、霰などの、風にたぐひて降り入りたるも、いとをかし。狭くて、童などののぼりぬるぞ、あしけれども、屏風のうちに隠し据ゑたれば、異所の局のやうに声高くゑ笑ひなどもせで、いとよし。
 昼なども、たゆまず心づかひせらる。夜は、まいて、うちとくべきやうもなきが、いとをかしきなり。沓の音、夜一夜聞ゆるが、とどまりて、ただ指一つして叩くが、その人ななりと、ふと聞ゆるこそをかしけれ。いと久しう叩くに、音もせねば、寝入りたりとや思ふらむと、ねたくて、すこしうちみじろく衣のけはひ、さななりと思ふらむかし。冬は、火桶にやをら立つる箸の音も、忍びたりと聞ゆるを、いとど叩きはらへば、声にても言ふに、かげながらすべり寄りて聞く時もあり。
 また、あまたの声して、詩誦じ、歌など歌ふには、叩かねどまづあけたれば、此処へとしも思はざりける人も、立ち止まりぬ。居るべきやうもなくて、立ち明かすも、なほをかし。
 御簾のいと青くをかしげなるに、几帳のかたびらいとあざやかに、裾のつまうち重なりて見えたるに、直衣の後にほころび絶えすきたる君たち、六位の蔵人の青色など着て、うけばりて遣戸のもとなどに、そば寄せてはえ立たで、塀の方に後おして、袖うち合わせて立ちたるこそ、をかしけれ。
 また、指貫いと濃う、直衣あざやかにて、色々の衣どもこぼし出でたる人の、簾を押し入れて、なから入りたるやうなも、外より見るはいとをかしからむを、きよげなる硯引き寄せて文書き、もしは鏡乞ひて鬢かき直しなどしたるも、すべてをかし。
 三尺の几帳を立てたるも、帽額(もかう)の下にただすこしぞある、外に立てる人と内にゐたる人と、もの言ふが、頭のもとにいとよくあたりたるこそ、をかしけれ。たけの高く短からむ人や、いかがあらむ、なほ世の常の人は、さのみあらむ。
枕草子 清少納言 枕草子 清少納言

七五 まいて臨時の祭の調楽などは、

 まいて臨時の祭の調楽などは、いみじうをかし。主殿寮の官人の長き松を高くともして、頸は引き入れて行けば、さきはさしつけつばかりなるに、をかしう遊び、笛吹き立てて、心ことに思ひたるに、君たちの、日の装束して立止まり、もの言ひなどするに、供の随身どもの、前駆を忍びやかに短う、おのが君たちの料に追ひたるも、遊びにまじりて常に似ずをかしう聞ゆ。
 なほあけながら帰るを待つに、君たちの声にて、「荒田に生ふるとみ草の花」と歌ひたる、このたびは今すこしをかしきに、いかなるまめ人にかあらむ、すくすくしうさし歩みて出でぬるもあれば、笑ふを、「しばしや。『など、さ、世を捨てて急ぎたまふ』とあり」など言へど、ここちなどya あやしからむ、倒れぬばかり、もし人などや追ひて捕ふると見ゆるまで、まどひ出づるもあめり。


七六 職の御曹司におはしますころ、木立などの遥かにもの古り、

 職の御曹司におはしますころ、木立などの遙かにもの古り、屋のさまも高うけ遠けれど、すずろにをかしうおぼゆ。母屋は、鬼ありとて、南へ隔て出だして、南の廂に御帳立てて、又廂に女房はさぶらふ。近衛の御門より左衛門の陣にまゐりたまふ上達部の前駆ども、殿上人のは短ければ、大前駆、小前駆と付けて騒ぐ。あまたたびになれば、その声どもも皆聞き知りて、「それぞ」「かれぞ」など言ふに、また「あらず」など言へば、人して見せなどするに、言ひあてたるは、「さればこそ」など言ふもをかし。
 有明のいみじう霧りわたりたる庭におりてありくをきこしめして、御前にも起きさせたまへり。上なる人々の限りは、出でゐ、おりなどして遊ぶに、やうやう明けもてゆく。「左衛門の陣にまかりて見む」とて行けば、我も我もと、追いつぎて行くに、殿上人あまた声して、「なにがし一声の秋」と誦じてまゐる音すれば、逃げ入り、ものなど言ふ。「月を見たまひけり」など、めでて、歌詠むもあり。夜も昼も、殿上人の絶ゆるをりなし。上達部まで、まゐりたまふに、おぼろげに急ぐ事なきは、かならずまゐりたまふ。

七七 あぢきなきもの

 あぢきなきもの
 わざと思ひ立ちて、宮仕へに出で立ちたる人の、もの憂がり、うるさげに思ひたる。養子の、顔にくげなる。しぶしぶに思ひたる人を、強ひて婿取りて、思ふさまならずと嘆く。

七八 ここちよげなるもの

 ここちよげなるもの
 卯杖(うづゑ)の法師。御神楽の人長。御霊会の振幡とか持たる者。

七九 御仏名のまたの日、

 御仏名のまたの日、地獄絵の御屏風とりわたして、宮に御覧ぜさせたてまつらせたまふ。ゆゆしういみじきこと限りなし。「これ見よ、これ見よ」と、おほせらるれど、「さらに見はべらじ」とて、ゆゆしさに、こへやに隠れ臥しぬ。
 雨いたう降りてつれづれなりとて、殿上人、上の御局に召して、御遊びあり。道方の少納言、琵琶、いとめでたし。済政(なりまさ)、筝(しやう)の琴、行義、笛、経房の中将、笙(しやう)の笛など、おもしろし。一わたり遊びて、琵琶弾きやみたるほどに、大納言殿「琵琶、声やんで、物語せむとすること遅し」と誦じたまへりしに、隠れ臥したりしも起き出でて「なほ罪は恐しけれど、もののめでたさは、やむまじ」とて、笑はる。
枕草子 清少納言 枕草子 清少納言

八〇 頭の中将の、すずろなるそら言を聞きて、

 頭の中将の、すずろなるそら言を聞きて、いみじう言ひおとし、「なにしに人と思ひほめけむ」など、殿上にていみじうなむのたまふと聞くにも、はづかしけれど、「まことならばこそあらめ、おのづから聞き直したまひてむ」と、笑ひてあるに、黒戸の前などわたるにも、声などするをりは、袖をふたぎて、つゆ見おこせず、いみじうにくみたまへば、ともかうも言はず、見も入れで過ぐに、二月つごもり方、いみじう雨降りてつれづれなるに、御物忌に籠りて、「『さすがにさうざうしくこそあれ。ものや言ひやらまし』となむ、のたまふ」と人々語れど、「世にあらじ」など、答へてあるに、日一日、下にゐ暮してまゐりたれば、夜の御殿に入らせたまひにけり。
 長押の下に火近く取り寄せて、扁をぞつく。「あなうれし。とくおはせ」など、見つけて言へど、すさまじきここちして、なにしに上りつらむと、おぼゆ。炭櫃のもとに居たれば、そこにまたあまた居て、ものなど言ふに、「なにがしさぶらふ」と、いとはなやかに言ふ。「あやし。いつの間に、なに事のあるぞ」と、問はすれば、主殿司なりけり。
 「ただここもとに、人伝てならで申すべきことなむ」と言へば、さし出でて問ふに、「これ、頭の殿のたてまつらせたまふ。御返事、とく」と言ふ。いみじくにくみたまふに、いかなる文ならむと思へど、ただ今、急ぎ見るべきにもあらねば、「去ね。今聞えむ」とて、ふところに引き入れて入りぬ。なほ人のもの言ふ、聞きなどする、すなはち立ち帰り来て、「『さらば、そのありつる御文を賜はりて来』となむ、おほせらるる。とくとく」と言ふが、あやしう、いせの物語なりや、とて、見れば、青き薄様に、いときよげに書きたまへり。心ときめきしつるさまにもあらざりけり。

  蘭省花時錦帳下

と書きて、「末はいかに、末はいかに」とあるを、いかにかはすべからむ、御前おはしまさば、御覧ぜさすべきを、これが末を知り顔に、たどたどしき真名に書きたらむも、いと見苦しと、思ひまはすほどもなく責めまどはせば、ただその奥に、炭櫃に消え炭のあるして、

  草の庵を誰か尋ねむ

と書きつけて取らせつれど、また返事も言はず。
 皆寝て、つとめて、いととく局におりたれば、源中将の声にて、「ここに草の庵やある」と、おどろおどろしく言へば、「あやし。などてか、さ人げなきものはあらむ。玉の台と求めたまはましかば、答へてまし」と言ふ。「あなうれし。下にありけるよ。上にてたづねむとしつるを」とて、昨夜ありしやう、「頭の中将の宿直所に、すこし人々しき限り、六位まで集まりて、よろづの人の上、昔、今と語りいでて、言ひしついでに、『なほこの者、むげに絶え果てて後こそ、さすがに、えあらね。もし言ひいづることもやと待てど、いささかなにとも思ひたらずつれなきも、いとねたきを、今宵あしともよしとも定めきりてやみなむかし』とて、皆言ひあはせたりしことを、『ただ今は見るまじ、とて、入りぬ』と、主殿司が言ひしかば、また追ひかへして、『ただ、袖をとらへて、東西せさせじ乞ひ取りて、持て来ずは、文を返し取れ』と、いましめて、さばかり降る雨のさかりに、やりたるに、いととく帰り来たり。『これ』とて、さし出でたるが、ありつる文なれば、返してけるか、とて、うち見たるに、あはせてをめけば、『あやし。いかなることぞ』と、皆、寄りて見るに、『いみじき盗人を。なほ、えこそ思ひ捨つまじけれ』とて、見騒ぎて、『これが本、付けてやらむ。源中将、付けよ』など、夜ふくるまで、付けわづらひてやみにし。『このことは、ゆく先もかならず語り伝ふべきことなり』などなむ、皆定めし」など、いみじうかたはらいたきまで言ひ聞かせて、「今は、御名をば、草の庵となむ、付けたる」とて、急ぎ立ちたまひぬれば、「いとわろき名の、末の世まであらむこそ、くちをしかなれ」と言ふほどに、修理(すり)の亮(すけ)則光、「いみじきよろこび申しになむ、上にやとて、まゐりたりつる」と言へば、「なんぞ。司召なども聞えぬを、なにになりたまへるぞ」と、問へば、「いな。まことにいみじううれしき事の昨夜はべりしを、心もとなく思ひ明してなむ。かばかり面目あることなかりき」とて、はじめありける事ども、中将の語りたまひつる同じ事を言ひて、「『ただこの返事にしたがひて、こかけをしふみし、すべてさる者ありきとだに思はじ』と、頭の中将のたまへば、ある限りかうようしてやりたまひしに、ただに来たりしは、なかなかよかりき。持て来たりしたびは、いかならむと、胸つぶれて、まことにわるからむは、せうとのためにもわるかるべし、と思ひしに、なのめにだにあらず、そこらの人のほめ感じて、『せうと、こち来。これ聞け』と、のたまひしかば、下ごこちはいとうれしけれど、『さやうの方にさらにえさぶらふまじき身になむ』と申ししかば、『言加えよ、聞き知れ、とにはあらず。ただ、人に語れとて、聞かするぞ』と、のたまひしなむ、すこしくちをしきせうとのおぼえにはべりしかども、本付けこころみるに、『言ふべきやうなし。ことにまた、これが返しをやすべき』など言ひあはせ、『わるしと言はれては、なかなかねたかるべし』とて、夜中までおはせし。これは、身のため、人のためにも、いみじきよろこびにはべらずや。司召に少々の司得てはべらむは、なにともおぼゆまじくなむ」と言へば、げにあまたしてさる事あらむとも知らで、ねたうもあるべかりけるかな、と、これになむ胸つぶれておぼゆる。
 この、いもうと、せうと、といふことは、上まで皆しろしめし、殿上にも、司の名をば言はで、せうととぞ付けられたる。
 物語などしてゐたるほどに、「まづ」と、召したれば、まゐりたるに、このこと、おほせられむとなりけり。「上わたらせたまひて、語りきこえさせたまひて、をのこども皆、扇に書きつけてなむ持たる」など、おほせらるるにこそ、あさましう、なにの言はせけるにか、とおぼえしか。
 さて後ぞ、袖の几帳なども取り捨てて、思ひ直りたまふめりし。
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八一 返る年の二月廿よ日、

 返る年の二月廿よ日、宮の、職へ出でさせたまひし御供にまゐらで、梅壺に残りゐたりしまたの日、頭の中将の御消息とて、「昨日の夜、鞍馬に詣でたりしに、今宵、方のふたがりければ、方違(かたたがへ)になむ行く。まだ明けざらむに帰りぬべし。かならず言ふべきことあり。いたう叩かせで待て」と、のたまへりしかど、「局にひとりはなどてあるぞ。ここに寝よ」と、御匣殿(みくしげどの)の召したれば、まゐりぬ。
 久う寝起きて下りたれば、「昨夜いみじう人の叩かせたまひし、からうじて起きてはべりしかば、『上にか。さらば、かくなむと聞こえよ』と、はべりしかども、『よも起きさせたまはじ』とて、臥しはべりにき」と語る。心もなのことや、と聞くほどに、主殿司来て、「頭の殿の聞こえさせたまふ、『ただ今まかづるを、聞ゆべきことなむある』」と言へば、「見るべき事ありて、上へなむ上りはべる。そこにて」と言ひて、やりつ。
 局は、引きもやあけたまはむと、心ときめきしてわづらはしければ、梅壺の東面の半蔀上げて、「ここに」と言へば、めでたくてぞ、歩み出でたまへる。桜の綾の直衣の、いみじう花々と、裏のつやなど、えも言はずきよらかなるに、葡萄染(えびぞめ)のいと濃き指貫、藤の折枝おどろおどろしく織り乱りて、紅の色、うちめなど、輝くばかりぞ見ゆる。白き、薄色など、下にあまた重なりたり。狭き縁に、片つ方は下ながら、すこし簾のもと近う寄り居たまへるぞ、まことに絵に描き、物語のめでたきことに言ひたる、これにこそは、とぞ見えたる。
 御前の梅は、西に白く、東は紅梅にて、すこし落ち方になりたれど、なほをかしきに、うらうらと日のけしきのどかにて、人に見せまほし。御簾の内に、まいて、若やかなる女房などの、髪うるはしくこぼれかかりて、など言ひためるやうにて、ものの答へなどしたらむは、いますこしをかしう見所ありぬべきに、いとさだすぎ、ふるぶるしき人の、髪などもわがにはあらねばにや、ところどころわななき散りぼひて、おほかた色異なるころなれば、あるかなきかなる薄鈍(うすにび)、あはひも見えぬきはきぬなどばかりあまたあれど、つゆの映えも見えぬに、おはしまさねば、裳も着ず、袿姿にて居たるこそ、ものぞこなひにて、くちをしけれ。
 「職へなむ、まゐる。ことづけやある。いつかまゐる」などのたまふ。「さても、昨夜、明しも果てで、さりとも、かねて、さ言ひしかば、待つらむとて、月のいみじう明きに、西の京といふ所より来るままに、局を叩きしほど、からうじて寝おびれ起きたりしけしき、答へのはしたなさ」など、語りて笑ひたまふ。「むげにこそ思ひうんじにしか。など、さる者をば置きたる」と、のたまふ。げにさぞありけむと、をかしうもいとほしうもあり。しばしありて、出でたまひぬ。外より見む人は、をかしく、うちにいかなる人あらむと思ひぬべし。奥の方より見いだされらむ後ろこそ、外にさる人やとおぼゆまじけれ。
 暮れぬれば、まゐりぬ。御前に人々いと多く、上人などさぶらひて、物語のよきあしき、にくきところなどをぞ、定め、言ひそしる。涼、仲忠などがこと、御前にも、劣りまさりたるほどなど、おほせられける。「まづ、これはいかに。とくことわれ。仲忠が童生ひのあやしさを、せちにおほせらるるぞ」など言へば、「なにか。琴なども、天人の降るばかり弾きいで、いとわろき人なり。御門の御女やは得たる」と言へば、仲忠が方人ども、所を得て、「さればよ」など言ふに、「この事どもよりは、昼、斉信(ただのぶ)がまゐりたりつるを見ましかば、いかにめでまどはましとこそ、おぼえつれ」とおほせらるるに、「さて、まことに常よりもあらまほしうこそ」など言ふ。「まづその事をこそは啓せむと思ひて、まゐりつるに、物語のことにまぎれて」とて、ありつる事ども聞こえさすれば、「誰も見つれど、いとかう、縫いたる糸、針目までやは見透かしつる」とて笑ふ。
 「西の京といふ所の、あはれなりつること。もろともに見る人のあらましかばとなむ、おぼえつる。垣なども皆古りて、苔生ひてなむ」など語りつれば、宰相の君の「瓦に松はありつや」と答へたるに、いみじうめでて、「西の方、都門を去れること、いくばくの地ぞ」と、口ずさみつることなど、かしがましきまで言ひしこそ、をかしかりしか。
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八二 里にまかでたるに、

 里にまかでたるに、殿上人などの来るをも、やすからずぞ、人々言ひなすなる。いと有心に、引き入りたるおぼえ、はた、なければ、さ言はむも、にくかるまじ。また、昼も夜も来る人を、なにしにかは、「なし」とも、かがやき帰さむ。まことにむつましうなどあらぬも、さこそは来めれ。あまりうるさくもあれば、このたび出でたる所をば、いづくとなべてには知らせず、左中将経房の君、済政の君などばかりぞ、知りたまへる。
 左衛門の尉(じよう)則光が来て物語などするに、「昨日、宰相の中将のまゐりたまひて、『いもうとのあらむ所、さりとも知らぬやうあらじ。言へ』と、いみじう問ひたまひしに、さらに知らぬよしを申ししに、あやにくに強ひたまひしこと」など言ひて、「ある事あらがふは、いとわびしくこそありけれ。ほとほと笑みぬべかりしに、左の中将の、いとつれなく知らず顔にて居たまへりしを、かの君に見だにあはせば、笑ひぬべかりしに、わびて、台盤の上に布のありしを取りて、ただ食ひに食ひまぎらはししかば、中間にあやしの食ひ物やと、人々見けむかし。されど、かしこう、それにてなむ、其処とは申さずなりにし。笑ひなましかば、不用ぞかし。まことに知らぬなめりとおぼしたりしも、をかしくこそ」など語れば、「さらに、な聞こえたまひそ」など言ひて、日ごろ久しうなりぬ。
 夜いたくふけて、門をいたうおどろおどろしう叩けば、なにのかう心もなう、遠からぬ門を高く叩くらむと聞きて、問はすれば、滝口なりけり。「左衛門の尉の」とて、文を持て来たり。皆寝たるに、火取り寄せて見れば、「明日、御読経の結願(けちがん)にて、宰相の中将、御物忌に籠りたまへり。『いもうとのあり所申せ。いもうとのあり所申せ』と責めらるるに、ずちなし。さらにえ隠し申すまじ。さなむとや聞かせたてまつるべき。いかに。おほせに従わむ」と言ひたる、返事は書かで、布を一寸ばかり紙に包みてやりつ。
 さて後、来て、「一夜は責めたてられて、すずろなる所々になむ、率てありきたてまつりし。まめやかにさいなむに、いとからし。さて、など、ともかくも御返りはなくて、すずろなる布の端をば包みて賜へりしぞ。あやしの包み物や。人のもとにさる物包みておくるやうはある。とりたがへたるか」と言ふ。いささか心も得ざりけると見るがにくければ、ものも言はで、硯にある紙の端に、 <br>
  かづきするあまのすみかをそことだにゆめ言ふなとやめをくはせけむ

と書きてさし出でたれば、「歌詠ませたへるか。さらに見はべらじ」とて、扇ぎ返して逃げて去ぬ。
 かうかたらひ、かたみに後見などするうちに、なにともなくてすこし仲あしうなりたるころ、文おこせたり。「便なきことなどはべりとも、なほ契りきこえし方は忘れたまはで、よそにても、さぞとは見たまへ、となむ思ふ」と言ひたり。常に言ふことは、「おのれをおぼさむ人は、歌をなむ詠みて得さすまじき。すべて、仇敵となむ思ふ。今は限りありて絶えむと思はむ時にを、さることは言へ」など言ひしかば、この返りごとに、

  崩れ寄る妹背の山のなかなればさらに吉野の河とだに見じ

と言ひやりしも、まことに見ずやなりにけむ、返しもせずなりにき。さて、かうぶり得て、遠江の介といひしかば、にくくてこそやみにしか。
枕草子 清少納言 枕草子 清少納言

八三 

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物のあはれ知らせがほなるもの

鼻たるまもなく、かみてものいふ聲。まゆぬくも。

さてその左衞門の陣にいきて後、里に出でて暫しあるに、「疾く參れ」など仰事のはしに、「左衞門の陣へいきし朝ぼらけなん、常におぼし出でらるる。いかでさつれなくうちふりてありしならん。いみじくめでたからんとこそ思ひたりしか」など仰せられたる御返事に、かしこまりのよし申して、「私にはいかでかめでたしと思ひ侍らざらん。御前にも、さりとも、中なるをとめとはおぼしめし御覽じけんとなん思ひ給へし」と聞えさせたれば、たち歸り「いみじく思ふべかンめるなり。誰がおもてぶせなる事をば、いかでか啓したるぞ。ただ今宵のうちに萬の事をすてて參られよ。さらずばいみじくにくませ給はんとなん仰事ある」とあれば、よろしからんにてだにゆゆし。ましていみじくとある文字に は、命もさながら捨ててなんとて參りにき。

職の御曹司におはしますころ、西の廂に不斷の御讀經あるに、佛などかけ奉り、法師のゐたるこそ更なる事なれ。二日ばかりありて、縁のもとにあやしき者の聲にて、「なほその佛具のおろし侍りなん」といへば、「いかでまだきには」と答ふるを、何のいふにかあらんと立ち出でて見れば、老いたる女の法師の、いみじく煤けたる狩袴の、筒とかやのやうに細く短きを、帶より下五寸ばかりなる、衣とかやいふべからん、同じやうに煤けたるを著て、猿のさまにていふなりけり。「あれは何事いふぞ」といへば、聲ひきつくろひて、「佛の御弟子にさぶらへば、佛のおろし賜べと申すを、この御坊達の惜みたまふ」といふ、はなやかにみやびかなり。「かかるものは、うちくんじたるこそ哀なれ、うたても花やかなるかな」とて、「他物は食はで、佛の御おろしをのみ食ふが、いとたふとき事かな」といふけしきを見て、「などか他物もたべざらん。それがさふらはねばこそ取り申し侍れ」といへば、菓子、ひろきもちひなどを、物に取り入れて取らせたるに、無下に中よくなり で、萬の事をかたる。若き人々いできて、「男やある、いづこにか住む」など口々に問ふに、をかしきこと、そへごとなどすれば、「歌はうたふや、舞などするか」と問ひもはてぬに、「よるはたれと寐ん、常陸介と寐ん、ねたる膚もよし」これが末いと多かり。また「男山の峯のもみぢ葉、さぞ名はたつ/\」と頭をまろがしふる。いみじくにくければ笑、ひにくみて「いね/\」といふもいとをかし。「これに何取らせん」といふを聞かせ給ひて、「いみじう、などかくかたはらいたき事はせさせつる。えこそ聞かで、耳をふたぎてありつれその衣一つとらせて、疾くやりてよ」と仰事あれば、とりて「それ賜はらするぞ、きぬすすけたり、白くて著よ」とて投げとらせたれば、伏し拜みて、肩にぞうちかけて舞ふものか。誠ににくくて皆入りにし。後にはならひたるにや、常に見えしらがひてありく。やがて常陸介とつけたり。衣もしろめず、同じすすけにてあれば、いづち遣りにけんなどにくむに、右近の内侍の參りたるに、「かかるものなんかたらひつけて置きたンめる。かうして常にくること」と、ありしやうなど、小兵衞といふ人してまねばせて聞かせ給へ ば、「あれいかで見侍らん、かならず見せさせ給へ、御得意なンなり。更によもかたらひとらじ」など笑ふ。その後また、尼なるかたはのいとあてやかなるが出できたるを、又呼びいでて物など問ふに、これははづかしげに思ひてあはれなれば、衣ひとつたまはせたるを、伏し拜むはされどよし。さてうち泣き悦びて出でぬるを、はやこの常陸介いきあひて見てけり。その後いと久しく見えねど、誰かは思ひ出でん。さて十二月の十餘日のほどに、雪いと高うふりたるを、女房どもなどして、物の蓋に入れつついと多くおくを、おなじくば庭にまことの山をつくらせ侍らんとて、侍召して仰事にていへば、集りてつくるに、主殿司の人にて御きよめに參りたるなども皆よりて、いと高くつくりなす。宮づかさなど參り集りて、こと加へことにつくれば、所の衆三四人まゐりたる。主殿司の人も二十人ばかりになりにけり。里なる侍召しに遣しなどす。「今日この山つくる人には禄賜はすべし。雪山に參らざらん人には、同じからずとどめん」などいへば、聞きつけたるは惑ひまゐるもあり。里遠きはえ告げやらず。作りはてつれば、宮づかさ召して、衣 二ゆひとらせて、縁に投げ出づるを、一つづつとりに寄りて、をがみつつ腰にさして皆まかンでぬ。袍など著たるは、かたへさらで狩衣にてぞある。「これいつまでありなん」と人々のたまはするに、「十餘日はありなん」ただこの頃のほどをあるかぎり申せば、「いかに」と問はせ給へば、「正月の十五日まで候ひなん」と申すを、御前にも、えさはあらじと思すめり。女房などは、すべて年の内、晦日までもあらじとのみ申すに、あまり遠くも申してけるかな。實にえしもさはあらざらん。朔日などぞ申すべかりけると下にはおもへど、さばれさまでなくと、言ひそめてんことはとて、かたうあらがひつ。二十日のほどに雨など降れど、消ゆべくもなし。長ぞ少しおとりもてゆく。白山の觀音、これ消させ給ふなと祈るも物狂ほし。さてその山つくりたる日、式部丞忠隆御使にてまゐりたれば、褥さし出し物などいふに、「今日の雪山つくらせ給はぬ所なんなき。御前のつぼにも作らせ給へり。春宮弘徽殿にもつくらせ給へり。京極殿にもつくらせ給へり」などいへば、

ここにのみめづらしと見る雪の山ところ%\にふりにけるかな

と傍なる人していはすれば、たび/\傾きて、「返しはえ仕うまつりけがさじ、あざれたり。御簾の前に人にをかたり侍らん」とてたちにき。歌はいみじく好むと聞きしに、あやし。御前にきこしめして、「いみじくよくとぞ思ひつらん」とぞの給はする。晦日がたに、少しちひさくなるやうなれど、なほいと高くてあるに、晝つかた縁に人々出居などしたるに、常陸介いできたり。「などいと久しく見えざりつる」といへば、「なにか、いと心憂き事の侍りしかば」といふに、「いかに、何事ぞ」と問ふに、「なほかく思ひ侍りしなり」とてながやかによみ出づ。

うらやまし足もひかれずわたつ海のいかなるあまに物たまふらん

となん思ひ侍りしといふをにくみ笑ひて、人の目もみいれねば、雪の山にのぼり、かかづらひありきていぬる後に、右近の内侍にかくなんといひやりたれば、「などか人そへてここには給はせざりし。かれがはしたなくて、雪の山までかかりつたひけんこそ、いと悲 しけれ」とあるを又わらふ。さて雪山はつれなくて年もかへりぬ。ついたちの日また雪多くふりたるを、うれしくも降り積みたるかなと思ふに、「これはあいなし。初のをばおきて、今のをばかき棄てよ」と仰せらる。うへにて局へいと疾うおるれば、侍の長なるもの、柚葉の如くなる宿直衣の袖の上に、青き紙の松につけたるをおきて、わななき出でたり。「そはいづこのぞ」と問へば、「齋院より」といふに、ふとめでたく覺えて、取りて參りぬ。まだ大殿ごもりたれば、母屋にあたりたる御格子おこなはんなど、かきよせて、一人ねんじてあぐる、いと重し。片つ方なればひしめくに、おどろかせ給ひて、「などさはする」との給はすれば、「齋院より御文の候はんには、いかでか急ぎあけ侍らざらん」と申すに、「實にいと疾かりけり」とて起きさせ給へり。御文あけさせ給へれば、五寸ばかりなる卯槌二つを、卯杖のさまに頭つつみなどして、山たちばな、ひかげ、やますげなど美しげに飾りて、御文はなし。ただなるやう有らんやはとて御覽ずれば、卯槌の頭つつみたるちひさき紙に、

山とよむ斧のひびきをたづぬればいはひの杖の音にぞありける

御返しかかせ給ふほどもいとめでたし。齋院にはこれより聞えさせ給ふ。御返しも猶心ことにかきけがし、多く御用意見えたる。御使に、白き織物の單衣、蘇枋なるは梅なめりかし。雪の降りしきたるに、かづきて參るもをかしう見ゆ。このたびの御返事を知らずなりにしこそ口惜しかりしか。雪の山は、誠に越のにやあらんと見えて、消えげもなし。くろくなりて、見るかひもなきさまぞしたる。勝ちぬる心地して、いかで十五日まちつけさせんと念ずれど、「七日をだにえ過さじ」と猶いへば、いかでこれ見はてんと皆人おもふほどに、俄に三日内裏へ入らせ給ふべし。いみじうくちをしく、この山のはてを知らずなりなん事と、まめやかに思ふほどに、人も「實にゆかしかりつるものを」などいふ。御前にも仰せらる。同じくはいひあてて御覽ぜさせんと思へるかひなければ、御物の具はこび、いみじうさわがしきにあはせて、木守といふ者の、築地のほどに廂さしてゐたるを、縁のもと近く呼びよせて、「この雪の山いみじく守りて、童などに踏みちらさせ毀たせで、 十五日までさふらはせ。よくよく守りて、その日にあたらば、めでたき禄たまはせんとす。わたくしにも、いみじき悦いはん」など語らひて、常に臺盤所の人、下司などに乞ひて、くるる菓子や何やと、いと多くとらせたれば、うち笑みて、「いと易きこと、たしかに守り侍らん。童などぞのぼり侍らん」といへば、「それを制して聞かざらん者は、事のよしを申せ」などいひ聞かせて、入らせ給ひぬれば、七日まで侍ひて出でぬ。其程も、これが後めたきままに、おほやけ人、すまし、をさめなどして、絶えずいましめにやり、七日の御節供のおろしなどをやりたれば、拜みつる事など、かへりては笑ひあへり。里にても、明くるすなはちこれを大事にして見せにやる。十日のほどには五六尺ばかりありといへば、うれしく思ふに、十三日の夜雨いみじく降れば、これにぞ消えぬらんと、いみじく口惜し。今一日もまちつけでと、夜も起き居て歎けば、聞く人も物狂ほしと笑ふ。人の起きて行くにやがて起きいで、下司おこさするに、更に起きねば、にくみ腹だたれて、起きいでたるを遣りて見すれば、「圓座ばかりになりて侍る。木守いとかしこう童も寄せで守りて、明日明 後日までもさふらひぬべし。禄たまらんと申す」といへば、いみじくうれしく、いつしか明日にならば、いと疾う歌よみて、物に入れてまゐらせんと思ふも、いと心もとなうわびしう、まだくらきに、大なる折櫃などもたせて、「これにしろからん所、ひたもの入れてもてこ。きたなげならんはかき捨てて」などいひくくめて遣りたれば、いと疾くもたせてやりつる物ひきさげて、「はやう失せ侍りにけり」といふに、いとあさまし。をかしうよみ出でて、人にもかたり傳へさせんとうめき誦じつる歌も、いとあさましくかひなく、「いかにしつるならん。昨日さばかりありけんものを、夜のほどに消えぬらんこと」といひ屈ずれば、「木守が申しつるは、昨日いと暗うなるまで侍りき。禄をたまはらんと思ひつるものを、たまはらずなりぬる事と、手をうちて申し侍りつる」といひさわぐに、内裏より仰事ありて、「さて雪は今日までありつや」との給はせたれば、いとねたくくちをしけれど、「年のうち朔日までだにあらじと人々啓し給ひし。昨日の夕暮まで侍りしを、いとかしこしとなん思ひ給ふる。今日まではあまりの事になん。夜の程に、人のにくが りて取りすて侍るにやとなん推しはかり侍ると啓せさせ給へ」と聞えさせつ。さて二十日に參りたるにも、まづこの事を御前にてもいふ。「みな消えつ」とて蓋のかぎりひきさげて持てきたりつる。帽子のやうにて、すなはちまうで來りつるが、あさましかりし事、物のふたに小山うつくしうつくりて、白き紙に歌いみじく書きて參らせんとせし事など啓すれば、いみじく笑はせ給ふ。御前なる人々も笑ふに、「かう心に入れて思ひける事を違へたれば罪得らん。まことには、四日の夕さり、侍どもやりて取りすてさせしぞ。かへりごとに、いひあてたりしこそをかしかりしか。その翁出できて、いみじう手をすりていひけれど、おほせごとぞ、かのより來らん人にかうきかすな。さらば屋うち毀たせんといひて、左近のつかさ、南の築地の外にみな取りすてし。いと高くて多くなんありつといふなりしかば、實に二十日までも待ちつけて、ようせずば今年の初雪にも降りそひなまし。うへにも聞し召して、いと思ひよりがたくあらがひたりと、殿上人などにも仰せられけり。さてもかの歌をかたれ、今はかくいひ顯しつれば、同じこと勝ちたり。か たれ」など御前にもの給はせ、人々もの給へど、「なにせんにか、さばかりの事を承りながら啓し侍らん」などまめやかに憂く心うがれば、うへも渡らせ給ひて、「まことに年ごろは多くの人なンめりと見つるを、これにぞ怪しく思ひし」など仰せらるるに、いとどつらく、うちも泣きぬべき心地ぞする。「いであはれ、いみじき世の中ぞかし。後に降り積みたりし雪をうれしと思ひしを、それはあいなしとて、かき捨てよと仰事はべりしか」と申せば、「實にかたせじとおぼしけるらん」とうへも笑はせおはします。

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[88]
めでたきもの

唐錦。錺太刀。作佛のもく。色あひよく花房長くさきたる藤の、松にかかりたる。六位の藏人こそなほめでたけれ。いみじき公達なれども、えしも著給はぬ綾織物を、心にまかせて著たる青色すがたなど、いとめでたきなり。所衆雜色、ただの人の子どもなどにて、殿原の四位五位六位も、官位あるが下にうち居て、何と見えざりしも、藏人になりぬれば、えもいはずぞあさましくめでたきや。宣旨などもてまゐり、大饗の甘栗使など に參りたるを、もてなし饗應し給ふさまは、いづこなりし天降人ならんとこそ覺ゆれ。御むすめの女御后におはします。まだ姫君など聞ゆるも、御使にてまゐりたるに、御文とり入るるよりうちはじめ、しとねさし出づる袖口など、明暮見しものともおぼえず。下襲の裾ひきちらして、衞府なるは今すこしをかしう見ゆ。みづから盃さしなどしたまふを、わが心にも覺ゆらん。いみじうかしこまり、べちに居し家の公達をも、けしきばかりこそかしこまりたれ、同じやうにうちつれありく。うへの近くつかはせ給ふ樣など見るは、ねたくさへこそ覺ゆれ。御文かかせ給へば、御硯の墨すり、御團扇などまゐり給へば、われつかふまつるに、三年四年ばかりのほどを、なりあしく物の色よろしうてまじろはんは、いふかひなきものなり。かうぶり得て、おりんこと近くならんだに、命よりはまさりて惜しかるべき事を、その御たまはりなど申して惑ひけるこそ、いと口をしけれ。昔の藏人は、今年の春よりこそ泣きたちけれ。今の世には、はしりくらべをなんする。博士のざえあるは、いとめでたしといふも愚なり。顏もいとにくげに、下臈なれども、世にやん ごとなき者に思はれ、かしこき御前に近づきまゐり、さるべき事など問はせ給ふ御文の師にて侍ふは、めでたくこそおぼゆれ。願文も、さるべきものの序作り出して譽めらるる、いとめでたし。法師のざえある、すべていふべきにあらず持經者の一人して讀むよりも、數多が中にて、時など定りたる御讀經などぞ、なほいとめでたきや。くらうなりて「いづら御讀經あぶらおそし」などいひて、讀みやみたる程、忍びやかにつづけ居たるよ。后の晝の行啓。御うぶや。みやはじめの作法。獅子、狛犬、大床子などもてまゐりて、御帳の前にしつらひすゑ、内膳、御竃わたしたてまつりなどしたる。姫君など聞えしただ人とこそつゆ見えさせ給はね。一の人の御ありき。春日まうで。葡萄染の織物。すべて紫なるは、なにも/\めでたくこそあれ、花も、糸も、紙も。紫の花の中には杜若ぞ少しにくき。色はめでたし。六位の宿直すがたのをかしきにも、紫のゆゑなめり。ひろき庭に雪のふりしきたる。今上一の宮、まだ童にておはしますが、御叔父の上達部などの、わかやかに清げなるに抱かれさせ給ひて、殿上人など召しつかひ、御馬引かせて 御覽じ遊ばせ給へる、思ふ事おはせじとおぼゆる。

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[89、90、91、92、93、94]
なまめかしきもの

ほそやかに清げなる公達の直衣すがた。をかしげなる童女の、うへの袴など、わざとにはあらで、ほころびがちなる汗袗ばかり著て、藥玉など長くつけて、高欄のもとに、扇さしかくして居たる。若き人のをかしげなる、夏の几帳のしたうち懸けて、しろき綾、二藍ひき重ねて、手ならひしたる。薄樣の草紙、村濃の糸してをかしくとぢたる。柳の萌えたるに青き薄樣に書きたる文つけたる。鬚籠のをかしう染めたる、五葉の枝につけたる。三重がさねの扇。五重はあまり厚くなりて、もとなどにくげなり。能くしたる檜破子。白き組のほそき。新しくもなくて、いたく ふりてもなき檜皮屋に、菖蒲うるはしく葺きわたしたる。青やかなる御簾の下より、朽木形のあざやかに、紐いとつややかにて、かかりたる紐の吹きなびかされたるもをかし。夏の帽額のあざやかなる、簾の外の高欄のわたりに、いとをかしげなる猫の、赤き首綱に白き札つきて、碇の緒くひつきて引きありくもな まめいたり。五月の節のあやめの藏人、菖蒲のかづらの、赤紐の色にはあらぬを、領巾裙帶などして、藥玉を皇子たち上達部などの立ち竝み給へるに奉るも、いみじうなまめかし。取りて腰にひきつけて、舞踏し拜し給ふもいとをかし。火取の童。小忌の公達もいとなまめかし。六位の青色のとのゐすがた。臨時の祭の舞人。五節の童なまめかし。

宮の五節出させ給ふに、かしづき十二人、他所には御息所の人出すをばわろき事にぞすると聞くに、いかにおぼすか、宮の女房を十人出させ給ふ。今二人は女院、淑景舎の人、やがて姉妹なりけり。辰の日の青摺の唐衣、汗袗を著せ給へり。女房にだにかねてさしも知らせず、殿上人にはましていみじう隱して、みな裝束したちて、暗うなりたるほどに持て來て著す。赤紐いみじう結び下げて、いみじくやうしたる白き衣に、樫木のかた繪にかきたる、織物の唐衣のうへに著たるは、誠にめづらしき中に、童は今少しなまめきたり。下づかへまでつづき立ちいでぬるに、上達部、殿上人驚き興じて、小忌の女房とつけたり。小忌の公達は、外に居て物いひなどす。五節の局を皆こぼちすかして、いと怪し くてあらする、いと異樣なり。「その夜までは猶うるはしくこそあらめ」との給はせて、さも惑はさず、几帳どものほころびゆひつつ、こぼれ出でたり。小兵衞といふが赤紐の解けたるを、「これを結ばばや」といへば、實方の中將、よりつくろふに、ただならず。

あしびきの山井の水はこほれるをいかなる紐のとくるならん

といひかく。年わかき人の、さる顯證の程なれば、いひにくきにやあらん、返しもせず。そのかたはらなるおとな人達も、打ち捨てつつ、ともかくもいはぬを、宮司などは耳とどめて聽きけるに、久しくなりにけるかたはらいたさに、ことかたより入りて、女房の許によりて、「などかうはおはする」などぞささめくなるに、四人ばかりを隔てて居たれば、よく思ひ得たらんにもいひにくし。まして歌よむと知りたらん人の、おぼろげならざらんは、いかでかと、つつましきこそはわろけれ。「よむ人はさやはある。いとめでたからねど、ねたうこそはいへ」と爪はじきをしてありくも、いとをかしければ、

うす氷あはにむすべる紐なればかざす日かげにゆるぶばかりぞ

と辨のおもとといふに傳へさすれば、きえいりつつえもいひやらず。「などか/\」と耳を傾けて問ふに、少しことどもりする人の、いみじうつくろひ、めでたしと聞かせんと思ひければ、えも言ひつづけずなりぬるこそ、なか /\恥かくす心地してよかりしか。おりのぼるおくりなどに、なやましといひ入れぬる人をも、の給はせしかば、あるかぎり群れ立ちて、ことにも似ず、あまりこそうるさげなンめれ。舞姫は、すけまさの馬頭の女、染殿の式部卿の宮の御弟の四の君の御はら、十二にていとをかしげなり。はての夜も、おひかづきいくもさわがず。やがて仁壽殿よりとほりて、清涼殿の前の東のすのこより舞姫をさきにて、うへの御局へ參りしほど、をかしかりき。

細太刀の平緒つけて、清げなる男のもてわたるも、いとなまめかし。紫の紙を包みて封じて、房長き藤につけたるも、いとをかし。

内裏は五節のほどこそすずろにただならで、見る人もをかしう覺ゆれ。主殿司などの、いろ/\の細工を、物忌のやうにて、彩色つけたるなども、めづらしく見ゆ。清涼殿の そり橋に、 もとゆひの村濃いとけざやかにて出でたるも、さま%\につけてをかしうのみ、上雜仕童ども、いみじき色ふしと思ひたる、いとことわりなり。山藍日蔭など柳筥にいれて、冠したる男もてありく、いとをかしう見ゆ。殿上人の直衣ぬぎたれて、扇やなにやと拍子にして、「つかさまされとしきなみぞたつ」といふ歌をうたひて、局どもの前わたるほどはいみじく、添ひたちたらん人の心さわぎぬべしかし。まして颯と一度に笑ひなどしたる、いとおそろし。行事の藏人の掻練重、物よりことにきよらに見ゆ。褥など敷きたれど、なか/\えものぼりゐず。女房の出でたるさま譽めそしり、このごろは他事はなかンめり。帳臺の夜、行事の藏人いと嚴しうもてなして、かいつくろひ二人、童より他は入るまじとおさへて、面にくきまでいへば、殿上人など「猶これ一人ばかりは」などのたまふ。「うらやみあり。いかでか」などかたくいふに、宮の御かたの女房二十人ばかりおし凝りて、こと%\しういひたる藏人何ともせず、戸をおしあけてさざめき入れば、あきれて「いとこはすぢなき世かな」とて立てるもをかし。それにつきてぞ、か しづきども皆入る。けしきいとねたげなり。うへもおはしまして、いとをかしと御覽じおはしますらんかし。童舞の夜はいとをかし。燈臺に向ひたる顏ども、いとらうたげにをかしかりき。

無名といふ琵琶の御琴を、うへの持てわたらせ給へるを、見などして、掻き鳴しなどすと言へば、ひくにはあらず、緒などを手まさぐりにして、「これが名よ、いかにとかや」など聞えさするに、「ただいとはかなく名もなし」との給はせたるは、なほいとめでたくこそ覺えしか。

淑景舎などわたり給ひて、御物語のついでに、「まろがもとにいとをかしげなる笙の笛こそあれ。故殿の得させ給へり」との給ふを、僧都の君の「それは隆圓にたうべ。おのれが許にめでたき琴侍り、それにかへさせ給へ」と申し給ふを、ききも入れ給はで、猶他事をのたまふに、答させ奉らんと數多たび聞え給ふに、なほ物のたまはねば、宮の御前の「否かへじとおぼいたるものを」との給はせけるが、いみじうをかしき事ぞ限なき。こ の御笛の名を僧都の君もえ知り給はざりければ、ただうらめしとぞおぼしたンめる。これは職の御曹司におはしましし時の事なり。うへの御前に、いなかへじといふ御笛のさふらふなり。御前に侍ふ者どもは、琴も笛も皆めづらしき名つきてこそあれ。琵琶は玄象、牧馬、井上、渭橋、無名など、また和琴なども、朽目、鹽竈、二貫などぞ聞ゆる。水龍、小水龍、宇多法師、釘打、葉二、なにくれと多く聞えしかど忘れにけり。宜陽殿の一の棚にといふことぐさは、頭中將こそしたまひしか。

うへの御局の御簾の前にて、殿上人日ひと日、琴、笛吹き遊びくらして、まかで別るるほど、まだ格子をまゐらぬに、おほとなぶらをさし出でたれば、戸の開きたるがあらはなれば、琵琶の御琴をただざまにもたせ給へり。紅の御衣のいふも世の常なる、袿又はりたるも數多たてまつりて、いと黒くつややかなる御琵琶に、御衣の袖をうちかけて、捕へさせ給へるめでたきに、そばより御額のほど白くけざやかにて、僅に見えさせ給へるは、譬ふべき方なくめでたし。近く居給へる人にさし寄りて、「半かくしたりけんも、え かうはあらざりけんかし。それはただ人にこそありけめ」といふを聞きて、心地もなきを、わりなく分け入りて啓すれば、笑はせ給ひて、「われは知りたりや」となん仰せらるると傳ふるもをかし。

御乳母の大輔の、けふ日向へくだるに、賜はする扇どもの中に、片つかたには、日いと花やかにさし出でて旅人のある所、井手の中將の館などいふさまいとをかしう書きて、今片つかたには、京のかた雨いみじう降りたるに、ながめたる人などかきたるに、

あかねさす日にむかひても思ひいでよ都は晴れぬながめすらんと

ことばに御手づから書かせ給ひし、あはれなりき。さる君をおき奉りて、遠くこそえいくまじけれ。

枕草子 清少納言 枕草子 清少納

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[95]
ねたきもの

これよりやるも、人のいひたる返しも、書きて遣りつる後、文字一つ二つなど思ひなほしたる、頓の物ぬふに、縫ひはてつと思ひて針を拔きたれば、はやうしりを結ばざりけ り。又かへさまに縫ひたるもいとねたし。

南の院におはします頃、西の對に殿のおはします方に宮もおはしませば、寢殿に集りゐて、さう%\しければ、ふれあそびをし、渡殿に集り居などしてあるに、「これ只今とみのものなり、誰も/\集りて、時かはさず縫ひて參らせよ」とて平縱の御衣を給はせたれば、南面に集り居て、御衣片身づつ、誰か疾く縫ひ出づると挑みつつ、近くも向はず縫ふさまもいと物狂ほし。命婦の乳母いと疾く縫ひはててうち置きつる。弓長のかたの御身を縫ひつるが、そむきざまなるを見つけず、とぢめもしあへず、惑ひ置きて立ちぬるに、御背合せんとすれば、早う違ひにけり。笑ひののしりて、「これ縫ひ直せ」といふを、「誰があしう縫ひたりと知りてか直さん、綾などならばこそ、裏を見ざらん縫ひたがへの人のげになほさめ。無紋の御衣なり。何をしるしにてか直す人誰かあらん。ただまだ縫ひ給はざらん人に直させよ」とて聞きも入れねば、「さいひてあらんや」とて、源少納言、新中納言など、いひ直し給ひし顏見やりて居たりしこそをかしかりしか。これはよさりの ぼらせ給はんとて、「疾く縫ひたらん人を思ふと知らん」と仰せられしか。

見すまじき人に、外へ遣りたる文取り違へて持て行きたる、ねたし。「げに過ちてけり」とはいはで、口かたうあらがひたる、人目をだに思はずば、走りもうちつべし。おもしろき萩薄などを植ゑて見るほどに、長櫃もたるもの、鋤など提げて、ただほりに掘りていぬるこそ、佗しうねたかりけれ。よろしき人などのある折は、さもせぬものを、いみじう制すれど「唯すこし」などいひていぬる、いふがひなくねたし。受領などの來て無禮に物いひ、さりとて我をばいかがと思ひたるけはひに、いひ出でたる、いとねたげなり。見すまじき人の、文を引き取りて、庭におりて見たてる、いとわびしうねたく、追ひて行けど、簾の許にとまりて見るこそ、飛びも出でぬべき心地すれ。すずろなる事腹だちて、同じ所にも寢ず、身じくり出づるを、忍びて引きよすれど、わりなく心ことなれば、あまりになりて、人も「さはよかンなり」と怨じて、かいくぐみて臥しぬる後、いと寒き折などに、唯ひとへ衣ばかりにて、あやにくがりて、大かた皆人も寢たるに、さすがに起き居 たらん怪しくて、夜の更くるままに、ねたく起きてぞいぬべかりけるなど思ひ臥したるに、奧にも外にも物うちなりなどして恐しければ、やをらまろび寄りて衣ひきあぐるに、虚寐したるこそいとねたけれ。「猶こそこはがり給はめ」などうちいひたるよ。

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[96]
かたはらいたきもの

客人などにあひて物いふに、奧の方にうち解けごと人のいふを、制せで聞く心地。思ふ人のいたく醉ひておなじ事したる。聞きゐたるをも知らで人のうへいひたる。それは何ばかりならぬつかひ人なれど、かたはらいたし。旅だちたる所ちかき所などにて、下衆どものざれかはしたる。にくげなる兒を、おのれが心地にかなしと思ふままに、うつくしみあそばし、これが聲の眞似にていひける事など語りたる。才ある人の前にて、才なき人の物おぼえがほに人の名などいひたる。殊によしとも覺えぬわが歌を人に語りきかせて、人の譽めし事などいふもかたはらいたし。人の起きて物語などする傍に、あさましう打ちとけて寐たる人。まだ音も彈きととのへぬ琴を、心一つをやりて、さやうのかた 知りつる人の前にて彈く。いとどしう住まぬ聟の、さるべき所にて舅にあひたる。

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[97]
あさましきもの

指櫛みがくほどに、物にさへて折れたる。車のうちかへされたる。さるおほのかなる物は、ところせく久しくなどやあらんとこそ思ひしか。ただ夢の心地してあさましうあやなし。人のために恥しき事、つつみもなく、兒も大人もいひたる。かならず來なんと思ふ人を待ち明して、曉がたに、唯いささか忘れて寐入りたるに、烏のいと近くかうと鳴くに、うち見あげたれば、晝になりたるいとあさまし。てうばみにどう取られたる。無下に知らず、見ず、きかぬ事を、人のさし向ひて、あらがはすべくもなくいひたる。物うちこぼしたるもあさまし。賭弓にわななくわななく久しうありてはづしたる矢の、もて離れてことかたへ行きたる。

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[98、99、101、102、103、104、105、106]
くちをしきもの

節會、佛名に雪ふらで、雨のかき暮し降りたる。節會、さるべきをりの、御物忌に當りた る。いとなみいつしかと思ひたる事の、さはる事出で來て俄にとまりたる。いみじうする人の、子うまで年ごろ具したる。あそびをもし、見すべき事もあるに、かならず來なんと思ひて呼びに遣りつる人の、さはる事ありてなどいひて來ぬ、くちをし。男も女も宮仕所などに、同じやうなる人、諸共に寺へまうで、物へも行くに、このもしうこぼれ出でて、用意はげしからず、あまり見苦しとも見つべくはあらぬに、さるべき人の、馬にても車にても行きあひ見ずなりぬる、いとくちをし。わびては、すき%\しからん下衆などにても、人に語りつべからんにてもがなと思ふも、けしからぬなめりかし。

五月の御精進のほど職におはしますに、塗籠の前、二間なる所を、殊にしつらひしたれば、例ざまならぬもをかし。朔日より雨がちにて曇りくらす。「つれ%\なるを、杜鵑の聲たづねありかばや」といふを聞きて、われも/\と出でたつ。「賀茂の奧になにがしとかや、七夕の渡る橋にはあらで、にくき名ぞ聞えし。そのわたりになん日ごとに鳴く」と人の言へば、「それは蜩なり」と答ふる人もあり。そこへとて、五日のあした、宮づかさ 車の事いひて、北の陣より、「五月雨はとがめなきものぞ」とて、さしよせて四人ばかりぞ乘りて行く。うらやましがりて、「今一つして同じくば」などいへば、「いな」と仰せらるれば、聞きも入れず、なさけなきさまにて行くに、馬場といふ所にて人多くさわぐ。「何事するぞ」と問へば、「手結にて眞弓射るなり。しばし御覽じておはしませ」とて車止めたり。「右近の中將みな著き給へる」といへど、さる人も見えず。六位などの立ちさまよへば、「ゆかしからぬことぞ、はやく過ぎよ」とて行きもて行けば、道も祭のころ思ひ出でられてをかし。かういふ所には、明順朝臣の家あり。そこもやがて見んといひて車よせておりぬ。田舎だち事そぎて、馬の繪書きたる障子、網代屏風、三稜草簾など、殊更に昔の事を寫し出でたり。屋のさまもはかなだちて、端近くあさはかなれど、をかしきに、げにぞかしがましと思ふばかりに鳴きあひたる杜鵑の聲を、くちをしう御前に聞しめさず、さばかり慕ひつる人々にもなど思ふ。所につけては、かかる事をなん見るべきとて、稻といふもの多く取り出でて、わかき女どものきたなげならぬ、そのわたりの家 のむすめ、女などひきゐて來て、五六人してこかせ、見も知らぬくるべきもの二人してひかせて、歌うたはせなどするを、珍しくて笑ふに、杜鵑の歌よまんなどしつる、忘れぬべし。唐繪にあるやうなる懸盤などして物くはせたるを、見いるる人なければ、家あるじ「いとわろくひなびたり。かかる所に來ぬる人は、ようせずばあるもなど責め出してこそ參るべけれ。無下にかくてはその人ならず」などいひてとりはやし、「この下蕨は手づから摘みつる」などいへば、「いかで女官などのやうに、つきなみてはあらん」などいへば、とりおろして、「例のはひぶしに習はせ給へる御前たちなれば」とて、とりおろしまかなひ騒ぐほどに、「雨ふりぬべし」といへば、急ぎて車に乘るに、「さてこの歌は、ここにてこそ詠まめ」といへば、「さばれ道にても」などいひて、卯の花いみじく咲きたるを折りつつ、車の簾傍などに長き枝を葺き指したれば、ただ卯花重をここに懸けたるやうにぞ見えける。供なる男どももいみじう笑ひつつ、網代をさへつきうがちつつ、「ここまだし、ここまだし」とさし集むなり。人もあはなんと思ふに、更にあやしき 法師、あやしのいふがひなき者のみ、たまさかに見ゆる、いとくちをし。近う來ぬれば、「さりともいとかうて止まんやは。この車のさまをだに人に語らせてこそ止まめ」とて、一條殿の許にとどめて、「侍從殿やおはす、杜鵑の聲聞きて、今なんかへり侍る」といはせたる。使「只今まゐる。あが君/\となんの給へる。さぶらひに間擴げて、指貫たてまつりつ」といふに、待つべきにもあらずとて、はしらせて、土御門ざまへやらするに、いつの間にか裝束しつらん、帶は道のままにゆひて、しば/\と追ひくる。供に侍、雜色、ものはかで走るめる。とくやれどいとど忙しくて、土御門にきつきぬるにぞ、喘ぎ惑ひておはして、まづこの車のさまをいみじく笑ひ給ふ。「うつつの人の乘りたるとなん更に見えぬ。猶おりて見よ」など笑ひ給へば、供なりつる人どもも興じ笑ふ。「歌はいかにか、それ聞かん」とのたまへば、「今御前に御覽ぜさせてこそは」などいふ程に、雨まことに降りぬ。「などか他御門のやうにあらで、この土御門しもうへもなく造りそめけんと、今日こそいとにくけれ」などいひて、「いかで歸らんずらん。こなたざまは唯後れじ と思ひつるに、人目も知らず走られつるを、あう往かんこそいとすさまじけれ」とのたまへば、「いざ給へかし、うちへ」などいふ。「それも烏帽子にてはいかでか」「とりに遣り給へ」などいふに、まめやかにふれば、笠なき男ども、唯ひきにひき入れつ。一條より笠を持てきたるをささせて、うち見かへりうち見かへり、このたびはゆる/\と、物憂げにて、卯の花ばかりを取りおはするもをかし。さて參りたれば、ありさまなど問はせ給ふ。うらみつる人々、怨じ心うがりながら、藤侍從、一條の大路走りつるほど語るにぞ、皆笑ひぬる。「さていづら歌は」と問はせ給ふ。かう/\と啓すれば、「くちをしの事や。うへ人などの聞かんに、いかでかをかしき事なくてあらん。その聞きつらん所にて、ふとこそよまましか。あまり儀式ことざめつらんぞ怪しきや。ここにてもよめ。いふかひなし」などのたまはすれば、げにと思ふに、いとわびしきを、いひ合せなどする程に、藤侍從の、ありつる卯の花につけて、卯の花の薄樣に、

ほととぎすなく音たづねに君ゆくときかば心をそへもしてまし

かへしまつらんなど、局へ硯とりに遣れば、「ただこれして疾くいへ」とて、御硯の蓋に紙など入れて賜はせたれば、「宰相の君かきたまへ」といふを、「なほそこに」などいふほどに、かきくらし雨降りて、雷もおどろおどろしう鳴りたれば、物も覺えず、唯おろしにおろす。職の御曹子は、蔀をぞ御格子にまゐり渡し惑ひしほどに、歌のかへりごとも忘れぬ。いと久しく鳴りて、少し止むほどはくらくなりぬ。只今なほその御返事たてまつらんとて、取りかかるほどに、人々上達部など、雷の事申しにまゐり給ひつれば、西面に出でて物など聞ゆるほどにまぎれぬ。人はた、「さしてえたらん人こそ知らめ」とてやみぬ。「大かたこの事に宿世なき日なり、どうじて、今はいかでさなん往きたりしとだに人に聞かせじ」などぞ笑ふを、「今もなどそれ往きたりし人どものいはざらん。されどもさせじと思ふにこそあらめ」と物しげに思しめしたるもいとをかし。「されど今はすさまじくなりにて侍るなり」と申す。「すさまじかるべき事かは」などのたまはせしかば、やみにき。二日ばかりありて、その日の事などいひ出づるに、宰相の君、「いかにぞ手づか ら折りたるといひし下蕨は」とのたまふを聞かせ給うて、「思ひ出づることのさまよ」と笑はせ給ひて、紙のちりたるに、

したわらびこそこひしかりけれ

とかかせ給ひて、「もといへ」と仰せらるるもをかし。

ほととぎすたづねてききし聲よりも

と書きて參らせたれば、「いみじううけばりたりや。かうまでだに、いかで杜鵑の事をかけつらん」と笑はせ給ふも恥しながら、「何か、この歌すべて詠み侍らじとなん思ひ侍るものを、物のをりなど人のよみ侍るにも、よめなど仰せらるれば、えさぶらふまじき心地なんし侍る。いかでかは、文字の數知らず、春は冬の歌をよみ、秋は春のをよみ、梅のをりは菊などをよむ事は侍らん。されど歌よむといはれ侍りしすゑ%\は、少し人にまさりて、そのをりの歌はこれこそありけれ、さはいへどそれが子なればなどいはれたらんこそ、かひある心地し侍らめ。露とり分きたるかたもなくて、さすがに歌がまし く、われはと思へるさまに最初に詠みいで侍らんなん、なき人のためいとほしく侍る」などまめやかに啓すれば、笑はせ給ひて、「さらばただ心にまかす。われは詠めともいはじ」とのたまはすれば、「いと心やすくなり侍りぬ。今は歌のこと思ひかけ侍らじ」などいひてあるころ、庚申せさせ給ひて、内大臣殿、いみじう心まうけせさせ給へり。夜うち更くるほどに題出して、女房に歌よませ給へば、皆けしきだちゆるがし出すに、宮の御前に近くさぶらひて、物啓しなど他事をのみいふを、大臣御覽じて、「などか歌はよまで離れゐたる、題とれ」とのたまふを、「さる事承りて、歌よむまじくなりて侍れば、思ひかけ侍らず」「異樣なる事、まことにさる事やは侍る。などかは許させ給ふ。いとあるまじき事なり。よし異時は知らず、今宵はよめ」など責めさせ給へど、けぎよう聞きも入れで侍ふに、こと人ども詠み出して、よしあしなど定めらるるほどに、いささかなる御文をかきて賜はせたり。あけて見れば、

もとすけが後といはるる君しもやこよひの歌にはづれてはをる

とあるを見るに、をかしき事ぞ類なきや。いみじく笑へば、「何事ぞ/\」と大臣ものたまふ。

その人の後といはれぬ身なりせばこよひの歌はまづぞよままし。

「つつむ事さふらはずば、千歌なりとも、これよりぞ出でまうで來まし」と啓しつ。

御かた%\公達上人など、御前に人多く侍へば、廂の柱によりかかりて、女房と物語してゐたるに、物をなげ賜はせたる。あけて見れば、「思ふべしやいなや、第一ならずばいかが」と問はせ給へり。御前にて物語などする序にも、「すべて人には一に思はれずば、さらに何にかせん。唯いみじうにくまれ、惡しうせられてあらん。二三にては死ぬともあらじ、一にてをあらん」などいへば、一乘の法なりと人々わらふ事のすぢなめり。筆紙たまはりたれば、「九品蓮臺の中には下品といふとも」と書きてまゐらせたれば、「無下に思ひ屈じにけり。いとわろし。いひそめつる事は、さてこそ有らめ」とのたまはすれば、「人に隨ひてこそ」と申す。「それがわろきぞかし。第一の人に、又一に思はれんとこ そ思はめ」と仰せらるるもいとをかし。

中納言殿まゐらせ給ひて、御扇奉らせ給ふに、「隆家こそいみじき骨をえて侍れ。それをはらせて參らせんとするを、おぼろけの紙ははるまじければ、もとめ侍るなり」と申し給ふ。「いかやうなるにかある」と問ひ聞えさせ給へば、「すべていみじく侍る。さらにまだ見ぬ骨のさまなりとなん人々申す。まことにかばかりのは侍らざりつ」とことたかく申し給へば、「さて扇のにはあらで海月のなり」と聞ゆれば、「これは隆家がことにしてん」とて笑ひ給ふ。かやうの事こそ、かたはらいたき物のうちに入れつべけれど、人ごと「な落しそ」と侍ればいかがはせん。

雨のうちはへ降るころ、今日も降るに、御使にて式部丞信經まゐりたり。例の茵さし出したるを、常よりも遠く押し遣りてゐたれば、「あれは誰が料ぞ」といへば、笑ひて「かかる雨にのぼり侍らば足形つきて、いとふびんに汚なげになり侍りなん」といへば、「などせんぞくれうにこそはならめ」といふを、「これは御前にかしこう仰せらるるにはあ らず、信經が足形の事を申さざらましかば、えの給はざらまし」とて、かへす%\いひしこそをかしかりしか。あまりなる御身ぼめかなと傍いたく。

「はやう皇太后宮に、ゑぬたきといひて名高き下仕なんありける。美濃守にてうせにける藤原時柄、藏人なりける時、下仕どもある所に立ち寄りて、これやこの高名のゑぬたき、などさも見えぬといひける返事に、それは時柄もさも見ゆる名なりといひたりけるなん、敵に選りてもいかでかさる事はあらん。殿上人上達部までも、興ある事にの給ひける。又さりけるなめりと、今までかくいひ傳ふるは」と聞えたり。「それ又時柄がいはせたるなり。すべて題出しがらなん、詩も歌もかしこき」といへば、「實にさる事あることなり。さらば題出さん、歌よみ給へ」といふに、「いとよき事、ひとつはなにせん、同じうは數多つかう奉らん」などいふほどに、御題は出でぬれば、「あなおそろし、まかりいでぬ」とて立ちぬ。「手もいみじう眞字も假字もあしう書くを、人も笑ひなどすれば、かくしてなんある」といふもをかし。

作物所の別當するころ、誰が許にやりけるにかあらん、物の繪やうやるとて、「これがやうにつかうまつるべし」と書きたる眞字のやう、文字の世に知らずあやしきを見つけて、それが傍に、「これがままにつかうまつらば、異樣にこそあるべけれ」とて、殿上にやりたれば、人々取りて見ていみじう笑ひけるに、大腹だちてこそうらみしか。

淑景舎春宮にまゐり給ふほどの事なンど、いかがはめでたからぬ事なし。正月十日にまゐり給ひて、宮の御方に御文などは繁う通へど、御對面などはなきを、二月十日、宮の御方に渡り給ふべき御消息あれば、常よりも御しつらひ心ことにみがきつくろひ、女房なども皆用意したり。夜半ばかりに渡らせ給ひしかば、いくばくもなくて明けぬ。登華殿の東の二間に御しつらひはしたり。翌朝いと疾く御格子まゐりわたして、あかつきに、殿、うへ、ひとつ御車にて參り給ひにけり。宮は御曹司の南に、四尺の屏風西東に隔てて、北向に立てて、御疊褥うち置きて、御火桶ばかりまゐりたり。御屏風の南御帳の前に、女房いと多くさぶらふ。こなたにて御髮などまゐるほど、「淑景舎は見奉りしや」と 問はせ給へば、「まだいかでか。積善寺供養の日、御うしろをわづかに」と聞ゆれば、「その柱と屏風とのもとによりて、わがうしろより見よ。いとうつくしき君ぞ」との給はすれば、うれしくゆかしさまさりて、いつしかと思ふ。紅梅の固紋、浮紋の御衣どもに、紅のうちたる御衣、三重がうへに唯引き重ねて奉りたるに、「紅梅には濃き衣こそをかしけれ。今は紅梅は著でもありぬべし。されど萌黄などのにくければ。紅にはあはぬなり」との給はすれど、唯いとめでたく見えさせ給ふ。奉りたる御衣に、やがて御容のにほひ合せ給ふぞ、なほことよき人も、かくやおはしますらんとぞゆかしき。さてゐざり出でさせ給ひぬれば、やがて御屏風に添ひつきてのぞくを、「あしかンめり、うしろめたきわざ」と聞えごつ人々もいとをかし。御障子の廣うあきたれば、いとよく見ゆ。うへは白き御衣ども、紅のはりたる二つばかり、女房の裳なンめり。引きかけておくによりて、東面におはすれば、ただ御衣などぞ見ゆる淑景舎は北にすこしよりて南向におはす。紅梅どもあまた濃く薄くて、濃きあやの御衣、少しあかき蘇枋の織物の袿、萌黄 の固紋のわかやかなる御衣奉りて、扇をつとさし隱し給へり。いといみじく、げにめでたく美しく見え給ふ。殿は薄色の直衣、萌黄の織物の御指貫、紅の御衣ども、御紐さして、廂の柱に後をあてて、こなたざまに向きておはします。めでたき御有樣どもを、うちゑみて、例の戲言をせさせ給ふ。淑景舎の、繪に書きたるやうに、美しげにてゐさせ給へるに、宮いとやすらかに、今すこしおとなびさせ給へる御けしきの、紅の御衣ににほひ合せ給ひて、なほ類はいかでかと見えさせ給ふ。御手水まゐる。かの御かたは宣耀殿、貞觀殿を通りて、童二人、下仕四人して持てまゐるめり。唐廂のこなたの廊にぞ、女房六人ばかりさぶらふ。狹しとて、かたへは御おくりして皆歸りにけり。櫻の汗衫、萌黄紅梅などいみじく、汗衫長く裾引きて、取り次ぎまゐらす、いとなまめかし。織物の唐衣どもこぼれ出でて、すけまさの馬頭のむすめ、小將の君、北野の三位の女、宰相の君などぞ近くはある。あなをかしと見るほどに、この御かたの御手水番の釆女、青末濃の唐衣、裙帶、領巾などして、おもてなどいと白くて、下仕など取り次ぎてまゐるほど、これはた おほやけしう唐めきてをかし。御膳のをりになりて、御髮あげまゐりて、藏人どもまかなひの髮あげてまゐらする程に、隔てたりつる屏風も押しあけつれば、垣間見の人、かくれ蓑とられたる心地して、あかずわびしければ、御簾と几帳との中にて、柱のもとよりぞ見奉る。衣の裾裳など、唐衣は皆御簾のそとに押し出されたれば、殿の、端のかたより御覽じ出して「誰そや、霞の間よりみゆるは」と咎めさせ給ふに、「少納言が、物ゆかしがりて侍るならん」と申させ給へば、「あなはづかし。かれはふるき得意を、いとにくげなる女ども持ちたりともこそ見侍れ」などのたまふ御けしき、いとしたり顏なり。あなたにも御膳まゐる。「羨しく、かた%\のは皆まゐりぬめり。疾くきこしめして、翁女におろしをだに給へ」など、ただ日ひと日、猿樂ことをし給ふ程に、大納言殿、三位中將、松君も將てまゐり給へり。殿いつしかと抱き取り給ひて、膝にすゑ給へる、いとうつくし。狹き縁に、所せき日の御裝束の下襲など引きちらされたり。大納言殿はもの/\しう清げに、中將殿はらう/\じう、いづれもめでたきを見奉るに、殿をばさるものにて、う への御宿世こそめでたけれ。御圓座など聞え給へど、「陣につき侍らん」とて急ぎ立ち給ひぬ。しばしありて、式部の丞なにがしとかや、御使にまゐりたれば、御膳やどりの北によりたる間に、褥さし出でて居ゑたり。御かへりは今日は疾く出させ給ひつ。まだ褥も取り入れぬほどに、東宮の御使に、ちかよりの少將まゐりたり。御文とり入れて、渡殿は細き縁なれば、こなたの縁に褥さし出でたり。御文とり入れて、殿、うへ、宮など御覽じわたす。「御返はや」などあれど、頓にも聞え給はぬを、「某が見侍れば出で給はぬなンめり。さらぬをりは間もなくこれよりぞ聞え給ふなる」など申し給へば、御面はすこし赤みながら、少しうち微笑み給へる、いとめでたし。「疾く」などうへも聞え給へば、奧ざまに向きて書かせ給ふ。うへ近く寄り給ひて、もろともに書かせ奉り給へば、いとどつつましげなり。宮の御かたより、萌黄の織物の小袿袴おし出されたれば、三位中將かづけ給ふ。くるしげに思ひて立ちぬ。松君のをかしう物のたまふを、誰も/\うつくしがり聞え給ふ。「宮の御子たちとて引出でたらんに、わろくは侍らじかし」などの給はする。げ になどか、今までさる事のとぞ心もとなき。未の時ばかりに、筵道まゐるといふ程もなく、うちそよめき入らせ給へば、宮もこなたに寄らせ給ひぬ。やがて御帳に入らせ給ひぬれば、女房南おもてにそよめき出でぬめり。廊に殿上人いと多かり。殿の御前に宮司召して菓子肴めさす。「人々醉はせ」などおほせらる。誠に皆ゑひて、女房と物いひかはすほど、かたみにをかしと思ひたり。日の入るほどに起きさせ給ひて、山井の大納言召し入れて、御うちぎまゐらせ給ひて、かへらせ給ふ。櫻の御直衣に、紅の御衣のゆふばえなども、かしこければとどめつ。山井の大納言は、いりたたぬ御兄にても、いとよくおはすかし。にほひやかなる方は、この大納言にもまさり給へるものを、世の人は、せちにいひおとし聞ゆるこそいとほしけれ。殿、大納言、山井の大納言、三位中將、藏人頭など皆さぶらひ給ふ。宮のぼらせ給ふべき御使にて、馬の内侍のすけ參り給へり。「今宵はえ」などしぶらせ給ふを、殿聞かせ給ひて、「いとあるまじき事、はやのぼらせ給へ」と申させ給ふに、また春宮の御使しきりにある程いとさわがし。御むかへに、女房、春 宮のなども參りて、「疾く」とそそのかし聞ゆ。「まづさば、かの君わたし聞え給ひて」との給はすれば、「さりともいかでか」とあるを、「なほ見おくり聞えん」などの給はするほど、いとをかしうめでたし。「さらば遠きをさきに」とて、まづ淑景舎わたり給ひて、殿などかへらせ給ひてぞ、のぼらせ給ふ。道のほども、殿の御猿樂ことにいみじく笑ひて、ほとほとうちはしよりも落ちぬべし。

殿上より梅の花の皆散りたる枝を、「これはいかに」といひたるに、「唯はやく落ちにけり」と答へたれば、その詩を誦じて、黒戸に殿上人いと多く居たるを、うへの御前きかせおはしまして、「よろしき歌など詠みたらんよりも、かかる事はまさりたりかし。よういらへたり」と仰せらる。

二月のつごもり、風いたく吹きて、空いみじく黒きに、雪すこしうち降りたるほど、黒戸に主殿司きて、「かうしてさぶらふ」といへば、よりたるに、公任の君、宰相中將殿のとあるを見れば、ふところ紙に、ただ、

すこし春あるここちこそすれ

とあるは、實に今日のけしきにいとよくあひたるを、これがもとは、いかがつくべからんと思ひ煩ひぬ。「誰々か」と問へば、それ/\といふに、皆恥しき中に、宰相中將の御答をば、いかがことなしびにいひ出でんと、心ひとつに苦しきを、御前に御覽ぜさせんとすれども、うへのおはしまして、おほとのごもりたり。主殿司はとく/\といふ。實に遲くさへあらんはとりどころなければ、さばれとて、

そらさむみ花にまがへてちるゆきに

と、わななく/\書きてとらせて、いかが見たまふらんと思ふもわびし。これが事を聞かばやと思ふに、そしられたらば聞かじと覺ゆるを、俊賢の中將など、なほ内侍に申してなさんと定めたまひしとばかりぞ、兵衞佐中將にておはせしが語りたまひし。

枕草子 清少納言 枕草子 清少納言

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[107、108]
はるかなるもの

千日の精進はじむる日。半臂の緒ひねりはじむる日。陸奧國へゆく人の逢阪の關こゆる ほど。うまれたる兒のおとなになるほど。大般若經御讀經一人して讀み始むる。十二年の山ごもりの始めてのぼる日。

方弘はいみじく人に笑はるるものかな。親などいかに聞くらん。供にありくものども、いと人々しきを呼びよせて、「何しにかかるものにはつかはるるぞ、いかが覺ゆる」など笑ふ。物いとよくするあたりにて、下襲の色、うへのきぬなども、人よりはよくて著たるを、「これは他人に著せばや」などいふに、實にぞ詞遣などのあやしき。里に宿直物とりにやるに、「男二人まかれ」といふに、「一人して取りにまかりなんものを」といふに、「あやしの男や、一人して二人の物をばいかで持つべきぞ。一升瓶に二升は入るや」といふを、なでふ事と知る人はなけれど、いみじう笑ふ。人の使のきて「御返事疾く」といふを、「あなにくの男や、竈に豆やくべたる。この殿上の墨筆は、何者の盗みかくしたるぞ。飯酒ならばこそ、ほしうして人の盗まめ」といふを、又わらふ。女院なやませ給ふとて、御使にまゐりて歸りたるに、「院の殿上人は誰々かありつる」と人の問へば、それかれなど 四五人ばかりといふに、「又は」と問へば、「さてはいぬる人どもぞありつる」といふを、また笑ふも、又あやしき事にこそはあらめ。「人間に寄りきて、わが君こそまづ物きこえん。まづ/\人ののたまへる事ぞといへば、何事にかとて几帳のもとによりたれば、躯籠により給へといふに、五體ごめにとなんいひつる」といひて、また笑ふ。除目の中の夜、指油するに、燈臺のうちしきを踏みて立てるに、新しき油單なれば、つようとらへられにけり。さし歩みて歸れば、やがて燈臺はたふれぬ。襪はうちしきにつきてゆくに、まことに道こそ震動したりしか。頭つき給はぬほどは、殿上の臺盤に人もつかず。それに方弘は豆一盛を取りて、小障子のうしろにてやをら食ひければ、ひきあらはして笑はるる事ぞかぎりなきや。

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[111]
關は

逢阪の關。須磨の關。鈴鹿の關。くきだの關。白川の關。衣の關。ただこえの關は、はばかりの關と、たとしへなくこそ覺ゆれ。よこばしりの關。清見が關。みるめの關。よし なよしなの關こそ、いかに思ひ返したるならんと、いと知らまほしけれ。それを勿來の關とはいふにやあらん。逢阪などをまで思ひ返したらば、佗しからんかし。足柄の關。

枕草子 清少納言 枕草子 清少納言

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[112]
森は

大荒木の森。忍の森。こごひの森。木枯の森。信太の森。生田の森。うつきの森。きくだの森。いはせの森。立聞の森。常磐の森。くるべきの森。神南備の森。假寐の森。浮田の森。うへ木の森。石田の森。かうたての森といふが耳とどまるこそあやしけれ。森などいふべくもあらず、ただ一木あるを、何につけたるぞ。こひの森。木幡の森。

卯月の晦日に、長谷寺にまうづとて、淀の渡といふものをせしかば、船に車をかき居ゑてゆくに、菖蒲菰などの末みじかく見えしを、取らせたれば、いと長かりける。菰つみたる船のありきしこそ、いみじうをかりしかりか。高瀬の淀には、これをよみけるなンめりと見えし。三日といふに歸るに、雨のいみじう降りしかば、菖蒲かるとて、笠のいとちひさきを著て、脛いとたかき男童などのあるも、屏風の繪にいとよく似たり。

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湯は

七久里の湯。有馬の湯。玉造の湯。

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[115]
常よりもことにきこゆるもの

元三の車の音。鳥のこゑ。暁のしはぶき。物の音はさらなり。

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[116]
繪にかきておとるもの

瞿麥。さくら。山吹。物語にめでたしといひたる男女のかたち。

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[117、118]
かきまさりするもの

松の木。秋の野。山里。山路。鶴。鹿。冬はいみじくさむき。夏は世にしらずあつき。

枕草子 清少納言 枕草子 清少納言

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[119、120]
あはれなるもの

孝ある人の子。鹿の音。よき男のわかきが御嶽精進したる。へだて居てうちおこなひたる曉のぬかなど、いみじうあはれなり。むつましき人などの目さまして聞くらん思ひやり、まうづる程のありさま、いかならんとつつしみたるに、平にまうでつきたるこそい とめでたけれ。烏帽子のさまなどぞ少し人わろき。なほいみじき人と聞ゆれど、こよなくやつれてまうづとこそは知りたるに、右衞門佐信賢は「あぢきなきことなり。ただ清き衣を著てまうでんに、なでふ事かあらん、必よもあしくてよと、御嶽のたまはじ」とて、三月晦日に、紫のいと濃き指貫、しろき、青山吹のいみじくおどろ/\しきなどにて、隆光が主殿亮なるは、青色の紅の衣、摺りもどろかしたる水干袴にて、うちつづき詣でたりけるに、歸る人もまうづる人も、珍しく怪しき事に、「すべてこの山道に、かかる姿の人見えざりつ」とあさましがりしを、四月晦日に歸りて、六月十餘日の程に、筑前の守うせにしかはりになりにしこそ、實にいひけんに違はずもと聞えしか。これはあはれなる事にはあらねども、御嶽のついでなり。九月三十日、十月一日の程に、唯あるかなきかに聞きつけたる蟋蟀の聲。鷄の子いだきて伏したる。秋深き庭の淺茅に、露のいろいろ玉のやうにて光りたる。川竹の風に吹かれたる夕ぐれ。曉に目覺したる夜なども。すべて思ひかはしたる若き人の中に、せくかたありて心にしも任せぬ。山里の雪。男も女 も清げなるが黒き衣著たる。二十日六七日ばかりの曉に、物語して居明して見れば、あるかなきかに心細げなる月の、山の端近く見えたるこそいとあはれなれ。秋の野。年うち過したる僧たちの行したる。荒れたる家に葎はひかかり、蓬など高く生ひたる庭に、月の隈なく明き。いと荒うはあらぬ風の吹きたる。

正月に寺に籠りたるはいみじく寒く、雪がちにこほりたるこそをかしけれ。雨などの降りぬべき景色なるはいとわろし。初瀬などに詣でて、局などするほどは、榑階のもとに車引きよせて立てるに、帶ばかりしたる若き法師ばらの、屐といふものをはきて、聊つつみもなく下り上るとて、何ともなき經のはしうち讀み、倶舎の頌を少しいひつづけありくこそ、所につけてをかしけれ。わが上るはいとあやふく、傍によりて高欄おさへてゆくものを、ただ板敷などのやうに思ひたるもをかし。「局したり」などいひて、沓ども持てきておろす。衣かへさまに引きかへしなどしたるもあり。裳唐衣などこは%\しくさうぞきたるもあり。深沓半靴などはきて、廊のほどなど沓すり入るは、内裏わたりめき て又をかし。内外など許されたる若き男ども、家の子など、又立ちつづきて、「そこもとはおちたる所に侍るめり。あがりたる」など教へゆく。何者にかあらん。いと近くさし歩み、さいだつものなどを、「しばし、人のおはしますに、かくはまじらぬわざなり」などいふを、實にとて少し立ち後るるもあり。又聞きも入れず、われまづ疾く佛の御前にとゆくもあり。局にゆくほども、人の居竝みたる前を通り行けば、いとうたてあるに、犬ふせぎの中を見入れたる心地、いみじく尊く、などて月頃もまうでず過しつらんとて、まづ心もおこさる。御燈常燈にはあらで、うちに又人の奉りたる、おそろしきまで燃えたるに、佛のきら/\と見え給へる、いみじくたふとげに、手ごとに文を捧げて、禮盤に向ひてろぎ誓ふも、さばかりゆすりみちて、これはと取り放ちて聞きわくべくもあらぬに、せめてしぼり出したるこゑ%\の、さすがに又紛れず。「千燈の御志は、なにがしの御ため」と僅に聞ゆ。帶うちかけて拜み奉るに、「ここにかうさぶらふ」といひて、樒の枝を折りて持てきたるなどの尊きなども猶をかし。犬ふせぎのかたより法師よりきて、「い とよく申し侍りぬ。幾日ばかり籠らせ給ふべき」など問ふ。「しか%\の人こもらせ給へり」などいひ聞かせていぬるすなはち、火桶菓子など持てきつつ貸す。半挿に手水など入れて、盥の手もなきなどあり。「御供の人はかの坊に」などいひて呼びもて行けば、かはりがはりぞ行く。誦經の鐘の音、わがなンなりと聞けば、たのもしく聞ゆ。傍によろしき男の、いと忍びやかに額などつく。立居のほども心あらんと聞えたるが、いたく思ひ入りたる氣色にて、いも寢ず行ふこそいとあはれなれ。うちやすむ程は、經高くは聞えぬほどに讀みたるも尊げなり。高くうち出させまほしきに、まして鼻などを、けざやかに聞きにくくはあらで、少し忍びてかみたるは、何事を思ふらん、かれをかなへばやとこそ覺ゆれ。日ごろこもりたるに、晝は少しのどかにぞ、早うはありし。法師の坊に、男ども童などゆきてつれ%\なるに、ただ傍に貝をいと高く、俄に吹き出したるこそおどろかるれ。清げなるたて文など持せたる男の、誦經の物うち置きて、堂童子など呼ぶ聲は、山響きあひてきら/\しう聞ゆ。鐘の聲ひびきまさりて、いづこならんと聞く程に、 やんごとなき所の名うちいひて、「御産たひらかに」など教化などしたる、すずろにいかならんと覺束なく念ぜらるる。これはただなる折の事なンめり。正月などには、唯いと物さわがしく、物のぞみなどする人の隙なく詣づる見るほどに、行もしやられず。日のうち暮るるにまうづるは、籠る人なンめり。小法師ばらの、もたぐべくもあらぬ屏風などの高き、いとよく進退し、疊などほうとたておくと見れば、ただ局に出でて、犬ふせぎに簾垂をさら/\とかくるさまなどぞいみじく、しつけたるは安げなり。そよ/\とあまたおりて、大人だちたる人の、いやしからず、忍びやかなる御けはひにて、かへる人にやあらん、「そのうちあやふし。火の事制せよ」などいふもあり。七つ八つばかりなる男子の、愛敬づきおごりたる聲にて、さぶらひ人呼びつけ、物などいひたるけはひもいとをかし。また三つばかりなるちごのねおびれて、うちしはぶきたるけはひもうつくし。乳母の名、母などうち出でたらんも、これならんといと知らまほし。夜ひと夜、いみじうののしりおこなひあかす。寐も入らざりつるを、後夜などはてて、少しうちやす み寐ぬる耳に、その寺の佛經を、いとあら/\しう、高くうち出でて讀みたるに、わざとたふとしともあらず。修行者だちたる法師のよむなンめりと、ふとうち驚かれて、あはれに聞ゆ。また夜などは、顏知らで、人々しき人の行ひたるが、青鈍の指貫のはたばりたる、白き衣どもあまた著て、子どもなンめりと見ゆる若き男の、をかしううちさうぞきたる、童などして、さぶらひの者ども、あまたかしこまり圍遶したるもをかし。かりそめに屏風たてて、額などすこしつくめり。顏知らぬは誰ならんといとゆかし。知りたるは、さなンめりと見るもをかし。若き人どもは、とかく局どもなどの邊にさまよひて、佛の御かたに目見やり奉らず、別當など呼びて、打ちささめき物語して出でぬる、えせものとは見えずかし。二月晦日、三月朔日ごろ、花盛に籠りたるもをかし。清げなる男どもの、忍ぶと見ゆる二三人、櫻青柳などをかしうて、くくりあげたる指貫の裾も、あてやかに見なさるる、つきづきし男に、裝束をかしうしたる餌袋いだかせて、小舎人童ども、紅梅萌黄の狩衣に、いろ/\のきぬ、摺りもどろかしたる袴など著せたり。花 など折らせて、侍めきて、細やかなるものなど具して、金鼓うつこそをかしけれ。さぞかしと見ゆる人あれど、いかでかは知らん。打ち過ぎていぬるこそ、さすがにさう%\しけれ。「氣色を見せましものを」などいふもをかし。かやうにて寺ごもり、すべて例ならぬ所に、つかふ人のかぎりしてあるは、かひなくこそ覺ゆれ。猶おなじほどにて、一つ心にをかしき事も、さま%\いひ合せつべき人、かならず一人二人、あまたも誘はまほし。そのある人の中にも、口をしからぬもあれども、目馴れたるなるべし。男などもさ思ふにこそあめれ。わざと尋ね呼びもてありくめるはいみじ。

枕草子 清少納言 枕草子 清少納言

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[121]
こころづきなきもの

祭、御禊など、すべて男の見る物見車に、ただ一人乘りて見る人こそあれ。いかなる人にかあらん。やんごとながらずとも、わかき男どもの物ゆかしと思ひたるなど、引きのせて見よかし。すきかげに唯一人かがよひて、心ひとつにまもり居たらんよ、いかばかり心せばく、けにくきならんとぞ覺ゆる。物へもいき、寺へもまうづる日の雨。つかふ 人などの、「我をばおぼさず、某こそ只今時の人」などいふをほのききたる。人よりは少しにくしと思ふ人の、おしはかりごとうちし、すずろなる物怨し、われさかしがる。

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[122]
わびしげに見ゆるもの

六七月の午未の時ばかりに、穢げなる車にえせ牛かけて、ゆるがし行くもの。雨ふらぬ日はりむしろしたる車。降る日はりむしろせぬも。年老いたる乞兒。いと寒きをりも、暑きにも、下種女のなりあしきが子を負ひたる。ちひさき板屋の黒うきたなげなるが、雨にぬれたる。雨のいたく降る日、ちひさき馬に乘りて前駈したる人の、かうぶりもひしげ、袍も下襲もひとつになりたる、いかにわびしからんと見えたり。夏はされどよし。

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[123]
あつげなるもの

隨身の長の狩衣。衲の袈裟。出居の少將。いみじく肥えたる人の髮おほかる。琴の袋。六七月の修法の阿闍梨。日中の時など行ふ。又おなじころの銅の鍛冶。

枕草子 清少納言 枕草子 清少納言

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[124]
はづかしきもの

男の心のうち。いさとき夜居の僧。密盗人のさるべき隈に隱れ居て、いかに見るらんを、誰かはしらん、暗きまざれに、懷に物引き入るる人もあらんかし。それは同じ心にをかしとや思ふらん。夜居の僧は、いとはづかしきものなり。若き人の集りては、人のうへをいひ笑ひ、謗り憎みもするを、つく%\と聞き集むる心のうちもはづかし。「あなうたて、かしがまし」など、御前近き人々の物けしきばみいふを聞き入れず、いひ/\てのはては、うち解けてねぬる後もはづかし。男はうたて思ふさまならず、もどかしう心づきなき事ありと見れど、さし向ひたる人をすかし、たのむるこそ恥しけれ。まして情あり、このましき人に知られたるなどは、愚なりと思ふべくももてなさずかし。心のうちにのみもあらず。又皆これが事はかれに語り、かれが事はこれに言ひきかすべかンめるを、我が事をば知らで、かく語るをば、こよなきなンめりと思ひやすらんと思ふこそ恥しけれ。いであはれ、又あはじと思ふ人に逢へば、心もなきものなンめりと見えて、恥しくもあらぬものぞかし。いみじくあはれに、心苦しげに見すてがたき事などを、いささか何事と も思はぬも、いかなる心ぞとこそあさましけれ。さすがに人のうへをばもどき、物をいとよくいふよ。ことにたのもしき人もなき宮仕の人などをかたらひて、ただにもあらずなりたる有樣などをも、知らでやみぬるよ。

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[125、126]
むとくなるもの

潮干の潟なる大なる船。髮みじかき人の、かづらとりおろして髮けづるほど。大なる木の風に吹きたふされて、根をささげてよこたはれふせる。相撲のまけているうしろ手。えせものの從者かんがふる。翁の髻はなちたる。人の妻なンどの、すずろなる物怨じして隱れたるを、かならず尋ねさわがんものをと思ひたるに、さしも思ひたらず、ねたげにもてなしたるに、さてもえ旅だち居たらねば、心と出できたる。狛犬しく舞ふものの、おもしろがりはやり出でて踊る足音。

修法は、佛眼眞言など讀みたてまつりたる、なまめかしうたふとし。

枕草子 清少納言 枕草子 清少納

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[127、128、129、130、131、132、133、134、135、136、137、138]
はしたなきもの

他人を呼ぶに、我もとてさし出でたるもの。まして物とらするをりはいとど。おのづから人のうへなどうち言ひ謗りなどもしたるを、幼き人の聞き取りて、その人のあるまへにいひ出でたる。あはれなる事など人のいひてうち泣くに、實にいとあはれとは聞きながら、涙のふつと出でこぬ、いとはしたなし。泣顏つくり、けしきことになせど、いとかひなし。めでたき事を聞くには、又すずろに唯いできにこそ出でくれ。八幡の行幸のかへらせ給ふに、女院御棧敷のあなたに御輿を留めて、御消息申させ給ひしなど、いみじくめでたく、さばかりの御有樣にて、かしこまり申させ給ふが、世に知らずいみじきに、誠にこぼるれば、化粧したる顏も皆あらはれて、いかに見苦しかるらん。宣旨の御使にて、齋信の宰相中將の御棧敷に參り給ひしこそ、いとをかしう見えしか。ただ隨身四人、いみじうさうぞきたる、馬ぞひのほそうしたてたるばかりして、二條の大路、廣うきよらにめでたきに、馬をうちはやして急ぎ參りて、少し遠くよりおりて、そばの御簾の前に侍ひ給ひし、院の別當ぞ申し給ひし。御返し承りて、又はしらせ歸り參り給ひ て、御輿のもとにて奏し給ひし程、いふも愚なりや。さてうち渡らせ給ふを見奉らせ給ふらん女院の御心、思ひやりまゐらするは、飛び立ちぬべくこそ覺えしか。それには長泣をして笑はるるぞかし。よろしききはの人だに、なほこの世にはめでたきものを、かうだに思ひまゐらするもかしこしや。

關白殿の黒戸より出でさせ給ふとて、女房の廊に隙なくさぶらふを、「あないみじの御許だちや翁をばいかにをこなりと笑ひ給ふらん」と分け出でさせ給へば、戸口に人々の、色々の袖口して御簾を引き上げたるに、權大納言殿、御沓取りてはかせ奉らせ給ふ。いともの/\しうきよげに、よそほしげに、下襲の裾ながく、所狹くさぶらひ給ふ。まづあなめでた、大納言ばかりの人に沓をとらせ給ふよと見ゆ。山井の大納言、そのつぎづぎさらぬ人々、くろきものをひきちらしたるやうに、藤壺のへいのもとより、登華殿の前まで居竝みたるに、いとほそやかにいみじうなまめかしうて、御太刀など引きつくろひやすらはせ給ふに、宮の大夫殿の、清涼殿の前にたたせ給へれば、それは居させ給 ふまじきなンめりと見る程に、少し歩み出でさせ給へば、ふと居させ給ひしこそ、猶いかばかりの昔の御行のほどならんと見奉りしこそいみじかりしか。中納言の君の忌の日とて、くすしがり行ひ給ひしを、「たべ、その珠數しばし。行ひてめでたき身にならんとか」とて集りて笑へど、なほいとこそめでたけれ。御前に聞しめして、「佛になりたらんこそ、これよりは勝らめ」とて打ち笑ませ給へるに、又めでたくなりてぞ見まゐらする。大夫殿の居させ給へるを、かへす%\聞ゆれば、「例の思ふ人」と笑はせ給ふ。ましてこの後の御ありさま、見奉らせ給はましかば、理とおぼしめされなまし。

九月ばかり、夜一夜降りあかしたる雨の、今朝はやみて、朝日の花やかにさしたるに、前栽の菊の露、こぼつばかりぬれかかりたるも、いとをかし。透垣、羅文、薄などの上にかいたる蜘蛛の巣の、こぼれ殘りて、所々に糸も絶えざまに雨のかかりたるが白き玉を貫きたるやうなるこそ、いみじうあはれにをかしけれ。すこし日たけぬれば、萩などのいとおもげなりつるに、露の落つるに枝のうち動きて、人も手ふれぬに、ふと上樣へあ がりたる、いみじういとをかしといひたること人の心地には、つゆをかしからじと思ふこそ又をかしけれ。

七日の若菜を、人の六日にもてさわぎとりちらしなどするに、見も知らぬ草を、子供の持てきたるを、「何とか是をばいふ」といへど、頓にもいはず。「いざ」など此彼見合せて、「みみな草となんいふ」といふ者のあれば、「うべなりけり、聞かぬ顏なるは」など笑ふに又をかしげなる菊の生ひたるを持てきたれば、

つめどなほみみな草こそつれなけれあまたしあれば菊もまじれり

といはまほしけれど、聞き入るべくもあらず。

二月官廳に、定考といふ事するは何事にあらん。釋奠もいかならん。孔子などは掛け奉りてする事なるべし。聰明とて、上にも宮にも、怪しき物など土器に盛りてまゐらする。「頭辨の御許より」とて、主殿司、繪などやうなる物を、白き色紙につつみて、梅の花のいみじく咲きたるにつけてもてきたり。繪にやあらんと急ぎ取り入れて見れば、餠餤と いふものを、二つ竝べてつつみたるなり。添へたるたて文に、解文のやうに書きて「進上餠餤一つつみ、例によりて進上如件、少納言殿に」とて、月日かきて、「任那成行」とて、奧に、「この男はみづから參らんとするを、晝はかたちわろしとてまゐらぬなり」と、いみじくをかしげに書き給ひたり。御前に參りて御覽ぜさすれば、「めでたくもかかれたるかな。をかしうしたり」など譽めさせ給ひて、御文はとらせ給ひつ。「返事はいかがすべからん。この餠餤もてくるには、物などやとらすらん。知りたる人もがな」といふを聞しめして、「惟仲が聲しつる、呼びて問へ」との給はすれば、はしに出でて、「左大辨にもの聞えん」と、侍していはすれば、いとよくうるはしうてきたり。「あらず、私事なり。もしこの辨少納言などのもとに、かかる物もてきたる下部などには、することやある」と問へば、「さる事も侍らず、唯とどめてくひ侍る。何しに問はせ給ふ。もし上官のうちにて、えさせ給へるか」といへば、「いかがは」と答ふ。唯返しをいみじう赤き薄樣に、「みづから持てまうでこぬ下部は、いとれいたうなりとなん見ゆる」とて、めでたき紅梅 につけて奉るを、すなはちおはしまして、「下部さぶらふ」との給へば、出でたるに、「さやうのものぞ、歌よみして遣せ給へると思ひつるに、美々しくもいひたりつるかな。女少しわれはと思ひたるは、歌よみがましくぞある。さらぬこそ語ひよけれ。まろなどにさる事いはん人は、かへりて無心ならんかし」との給ふ。「則光、成康など、笑ひて止みにし事を、殿の前に人々いと多かりけるに、語りまをしたまひければ、いとよく言ひたるとなんの給はせし」と人の語りし。これこそ見苦しき我ぼめどもなりかし。「などてつかさえはじめたる六位笏に、職の御曹司のたつみの隅の築地の板をせしぞ、更に西東をもせよかし、又五位もせよかし」などいふことを言ひ出でて、「あぢきなき事どもを。衣などにすずろなる名どもをつけけん、いとあやし。衣の名に、ほそながをばさもいひつべし。なぞ汗衫は、しりながといへかし。男の童の著るやうに。なぞからぎぬは、みじかきぎぬとこそいはめ。されどそれは、唐土の人の著るものなれば。うへのきぬの袴、さいふべし。下襲もよし。また大口、長さよりは口ひろければ。袴いとあぢきなし。指貫 もなぞ、あしぎぬ、もしはさやうのものは、足ぶくろなどもいへかし」など、萬の事をいひののしるを、「いであなかしがまし、今はいはじ、寐給ひね」といふ答に、「夜居の僧のいとわろからん、夜ひと夜こそ猶のたまはめ」と、にくしと思ひたる聲ざまにていひ出でたりしこそ、をかしかりしにそへて驚かれにしか。

故殿の御ために、月ごとの十日、御經佛供養せさせ給ひしを、九月十日、職の御曹司にてせさせ給ふ。上達部、殿上人いとおほかり。清範講師にて、説く事どもいとかなしければ、殊に物のあはれふかかるまじき若き人も、皆泣くめり。終てて酒のみ詩誦じなどするに、頭中將齊信の君、月と秋と期して身いづくにかといふ事をうち出し給へりしかば、いみじうめでたし。いかでかは思ひいで給ひけん。おはします所に分け參るほどに、立ち出でさせ給ひて、「めでたしな。いみじうけうの事にいひたる事にこそあれ」とのたまはすれば、「それを啓しにとて、物も見さして參り侍りつるなり。猶いとめでたくこそ思ひはべれ」と聞えさすれば、「ましてさ覺ゆらん」と仰せらるる。わざと呼びもいで、 おのづからあふ所にては、「などかまろを、まほに近くは語ひ給はぬ。さすがににくしなど思ひたるさまにはあらずと知りたるを、いと怪しくなん。さばかり年ごろになりぬる得意の、疎くてやむはなし。殿上などに明暮なきをりもあらば、何事をかおもひでにせん」との給へば、「さらなり。かたかるべき事にもあらぬを、さもあらん後には、え譽め奉らざらんが口惜しきなり。うへの御前などにて、役とあつまりて譽め聞ゆるに、いかでか。ただおぼせかし。かたはらいたく、心の鬼いで來て、言ひにくく侍りなんものを」といへば、笑ひて、「などさる人しも、他目より外に、誉むるたぐひ多かり」との給ふ。「それがにくからずばこそあらめ。男も女も、けぢかき人をかたひき、思ふ人のいささかあしき事をいへば、腹だちなどするが、わびしう覺ゆるなり」といへば、「たのもしげなの事や」との給ふもをかし。

頭辨の職にまゐり給ひて、物語などし給ふに、夜いと更けぬ。「明日御物忌なるにこもるべければ、丑になりなば惡しかりなん」とてまゐり給ひぬ。つとめて、藏人所の紙屋紙ひ きかさねて、「後のあしたは殘り多かる心地なんする。夜を通して昔物語も聞え明さんとせしを、鷄の聲に催されて」と、いといみじう清げに、裏表に事多く書き給へる、いとめでたし。御返に、「いと夜深く侍りける鷄のこゑは、孟嘗君のにや」ときこえたれば、たちかへり、「孟嘗君の鷄は、函谷關を開きて、三千の客僅にされりといふは、逢阪の關の事なり」とあれば、

夜をこめて鳥のそらねははかるとも世にあふ阪の關はゆるさじ

心かしこき關守侍るめりと聞ゆ。立ちかへり、

逢阪は人こえやすき關なればとりも鳴かねどあけてまつとか

とありし文どもを、はじめのは、僧都の君の額をさへつきて取り給ひてき。後々のは御前にて、「さて逢阪の歌はよみへされて、返しもせずなりにたる、いとわろし」と笑はせ給ふ。「さてその文は、殿上人皆見てしは」との給へば、實に覺しけりとは、これにてこそ知りぬれ。「めでたき事など人のいひ傳へぬは、かひなき業ぞかし。また見苦しければ、 御文はいみじく隱して、人につゆ見せ侍らぬ志のほどをくらぶるに、ひとしうこそは」といへば、「かう物思ひしりていふこそ、なほ人々には似ず思へど、思ひ隈なくあしうしたりなど、例の女のやうにいはんとこそ思ひつるに」とて、いみじう笑ひ給ふ。「こはなぞ、よろこびをこそ聞えめ」などいふ。「まろが文をかくし給ひける、又猶うれしきことなりいかに心憂くつらからまし。今よりもなほ頼み聞えん」などの給ひて、後に經房の中將「頭辨はいみじう譽め給ふとは知りたりや。一日の文のついでに、ありし事など語り給ふ。思ふ人々の譽めらるるは、いみじく嬉しく」など、まめやかにの給ふもをかし。「うれしきことも二つにてこそ。かの譽めたまふなるに、また思ふ人の中に侍りけるを」などいへば、「それはめづらしう、今の事のやうにもよろこび給ふかな」との給ふ。

五月ばかりに、月もなくいとくらき夜、「女房やさぶらひ給ふ」と、こゑ%\していへば、「出でて見よ。例ならずいふは誰そ」と仰せらるれば、出でて、「こは誰そ。おどろ/\しうきはやかなるは」といふに、物もいはで、御簾をもたげて、そよろとさし入るるは、 呉竹の枝なりけり。「おい、このきみにこそ」といひたるを聞きて、「いざや、これ殿上に行きて語らん」とて、中將、新中將、六位どもなどありけるはいぬ。頭辨はとまり給ひて、「怪しくいぬるものどもかな。御前の竹ををりて歌よまんとしつるを、職にまゐりて、同じくば、女房など呼び出ててをと言ひてきつるを、呉竹の名をいと疾くいはれて、いぬるこそをかしけれ。誰が教をしりて、人のなべて知るべくもあらぬ事をばいふぞ」などのたまへば、「竹の名とも知らぬものを、なまねたしとや思しつらん」といへば、「實ぞえ知らじ」などの給ふ。まめごとなど言ひ合せて居給へるに、この君と稱すといふ詩を誦して、又集り來れば、「殿上にていひ期しつる本意もなくては、などかへり給ひぬるぞ。いと怪しくこそありつれ」との給へば、「さる事には何の答をかせん。いとなか/\ならん。殿上にても言ひののしりつれば、うへも聞しめして、興ぜさせ給ひつる」とかたる。辨もろともに、かへす%\同じ事を誦じて、いとをかしがれば、人々出でて見る。とりどりに物ども言ひかはして歸るとて、なほ同じ事を諸聲に誦じて、左衞門の陣に入るま で聞ゆ。翌朝、いと疾く、少納言の命婦といふが御文まゐらせたるに、この事を啓したれば、しもなるを召して、「さる事やありし」と問はせ給へば、「知らず、何とも思はでいひ出で侍りしを、行成の朝臣のとりなしたるにや侍らん」と申せば、「とりなすとても」と打ち笑ませ給へり。誰が事をも、殿上人譽めけりと聞かせ給ふをば、さ言はるる人をよろこばせ給ふもをかし。

圓融院の御はての年、皆人御服ぬぎなどして、あはれなる事を、おほやけより始めて、院の人も、花の衣になどいひけん世の御事など思ひ出づるに、雨いたう降る日、藤三位の局に、蓑蟲のやうなる童の、大なる木のしろきにたて文をつけて、「これ奉らん」といひければ、「いづこよりぞ、今日明日御物忌なれば、御蔀もまゐらぬぞ」とて、しもは立てたる蔀のかみより取り入れて、さなんとはきかせ奉らず、「物忌なればえ見ず」とて、上についさして置きたるを、つとめて手洗ひて、「その卷數」とこひて、伏し拜みてあけたれば、胡桃色といふ色紙の厚肥えたるを、あやしと見てあけもてゆけば、老法師のいみ じげなるが手にて、

これをだにかたみと思ふに都には葉がへやしつるしひしばの袖

とかきたり。あさましくねたかりけるわざかな。誰がしたるにかあらん。仁和寺の僧正のにやと思へど、よもかかる事のたまはじ。なほ誰ならん。藤大納言ぞかの院の別當におはせしかば、そのし給へる事なめり。これをうへの御前、宮などに、疾うきこしめさせばやと思ふに、いと心もとなけれど、なほ恐しう言ひたる物忌をしはてんと念じくらして、まだつとめて、藤大納言の御許に、この御返しをしてさしおかせたれば、すなはち又返事しておかせ給へりけり。それを二つながら取りて、急ぎ參りて、「かかる事なん侍りし」と、うへもおはします御前にて語り申し給ふを、宮はいとつれなく御覽じて、「藤大納言の手のさまにはあらで、法師にこそあめれ」との給はすれば、「さはこは誰がしわざにか。すき%\しき上達部、僧綱などは誰かはある。それにやかれにや」など、おぼめきゆかしがり給ふに、うへ「このわたりに見えしにこそは、いとよく似たンめれ」と打ち ほほゑませ給ひて、今一すぢ御厨子のもとなりけるを、取り出でさせ給へれば、「いであな心う、これおぼされよ、あな頭いたや、いかで聞き侍らん」と、ただせめに責め申して、恨み聞えて笑ひ給ふに、やう/\仰せられ出でて、「御使にいきたりける鬼童は、臺盤所の刀自といふものの供なりけるを、小兵衞が語ひ出したるにやありけん」など仰せらるれば、宮も笑はせ給ふを、引きゆるがし奉りて、「などかく謀らせおはします。なほうたがひもなく手を打ち洗ひて伏し拜み侍りしことよ」と笑ひねたがり居給へるさまも、いとほこりかに愛敬づきてをかし。さてうへの臺盤所にも笑ひののしりて、局におりて、この童尋ね出でて、文取り入れし人に見すれば、「それにこそ侍るめれ」といふ。「誰が文を、誰がとらせしぞ」といへば、しれ%\とうち笑みて、ともかくもいはで走りにけり。藤大納言後に聞きて、笑ひ興じ給ひけり。

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[139]
つれ%\なるもの

所さりたる物忌。馬おりぬ雙六。除目に官得ぬ人の家。雨うち降りたるはまして徒然なり。

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[140]
つれ%\なぐさむるもの

物語。碁。雙六。三四ばかりなる兒の物をかしういふ。又いとちひさき兒の物語したるが、笑みなどしたる。菓子。男のうちさるがひ、物よくいふがきたるは、物忌なれどいれつかし。

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[141]
とりどころなきもの

かたちにくげに心あしき人。みそひめの濡れたる。これいみじうわろき事いひたると、萬の人にくむなることとて、今とどむべきにもあらず。又あとびの火箸といふ事、などてか、世になき事ならねば、皆人知りたらん。實に書きいで人の見るべき事にはあらねど、この草紙を見るべきものと思はざりしかば、怪しき事をも、にくき事をも、唯思はん事のかぎりを書かんとてありしなり。

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[142、143、144、145、146]
なほ世にめでたきもの

臨時の祭の御前ばかりの事は、何事にかあらん。試樂もいとをかし。春は空のけしきの どかにて、うら/\とあるに、清涼殿の御前の庭に、掃部司のたたみどもを敷きて、使は北おもてに、舞人は御前のかたに、これらは僻事にもあらん。

所の衆ども、衝重どもとりて前ごとに居ゑわたし、陪從もその日は御前に出で入るぞかし。公卿殿上人は、かはる%\盃とりて、はてにはやくがひといふ物、男などのせんだにうたてあるを、御前に女ぞ出でて取りける、思ひかけず人やあらんとも知らぬに、火燒屋よりさし出でて、多く取らんと騒ぐものは、なか/\うちこぼしてあつかふ程に、かろらかにふと取り出でぬるものには遲れて、かしこき納殿に、火燒屋をして、取り入るるこそをかしけれ。掃部司のものども、たたみとるやおそきと、主殿司の官人ども、手ごとに箒とり、すなごならす。承香殿の前のほどに、笛を吹きたて、拍子うちて遊ぶを、疾く出でこなんと待つに、有度濱うたひて、竹のませのもとに歩み出でて、御琴うちたる程など、いかにせんとぞ覺ゆるや。一の舞のいとうるはしく袖をあはせて、二人はしり出でて、西に向ひて立ちぬ。つぎ/\出づるに、足踏を拍子に合せては、半臂の緒つく ろひ、冠袍の領などつくろひて、あやもなきこま山などうたひて舞ひ立ちたるは、すべていみじくめでたし。大比禮など舞ふは、日一日見るとも飽くまじきを、終てぬるこそいと口惜しけれど、又あるべしと思ふはたのもしきに、御琴かきかへして、このたびやがて竹の後から舞ひ出でて、ぬぎ垂れつるさまどものなまめかしさは、いみじくこそあれ。掻練の下襲など亂れあひて、こなたかなたにわたりなどしたる、いで更にいへば世の常なり。このたびは又もあるまじければにや、いみじくこそ終てなん事は口惜しけれ。上達部なども、つづきて出で給ひぬれば、いとさう%\しう口をしきに、賀茂の臨時の祭は、還立の御神樂などにこそなぐさめらるれ。庭燎の烟の細うのぼりたるに、神樂の笛のおもしろうわななき、ほそう吹きすましたるに、歌の聲もいとあはれに、いみじくおもしろく、寒くさえ氷りて、うちたるきぬもいとつめたう、扇もたる手のひゆるもおぼえず。

才の男ども召して飛びきたるも、人長の心よげさなどこそいみじけれ。里なる時は、唯 渡るを見るに、飽かねば、御社まで行きて見るをりもあり。大なる木のもとに車たてたれば、松の烟たなびきて、火のかげに半臂の緒、きぬのつやも、晝よりはこよなく勝りて見ゆる。橋の板を踏みならしつつ、聲合せて舞ふ程もいとをかしきに、水の流るる音、笛の聲などの合ひたるは、實に神も嬉しとおぼしめすらんかし。

少將といひける人の、年ごとに舞人にて、めでたきものに思ひしみけるに、なくなりて、上の御社の一の橋のもとにあンなるを聞けば、ゆゆしう、せちに物おもひいれじと思へど、猶このめでたき事をこそ、更にえ思ひすつまじけれ。

「八幡の臨時の祭の名殘こそいとつれ%\なれ。などてかへりて又舞ふわざをせざりけん、さらばをかしからまし。禄を得て後よりまかンづるこそ口惜しけれ」などいふを、うへの御前に聞し召して、「明日かへりたらん、めして舞はせん」など仰せらるる。「實にやさふらふらん、さらばいかにめでたからん」など申す。うれしがりて、宮の御前にも、「猶それまはせさせ給へ」と集りて申しまどひしかば、そのたびかへりて舞ひしは、嬉しか りしものかな。さしもや有らざらんと打ちたゆみつるに、舞人前に召すを聞きつけたる心地、物にあたるばかり騒ぐもいと物ぐるほしく、下にある人々まどひのぼるさまこそ、人の從者、殿上人などの見るらんも知らず、裳を頭にうちかづきてのぼるを、笑ふもことわりなり。

故殿などおはしまさで、世の中に事出でき、物さわがしくなりて、宮又うちにもいらせ給はず、小二條といふ所におはしますに、何ともなくうたてありしかば、久しう里に居たり。御前わたりおぼつかなさにぞ、猶えかくてはあるまじかりける。左中將おはして物語し給ふ。「今日は宮にまゐりたれば、いみじく物こそあはれなりつれ。女房の裝束、裳唐衣などの折にあひ、たゆまずをかしうても侍ふかな。御簾のそばのあきたるより見入れつれば、八九人ばかり居て、黄朽葉の唐衣、薄色の裳、紫苑、萩などをかしう居なみたるかな。御前の草のいと高きを、などかこれは茂りて侍る。はらはせてこそといひつれば、露おかせて御覽ぜんとて殊更にと、宰相の君の聲にて答へつるなり。をかしくも 覺えつるかな。御里居いと心憂し。かかる所に住居せさせ給はんほどは、いみじき事ありとも、必侍ふべき物に思し召されたるかひもなくなど、あまた言ひつる。語りきかせ奉れとなめりかし。參りて見給へ。あはれげなる所のさまかな。露臺の前に植ゑられたりける牡丹の、唐めきをかしき事」などの給ふ。「いさ人のにくしと思ひたりしかば、又にくく侍りしかば」と答へ聞ゆ。「おいらかにも」とて笑ひ給ふ。實にいかならんと思ひまゐらする御氣色にはあらで、さぶらふ人たちの、「左大殿のかたの人しるすぢにてあり」などささめき、さし集ひて物などいふに、下より參るを見ては言ひ止み、はなち立てたるさまに見ならはずにくければ、「まゐれ」などあるたびの仰をも過して、實に久しうなりにけるを、宮の邊には、唯彼方がたになして、虚言なども出で來べし。例ならず仰事などもなくて、日頃になれば、心細くて打ちながむる程に、長女文をもてきたり。「御前より左京の君して、忍びて賜はせたりつる」といひて、ここにてさへひき忍ぶもあまりなり。人傳の仰事にてあらぬなめりと、胸つぶれてあけたれば、かみには物もかかせ 給はず、山吹の花びらを唯一つ包ませたまへり。それに「いはで思ふぞ」と書かせ給へるを見るもいみじう、日ごろの絶間思ひ歎かれつる心も慰みて嬉しきに、まづ知るさまを長女も打ちまもりて、「御前にはいかに、物のをりごとに思し出で聞えさせ給ふなるものを」とて、「誰も怪しき御ながゐとのみこそ侍るめれ。などか參らせ給はぬ」などいひて、「ここなる所に、あからさまにまかりて參らん」といひていぬる後に、御返事書きてまゐらせんとするに、この歌のもと更に忘れたり。「いとあやし。同じふる事といひながら、知らぬ人やはある。ここもとに覺えながら、言ひ出でられぬはいかにぞや」などいふを聞きて、ちひさき童の前に居たるが、「下ゆく水のとこそ申せ」といひたる。などてかく忘れつるならん。これに教へらるるもをかし。御かへりまゐらせて、少しほど經て參りたり。いかがと、例よりはつつましうして、御几帳にはたかくれたるを、「あれは今參か」なンど笑はせ給ひて、「にくき歌なれど、このをりは、さも言ひつべかりけりとなん思ふを、見つけでは暫時えこそ慰むまじけれ」などの給はせて、かはりたる御氣色もな し。童に教へられしことばなど啓すれば、いみじく笑はせ給ひて、「さる事ぞ、あまりあなづるふる事は、さもありぬべし」など仰せられて、ついでに、人のなぞ/\あはせしける所に、かたくなにはあらで、さやうの事にらう/\じかりけるが、「左の一番はおのれいはん、さ思ひ給へ」などたのむるに、さりともわろき事は言ひ出でじと選り定むるに、「その詞を聞かん、いかに」など問ふ。「唯まかせてものし給へ、さ申していと口惜しうはあらじ」といふを、實にと推しはかる。日いと近うなりぬれば、「なほこの事のたまへ非常にをかしき事もこそあれ」といふを、「いさ知らず。さらばなたのまれそ」などむつかれば、覺束なしと思ひながら、その日になりて、みな方人の男女居分けて、殿上人など、よき人々多く居竝みてあはするに、左の一番にいみじう用意しもてなしたるさまの、いかなる事をか言ひ出でんと見えたれば、あなたの人も、こなたの人も、心もとなく打ちまもりて、「なぞ/\」といふほど、いと心もとなし。「天にはり弓」といひ出でたり。右の方の人は、いと興ありと思ひたるに、こなたの方の人は、物もおぼえずあさま しうなりて、いとにくく愛敬なくて、「あなたによりて、殊更にまけさせんとしけるを」なンど、片時のほどに思ふに、右の人をこにおもふて、うち笑ひて、「ややさらに知らず」と、口ひきたれて猿樂しかくるに、「數させ/\」とてささせつ。「いと怪しき事、これ知らぬもの誰かあらん。更に數さすまじ」と論ずれど、「知らずといひ出でんは、などてかまくるにならざらん」とて、つぎ/\のも、この人に論じかたせける。いみじう人の知りたる事なれど、覺えぬ事はさこそあれ。「何しかはえ知らずといひし」と、後に恨みられて、罪さりける事を語り出でさせ給へば、御前なるかぎりは、さは思ふべし。「口をしく思ひけん、こなたの人の心地聞し召したりけん、いかににくかりけん」など笑ふ。これは忘れたることかは。皆人知りたることにや。

正月十日、空いとくらう、雲も厚く見えながら、さすがに日はいとけざやかに照りたるに、えせものの家の後、荒畠などいふものの、土もうるはしうあをからぬに、桃の木わかだちて、いとしもとがちにさし出でたる、片つ方は青く、いま片枝は濃くつややかに て、蘇枋やうに見えたるに、細やかなる童の、狩衣はかけやりなどして、髮は麗しきがのぼりたれば、又紅梅の衣白きなど、ひきはこえたる男子、半靴はきたる、木のもとに立ちて、「我によき木切りて、いで」など乞ふに、又髮をかしげなる童女の、袙ども綻びがちにて、袴は萎えたれど、色などよきうち著たる、三四人、「卯槌の木のよからん切りておろせ、ここに召すぞ」などいひて、おろしたれば、はしりがひ、とりわき、「我に多く」などいふこそをかしけれ。黒き袴著たる男走り來て乞ふに、「まて」などいへば、木のもとによりて引きゆるがすに、危ふがりて、猿のやうにかいつきて居るもをかし。梅などのなりたるをりも、さやうにぞあるかし。

清げなるをのこの、雙六を日ひと日うちて、なほ飽かぬにや、みじかき燈臺に火を明くかかげて、敵の采をこひせめて、とみにも入れねば、筒を盤のうへにたてて待つ。狩衣の領の顏にかかれば、片手しておし入れて、いとこはからぬ烏帽子をふりやりて、「さはいみじう呪ふとも、うちはづしてんや」と、心もとなげにうちまもりたるこそ、ほこり かに見ゆれ。

碁をやんごとなき人のうつとて、紐うち解き、ないがしろなるけしきに拾ひおくに、おとりたる人の、ゐずまひもかしこまりたる氣色に、碁盤よりは少し遠くて、およびつつ、袖の下いま片手にて引きやりつつうちたるもをかし。

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[147]
おそろしきもの

橡のかさ。燒けたる所。みづぶき。菱。髮おほかる男の頭洗ひてほすほど。栗のいが。

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[148]
きよしと見ゆるもの

土器。新しき鋺。疊にさす薦。水を物に入るる透影。新しき細櫃。

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きたなげなるもの

鼠の住處。翌朝手おそく洗ふ人。白きつきはな。すすばなしくありく兒。油入るる物。雀の子。暑きほどに久しくゆあみぬ。衣の萎えたるは、いづれも/\きたなげなる中に、練 色の衣こそきたなげなれ。

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[149]
>いやしげなるもの

式部丞の爵。黒き髮のすぢふとき。布屏風の新しき。舊り黒みたるは、さるいふかひなき物にて、なか/\何とも見えず。新しくしたてて、櫻の花多くさかせて、胡粉、朱砂など色どりたる繪書きたる。遣戸、厨子、何も田舎物はいやしきなり。筵張の車のおそひ。檢非違使の袴。伊豫簾の筋ふとき。人の子に法師子のふとりたる。まことの出雲筵の疊。

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[150]
むねつぶるるもの

競馬見る。元結よる。親などの心地あしうして、例ならぬけしきなる。まして世の中などさわがしきころ、萬の事おぼえず。又物いはぬ兒の泣き入りて乳をも飮まず、いみじく乳母の抱くにも止まで、久しう泣きたる。例の所などにて、殊に又いちじるからぬ人の聲聞きつけたるはことわり、人などのそのうへなどいふに、まづこそつぶるれ。いみ じくにくき人の來るもいみじくこそあれ。昨夜きたる人の、今朝の文のおそき、聞く人さへつぶれる。思ふ人の文とりてさし出でたるも、またつぶる。

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[151]
うつくしきもの

ふりに書きたる兒の顏。雀の子のねずなきするにをどりくる。又紅粉などつけて居ゑたれば、親雀の蟲など持て來てくくむるも、いとらうたし。三つばかりなる兒の、急ぎて這ひくる道に、いとちひさき塵などのありけるを、目敏に見つけて、いとをかしげなる指にとらへて、おとななどに見せたる、いとうつくし。あまにそぎたる兒の目に、髮のおほひたるを掻きは遣らで、うち傾きて物など見る、いとうつくし。たすきがけにゆひたる腰のかみの、白うをかしげなるも、見るにうつくし。おほきにはあらぬ殿上わらはの、さうぞきたてられて歩くもうつくし。をかしげなる兒の、あからさまに抱きてうつくしむ程に、かいつきて寢入りたるもらうたし。雛の調度。蓮のうき葉のいとちひさきを、池よりとりあげて見る。葵のちひさきもいとうつくし。何も/\ちひさき物はいとうつく し。いみじう肥えたる兒の二つばかりなるが、白ううつくしきが、二藍のうすものなど、衣ながくてたすきあげたるが、這ひ出でくるもいとうつくし。八つ九つ十ばかりなるをのこの、聲をさなげにて文よみたる、いとうつくし。鷄の雛の、足だかに、白うをかしげに、衣みじかなるさまして、ひよ/\とかしがましく鳴きて、人の後に立ちてありくも、また親のもとにつれだちありく、見るもうつくし。かりの子。舎利の壺。瞿麥の花。

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[152]
ひとばえするもの

ことなることなき人の子の、かなしくしならはされたる。しはぶき。恥しき人に物いはんとするにも、まづさきにたつ。あなたこなたに住む人の子どもの、四つ五つなるは、あやにくだちて、物など取りちらして損ふを、常は引きはられなど制せられて、心のままにもえあらぬが、親のきたる所えて、ゆかしかりける物を、「あれ見せよや母」などひきゆるがすに、おとななど物いふとて、ふとも聞き入れねば、手づから引き捜し出でて見るこ そいとにくけれ。それを「まさな」とばかり打ち言ひて、取り隱さで、「さなせそ、そこなふな」とばかり笑みていふ親もにくし。われえはしたなくもいはで見るこそ心もとなけれ。

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[153]
名おそろしきもの

青淵。谷の洞。鰭板。鐵。土塊。雷は名のみならず、いみじうおそろし。暴風。ふさう雲。ほこぼし。おほかみ。牛はさめ。らう。ろうの長。いにすし。それも名のみならず、みるもおそろし。繩筵。強盗、又よろづにおそろし。ひぢかさ雨。地楊梅。生靈。鬼 ところ。鬼蕨。荊棘。枳殻。いりずみ。牡丹。うしおに。

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[154]
見るにことなることなき物の文字にかきてこと%\しきもの

覆盆子。鴨頭草。みづぶき。胡桃。文章博士。皇后宮の權大夫。楊梅。いたどりはまして虎の杖と書きたるとか。杖なくともありぬべき顏つきを。

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[155]
むつかしげなるもの

繍物のうら。猫の耳のうち。鼠のいまだ毛も生ひぬを、巣の中より數多まろばし出したる。裏まだつかぬかはぎぬの縫目。殊に清げならぬ所のくらき。ことなる事なき人の、ちひさき子どもなど數多持ちてあつかひたる。いと深うしも志なき女の、心地あしうして久しく惱みたるも、男の心の中にはむつかしげなるべし。

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[156]
えせものの所うるをりの事

正月の大根。行幸のをりの姫大夫。六月十二月の三十日の節折の藏人。季の御讀經の威儀師。赤袈裟著て僧の文ども讀みあげたる、いとらう/\じ。御讀經佛名などの、御裝束の所の衆。春日祭の舎人ども。大饗の所のあゆみ。正月の藥子。卯杖の法師。五節の試の御髮上。節會御陪膳の采女。大饗の日の史生。七月の相撲。雨降る日の市女笠。渡するをりの かん取。

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[157]
くるしげなるもの

夜泣といふ物する兒の乳母。思ふ人二人もちて、こなたかなたに恨みふすべられたる 男。こはき物怪あづかりたる驗者。驗だに早くばよかるべきを、さしもなきを、さすがに人わらはれにあらじと念ずる、いとくるしげなり。理なく物うたがひする男に、いみじう思はれたる女。一の所にときめく人も、え安くはあらねど、それはよかンめり。こころいられしたる人。

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[158]
うらやましきもの

經など習ひて、いみじくたど/\しくて、忘れがちにて、かへす%\おなじ所を讀むに、法師は理、男も女も、くる/\とやすらかに讀みたるこそ、あれがやうに、いつの折とこそ、ふと覺ゆれ。心地など煩ひて臥したるに、うち笑ひ物いひ、思ふ事なげにて歩みありく人こそ、いみじくうらやましけれ。稻荷に思ひおこして參りたるに、中の御社のほど、わりなく苦しきを念じてのぼる程に、いささか苦しげもなく、後れて來と見えたる者どもの、唯ゆきにさきだちて詣づる、いとうらやまし。二月午の日の曉に、いそぎしかど、坂のなからばかり歩みしかば、巳の時ばかりになりにけり。やう/\暑く さへなりて、まことにわびしう かからぬ人も世にあらんものを、何しに詣でつらんとまで涙落ちてやすむに、三十餘ばかりなる女の、つぼ裝束などにはあらで、ただ引きはこえたるが、「まろは七たびまうでし侍るぞ。三たびはまうでぬ、四たびはことにもあらず未には下向しぬべし」と道に逢ひたる人にうち言ひて、くだりゆきしこそ、ただなる所にては目もとまるまじきことの、かれが身に只今ならばやとおぼえしか。男も、女も、法師も、よき子もちたる人、いみじううらやまし。髮長く麗しう、さがりばなどめでたき人。やんごとなき人の、人にかしづかれ給ふも、いとうらやまし。手よく書き、歌よく詠みて、物のをりにもまづとり出でらるる人。よき人の御前に、女房いと數多さぶらふに、心にくき所へ遣すべき仰書などを、誰も鳥の跡のやうにはなどかはあらん、されど下などにあるをわざと召して、御硯おろしてかかせ給ふ、うらやまし。さやうの事は、所のおとななどになりぬれば、實になにはわたりの遠からぬも、事に隨ひて書くを、これはさはあらで、上達部のもと、又始めてまゐらんなど申さする人の女など には、心ことに、うへより始めてつくろはせ給へるを、集りて、戲にねたがりいふめり。琴笛ならふに、さこそはまだしき程は、かれがやうにいつしかと覺ゆめれ。うち東宮の御乳母、うへの女房の御かた%\ゆるされたる。三昧堂たてて、よひあかつきにいのられたる人。雙六うつに、かたきの賽ききたる。まことに世を思ひすてたるひじり。

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[159]
とくゆかしきもの

卷染、村濃、括物など染めたる。人の子産みたる、男女疾く聞かまほし。よき人はさらなり、えせもの、下種の分際だにきかまほし。除目のまだつとめて、かならずしる人のなるべきをりも聞かまほし。思ふ人のおこせたる文。

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[160、161、162]
こころもとなきもの

人の許に、頓の物ぬひにやりて待つほど。物見に急ぎ出でて、今や/\とくるしう居入りつつ、あなたをまもらへたる心地。子産むべき人の、ほど過ぐるまでさるけしきのなき。遠き所より思ふ人の文を得て、かたく封じたる續飯など放ちあくる、心もとなし。物 見に急ぎ出でて、事なりにけりとて、白き笞など見つけたるに、近くやりよする程、佗しうおりてもいぬべき心地こそすれ。知られじと思ふ人のあるに、前なる人に教へて物いはせたる。いつしかと待ち出でたる兒の、五十日百日などのほどになりたる、行末いと心もとなし。頓のもの縫ふに、くらきをり針に糸つくる。されど我はさるものにて、ありぬべき所をとらへて人につけさするに、それも急げばにやあらん、頓にもえさし入れぬを、「いで唯なすげそ」といへど、さすがになどてかはと思ひがほにえさらぬは、にくささへそひぬ。何事にもあれ、急ぎて物へ行くをり、まづわがさるべき所へ行くとて、「只今おこせん」とて出でぬる車待つ程こそ心もとなけれ。大路往きけるを、さなりけると喜びたれば、外ざまに往ぬるいとくちをし。まして物見に出でんとてあるに、「事はなりぬらん」などいふを聞くこそわびしけれ。子うみける人の、後のこと久しき。物見にや、又御寺まうでなどに、諸共にあるべき人を乘せに往きたるを、車さし寄せたてるが、頓にも乘らで待たするもいと心もとなく、うちすてても往ぬべき心地する。とみに煎炭お こす、いと心もとなし。人の歌の返し疾くすべきを、え詠み得ぬほど、いと心もとなし。懸想人などはさしも急ぐまじけれど、おのづから又さるべきをりもあり。又まして女も男も、ただに言ひかはすほどは、疾きのみこそはと思ふほどに、あいなく僻事も出でくるぞかし。又心地あしく、物おそろしきほど、夜の明くるまつこそ、いみじう心もとなけれ。はぐろめのひる程も心もとなし。

故殿の御服の頃、六月三十日の御祓といふ事に出でさせ給ふべきを、職の御曹司は方あしとて、官のつかさのあいたる所に渡らせ給へり。その夜は、さばかり暑くわりなき闇にて、何事もせばう瓦葺にてさまことなり。例のやうに格子などもなく、唯めぐりて御簾ばかりをぞかけたる、なか/\珍しうをかし。女房庭におりなどして遊ぶ。前栽には萱草といふ草を、架垣ゆひていと多く植ゑたりける、花きはやかに重りて咲きたる、むべ/\しき所の前栽にはよし。時づかさなどは唯かたはらにて、鐘の音も例には似ず聞ゆるを、ゆかしがりて、若き人々二十餘人ばかり、そなたに行きてはしり寄り、たかき 屋にのぼりたるを、これより見あぐれば、薄鈍の裳、同じ色の衣單襲、紅の袴どもを著てのぼりたるは、いと天人などこそえいふまじけれど、空よりおりたるにやとぞ見ゆる。おなじわかさなれど、おしあげられたる人はえまじらで、うらやましげに見あげたるもをかし。日暮れてくらまぎれにぞ、過したる人々皆立ちまじりて、右近の陣へ物見に出できて、たはぶれ騒ぎ笑ふもあめりしを、「かうはせぬ事なり、上達部のつき給ひしなどに、女房どものぼり、上官などの居る障子を皆打ち通しそこなひたり」など苦しがるものもあれど、ききも入れず。屋のいと古くて、瓦葺なればにやあらん、暑さの世に知らねば、御簾の外に夜も臥したるに、ふるき所なれば、蜈蚣といふもの、日ひと日おちかかり、蜂の巣のおほきにて、つき集りたるなど、いとおそろしき。殿上人日ごとに參り、夜も居明し、物言ふを聞きて、「秋ばかりにや、太政官の地の、今やかうのにはとならん事を」と誦し出でたりし人こそをかしかりしか。秋になりたれど、かたへ涼しからぬ風の、所がらなンめり。さすがに蟲の聲などは聞えたり。八日にかへらせ たまへば、七夕祭などにて、例より近う見ゆるは、ほどのせばければなンめり。

宰相中將齊信、宣方の中將と參り給へるに、人々出でて物などいふに、ついでもなく、「明日はいかなる詩をか」といふに、いささか思ひめぐらし、とどこほりなく、「人間の四月をこそは」と答へ給へる、いみじうをかしくこそ。過ぎたることなれど、心えていふはをかしき中にも、女房などこそさやうの物わすれはせね、男はさもあらず、詠みたる歌をだになまおぼえなるを、まことにをかし。内なる人も、外なる人も、心えずとおもひたるぞ理なるや。

この三月三十日廊の一の口に、殿上人あまた立てりしを、やう/\すべりうせなどして、ただ頭中將、源中將、六位ひとりのこりて、よろづのこといひ、經よみ、歌うたひなどするに、「明けはてぬなり、歸りなん」とて、露は別の涙なるべしといふことを、頭中將うち出し給へれば、源中將もろともに、いとをかしう誦じたるに、「いそぎたる七夕かな」といふを、いみじうねたがりて、曉の別のすぢの、ふと覺えつるままにいひて、わ びしうもあるわざかな」と、「すべてこのわたりにては、かかる事思ひまはさずいふは、口惜しきぞかし」などいひて、あまりあかくなりにしかば、「葛城の神、今ぞすぢなき」とて、わけておはしにしを、七夕のをり、この事を言ひ出でばやと思ひしかど、宰相になり給ひにしかば、必しもいかでかは、その程に見つけなどもせん、文かきて、主殿司してやらんなど思ひし程に、七日に參り給へりしかば、うれしくて、その夜の事などいひ出でば、心もぞえたまふ。すずろにふといひたらば、怪しなどやうちかたぶき給はん。さらばそれには、ありし事いはんとてあるに、つゆおぼめかで答へ給へりしかば、實にいみじうをかしかりき。月ごろいつしかと思ひ侍りしだに、わが心ながらすき%\しと覺えしに、いかでさはた思ひまうけたるやうにの給ひけん。もろともにねたがり言ひし中將は、思ひもよらで居たるに、「ありし曉の詞いましめらるるは、知らぬか」との給ふにぞ、「實にさしつ」などいひ、「男は張騫」などいふことを、人には知らせず、この君と心えていふを、「何事ぞ/\」と源中將はそひつきて問へど、いはねば、かの君に「猶これ の給へ」と怨みられて、よき中なれば聞せてけり。いとあへなく言ふ程もなく、近うなりぬるをば、「押小路のほどぞ」などいふに、我も知りにけると、いつしか知られんとて、わざと呼び出て、「碁盤侍りや、まろもうたんと思ふはいかが、手はゆるし給はんや。頭中將とひとし碁なり。なおぼしわきそ」といふに、「さのみあらば定めなくや」と答へしを、かの君に語り聞えければ、「嬉しく言ひたる」とよろこび給ひし。なほ過ぎたること忘れぬ人はいとをかし。宰相になり給ひしを、うへの御前にて、「詩をいとをかしう誦じ侍りしものを、蕭會稽の古廟をも過ぎにしなども、誰か言ひはべらんとする。暫しならでもさぶらへかし。口惜しきに」など申ししかば、いみじう笑はせ給ひて、「さなんいふとて、なさじかし」など仰せられしもをかし。されどなり給ひにしかば、誠にさう%\しかりしに、源中將おとらずと思ひて、ゆゑだちありくに、宰相中將の御うへをいひ出でて、「いまだ三十の期に逮ばずといふ詩を、こと人には似ず、をかしう誦じ給ふ」などいへば、「などかそれに劣らん、まさりてこそせめ」とて詠むに、「更にわろくもあらず」と いへば、「わびしの事や、いかで、あれがやうに誦ぜで」などの給ふ。「三十の期といふ所なん、すべていみじう、愛敬づきたりし」などいへば、ねたがりて笑ひありくに、陣につき給へりけるをりに、わきて呼び出でて、「かうなんいふ。猶そこ教へ給へ」といひければ、笑ひて教へけるも知らぬに、局のもとにて、いみじくよく似せて詠むに、あやしくて、「こは誰そ」と問へば、ゑみごゑになりて、「いみじき事聞えん。かう/\昨日陣につきたりしに、問ひ來てたちにたるなめり。誰ぞと、にくからぬ氣色にて問ひ給へれば」といふも、わざとさ習ひ給ひけんをかしければ、これだに聞けば、出でて物などいふを、「宰相の中將の徳見る事、そなたに向ひて拜むべし」などいふ。下にありながら、「うへに」などいはするに、これをうち出づれば、「誠はあり」などいふ。御前にかくなど申せば、笑はせ給ふ。内裏の御物忌なる日、右近のさうくわんみつなにとかやいふものして、疊紙に書きておこせたるを見れば、「參ぜんとするを、今日は御物忌にてなん。三十の期におよばずは、いかが」といひたれば、返事に、「その期は過ぎぬらん、朱買臣が妻を教 へけん年にはしも」と書きてやりたりしを、又ねたがりて、うへの御前にも奏しければ、宮の御かたにわたらせ給ひて、「いかでかかる事は知りしぞ。四十九になりける年こそ、さは誡めけれとて、宣方はわびしういはれにたりといふめるは」と笑はせ給ひしこそ、物ぐるほしかりける君かなとおぼえしか。

弘徽殿とは、閑院の太政大臣の女御とぞ聞ゆる。その御方に、うちふしといふ者の女、左京といひてさぶらひけるを、「源中將かたらひて思ふ」など人々笑ふ頃、宮の職におはしまいしに參りて、「時々は御宿直など仕うまつるべけれど、さるべきさまに女房などもてなし給はねば、いと宮づかへおろかにさぶらふ。宿直所をだに賜りたらんは、いみじうまめにさぶらひなん」などいひ居給ひつれば、人々げになどいふ程に、「誠に人は、うちふしやすむ所のあるこそよけれ。さるあたりには、しげく參り給ふなるものを」とさし答へたりとて、「すべて物きこえず。方人と頼み聞ゆれば、人のいひふるしたるさまに取りなし給ふ」など、いみじうまめだちてうらみ給ふ。「あなあやし、いかなる事をか聞え つる。更に聞きとどめ給ふことなし」などいふ。傍なる人を引きゆるがせば、「さるべきこともなきを、ほとほり出で給ふ、さまこそあらめ」とて、花やかに笑ふに、「これもかのいはせ給ふならん」とて、いとものしと思へり。「更にさやうの事をなんいひ侍らぬ。人のいふだににくきものを」といひて、引き入りにしかば、後にもなほ、「人にはぢがましき事いひつけたる」と恨みて、「殿上人の、笑ふとていひ出でたるなり」との給へば、「さては一人を恨み給ふべくもあらざンめる、あやし」などいへば、その後は絶えてやみ給ひにけり。

枕草子 清少納言 枕草子 清少納言

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[163]
昔おぼえてふようなるもの

繧繝縁の疊の舊りてふし出できたる。唐繪の屏風の表そこなはれたる。藤のかかりたる松の木枯れたる。地摺の裳の花かへりたる。衞士の目くらき。几帳のかたびらのふりぬる。帽額のなくなりぬる。七尺のかづらのあかくなりたる。葡萄染の織物の灰かへりたる。色好の老いくづをれたる。おもしろき家の木立やけたる。池などはさながらあれど、 萍水草しげりて。

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[164、165]
たのもしげなきもの

心みじかくて人忘れがちなる。聟の夜がれがちなる。六位の頭しろき。虚言する人の、さすがに人のことなしがほに大事うけたる。一番に勝つ雙六。六七八十なる人の、心地あしうして日ごろになりぬる。風はやきに帆あげたる船。經は不斷經。

枕草子 清少納言 枕草子 清少納言

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[166]
近くてとほきもの

宮のほとりの祭。思はぬ兄弟、親族の中。鞍馬の九折といふ道。十二月の晦日、正月一日のほど。

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[167]
遠くてちかきもの

極樂。船の道。男女の中。

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[168]
井は

堀兼の井。走井は逢阪なるがをかしき。山の井、さしもあさきためしになりはじめけん。 飛鳥井、みもひも寒しと譽めたるこそをかしけれ。玉の井。少將の井。櫻井。后町の井。千貫の井。

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受領は

紀伊守。和泉。

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やどりのつかさの權の守は

下野。甲斐。越後。筑後。阿波。

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[178、179、181、182、183、184]
大夫は

式部大夫。左衛門大夫。史大夫。六位藏人、おもひかくべき事にもあらずかうぶりえて、何の大夫、權の守などいふ人の、板屋せばき家もたりて、また小桧垣など新しくし、車やどりに車ひきたて、前ちかく木おほくして、牛つながせて、草などかはするこそいとにくけれ。庭いと清げにて、紫革して、伊豫簾かけわたして、布障子はりて住居たる。夜は「門強くさせ」など事行ひたる、いみじうおひさきなくこころづきなし。親の家、舅は さらなり、伯父兄などの住まぬ家、そのさるべき人のなからんは、おのづからむつましう、うち知りたる受領、又國へ行きていたづらなる、さらずば女院、宮腹などの屋あまたあるに、官まち出でて後、いつしかとよき所尋ね出でて住みたるこそよけれ。女のひとり住む家などは、唯いたう荒れて、築土などもまたからず、池などのある所は、水草ゐ、庭なども、いと蓬茂りなどこそせねども、所々砂の中より青き草見え、淋しげなるこそあはれなれ。物かしこげに、なだらかに修理して、門いとうかため、きは%\しきは、いとうたてこそ覺ゆれ。

宮仕人の里なども、親ども二人あるはよし。人しげく出で入り、奧のかたにあまたさまざまの聲多く聞え、馬の音して騒しきまであれどかなし。されど忍びてもあらはれても、おのづから、「出で給ひけるを知らで」とも、「又いつか參り給ふ」などもいひにさしのぞく。心かけたる人は、「いかがは」と門あけなどするを、うたて騒しうあやふげに、夜半までなど思ひたるけしき、いとにくし。「大御門はさしつや」など問はすれば、「まだ人の おはすれば」など、なまふせがしげに思ひて答ふるに、「人出で給ひなば疾くさせ。このごろは盗人いと多かり」などいひたる、いとむつかしう、うち聞く人だにあり。この人の供なるものども、この客今や出づると、絶えずさしのぞきて、けしき見るものどもを、わらふべかンめり。眞似うちするも、聞きてはいかにいとど嚴しういひ咎めん。いと色に出でていはぬも、思ふ心なき人は、必來などやする。されど健なるかたは、「夜更けぬ、御門もあやふかンなる」といひてぬるもあり。誠に志ことなる人は、「はや」などあまた度やらはるれど、猶居あかせば、たび/\ありくに、あけぬべきけしきをめづらかに思ひて、「いみじき御門を、今宵らいさうとあけひろげて」と聞えごちて、あぢきなく曉にぞさすなる。いかがにくき。親そひぬるは猶こそあれ。まして誠ならぬは、いかに思ふらんとさへつつましうて。兄の家なども、實に聞くにはさぞあらん。夜中曉ともなく、門いと心がしこくもなく、何の宮、内裏わたりの殿ばらなる人々の出であひなどして、格子などもあげながら、冬の夜を居あかして、人の出でぬる後も、見出したるこそをかしけ れ。有明などはましていとをかし。笛など吹きて出でぬるを、我は急ぎても寢られず、人のうへなどもいひ、歌など語り聞くままに、寢いりぬるこそをかしけれ。

雪のいと高くはあらで、うすらかに降りたるなどは、いとこそをかしけれ。又雪のいと高く降り積みたる夕暮より、端ちかう、同じ心なる人二三人ばかり、火桶中に居ゑて、物語などするほどに、暗うなりぬれば、こなたには火もともさぬに、大かた雪の光いと白う見えたるに、火箸して灰などかきすさびて、あはれなるもをかしきも、いひあはするこそをかしけれ。よひも過ぎぬらんと思ふほどに、沓の音近う聞ゆれば、怪しと見出したるに、時々かやうの折、おぼえなく見ゆる人なりけり。今日の雪をいかにと思ひきこえながら、何でふ事にさはり、そこに暮しつるよしなどいふ。今日來ん人をなどやうのすぢをぞ言ふらんかし。晝よりありつる事どもをうちはじめて、よろづの事をいひ笑ひ、圓座さし出したれど、片つ方の足はしもながらあるに、鐘の音の聞ゆるまでになりぬれど、内にも外にも、いふ事どもは飽かずぞおぼゆる。昧爽のほどに歸るとて、雪何の山 に滿てるとうち誦じたるは、いとをかしきものなり。女のかぎりしては、さもえ居明さざらましを、ただなるよりはいとをかしう、すきたる有樣などを言ひあはせたる。

村上の御時、雪のいと高う降りたりけるを、楊器にもらせ給ひて、梅の花をさして、月いと明きに、「これに歌よめ、いかがいふべき」と兵衞の藏人に賜びたりければ、雪月花の時と奏したりけるこそ、いみじうめでさせ給ひけれ。「歌などよまんには世の常なり、かう折にあひたる事なん、言ひ難き」とこそ仰せられけれ。同じ人を御供にて、殿上に人侍はざりける程、佇ませおはしますに、すびつの烟の立ちければ、「かれは何の烟ぞ、見て來」と仰せられければ、見てかへり參りて、

わたつみの沖にこがるる物見ればあまの釣してかへるなりけり

と奏しけるこそをかしけれ。蛙の飛び入りてこがるるなりけり。

御形の宣旨、五寸ばかりなる殿上わらはのいとをかしげなるをつくりて、髻結ひ、裝束などうるはしくして、名かきて奉らせたりけるに、ともあきらのおほきみと書きたりけ るをこそ、いみじうせさせ給ひけれ。

宮に始めて參りたるころ、物の恥しきこと數知らず、涙も落ちぬべければ、夜々まゐりて、三尺の御几帳の後に侍ふに、繪など取り出でて見せさせ給ふだに、手もえさし出すまじうわりなし。これはとあり、かれはかかりなどの給はするに、高杯にまゐりたるおほとの油なれば、髮のすぢなども、なか/\晝よりは顯證に見えてまばゆけれど、念じて見などす。いとつめたきころなれば、さし出させ給へる御手のわづかに見ゆるが、いみじう匂ひたる薄紅梅なるは、限なくめでたしと、見知らぬさとび心地には、いかがはかかる人こそ世におはしましけれど、驚かるるまでぞまもりまゐらする。曉には疾くなど急がるる。「葛城の神も暫し」など仰せらるるを、いかですぢかひても御覽ぜんとて臥したれば、御格子もまゐらず。女官まゐりて、「これはなたせ給へ」といふを、女房聞きてはなつを、「待て」など仰せらるれば、笑ひてかへりぬ。物など問はせ給ひの給はするに、久しうなりぬれば、「おりまほしうなりぬらん、さ早」とて、「よさりは疾く」と仰せらるる。 ゐざり歸るや遲きとあけちらしたるに、「雪いとをかし、今日は晝つかた參れ、雪にくもりてあらはにもあるまじ」など、たび/\召せば、この局主人も、「さのみや籠り居給ふらんとする。いとあへなきまで御前許されたるは、思しめすやうこそあらめ。思ふに違ふはにくきものぞ」と、唯いそがしに急がせば、我にもあらぬ心地すれば、參るもいとぞ苦しき。火燒屋のうへに降り積みたるも珍しうをかし。御前近くは、例の炭櫃の火こちたくおこして、それにはわざと人も居ず。宮は沈の御火桶の梨繪したるに向ひておはします。上臈御まかなひし給ひけるままに近くさぶらふ。次の間に長炭櫃に間なく居たる人人、唐衣著垂れたるほどなり。安らかなるを見るも羨しく、御文とりつぎ、立ち居ふるまふさまなど、つつましげならず、物いひゑみわらふ。いつの世にか、さやうに交ひならんと思ふさへぞつつましき。あうよりて、三四人集ひて繪など見るもあり。暫時ありて、さき高うおふ聲すれば、「殿參らせ給ふなり」とて、散りたる物ども取りやりなどするに、奧に引き入りて、さすがにゆかしきなンめりと、御几帳のほころびより僅に見入れ たり。大納言殿の參らせ給ふなりけり。御直衣指貫の紫の色、雪にはえてをかし。柱のもとに居給ひて、「昨日今日物忌にて侍れど、雪のいたく降りて侍らば、おぼつかなさに」などのたまふ。「道もなしと思ひけるに、いかでか」とぞ御答あンなる。うち笑ひ給ひて、「あはれともや御覽ずるとて」などの給ふ御有樣は、これよりは何事かまさらん。物語にいみじう口にまかせて言ひたる事ども、違はざンめりとおぼゆ。宮は白き御衣どもに、紅の唐綾二つ、白き唐綾と奉りたる、御髮のかからせ給へるなど、繪に書きたるをこそ、かかることは見るに、現にはまだ知らぬを、夢の心地ぞする。女房と物いひ戲れなどし給ふを、答いささか恥しとも思ひたらず聞えかへし、空言などの給ひかくるを、爭ひ論じなど聞ゆるは、目もあやに、あさましきまで、あいあく面ぞ赤むや。御菓子まゐりなどして、御前にも參らせ給ふ。「御几帳の後なるは誰ぞ」と問ひ給ふなるべし。さぞと申すにこそあらめ、立ちておはするを、外へにやあらんと思ふに、いと近う居給ひて、物などの給ふ。まだ參らざりしとき聞きおき給ひける事などの給ふ。「實にさありし」などの給 ふに、御几帳隔てて、よそに見やり奉るだに恥しかりつるを、いとあさましう、さし向ひ聞えたる心地、うつつとも覺えず。行幸など見るに、車のかたにいささか見おこせ給ふは、下簾ひきつくろひ、透影もやと扇をさし隱す。猶いと我心ながらも、おほけなくいかで立ち出でにしぞと、汗あえていみじきに、何事をか聞えん。かしこきかげと捧げたる扇をさへ取り給へるに、振りかくべき髮のあやしささへ思ふに、すべて誠にさる氣色やつきてこそ見ゆらめ、疾く立ち給へなど思へど、扇を手まさぐりにして、「繪は誰が書きたるぞ」などの給ひて、頓にも立ち給はねば、袖を押しあてて、うつぶし居たるも、唐衣にしろい物うつりて、まだらにならんかし。久しう居給ひたりつるを、論なう苦しと思ふらんと心得させ給へるにや、「これ見給へ、これは誰が書きたるぞ」と聞えさせ給ふを、嬉しと思ふに、「賜ひて見侍らん」と申し給へば、「猶ここへ」との給はすれば、「人をとらへてたて侍らぬなり」との給ふ。いといまめかしう、身のほど年には合はず、かたはらいたし。人の草假字書きたる草紙、取り出でて御覽ず。「誰がにかあらん、かれに見せさせ 給へ。それぞ世にある人の手は見知りて侍らん」と怪しき事どもを、唯答させんとのたまふ。一所だにあるに、又さきうちおはせて、同じ直衣の人參らせ給ひて、これは今少し花やぎ、猿樂ことなどうちし、譽め笑ひ興じ、我も、なにがしがとある事、かかる事など、殿上人のうへなど申すを聞けば、猶いと變化の物、天人などのおり來るにやと覺えてしを、侍ひ馴れ、日ごろ過ぐれば、いとさしもなきわざにこそありけれ。かく見る人々も、家のうち出で初めけん程は、さこそは覺えけめど、かく爲もて行くに、おのづから面馴れぬべし。物など仰せられて、「我をば思ふや」と問はせ給ふ。御いらへに、「いかにかは」と啓するに合せて、臺盤所のかたに、鼻をたかくひたれば、「あな心う、虚言するなりけり。よし/\」とていらせ給ひぬ。いかでか虚言にはあらん。よろしうだに思ひ聞えさすべき事かは。鼻こそは虚言しけれとおぼゆ。さても誰かかくにくきわざしつらんと、大かた心づきなしと覺ゆれば、わがさる折も、おしひしぎかへしてあるを、ましてにくしと思へど、まだうひ/\しければ、ともかくも啓しなほさで、明けぬれば おりたるすなはち、淺緑なる薄樣に、艶なる文をもてきたり。見れば、

いかにしていかに知らましいつはりをそらにただすの神なかりせば

となん、御けしきはとあるに、めでたくも口をしくも思ひ亂るるに、なほ昨夜の人ぞたづね聞かまほしき。

うすきこそそれにもよらねはなゆゑにうき身の程を知るぞわびしき

猶こればかりは啓しなほさせ給へ、職の神もおのづからいと畏しとて、參らせて後も、うたて、折しもなどてさはたありけん、いとをかし。

枕草子 清少納言 枕草子 清少納言

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[185、186]
したりがほなるもの

正月一日のつとめて、最初にはなひたる人。きしろふたびの藏人に、かなしうする子なしたる人のけしき。除目に、その年の一の國得たる人の、よろこびなどいひて、「いとかしこうなり給へり」など人のいふ答に、「何か、いと異樣に亡びて侍るなれば」などいふも、したり顏なり。また人多く挑みたる中に、選られて壻に取られたるも、我はと思ひ ぬべし。こはき物怪調じたる驗者。掩韻の明疾うしたる。小弓射るに、片つ方の人咳嗽をし紛はして騒ぐに、念じて音高う射てあてたるこそ、したり顏なるけしきなれ。碁をうつに、さばかりと知らで、ふくつけきは、又こと所にかがぐりありくに、ことかたより、目もなくして、多くひろひ取りたるも嬉しからじや。ほこりかに打ち笑ひ、ただの勝よりはほこりかなり。あり/\て受領になりたる人の氣色こそうれしげなれ。僅にある從者の無禮にあなづるも、妬しと思ひ聞えながら、いかがせんとて念じ過しつるに、我にもまさる者どもの、かしこまり、ただ仰承らむと追從するさまは、ありし人とやは見えたる。女房うちつかひ、見えざりし調度裝束の湧き出づる。受領したる人の中將になりたるこそ、もと公達のなりあがりたるよりも、氣高うしたり顏に、いみじう思ひたンめれ。位こそ猶めでたきものにはあれ。同じ人ながら、大夫の君や、侍從の君など聞ゆるをりは、いと侮り易きものを、中納言、大納言、大臣などになりぬるは、無下にせんかたなく、やんごとなく覺え給ふ事のこよなさよ。ほど/\につけては、受領もさこそはあンめれ。數多國に行きて、大貳や四位などになりて、上達部になりぬれば、おも/\し。されど、さりとてほど過ぎ、何ばかりの事かはある。又多くやはある。受領の北の方にてくだるこそ、よろしき人の幸福には思ひて あンめれ。只人の上達部の女にて、后になり給ふこそめでたけれ。されどなほ男は、わが身のなり出づるこそめでたくうち仰ぎたるけしきよ。法師の、なにがし供奉などいひてありくなどは、何とかは見ゆる。經たふとく讀み、みめ清げなるにつけても、女にあなづられて、なりかかりこそすれ、僧都僧正になりぬれば、佛のあらはれ給へるにこそとおぼし惑ひて、かしこまるさまは、何にかは似たる。

枕草子 清少納言 枕草子 清少納言

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[197、198、199、200]
風は

嵐。こがらし。三月ばかりの夕暮にゆるく吹きたる花風、いとあはれなり。八九月ばかりに、雨にまじりて吹きたる風、いとあはれなり。雨のあし横ざまに、さわがしう吹きたるに、夏とほしたる綿絹の、汗の香などかわき、生絹の單衣に、引き重ねて著たるも をかし。この生絹だにいとあつかはしう、捨てまほしかりしかば、いつの間にかうなりぬらんと思ふもをかし。あかつき、格子妻戸など押しあげたるに、嵐のさと吹きわたりて、顏にしみたるこそいみじうをかしけれ。九月三十日、十月一日のほどの空うち曇りたるに、風のいたう吹くに、黄なる木の葉どもの、ほろ/\とこぼれ落つる、いとあはれなり。櫻の葉、椋の葉などこそ落つれ。十月ばかりに、木立多かる所の庭は、いとめでたし。

野分の又の日こそ、いみじう哀におぼゆれ。立蔀、透垣などのふしなみたるに、前栽ども心ぐるしげなり。大なる木ども倒れ、枝など吹き折られたるだに惜しきに、萩女郎花などのうへに、よろぼひ這ひ伏せる、いとおもはずなり。格子のつぼなどに、颯と際を殊更にしたらんやうに、こま%\と吹き入りたるこそ、あらかりつる風のしわざともおぼえね。いと濃き衣のうはぐもりたるに、朽葉の織物、羅などの小袿著て、まことしく清げなる人の、夜は風のさわぎにねざめつれば、久しう寐おきたるままに、鏡うち見て、 母屋よりすこしゐざり出でたる、髮は風に吹きまよはされて、少しうちふくだみたるが、肩にかかりたるほど、實にめでたし。物あはれなる氣色見るほどに、十七八ばかりにやあらん、ちひさくはあらねど、わざと大人などは見えぬが、生絹の單衣のいみじうほころびたる、花もかへり、濡れなどしたる、薄色の宿直物を著て、髮は尾花のやうなるそぎすゑも、長ばかりは衣の裾にはづれて、袴のみあざやかにて、そばより見ゆる。わらはべの、若き人の根籠に吹き折られたる前栽などを取り集め起し立てなどするを、羨しげに推し量りて、つき添ひたるうしろもをかし。

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[201]
こころにくきもの

物へだてて聞くに、女房とは覺えぬ聲の、忍びやかに聞えたるに、答わかやかにして、うちそよめきて參るけはひ、物まゐる程にや、筋飯匙などのとりまぜて鳴りたる、提の柄のたふれ伏すも、耳こそとどまれ。打ちたる衣の鮮かなるに、騒しうはあらで、髮のふりやられたる。いみじうしつらひたる所の、おほとなぶらは參らで、長炭櫃に、いと多く おこしたる火の光に、御几帳の紐のいとつややかに見え、御簾の帽額のあげたる、鈎のきはやかなるもけざやかに見ゆ。よく調じたる火桶の、灰清げにおこしたる火に、よく書きたる繪の見えたる、をかし。はしのいときはやかにすぢかひたるもをかし。夜いたう更けて、人の皆寢ぬる後に、外のかたにて、殿上人など物いふに、奧に、碁石笥にいる音のあまた聞えたる、いと心にくし。簀子に火ともしたる。物へだてて聞くに、人の忍ぶるが、夜半などうち驚きて、いふ事は聞えず、男も忍びやかに笑ひたるこそ、何事ならんとをかしけれ。

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[204]
島は

浮島。八十島。たはれ島。水島。松が浦島。籬の島。豐浦の島。たと島。

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[205]
濱は

そとの濱。吹上の濱。長濱。打出の濱。諸寄の濱。千里の濱こそ廣うおもひやらるれ。

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[205]
浦は

生の浦。鹽竈の浦。志賀の浦。名高の浦。こりずまの浦。和歌の浦。

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[208]
寺は

壺坂。笠置。法輪。高野は、弘法大師の御住處なるがあはれなるなり。石山。粉川。志賀。

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[209]
經は

法華經はさらなり。千手經。普賢十願。隨求經。尊勝陀羅尼。阿彌陀の大呪。千手陀羅尼。

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[211]
文は

文集。文選。博士の申文。

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[210]
佛は

如意輪は、人の心をおぼしわづらひて、頬杖を突きておはする、世に知らずあはれにはづかし。千手、すべて六觀音。不動尊。藥師佛。釋迦。彌勒。普賢。地藏。文珠。

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[212]
物語は

すみよし、うつぼの類は、殿うつり。月まつ女。交野の少將。梅壺の少將。人め。國ゆづり。むもれ木。道心すすむる松が枝。こまのの物語は、ふるきかはぼりさし出でてもいにしが、をかしきなり。

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野は

嵯峨野さらなり。印南野。交野。こま野。粟津野。飛火野。しめぢ野。そうけ野こそすずろにをかしけれ。などさつけたるにかあらん。安倍野。宮城野。春日野。紫野。

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[213]
陀羅尼は

あかつき。

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讀經は

ゆふぐれ。

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[215]
あそびは

夜人の顏見えぬほど。あそびわざは、さまあしけれども、鞠もをかし。小弓。掩韻。碁。

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[216]
舞は

駿河舞。求子。太平樂はさまあしけれど、いとをかし。太刀などうたてくあれど、いとおもしろし。漢土に敵に具して遊びけんなど聞くに。鳥の舞。拔頭は、頭の髮ふりかけたるまみなどはおそろしけれど、樂もいとおもしろし。落蹲は、二人して膝ふみて舞ひたる。こまがた。

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[217]
ひきものは

琵琶。筝のこと。

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しらべは

風香調。黄鐘調。蘇香の急。鶯のさへづりといふしらべ。相府蓮。

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[218]
笛は

横笛いみじうをかし。遠うより聞ゆるが、やう/\近うなりゆくもをかし。近かりつるがはるかになりて、いとほのかに聞ゆるも、いとをかし。車にても徒歩にても馬にても、すべて懷にさし入れてもたるも、何とも見えず。さばかりをかしきものはなし。まして聞き知りたる調子など、いみじうめでたし。曉などに、忘れて枕のもとにありたるを見つけたるも、猶をかし。人の許より取りにおこせたるを、おし包みて、遣るも、ただ文のやうに見えたり。笙の笛は、月のあかきに、車などにて聞えたる、いみじうをかし。所せく、もてあつかひにくくぞ見ゆる。吹く顏やいかにぞ。それは横笛もふきなしありかし。篳篥は、いとむつかしう、秋の蟲をいはば、轡蟲などに似て、うたてけぢかく聞かまほしからず。ましてわろう吹きたるはいとにくきに、臨時の祭の日、いまだ御前には出ではてで、物の後にて、横笛をいみじう吹き立てたる、あなおもしろと聞くほどに、半ばかりより、うちそへて吹きのぼせたる程こそ、唯いみじう麗しき髮もたらん人も、皆立ちあがりぬべき心地ぞする。やう/\琴笛あはせて歩み出でたる、いみじう をかし。

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[219、220、221、223、224、230、232]
見るものは

行幸。祭のかへさ。御賀茂詣。臨時の祭、空くもりて寒げなるに、雪少しうち散りて、插頭の花、青摺などにかかりたる、えもいはずをかし。太刀の鞘の、きはやかに黒うまだらにて、白く廣う見えたるに、半臂の緒のやうしたるやうにかかりたる。地摺袴の中より、氷かと驚くばかりなる打目など、すべていとめでたし。今少し多く渡らせまほしきに、使は必にくげなるもあるたびは、目もとまらぬ。されど藤の花に隱されたる程はをかしう、猶過ぎぬかたを見送らるるに、陪從のしなおくれたる、柳の下襲に、かざしの山吹おもなく見ゆれども、扇いと高くうちならして、「賀茂の社のゆふだすき」と歌ひたるは、いとをかし。

行幸になずらふるものは何かあらん。御輿に奉りたるを見參らせたるは、明暮御前に侍ひ、仕う奉る事もおぼえず、かう%\しういつくしう、常は何ともなきつかさ、ひめま うちぎみさへぞ、やんごとなう珍しう覺ゆる。御綱助、中少將などいとをかし。祭のかへさいみじうをかし。きのふは萬の事うるはしうて、一條の大路の廣う清らなるに、日の影もあつく、車にさし入りたるもまばゆければ、扇にて隱し、居なほりなどして、久しう待ちつるも見苦しう、汗などもあえしを、今日はいと疾く出でて、雲林院、知足院などのもとに立てる車ども、葵かつらもうちなえて見ゆ。日は出でたれど、空は猶うち曇りたるに、いかで聞かんと、目をさまし、起き居て待たるる杜鵑の、數多さへあるにやと聞ゆるまで、鳴きひびかせば、いみじうめでたしと思ふ程に、鶯の老いたる聲にて、かれに似せんとおぼしく、うち添へたるこそ、憎けれど又をかしけれ。いつしかと待つに、御社の方より、赤き衣など著たる者どもなど連れ立ちてくるを、「いかにぞ、事成りぬや」などいへば、「まだ無期」など答へて、御輿、腰輿など持てかへる。これに奉りておはしますらんもめでたく、けぢかく如何でさる下司などの侍ふにかとおそろし。はるかげにいふ程もなく歸らせ給ふ。葵より始めて、青朽葉どものいとをかしく見ゆるに、所の 衆の青色白襲を、けしきばかり引きかけたるは、卯の花垣根ちかうおぼえて、杜鵑もかげに隱れぬべう覺ゆかし。昨日は車ひとつに數多乘りて、二藍の直衣、あるは狩衣など亂れ著て、簾取りおろし、物ぐるほしきまで見えし公達の、齋院の垣下にて、ひの裝束うるはしくて、今日は一人づつ、をさ/\しく乘りたる後に、殿上童のせたるもをかし。わたりはてぬる後には、などかさしも惑ふらん。我も/\と、危くおそろしきまで、前に立たんと急ぐを、「かうな急ぎそ、のどやかに遣れ」と扇をさし出でて制すれど、聞きも入れねば、わりなくて、少し廣き所に強ひてとどめさせて立ちたるを、心もとなくにくしとぞ思ひたる、きほひかかる車どもを見やりてあるこそをかしけれ。少しよろしき程にやり過して、道の山里めきあはれなるに、うつ木垣根といふ物の、いと荒々しう、おどろかしげにさし出でたる枝どもなど多かるに、花はまだよくもひらけはてず、つぼみがちに見ゆるを折らせて、車のこなたかなたなどに插したるも、桂などの萎みたるが口惜しきに、をかしうおぼゆ。遠きほどは、えも通るまじう見ゆる行くさきを、近う行き もてゆけば、さしもあらざりつるこそをかしけれ。男の車の誰とも知らぬが、後に引きつづきてくるも、ただなるよりはをかしと見る程に、引き別るる所にて、「峯にわかるる」といひたるもをかし。

五月ばかり、山里にありく、いみじくをかし。澤水も實にただいと青く見えわたるに、うへはつれなく草生ひ茂りたるを、なが/\とただざまに行けば、下はえならざりける水の、深うはあらねど、人の歩むにつけて、とばしりあげたるいとをかし。左右にある垣の枝などのかかりて、車のやかたに入るも、急ぎてとらへて折らんと思ふに、ふとはづれて過ぎぬるも口惜し。蓬の車に押しひしがれたるが、輪のまひたちたるに、近うかがへたる香もいとをかし。

いみじう暑きころ、夕すずみといふ程の、物のさまなどおぼめかしきに、男車のさきおふはいふべき事にもあらず、ただの人も、後の簾あげて、二人も一人も乘りて、走らせて行くこそ、いと涼しげなれ。まして琵琶ひきならし、笛の音聞ゆるは、過ぎていぬるも 口惜しくさやうなるほどに、牛の鞦の香の、怪しうかぎ知らぬさまなれど、うち嗅がれたるが、をかしきこそ物ぐるほしけれ。いと暗闇なるに、さきにともしたる松の煙の、かの車にかかれるもいとをかし。

五日の菖蒲の、秋冬過ぐるまであるが、いみじう白み枯れて怪しきを、引き折りあげたるに、その折の香殘りて、かがへたるもいみじうをかし。

よくたきしめたる薫物の、昨日、一昨日、今日などはうち忘れたるに、衣を引きかづきたる中に、煙の殘りたるは、今のよりもめでたし。

月のいとあかきに川を渡れば、牛の歩むままに、水晶などのわれたるやうに、水のちりたるこそをかしけれ。

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[233]
おほきにてよきもの

法師。くだもの。家。餌嚢。硯の墨。男の目。あまりほそきは女めきたり、又鋺のやうならんはおそろし。火桶。酸漿。松の木。山吹のはなびら。馬も牛も、よきは大にこ そあンめれ。

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[234]
みじかくてありぬべきもの

とみの物ぬふ糸。燈臺。下種女の髮、うるはしく短くてありぬべし。人の女の聲。

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[235、236、237、238、239]
人の家につき%\しきもの

厨。侍の曹司。箒のあたらしき。懸盤。童女。はしたもの。衝立障子。三尺の几帳。裝束よくしたる餌嚢。からかさ。かきいた。棚厨子。ひさげ。銚子。中盤。圓座。ひぢをりたる廊。竹王繪かきたる火桶。

ものへ行く道に、清げなる男の、竪文のほそやかなる持ちて急ぎ行くこそ、何地ならんとおぼゆれ。又清げなる童女などの、袙いと鮮かにはあらず、萎えばみたる、屐子のつややかなるが、革に土多くついたるをはきて、白き紙に包みたる物、もしは箱の蓋に、草紙どもなど入れて持て行くこそ、いみじう、呼び寄せて見まほしけれ。門ぢかなる所をわたるを、呼び入るるに、愛敬なく答もせで往く者は、つかふらん人こそ推しはからる れ。

行幸はめでたきもの、上達部、公だち車などのなきぞ少しさう%\しき。よろづの事よりも、わびしげなる車に、裝束わろくて物見る人、いともどかし。説經などはいとよし。罪うしなふかたの事なれば。それだに猶あながちなるさまにて、見苦しかるべきを、まして祭などは、見でありぬべし。下簾もなくて、白きひとへうち垂れなどしてあンめりかし。唯その日の料にとて、車も下簾もしたてて、いと口をしうはあらじと出でたるだに、まさる車など見つけては、何しになど覺ゆるものを、ましていかばかりなる心地にて、さて見るらん。おりのぼりありく公達の車の、推し分けて近う立つ時などこそ、心ときめきはすれ。よき所に立てんといそがせば、疾く出でて待つほどいと久しきに、居張り立ちあがりなど、あつく苦しく、まち困ずる程に、齋院の垣下に參りたる殿上人、所の衆、辨、少納言など、七つ八つ引きつづけて、院のかたより走らせてくるこそ、事なりにけりと驚かれて、嬉しけれ。殿上人の物言ひおこせ、所々の御前どもに水飯くは すとて、棧敷のもとに馬ひき寄するに、おぼえある人の子どもなどは、雜色などおりて、馬の口などしてをかし。さらぬものの、見もいれられぬなどぞ、いとほしげなる。御輿の渡らせ給へば、簾もあるかぎり取りおろし、過ぎさせ給ひぬるに、まどひあぐるもをかし。その前に立てる車は、いみじう制するに、などて立つまじきぞと、強ひて立つれば、いひわづらひて、消息などするこそをかしけれ。所もなく立ち重りたるに、よき所の御車、人給ひきつづきて多くくるを、いづくに立たんと見る程に、御前ども唯おりに下りて、立てる車どもを唯のけに退けさせて、人給つづきて立てるこそ、いとめでたけれ。逐ひのけられたるえせ車ども、牛かけて、所あるかたにゆるがしもて行くなど、いとわびしげなり。きら/\しきなどをば、えさしも推しひしがずかし。いと清げなれど、又ひなび怪しく、げすも絶えず呼びよせ、ちご出しすゑなどするもあるぞかし。

廊に便なき人なん、曉に笠ささせて出でけるといひ出でたるを、よく聞けば我がうへなりけり。地下などいひても、めやすく、人に許されぬばかりの人にもあらざンめるを、怪 しの事やと思ふほどに、うへより御文もて來て、「返事只今」と仰せられたり。何事にかと思ひて見れば、大笠の繪をかきて、人は見えず、唯手のかぎり笠をとらへさせて、下に

三笠山やまの端あけしあしたより

とかかせ給へり。猶はかなき事にても、めでたくのみ覺えさせ給ふに、恥しく心づきなき事は、いかで御覽ぜられじと思ふに、さるそらごとなどの出でくるこそ苦しけれと、をかしうて、こと紙に、雨をいみじう降らせて、下に、

雨ならぬ名のふりにけるかな

さてや濡れぎぬには侍らんと啓したれば、右近内侍などにかたらせ給ひて、笑はせ給ひけり。

三條の宮におはしますころ、五日の菖蒲輿など持ちてまゐり。藥玉まゐらせなどわかき人々 御匣殿など、藥玉して、姫宮若宮つけさせ奉りいとをかしき藥玉ほかよりも參 らせたるに、あをさしといふものを人の持てきたるを、青き薄樣を艶なる硯の蓋に敷きて、「これませこしにさふらへば」とてまゐらせたれば、

みな人は花やてふやといそぐ日もわがこころをば君ぞ知りける

と、紙の端を引き破りて、書かせ給へるもいとめでたし。

十月十餘日の月いとあかきに、ありきて物見んとて、女房十五六人ばかり、皆濃き衣をうへに著て、引きかくしつつありし中に、中納言の君の、紅の張りたるを著て、頸より髮をかいこし給へりしかば、「あたらしきぞ」とて、「よくも似たまひしかな。靱負佐」とぞわかき人々はつけたりし。後に立ちて笑ふも知らずかし。

成信の中將こそ、人の聲はいみじうよう聞き知り給ひしか。同じ所の人の聲などは、常に聞かぬ人は、更にえ聞き分かず、殊に男は、人の聲をも手をも、見わき聞きわかぬものを、いみじう密なるも、かしこう聞き分き給ひしこそ。

大藏卿ばかり耳とき人なし。まことに蚊の睫の落つるほども、聞きつけ給ひつべくこそ ありしか。職の御曹司の西おもてに住みしころ、大殿の四位少將と物いふに、側にある人、この少將に、扇の繪の事いへとさざめけば、「今かの君立ち給ひなんにを」と密にいひ入るるを、その人だにえ聞きつけで、「何とか/\」と耳をかたぶくるに、手をうちて、「にくし、さのたまはば今日はたたじ」とのたまふこそ、いかで聞き給ひつらんと、あさましかりしか。

硯きたなげに塵ばみ、墨の片つかたにしどけなくすりひらめかし、勞多きになりたるが、ささしなどしたるこそ心もとなしと覺ゆれ。萬の調度はさるものにて、女は鏡硯こそ心のほど見ゆるなンめれ。おきぐちのはざめに、塵ゐなど打ち捨てたるさま、こよなしかし。男はまして文机清げに押し拭ひて、重ねならずば、ふたつ懸子の硯のいとつきづきしう、蒔繪のさまもわざとならねどをかしうて、墨筆のさまなども、人の目とむばかりしたてたるこそ、をかしけれ。とあれどかかれどおなじ事とて、黒箱の蓋も片方おちたる硯、わづかに墨のゐたる、塵のこの世には拂ひがたげなるに、水うち流して、青 磁の龜の口おちて、首のかぎり穴のほど見えて、人わろきなども、つれなく人の前にさし出づかし。人の硯を引き寄せて、手ならひをも文をも書くに、「その筆な使ひたまひそ」と言はれたらんこそ、いとわびしかるべけれ。うち置かんも人わろし、猶つかふもあやにくなり。さ覺ゆることも知りたれば、人の爲るもいはで見るに、手などよくもあらぬ人の、さすがに物かかまほしうするが、いとよくつかひかためたる筆を、あやしのやうに、水がちにさしぬらして、こはものややりと、假名に細櫃の蓋などに書きちらして、横ざまに投げ置きたれば、水に頭はさし入れてふせるも、にくき事ぞかし。されどさいはんやは。人の前に居たるに「あなくら、奧より給へ」といひたるこそ、又わびしけれ。さしのぞきたるを見つけては、驚きいはれたるも。思ふ人の事にはあらずかし。

めづらしといふべきことにはあらねど、文こそ猶めでたきものなれ。遥なる世界にある人の、いみじくおぼつかなく、いかならんと思ふに、文を見れば、唯今さし向ひたるやうにおぼゆる、いみじきことなりかし。わが思ふ事を書き遣りつれば、あしこまでも行 きつかざらめど、こころゆく心地こそすれ。文といふ事なからましかば、いかにいぶせく、くれふたがる心地せまし。よろづの事思ひ/\て、その人の許へとて こま%\と書きて置きつれば、おぼつかなさをも慰む心地するに、まして返事見つれば、命を延ぶべかンめる、實にことわりにや。

枕草子 清少納言 枕草子 清少納言

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[242]
むまやは

梨原。ひくれの驛。望月の驛。野口の驛。やまの驛、あはれなる事を聞き置きたりしに、又あはれなる事のありしかば、なほ取りあつめてあはれなり。

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岡は

船岡。片岡。靹岡は笹の生ひたるがをかしきなり。かたらひの岡。人見の岡。

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[243]
社は

布留の社。活田の社。龍田の社。はなふちの社。美久理の社。杉の御社、しるしあらんとをかし。任事の明神いとたのもし。さのみ聞きけんとやいはれ給はんと思ふぞいとを かしき。蟻通の明神、貫之が馬のわづらひけるに、この明神のやませ給ふとて、歌よみて奉りけんに、やめ給ひけん、いとをかし。この蟻通とつけたる意は、まことにやあらん、昔おはしましける帝の、唯若き人をのみ思しめして、四十になりぬるをば、失はせ給ひければ、他の國の遠きに往きかくれなどして、更に都のうちにさる者なかりけるに、中將なりける人の、いみじき時の人にて、心なども賢かりけるが、七十ちかき親ふたりをもたりけるが、かう四十をだに制あるに、ましていとおそろしと懼ぢ騒ぐを、いみじう孝ある人にて、遠き所には更に住ませじ、一日に一度見ではえあるまじとて、密による/\家の内の土を掘りて、その内に屋を建てて、それに籠めすゑて、往きつつ見る。おほやけにも人にも、うせ隱れたるよしを知らせてあり。などてか、家にいり居たらん人をば、知らでもおはせかし、うたてありける世にこそ親は上達部などにやありけん、中將など子にてもたりけんは。いと心かしこく、萬の事知りたりければ、この中將若けれど、才あり、いたり賢くして、時の人に思すなりけり。唐土の帝、この國の帝を、いかで謀り て、この國うち取らむとて、常にこころみ、爭事をしておくり給ひけるに、つや/\と、まろに、美しげに削りたる木の二尺ばかりあるを、「これが本末いづかたぞ」と問ひ奉りたるに、すべて知るべきやうなければ、帝思しめし煩ひたるに、いとほしくて、親の許に行きて、かう/\の事なんあるといへば、「只はやからん川に立ちながら、横ざまに投げ入れ見んに、かへりて流れん方を、末と記してつかはせ」と教ふ。參りて我しり顏にして、「こころみ侍らん」とて、人々具して投げ入れたるに、さきにして行くかたに印をつけて遣したれば、實にさなりけり。又二尺ばかりなる蛇の同じやうなるを、「これはいづれか雄雌」とて奉れり。又更に人え知らず。例の中將行きて問へば、「二つをならべて、尾のかたに細きすばえをさしよせんに、尾はたらかさんを雌と知れ」といひければ、やがてそれを内裏のうちにてさ爲ければ、實に一つは動さず、一つは動しけるに、又しるしつけて遣しけり。ほど久しうて、七曲にわだかまりたる玉の中通りて、左右に口あきたるが小さきを奉りて、「これに緒通してたまはらん、この國に皆し侍ることなり」とて奉りたるに、い みじからん物の上手不用ならん。そこらの上達部より始めて、ありとある人知らずといふに、又いきて、かくなんといへば、「大きなる蟻を二つ捕へて、腰に細き糸をつけ、又それに今少しふときをつけて、あなたの口に蜜を塗りて見よ」といひければ、さ申して、蟻を入れたりけるに、蜜の香を嗅ぎて、實にいと疾う穴のあなた口に出でにけり。さてその糸の貫かれたるを遣したりける後になん、なほ日本はかしこかりけりとて、後々はさる事もせざりけり。この中將をいみじき人に思しめして、「何事をし、いかなる位をか賜はるべき」と仰せられければ、「更に官位をも賜はらじ、唯老いたる父母の隱れうせて侍るを尋ねて、都にすますることを許させ給へ」と申しければ、「いみじうやすき事」とて許されにければ、よろづの人の親これを聞きて、よろこぶ事いみじかりけり。中將は大臣までになさせ給ひてなんありける。さてその人の神になりたるにやあらん、この明神の許へ詣でたりける人に、夜現れてのたまひける、

七曲にまがれる玉の緒をぬきてありとほしとも知らずやあるらん

とのたまひけると、人のかたりし。

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[250]
ふるものは

雪。霰。霙はにくけれど、雪の眞白にてまじりたるをかし。雪は檜皮葺いとめでたし。少し消えがたになりたるほど、又いと多うは降らぬが、瓦の目ごとに入りて、黒う眞白に見えたる、いとをかし。時雨。霰は板屋。霜も板屋。庭。

枕草子 清少納言 枕草子 清少納言

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[252]
日は

入日、入りはてぬる山際に、ひかりの猶とまりて、赤う見ゆるに、うす黄ばみたる雲のたなびきたる、いとあはれなり。

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[253]
月は

有明。東の山の端に、ほそうて出づるほどあはれなり。

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[254]
星は

昂星。牽牛。明星。長庚。流星をだになからましかば、まして。

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[255]
雲は

しろき。むらさき。黒き雲あはれなり。風吹くをりの天雲。明け離るるほどの黒き雲の、やうやう白くなりゆくもいとをかし。朝にさる色とかや、文にも作りけり。月のいと明き面に、薄き雲いとあはれなり。

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霧は

川霧。

枕草子 清少納言 枕草子 清少納言

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[256]
さわがしきもの

はしり火。板屋のうへにて、烏の齋の産飯くふ。十八日清水に籠りあひたる。くらうなりて、まだ火もともさぬほどに、外々より人の來集りたる。まして遠き所、他國などより家の主ののぼりたる、いと騒がし。近き程に火出で來ぬといふ、されど燃えは附かざりける。物見はてて車のかへり騒ぐほど。

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ないがしろなるもの

女官どもの髮あげたるすがた。唐繪の革の帶のうしろ。聖僧の擧動。

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[258]
ことばなめげなるもの

宮のめの祭文よむ人。舟こぐものども。雷鳴の陣の舎人。相撲。

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[259]
さかしきもの

今やうの三年子。兒の祈、祓などする女ども。物の具こひ出でて、いのりの物どもつくるに、紙あまたおし重ねて、いと鈍き刀してきるさま、ひとへだに斷つべくも見えぬに、さる物の具となりにければ、おのが口をさへ引きゆがめておし、切目おほかるものどもしてかけ、竹うち切りなどして、いとかう%\しうしたてて、うちふるひ、祈る事どもいとさかし。かつは「何の宮のその殿の若君、いみじうおはせしを、かいのごひたるやうにやめ奉りしかば、禄多く賜はりし事、その人々召したりけれど、しるしもなかりければ、今に女をなん召す。御徳を見ること」など語るもをかし。げすの家の女あるじ。しれたるものそひしもをかし。まことに賢しき人を、をしへなどすべし。

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上達部は

春宮大夫。左右の大將。權大納言。權中納言。宰相中將。三位の中將。東宮權大夫。侍從宰相。

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公達は

頭辨。頭中將。權中將。四位少將。藏人辨。藏人少納言。春宮亮。藏人兵衞佐。

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法師は

律師。内供。

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女は

典侍。掌侍。

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宮仕所は

内。后宮。その御腹の姫君。一品の宮。齋院は罪深けれどをかし。ましてこのころはめでたし。春宮の御母女御。

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[247、248]
身をかへたらん人などはかくやあらんと見ゆるもの

ただの女房にて侍る人の、御乳母になりたる。唐衣も著ず、裳をだに用意なく、白衣にて御前に添ひ臥して、御帳のうちを居所にして、女房どもを呼びつかひ、局に物いひやり、文とりつがせなどしてあるさまよ。言ひ盡すべくだにあらず。雜色の藏人になりたるめでたし。去年の霜月の臨時の祭に御琴もたりし人とも見えず。君達に連れてありくは、いづくなりし人ぞとこそおぼゆれ。外よりなりたるなどは、おなじ事なれどさしもおぼえず。

雪たかう降りて、今もなほふるに、五位も四位も、色うるはしう若やかなるが、袍の色いと清らにて、革の帶のかたつきたるを、宿直すがたにひきはこえて、紫の指貫も、雪に映えて、濃さ勝りたるを著て、袙の紅ならずば、おどろ/\しき山吹を出して、傘をさしたるに、風のいたく吹きて、横ざまに雪を吹きかくれば、少し傾きて歩みくる、深沓半靴などのきはまで、雪のいと白くかかりたるこそをかしけれ。

廊の遣戸 いと疾う押しあけたれば、御湯殿の馬道よりおりてくる殿上人の、萎えたる直衣指貫の、いたくほころびたれば、いろ/\の衣どもの、こぼれ出でたるを、押し入れなどして、北の陣のかたざまに歩み行くに、あきたる遣戸の前を過ぐとて、纓をひきこして、顏にふたぎて過ぎぬるもをかし。

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[260]
ただすぎにすぐるもの

帆をあげたる舟。人のよはひ。春夏秋冬。

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[261]
ことに人にしられぬもの

人の女親の老いたる。凶會日。

五六月の夕かた、青き草を細う麗しくきりて、赤衣著たる子兒の、ちひさき笠を著て、左右にいと多くもちてゆくこそ、すずろにをかしけれ。

賀茂へ詣づる道に、女どもの、新しき折敷のやうなるものを笠にきて、いと多くたてりて、歌をうたひ、起き伏すやうに見えて、唯何すともなく、うしろざまに行くは、いか なるにかあらん、をかしと見る程に、郭公をいとなめくうたふ聲ぞ心憂き。「ほととぎすよ、おれよ、かやつよ、おれなきてぞ、われは田にたつ」とうたふに、聞きも果てずいかなりし人か いたくなきてぞといひけん。「なかだかわらはおひ、いかでおどす人」と。鶯に郭公は劣れるといふ人こそ、いとつらう憎くけれ。鶯は夜なかぬいとわろし。すべて夜なくものはめでたし。兒どもぞはめでたからぬ。

八月晦日がたに、太秦にまうづとて見れば、穗に出でたる田に、人多くてさわぐ。稻刈るなりけり。早苗とりしか、いつの間にとはまこと。實にさいつごろ賀茂に詣づとて見しが、哀にもなりにけるかな。これは女もまじらず、男の片手に、いと赤き稻の、もとは青きを刈りもちて、刀か何にあらん、もとを切るさまのやすげに、めでたき事にいとせまほしく見ゆるや。いかでさすらん、穗をうへにて竝み居る、いとをかしう見ゆ。庵のさまことなり。

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[263]
いみじくきたなきもの

蚰蝓。えせ板敷の箒。殿上のがうし。

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[264]
せめておそろしきもの

夜鳴る神。近き隣に盗人の入りたる。わが住む所に入りたるは、唯物もおぼえねば、何とも知らず。

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[265、266、267、268、269、270、271]
たのもしきもの

心地あしきころ、僧あまたして修法したる、思ふ人の心地あしきころ、眞にたのもしき人の言ひ慰めたのめたる。物おそろしき折の親どものかたはら。

いみじうしたてて壻取りたるに、いとほどなくすまぬ壻の、さるべき所などにて舅に逢ひたる、いとほしとや思ふらん。ある人の、いみじう時に逢ひたる人の壻になりて、一月もはか%\しうも來で止みにしかば、すべていみじう言ひ騒ぎ、乳母などやうの者は、まが/\しき事どもいふもあるに、そのかへる年の正月に藏人になりぬ。「あさましうかかるなからひに、いかでとこそ人は思ひたンめれ」など言ひあつかふは聞くらんか し。

六月に、人の八講し給ひし所に、人々集りて聞くに、この藏人になれる壻の、綾のうへの袴、蘇芳襲、黒半臂などいみじう鮮かにて、忘れにし人の車のとみのをに、半臂の緒ひきかけつばかりにて居たりしを、いかに見るらんと、車の人々も、知りたる限はいとほしがりしを、他人どもも、「つれなく居たりしものかな」など後にもいひき。なほ男は物のいとほしさ、人の思はんことは知らぬなンめり。

世の中に猶いと心憂きものは、人ににくまれんことこそあるべけれ。誰てふ物ぐるひか、われ人にさおもはれんとは思はん。されど自然に、宮づかへ所にも、親はらからの中にても、思はるるおもはれぬがあるぞ、いとわびしきや。よき人の御事は更なり、げすなどのほども、親などのかなしうする子は、目だち見たてられて、いたはしうこそおぼゆれ。見るかひあるはことわり、いかが思はざらんと覺ゆ。ことなることなきは、又これをかなしと思ふらんは、親なればぞかしとあはれなり。親にも君にも、すべてうち かたらふ人にも人に思はれんばかりめでたき事はあらじ。

男こそ猶いとありがたく、怪しき心地したるものはあれ。いと清げなる人をすてて、にくげなる人をもたるもあやしかし。おほやけ所に入りたちする男、家の子などは、あるが中に、よからんをこそは選りて思は給はめ。及ぶまじからん際をだに、めでたしと思はんを、死ぬばかりも思ひかくれかし。人のむすめ、まだ見ぬ人などをも、よしと聞くをこそは、いかでとも思ふなれ。かつ女の目にも、わろしと思ふをおもふは、いかなる事にかあらん。かたちいとよく、心もをかしき人の、手もよう書き、歌をもあはれに詠みておこせなどするを、返事はさかしらにうちするものから、寄りつかず、らうたげにうち泣きて居たるを、見捨てて往きなどするは、あさましうおほやけはらだちて、眷屬の心地も心憂く見ゆべけれど、身のうへにては、つゆ心ぐるしきを思ひ知らぬよ。よろづの事よりも、情ある事は、男はさらなり、女もこそめでたく覺ゆれ。なげの詞なれど、せちに心にふかく入らねど、いとほしき事をいとほしとも、あはれなるをば實にいかに 思ふらんなどいひけるを傳へて聞きたるは、さし向ひていふよりもうれし。いかでこの人に、思ひ知りけりとも見えにしがなと、常にこそおぼゆれ。必思ふべき人、訪ふべき人は、さるべきことなれば、取りわかれしもせず。さもあるまじき人のさし答をも、心易くしたるは嬉しきわざなり。いと易き事なれど、更にえあらぬ事ぞかし。大かた心よき人の、實にかどなからぬは、男も女もありがたきことなンめり。又さる人も多かるべし。

人のうへいふを、腹立つ人こそ、いとわりなけれ。いかでかはあらん、我身をさし置きて、さばかりもどかしく、いはまほしきものやはある。されどけしからぬやうにもあり。又おのづから聞きつきて恨もぞする、あいなし。また思ひ放つまじきあたりは、いとほしなど思ひ解けば、念じていはぬをや。さだになくば、うち出で笑ひもしつべし。

人の顏に、とりわきてよしと見ゆる所は、度ごとに見れども、あなをかし、珍しとこそ覺ゆれ。繪など數多たび見れば、目もたたずかし。近う立てる屏風の繪などは、いとめ でたけれども見もやられず。人の貌はをかしうこそあれ。にくげなる調度の中にも、一つよき所のまもらるるよ。みにくきもさこそはあらめと思ふこそわびしけれ。

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[276、277、278]
うれしきもの

まだ見ぬ物語の多かる。又一つを見て、いみじうゆかしう覺ゆる物語の、二つ見つけたる。心おとりするやうもありかし。人のやり捨てたる文を見るに、同じつづき數多見つけたる。いかならんと夢を見て、恐しと胸つぶるるに、ことにもあらず合せなどしたる、いとうれし。よき人の御前に、人々數多侍ふ折に、昔ありける事にもあれ、今聞しめし、世にいひける事にもあれ、かたらせ給ふを、われに御覽じ合せてのたまはせ、いひきかせ給へる、いとうれし。遠き所は更なり、おなじ都の内ながら、身にやんごとなく思ふ人の惱むを聞きて、いかに/\と覺束なく歎くに、おこたりたる消息得たるもうれし。思ふ人の、人にも譽められ、やんごとなき人などの、口をしからぬものに思しのたまふものの折、もしは人と言ひかはしたる歌の聞えてほめられ、うちききなどに譽め らるる、みづからのうへには、まだ知らぬ事なれど、猶思ひやらるるよ。いたううち解けたらぬ人のいひたる古き事の知らぬを、聞き出でたるもうれし。後に物の中などにて、見つけたるはをかしう、唯これにこそありけれと、かのいひたりし人ぞをかしき。檀紙、白き色紙、ただのも、白う清きは得たるもうれし。恥しき人の、歌の本末問ひたるに、ふとおぼえたる、われながらうれし。常にはおぼゆる事も、又人の問ふには、清く忘れて止みぬる折ぞ多かる。頓に物もとむるに、見出でたる。只今見るべき文などを、もとめ失ひて、萬の物をかへす%\見たるに、捜し出でたる、いとうれし。物あはせ、何くれと挑むことに勝ちたる、いかでか嬉しからざらん。又いみじうわれはと思ひて、したりがほなる人はかり得たる。女どちよりも、男はまさりてうれし。これがたうは必せんずらんと、常に心づかひせらるるもをかしきに、いとつれなく、何とも思ひたらぬやうにて、たゆめ過すもをかし。にくき者のあしきめ見るも、罪は得らんと思ひながらうれし。指櫛むすばせて、をかしげなるも又うれし。思ふ人は、我身よりも勝りてうれし。御 前に人々所もなく居たるに、今のぼりたれば、少し遠き柱のもとなどに居たるを、御覽じつけて、「こち來」と仰せられたれば、道あけて、近く召し入れたるこそ嬉しけれ。御前に人々あまた、物仰せらるる序などにも、「世の中のはらだたしう、むつかしう、片時あるべき心地もせで、いづちも/\行きうせなばやと思ふに、ただの紙のいと白う清らなる、よき筆、白き色紙、檀紙など得つれば、かくても暫時ありぬべかりけりとなん覺え侍る。また高麗縁の疊の筵、青うこまかに、縁の紋あざやかに、黒う白う見えたる、引き廣げて見れば、何か猶さらに、この世はえおもひはなつまじと、命さへ惜しくなんなる」と申せば、「いみじくはかなき事も慰むなるかな。姥捨山の月は、いかなる人の見るにか」と笑はせ給ふ。さぶらふ人も、「いみじくやすき息災のいのりかな」といふ。さて後にほど經て、すずろなる事を思ひて、里にあるころ、めでたき紙を二十つつみに裹みて賜はせたり。仰事には、「疾く參れ」などのたまはせて、「これは聞しめし置きたる事ありしかばなん。わろかンめれば、壽命經もえ書くまじげにこそ」と仰せられたる、い とをかし。無下に思ひ忘れたりつることを、思しおかせ給へりけるは、猶ただ人にてだにをかし、ましておろかならぬ事にぞあるや。心も亂れて、啓すべきかたもなければ、ただ、

かけまくもかしこきかみのしるしには鶴のよはひになりぬべきかな

あまりにやと啓せさせ給へとてまゐらせつ。臺盤所の雜仕ぞ、御使には來たる。青き單衣などぞ取らせて。まことにこの紙を、草紙に作りてもてさわぐに、むつかしき事も紛るる心地して、をかしう心のうちもおぼゆ。二月ばかりありて、赤衣著たる男の、疊を持て來て「これ」といふ。「あれは誰そ、あらはなり」など物はしたなういへば、さし置きて往ぬ。「いづこよりぞ」と問はすれば、「まかりにけり」とて取り入れたれば、殊更に御座といふ疊のさまにて、高麗などいと清らなり。心の中にはさにやあらんと思へど、猶おぼつかなきに、人ども出しもとめさすれど、うせにけり。怪しがり笑へど、使のなければいふかひなし。所たがへなどならば、おのづからも又いひに來なん。宮のほとりに案内 しに參らせまほしけれど、なほ誰すずろにさるわざはせん、仰事なめりといみじうをかし。二日ばかり音もせねば、うたがひもなく、左京の君の許に、「かかる事なんある。さる事やけしき見給ひし。忍びて有樣のたまひて、さる事見えずば、かく申したりとも、な漏し給ひそ」と言ひ遣りたるに、「いみじうかくさせ給ひし事なり。ゆめ/\まろが聞えたるとなく、後にも」とあれば、さればよと、思ひしもしるく、をかしくて、文かきて、又密に御前の高欄におかせしものは、惑ひしほどに、やがてかきおとして、御階のもとにおちにけり。

關白殿、二月十日のほどに、法興院の積善寺といふ御堂にて、一切經供養せさせ給ふ。女院、宮の御前もおはしますべければ、二月朔日のほどに、二條の宮へ入らせ給ふ。夜更けてねぶたくなりにしかば、何事も見入れず。翌朝、日のうららかにさし出でたる程に起きたれば、いと白うあたらしうをかしげに作りたるに、御簾より始めて、昨日かけたるなンめり。御しつらひ、獅子狛犬など、いつのほどにや入り居けんとぞをかしき。 櫻の一丈ばかりにて、いみじう咲きたるやうにて、御階のもとにあれば、いと疾う咲きたるかな、梅こそ只今盛なンめれと見ゆるは、作りたるなンめり。すべて花のにほひなど、咲きたるに劣らず、いかにうるさかりけん。雨降らば、萎みなんかしと見るぞ口惜しき。小家などいふ物の多かりける所を、今作らせ給へれば、木立などの見所あるは、いまだなし。ただ宮のさまぞ、けぢかくをかしげなる。殿渡らせ給へり。青鈍の堅紋の御指貫、櫻の直衣に、紅の御衣三つばかり、唯直衣にかさねてぞ奉りたる。御前より初めて、紅梅の濃きうすき織物、堅紋、立紋など、あるかぎり著たれば、唯ひかり滿ちて、唐衣は萌黄、柳、紅梅などもあり。御前に居させ給ひて、物など聞えさせ給ふ。御答のあらまほしさを、里人に僅にのぞかせばやと見奉る。女房どもを御覽じ渡して、「宮に何事を思しめすらん。ここらめでたき人々を竝べすゑて御覽ずるこそ、いと羨しけれ。一人わろき人なしや、これ家々の女ぞかし。あはれなり。よくかへりみてこそさぶらはせ給はめ。さてもこの宮の御心をば、いかに知り奉りて集り參り給へるぞ。いかにいやしく物惜 しみせさせ給ふ宮とて、われは生れさせ給ひしよりいみじう仕うまつれど、まだおろしの御衣一つ給はぬぞ。何かしりうごとには聞えん」などの給ふがをかしきに、みな人々笑ひぬ。「まことぞ、をこなりとてかく笑ひいまするが恥し」などの給はする程に、内裏より御使にて、式部丞某まゐれり。御文は、大納言殿取り給ひて、殿に奉らせ給へば、ひき解きて、「いとゆかしき文かな。ゆるされ侍らばあけて見侍らん」との給はすれば怪しうとおぼいたンめり。「辱くもあり」とて奉らせ給へば、取らせ給ひても、ひろげさせ給ふやうにもあらず、もてなさせ給ふ、御用意などぞありがたき。すみのまより、女房茵さし出でて、三四人御几帳のもとに居たり。「あなたにまかりて、禄の事ものし侍らん」とてたたせ給ひぬる後に、御文御覽ず。御返しは紅梅の紙に書かせ給ふが、御衣のおなじ色ににほひたる、猶斯うしも推し量り參らする人はなくやあらんとぞ口をしき。今日は殊更にとて、殿の御かたより禄は出させ給ふ。女の裝束に、紅梅の細長そへたり。肴などあれば、醉はさまほしけれど、「今日はいみじき事の行幸に、あが君許させ給へ」と大 納言殿にも申して立ちぬ。君達などいみじう假粧し給ひて、紅梅の御衣も劣らじと著給へるに、三の御前は御匣殿なり。中の姫君よりも大に見え給ひて、うへなど聞えんにぞよかンめる。うへも渡らせ給へり。御几帳ひき寄せて、新しく參りたる人々には見え給はねば、いぶせき心地す。さし集ひて、かの日の裝束、扇などの事をいひ合するもあり。又挑みかはして、「まろは何か、唯あらんにまかせてを」などいひて、「例の君」などにくまる。夜さりまかンづる人も多かり。かかる事にまかンづれば、え止めさせ給はず。うへ日々に渡り、夜もおはします。君達などおはすれば、御前人少なく候はねばいとよし。内裏の御使日々に參る。御前の櫻、色はまさらで、日などにあたりて、萎みわるうなるだにわびしきに、雨の夜降りたる翌朝、いみじうむとくなり。いと疾く起きて、「泣きて別れん顏に、心おとりこそすれ」といふを聞かせ給ひて、「げに雨のけはひしつるぞかし、いかならん」とて驚かせ給ふに、殿の御方より侍の者ども、下種など來て、數多花のもとに唯よりによりて、引き倒し取りて、「密に往きて、まだ暗からんに取れとこそ仰せられつ れ、明け過ぎにけり、不便なるわざかな、疾く/\」と倒し取るに、いとをかしくて、いはばいはなんと、兼澄が事を思ひたるにやとも、よき人ならばいはまほしけれど、「かの花盗む人は誰ぞ、あしかンめり」といへば、笑ひて、いとど逃げて引きもていぬ。なほ殿の御心はをかしうおはすかし。莖どもにぬれまろがれつきて、いかに見るかひなからましと見て入りぬ。掃殿寮まゐりて御格子まゐり、主殿の女官御きよめまゐりはてて、起きさせ給へるに、花のなければ、「あなあさまし。かの花はいづちいにける」と仰せらる。「あかつき盗人ありといふなりつるは、なほ枝などを少し折るにやとこそ聞きつれがしつるぞ。見つや」と仰せらる。「さも侍らず。いまだ暗くて、よくも見侍らざりつるを、しろみたるものの侍れば、花を折るにやと、うしろめたさに申し侍りつる」と申す。「さりともかくはいかでか取らん。殿の隱させ給へるなンめり」とて笑はせ給へば、「いで、よも侍らじ。春風の爲て侍りなん」と啓するを、「かくいはんとて隱すなりけり。ぬすみにはあらで、ふりにこそふるなりつれ」と仰せらるるも、珍しき事ならねど、いみじうめ でたき。殿おはしませば、寐くたれの朝顏も、時ならずや御覽ぜんと引き入らる。おはしますままに、「かの花うせにけるは、いかにかくは盗ませしぞ、いぎたなかりける女房たちかな。知らざりけるよ」と驚かせ給へば、「されど我よりさきにとこそ思ひて侍るめりつれ」と忍びやかにいふを、いと疾く聞きつけさせ給ひて、「さ思ひつる事ぞ、世に他人いでて見つけじ、宰相とそことの程ならんと推し量りつ」とて、いみじう笑はせ給ふ。「さりげなるものを、少納言は春風におほせける」と宮の御前にうちゑませ給へる、めでたし。「虚言をおほせ侍るなり。今は山田も作るらん」とうち誦ぜさせ給へるも、いとなまめきをかし。「さてもねたく見つけられにけるかな。さばかり誡めつるものを、人の所に、かかるしれもののあるこそ」との給はす。「春風はそらにいとをかしうも言ふかな」と誦ぜさせ給ふ。「ただことには、うるさく思ひよりて侍りつかし。今朝のさまいかに侍らまし」とて笑はせ給ふを小若君「されどそれはいと疾く見て、雨にぬれたりなど、おもてぶせなりといひ侍りつ」と申し給へばいみじうねたからせ給ふもをかし。さ て八日九日の程にまかンづるを、「今少し近うなして」など仰せらるれど、出でぬ。いみじう常よりものどかに照りたる晝つかた、「花のこころ開けたりや、いかがいふ」との給はせたれば、「秋はまだしく侍れど、よにこの度なんのぼる心地し侍る」など聞えさせつ。出させ給ひし夜、車の次第もなく、まづ/\とのり騒ぐがにくければ、さるべき人三人と、「猶この車に乘るさまのいとさわがしく、祭のかへさなどのやうに、倒れぬべく惑ふいと見ぐるし。たださはれ、乘るべき車なくてえ參らずば、おのづから聞しめしつけて賜はせてん」など笑ひ合ひて立てる前より、押し凝りて、惑ひ乘り果てて出でて、「かうか」といふに、「まだここに」と答ふれば、宮司寄り來て、「誰々かおはする」と問ひ聞きて、「いと怪しかりけることかな。今は皆乘りぬらんとこそ思ひつれ。こはなどてかくは後れさせ給へる。今は得選を乘せんとしつるに。めづらかなるや」など驚きて寄せさすれば、「さばまづその御志ありつらん人を乘せ給ひて、次にも」といふ聲聞きつけて「けしからず腹ぎたなくおはしけり」などいへば、乘りぬ。その次には、誠にみづしが車 にあれば、火もいと暗きを、笑ひて、二條の宮に參りつきたり。御輿は疾く入らせ給ひて、皆しつらひ居させ給ひけり。「ここに呼べ」と仰せられければ、左京、小左近などいふ若き人々、參る人ごとに見れど、なかりけり。おるるに隨ひ、四人づつ御前に參り集ひて侍ふに、「いかなるぞ」と仰せられけるも知らず、ある限おりはててぞ、辛うじて見つけられて、「かばかり仰せらるるには、などかくおそく」とて率ゐて參るに、見れば、いつの間に、かうは年ごろの住居のさまに、おはしましつきたるにかとをかし。「いかなれば、かう何かと尋ぬばかりは見えざりつるぞ」と仰せらるるに、とかくも申さねば、諸共に乘りたる人、「いとわりなし。さいはての車に侍らん人は、いかでか疾くは參り侍らん。これもほと/\え乘るまじく侍りつるを、みづしがいとほしがりて、ゆづり侍りつるなり。暗う侍りつる事こそ、わびしう侍りつれ」と笑ふ/\啓するに、「行事するもののいとあやしきなり。又などかは心知らざらん者こそつつまめ、右衞門などはいへかしなど仰せらる。「されどいかでか走りさきだち侍らん」などいふも、かたへの人、にく しと聞くらんと聞ゆ。「さまあしうて、かく乘りたらんもかしこかるべき事かは。定めたらんさまの、やんごとなからんこそよからめ」とものしげに思し召したり。「おり侍るほどの待遠に、苦しきによりてにや」とぞ申しなほす。

御經のことに、明日渡らせおはしまさんとて、今宵參りたり。南院の北面にさしのぞきたれば、たかつきどもに火をともして、二人三人四人、さるべきどち、屏風引き隔てつるもあり、几帳中にへだてたるもあり。又さらでも集ひ居て、衣ども閉ぢ重ね、裳の腰さし、假粧ずるさまは、更にもいはず、髮なンどいふものは、明日より後はありがたげにぞ見ゆる。「寅の時になん渡らせ給ふべかなる。などか今まで參り給はざりつる。扇もたせて、尋ね聞ゆる人ありつ」など告ぐ。「まて、實に寅の時か」とさうぞき立ちてあるに、明け過ぎ、日もさし出でぬ。西の對の唐廂になん、さし寄せて乘るべきとて、あるかぎり渡殿へ行く程に、まだうひ/\しきほどなる今參どもは、いとつつましげなるに、西の對に殿すませ給へば、宮にもそこにおはしまして、まづ女房車に乘せさせ給ふを御覽 ずとて、御簾の中に、宮、淑景舎、三四の君、殿のうへ、その御弟三所、立ち竝みておはします。車の左右に、大納言、三位中將二所して、簾うちあげ、下簾ひきあげて乘せ給ふ。皆うち群れてだにあらば、隱れ所やあらん。四人づつ書立に隨ひて、それ/\と呼び立てて、乘せられ奉り、歩み行く心地、いみじう實にあさましう、顯證なりとも世の常なり。御簾のうちに、そこらの御目どもの中に、宮の御前の見ぐるしと御覽ぜんは、更にわびしき事かぎりなし。身より汗のあゆれば、繕ひ立てたる髮などもあがりやすらんと覺ゆ。辛うじて過ぎたれば、車のもとに、いみじう恥しげに、清げなる御さまどもして、うち笑みて見給ふも現ならず。されど倒れず、そこまでは往き著きぬるこそ、かしこき顏もなきかと覺ゆれど、皆乘りはてぬれば、引き出でて、二條の大路に榻立てて、物見車のやうにて立ち竝べたる、いとをかし。人もさ見るらんかしと、心ときめきせらる。四位五位六位など、いみじう多う出で入り、車のもとに來て、つくろひ物いひなどす。まづ院の御むかへに、殿を始め奉りて、殿上と地下と皆參りぬ。それ渡らせ給ひて 後、宮は出させ給ふべしとあれば、いと心もとなしと思ふほどに、日さしあがりてぞおはします。御車ごめに十五、四つは尼の車、一の御車は唐の車なり。それに續きて尼の車、後口より水精の珠數、薄墨の袈裟衣などいみじくて、簾はあげず。下簾も薄色の裾少し濃き。次にただの女房の十、櫻の唐衣、薄色の裳、紅をおしわたし、かとりの表著ども、いみじうなまめかし。日はいとうららかなれど、空は淺緑に霞み渡るに、女房の裝束の匂ひあひて、いみじき織物のいろ/\の唐衣などよりも、なまめかしう、をかしき事限なし。關白殿、その御次の殿ばら、おはする限もてかしづき奉らせ給ふ、いみじうめでたし。これら見奉り騒ぐ、この車どもの二十立ち竝べたるも、又をかしと見ゆらんかし。いつしか出でさせ給はばなど、待ち聞えさするに、いと久し。いかならんと心もとなく思ふに、辛うじて、采女八人馬に乘せて引き出づめり。青末濃の裳、裙帶、領巾などの風に吹きやられたる、いとをかし。豐前といふ采女は、典藥頭重正が知る人なり。葡萄染の織物の指貫を著たれば、いと心ことなり。「重正は色許されにけり」と山の 井の大納言は笑ひ給ひて、皆乘り續きて立てるに、今ぞ御輿出でさせ給ふ。めでたしと見え奉りつる御有樣に、これは比ぶべからざりけり。朝日はな%\とさしあがる程に、木の葉のいと花やかに輝きて、御輿の帷子の色艶などさへぞいみじき。御綱はりて出でさせ給ふ。御輿の帷子のうちゆるぎたるほど、實に頭の毛など、人のいふは更に虚言ならず。さて後に髮あしからん人もかこちつべし。あさましう、いつくしう、猶いかでかかる御前に馴れ仕うまつらんと、わが身もかしこうぞ覺ゆる。御輿過ぎさせ給ふほど、車の榻ども、人給にかきおろしたりつる、また牛どもかけて、御輿の後につづきたる心地の、めでたう興あるありさま、いふかたなし。おはしましつきたれば、大門のもとに高麗唐土の樂して、獅子狛犬をどり舞ひ、笙の音、鼓の聲に物もおぼえず。こはいづくの佛の御國などに來にけるにかあらんと、空に響きのぼるやうにおぼゆ。内に入りぬれば、いろ/\の錦のあげばりに、御簾いと青くてかけ渡し、屏幔など引きたるほど、なべてただにこの世とおぼえず。御棧敷にさし寄せたれば、又この殿ばら立ち給ひて、「疾くお りよ」との給ふ。乘りつる所だにありつるを、今少しあかう顯證なるに、大納言殿、いともの/\しく清げにて、御下襲のしりいと長く所せげにて、簾うちあげて、「はや」とのたまふ。つくろひそへたる髮も、唐衣の中にてふくだみ、あやしうなりたらん。色の黒さ赤ささへ見わかれぬべき程なるが、いとわびしければ、ふとも得降りず。「まづ後なるこそは」などいふほども、それも同じこころにや、「退かせ給へ、かたじけなし」などいふ。「恥ぢ給ふかな」と笑ひて、立ちかへり、辛うじておりぬれば、寄りおはして、「むねたかなどに見せで、隱しておろせと、宮の仰せらるれば來たるに、思ひぐまなき」とて、引きおろして率て參り給ふ。さ聞えさせ給ひつらんと思ふもかたじけなし。參りたれば、初おりける人どもの、物の見えぬべき端に、八人ばかり出で居にけり。一尺と二尺ばかりの高さの長押のうへにおはします。ここに立ち隱して、「率て參りたり」と申し給へば、「いづら」とて几帳のこなたに出でさせ給へり。まだ唐の御衣裳奉りながらおはしますぞいみじき。紅の御衣よろしからんや、中に唐綾の柳の御衣、葡萄染の五重の御衣に、赤 色の唐の御衣、地摺の唐の羅に、象眼重ねたる御裳など奉りたり。織物の色、更になべて似るべきやうなし。「我をばいかが見る」と仰せらる。「いみじうなん候ひつる」なども、言に出でてはよのつねにのみこそ。「久しうやありつる。それは殿の大夫の、院の御供にきて、人に見えぬる、おなじ下襲ながら、宮の御供にあらん、わろしと人思ひなんとて、殊に下襲ぬはせ給ひけるほどに、遲きなりけり。いとすき給へり」などとうち笑はせ給へる、いとあきらかに晴れたる所は、今少しけざやかにめでたう、御額あげさせ給へる釵子に、御分目の御髮の聊よりて、著く見えさせ給ふなどさへぞ、聞えんかたなき。三尺の御几帳一雙をさしちがへて、こなたの隔にはして、その後には、疊一枚を、長ざまに縁をして、長押の上に敷きて、中納言の君といふは、殿の御伯父の兵衞督忠君と聞えけるが御女、宰相の君とは、富小路の左大臣の御孫、それ二人ぞうへに居て見え給ふ。御覽じわたして、「宰相はあなたに居て、うへ人どもの居たる所、往きて見よ」と仰せらるるに、心得て、「ここに三人いとよく見侍りぬべし」と申せば、「さば」とて召し上げさせ 給へば、しもに居たる人々、「殿上許さるる内舎人なンめりと笑はせんと思へるか」といへば、「うまさへのほどぞ」などいへば、そこに入り居て見るは、いとおもだたし。かかる事などをみづからいふは、ふきがたりにもあり、また君の御ためにも輕々しう、かばかりの人をさへ思しけんなど、おのづから物しり、世の中もどきなどする人は、あいなく畏き御事にかかりて、かたじけなけれど、あな辱き事などは、又いかがは。誠に身の程過ぎたる事もありぬべし。院の御棧敷、所々の棧敷ども見渡したる、めでたし。殿はまづ院の御棧敷に參り給ひて、暫時ありてここに參り給へり。大納言二所、三位中將は陣近う參りけるままにて、調度を負ひて、いとつき%\しうをかしうておはす。殿上人、四位五位、こちたううち連れて、御供に侍ひ竝み居たり。入らせ給ひて見奉らせ給ふに、女房あるかぎり、裳、唐衣、御匣殿まで著給へり。殿のうへは、裳のうへに小袿をぞ著給へる。「繪に書きたるやうなる御さまどもかな。今いらい今日はと申し給ひそ。三四の君の御裳ぬがせ給へ。この中の主君には、御前こそおはしませ。御棧敷の前に陣をすゑさ せ給へるは、おぼろけのことか」とてうち泣かせ給ふ。實にと、見る人も涙ぐましきに、赤色櫻の五重の唐衣を著たるを御覽じて、「法服ひとくだり足らざりつるを、俄にまとひしつるに、これをこそかり申すべかりけれ。さらばもし又、さやうの物を切り調めたるに」との給はするに、又笑ひぬ。大納言殿少し退き居給へるが、聞き給ひて、「清僧都のにやあらん」との給ふ。一言としてをかしからぬ事ぞなきや。僧都の君、赤色の羅の御衣、紫の袈裟、いと薄き色の御衣ども、指貫著たまひて、菩薩の御樣にて、女房にまじりありき給ふもいとをかし。「僧綱の中に、威儀具足してもおはしまさで、見ぐるしう女房の中に」など笑ふ。父の大納言殿、御前より松君率て奉る。葡萄染の織物の直衣、濃き綾のうちたる、紅梅の織物など著給へり。例の四位五位いと多かり。御棧敷に女房の中に入れ奉る。何事のあやまりにか、泣きののしり給ふさへいとはえ%\し。事始りて、一切經を、蓮の花のあかきに、一花づつに入れて、僧俗、上達部、殿上人、地下六位、何くれまでもて渡る、いみじうたふとし。大行道導師まゐり、囘向しばし待ちて舞などす る、日ぐらし見るに、目もたゆく苦しう。うちの御使に、五位の藏人まゐりたり。御棧敷の前に胡床立てて居たるなど、實にぞ猶めでたき。夜さりつかた、式部丞則理まゐりたり。「やがて夜さり入らせ給ふべし。御供に侍へと、宣旨侍りつ」とて歸りも參らず。宮は「なほ歸りて後に」との給はすれども、また藏人の辨まゐりて、殿にも御消息あれば、唯「仰のまま」とて、入らせ給ひなどす。院の御棧敷より、千賀の鹽竈などのやうの御消息、をかしき物など持て參り通ひたるなどもめでたし。事はてて院還らせ給ふ。院司上達部など、このたびはかたへぞ仕う奉り給ひける。宮は内裏へ入らせ給ひぬるも知らず、女房の從者どもは、「二條の宮にぞおはしまさん」とて、そこに皆往き居て、待てど/\見えぬ程に、夜いたう更けぬ。内裏には宿直物持て來らんと待つに、きよく見えず。あざやかなる衣の、身にもつかぬを著て、寒きままに、にくみ腹立てどかひなし。翌朝きたるを、「いかにかく心なきぞ」などいへば、となふる如もさ言はれたり。又の日雨降りたるを、殿は「これになん、わが宿世は見え侍りぬる。いかが御覽ずる」と聞えさせ給ふ。御 心おちゐ理なり。

枕草子 清少納言 枕草子 清少納言

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[279]
たふときもの

九條錫杖。念佛の囘向。

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[280]
歌は

杉たてる門。神樂歌もをかし。今樣はながくてくせづきたる。風俗よくうたひたる。

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[281]
指貫は

紫の濃き。萌黄。夏は二藍。いと暑き頃、夏蟲の色したるもすずしげなり

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[282]
狩衣は

香染のうすき。白きふくさの赤色。松の葉いろしたる。青葉。さくら。やなぎ。又あをき。ふぢ。男は何色のきぬも。

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[283]
ひとへは

白き。ひの裝束の紅のひとへ。袙などかりそめに著たるはよし。されどなほ色きばみた る單など著たるは、いと心づきなし。練色のきぬも著たれど、なほ單は白うてぞ、男も女もよろづの事まさりてこそ。

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わろきものは

詞の文字あやしくつかひたるこそあれ。ただ文字一つに、あやしくも、あてにも、いやしくもなるは、いかなるにかあらん。さるはかう思ふ人、萬の事に勝れてもえあらじかし。いづれを善き惡しきとは知るにかあらん。さりとも人を知らじ、唯さうち覺ゆるもいふめり。難義の事をいひて、「その事させんとす」といはんといふを、と文字をうしなひて、唯「いはんずる」「里へ出でんずる」などいへば、やがていとわろし。まして文を書きては、いふべきにもあらず。物語こそあしう書きなどすれば、いひがひなく、作者さへいとほしけれ。「なほす」「定本のまま」など書きつけたる、いと口惜し。「祕點つくるまに」などいふ人もありき。「もとむ」といふ事を「見ん」と皆いふめり。いと怪しき事を、男などは、わざとつくろはで、殊更にいふはあしからず。わが詞にもてつけていふが、心 おとりする事なり。

枕草子 清少納言 枕草子 清少納言

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[284]
下襲は

冬は躑躅、掻練襲、蘇枋襲。夏は二藍、白襲。

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[285]
扇の骨は

青色はあかき、むらさきはみどり。

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[286]
檜扇は

無紋。から繪。

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[287]
神は

松尾。八幡、この國の帝にておはしましけんこそいとめでたけれ。行幸などに、なぎの花の御輿に奉るなど、いとめでたし。大原野。賀茂は更なり。稻荷。春日いとめでたく覺えさせ給ふ。佐保殿などいふ名さへをかし。平野はいたづらなる屋ありしを、「ここは何する所ぞ」と問ひしかば、「神輿宿」といひしもめでたし。嚴籬に蔦などの多くかかり て、紅葉のいろ/\ありし、秋にはあへずと、貫之が歌おもひ出でられて、つく%\と久しうたたれたりし。水分神いとをかし。

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[288]
崎は

唐崎。いかが崎。三保が崎。

枕草子 清少納言 枕草子 清少納言

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[289、290、291、292、293、294]
屋は

丸屋。四阿屋。

時奏するいみじうをかし。いみじう寒きに、夜中ばかりなどに、こほ/\とごほめき、沓すり來て、弦うちなどして、「何家の某、時丑三つ、子四つ」など、あてはかなる聲にいひて、時の 杭さす音などいみじうをかし。子九つ、丑八つなどこそ、さとびたる人はいへ、すべて何も/\、四つのみぞ 杭はさしける。

日のうら/\とある晝つかた、いたう夜ふけて、子の時など思ひ參らするほどに、男ども召したるこそ、いみじうをかしけれ。夜中ばかりに、また御笛の聞えたる、いみじう めでたし。

成信の中將は、入道兵部卿の宮の御子にて、かたちいとをかしげに、心ばへもいとをかしうおはす。伊豫守兼輔がむすめの忘られて、伊豫へ親のくだりしほど、いかに哀なりけんとこそ覺えしか。あかつきに往くとて、今宵おはしまして、有明の月に歸り給ひけん直衣すがたなどこそ。そのかみ常に居て、ものがたりし、人のうへなど、わろきは「わろし」などの給ひしに。物忌などくすしうするものの、名を姓にて持たる人のあるが、ことびとの子になりて、平などいへど、唯もとの姓を、若きひと%\言種にて笑ふ。ありさまも異なることなし。兵部とて、をかしき方などもかたきが、さすがに人などにさしまじり心などのあるは、御前わたりに「見苦し」など仰せらるれど、腹ぎたなく知り告ぐる人もなし。一條の院つくられたる一間のところには、つらき人をば更に寄せず。東の御門につと向ひて、をかしき小廂に、式部のおもと諸共に、夜も晝もあれば、うへも常に物御覽じに出でさせ給ふ。「今宵は皆内に寐ん」とて南の廂に二人臥しぬる後に、いみじ う叩く人のあるに、「うるさし」などいひ合せて、寐たるやうにてあれば、猶いみじうかしかましう呼ぶを、「あれおこせ、虚寐ならん」と仰せられければ、この兵部來て起せど、寐たるさまなれば、「更に起き給はざりけり」といひに往きたるが、やがて居つきて物いふなり。しばしかとおもふに、夜いたう更けぬ。權中將にこそあンなれ。「こは何事をかうはいふ」とてただ密に笑ふも、いかでか知らん。あかつきまでいひ明して歸りぬ。「この君いとゆゆしかりけり。更におはせんに物いはじ。何事をさは言ひあかすぞ」など笑ふに、遣戸をあけて女は入りぬ。翌朝例の廂に物いふを聞けば、「雨のいみじう降る日きたる人なん、いとあはれなる。日ごろおぼつかなうつらき事ありとも、さて濡れて來らば、憂き事も皆忘れぬべし」とはなどていふにかあらんを。昨夜も昨日の夜も、それがあなたの夜も、すべてこのごろは、うちしきり見ゆる人の、今宵もいみじからん雨にさはらで來らんは、一夜も隔てじと思ふなンめりと、あはれなるべし。さて日ごろも見えず、おぼつかなくて過さん人の、かかる折にしも來んをば、更にまた志あるにはえせじとこそ思 へ。人の心々なればにやあらん、物見しり、思ひ知りたる女の、心ありと見ゆるなどをばかたらひて、數多いく所もあり、もとよりのよすがなどもあれば、繁うしもえ來ぬを、猶さるいみじかりし折に來りし事など、人にも語りつがせ、身をほめられんと思ふ人のしわざにや。それも無下に志なからんには、何しにかは、さも作事しても見えんとも思はん。されど雨の降る時は、唯むつかしう、今朝まではれ%\しかりつる空とも覺えずにくくて、いみじき廊のめでたき所ともおぼえず。ましていとさらぬ家などは、疾く降り止みねかしとこそ覺ゆれ。月のあかきに來らん人はしも、十日二十日一月、もしは一年にても、まして七八年になりても、思ひ出でたらんは、いみじうをかしと覺えて、え逢ふまじうわりなきところ、人目つつむべきやうありとも、かならず立ちながらも、ものいひて返し、又とまるべからんをば留めなどしつべし。月のあかき見るばかり、遠く物思ひやられ、過ぎにし事、憂かりしも、嬉しかりしも、をかしと覺えしも、只今のやうに覺ゆる折やはある。こまのの物語は、何ばかりをかしき事もなく、詞もふるめき、見物多 からねど、月に昔を思ひ出でて、むしばみたる蝙蝠とり出でて、もと見し駒にといひて立てる、いとあはれなり。雨は心もとなきものと思ひしみたればにや、片時降るもいとにくくぞある。やんごとなき事、おもしろかるべき事、尊くめでたかるべき事も、雨だに降ればいふかひなく口惜しきに、何かその濡れてかこちたらんがめでたからん。實に交野少將もどきたる落窪少將などはをかし。それも昨夜一昨日の夜も、ありしかばこそをかしけれ。足洗ひたるぞ、にくくきたなかりけん。さらでは何か、風などの吹く、荒荒しき夜きたるは、たのもしくをかしうもありなん。雪こそいとめでたけれ。忘れめやなどひとりごちて、忍びたることは更なり。いとさあらぬ所も、直衣などは更にもいはず、狩衣、袍、藏人の青色などの、いとひややかに濡れたらんは、いみじうをかしかるべし。緑衫なりとも、雪にだに濡れなばにくかるまじ。昔の藏人は、夜など人の許などに、ただ青色を著て、雨にぬれても、しぼりなどしけるとか。今は晝だに著ざンめり。ただ緑衫をのみこそ、うちかづきたンめれ。衞府などの著たるは、ましていとをかしかり しものを、かく聞きて、雨にありかぬ人やはあらんずらん。月のいとあかき夜、紅の紙のいみじう赤きに、唯「あらず」とも書きたるを、廂にさし入れたるを、月にあてて見しこそをかしかりしか。雨降らん折はさはありなんや。

常に文おこする人の、「何かは今はいふかひなし。今は」などいひて、又の日音もせねば、さすがにあけたてば、文の見えぬこそさう%\しけれと思ひて、「さてもきは%\しかりける心かな」などいひて暮しつ。又の日、雨いたう降る晝まで音もせねば、「無下に思ひ絶えにけり」などいひて、端のかたに居たる夕暮に、笠さしたる童の持てきたるを、常よりも疾くあけて見れば、「水ます雨の」とある、いと多くよみ出しつる歌どもよりはをかし。ただ朝はさしもあらず、さえつる空の、いと暗うかき曇りて、雪のかきくらし降るに、いと心ぼそく、見出すほどもなく、白く積りて、猶いみじう降るに、隨身だちて細やかに美美しき男の、傘さして、側の方なる家の戸より入りて、文をさし入れたるこそをかしけれ。いと白き檀紙、白き色紙のむすべたる、うへにひきわたしける墨の、ふと氷りに ければ、すそ薄になりたるを開けたれば、いと細く卷きて、結びたる卷目は、こま%\とくぼみたるに、墨のいと黒う薄く、くだりせばに、裏表書きみだりたるを、うち返し久しう見るこそ、何事ならんと、よそにて見やりたるもをかしけれ。まいてうちほほゑむ所はいとゆかしけれど、遠う居たるは、黒き文字などばかりぞ、さなンめりと覺ゆるかし。額髮ながやかに、おもやうよき人の、暗きほどに文を得て、火ともす程も心もとなきにや。火桶の火を挾みあげて、たど/\しげに見居たるこそをかしけれ。
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[295、296、297、298、299、300、301、302、303]
きら/\しきもの

大將の御さきおひたる。孔雀經の御讀經。御修法は五大尊。藏人式部丞。白馬の日、大路ねりたる。御齋會、左右衞門佐摺衣やりたる。季の御讀經。熾盛光の御修法。神のいたく鳴るをりに、雷鳴の陣こそいみじうおそろしけれ。左右大將、中少將などの、御格子のつらに侍ひ給ふ、いとをかしげなり。はてぬるをり、大將の仰せて、のぼりおりとの給ふらん。坤元録の御屏風こそ、をかしう覺ゆる名なれ。漢書の御屏風は、雄々しくぞ 聞えたる。月次の御屏風もをかし。

方違などして夜ふかくかへる、寒きこといとわりなく、 おとがひなども皆おちぬべきを、辛うじて來つきて、火桶引き寄せたるに、火の大きにて、つゆ黒みたる所なくめでたきを、こまかなる灰の中よりおこし出でたるこそ、いみじう嬉しけれ。物などいひて、火の消ゆらんも知らず居たるに、こと人の來て、炭入れておこすこそいとにくけれ。されどめぐりに置きて、中に火をあらせたるはよし。皆火を外ざまにかき遣りて、炭を重ね置きたるいただきに、火ども置きたるがいとむつかし。

雪いと高く降りたるを、例ならず御格子まゐらせて、炭櫃に火起して、物語などして集り侍ふに、「少納言よ、香爐峯の雪はいかならん」と仰せられければ、御格子あげさせて、御簾高く卷き上げたれば、笑はせたまふ。人々も「皆さる事は知り、歌などにさへうたへど、思ひこそよらざりつれ。なほこの宮の人には、さるべきなめり」といふ。

陰陽師の許なる童こそ、いみじう物は知りたれ。祓など爲に出でたれば、祭文など讀む 事、人はなほこそ聞け。そと立ちはしりて、白き水いかけさせよともいはぬに、爲ありくさまの、例知り、いささか主に物いはせぬこそ羨しけれ。さらん人もがな、つかはんとこそ覺ゆれ。

三月ばかり物忌しにとて、かりそめなる人の家にいきたれば、木どもなどはか%\しからぬ中に、柳といひて、例のやうになまめかしくはあらで、葉廣う見えてにくげなるを、「あらぬものなンめり」といへば、「かかるもあり」などいふに、

さかしらに柳のまゆのひろごりて春のおもてをふする宿かな

とこそ見えしか。そのころ又おなじ物忌しに、さやうの所に出でたるに、二日といふ晝つかた、いとど徒然まさりて、只今も參りぬべき心地する程にしも、仰事あれば、いとうれしくて見る。淺緑の紙に、宰相の君いとをかしく書き給へり。

いかにしてすぎにしかたを過しけん暮しわづらふ昨日けふ哉

となん。わたくしには、「今日しも千年の心地するを、曉だに疾く」とあり。この君のの 給はんだにをかしかるべきを、まして仰事のさまには、おろかならぬ心地すれど、啓せん事とはおぼえぬこそ。

雲のうへにくらしかねけるはるの日を所がらともながめつる哉

私には、「今宵の程も、少將にやなり侍らんずらん」とて、曉に參りたれば、「昨日の返し、暮しかねけるこそいとにくし。いみじうそしりき」と仰せらるる、いとわびしう誠にさることも。

清水に籠りたる頃、茅蜩のいみじう鳴くをあはれと聞くに、わざと御使しての給はせたりし。唐の紙の赤みたるに、

山ちかき入相の鐘のこゑごとに戀ふるこころのかずは知るらん

ものを、こよなのながゐやと書かせ給へる。紙などのなめげならぬも取り忘れたるたびにて、紫なる蓮の花びらに書きてまゐらする。

十二月二十四日、宮の御佛名の初夜の御導師聞きて出づる人は、夜半も過ぎぬらんか し。里へも出で、もしは忍びたる所へも、夜のほど出づるにもあれ、合ひ乘りたる道の程こそをかしけれ。日ごろ降りつる雪の、今朝はやみて、風などのいたう吹きつれば、垂氷のいみじうしだり、土などこそむら/\黒きなれ、屋のうへは唯おしなべて白きに、あやしき賤の屋もおもがくして、有明の月のくまなきに、いみじうをかし。かねなどおしへぎたるやうなるに、水晶の莖などいはまほしきやうにて、長く短く、殊更かけ渡したると見えて、いふにもあまりてめでたき垂氷に、下簾も懸けぬ車の簾を、いと高く上げたるは、奧までさし入りたる月に、薄色、紅梅、しろきなど、七つ八つばかり著たるうへに、濃き衣のいとあざやかなる艶など、月に映えて、をかしう見ゆる傍に、葡萄染の堅紋の指貫、白き衣どもあまた、山吹、紅など著こぼして、直衣のいと白き引きときたれば、ぬぎ垂れられて、いみじうこぼれ出でたり。指貫の片つかたは、軾の外にふみ出されたるなど、道に人の逢ひたらば、をかしと見つべし。月影のはしたなさに、後ざまへすべり入りたるを、引き寄せあらはになされて笑ふもをかし。凛々として氷鋪けりといふ 詩を、かへす%\誦じておはするは、いみじうをかしうて、夜一夜もありかまほしきに、往く所の近くなるもくちをし。

宮仕する人々の出で集りて、君々の御事めで聞え、宮の内外のはしの事ども、互に語り合せたるを、おのが君々、その家あるじにて聞くこそをかしけれ。

家廣く清げにて、親族は更なり、唯うちかたらひなどする人には、宮づかへ人、片つ方にすゑてこそあらまほしけれ。さるべき折は、一所に集りゐて物語し、人の詠みたる歌、何くれと語りあはせ、人の文など持てくる、もろともに見、返事かき、また睦しうくる人もあるは、清げにうちしつらひて入れ、雨など降りてえ歸らぬも、をかしうもてなし、參らん折はその事見入れて、思はんさまにして出し立てなどせばや。よき人のおはします御有樣など、いとゆかしきぞ、けしからぬ心にやあらん。

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[304]
見ならひするもの

欠伸。兒ども。なまけしからぬえせもの。

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[305、306、307、308、309、310、311、313、314、315、316、317]
うちとくまじきもの

あしと人にいはるる人。さるはよしと知られたるよりは、うらなくぞ見ゆる。船の路。日のうららかなるに、海の面のいみじうのどかに、淺緑のうちたるを引き渡したるやうに見えて、聊恐しき氣色もなき若き女の、袙ばかり著たる、侍の者の若やかなる諸共に、櫓といふものを押して、歌をいみじううたひたる、いとをかしう、やんごとなき人にも見せ奉らまほしう思ひいくに、風いたう吹き、海のおもてのただ荒れにあしうなるに、物もおぼえず、泊るべき所に漕ぎつくるほど、船に浪のかけたるさまなどは、さばかり和かりつる海とも見えずかし。思へば船に乘りてありく人ばかり、ゆゆしきものこそなけれ。よろしき深さにてだに、さまはかなき物に乘りて、漕ぎ往くべき物にぞあらぬや。ましてそこひも知らず、千尋などもあらんに、物いと積み入れたれば、水際はただ一尺ばかりだになきに、下種どもの、聊恐しとも思ひたらず、走りありき、つゆ荒くもせば沈みやせんと思ふに、大なる松の木などの、二三尺ばかりにてまろなるを、五つ六つほ うほうと投げ入れなどするこそいみじけれ。蓬 かたといふ物にぞおはす。されど奧なるはいささかたのもし。端に立てる者どもこそ、目くるる心地すれ。早緒つけて、のどかにすげたる物の弱けさよ。絶えなば何にかはならん、ふと落ち入りなんを、それだにいみじう太くなどもあらず。わが乘りたるはきよげに、帽額のすきかげ、妻戸格子あげなどして、されどひとしう重げになどもあらねば、ただ家の小きにてあり。他船見やるこそいみじけれ。遠きはまことに笹の葉を作りて、うち散したるやうにぞいと能く似たる。泊りたる所にて、船ごとに火ともしたる、をかしう見ゆ。遊艇とつけて、いみじう小きに乘りて漕ぎありく早朝など、いとあはれなり、あとのしら浪は、誠にこそ消えてもゆけ。よろしき人は、乘りてありくまじき事とこそ猶おぼゆれ。陸路も又いとおそろし。されどそれは、いかにも/\地につきたれば、いとたのもしと思ふに、蜑のかづきしたるは憂きわざなり。腰につきたる物絶えなば、いかがせんとなん。男だにせば、さてもありぬべきを、女はおぼろげの心ならじ。男は乘りて、歌なンどうちうたひて、この栲繩を海にう けありく、いと危く、うしろべたくはあらぬにや、蜑ものぼらんとては、その繩をなん引く。取り惑ひ繰り入るるさまぞ、理なるや。船のはたを抑へて、放ちたる息などこそ、まことに唯見る人だにしほたるるに、落し入れて漂ひありく男は、目もあやにあさまし。更に人の思ひかくべきわざにもあらぬことにこそあめれ。

右衞門尉なる者の えせ親をもたりて、人の見るにおもてぶせなど、見ぐるしう思ひけるが、伊豫國よりのぼるとて、海に落し入れてけるを、人の心うがり、あさましがりけるほどに、七月十五日、盆を奉るとていそぐを見給ひて、道命阿闍梨、

わたつ海に親をおし入れてこの主のぼんする見るぞあはれなりける

とよみ給ひけるこそ、いとほしけれ。

又小野殿の母うへこそは、普門寺といふ所に八講しけるを聞きて、又の日小野殿に人々集りて、あそびし、文つくりけるに、

薪こることはきのふにつきにしを今日はをののえここにくたさん

と詠み給ひけんこそめでたけれ。ここもとは打聞になりぬるなめり。

また業平が母の宮の、いよ/\見まくとの給へる、いみじうあはれにをかし。引きあけて見たりけんこそ思ひやらるれ。

をかしと思ひし歌などを、草紙に書きておきたるに、下種のうち歌ひたるこそ心憂けれ。よみにもよむかし。

よろしき男を、下種女などの譽めて、「いみじうなつかしうこそおはすれ」などいへば、やがて思ひおとされぬべし。そしらるるはなか/\よし。下種にほめらるるは女だにわろし。また譽むるままにいひそこなひつるものをば。

大納言殿まゐり給ひて、文の事など奏し給ふに、例の夜いたう更けぬれば、御前なる人人、一二人づつうせて、御屏風几帳の後などに、みな隱れふしぬれば、唯一人になりて、ねぶたきを念じてさぶらふに、丑四つと奏するなり。「明け侍りぬなり」とひとりごつに、大納言殿、「今更におほとのごもりおはしますよ」とて、寢べきものにも思したらぬを、う たて何しにさ申しつらんと思へども、又人のあらばこそはまぎれもせめ。うへの御前の柱に寄りかかりて、少し眠らせ給へるを、「かれ見奉り給へ、今は明けぬるに、かくおほとのごもるべき事かは」と申させ給ふ。「實に」など宮の御前にも笑ひ申させ給ふも知らせ給はぬほどに、長女が童の、鷄を捕へて持ちて、明日里へ往かんといひて隱し置きたりけるが、いかがしけん、犬の見つけて追ひければ、廊の先に逃げ往きて、恐しう泣きののしるに、みな人起きなどしぬなり。うへもうち驚かせおはしまして、「いかにありつるぞ」と尋させ給ふに、大納言殿の、聲明王の眠を驚すといふ詩を、高ううち出し給へる、めでたうをかしきに、一人ねぶたかりつる目も大になりぬ。「いみじき折の事かな」と宮も興ぜさせ給ふ。なほかかる事こそめでたけれ。又の日は、夜の御殿に入らせ給ひぬ。夜半ばかりに、廊へ出でて人呼べば、「おるるか、われ送らん」との給へば、裳唐衣は屏風にうち懸けていくに、月のいみじう明くて、直衣のいと白う見ゆるに、指貫の半ふみくくまれて、袖をひかへて、「たふるな」といひて率ておはするままに、「遊子なほ殘 の月に行けば」と誦じ給へる、又いみじうめでたし。「かやうの事めで惑ふ」とて笑ひ給へど、いかでか、猶いとをかしきものをば。僧都の君の御乳母のままと、御匣殿の御局に居たれば、男ある板敷のもと近く寄り來て、「辛いめを見候ひつる。誰にかはうれへ申し候はんとてなん」と泣きぬばかりの氣色にていふ。「何事ぞ」と問へば、「あからさまに物へまかりたりし間に、きたなぐ侍る所の燒けはべりにしかば、日ごろは寄居蟲のやうに、人の家に尻をさし入れてなん侍ふ。厩寮の御秣積みて侍りける家よりなん、出でまうで來て侍るなり。ただ垣を隔てて侍れば、よどのに寢て侍りける童もほと/\燒け侍りぬべくなん、いささか物もとうで侍らず」などいひ居る。御匣殿も聞き給ひて、いみじう笑ひ給ふ。

みまくさをもやすばかりの春のひによどのさへなど殘らざるらん

と書きて、「これを取らせ給へ」とて投げ遣れば、笑ひののしりて、「このおはする人の、家の燒けたりとていとほしがりて給ふめる」とて取らせたれば、「何の御短策にか侍らん、物 いくらばかりにか」といへば、「まづよめかし」といふ。「いかでか、片目もあき仕うまつらでは」といへば、「人にも見せよ、只今召せば、頓にてうへへ參るぞ。さばかりめでたき物を得ては、何をか思ふ」とて皆笑ひ惑ひてのぼりぬれば、「人にや見せつらん。里にいきて、いかに腹立たん」など、御前に參りて、ままの啓すれば、また笑ひさわぐ。御前にも、「などかく物ぐるほしからん」とて笑はせ給ふ。

男は女親なくなりて、親ひとりある、いみじく思へども、わづらはしき北の方の出で來て後は、内にも入れられず、裝束などの事は、乳母、また故上の人どもなどしてせさす。西東の對のほどに、客人にもいとをかしう、屏風障子の繪も見所ありてすまひたり。殿上のまじらひのほど、口惜しからず、人々も思ひたり。うへにも御氣色よくて、常に召しつつ 御あそびなどのかたきには、思しめしたるに、なほ常に物なげかしう、世のなか心にあはぬ心地して、すき%\しき心ぞ、かたはなるまであるべき。上達部のまたなきに、もてかしづかれたる妹一人あるばかりにぞ、思ふ事をもうちかたらひ、慰め所なり ける。「定澄僧都に袿なし、すいせい君に袙なし」といひけん人もこそをかしけれ。「まことや、下野にくだる」といひける人に、

おもひだにかからぬ山のさせも草たれかいぶきの里は告げしぞ

ある女房の、遠江守の子なる人をかたらひてあるが、おなじ宮人をかたらふと聞きて恨みければ、「親などもかけて誓はせ給ふ。いみじき虚言なり、夢にだに見ずとなんいふ。いかがいふべき」といふと聞きて、

誓へきみ遠つあふみのかみかけてむげに濱名のはし見ざりきや

「便なき所にて人に物をいひけるに、胸のいみじうはしりける、などかくはある」といひける答に、

逢坂はむねのみつねにはしり井のみつくる人やあらんと思へば

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[一本六]
女のうはぎは

薄色。葡萄染。萌黄。さくら。紅梅。すべて薄色の類。

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[一本七]
唐衣は

あかいろ。ふぢ。夏はふたあゐ。秋は枯野。

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[一本八]
裳は

大海。しびら。

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[一本九]
汗衫は

春は躑躅、櫻。夏は青朽葉、朽葉。

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[一本十]
織物は

むらさき。しろき。萌黄に柏葉織りたる。紅梅もよけれども、なほ見ざめこよなし。

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[一本十一]
紋は

あふひ。かたばみ。

夏うすもの、片つ方のゆだけ著たる人こそにくけれど、數多かさね著たれば、ひかれて著にくし。綿など厚きは、胸などもきれて、いと見ぐるし。まぜて著るべき物にはあら ず。なほ昔より、さまよく著たるこそよけれ。左右のゆだけなるはよし。それもなほ女房の裝束にては、所せかンめり。男の數多かさぬるも、片つかた重くぞあらんかし 清らなる裝束の、織物、うすものなど、今は皆さこそあンめれ。今樣に又さまよき人の著給はん、いと便なきものぞかし。かたちよき公達の、彈正にておはする、いと見ぐるし。宮の中將などの口惜しかりしかな。

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[188]
やまひは

胸。物怪。脚氣。唯そこはかとなく物食はぬ。十八九ばかりの人の、髮いと麗しくて、たけばかりすそふさやかなるが、いとよく肥えて、いみじう色しろう、顏あいぎやうづき、よしと見ゆるが、齒をいみじく病みまどひて、額髮もしとどに泣きぬらし、髮の亂れかかるも知らず、面赤くて抑へ居たるこそをかしけれ。八月ばかり、白き單衣、なよらかなる袴よきほどにて、紫苑の衣の、いとあざやかなるを引きかけて、胸いみじう病めば、友だちの女房たちなどかはる%\來つつ、「いといとほしきわざかな、例もかくや惱み給ふ」 など、事なしびに問ふ人もあり。心かけたる人は、誠にいみじと思ひ歎き、人知れぬ中などは、まして人目思ひて、寄るにも近くもえ寄らず、思ひ歎きたるこそをかしけれ。いと麗しく長き髮を引きゆひて、物つくとて起きあがりたる氣色も、いと心苦しくらうたげなり。うへにも聞し召して、御讀經の僧の聲よき給はせたれば、訪人どももあまた見來て、經聞きなどするもかくれなきに、目をくばりつつ讀み居たるこそ、罪や得らんとおぼゆれ。

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こころづきなきもの

物へゆき、寺へも詣づる日の雨。使ふ人の我をばおぼさず、「某こそ只今の人」などいふをほの聞きたる。人よりはなほ少しにくしと思ふ人の、推量事うちし、すずろなる物恨し、我かしこげなる。心あしき人の養ひたる子、さるはそれが罪にはあらねど、かかる人にしもと覺ゆる故にやあらん。「數多あるが中に、この君をば思ひおとし給ひてや、にくまれ給ふよ」などあららかにいふ。兒は思ひも知らぬにやあらん、もとめて泣き惑 ふ、心づきなきなめり。おとなになりても、思ひ後見もて騒ぐほどに、なか/\なる事こそおほかンめれ。わびしくにくき人に思ふ人の、はしたなくいへど、添ひつきてねんごろがる。いささか心あしなどいへば、常よりも近く臥して、物くはせ、いとほしがり、その事となく思ひたるに、まつはれ追從し、とりもちて惑ふ。宮仕人の許に來などする男の、そこにて物くふこそいとわろけれ。くはする人もいとにくし。思はん人の、「まづ」など志ありていはんを、忌みたるやうに口をふたぎて、顏を持てのくべきにもあらねば、くひ居るにこそあらめ。いみじう醉ひなどして、わりなく夜更けて泊りたりとも更にゆづけだにくはせじ。心もなかりけりとて來ずばさてなん。さとにて、北面よりし出してはいかがせん。それだに猶ぞある。初瀬に詣でて局に居たるに、あやしき下種どもの、後さしまぜつつ、居竝みたるけしきこそ、ないがしろなれ。いみじき心を起して詣でたるに、川の音などの恐しきに、榑階をのぼり困じて、いつしか佛の御顏を拜み奉らんと、局に急ぎ入りたるに、蓑蟲のやうなるものの、あやしき衣著たるが、いとにくき 立居額づきたるは、押し倒しつべき心地こそすれ。いとやんごとなき人の局ばかりこそ、前はらひあれ、よろしき人は、制しわづらひぬかし。たのもし人の師を呼びていはすれば、「足下ども少し去れ」などいふ程こそあれ、歩み出でぬれば、おなじやうになりぬ。

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[一本二十三、一本二十四]
いひにくきもの

人の消息、仰事などの多かるを、序のままに、初より奧までいといひにくし。返事また申しにくし。恥しき人の物おこせたるかへりごと。おとなになりたる子の、思はずなること聞きつけたる、前にてはいといひにくし。

四位五位は冬、六位は夏。宿直すがたなども、品こそ男も女もあらまほしきことなンめれ。家の君にてあるにも、誰かはよしあしを定むる。それだに物見知りたる使人ゆきて、おのづからいふべかめり。ましてまじらひする人はいとこよなし。猫の土におりたるやうにて。工匠の物くふこそいと怪しけれ。新殿を建てて、東の對だちたる屋を作るとて、工 匠ども居竝みて物くふを、東面に出で居て見れば、まづ持てくるや遲きと、汁物取りて皆飮みて、土器はついすゑつつ、次にあはせを皆くひつれば、おものは不用なンめりと見るほどに、やがてこそ失せにしか。二三人居たりし者、皆させしかば、工匠のさるなめりと思ふなり。あなもたいなの事どもや。

物語をもせよ、昔物語もせよ、さかしらに答うちして、こと人どものいひまぎらはす人いと憎し。

ある所に、中の君とかやいひける人の許に、君達にはあらねども、その心いたくすきたる者にいはれ、心ばせなどある人の、九月ばかりに往きて、有明の月のいみじう照りておもしろきに、名殘思ひ出でられんと、言の葉を盡していへるに、今はいぬらんと遠く見送るほどに、えもいはず艶なる程なり。出づるやうに見せて立ち歸り、立蔀あいたる陰のかたに添ひ立ちて、猶ゆきやらぬさまもいひ知らせんと思ふに、「有明の月のありつつも」とうちいひて、さしのぞきたるかみの頭にも寄りこず、五寸ばかりさがりて、火 ともしたるやうなる月の光、催されて驚かさるる心地しければ、やをら立ち出でにけりとこそかたりしか。

女房のまゐりまかンでするには、車を借る折もあるに、こころよそひしたる顏にうちいひて貸したるに、牛飼童の、例の牛よりもしもざまにうちいひて、いたう走り打つも、あなうたてと覺ゆかし。男どもなどの、物むづかしげなる氣色にて、「いかで夜更けぬさきに、追ひて歸りなん」といふは、なほ主の心おしはかられて、頓の事なりと、又いひ觸れんとも覺えず。業遠朝臣の車のみや、夜中あかつきわかず人の乘るに、聊さる事なかりけん、よくぞ教へ習はせたりしか。道に逢ひたりける女車の、深き所におとし入れて、え引き上げで、牛飼のはらだちければ、わが從者してうたせさへしければ、まして心のままに、誡めおきたるに見えたり。

すき%\しくて獨住する人の、夜はいづらにありつらん、曉に歸りて、やがて起きたる、まだねぶたげなる氣色なれど、硯とり寄せ、墨こまやかに押し磨りて、事なしびに任せ てなどはあらず、心とどめて書く。まひろげ姿をかしう見ゆ。白き衣どものうへに、山吹紅などをぞ著たる。白き單衣のいたく萎みたるを、うちまもりつつ書き立てて、前なる人にも取らせず、わざとたちて、小舎人童のつき%\しきを、身近く呼び寄せて、うちささめきて、往ぬる後も久しく詠めて、經のさるべき所々など、忍びやかに口ずさびに爲居たり。奧のかたに、御手水、粥などしてそそのかせば、歩み入りて、文机に押しかかりて文をぞ見る。おもしろかりける所々は、うち誦じたるもいとをかし。手洗ひて、直衣ばかりうち著て、禄をぞそらに讀む。實にいとたふとき程に、近き所なるべし、ありつる使うちけしきばめば、ふと讀みさして、返事に心入るるこそいとほしけれ。

清げなるわかき人の、直衣も袍も狩衣も、いとよくて、きぬがちに、袖口あつく見えたるが、馬に乘りて往くままに、供なるをのこ、たて文を、目をそらにて取りたるこそをかしけれ。

前の木だち高う庭廣き家の、東南の格子どもあげ渡したれば、涼しげに透きて見ゆる に、母屋に四尺の几帳立てて、前に圓座をおきて、三十餘ばかりの僧の、いとにくげならぬが、薄墨の衣、羅の袈裟など、いとあざやかにうちさうぞきて、香染の扇うちつかひ、千手陀羅尼讀み居たり。物怪にいたうなやむ人にや、うつすべき人とて、おほきやかなる童の、髮など麗しき、生絹の單、あざやかなる袴長く著なして、ゐざり出でて、横ざまに立てたる三尺の几帳の前に居たれば、外ざまにひねり向きて、いとほそう、にほやかなる獨鈷を取らせて、ををと目うち塞ぎて讀む陀羅尼も、いとたふとし。顯證の女房あまた居て、集ひまもらへたり。久しくあらでふるひ出でぬれば、もとの心失ひて、行ふままに隨ひ給へる護法も、げにたふとし。兄の袿きたる、細冠者どもなどの、後に居て團扇するもあり。皆たふとがりて集りたるも、例の心ならば、いかに恥しと惑はん。みづからは苦しからぬ事と知りながら、いみじうわび歎きたるさまの心苦しさを、附人の知人などは、らうたく覺えて、几帳のもと近く居て、衣ひきつくろひなどする程に、よろしとて、御湯など北面に取り次ぐほどをも、わかき人々は心もとなし。盤も引きさげ ながらいそいでくるや。單など清げに、薄色の裳など萎えかかりてはあらず、いと清げなり。申の時にぞ、いみじうことわりいはせなどして許しつ。「几帳の内にとこそ思ひつれ、あさましうも出でにけるかな。いかなる事ありつらん」と恥しがりて、髮を振りかけてすべり入りぬれば、しばしとどめて、加持少しして、「いかに、さわやかになり給へりや」とてうち笑みたるも恥しげなり。「しばし侍ふべきを、時のほどにもなり侍りぬべければ」とまかり申して出づるを、「しばし、ほうちはうたう參らせん」などとどむるを、いみじう急げば、所につけたる上臈とおぼしき人、簾のもとにゐざり出でて、「いと嬉しく立ちよらせ給へりつるしるしに、いと堪へがたく思ひ給へられつるを、只今おこたるやうに侍れば、かへす%\悦び聞えさする。明日も御暇の隙には、物せさせ給へ」などいひつつ。「いとしうねき御物怪に侍るめるを、たゆませ給はざらんなんよく侍るべき。よろしく物せさせ給ふなるをなん、悦び申し侍る」と、詞ずくなにて出づるは、いと尊きに、佛のあらはれ給へるとこそ覺ゆれ。

清げなる童の髮ながき。また大やかなるが、髯生ひたれど、思はずに髮うるはしき 又したたかに、むくつけげなるなど多くて、いとなげにて、ここかしこに、やんごとなきおぼえあるこそ、法師もあらまほしきわざなンめれ。親などいかに嬉しからんとこそ、おしはからるれ。

枕草子 清少納言 枕草子 清少納言

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[109、319]
見ぐるしきもの

衣の背縫かたよせて著たる人。又のけくびしたる人。下簾穢げなる上達部の御車。例ならぬ人の前に子を率ていきたる。袴著たる童の足駄はきたる、それは今樣のものなり。つぼ裝束したる者の、急ぎて歩みたる。法師、陰陽師の、紙冠して祓したる。また色黒う、痩せ、にくげなる女のかづらしたる。髯がちにやせ/\なる男と晝寢したる、何の見るかひに臥したるにかあらん。夜などはかたちも見えず 又おしなべてさる事となりにたれば、我にくげなりとて、起き居るべきにもあらずかし。翌朝疾く起き往ぬる、めやすし。夏晝寐して起きたる、いとよき人こそ今少しをかしけれ。えせかたちはつやめき 寐はれて、ようせずば、頬ゆがみもしつべし。互に見かはしたらん程の、いけるかひなさよ。色黒き人の、生絹單著たる、いと見ぐるしかし。のしひとへも同じくすきたれど、それはかたはにも見えず。ほその通りたればにやあらん。

ものくらうなりて、文字もかかれずなりたり。筆も使ひはてて、これを書きはてばや。この草紙は、目に見え、心に思ふ事を、人やは見んずると思ひて、徒然なる里居のほどに、書き集めたるを、あいなく、人のため便なきいひ過しなどしつべき所々もあれば、きようかくしたりと思ふを、涙せきあへずこそなりにけれ。宮の御前に、内大臣の奉り給へりけるを、「これに何を書かまし。うへの御前には、史記といふ文を書かせ給へる」などの給はせしを、「枕にこそはし侍らめ」と申ししかば、「さば得よ」とて賜はせたりしを、あやしきを、こよや何やと、つきせずおほかる紙の數を、書きつくさんとせしに、いと物おぼえぬことぞおほかるや。大かたこれは世の中にをかしき事を、人のめでたしなど思ふべき事、なほ選り出でて、歌などをも、木、草、鳥、蟲をもいひ出したらばこそ、思ふほどよりはわろし、心見えなりともそしられめ。ただ心ひとつに、おのづから思ふことを、たはぶれに書きつけたれば、物に立ちまじり、人なみ/\なるべき耳をも聞くべきものかはと思ひしに、はづかしきなども、見る人はの給ふなれば、いとあやしくぞあるや。實にそれもことわり、人の憎むをもよしといひ、譽むるをもあしといふは、心の程こそおしはからるれ。ただ人に見えけんぞねたきや。


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