言挙げせぬ国のフィジカとメタフィジカ
     
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 言挙げせぬ国のフィジカとメタフィジカ 


  - わたくしたちの空間と時間について -

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 遥かな先史より、わたくしたちには大陸でいう空間や時間は欠落している。時間や文法など普遍化された概念やそこではたらく論理法則は、すべて抽象座標軸を前提とした大陸思考からの借物である。代って昔も今もわたくしたちの物のみかたには或る共通の基本軸が存在する。それは「つらぬく棒のごときもの」としか喩えようがなく、抽象をきらい普遍化できない特徴をもっている。ここでは、この地軸がてらし出すサダマリを言と物の双方にわたり事例をあげて検証した。
 いま、この基本軸にそって歴史的パラダイムシフトが起きかけている。それは単に、科学・政治・経済上のことだけではない。近代の基準にしてきた大陸の普遍的思想から、わたくしたちの内なるものの見方や感じ方への枠組みそのものの見直しである。そこで「物」や「言」との古くてあたらしい関係が結び直されようとしている。これまで漢字文化を受容して以来、直訳大陸文化から仮名、真名併用という現代文字文化につながった「言」をめぐる文字文化変遷が第一回目の直訳大陸文化からの内的パラダイムシフトであったとすれば、今次二回目は現代美術や舞踏といったごくありふれた日常の創作現場からはじまった「物」をめぐるパラダイムシフトである。それは、欧米抽象思考による物質化された対象物と、わたくしたちの「物」への感受性とのハザマで美術家や舞踏家の不連続感が臨界を迎へたことによる。今回の「物」をめぐり列島独自の時空間の枠組みに直に触れようとするこのムーブメントは、近代主義の超克といったレベルにとどまらず、311を機に、従来思考の基底からの問い直しも含め、遥か無文字時代の心性の核にまでシフトし得る可能性がある。

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はじめに

 ここで論じる「物と物質 - 或る思考実験」とは、表題をみるかぎり、哲学か、物理学のようであり、内容も重いものではないかと敬遠されそうである。しかし、ほんとうのところは、そんな理屈ばったものではなく、現代人ならだれでもふと感じてしまう「絵や彫刻やダンス」の意味とは、それはまた「短歌や俳句、詩」をつくることとはどこか違うのだろうか。そしてその根底にある「ことば」とか「もの」とはいったいなになのか。そんな単純素朴な疑問から発した自問自答にちかい推論である。しかし、一+一=二の意味とその証明には少々回り道した定義立てと方程式が必要なように、あまりに単純なところが難しく、そんな説明に手間取っているうちに少々ヘビーなものになってしまった。ともかく「この列島で表現するとはいったいどういう意味をもっているのだろうか。哥座(うたくら)冒頭で掲げたように、もしもほんとうに、わたくしたちが、いまもって大陸でいうところの時間や空間、そして主観とか客観とか、そうした基本的で普遍的な概念が成立する自立的座標系をもっていないのだとしたら、理性や悟性にもとづくとされてきた学問の系譜や感性を媒介にした主体としてのわたくしたちの表現活動はどうやって可能となってくるのか。しかし、古来より優れた和歌や立派な物語、水墨画、庭園芸術、能狂言の伝統もあるではないか。現在も造形芸術や舞台芸術、短歌や現代小説や国際的に高く評価される文芸・芸術の和洋両面にわたる表現活動は盛んである。ことさら座標系の違いなど持ち出さずとも、そこで感じたままをことばにし、造形し、あるいは、そんな描写表現された作品を素直にうけとめればいいのではないか。まして自然科学や社会科学という学問の成果ぬきに日常の暮らしは考えることさえできないはずだ」ところが、どうも通り一遍のそんなことではすまない事情が、この列島の「ことば」と「もの」にまつわることがらにありそうなのである。

 そこでまづ、すこし長くなるけれど、小林秀雄の「本居宣長」から古事記成立に関する部分引用からはじめる。「漢字の渡来以来、日本人は「言傅へ」と「書傅へ」との間に、訓讀という橋を架して往来せざるを得なかったのだが、この経験の不自然な性質については・・・記紀の時代には、訓讀といえば、それは外国語の特殊な学習法であり、当時の知識人は、この極めて知的な手段による新知識の獲得に多忙であった。これにかまけていたから訓讀という橋を渡ってみてはじめて、彼我の言語構造を隔てる断絶が、はっきりして来たという裏面の経験は容易に意識に上らなかった。その代り、この不安が一たん意識されると、自国のことばの伝統的な姿が鋭く目覚めたに違いなく、この意識が天武天皇の修史の着想の中核をなすものであった(天皇の哀しみには、感傷も懐古趣味もありはしなかっただろう。本質的に歌人の感受性から発していた)。當時の知識人の先端を行くと言ってもいい、この尖鋭な国語意識が世上に行われ、俗耳にも親しい、古くからの「言傅へ」と出会ひ、これと共鳴するという事がなかったならば古事記の撰録は行われはしなかった。」「天皇の削偽定實(僞りを削り實(まこと)を定める)といふ歴史認識は、国語による表現の問題に逢着せざるをえなかったのである。・・・そこで太安万侶は、漢字による国語表記の未だ誰も手がけなかった大規模な実験に踏み込んだ。」

 この小林秀雄の文章を参考にすると、唐国の漢字文化にたいしての「古事記」撰録とは、あらためて、わたくしたちの「言の地平」に起った、やむにやまれない国語表現の見直しであったことがわかる。それは即ち、政治的な権力統合の神話的意味合いよりも、もちろんそれらと切り離すことはできないにせよ、「言傅へ」で培ってきたわたくしたちの言語精神文化が、唐文化の表記文字を受容したことから訓讀という「書傅へ」文化へと変わってしまい、普段にある言語生活とのギャップ感が増大。このままではわたくしたちのアイデンティティーは失われてしまう。ひとびとの暮らしぶりにも鋭敏であったそんな当時の知識人の危機感から「もの・こと・こころ」への素朴で過激な問い直しに撰録作業の意味の重心が置かれてきた。そうであれば、それら一連の作業とは、わたくしたちの心性の核への内的必然性から起こったパラダイムシフトであったと看做すことができよう。そこで、その「言」をそのまま「物」へと置き換えてみる。すると、戦後の現代美術の先端を行く作業とは、美術ジャンルを越えた、有史以来のわたくしたちの「物の地平」における第二期の内なるパラダイムシフトを起こしているという事実が顕かとなってくる。

 飛鳥いらい、わたくしたちは、仏教絵画や、仏像彫刻といわれるもの、そして、唐絵の摂取からはじまって大和絵、山水、水墨画など今日美術といわれるおおくのすぐれた作品や枯山水などをうみだしてきた。そこで、明治になってから大正、昭和初期までの芸術をめぐる環境に小林の古事記成立時のことばをかさね合わせてみると「彼我との空間把握の間にある断絶を、読み替えという橋を架して往来せざるを得なかったのだが、古代は中国や印度・・・明治以降は欧米の抽象座標上の空間造形芸術の摂取に多忙であった。しかし、それは外国語の特殊な学習法と同様の事態でありながら、これまでそれにかまけて、この経験の不自然な性質について、その意味を根本的に問うことはなされてこなかった」のである。せいぜい唐絵を大和絵に、西欧画を日本的洋画へと変様させたくらいであり、もともと表象を忌避してきた先史無文字時代精神に立ち返って、そこから描写とは、この列島で表現するとはどういう意味をもつのかと徹底して自覚的に問いかけることは描写らしい表現が弥生絵に認められてから自分の知る限りにおいて、二千数百年もなかったようだ。その問いかけが始まったのは戦後の吉原治良率いる具体運動を経たモノ派の登場を待たなければならなかった。(弥生以前の縄文における製作物はこの後半であつかったが、大陸系列の表現描写や造型感覚で捉え切ることはできない。)
 戦前におけるダダなど反芸術運動も、あくまで欧米芸術運動に基準をおいた限りで受け止められてきたのであり、イメージ表現そのものをみずからの心性のありようから問いかけるには至らなかった。その後、敗戦を契機に欧米のアンフォルメル以降の芸術解体運動の影響のもと、洋画や、そのアンチテーゼとしての日本画を含めた表現そのもののレベルにおける問い直しがようやくにして、はじまってくる。同時に、彼我の空間構造との隔たりのあまりのおおきさ - それは言語構造を隔てる断絶と同じレベルである - に気付くことになる。この問い直しには、二重の意味が含まれていた。ひとつは、第一次、第二次の大戦の破局を経験した欧州自身の、みづからの近代主義を超克しようとした芸術運動である。それはルネッサンス以降、人間本意主義で進行してきた作品成立過程における一連のプロセスとその関係へのラディカルな問い直しとなった。そこで結果としての作品から制作プロセス自体をも作品とみなされるようになる。その視点は戦後日本の前衛美術家も評論家も即座に輸入した。もうひとつの視点は、ひとたび焦土と化したこの列島で唐絵の摂取以来、うたがうことを知らなかった絵画表現、仏像彫刻などの立体表現を成立させてきた座標系そのものへの問い直しであった。それはすなわち、わたくしたち独自の空間と時間へのやはり過激な見直しにリンクしていかざるをえなかった。あくまで欧米文脈による表現への問い直しをきっかけとしたが、造型概念自体にまでおよぶ表象表現の深層構造にまで降りていったこうした問い直しは、すくなくとも物制作とのかかわりにおいては、この列島の有史以来はじめてではなかっただろうか。

 抽象座標上にものごとを再現描写する大陸系表象意識に代わる視点の探求。この過激な問いかけは「対象論理を超えた主客未分化のあるがままの世界の輝き出し」を基本に据えた李禹煥をはじめ、「ものはモデルをもたず、一般化されたらおしまいであり、したがって制作することはできず放置によってながめるほかない」という菅木志雄。また関根伸夫等、おおくの「モノ派」といわれる作家たちの実作作業の基本視点となってきた。かれらの作業視点は、飛鳥以来、天平、桃山文化といえども、あるいは、逆行してみても、弥生絵や古墳壁画以来、この列島の芸術作品といわれてきたものは、例外なくその基盤そのものが、大陸中国や朝鮮半島の、明治以降は欧米の直訳ものか、翻訳ものであり、そこにおいて成立してきた表現は、模倣と、その変容でしかなかったのではないかという過激な気付きに支えられている。

 ことに、菅における創作実践者としてのひらめきは、再現性にその本質をもつ大陸の抽象座標系思考の限界性と、同時に列島独自の時空の構造とを直に照射し、彼のことばにおいても逐一、物質と物との彼我の違いが言表化されたものになっており、自身も不思議な気持ちで長年にわたって彼の作品とカタカナ書きが多くまじった、なにげでありながら独特の文体で書き込まれた作品カタログコメントに魅惑されつづけてきたひとりである。そんな彼らの、イメージ表現そのものの可否を問うにいたった視点の発見 - それは無文字時代言語精神の核である - その視点の再発見により「物」にかかわる内的で本格的なパラダイムシフトがいままさに起こりはじめているのである。三、一一以降、列島が放射性物質に大量汚染されるというあわただしく困難な日常の裏側にあって、そんな歴史的大事件の基層で、このパラダイムシフトは、しずかに確かなできごととして、今後とも未来のわたくしたちの地軸を形成していくように思われる。この事態は現代美術世界の空間問題としてありながら、「物」の地平に持ち込まれた壮大な実験である。「物」に関する古くてあたらしいこの視点の再生は、一ジャンルの問題にとどまらず、わたくしたちの言語精神に由来する基本的な存在論的問い直しとしての出来事である。

 しかし、これらの動向が(*一)「物」におけるパラダイムシフトを起こしているということを、実作者以外は、いまだ明確に自覚できてはいない。その原因は、先にいったように、この運動は欧米と連動した二重の層を成して発生しており、その二層間で屈折する反射光にかく乱されて、その動向自体が見えやすいものとはいえないからだ。また、特殊な美術界、しかも混迷する現代美術という狭い世帯にいまだとどまった現象であるせいかもしれない。あるいは、彫刻・絵画・映像というジャンルにおいては、趣味判断レベルの意識といえども、ひとたび自我に刷り込まれると、無意識裡に価値化されて、それを払拭することが難しくなる。その点に、それは、「漢意(からごころ)は除き難し」と同様に、あるいはそれ以上に、いちどまとわりついた表象感覚からは自由になりにくいということに帰着する問題なのかもしれない。

 ともあれ、すぐれた評論家もいたはずの、当時のあの画期的な「具体運動」でさえも、欧米とパラレルにおこっている抽象表現主義の視点にのみ集約され、その本質は覆われて、運動はたんなる近代主義を超克しようとする欧米と呼応した美術動向のひとつとして片付けられて終息してしまった。また、現在の美術評論世界においても、たとえば自身も敬愛するすぐれた論客のひとり、千葉成夫にあっては「この列島に美術というものは未だない」と言い切る論拠をもち得ながら、モノ派を核としたその後の一連の芸術思潮をポイエーシス(制作)からプラークシス(実践)への動きとみて、従来の欧米座標の物の見方、規範からもうひとつ抜け出せないでいる。具体的作品にそった、かれの誠実な見方が間違っているというのではなく、そこから整理された結論は、そうであるに違いないけれども、実は、その整理の視点は外部からのみたてにすぎなく、その視点のその先で、実作者の方は、自己の身体を軸にできている分だけ、より核心をついた独自の時空間の場をすでにひらき、美術をこえた「物」の地平におけるパラダイムシフトまで喚起していることが作品から直に感じ取れる。そこでつい、ジャンルをこへて、もう一歩踏みこんだ視点からの立論がほしいと、ないものねだりをしてしまうのは決してわたくしひとりではないはずだ。彼の「逸脱する美術」や「類としての美術」「未生の美術」などの用語をみても、また彼以外においても「閉じられた円環の彼方へ」「悪い場所」等々、わたくしたちの空間や時間にたいする切り口のキーワードだけをみても、その生硬な表現が、翻訳概念主体の美術評論世界にあっての視座の限界点なのかと感じざるをえないところである。しかし、問題は、そこでこの内的パラダイムシフトのトレンドが、たんなる近代主義の超克としての運動だと従来どおりに捉えられてしまうと、その潮流の行方はかすんでしまうことだ。そうなると、わたくしたちは、ふたたび外の視点へと引きづりだされるか、その反動としての神秘主義の視座にのみ込まれてしまうほかはなくなり、それこそ椹木がいう「悪い場」として、これまでたびたび繰り返されてきた「閉じられた円環」のパラダイムに堕ちてしまう危険性がある。



人麻呂の誇りとアポリアの存在

 かの筆頭詩人、人麻呂は、わたくしたちの物のみかたにもともと備わっている否定相の存在に触れて、そのあり様を「言挙げせぬ」ところではたらく物の耀きとして、高い誇りをもって歌いあげている。しかしその後とりわけ戦後は、この否定相の背後に見え隠れしている、すなわちここで作業仮説のキーワードとしている「この列島独自の基本軸」にあたるものは、その存在自体やわたしたちの物のみかたや考え方に及ぼすその積極的な役割や意味が正面からとりあげられることはあまりなかった。むしろどこか避けてきたきらいがある。そしてここで「不理・非象」といっている「言挙げをせず・個人的な表象表現を避ける」その否定相のはたらきこそが、わたくしたちの論理的思考の発展を阻害してきた原因であるとして、その一面のみをもって、その背景に想定されてしかるべき独自座標の存在とそこにはたらく基本力学も共に全否定されてきた。その傾向が今日まで続いてきている。そのわけは、明治維新や先の大戦をはさんであらゆる価値が逆転したという思想環境にあるというより、この座標自体がもとより抱え込んでいるアポリアなるもの - そのものとしては対象存在として普遍化できず、論理化も可視化もできない - という独自否定相を伴ったその内部構造の晦渋さに、それを主題とする困難さが常に付きまとい、戦後のみならず、古来よりその時代の気分の物指をあてがって解釈する他なく、あるいは戦前のようにご都合主義に流されてしまった。こうした表層的な解釈に終始せざるをえない扱いにくさがアポリアとして、わたくしたちにもともとそなわっている座標系の解析を阻んでいる。

 しかし、ここにあらたな問題が二つ発生する。第一の問題は、わたくしたちにそなわる独自の文脈をそこに載せて読み取る座標系が明確に顕かにならなければ、じぶんたちの足許の心性の核の自覚は育ちにくいだろうという問題である。それはいうにおよばす、そこに根ざした芸術、科学の自発的な動向が未来過去にわたってあったとしても、見ることもできず、かろうじてみえたとしても、ただしく評価できないことになる。その結果、抽象座標系に載せた欧米視点による読み替えがおこなわれ、その評価が定着して、真美に蓋をしてしまうこととなる。たとえば岡本太郎が発見した火炎式土器の美を彼は近代フランスの造形的な視点から評価したが、その後そのすぐれた発見をわたくしたち独自の地軸へ読みかえて、そこに想定される列島独自の空間と時間を措定し、そこにはたらく力学を確定し、さらにその視点をフィードバックして、現代空間を検証するような - これはこの列島文化における基本的な作業として要請されてしかるべきだとおもわれるが - そんな仕事はだれか、あるいは、どこかの研究所ではしてきているのだろうか。いまのところ、私は、この哥座(うたくら)以外でその例を知らない。

 また、同時代的に、現代の思想と密接に関わる現代美術の最前線において、戦後、この列島独自の基本軸にはじめて触れた「具体運動」は、きわめて一部の美術評論家をのぞき、いまなおその評価は不十分のままである。この運動が提起した、わたくしたちに固有の地軸が存在し、そこに独特の空間力学がはたらいているということを確認できることから発生する問題は、美術界にとどまらず戦後思想界をゆるがすほどのひろがりをもっていたはずだが・・・。こうしてみると、現代の社会科学系と称する学問というか、業界は、自分の歩むそのあしもとの空間さえ実は覚束ないところにいるのである。列島のものごとを正当にうつしだす座標系がしかと存在するにもかかわらず、そこでアポリアが呪縛となって、真も美もまったく見えなくなっている状態なのだ。なにより基本的な問題が視界にうかんでこないのだ。それは第二の問題をもひき起こす。外からやってきた社会科学思想や科学技術を受容する際に、その思想を自分たち自身の座標系に位置取りできない限りは、もともと抽象座標系に根を持ち得ないわたくしたちにあって、その真の認識と創造的活用はできるはずもない。模倣をくりかえすか、目先の応用に終始するほかないことになる。

 以上の意味からも、この小論で顕かとする彼我の座標系の差異とそこにはたらく力学の差異にわたくしたちは目を背けることはできない。この差異をまず事実として押さえ、わたくしたちの基層をふまえたところからすべてを問い直さなければ、なにごともはじまらないだろう。もともと当時の国際教養人でもあった人麻呂の誇りの意味するところの世界は、偏狭なナショナリズムやローカリズムに還元される問題ではまったくない。ましてそこにイデオロギーにもとづいた現代的解釈をくだすことは、幾何学の問題に三角形の色を問うような的外れなことである。先端テクノロジーや高度情報化システム社会が引き起こすおおきな変貌期に直面したいま、わたくしたちの抱えるこのアポリアの解決は、このまま放置できない火急の問題として浮上してきている。わたくしたちは、世界史的な同時存在でもある。だからこそ、いまその未来の意味を問うためにも、深く、独自の文脈を探る必要性がでているのだ。そうでなければ、永遠に根無し草のインターナショナリストである他なくなるだろう。


実存の根拠

 いまでは、へと還元され得るに至った、森羅万象を四個の座標の幾何学に煎じつめる物理世界においては、わたくしたちも概念上、そこにカウントされそれを利用もしている。しかし(別載)で触れたように、実際は、その場にこの列島の住人は実存の根拠をおいて来なかったし、これからも真に身を置くことはないだろう。一方、西欧では常にロゴスという伝統的思弁哲学が拠って立ってきた抽象座標系のプラットフォームが先験的に備わっており、そこに根ざしたもののみかたをしてきた。現代にあってもその基本は変わらず、それは「言葉は存在の住処である」とするハイデッガーの言表にも端的に覗い知ることができる。クラシックギリシャのユークリッド幾何以来それら初期自然科学と観念哲学、造形芸術とは、当該時代にあって同じ座標系を共有しながら、常にパラレルに現象してきた。その進捗の果てに現代物理学や社会科学そしてオブジェ指向のかれらの芸術が平行して存在している。しかし、それらが共通に根ざしてきた抽象座標系列と、わたくしたちがいまも住み、根をもっている世界(別載)とはここで採りあげる事例をみるかぎり、あきらかに系統がちがう世界である。


時間と空間をもどく

 この否定相をそなえた独自座標が顕かとする世界は、概念の本質や物質の求心性、内包性がそこで無化して、反復する無名性の世界がひろがる時間も空間も欠落した世界である。通常ならば、その内で、論理的な演算にかけるために、ものごとを関数化して位置付けるはずの、時空をはじめとした枠組みとしての各抽象座標系は、列島の独自否定相のもと、それまでの各系統の個別領域の涯で、内が外へと裏返される。もどかれる。しかし、そこに普遍的な座標でなく、あくまで個別的で具体的な物や言として、列島独自の座標軸が形成される。この座標軸の周縁にものごとがありのままに「見る」から「見ゆ」という変容を遂げて、展開してくるのだ。

 もうここに至っては座標というイメージにはほど遠いが、分節化未然の、ただ反復する無名性の世界がひろがっているばかりの初源的な場に還元されると「言」は、抽象的座標軸に代わる歌や句の一首一句一音そのものが、また、「物」にあっては、先史縄文の器自体や表象を忌避して、そこに物付けした縄の眼そのものが、みづからを軸として、そのさらなる周縁に無辺・無窮の場を生起させる。同時に、そこで物事の在り様とその位置が明らかに定まり、具足化する。そのあたりの事情は、現代美術の「もの派」の作品や舞踏の身体にも共通してみられる特徴である。その際みずからを「舞踏はいのちがけで立ち尽くす死体だ」と云った土方巽のことばには、時空をもどいて、地軸と化した身体の在りようと、そこでひらかれる列島独自の無辺で無窮の地平がみごと集約されて云いとられている。


           

「見る」から「見ゆ」という世界へ
 
 また、おどろくべきことに、先史に由来するわたくしたちのほとんどのことばは、現代語においてさえも、たとえば「月」ひとつ例にとってみても、ほかの印・欧・中の言語文化圏の固有ブラウザによって抽象化された座標にうつしだされてくる世界とは、まるで様相の異なるはたらきかたをする。常識では、わたくしたちの「月」も中国の月も漢字概念としてそこに対応した意味と表象を担い、当のあの夜空にかがやく月を指し示すものであり、また、「MOON」とも同義であり、対象存在として、オブジェクトとしての月の指示代名詞だとうけとめられている。
 しかし、この列島にあっての事情は著しく異なる。それは1970年7月、京都国立近代美術館における菅木志雄の作品「無限状況」の館内踊り場の窓枠に斜めにさしわたし小窓が閉まらないようにしたツッカイ棒のはたらき方と似ている。もともと美術館は空間の求心力を活かして、ひたすら作品へ集約するように、閉ざされた場になっているが、「無限状況」では、ツッカイ棒自体は何も表象せずに、館の内と外との関係を解体する。そこで建築物としての物理空間と作品提示という制度空間はもどかれる。それまでの近代座標軸に基づいてきた視点は、ツッカイ棒という物の現実態そのものを軸としたあらたな視座へと転換され、周縁には無辺の空間、無窮の時間というわたくしたち独自の場がひらいてくる。つまり、ここでは従来の時空間座標は裏返しにされて無化されてしまっている。

 その棒という物のはたらき方と同様に「ツ・キ」という「言」は、一音一音の舌触りあるこゑとして実体化されたとき、「不理・非象・無辺・無窮」という否定相をもつ座標軸の役割をはたす。概念としての抽象座標に浮かぶ月の対象存在をもどき、こゑとなった言それ自体はそれ自体として意味を内包せず表象せずに、内と外、あれとこれ、吾と他者というすべての境界性をひとたび無化して、その無辺無窮のフィールドに月を月として、同時に、周縁のものごとをともに、関係性まで含めて、物をあるがままの在るべき位置にふたたび具足化してくるのである。この時空の失せた場では「見る」から「見ゆ」へ、対象を「思考する」から物を「おもう」へと視座転換が生じくる。

 これらの視座にはたらく力学は、日常の道具存在としてのことばの使用からいったん離れて、表記された漢字仮名交じり文と(できれば歌会や句会のような非日常の場で披講された)発音に聴き入っていけば、そのはたらきが聴き分けやすくなる。そのとき、漢字に代表される抽象系座標と、まったく正反対に位置する「物」「言」それ自身を実体化して地軸とした座標系との、この二つの座標系の切り替えがおこなわれるので軽い眩暈をおぼえるかも知れない。 (ここでいっている差異とは、ある中国思想研究家が云っているビジュアル処理と日本語言語処理の左脳と右脳の違いのことではない。ここでは一般観念としての時間と空間そのものがそこにあるかないかという両極に対峙した座標系の違いを指す)

 この経験が示すところでは、また菅の作品にはたらく世界とのかかわりの論理 - 「もの」が在るから「極限的に在る」(人工的な制約を離れたところでどうしようもなく在る)への置き換えと放置を通じて世界と関わるという制作論理 - を「言」へと援用すれば、わたくしたちの言語精神の座標系にあってはすべての古言がそして日常の生活用語も含めて、ほとんどのことばは、「物」と同様に「人工的な制約を離れたところで(言の場合は意味性として在る言語からどうしようもなく在る状態、こゑとなって物化した言の状態。)」そこでは「言」と成った「ことば」は内容に対応する対象をダイレクトに指示しない。意味性を離れ、菅でいう極限的に在る状態になっている。そこで菅の用語に倣えば「放置」によってはじめてトータルなリアリティーとしての世界とかかわりが可能となる事態が生じてくる。はじめにひとが媒体となり、そのこゑが、まず時空座標をモドキ、それに代わる具体的な言を軸に、その周縁に、時間と空間そして世界という抽象概念=観念に代わる列島独自の無辺の空間、無窮の時間からなる場が生みだされてくる。そのただなかに「つ・き」なら月、「み・ず」なら水がリアリティーをもった存在として確定されてくる。これらは一瞬の事態として生起するが、これを説明するとなると、持って回ったもの云いになってしまう。この構造に日本語があいまいとされる理由もあるだろう。しかし、その場こそが、わたくしたち言語精神のもっともダイナミックな力学が躍動する場となっているのである。抽象化された時空座標を無化し、その座標上に去来する吾を他者を表象をモドキ、そこではじめて、この列島に独自の時間と空間の野性的フィールドがひらかれる。その窮まりどころのない場にはたらく力学は、これまでわたくしたちの言語に胎蔵されていた秘密を一挙に顕かにしてくる。わたくしたちが見ようと意志すればするほどに表と裏が入れ替わってしまい、忽ちに気配だけ残して失せてしまっていたとらえどころのなかった物と言の秘密が「放置」の涯で「見ゆ」というかたちで開示されてくる。

 *(ここでいっている「世界」とか、「極限的に在る」、「放置」という用語には、混乱を招くあいまいさがある。できるだけ使用したくはなかったが、「物」にはたらく力学と「言」にはたらく論理とを直接比較考察するためにあえて、混迷を極める現代美術の最前線にあり、ひとり抜きんでた感で活躍中の菅木志雄の独自美術用語をそのまま使ってみた。なお、小論では「列島の物と言には、その両者を同時に、その一段底からすくい取る地軸としての視座が存在」し、その否定相をともなった具体的な視点の在り様を示そうと試みている。しかし「言と成ったことばは、内容に対応する対象をダイレクトに指示しない。」などというあたりは、いくら説明してみても、体験しないかぎりは、常識とかけ離れすぎた虚論の類として片付けられよう。そこで、この論と直接にはかかわらないし、厳密な論証ではないけれど、普段は常識のなかに埋もれて気がつかない、しかし反常識的なことばの作用例を「J-POP」の歌詞上に指摘してみた。(別項)「もともと日本には単語というものは存在しない」といったのは、前、春日大社宮司の葉室頼昭氏である。今様白拍子である「J-POP」の語尾母韻のはたらきは、そんな事例現象を示すひとつの傾向である。ことばが単語として、あるいは動詞、形容詞として、仮構された主体側の機能存在の面だけから受け取られがちで言の方位が定めにくくなった現代、ひとたび常識をはなれ、言に聴き入り、言を考え直すきっかけになるかもしれない)

 こうしてみると、ここまでは作業仮説にしておいたが、先史から今日まで対象化できなかったこの否定相をもった「つらぬく棒のごとき」基本軸なるものは確かに存在するのではないか。(・・・わたくしテキにはそう思われる。)と、またしても、わたくしたちのこの力学は、どこまでも「見る」「考える」視点をその動作主体ともどもに、この場合は(・・・テキ)として、モドキぬいて、その果てで折り返し「見ゆ」という場が生成されてくるまで、はたらきかけ続けてこようとする。それは、「見る」「考える」という主体を仮定し、その主体の道具としてことばを規定したその機能の裏側において、たえず通奏低音としてはたらいている力学である。それ自身は「見ゆ」というできごとそのものとして、こちらの思惑を越えたところで突如、向こうからやってくる。

極微の視点と周縁の力学

 これを逆から云うと、抽象的時空座標に代わる無辺・無窮の場がそこに生まれなければ、わたくしたちの言や物はでき事としてのちからを発揮することができないことを意味する。たとえば、私たちは「自然や環境を大切にしたい」という。そこで使用された自然、環境、人間、世界といった抽象概念は、ジャンルや時代によってそのつど定義され、意味内容も異なるが、言語が意味を内包するという概念自体の構造は不変であり、その構造を利用して現代社会科学の重要なキーワードとして流通し、またそれを反映した日常レベルではあいまいなかたちであっても誰もが象徴的符号として使用している。しかし、概念には、わたくしたちの言としてのチカラが欠けている。そこに感動がわいてこない。こころも物もはたらきださないのだ。 なぜなら、菅の「無限状況」でみてきたように、言や物はそれ自身は、表現の意味をいっさい担わず、いまここにおけるそのつどの言と物の実体化を通じて、そこではじめて、抽象時空座標に代わる地軸の役割を果たし、そこに独自の無辺・無窮の場が成ってくる。周縁のきわまりどころのないこのひろがりのなかでこそ言や物は、言となり、物は物として位置を定めることができ、姿を顕してくる。しかもこのでき事は、わたくしたち自身のどんなにちいさな視点をも巻き込んでやってくるのだ。しかし、概念は抽象座標に根ざし、そこで物を捨象して位置取りされ、意味を定義された観念にすぎない。それ自体が実体化した地軸とはなりえない。だからその周縁にあらゆる視点を掬いだすような、わたくしたち独自の場は成立せず、そこにはたらく力学も発動してこないのだ。この決定的な違いは、物事を抽象化された座標=世界に置いてそこに浮かんだものとして、俯瞰して見る抽象視点と、一方ではそのつど具体的で取替え不可能な心身を軸にした極微の視点から発していても、それ自体は意味を内包せず、物と言の実体化を通じてはじめて、無辺・無窮のひろがりの彼方から折り返しやってくる見ゆというかたちで見えくる視点との違いでもある。その対極的な両者の視点が根ざしているプラットフォームである座標には、物の見え方、はたらき方に及ぼすブラウザの決定的な質の差が存在しているのだ。そこで「自然や環境を保護する」という概念のはたらく抽象座標系にうったえるのではなく「山や海をたいせつに」と、具体的な言を座標軸にして、わたくしたちの場を呼び込みひらくと、わたくしたちのこころは動き出す。

 さらに付け加えるならば、言語精神のこうした特徴が集約され、極度に洗練されて様式化されたものに、和歌における枕詞があり、芭蕉の「切れ字」がある。両者はまったく役割が違うようでいて、その実、ことばの抽象化を阻み、言の具足化を促して、周縁に無辺・無窮の場をひらき、そこに、物事の位置を定めてくるという独自座標軸としてのはたらき方においては同じ機能を担う言語装置である。

         


繪をもちいざる國、もちいる國。

 そのようなこの列島の言語精神からみると、「・・・こゑのまにまに言(こと)をなして、萬(よろづ)の事を口(く)ち豆(づ)からいひ傳へ・・・比國にのみ繪(かた)をもちいざる(語意考)」-中国や古代インドアーリア系言語が表象をもっぱらとするに比べ、この列島では、もともとイメージ化、表象化を避けてきたところに、最大の特徴がある-という真淵の見解を追い風にした場合、李白の月や、それを真似た蕪村の「月天心」の月も立派な月には違いないが、それは中華鉢へ浮かべた表象、ポンチ絵にすぎないことになる。とりあえずここでは先史から有史ともに一貫して、物にも言にも等しくはたらきかける否定のモメントをもつわたくしたちのもののみかたの基本軸を、それが実体化を果たしたとき、その周縁に物を正しく物たらしめ、言を正しく言たらしめる場を創りだすことから、中華座標や天竺座標、そして欧米抽象座標との比較を容易にするために、作業仮説を構成するキーワードとして、わたくしたちに備わる唯一で独特の座標軸と呼んでいる。

 戦後もおわり、第三の核汚染の脅威にさらされるあらたな時代が到来し、もうそろそろいままで封殺していたこの系統の違いを正面切った主題として積極的なものいいをしてもよい時機なのではないか。


宇宙を正面突破する


 その意味で、日本思想の問題点を、「自己不在。主体性の欠如。正統も異端もなく多様な外来思想をプロットする座標軸もなく、原理に対決する覚悟もないために、外来思想をただ空間的に雑居させるにすぎなかった。」という丸山眞男の指弾は、ながく戦後思想界を代表するものの見方であったが、それらは、もっぱらわたくしたち自身の地平に立った批評ではなく、西欧近代座標上から自身を俯瞰的に眺めた見方にすぎなかった。だから、肝心かなめのわたくしたちに備わる否定の相をもった独自の地軸の存在や、それが担う積極的な意味、そしてそこからひらかれる窮めつくせないほどダイナミックな荒野には踏み込めなかったのだ。そのへんが、上空飛行型思考と揶揄される由縁である。
 一方、こうした近代主義者の作業に比べると、1959年の草間彌生の「水玉の天文学的な集積が繋ぐ白い虚無の網によって、自らも他者も、宇宙のすべてをオブリタレイト(消去)する」と宣言して、わたくしたちのはるかな深みから独自座標を軸に存在論的問題を提起し続けた彼女のシリーズ作品の方は、西欧造形芸術や近代主義を超え、彼女の心身と引き換えに、わたくしたちの根ざしている無辺、無窮の地平の存在と危険きわまりない否定の相の存在論理を具体的に展開し、あきらかとすることに成功した稀有な例である。それはひとえに、彼女が自身と宇宙との関係を知におとさず、俯瞰した立場からみることを拒否し、その意味を了解した上で、自身のこの血の通っている痛みある具体的存在をそのままに、そこから、この得体の知れない宇宙をどうどう正面突破するという離れ業をしでかすことができたからに他ならない。この列島におけるはるかな深みからの革命的で正鵠を得た仕事を成してきたといえる。

列島独自の芸術・物理空間

 ここでいったん、これまでの論旨を補足してレジュメにしてみると「芸術・思想空間と物理空間はともに同じ座標系のもとでは、同じ言語OSのコマンドの支配を受ける。それはちょうど、同じ太陽風に吹かれると地球の両極点に現れるオーロラは同時刻に相似形をなしているようなものである。欧米、中国、印度、この列島にあってもその事情はまったく同じである。それぞれの国で、当該言語OSのはたらくプラットフォーム上で、両ジャンルはパラレルな発展と進化をみせてきた。わたくしたちには普遍化された時間と空間座標は、昔も今も存在していない。代わって、否定のモメントをもつわたくしたちの物のみかたの基本軸が存在する。それはアポリアな問題を孕んではいるが、物そのものを地軸としてそこではじめてひらく列島独自の - ここで作業仮説のための用語として仮設定した「不理・非象・無辺・無窮」という「否定の相」をもった座標軸の存在である。その座標上で物と言の両面にわたる並列関係としてこの列島固有の芸術と物理が展開されてきた。抽象化された座標系の許ではじめて有効になるはずの自然・社会諸科学や、造形芸術、時間芸術としての音楽は、わたくしたちにとっては、ほんとうは無いものである。受容はしてきても、それらはわたくしたちの周縁にある物事のひとつとして受け止められてきたにすぎない。科学・思想空間、芸術空間が拠って立つ基盤である抽象プラットフォーム自体を受け容れてこなかったので、それらを前提とする主観や客観、時間や空間など定義され意味を内包する基本概念やそこから構成されるいかなる論理も自己のものとしては存在し得ない。かえって、この列島の先人たちは、みずから意志して、抽象化、普遍化を仮構のものとして退けて、物と言のはたらきの実体化を果たして、それを座標軸代わりにしたときにそこで生じる「無辺で無窮」の独自フィールドの麗しさと、そこにはたらく物の力学 - 「不理・非象」とここで云っているところのことわりを排してイメージ化を呼び込まないこと - そこで惹きだされるチカラのはかり知れなさとを誇りとしてきた。そのチカラをこの国独自のことばのくらしや芸術、そして物の製作に活かしてきている。これらの心性の核は別項でも確認済みだが、先史縄文早期から現代にわたっても変わるところがない。いまもこの列島の現代芸術の主流は、抽象された座標のもとで、そこにイリュージョンとしての造形空間を創ることではなく、また概念そのものをなぞるコンセプチュアルアートでもなく、列島特有の時間と空間の秘密とかかわりつづけることで、物そのものがひらく窮まるところを知らない具体的で独自なる場を開拓し、そこにはたらく力学に真美を求め続けている」

近代科学空間の本質

 ところで、ここまで、同じ座標系のもとでは、芸術空間と物理空間は、どんな言語体系のどんな時代にあろうとも、等位の関係にあるという仮説のもと、「列島独自の芸術空間と物理空間としての言と物も、ともに同じ座標を共有し、そこで同じ力学のもとパラレルな関係として、窮まりどころのない周縁という列島独自の場を生みだしていること。そしてそこにわたくしたちの心身も含めた物事すべてが定まって具足してくる」ということを、この列島の生活レベルのことばも含めた事例にみてきた。そこですくなくともその仮説のアウトラインは確認できたはずだ。

 ここで、もうひとたびこの列島の独自座標から、わたくしたちの極微の視点と周縁の力学のもとに、西欧近代空間の位置の定まり方を西欧近代美術空間を軸にして「見ゆ」というかたちで追ってみる。まず、そこには、奥行きや左右へのひろがり、またパースペクティブな(透視図的遠近法の)視点設定とにわたり、時代時代の抽象座標を二次元支持体あるいは三次元の場へと移し変えて、そこで物事を再現視しようとするイリュージョンを本質とした西欧近代の造形空間が透けて見えてくる。同じ座標系のもと、同じ言語OSのコマンドの支配を受けるのであれば、この西欧造形空間とパラレルな関係にあるはずの近代自然科学空間や社会科学空間の本質も、また近代造形空間と同じものであるはずだ。 - その自立的正当性がどれほど実験における再現性や、方法論的実証性に保障されてゆるぎないものにみえようが、また近代に至ってその成果の影響が地球規模になっていようと、そこにわたくしたちはいまもなお幻惑されつづけてはいるが、 - こうした先入観さえ拭うことができれば、 この近代自然・社会科学空間の本質もまた、西欧芸術空間とおなじ抽象座標を共有したところに由来する等位の関係にあり、その場で事物を再構成して再現視しようとするイリュージョンに基づいたものであるという推論が、常識に逆らったもの云いになりはするけれど、否定することはできずに成立するのである。その場合でも依然として、自然科学や社会科学こそ中立の立場から普遍真理を求める客観性の学問で・・・その根底にイリュージョンや幻想性が存在するはずもないという見解はもっともらしいし、いまも多くの人が信じる常識であり、そこからの反論はなくなることはないだろう。

 しかし、抽象プラットフォームのもたらす欧米の主観・客観対立の構造の設定自体が、すでに偏向した世界観の証であり、そこにおける客観性とは、括弧附きの限定的客観にすぎないのである。時空の欠落したこの列島の無辺で無窮の立ち位置から見てみると、西欧造形空間も科学空間もその本質は同じであり、プラットフォームを共有した両者ともに、そこに浮かぶ美しいが、はかない仮構に見えてくるのである。その後、近代物理空間がニュートン力学から現代物理空間へ、相対性原理や量子力学時代へとかわっていくにつれ、近代西欧芸術空間の対象も所与の外界から自己意識という内界まで拡がり、従来の、パースペクティブ性と古典的空間三次元性は廃棄されていったが、外界と内界を抽象座標系へ再現し、再構築しようとするその本質に変わりはない。その点をくりかえすと、欧米のオブジェク指向の現代芸術空間と進化とどまることなき現代物理空間(それに基づく情報空間も含めて)とは、いまも、パラレルに発展していく関係として抽象プラットフォーム上にある。当然そこに根ざしたところの本質は両者が共有しているものと想定できる。

 クラシック時代においても現代においても欧米芸術空間と、科学空間との相互関係の構図自体には変わりは無い。両者の違いは、そのイリュージョンの再現を美術・音楽の芸術空間という文化制度にそって再現するか、あるいは、抽象座標の領域内で相対的な実験による再現性を確保した上で、応用可能な現実態までもっていくかどうかの違いである。いまでは芸術作品の自立存在はそのアウラとしての概念芸術と、その残存であるオブジェ・アートとに分離解体され、芸術空間と物理空間の区別は判然としなくなってきているけれど・・・。飛躍した例でいえば、この延長上に、プルトニウムやキメラという自然界にはなかった空恐ろしい存在の誕生があるのだろう。しかし、これらもイリュージョンを本質とした抽象座標系から現実空間に投影されて実現された現実態のひとつにはちがいない。すくなくともわたくしには、そう見えてくる。前世紀末の西欧幻想絵画や幻想を主題やタイトルにした音楽作品の氾濫からみても、また、その後のコンセプチュアルアートとオブジェ・アートの両極へ引き裂かれて、もはや両極間にうまれた真空が従来の造形空間の変容にすぎない様式空間で繕うこともできなくなっていた動向からみても、当然、その文脈の行きつく先にはキメラをうみだしてきた現代のこの抽象物理空間があった。

 挙句、イリュージョンがそのまま現実態にすりかわってしまったならば、その瞬間からそのイリュージョンを本質として可視的、可聴的再現の提示の役割を担ってきた従来型の欧米芸術空間は、その役割を終了する他はない。芸術空間は、それがこれまでの文化制度のうえで担っていた意味を失ない、それ自体としては成立し得ないことになった。同時にそれはまた、その本質が芸術空間と同様の幻想性に根ざしたものである自然科学空間、社会諸科学、情報空間も、それらが拠って立っている抽象座標系プラットフォームそのものへの問い直しが始まらないことにはもはや本来の価値を失ってしまったことを意味している。


後記

 哥座は、箱物としての概念の住処に安住せず、ことばを翼に、概念とその内包する意味という構造を越えて、たまきはる内なるおもひを天翔け、見ることや概念演算による思考形態に代わり得るわたくしたちの「見ゆ」というあり方、「おもひ」のありかたの独自幾何を深めゆきたい。そこに根を置いた視座から、それを梃に、未来の自然・社会科学や芸術のあるべき姿を追求していく。それが学問の使命と信ずるものである。

                    二0一一年五月二十一日未明 

附記

 この論の冒頭にかかげた(先史から有史を)- つらぬくの棒のごときもの- とは、もちろん「去年今年貫く棒の如きもの」という虚子の問題句を下敷きとしたものだ。この十七文字には、この列島における時の流れる様が、正月というたった一日のそこにはたらく新旧交換のドラマツルギーが、みごとに集約されている。さらに、深読みすれば、普段にあっての時空軸の裏には、いつもは気がつかないが、抽象化できず、表象化もできず、見えず、対象化を許さない、というわたくしたち独自の否定相をもった座標軸が確固として存在し、この表現し難いものはそれが正月ゆえにかろうじて列島の時間性として顕在化して来るのだとして、それを、たとえていうならば「つらぬく一本の棒のごときもの」なんだと、云っているのだ。そこまで虚子が意識していたかどうかはわからないけれども、すくなくとも詩的言語として、虚子の無意識の存在了解のもとに、掬い取られて具体的な「こと」として現成してきたことばであると、私はそう受け止めている。

 なお、この小論の目的は、ひとまず歴史的文脈は無視して、先史から有史までの物と言を、それぞれの文化ジャンルを越えたところで、現代美術、和歌、俳諧、身体芸術を、さらに、この国が受容してきた印中思想や欧米自然科学、社会科学を、そんなすべてを、「つらぬく棒の如きもの」という、抽象化できず、表象化できず、対象化を許さない「わたくしたち独自の座標軸」のもとに - あくまで現代美術の私的実作作業を梃子にしながら - 読みかえていくことにあった。というより、この小論をその本格的作業のための手がかりをつかむ試論として位置づけてきた。ここでその核心にわづかながら触れ得た。そんな感触があったので、この試論をプロット代わりにして、独自方法論による実証性と論理性をそなえた本格的立論の機会が、近いうちにやってくるだろう予感がしている。そこではもうひとつ踏み込んだ視点から、列島独自の否定相のもとでは、「物と言は位相を違えたおなじものの両局面である」ということを顕かにできるはずだ。そこではもはや、上位概念で括りながら概括抽象していく従来思考法の適用はできないだろう。・・・いまからそのときがくるのが楽しみである。というのも、列島における先史から有史までをつらぬくこの独自なる否定の相のもとへ、すべての物と言を創造的実作作業という独自検証にかけながら読みかえ、そこで得た結論にそって、従来の学問常識を廃棄していく作業は、質量と光速度との関係式をエネルギーへと還元し、森羅万象の現象をシンプルに説明していった現代理論物理学の作業プロセスに似て、あるいはそれ以上のまったく未知の惑星の系列の異なった純粋数学を解いていくような楽しみがあるからである。


哥座 美学研究所

   
YU HASEGAWA

   
     
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