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巻 第一      ■ Bookガイド 記紀&万葉集 

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二十
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  巻第一  雑 歌
  ひとまきにあたるまき くさぐさのうた

泊瀬朝倉宮御宇天皇代 

一、天皇御製歌
篭毛與 美篭母乳 布久思毛與 美夫君志持 此岳尓 菜採須兒 家吉閑名 告紗根 虚見津 山跡乃國者 押奈戸手 吾許曽居 師吉名倍手 吾己曽座 我許背齒 告目 家呼毛名雄母  
  

 泊瀬(はつせ)の朝倉の宮に天(あめ)の下しろしめしし天皇(すめらみこと)の代(みよ)  
 天皇のみよみませる御製歌(おほみうた)  
籠(こ)もよ み籠持ち 堀串(ふくし)もよ み堀串持ち この丘に 菜摘ます子 家告(の)らせ 名のらさね そらみつ 大和の国は おしなべて 吾(あれ)こそ居れ しきなべて 吾(あれ)こそ座(ま)せ 吾(あ)をこそ 夫(せ)とは告らめ 家をも名をも 


高市岡本宮御宇天皇代  

二、天皇登香具山望國之時御製歌 
山常庭 村山有等 取與呂布 天乃香具山 騰立 國見乎為者 國原波 煙立龍 海原波 加萬目立多都 怜A國曽 蜻嶋 八間跡能國者  


 天皇の香具山に登りまして望国(くにみ)したまへる時にみよみませる御製歌(おほみうた)  
大和には 群山(むらやま)あれど とりよろふ 天(あめ)の香具山 登り立ち 国見をすれば 国原は 煙(けぶり)立ち立つ 海原は 鴎(かまめ)立ち立つ うまし国ぞ 蜻蛉島(あきつしま) 大和の国は

三、天皇遊猟内野之時中皇命使間人連老獻歌  
八隅知之 我大王乃 朝庭 取撫賜 夕庭 伊縁立之 御執乃 梓弓之 奈加弭乃 音為奈利 朝猟尓 今立須良思 暮猟尓 今他田渚良之 御執能 梓弓之 奈加弭乃 音為奈里  


 天皇の宇智の野(ぬ)に遊猟(みかり)したまへる時、中皇命(なかちひめみこ)の間人連老(はしひとのむらじおゆ)をして献らせたまふ歌
やすみしし 我が大王(おほきみ)の 朝(あした)には 取り撫でたまひ 夕へには い倚(よ)り立たしし み執(と)らしの 梓の弓の 鳴弭(なりはず)の 音すなり 朝猟(あさがり)に 今立たすらし 夕猟(ゆふがり)に 今立たすらし み執らしの 梓の弓の 鳴弭の音すなり

四、反歌 
玉尅春 内乃大野尓 馬數而 朝布麻須等六 其草深野 


 反(かへ)し歌
玉きはる宇智の大野に馬並(な)めて朝踏ますらむその草深野

五、幸讃岐國安益郡之時軍王見山作歌 
霞立 長春日乃 晩家流 和豆肝之良受 村肝乃 心乎痛見 奴要子鳥 卜歎居者 珠手次 懸乃宜久 遠神 吾大王乃 行幸能 山越風乃 獨座 吾衣手尓 朝夕尓 還比奴礼婆 大夫登 念有我母 草枕 客尓之有者 思遣 鶴寸乎白土 網能浦之 海處女等之 焼塩乃 念曽所焼 吾下情 


 讃岐国安益郡(あやのこほり)に幸(いでま)せる時、軍王(いくさのおほきみ)の山を見てよみたまへる歌
霞立つ 長き春日(はるひ)の 暮れにける 別(わ)きも知らず むらきもの 心を痛み 鵺子鳥(ぬえことり) うら嘆(な)げ居(を)れば 玉たすき 懸けのよろしく 遠つ神 我が大王(おほきみ)の 行幸(いでまし)の 山越しの風の 独り居(を)る 吾(あ)が衣手(ころもて)に 朝宵に 還らひぬれば 大夫(ますらを)と 思へる我(あれ)も
 草枕 旅にしあれば 思ひ遣(や)る たづきを知らに 綱の浦の 海人処女(あまをとめ)らが 焼く塩の 思ひぞ焼くる 吾(あ)が下情(したごころ)


六、反歌
山越乃 風乎時自見 寐夜不落 家在妹乎 懸而小竹櫃


反(かへ)し歌
山越しの風を時じみ寝(ぬ)る夜おちず家なる妹を懸けて偲(しぬ)ひつ

右、日本書紀ヲ検(カムガ)フルニ、讃岐国ニ幸スコト無シ。亦軍王ハ詳(ツマビ)ラカナラズ。但シ山上憶良大夫ガ類聚歌林ニ曰ク、紀ニ曰ク、天皇十一年己亥冬十二月己巳朔壬午、伊豫ノ温湯ノ宮ニ幸セリト云ヘリ。一書ニ云ク、是ノ時宮ノ前ニ二ノ樹木在リ。此ノ二ノ樹ニ斑鳩(イカルガ)比米(シメ)二ノ鳥、大ニ集マレリ。時ニ勅(ミコトノリ)シテ多ク稲穂ヲ掛ケテ之ヲ養ヒタマフ。乃チ作メル歌ト云ヘリ。若疑(ケダシ)此便ヨリ幸セルカ。


明日香川原宮御宇天皇代

七、額田王歌
金野乃 美草苅葺 屋杼礼里之 兎道乃宮子能 借五百礒所念


 明日香の川原の宮に天の下しろしめしし天皇の代  
 額田王の歌  天豊財重日足姫天皇
秋の野のみ草苅り葺き宿れりし宇治の宮処(みやこ)の仮廬(かりいほ)し思ほゆ

右、山上憶良大夫ガ類聚歌林ヲ検(カムガ)フルニ曰ク、書ニ曰ク、戊申ノ年比良ノ宮ニ幸ス大御歌ナリ。但シ紀ニ曰ク、五年春正月己卯ノ朔ノ辛巳、天皇、紀ノ温湯ヨリ至リマス。三月戊寅ノ朔、天皇吉野ノ宮ニ幸シテ肆宴ス。庚辰、天皇近江ノ平浦ニ幸ス。

  後岡本宮御宇天皇代

八、額田王歌
熟田津尓 船乗世武登 月待者 潮毛可奈比沼 今者許藝乞菜


 後の崗本の宮に天の下しろしめしし天皇の代 
 額田王の歌
熟田津に船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな

 右、山上憶良大夫ガ類聚歌林ヲ検フルニ曰ク、飛鳥ノ岡本宮ニ御宇シシ天皇元年己丑、九年丁酉十二月己巳ノ朔ノ壬午、天皇太后、伊豫ノ湯ノ宮ニ幸ス。後ノ岡本宮ニ馭宇シシ天皇七年辛酉ノ春正月丁酉ノ朔ノ壬寅、御船西ニ征キテ、始メテ海路ニ就ク。庚戌、御船伊豫ノ熟田津ノ石湯行宮ニ泊ツ。天皇、昔日ヨリ猶存レル物ヲ御覧シ、当時忽チ感愛ノ情ヲ起シタマヒキ。所以因(ソヱニ)歌詠ヲ製マシテ為ニ哀傷シミタマフ。即チ此ノ歌ハ天皇ノ御製ナリ。但額田王ノ歌ハ、別(コト)ニ四首有リ。

九、幸于紀温泉之時額田王作歌
莫囂圓隣之大相七兄爪謁氣 吾瀬子之 射立為兼 五可新何本

 紀の温泉(ゆ)に幸せる時、額田王のよみたまへる歌
三諸(みもろ)の山見つつゆけ我が背子がい立たしけむ厳橿(いつかし)が本

一〇、中皇命徃于紀温泉之時御歌
君之齒母 吾代毛所知哉 磐代乃 岡之草根乎 去来結手名

 中皇命の紀の温泉に徃(いま)せる時の御歌
君が代も我が代も知らむ磐代(いはしろ)の岡の草根をいざ結びてな


一一、中皇命徃于紀温泉之時御歌
吾勢子波 借廬作良須 草無者 小松下乃 草乎苅核

我が背子は仮廬作らす草(かや)無くば小松が下(もと)の草(かや)を苅らさね


一二、(中皇命徃于紀温泉之時御歌)
吾欲之 野嶋波見世追 底深伎 阿胡根能浦乃 珠曽不拾 
 

吾(あ)が欲りし野島(こしま)は見しを底深き阿胡根(あこね)の浦の玉ぞ拾(ひり)はぬ

右、山上憶良大夫ガ類聚歌林ヲ検(カムガ)フルニ曰ク、天皇ノ御製歌ト云ヘリ。


一三、中大兄 三山歌
高山波 雲根火雄男志等 耳梨與 相諍競伎 神代従 如此尓有良之 古昔母 然尓有許曽 虚蝉毛 嬬乎 相挌良思吉

 中大兄(なかちおほえ)の三山(みつやま)の御歌
香具山は 畝傍(うねび)を善(え)しと 耳成(みみなし)と 相争ひき  神代より かくなるらし 古昔(いにしへ)も しかなれこそ  現身(うつせみ)も 嬬(つま)を 争ふらしき

一四、反歌
高山与 耳梨山与 相之時 立見尓来之 伊奈美國波良


 反(かへ)し歌
香具山と耳成山と戦(あ)ひし時立ちて見に来(こ)し印南(いなみ)国原

一五、((中大兄 三山歌)反歌)
渡津海乃 豊旗雲尓 伊理比紗之 今夜乃月夜 清明己曽


綿津見の豊旗雲に入日さし今宵の月夜(つくよ)さやけくありこそ
 右ノ一首ノ歌、今案(カムガ)フルニ反歌ニ似ズ。但シ旧本此ノ歌ヲ以テ反歌ニ載セタリ。故レ今猶此ノ次ニ載ス。亦紀ニ曰ク、天豊財重日足姫天皇ノ先ノ四年乙巳、天皇ヲ立テテ皇太子ト為ス。


近江大津宮御宇天皇代

一六、天皇詔内大臣藤原朝臣競憐春山萬花之艶秋山千葉之彩時額田王以歌判之歌
冬木成 春去来者 不喧有之 鳥毛来鳴奴 不開有之 花毛佐家礼抒 山乎茂 入而毛不取 草深 執手母不見 秋山乃 木葉乎見而者 黄葉乎婆 取而曽思努布 青乎者 置而曽歎久 曽許之恨之 秋山吾者

 天皇の内大臣(うちのおほまへつきみ)藤原朝臣に詔(みことのり)して、春山の万花(はな)の艶(いろ)、秋山の千葉(もみち)の彩(にほひ)を競憐(あらそ)はしめたまふ時、額田王の歌を以(もち)て判(ことは)りたまへるその歌
冬こもり 春さり来れば 鳴かざりし 鳥も来鳴きぬ  咲かざりし 花も咲けれど 山を茂(し)み 入りても聴かず  草深み 取りても見ず 秋山の 木の葉を見ては  黄葉(もみ)つをば 取りてそ偲(しぬ)ふ 青きをば 置きてそ嘆く そこし怜(たぬ)し 秋山吾(あれ)は

一七、額田王下近江國時作歌井戸王即和歌
味酒 三輪乃山 青丹吉 奈良能山乃 山際 伊隠萬代 道隈 伊積流萬代尓 委曲毛 見管行武雄 數々毛 見放武八萬雄 情無 雲乃 隠障倍之也


額田王の近江国に下りたまへる時よみたまへる歌
味酒(うまさけ) 三輪の山 青丹(あをに)よし 奈良の山の  山の際(ま)ゆ い隠るまて 道の隈(くま) い積もるまてに  つばらかに 見つつ行かむを しばしばも 見放(さ)かむ山を  心なく 雲の 隠さふべしや


一八、反歌
三輪山乎 然毛隠賀 雲谷裳 情有南畝 可苦佐布倍思哉

 反し歌
三輪山をしかも隠すか雲だにも心あらなむ隠さふべしや

右ノ二首ノ歌、山上憶良大夫ガ類聚歌林ニ曰ク、近江国ニ都ヲ遷ス時、三輪山ヲ御覧シテ御歌ヨミマセリ。日本書紀ニ曰ク、六年丙寅春三月辛酉朔己卯、近江ニ都ヲ遷ス。


一九、額田王下近江國時作歌井戸王即和歌、反歌、
綜麻形乃 林始乃 狭野榛能 衣尓著成 目尓都久和我勢

 井戸王(ゐとのおほきみ)の即ち和(こた)へたまへる歌
綜麻形(へそがた)の林の岬(さき)のさ野榛(ぬはり)の衣に付くなす目につく我が夫(せ)

 右ノ一首ノ歌、今按フニ和スル歌ニ似ズ。但シ旧本此ノ次ニ載セタリ。故レ以テ猶載ス。


二〇、天皇遊猟蒲生野時額田王作歌
茜草指 武良前野逝 標野行 野守者不見哉 君之袖布流

 天皇の蒲生野(かまふぬ)に遊猟(みかり)したまへる時、額田王のよみたまへる歌
茜さす紫野ゆき標野ゆき野守は見ずや君が袖ふる


二一、皇太子答御歌 明日香宮御宇天皇謚曰
紫草能 尓保敝類妹乎 尓苦久有者 人嬬故尓 吾戀目八方

 皇太子(ひつぎのみこ)の答へたまへる御歌 明日香宮ニ御宇シシ天皇
紫のにほへる妹を憎くあらば人妻故に吾(あれ)恋ひめやも

 紀ニ曰ク、天皇七年丁卯夏五月五日、蒲生野ニ縦猟シタマフ。時ニ大皇弟諸王内臣及ビ群臣皆悉ク従ヘリ。

明日香清御原宮天皇代


二二、十市皇女 参赴於伊勢神宮時見波多横山巌吹B刀自作歌
河上乃 湯津盤村二 草武左受 常丹毛冀名 常處女煮手

明日香の清御原(きよみはら)の宮に天の下しろしめしし天皇の代
 十市皇女(とほちのひめみこ)の伊勢の神宮(おほみがみのみや)に参赴(まゐで)たまへる時、波多の横山の巌(いはほ)を見て、吹黄刀自(ふきのとじ)がよめる歌
河の上(へ)のゆつ磐群に草むさず常にもがもな常処女(とこをとめ)にて

 吹黄刀自ハ詳ラカナラズ。但シ紀ニ曰ク、天皇四年乙亥春二月乙亥朔丁亥、十市皇女、阿閇皇女、伊勢神宮ニ参赴タマヘリ。


二三、麻續王流於伊勢國伊良虞嶋之時人哀傷作歌
打麻乎 麻續王 白水郎有哉 射等篭荷四間乃 珠藻苅麻須

 麻續王(をみのおほきみ)の伊勢国伊良虞(いらご)の島に流(はなた)へたまひし時、時(よ)の人の哀傷(かなし)みよめる歌
打麻(うつそ)を麻續の王海人なれや伊良虞が島の玉藻苅ります



二四、麻續王流於伊勢國伊良虞嶋之時人哀傷作歌、麻續王聞之感傷和歌
空蝉之 命乎惜美 浪尓所濕 伊良虞能嶋之 玉藻苅食

 麻續王のこの歌を聞かして感傷(かなし)み和へたまへる歌
うつせみの命を惜しみ波に湿(ひ)で伊良虞の島の玉藻苅り食(は)む
 右、日本紀ヲ案フルニ曰ク、天皇四年乙亥夏四月戊戌ノ朔乙卯、三品麻續王、罪有リテ因幡ニ流サレタマフ。一子ハ伊豆ノ島ニ流サレタマフ。一子ハ血鹿ノ島ニ流サレタマフ。是ニ伊勢国伊良虞ノ島ニ配スト云フハ、若疑後ノ人歌辞ニ縁リテ誤記セルカ。

二五、天皇御製歌
三吉野之 耳我嶺尓 時無曽 雪者落家留 間無曽 雨者零計類 其雪乃 時無如 其雨乃 間無如 隈毛不落 念乍叙来 其山道乎

  天皇のみよみませる御製歌(おほみうた)
み吉野の 耳我(みかね)の嶺(たけ)に 時なくそ 雪は降りける  間(ま)無くそ 雨は降りける その雪の 時なきがごと  その雨の 間なきがごと 隈(くま)もおちず 思ひつつぞ来る その山道を


二六、天皇御製歌、或本歌
三芳野之 耳我山尓 時自久曽 雪者落等言 無間曽 雨者落等言 其雪 不時如 其雨 無間如 隈毛不堕 思乍叙来 其山道乎

 或ル本(マキ)ノ歌、
み吉野の 耳我の山に 時じくそ 雪は降るちふ  間なくそ 雨は降るちふ その雪の 時じくがごと  その雨の 間なきがごと 隈もおちず 思ひつつぞ来る その山道を

右、句々相換レリ。此ニ因テ重テ載タリ。


二七、天皇幸于吉野宮時御製歌
淑人乃 良跡吉見而 好常言師 芳野吉見与 良人四来三

天皇の吉野の宮に幸せる時にみよみませる御製歌(おほみうた)
淑き人の良しと吉く見て好しと言ひし芳野吉く見よ良き人よく見

 紀ニ曰ク、八年己卯五月庚辰朔甲申、吉野宮ニ幸ス。


 藤原宮御宇天皇代


二八、天皇御製歌
春過而 夏来良之 白妙能 衣乾有 天之香来山

 藤原の宮に天の下しろしめしし天皇の代  
 天皇のみよみませる御製歌
春過ぎて夏来るらし白布(しろたへ)の衣乾したり天の香具山


二九、過近江荒都時柿本朝臣人麻呂作歌
玉手次 畝火之山乃 橿原乃 日知之御世従 [或云 自宮] 阿礼座師 神之盡 樛木乃 弥継嗣尓 天下 所知食之乎 [或云 食来] 天尓満 倭乎置而 青丹吉 平山乎超 [或云 虚見 倭乎置 青丹吉 平山越而] 何方 御念食可 [或云 所念計米可] 天離 夷者雖有 石走 淡海國乃 樂浪乃 大津宮尓 天下 所知食兼 天皇之 神之御言能 大宮者 此間等雖聞 大殿者 此間等雖云 春草之 茂生有 霞立 春日之霧流 [或云 霞立 春日香霧流 夏草香 繁成奴留] 百礒城之 大宮處 見者悲毛 [或云 見者左夫思毛]

 近江の荒れたる都を過(ゆ)く時、柿本朝臣人麿がよめる歌
玉たすき 畝傍(うねび)の山の 橿原の ひしりの御代よ  生(あ)れましし 神のことごと 樛(つが)の木の いや継ぎ嗣ぎに  天の下 知ろしめししを そらみつ 大和を置きて  青丹よし 奈良山越えて いかさまに 思ほしけめか  天離(あまざか)る 夷(ひな)にはあらねど* 石走(いはばし)る 淡海(あふみ)の国の  楽浪(ささなみ)の 大津の宮に 天の下 知ろしめしけむ  天皇(すめろぎ)の 神の命(みこと)の 大宮は ここと聞けども  大殿は ここと言へども 霞立つ 春日か霧(き)れる  夏草か 繁くなりぬる ももしきの 大宮処(おほみやどころ) 見れば悲しも



三〇、過近江荒都時柿本朝臣人麻呂作歌、反歌
樂浪之 思賀乃辛碕 雖幸有 大宮人之 船麻知兼津

反し歌
楽浪の志賀の辛崎(からさき)幸(さき)くあれど大宮人(ひと)の船待ちかねつ



三一、過近江荒都時柿本朝臣人麻呂作歌、反歌、
左散難弥乃 志我能  大和太 與杼六友 昔人二 亦母相目八毛 


楽浪の志賀の大曲(おほわだ)淀むとも昔の人にまたも逢はめやも


三二、高市古人感傷近江舊堵作歌 [或書云高市連黒人]
古 人尓和礼有哉 樂浪乃 故京乎 見者悲寸

 たけちのむらじくろひと)が近江の堵(みやこ)の旧(あ)れたるを感傷しみよめる歌
古の人に我あれや楽浪の古き都を見れば悲しき



三三、高市古人感傷近江舊堵作歌 [或書云高市連黒人]、
樂浪乃 國都美神乃 浦佐備而 荒有京 見者悲毛


楽浪の国つ御神のうらさびて荒れたる都見れば悲しも


三四、幸于紀伊國時川嶋皇子御作歌 [或云山上臣憶良作]
白浪乃 濱松之枝乃 手向草 幾代左右二賀 年乃經去良武 [一云 年者經尓計武]

紀伊国に幸せる時、川島皇子のよみませる歌(みうた) 或ルヒト云ク、山上臣憶良ガ作
白波の浜松が枝の手向(たむけ)ぐさ幾代までにか年の経ぬらむ

日本紀ニ曰ク、朱鳥四年庚寅秋九月、天皇紀伊国ニ幸ス。


三五、越勢能山時阿閇皇女御作歌
此也是能 倭尓四手者 我戀流 木路尓有云 名二負勢能山

 勢(せ)の山を越えたまふ時、阿閇皇女(あべのひめみこ)のよみませる御歌
これやこの大和にしては我(あ)が恋ふる紀路にありちふ名に負ふ勢の山


三六、幸于吉野宮之時柿本朝臣人麻呂作歌
八隅知之 吾大王之 所聞食 天下尓 國者思毛 澤二雖有 山川之 清河内跡 御心乎 吉野乃國之 花散相 秋津乃野邊尓 宮柱 太敷座波 百礒城乃 大宮人者 船並弖 旦川渡 舟競 夕河渡 此川乃 絶事奈久 此山乃 弥高思良珠 水激 瀧之宮子波 見礼跡不飽可問

 吉野の宮に幸せる時、柿本朝臣人麿がよめる歌
やすみしし 我が大王(おほきみ)の きこしをす 天の下に  国はしも 多(さは)にあれども 山川の 清き河内(かふち)と  御心を 吉野の国の 花散らふ 秋津の野辺に  宮柱 太敷き座(ま)せば ももしきの 大宮人は  船並(な)めて 朝川渡り 舟競(ふなきほ)ひ 夕川渡る  この川の 絶ゆることなく この山の いや高からし  落ち激(たぎ)つ 滝の宮処(みやこ)は 見れど飽かぬかも

三七、幸于吉野宮之時柿本朝臣人麻呂作歌、反歌
雖見飽奴 吉野乃河之 常滑乃 絶事無久 復還見牟


 反し歌
見れど飽かぬ吉野の川の常滑(とこなめ)の絶ゆることなくまた還り見む



三八、幸于吉野宮之時柿本朝臣人麻呂作歌、
安見知之 吾大王 神長柄 神佐備世須登 芳野川 多藝津河内尓 高殿乎 高知座而 上立 國見乎為勢婆 疊有 青垣山 々神乃 奉御調等 春部 花挿頭持 秋立者 黄葉頭刺理 [一云 黄葉加射之] 逝副 川之神母 大御食尓 仕奉等 上瀬尓 鵜川乎立 下瀬尓 小網刺渡 山川母 依弖奉流 神乃御代鴨


やすみしし 我が大王(おほきみ) 神(かむ)ながら 神さびせすと  吉野川 たぎつ河内に 高殿を 高知り座(ま)して  登り立ち 国見をすれば 畳(たた)な著(づ)く 青垣山  山神(やまつみ)の 奉(まつ)る御調(みつき)と  春へは 花かざし持ち 秋立てば もみち葉(ば)かざし  ゆふ川の 神も* 大御食(おほみけ)に 仕へ奉(まつ)ると  上(かみ)つ瀬に 鵜川を立て 下(しも)つ瀬に 小網(さで)さし渡し  山川も 依りて仕(つか)ふる 神の御代(みよ)かも



三九、幸于吉野宮之時柿本朝臣人麻呂作歌、反歌
山川毛 因而奉流 神長柄 多藝津河内尓 船出為加母

反し歌
山川も依りて仕ふる神ながらたぎつ河内に船出せすかも

右、日本紀ニ曰ク、三年己丑正月、天皇吉野宮ニ幸ス。八月、吉野宮ニ幸ス。四年庚寅二月、吉野宮ニ幸ス。五月、吉野宮ニ幸ス。五年辛卯正月、吉野宮ニ幸ス。四月、吉野宮ニ幸セリトイヘリ。何月ノ従駕ニテ作ル歌ナルコトヲ詳ラカニ知ラズ。



四〇、幸于伊勢國時留京柿本朝臣人麻呂作歌
鳴呼見乃浦尓 船乗為良武 D嬬等之 珠裳乃須十二 四寳三都良武香

伊勢国に幸せる時の歌
あご)の浦に船(ふな)乗りすらむ乙女らが珠裳の裾に潮満つらむか


四一、幸于伊勢國時留京柿本朝臣人麻呂作歌、
釼著 手節乃埼二 今日毛可母 大宮人之 玉藻苅良武


釵(くしろ)纏(ま)く答志(たふし)の崎に今もかも大宮人の玉藻苅るらむ



四二、幸于伊勢國時留京柿本朝臣人麻呂作歌、
潮左為二 五十等兒乃嶋邊 榜船荷 妹乗良六鹿 荒嶋廻乎


潮騒に伊良虞の島辺(へ)榜ぐ船に妹乗るらむか荒き島廻(しまみ)を
  右の三首(みうた)は、柿本朝臣人麿が京(みやこ)に留りてよめる。


四三、幸于伊勢國時、當麻真人麻呂妻作歌
吾勢枯波 何所行良武 己津物 隠乃山乎 今日香越等六


我が背子はいづく行くらむ沖つ藻の隠(なばり)の山を今日か越ゆらむ

右の一首(ひとうた)は、當麻真人麻呂(たぎまのまひとまろ)が妻(め)。


四四、幸于伊勢國時、石上大臣従駕作歌
吾妹子乎 去来見乃山乎 高三香裳 日本能不所見 國遠見可聞


わぎもこ)をいざ見の山を高みかも大和の見えぬ国遠みかも
  右の一首は、石上(いそのかみ)の大臣(おほまへつきみ)の従駕(おほみとも)つかへまつりてよめる。
 右、日本紀ニ曰ク、朱鳥六年壬辰春三月丙寅ノ朔戊辰、浄広肆廣瀬王等ヲ以テ、留守官ト為ス。是ニ中納言三輪朝臣高市麻呂、其ノ冠位(カガフリ)ヲ脱キテ、朝ニササゲテ、重ネテ諌メテ曰ク、農作(ナリハヒ)ノ前、車駕以テ動スベカラズ。辛未、天皇諌ニ従ハズシテ、遂ニ伊勢ニ幸シタマフ。五月乙丑朔庚午、阿胡行宮ニ御ス。


四五、軽皇子宿于安騎野時柿本朝臣人麻呂作歌
八隅知之 吾大王 高照 日之皇子 神長柄 神佐備世須等 太敷為 京乎置而 隠口乃 泊瀬山者 真木立 荒山道乎 石根 禁樹押靡 坂鳥乃 朝越座而 玉限 夕去来者 三雪落 阿騎乃大野尓 旗須為寸 四能乎押靡 草枕 多日夜取世須 古昔念而

 輕皇子の安騎(あき)の野に宿りませる時、柿本朝臣人麿がよめる歌
やすみしし 我が大王(おほきみ) 高ひかる 日の皇子(みこ)  神(かむ)ながら 神さびせすと 太敷かす 都を置きて  隠国(こもりく)の 泊瀬の山は 真木立つ 荒山道を  石(いは)が根 楚樹(しもと)押しなべ 坂鳥の 朝越えまして  玉蜻(かぎろひ)の* 夕さり来れば み雪降る 安騎の大野に  旗すすき しぬに押しなべ 草枕 旅宿りせす いにしへ思ほして


四六、軽皇子宿于安騎野時柿本朝臣人麻呂作歌、短歌
阿騎乃野尓 宿旅人 打靡 寐毛宿良目八方 古部念尓

安騎の野に宿れる旅人(たびと)うち靡き寝(い)も寝(ぬ)らめやもいにしへ思ふに



四七、軽皇子宿于安騎野時柿本朝臣人麻呂作歌、短歌、
真草苅 荒野者雖有 葉 過去君之 形見跡曽来師

ま草刈る荒野にはあれど黄葉(もみちば)の過ぎにし君が形見とぞ来し



四八、軽皇子宿于安騎野時柿本朝臣人麻呂作歌、短歌、
東 野炎 立所見而 反見為者 月西渡

東(ひむかし)の野に炎(かぎろひ)の立つ見えてかへり見すれば月かたぶきぬ



四九、軽皇子宿于安騎野時柿本朝臣人麻呂作歌、短歌、
日雙斯 皇子命乃 馬副而 御猟立師斯 時者来向

日並(ひなみ)の皇子の命の馬並めてみ狩り立たしし時は来向ふ


五〇、藤原宮之役民作歌
八隅知之 吾大王 高照 日乃皇子 荒妙乃 藤原我宇倍尓 食國乎 賣之賜牟登 都宮者 高所知武等 神長柄 所念奈戸二 天地毛 縁而有許曽 磐走 淡海乃國之 衣手能 田上山之 真木佐苦 桧乃嬬手乎 物乃布能 八十氏河尓 玉藻成 浮倍流礼 其乎取登 散和久御民毛 家忘 身毛多奈不知 鴨自物 水尓浮居而 吾作 日之御門尓 不知國 依巨勢道従 我國者 常世尓成牟 圖負留 神龜毛 新代登 泉乃河尓 持越流 真木乃都麻手乎 百不足 五十日太尓作 泝須良牟 伊蘇波久見者 神随尓有之

やすみしし 我が大王(おほきみ) 高ひかる 日の皇子(みこ) 荒布(あらたへ)の 藤原が上に 食(を)す国を 見(め)したまはむと 都宮(おほみや)は 高知らさむと 神ながら 思ほすなべに 天地(あめつち)も 依りてあれこそ 石走る 淡海(あふみ)の国の 衣手の 田上(たなかみ)山の 真木さく 檜(ひ)のつまてを 物部(もののふ)の 八十(やそ)宇治川に 玉藻なす 浮かべ流せれ そを取ると 騒く御民(みたみ)も 家忘れ 身もたな知らに 鴨じもの 水に浮き居て 吾(あ)が作る 日の御門に 知らぬ国 依り巨勢道(こせぢ)より 我が国 常世にならむ 図(ふみ)負へる 神(あや)しき亀も 新代(あらたよ)と 泉の川に 持ち越せる 真木のつまてを 百(もも)足らず 筏に作り 泝(のぼ)すらむ 勤(いそ)はく見れば 神ながらならし
右、日本紀ニ曰ク、朱鳥七年癸巳秋八月、藤原ノ宮地ニ幸ス。八年甲午春正月、藤原宮ニ幸ス。冬十二月庚戌ノ朔乙卯、藤原宮ニ遷リ居ス。


五一、従明日香宮遷居藤原宮之後志貴皇子御作歌
F女乃 袖吹反 明日香風 京都乎遠見 無用尓布久

媛女(をとめ)の袖吹き反す明日香風都を遠みいたづらに吹く



五二、藤原宮御井歌
萬葉集 巻第一9
八隅知之 和期大王 高照 日之皇子 麁妙乃 藤井我原尓 大御門 始賜而 埴安乃 堤上尓 在立之 見之賜者 日本乃 青香具山者 日經乃 大御門尓 春山跡 之美佐備立有 畝火乃 此美豆山者 日緯能 大御門尓 弥豆山跡 山佐備伊座 耳為之 青菅山者 背友乃 大御門尓 宣名倍 神佐備立有 名細 吉野乃山者 影友乃 大御門従 雲居尓曽 遠久有家留 高知也 天之御蔭 天知也 日之御影乃 水許曽婆 常尓有米 御井之清水

やすみしし 我ご大王(おほきみ) 高ひかる 日の皇子(みこ) 荒布の 藤井が原に 大御門(おほみかど) 始めたまひて 埴安(はにやす)の 堤の上に あり立たし 見(め)したまへば 大和の 青香具山は 日の経(たて)の 大御門に 青山と 茂(し)みさび立てり 畝傍の この瑞山(みづやま)は 日の緯(よこ)の 大御門に 瑞山と 山さびいます 耳成の 青菅山(あをすがやま)は 背面(そとも)の 大御門に よろしなべ 神さび立てり 名ぐはし 吉野の山は 影面(かげとも)の 大御門よ 雲居にそ 遠くありける 高知るや 天の御蔭 天知るや 日の御影の 水こそは 常磐(ときは)に有らめ 御井のま清水

五三、藤原宮御井歌、短歌
藤原之 大宮都加倍 安礼衝哉 處女之友者 乏吉呂賀聞

藤原の大宮仕へ顕(あ)れ斎(つ)くや処女が共は羨(とも)しきろかも
右の歌、作者(よみひと)未詳(しらず)。


五四、
巨勢山乃 列々椿 都良々々尓 見乍思奈 許湍乃春野乎

巨勢山の列列(つらつら)椿つらつらに見つつ偲はな巨勢の春野を
右の一首は、坂門人足(さかどのひとたり)。
或ル本ノ歌


五五、大寶元年辛丑秋九月太上天皇幸于紀伊國時歌、
朝毛吉 木人乏母 亦打山 行来跡見良武 樹人友師母

麻裳(あさも)よし紀人羨しも真土山行き来と見らむ紀人羨しも



五六、大寶元年辛丑秋九月太上天皇幸于紀伊國時歌、或本歌
河上乃 列々椿 都良々々尓 雖見安可受 巨勢能春野者

河上の列列椿つらつらに見れども飽かず巨勢の春野は
右の一首は、春日蔵首老(かすがのくらびとおゆ)。


五七、二年壬寅太上天皇幸于参河國時歌
引馬野尓 仁保布榛原 入乱 衣尓保波勢 多鼻能知師尓

引馬野(ひくまぬ)ににほふ榛原入り乱り衣にほはせ旅のしるしに
右の一首は、長忌寸奥麻呂(ながのいみきおきまろ) 

五八、二年壬寅太上天皇幸于参河國時歌、
何所尓可 船泊為良武 安礼乃埼 榜多味行之 棚無小舟

いづくにか船泊てすらむ安禮(あれ)の崎榜ぎ廻(た)み行きし棚無小舟(たななしをぶね)
右の一首は、高市連黒人


五九、譽謝女王作歌
流經 妻吹風之 寒夜尓 吾勢能君者 獨香宿良武

流らふる雪吹く風の寒き夜に我が夫(せ)の君はひとりか寝(ぬ)らむ
右の一首は、譽謝女王(よさのおほきみ)


六〇、長皇子御歌
暮相而 朝面無美 隠尓加 氣長妹之 廬利為里計武

宵に逢ひて朝(あした)面無み隠(なばり)にか日(け)長き妹が廬りせりけむ
右の一首は、長皇子(ながのみこ)


六一、舎人娘子従駕作歌
大夫之 得物矢手挿 立向 射流圓方波 見尓清潔之

大夫(ますらを)が幸矢(さつや)手(だ)挟み立ち向ひ射る圓方(まとかた)は見るに清(さや)けし
右の一首は、舎人娘子(とねりのいらつめ)が従駕(おほみとも)つかへまつりてよめる


六二、三野連[名闕]入唐時春日蔵首老作歌
在根良 對馬乃渡 々中尓 幣取向而 早還許年

大船*(おほぶね)の対馬の渡り海中(わたなか)に幣(ぬさ)取り向けて早帰り来ね
(在り嶺よし対馬の渡り海中に幣取り向けて早帰り来ね)
三野連が唐(もろこし)に入(つか)はさるる時、春日蔵首老がよめる歌


六三、山上臣憶良在大唐時憶本郷作歌
去子等 早日本邊 大伴乃 御津乃濱松 待戀奴良武

いざ子ども早日本辺(やまとへ)に大伴の御津の浜松待ち恋ひぬらむ



六四、慶雲三年丙午幸于難波宮時 志貴皇子御作歌
葦邊行 鴨之羽我比尓 霜零而 寒暮夕 倭之所念

葦辺(あしへ)ゆく鴨の羽交(はがひ)に霜降りて寒き夕へは大和し思ほゆ

六五、慶雲三年丙午幸于難波宮時、長皇子御歌
霰打 安良礼松原 住吉乃 弟日娘与 見礼常不飽香聞

霰打ち安良禮(あられ)松原住吉(すみのえ)の弟日娘(おとひをとめ)と見れど飽かぬかも



六六、太上天皇幸于難波宮時歌
大伴乃 高師能濱乃 松之根乎 枕宿杼 家之所偲由

大伴の高師の浜の松が根を枕(ま)きて寝(ぬ)る夜は家し偲はゆ



六七、太上天皇幸于難波宮時歌、
旅尓之而 物戀之伎尓 鶴之鳴毛 不所聞有世者 孤悲而死萬思

旅にして物恋(こほ)しきに家語(いへごと)も聞こえざりせば恋ひて死なまし



六八、太上天皇幸于難波宮時歌、
大伴乃 美津能濱尓有 忘貝 家尓有妹乎 忘而念哉

大伴の御津の浜なる忘れ貝家なる妹を忘れて思へや



六八、太上天皇幸于難波宮時歌、
草枕 客去君跡 知麻世婆 崖之埴布尓 仁寶播散麻思呼

草枕旅行く君と知らませば岸の黄土(はにふ)ににほはさましを



七〇、太上天皇幸于吉野宮時高市連黒人作歌
倭尓者 鳴而歟来良武 呼兒鳥 象乃中山 呼曽越奈流

大和には鳴きてか来らむ呼子鳥象(きさ)の中山呼びぞ越ゆなる



七一、大行天皇幸于難波宮時歌
倭戀 寐之不所宿尓 情無 此渚崎未尓 多津鳴倍思哉

大和恋ひ眠(い)の寝(ね)らえぬに心なくこの渚(す)の崎に鶴(たづ)鳴くべしや



七二、大行天皇幸于難波宮時歌、
玉藻苅 奥敝波不榜 敷妙乃 枕之邊人 忘可祢津藻

玉藻刈る沖へは榜がじ敷布(しきたへ)の枕の辺(ほとり)忘れかねつも



七三、大行天皇幸于難波宮時歌、長皇子御歌
吾妹子乎 早見濱風 倭有 吾松椿 不吹有勿勤

我妹子を早見浜風大和なる吾(あ)を松の樹に吹かざるなゆめ



七四、大行天皇幸于吉野宮時歌
見吉野乃 山下風之 寒久尓 為當也今夜毛 我獨宿牟

み吉野の山の荒風(あらし)の寒けくにはたや今宵も我(あ)が独り寝む



七五、大行天皇幸于吉野宮時歌、
宇治間山 朝風寒之 旅尓師手 衣應借 妹毛有勿久尓

宇治間山(うぢまやま)朝風寒し旅にして衣貸すべき妹もあらなくに



七六、和銅元年戊申 天皇御製
大夫之 鞆乃音為奈利 物部乃 大臣 楯立良思母

大夫(ますらを)の鞆(とも)の音すなり物部(もののふ)の大臣(おほまへつきみ)楯立つらしも



七七、和銅元年戊申 天皇御製、御名部皇女奉和御歌
吾大王 物莫御念 須賣神乃 嗣而賜流 吾莫勿久尓

吾が大王(おほきみ)ものな思ほし皇神(すめかみ)の嗣ぎて賜へる君なけなくに



七八、和銅三年庚戌春二月従藤原宮遷于寧樂宮時御輿停長屋原廻望古郷作歌 [一書云 太上天皇御製]
飛鳥 明日香能里乎 置而伊奈婆 君之當者 不所見香聞安良武 

飛ぶ鳥の明日香の里を置きて去なば君があたりは見えずかもあらむ 



七九、或本従藤原京遷于寧樂宮時歌
天皇乃 御命畏美 柔備尓之 家乎擇 隠國乃 泊瀬乃川尓 H浮而 吾行河乃 川隈之 八十阿不落 万段 顧為乍 玉桙乃 道行晩 青丹吉 楢乃京師乃 佐保川尓 伊去至而 我宿有 衣乃上従 朝月夜 清尓見者 栲乃穂尓 夜之霜落 磐床等 川之水凝 冷夜乎 息言無久 通乍 作家尓 千代二手 来座多公与 吾毛通武

天皇(おほきみ)の 御命(みこと)畏(かしこ)み 和(にき)びにし 家を置き 隠国(こもりく)の 泊瀬の川に 船浮けて 吾(あ)が行く河の 川隈(くま)の 八十隈(やそくま)おちず 万(よろづ)たび かへり見しつつ 玉ほこの 道行き暮らし 青丹よし 奈良の都の 佐保川に い行き至りて 我(あ)が寝たる 衣の上よ 朝月夜(づくよ) さやかに見れば 栲(たへ)の穂に 夜の霜降り 磐床と 川の氷(ひ)凝(こほ)り 冷(さ)ゆる夜を 息(やす)むことなく 通ひつつ 作れる家に 千代まてに 座(い)まさむ君と 吾(あれ)も通はむ


八十、或本従藤原京遷于寧樂宮時歌、反歌
青丹吉 寧樂乃家尓者 万代尓 吾母将通 忘跡念勿

青丹よし寧樂の家には万代に吾(あれ)も通はむ忘ると思(も)ふな



八一、和銅五年壬子夏四月遣長田王于伊勢齊宮時山邊御井作歌
山邊乃 御井乎見我弖利 神風乃 伊勢處女等 相見鶴鴨

山辺(やまへ)の御井を見がてり神風(かむかぜ)の伊勢処女(をとめ)ども相見つるかも



八二、和銅五年壬子夏四月遣長田王于伊勢齊宮時山邊御井作歌、
浦佐夫流 情佐麻祢之 久堅乃 天之四具礼能 流相見者
うらさぶる こころさまねし ひさかたの あめのしぐれの ながらふみれば

うらさぶる心さまねしひさかたの天のしぐれの流らふ見れば



八三、和銅五年壬子夏四月遣長田王于伊勢齊宮時山邊御井作歌、
海底 奥津白波 立田山 何時鹿越奈武 妹之當見武

海(わた)の底沖つ白波立田山いつか越えなむ妹があたり見む



八四、寧樂宮 長皇子與志貴皇子於佐紀宮倶宴歌
秋去者 今毛見如 妻戀尓 鹿将鳴山曽 高野原之宇倍
あきさらば いまもみるごと つまごひに かなかむやまぞ たかのはらのうへ

秋さらば今も見るごと妻恋ひに鹿鳴かむ山ぞ高野原の上


萬葉集 巻第一 了


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            巻第二   相 聞 
            ふたまきにあたるまき  したしみうた


難波高津宮御宇天皇代

八五、  磐姫皇后思天皇御作歌四首
君之行 氣長成奴 山多都祢 迎加将行待尓可将待
きみがゆき けながくなりぬ やまたづね むかへかゆかむ まちにかまたむ

  難波の高津の宮に天(あめ)の下知ろしめしし天皇(すめらみこと)の代(みよ)
  皇后(おほきさき)の天皇を思(しぬ)ばしてよみませる御歌四首
君が行き日長くなりぬ山尋ね迎へか行かむ待ちにか待たむ
  右ノ一首ノ歌ハ、山上憶良臣ガ類聚歌林ニ載セタリ。古事記ニ曰ク、輕太子、
  輕大郎女ニ奸(タハ)ケヌ。 故(カレ)其ノ太子、伊豫ノ湯ニ流サル。此ノ時衣通王、
  恋慕ニ堪ヘズシテ追ヒ徃ク時ノ歌ニ曰ク、

八六、 磐姫 皇后思天皇御作歌四首、
如此許 戀乍不有者 高山之 磐根四巻手 死奈麻死物呼
かくばかり こひつつあらずは たかやまの いはねしまきて しなましものを

かくばかり恋ひつつあらずは高山の磐根しまきて死なましものを



八七、 磐姫 皇后思天皇御作歌四首、
在管裳 君乎者将待 打靡 吾黒髪尓 霜乃置萬代日
ありつつも きみをばまたむ うちなびく わがくろかみに しものおくまでに

ありつつも君をば待たむうち靡く我が黒髪に霜の置くまでに


八八、磐姫 皇后思天皇御作歌四首、
秋田之 穂上尓霧相 朝霞 何時邊乃方二 我戀将息
あきのたの ほのへにきらふ あさかすみ いつへのかたに あがこひやまむ

秋の田の穂の上に霧らふ朝霞いづへの方に我が恋やまむ



八九、磐姫 皇后思天皇御作歌四首、或本歌曰
居明而 君乎者将待 奴婆珠能 吾黒髪尓 霜者零騰文
ゐあかして きみをばまたむ ぬばたまの わがくろかみに しもはふるとも

 或ル本(マキ)ノ歌ニ曰ク
居明かして君をば待たむぬばたまの我が黒髪に霜は降るとも
 右ノ一首ハ、古歌集ノ中ニ出デタリ


九〇、古事記曰 軽太子奸軽太郎女 故其太子流於伊豫湯也 此時衣通王 不堪戀慕而追徃時歌曰
君之行 氣長久成奴 山多豆乃 迎乎将徃 待尓者不待
きみがゆき けながくなりぬ やまたづの むかへをゆかむ まつにはまたじ

君が行き日長くなりぬ山たづの迎へを行かむ待つには待たじ
 此ニ山多豆ト云ヘルハ、今ノ造木(ミヤツコギ)也。右ノ一首ノ歌ハ、古事記ト類聚歌林ト、
 説ク所同ジカラズ。歌主モ亦異レリ。因(カ)レ日本紀ヲ検(カムガ)フルニ曰ク、難波高
 津宮ニ御宇(アメノシタシロシメ)シシ大鷦鷯(オホサザキ)天皇、廿二年春正月、天皇皇
 后ニ語リタマヒテ曰ク、八田皇女ヲ納(メシイ)レテ、妃ト為サム。時ニ皇后聴シタマハズ。
 爰ニ天皇歌(ミウタ)ヨミシテ、以テ皇后ニ乞ハシタマフ、云々。三十年秋九月乙卯朔乙丑、
 皇后、紀伊国ニ遊行(イデマ)シテ、熊野岬ニ到リ、其処ノ御綱葉ヲ取リテ還リタマフ。
 是ニ天皇、皇后ノ在サヌコトヲ伺ヒテ、八田皇女ヲ娶リテ、宮ノ中ニ納レタマフ。時ニ皇后、
 難波ノ濟(ワタリ)ニ到リ、天皇ノ八田皇女ヲ合(メ)シツト聞カシタマヒテ、大ニコレヲ恨ミタマフ、
 云々。亦曰ク、遠ツ飛鳥宮ニ御宇シシ雄朝嬬稚子宿禰天皇、二十三年春三月甲午朔庚子、
 木梨輕皇子ヲ太子ト為ス。容姿佳麗(カホキラキラシ)。見ル者自ラ感(メ)ヅ。同母妹(イロモ)
 輕太娘皇女モ亦艶妙ナリ、云々。遂ニ竊ニ通(タハ)ケヌ。乃チ悒懐少シ息(ヤ)ム。廿四年
 夏六月、御羮(オモノ)ノ汁凝(コ)リテ以テ氷ヲ作ス。天皇異(アヤ)シミタマフ。其ノ所由(ユヱ)
 ヲ卜(ウラ)シメタマフニ、卜者曰(マウ)サク、内ノ乱有ラム、盖シ親親相姦カ、云々。
 仍チ大娘皇女ヲ伊豫ニ移ストイヘルハ、今案ルニ、二代二時此歌ヲ見ズ。

近江大津宮御宇天皇代

九一、天皇賜鏡王 女御歌一首
妹之當 継而毛見武尓 山跡有 大嶋嶺尓 家居麻之乎  
いもがあたり つぎてもみむに やまとなる おほしまのねに いへをらましを 

 天皇の鏡女王(かがみのおほきみ)に賜へる御歌(おほみうた)一首(ひとつ
妹があたり継ぎても見むに大和なる大島の嶺に家居らましを



九二、鏡王女奉和御歌一首
秋山之 樹下隠 逝水乃 吾許曽益目 御念従者
あきやまの このしたがくり ゆくみづの われこそまさめ みおもひよりは

秋山の木の下隠り行く水の我れこそ益さめ御思ひよりは



九三、内大臣藤原卿娉鏡王女時鏡王女贈内大臣歌一首
玉匣 覆乎安美 開而行者 君名者雖有 吾名之惜裳
たまくしげ おほふをやすみ あけていなば きみがなはあれど わがなしをしも

玉櫛笥覆ふを安み明けていなば君が名はあれど吾が名し惜しも



九四、内大臣藤原卿報贈鏡王女歌一首
玉匣 将見圓山乃 狭名葛 佐不寐者遂尓 有勝麻之自 
たまくしげ みむろのやまの さなかづら さねずはつひに ありかつましじ 

玉櫛笥みむろの山のさな葛さ寝ずはつひに有りかつましじ 


九五、内大臣藤原卿娶釆女安見兒時作歌一首
吾者毛也 安見兒得有 皆人乃 得難尓為云 安見兒衣多利
われはもや やすみこえたり みなひとの えかてにすとふ やすみこえたり

我れはもや安見児得たり皆人の得かてにすとふ安見児得たり


久米禅師娉石川郎女時歌五首

九六、
水薦苅 信濃乃真弓 吾引者 宇真人佐備而 不欲常将言可聞   禅師
みこもかる しなぬのまゆみ わがひかば うまひとさびて いなといはむかも

み薦刈る信濃の真弓我が引かば貴人さびていなと言はむかも  禅師

九七、
三薦苅 信濃乃真弓 不引為而 強佐留行事乎 知跡言莫君二  郎女
みこもかる しなぬのまゆみ ひかずして しひさるわざを しるといはなくに

み薦刈る信濃の真弓引かずして強ひさるわざを知ると言はなくに  郎女



九八、
梓弓 引者随意 依目友 後心乎 知勝奴鴨   郎女
あづさゆみ ひかばまにまに よらめども のちのこころを しりかてぬかも

梓弓引かばまにまに寄らめども後の心を知りかてぬかも  郎女



九九、
梓弓 都良絃取波氣 引人者 後心乎 知人曽引  禅師
あづさゆみ つらをとりはけ ひくひとは のちのこころを しるひとぞひく

梓弓弦緒取りはけ引く人は後の心を知る人ぞ引く  禅師



一〇〇、
東人之 荷向篋乃 荷之緒尓毛 妹情尓 乗尓家留香問  禅師
あづまひとの のさきのはこの にのをにも いもはこころに のりにけるかも

東人の荷前の箱の荷の緒にも妹は心に乗りにけるかも  禅師



一〇一、大伴宿祢娉巨勢郎女時歌一首 
玉葛 實不成樹尓波 千磐破 神曽著常云 不成樹別尓
たまかづら みならぬきには ちはやぶる かみぞつくといふ ならぬきごとに

 大伴宿禰(おほとものすくね)の巨勢郎女(こせのいらつめ)を娉ふ時の歌一首
玉葛実ならぬ木にはちはやぶる神ぞつくといふならぬ木ごとに



一〇二、巨勢郎女報贈歌一首 [即近江朝大納言巨勢人卿之女也]
玉葛 花耳開而 不成有者 誰戀尓有目 吾孤悲念乎
たまかづら はなのみさきて ならずあるは たがこひにあらめ あはこひもふを

玉葛花のみ咲きてならずあるは誰が恋にあらめ我れ恋ひ思ふを


明日香清御原宮御宇天皇代

一〇三、天皇賜藤原夫人御歌一首
吾里尓 大雪落有 大原乃 古尓之郷尓 落巻者後
わがさとに おほゆきふれり おほはらの ふりにしさとに ふらまくはのち

 明日香の清御原(きよみはら)の宮に天の下知ろしめしし天皇の代
 天皇の藤原夫人(ふじはらのきさき)に賜へる御歌(おほみうた)一首
我が里に大雪降れり大原の古りにし里に降らまくは後


一〇四、藤原夫人奉和歌一首
吾岡之 於可美尓言而 令落 雪之摧之 彼所尓塵家武
わがをかの おかみにいひて ふらしめし ゆきのくだけし そこにちりけむ

我が岡のおかみに言ひて降らしめし雪のくだけしそこに散りけむ


藤原宮御宇天皇代 


一〇五、大津皇子竊下於伊勢神宮上来時大伯皇女御作歌二首
吾勢I乎 倭邊遺登 佐夜深而 鷄鳴露尓 吾立所霑之
わがせこを やまとへやると さよふけて あかときつゆに われたちぬれし

 藤原の宮に天の下知ろしめしし天皇の代
 大津皇子の、伊勢の神宮(かみのみや)に竊(しぬ)ひ下(くだ)りて
 上来(のぼ)ります時に、大伯皇女(おほくのひめみこ)のよみませる
 御歌二首(ふたつ)
我が背子を大和へ遣るとさ夜更けて暁露に我れ立ち濡れし



一〇六、大津皇子竊下於伊勢神宮上来時大伯皇女御作歌二首、
二人行杼 去過難寸 秋山乎 如何君之 獨越武
ふたりゆけど ゆきすぎかたき あきやまを いかにかきみが ひとりこゆらむ

ふたり行けど行き過ぎかたき秋山をいかにか君がひとり越ゆらむ



一〇七、大津皇子贈石川郎女御歌一首
足日木乃 山之四付二 妹待跡 吾立所沾 山之四附二
あしひきの やまのしづくに いもまつと われたちぬれぬ やまのしづくに

あしひきの山のしづくに妹待つと我れ立ち濡れぬ山のしづくに



一〇八、石川郎女奉和歌一首
吾乎待跡 君之沾計武 足日木能 山之四附二 成益物乎
あをまつと きみがぬれけむ あしひきの やまのしづくに ならましものを

我を待つと君が濡れけむあしひきの山のしづくにならましものを



一〇九、大津皇子竊婚石川女郎時津守連通占露其事皇子御作歌一首 
大船之 津守之占尓 将告登波 益為尓知而 我二人宿之
おほぶねの つもりがうらに のらむとは まさしにしりて わがふたりねし

 大津皇子、石川女郎(いしかはのいらつめ)に竊(しぬ)ひ婚(あ)ひ
 たまへる時、津守連通(つもりのむらじとほる)が其の事を
 占(うら)ひ露はせれば、皇子のよみませる御歌一首
大船の津守が占に告らむとはまさしに知りて我がふたり寝し



一一〇、日並皇子尊贈賜石川女郎御歌一首  女郎字曰大名兒也
大名兒 彼方野邊尓 苅草乃 束之間毛 吾忘目八
おほなこを をちかたのへに かるかやの つかのあひだも われわすれめや

 日並皇子(ひなみのみこ)の尊(みこと)の石川女郎に贈り賜へる御歌一首
 女郎、字(アザナ)ヲ大名児ト曰フ
大名児を彼方野辺に刈る草の束の間も我れ忘れめや


一一一、幸于吉野宮時弓削皇子贈与額田王歌一首
古尓 戀流鳥鴨 弓絃葉乃 三井能上従 鳴濟遊久
いにしへに こふるとりかも ゆづるはの みゐのうへより なきわたりゆく

 吉野(よしぬ)の宮に幸(いでま)せる時、
 弓削皇子(ゆげのみこ)の額田王に贈りたまへる御歌一首
いにしへに恋ふる鳥かも弓絃葉の御井の上より鳴き渡り行く



一一二、額田王奉和歌一首 
古尓 戀良武鳥者 霍公鳥 盖哉鳴之 吾念流碁騰
いにしへに こふらむとりは ほととぎす けだしやなきし あがもへるごと

 額田王の和(こた)へ奉れる歌一首
いにしへに恋ふらむ鳥は霍公鳥けだしや鳴きし我が念へるごと



一一三、従吉野折取蘿生松柯遣時額田王奉入歌一首
三吉野乃 玉松之枝者 波思吉香聞 君之御言乎 持而加欲波久
みよしのの たままつがえは はしきかも きみがみことを もちてかよはく

 吉野より蘿(こけ)生(む)せる松が枝(え)を折取(を)りて遣(おく)りたまへる時、
 額田王の奉入(たてまつ)れる歌一首
み吉野の玉松が枝ははしきかも君が御言を持ちて通はく



一一四、但馬皇女在高市皇子宮時思穂積皇子御作歌一首
秋田之 穂向乃所縁 異所縁 君尓因奈名 事痛有登母
あきのたの ほむきのよれる かたよりに きみによりなな こちたくありとも

 たぢまのひめみこ)の、高市皇子の宮に在(いま)せる時、
 穂積皇子を思(しぬ)ひてよみませる御歌一首
秋の田の穂向きの寄れる片寄りに君に寄りなな言痛くありとも



一一五、勅穂積皇子遣近江志賀山寺時但馬皇女御作歌一首
遺居而 戀管不有者 追及武 道之阿廻尓 標結吾勢
おくれゐて こひつつあらずは おひしかむ みちのくまみに しめゆへわがせ

 穂積皇子に勅(のりこ)ちて、近江の志賀の山寺に遣はさるる時、
 但馬皇女のよみませる御歌一首
後れ居て恋ひつつあらずは追ひ及かむ道の隈廻に標結へ我が背



一一六、但馬皇女在高市皇子宮時竊接穂積皇子事既形而御作歌一首
人事乎 繁美許知痛美 己世尓 未渡 朝川渡
ひとごとを しげみこちたみ おのがよに いまだわたらぬ あさかはわたる

 但馬皇女の、高市皇子の宮に在せる時、穂積皇子に竊(しぬ)び接(あ)ひ
 たまひし事既形(あらは)れて後によみませる御歌一首
人言を繁み言痛みおのが世にいまだ渡らぬ朝川渡る



一一七、舎人皇子御歌一首
大夫哉 片戀将為跡 嘆友 鬼乃益卜雄 尚戀二家里
ますらをや かたこひせむと なげけども しこのますらを なほこひにけり

 舎人皇子(とねりのみこ)の舎人娘子(とねりのいらつめ)に賜へる御歌一首
ますらをや片恋せむと嘆けども醜のますらをなほ恋ひにけり



一一八、舎人娘子奉和歌一首
嘆管 大夫之 戀礼許曽 吾髪結乃 漬而奴礼計礼
なげきつつ ますらをのこの こふれこそ わがかみゆひの ひちてぬれけれ

  舎人娘子が和へ奉れる歌一首
嘆きつつますらをのこの恋ふれこそ我が髪結ひの漬ちてぬれけれ



一一九、弓削皇子思紀皇女御歌四首
芳野河 逝瀬之早見 須臾毛 不通事無 有巨勢濃香問
よしのかは ゆくせのはやみ しましくも よどむことなく ありこせぬかも

 弓削皇子(ゆげのみこ)の紀皇女(きのひめみこ)を思(しぬ)ひてよみませる御歌四首(よつ)
吉野川行く瀬の早みしましくも淀むことなくありこせぬかも



一二〇、弓削皇子思紀皇女御歌四首、
吾妹兒尓 戀乍不有者 秋芽之 咲而散去流 花尓有猿尾
わぎもこに こひつつあらずは あきはぎの さきてちりぬる はなにあらましを

我妹子に恋ひつつあらずは秋萩の咲きて散りぬる花にあらましを



一二一、弓削皇子思紀皇女御歌四首、
暮去者 塩満来奈武 住吉乃 淺鹿乃浦尓 玉藻苅手名
ゆふさらば しほみちきなむ すみのえの あさかのうらに たまもかりてな

夕さらば潮満ち来なむ住吉の浅香の浦に玉藻刈りてな



一二二、弓削皇子思紀皇女御歌四首、
大船之 泊流登麻里能 絶多日二 物念痩奴 人能兒故尓
おほぶねの はつるとまりの たゆたひに ものもひやせぬ ひとのこゆゑに

 三方沙弥(みかたのさみ)が、園臣生羽(そののおみいくは)の女(め)に娶(あ)ひて、
 幾だもあらねば、臥病(やみふ)せるときの作歌(うた)三首
大船の泊つる泊りのたゆたひに物思ひ痩せぬ人の子故に



一二三、三方沙弥娶園臣生羽之女未經幾時臥病作歌三首
多氣婆奴礼 多香根者長寸 妹之髪 此来不見尓 掻入津良武香  三方沙弥
たけばぬれ たかねばながき いもがかみ このころみぬに かかげつらむか

三方沙弥(みかたのさみ)が、園臣生羽(そののおみいくは)の女(め)に娶(あ)ひて、幾だもあらねば、臥病(やみふ)せるときの作歌(うた)三首
束けば滑れ束かねば長き妹が髪このころ見ぬに掻上げつらむか   三方沙弥



一二四、三方沙弥娶園臣生羽之女未經幾時臥病作歌三首、
人皆者 今波長跡 多計登雖言 君之見師髪 乱有等母  娘子
ひとみなは いまはながしと たけといへど きみがみしかみ みだれたりとも

人皆は今は長しとたけと言へど君が見し髪乱れたりとも 娘子


一二五、三方沙弥娶園臣生羽之女未經幾時臥病作歌三首、
橘之 蔭履路乃 八衢尓 物乎曽念 妹尓不相而  三方沙弥
たちばなの かげふむみちの やちまたに ものをぞおもふ いもにあずして

橘の蔭踏む道の八衢に物をぞ思ふ妹に逢はずして  三方沙弥



一二六、石川女郎贈大伴宿祢田主歌一首 [即佐保大納言大伴卿之第二子 母曰巨勢朝臣也]
遊士跡 吾者聞流乎 屋戸不借 吾乎還利 於曽能風流士
みやびをと われはきけるを やどかさず われをかへせり おそのみやびを

 石川女郎が、大伴宿禰田主(おほとものすくねたぬし)に贈れる歌一首
風流士と我れは聞けるをやど貸さず我れを帰せりおその風流士
 大伴田主ハ、字仲郎(ナカチコ)ト曰リ。容姿佳艶、風流秀絶。見ル人聞ク者、歎息(ナゲ)カズト
 イフコト靡(ナ)シ。時ニ石川女郎(イラツメ)トイフモノアリ。自ラ雙栖ノ感ヒヲ成シ、恒ニ独守ノ難キヲ
 悲シム。意(ココロ)ハ書寄セムト欲ヘドモ、未ダ良キ信(タヨリ)ニ逢ハズ。爰ニ方便ヲ作シテ、賎シ
 キ嫗ニ似セ、己レ堝子(ナベ)ヲ提ゲテ、寝(ネヤ)ノ側ニ到ル。哽音跼足、戸ヲ叩キ諮(トブラ)ヒテ曰ク、
 東ノ隣ノ貧シキ女(メ)、火ヲ取ラムト来タルト。是ニ仲郎、暗キ裏(ウチ)ニ冒隠ノ形ヲ識ラズ、
 慮外ニ拘接(マジハリ)ノ計ニ堪ヘズ。念ヒニ任セテ火ヲ取リ、跡ニ就キテ帰リ去ヌ。明ケテ後、
 女郎既ニ自ラ媒チセシコトノ愧ヅベキヲ恥ヂ、復タ心契(チギリ)ノ果タサザルヲ恨ム。
 因テ斯ノ歌ヲ作ミ、以テ贈リテ諺戯(タハブ)レリ。


一二七、大伴宿祢田主報贈歌一首
遊士尓 吾者有家里 屋戸不借 令還吾曽 風流士者有
みやびをに われはありけり やどかさず かへししわれぞ みやびをにはある

 大伴宿禰田主が報贈(こた)ふる歌一首
風流士に我れはありけりやど貸さず帰しし我れぞ風流士にはある



一二八、同石川女郎更贈大伴田主中郎歌一首
吾聞之 耳尓好似 葦若末乃 足痛吾勢 勤多扶倍思
わがききし みみによくにる あしのうれの あしひくわがせ つとめたぶべし

我が聞きし耳によく似る葦の末の足ひく我が背つとめ給ぶべし



一二九、大津皇子宮侍石川女郎贈大伴宿祢宿奈麻呂歌一首 
古之 嫗尓為而也 如此許 戀尓将沈 如手童兒 
ふりにし おみなにしてや かくばかり こひにしづまむ たわらはのごと 

 大津皇子の宮の侍(まかたち)石川女郎が大伴宿禰宿奈麻呂(すくなまろ)に贈れる歌一首
古りにし嫗にしてやかくばかり恋に沈まむ手童のごと 


一三〇、長皇子与皇弟御歌一首
丹生乃河 瀬者不渡而 由久遊久登 戀痛吾弟 乞通来祢
にふのかは せはわたらずて ゆくゆくと こひたしわがせ いでかよひこね

丹生の川瀬は渡らずてゆくゆくと恋痛し我が背いで通ひ来ね


一三一、柿本朝臣人麻呂従石見國別妻上来時歌二首并短歌
石見乃海 角乃浦廻乎 浦無等 人社見良目 滷無等 人社見良目 能咲八師 浦者無友 縦畫屋師 滷者無鞆 鯨魚取 海邊乎指而 和多豆乃 荒礒乃上尓 香青生 玉藻息津藻 朝羽振 風社依米 夕羽振流 浪社来縁 浪之共 彼縁此依 玉藻成 依宿之妹乎 露霜乃 置而之来者 此道乃 八十隈毎 萬段 顧為騰 弥遠尓 里者放奴 益高尓 山毛越来奴 夏草之 念思奈要而 志怒布良武 妹之門将見 靡此山
いはみのうみ つののうらみを うらなしと ひとこそみらめ かたなしと ひとこそみらめ よしゑやし うらはなくとも よしゑやし かたはなくとも いさなとり うみへをさして にきたづの ありそのうへに かあをなる たまもおきつも あさはふる かぜこそよせめ ゆふはふる なみこそきよれ なみのむた かよりかくより たまもなす よりねしいもを つゆしもの おきてしくれば このみちの やそくまごとに よろづたび かへりみすれど いやとほに さとはさかりぬ いやたかに やまもこえきぬ なつくさの おもひしなえて しのふらむ いもがかどみむ なびけこのやま


 柿本朝臣人麿が石見国(いはみのくに)より妻(め)に別れ上来(まゐのぼ)る時の歌二首、また短歌(みじかうた
石見の海 角の浦廻を 浦なしと 人こそ見らめ 潟なしと 人こそ見らめ よしゑやし 浦はなくとも よしゑやし 潟は なくとも 鯨魚取り 海辺を指して 柔田津の 荒礒の上に か青なる 玉藻沖つ藻 朝羽振る 風こそ寄せめ 夕羽振る 波こそ来寄れ 波のむた か寄りかく寄り 玉藻なす 寄り寝し妹を 露霜の 置きてし来れば この道の 八十隈ごとに 万たび かへり見すれど いや遠に 里は離りぬ いや高に 山も越え来ぬ 夏草の 思ひ萎へて 偲ふらむ 妹が門見む 靡けこの山

一三二、柿本朝臣人麻呂従石見國別妻上来時歌二首并短歌、反歌二首
石見乃也 高角山之 木際従 我振袖乎 妹見都良武香
いはみのや たかつのやまの このまより わがふるそでを いもみつらむか

石見のや高角山の木の間より我が振る袖を妹見つらむか



一三三、柿本朝臣人麻呂従石見國別妻上来時歌二首并短歌、反歌二首、
小竹之葉者 三山毛清尓 乱友 吾者妹思 別来礼婆
ささのはは みやまもさやに さやげども われはいもおもふ わかれきぬれば

笹の葉はみ山もさやにさやげども我れは妹思ふ別れ来ぬれば



一三四、柿本朝臣人麻呂従石見國別妻上来時歌二首并短歌、或本反歌曰
石見尓有 高角山乃 木間従文 吾袂振乎 妹見監鴨
いはみなる たかつのやまの このまゆも わがそでふるを いもみけむかも

石見なる高角山の木の間ゆも我が袖振るを妹見けむかも



一三五、柿本朝臣人麻呂従石見國別妻上来時歌二首[并短歌]、
角障經 石見之海乃 言佐敝久 辛乃埼有 伊久里尓曽 深海松生流 荒礒尓曽 玉藻者生流 玉藻成 靡寐之兒乎 深海松乃 深目手思騰 左宿夜者 幾毛不有 延都多乃 別之来者 肝向 心乎痛 念乍 顧為騰 大舟之 渡乃山之 黄葉乃 散之乱尓 妹袖 清尓毛不見 嬬隠有 屋上乃 山乃 自雲間 渡相月乃 雖惜 隠比来者 天傳 入日刺奴礼 大夫跡 念有吾毛 敷妙乃 衣袖者 通而沾奴
つのさはふ いはみのうみの ことさへく からのさきなる いくりにぞ ふかみるおふる ありそにぞ たまもはおふる たまもなす なびきねしこを ふかみるの ふかめておもへど さねしよは いくだもあらず はふつたの わかれしくれば きもむかふ こころをいたみ おもひつつ かへりみすれど おほぶねの わたりのやまの もみちばの ちりのまがひに いもがそで さやにもみえず つまごもる やかみの やまの くもまより わたらふつきの をしけども かくらひくれば あまづたふ いりひさしぬれ ますらをと おもへるわれも しきたへの ころものそでは とほりてぬれぬ

つのさはふ 石見の海の 言さへく 唐の崎なる 海石にぞ 深海松生ふる 荒礒にぞ 玉藻は生ふる 玉藻なす 靡き寝し子を 深海松の 深めて思へど さ寝し夜は 幾だもあらず 延ふ蔦の 別れし来れば 肝向ふ 心を痛み 思ひつつ かへり見すれど 大船の 渡の山の 黄葉の 散りの乱ひに 妹が袖 さやにも見えず 妻ごもる 屋上の山の 雲間より 渡らふ月の 惜しけども 隠らひ来れば 天伝ふ 入日さしぬれ 大夫と 思へる我れも 敷栲の 衣の袖は 通りて濡れぬ



一三六、柿本朝臣人麻呂従石見國別妻上来時歌二首并短歌、反歌二首
青駒之 足掻乎速 雲居曽 妹之當乎 過而来計類 
あをこまが あがきをはやみ くもゐにぞ いもがあたりを すぎてきにける 

 反し歌二首
青駒が足掻きを速み雲居にぞ妹があたりを過ぎて来にける



一三七、柿本朝臣人麻呂従石見國別妻上来時歌二首[并短歌]、反歌二首、
秋山尓 落黄葉 須臾者 知里勿乱曽 妹之當将見 
あきやまに おつるもみちば しましくは ちりなまがひそ いもがあたりみむ 

秋山に落つる黄葉しましくはな散りな乱ひそ妹があたり見む 


一三八、柿本朝臣人麻呂従石見國別妻上来時歌二首 并短歌、或本歌一首 并短歌
石見之海 津乃浦乎無美 浦無跡 人社見良米 滷無跡 人社見良目 吉咲八師 浦者雖無 縦恵夜思 潟者雖無 勇魚取 海邊乎指而 柔田津乃 荒礒之上尓 蚊青生 玉藻息都藻 明来者 浪己曽来依 夕去者 風己曽来依 浪之共 彼依此依 玉藻成 靡吾宿之 敷妙之 妹之手本乎 露霜乃 置而之来者 此道之 八十隈毎 萬段 顧雖為 弥遠尓 里放来奴 益高尓 山毛超来奴 早敷屋師 吾嬬乃兒我 夏草乃 思志萎而 将嘆 角里将見 靡此山
いはみのうみ つのうらをなみ うらなしと ひとこそみらめ かたなしと ひとこそみらめ よしゑやし うらはなくとも よしゑやし かたはなくとも いさなとり うみべをさして にきたつの ありそのうへに かあをなる たまもおきつも あけくれば なみこそきよれ ゆふされば かぜこそきよれ なみのむた かよりかくより たまもなす なびきわがねし しきたへの いもがたもとを つゆしもの おきて しくれば このみちの やそくまごとに よろづたび かへりみすれど いやとほに さとさかりきぬ いやたかに やまもこえきぬ はしきやし わがつまのこが なつくさの おもひしなえて なげくらむ つののさとみむ なびけこのやま

石見の海 津の浦をなみ 浦なしと 人こそ見らめ 潟なしと 人こそ見らめ よしゑやし 浦はなくとも よしゑやし 潟はなくとも 鯨魚取り 海辺を指して 柔田津の 荒礒の上に か青なる 玉藻沖つ藻 明け来れば 波こそ来寄れ 夕されば 風こそ来寄れ 波のむた か寄りかく寄り 玉藻なす 靡き我が寝し 敷栲の 妹が手本を 露霜の 
置きてし来れば この道の 八十隈ごとに 万たび かへり見すれど いや遠に 里離り来ぬ いや高に 山も越え来ぬ はしきやし 我が妻の子が 夏草の 思ひ萎えて 嘆くらむ 角の里見む 靡けこの山 


一三九、柿本朝臣人麻呂従石見國別妻上来時歌二首 并短歌、或本歌一首 并短歌、反歌一首
石見之海 打歌山乃 木際従 吾振袖乎 妹将見香
いはみのうみ うつたのやまの このまより わがふるそでを いもみつらむか

 反し歌
石見の海打歌の山の木の間より我が振る袖を妹見つらむか



一四〇、柿本朝臣人麻呂妻依羅娘子与人麻呂相別歌一首
勿念跡 君者雖言 相時 何時跡知而加 吾不戀有牟
なおもひと きみはいへども あはむとき いつとしりてか あがこひずあらむ

な思ひと君は言へども逢はむ時いつと知りてか我が恋ひずあらむ



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 挽 歌
  かなしみうた

後岡本宮御宇天皇代

一四一、有間皇子自傷結松枝歌二首
磐白乃 濱松之枝乎 引結 真幸有者 亦還見武
いはしろの はままつがえを ひきむすび まさきくあらば またかへりみむ

 後の崗本の宮に天の下知ろしめしし天皇(すめらみこと)の代(みよ)
 有間皇子の自傷(かなし)みまして松が枝を結びたまへる御歌二首
磐白の浜松が枝を引き結びま幸くあらばまた帰り見む



一四二、
家有者 笥尓盛飯乎 草枕 旅尓之有者 椎之葉尓盛
いへにあれば けにもるいひを くさまくら たびにしあれば しひのはにもる

家にあれば笥に盛る飯を草枕旅にしあれば椎の葉に盛る



一四三、長忌寸意吉麻呂見結松哀咽歌二首
磐代乃 崖之松枝 将結 人者反而 復将見鴨
いはしろの きしのまつがえ むすびけむ ひとはかへりて またみけむかも

 長忌寸意吉麻呂(ながのいみきおきまろ)が、結び松を見て哀咽(かなし)みよめる歌二首
磐代の岸の松が枝結びけむ人は帰りてまた見けむかも
 柿本朝臣人麿ノ歌集ニ云ク、大宝元年辛丑、紀伊国ニ幸セル時、結ビ松ヲ見テ作レル歌一首


一四四、長忌寸意吉麻呂見結松哀咽歌二首、
磐代之 野中尓立有 結松 情毛不解 古所念
いはしろの のなかにたてる むすびまつ こころもとけず いにしへおもほゆ


磐代の野中に立てる結び松心も解けずいにしへ思ほゆ


一四五、山上臣憶良追和歌一首
鳥翔成 有我欲比管 見良目杼母 人社不知 松者知良武
つばさなす ありがよひつつ みらめども ひとこそしらね まつはしるらむ

 山上臣憶良が追ひて和(なぞら)ふる歌一首
鳥翔(つばさ)成す有りがよひつつ見らめども人こそ知らね松は知るらむ



一四六、大寶元年辛丑幸于紀伊國時見結松歌一首 
後将見跡 君之結有 磐代乃 子松之宇礼乎 又将見香聞
のちみむと きみがむすべる いはしろの こまつがうれを またもみむかも

後見むと君が結べる磐代の小松がうれをまたも見むかも


近江大津宮御宇天皇代
 近江の大津の宮に天の下知ろしめしし天皇の代


一四七、 天皇聖躬不豫之時太后奉御歌一首
天原 振放見者 大王乃 御壽者長久 天足有
あまのはら ふりさけみれば おほきみの みいのちはながく あまたらしたり

 天皇の聖躬不豫(おほみやまひ)せす時、大后(おほきさき)の奉れる御歌一首
天の原振り放け見れば大君の御寿は長く天足らしたり
 一書ニ曰ク、近江天皇ノ聖体不豫ニシテ、御病急(ニハカ)ナル時、大后ノ奉献レル御歌一首ナリト。


一四八、一書曰近江天皇聖躰不豫御病急時太后奉獻御歌一首
青旗乃 木旗能上乎 賀欲布跡羽 目尓者雖視 直尓不相香裳
あをはたの こはたのうへを かよふとは めにはみれども ただにあはぬかも

青旗の木幡の上を通ふとは目には見れども直に逢はぬかも



一四九、天皇崩後之時倭太后御作歌一首
人者縦 念息登母 玉蘰 影尓所見乍 不所忘鴨
ひとはよし おもひやむとも たまかづら かげにみえつつ わすらえぬかも

人はよし思ひやむとも玉葛影に見えつつ忘らえぬかも



一五〇、天皇崩時婦人作歌一首 
空蝉師 神尓不勝者 離居而 朝嘆君 放居而 吾戀君 玉有者 手尓巻持而 衣有者 脱時毛無 吾戀 君曽伎賊乃夜 夢所見鶴
うつせみし かみにあへねば はなれゐて あさなげくきみ さかりゐて あがこふるきみ たまならば てにまきもちて きぬならば ぬくときもなく あがこふる きみぞきぞのよ いめにみえつる 

 天皇の崩(かむあがりま)せる時、婦人(をみな)がよめる歌一首
うつせみし 神に堪へねば 離れ居て 朝嘆く君 放り居て 我が恋ふる君 玉ならば 手に巻き持ちて 衣ならば 脱く時もなく 我が恋ふる 君ぞ昨夜の夜 夢に見えつる 
    


一五一、天皇大殯之時歌二首
如是有乃 懐知勢婆 大御船 泊之登萬里人 標結麻思乎 額田王
かからむと かねてしりせば おほみふね はてしとまりに しめゆはましを

 天皇の大殯(おほあらき)の時の歌四首
かからむとかねて知りせば大御船泊てし泊りに標結はましを 額田王


一五二、天皇大殯之時歌二首、
八隅知之 吾期大王乃 大御船 待可将戀 四賀乃辛埼 舎人吉年
やすみしし わごおほきみの おほみふね まちかこふらむ しがのからさき

やすみしし我ご大君の大御船待ちか恋ふらむ志賀の唐崎  舎人吉年



一五三、太后御歌一首
鯨魚取 淡海乃海乎 奥放而 榜来船 邊附而 榜来船 奥津加伊 痛勿波祢曽 邊津加伊 痛莫波祢曽 若草乃 嬬之 念鳥立
いさなとり あふみのうみを おきさけて こぎきたるふね へつきて こぎくるふね おきつかい いたくなはねそ へつかい いたくなはねそ わかくさの つまの おもふとりたつ

鯨魚取り 近江の海を 沖放けて 漕ぎ来る船 辺付きて 漕ぎ来る船 沖つ櫂 いたくな撥ねそ 辺つ櫂 いたくな撥ねそ 若草の 夫の 思ふ鳥立つ 



一五四、石川夫人歌一首
神樂浪乃 大山守者 為誰可 山尓標結 君毛不有國
ささなみの おほやまもりは たがためか やまにしめゆふ きみもあらなくに

楽浪の大山守は誰がためか山に標結ふ君もあらなくに



一五五、従山科御陵退散之時額田王作歌一首
八隅知之 和期大王之 恐也 御陵奉仕流 山科乃 鏡山尓 夜者毛 夜之盡 晝者母 日之盡 哭耳呼 泣乍在而哉 百礒城乃 大宮人者 去別南
やすみしし わごおほきみの かしこきや みはかつかふる やましなの かがみのやまに よるはも よのことごと ひるはも ひのことごと ねのみを なきつつありてや ももしきの おほみやひとは ゆきわかれなむ

やすみしし 我ご大君の 畏きや 御陵仕ふる 山科の 鏡の山に 夜はも 夜のことごと 昼はも 日のことごと 哭のみを 泣きつつありてや ももしきの 大宮人は 行き別れなむ 


明日香清御原宮御宇天皇代 


一五六、十市皇女薨時高市皇子尊御作歌三首
三諸之 神之神須疑 已具耳矣自得見監乍共 不寝夜叙多
みもろの かみのかむすぎ かくのみにありとし みつついねぬよぞおほき  

 十市皇女の薨(すぎま)せる時、高市皇子尊のよみませる御歌三首
みもろの神の神杉(かむすぎ)かくのみにありとし見つつ寝ねぬ夜ぞ多き



一五七、十市皇女薨時高市皇子尊御作歌三首、
神山之 山邊真蘇木綿 短木綿 如此耳故尓 長等思伎
みわやまの やまへまそゆふ みじかゆふ かくのみからに ながくとおもひき

三輪山の山辺真麻木綿短か木綿かくのみからに長くと思ひき



一五八、十市皇女薨時高市皇子尊御作歌三首、
山振之 立儀足 山清水 酌尓雖行 道之白鳴
やまぶきの たちよそひたる やましみづ くみにゆかめど みちのしらなく

山吹の立ちよそひたる山清水汲みに行かめど道の知らなく



一五九、天皇崩之時大后御作歌一首
八隅知之 我大王之 暮去者 召賜良之 明来者 問賜良志 神岳乃 山之黄葉乎 今日毛鴨 問給麻思 明日毛鴨 召賜萬旨 其山乎 振放見乍 暮去者 綾哀 明来者 裏佐備晩 荒妙乃 衣之袖者 乾時文無
やすみしし わがおほきみの ゆふされば めしたまふらし あけくれば とひたまふらし かむおかの やまのもみちを けふもかも とひたまはまし あすもかも めしたまはまし そのやまを ふりさけみつつ ゆふされば あやにかなしみ あけくれば うらさびくらし あらたへの ころものそでは ふるときもなし

 天皇の崩(かむあがりま)せる時、大后のよみませる御歌一首
やすみしし 我が大君の 夕されば 見したまふらし 明け来れば 問ひたまふらし 神岳の 山の黄葉を 今日もかも 問ひたまはまし 明日もかも 見したまはまし その山を 振り放け見つつ 夕されば あやに悲しみ 明け来れば うらさび暮らし 荒栲の 衣の袖は 干る時もなし


一六〇、一書曰天皇崩之時太上天皇御製歌二首
燃火物 取而L而 福路庭 入澄不言八面 智男雲
もゆるひも とりてつつみて ふくろには いるといはずやも 智男雲

燃ゆる火も取りて包みて袋には入ると言はずやも智男雲



一六一、一書曰天皇崩之時太上天皇御製歌二首、
向南山 陳雲之 青雲之 星離去 月矣離而
きたやまに たなびくくもの あをくもの ほしさかりゆき つきをはなれて

北山にたなびく雲の青雲の星離り行き月を離れて



一六二、天皇崩之後八年九月九日奉為御齊會之夜夢裏習賜御歌一首 
明日香能 清御原乃宮尓 天下 所知食之 八隅知之 吾大王 高照 日之皇子 何方尓 所念食可 神風乃 伊勢能國者 奥津藻毛 靡足波尓 塩氣能味 香乎礼流國尓 味凝 文尓乏寸 高照 日之御子
あすかの きよみのみやに あめのした しらしめしし やすみしし わがおほきみ たかてらす ひのみこ いかさまに おもほしめせか かむかぜの いせのくには おきつもも なみたるなみに しほけのみ かをれるくにに うまこり あやにともしき たかてらす ひのみこ

 天皇ノ崩シシ後、八年九月九日御斎会(ヲガミ)奉為(ツカヘマツ)レル夜、夢裏(イメ)ニ習(ヨ)ミ賜ヘル御歌一首
明日香の 清御原の宮に 天の下 知らしめしし やすみしし 我が大君 高照らす 日の御子 いかさまに 思ほしめせか 神風の 伊勢の国は 沖つ藻も 靡みたる波に 潮気のみ 香れる国に 味凝り あやにともしき 高照らす 日の御子

藤原宮御宇天皇代 


一六三、大津皇子薨之後大来皇女従伊勢齊宮上京之時御作歌二首
神風乃 伊勢能國尓母 有益乎 奈何可来計武 君毛不有尓
かむかぜの いせのくににも あらましを なにしかきけむ きみもあらなくに

 大津皇子の薨(すぎま)しし後、大来皇女(おほくのひめみこ)
 の 伊勢の斎宮(いつきのみや)より上京(のぼ)りたまへる時、
 よみませる御歌二首
神風の伊勢の国にもあらましを何しか来けむ君もあらなくに



一六四、大津皇子薨之後大来皇女従伊勢齋宮上京之時御作歌二首、
欲見 吾為君毛 不有尓 奈何可来計武 馬疲尓
みまくほり わがするきみも あらなくに なにしかきけむ うまつかるるに

見まく欲り我がする君もあらなくに何しか来けむ馬疲るるに



一六五、移葬大津皇子屍於葛城二上山之時大来皇女哀傷御作歌二首
宇都曽見乃 人尓有吾哉 従明日者 二上山乎 弟世登吾将見
うつそみの ひとにあるわれや あすよりは ふたかみやまを いろせとわがみむ

うつそみの人にある我れや明日よりは二上山を弟背と我が見む



一六六、移葬大津皇子屍於葛城二上山之時大来皇女哀傷御作歌二首、
礒之於尓 生流馬酔木乎 手折目杼 令視倍吉君之 在常不言尓
いそのうへに おふるあしびを たをらめど みすべききみが ありといはなくに

磯の上に生ふる馬酔木を手折らめど見すべき君が在りと言はなくに



一六七、日並皇子尊殯宮之時柿本朝臣人麻呂作歌一首 并短歌
天地之 初時 久堅之 天河原尓 八百萬 千萬神之 神集 々座而 神分 々之時尓 天照 日女之命 天乎婆 所知食登 葦原乃 水穂之國乎 天地之 依相之極 所知行 神之命等 天雲之 八重掻別而  神下 座奉之 高照 日之皇子波 飛鳥之 浄之宮尓 神随 太布座而 天皇之 敷座國等 天原 石門乎開 神上 々座奴 吾王 皇子之命乃 天下 所知食世者 春花之 貴在等 望月乃 満波之計武跡 天下 四方之人乃 大船之 思憑而 天水 仰而待尓 何方尓 御念食可 由縁母無 真弓乃岡尓 宮柱 太布座 御在香乎 高知座而 明言尓 御言不御問 日月之 數多成塗 其故 皇子之宮人 行方不知毛
あめつちの はじめのとき ひさかたの あまのかはらに やほよろづ ちよろづかみの かむつどひ つどひいまして かむはかり はかりしときに あまてらす ひるめのみこと  あめをば しらしめすと あしはらの みづほのくにを あめつちの よりあひのきはみ しらしめす かみのみことと あまくもの やへかきわきて かむくだし いませまつりし たかてらす ひのみこは とぶとりの きよみのみやに かむながら ふとしきまして すめろきの しきますくにと あまのはら いはとをひらき かむあがり あがりいましぬ わがおほきみ みこのみことの あめのした しらしめしせば はるはなの たふとくあらむと もちづきの たたはしけむと あめのした よものひとの おほぶねの おもひたのみて あまつみづ あふぎてまつに いかさまに おもほしめせか つれもなき まゆみのをかに みやばしら ふとしきいまし みあらかを たかしりまして あさことに みこととはさぬ ひつきの まねくなりぬれ そこゆゑに みこのみやひと ゆくへしらずも 
 
 日並皇子(ひなみのみこ)の尊(みこと)の殯宮(あらきのみや)の時、
 柿本朝臣人麿がよめる歌一首、また短歌(みじかうた)
天地の 初めの時 ひさかたの 天の河原に 八百万 千万神の 神集ひ 集ひいまして 神分り 分りし時に 天照らす 日女の命 天をば 知らしめすと 葦原の 瑞穂の国を 天地の 寄り合ひの極み 知らしめす 神の命と 天雲の 八重かき別きて 神下し いませまつりし 高照らす 日の御子は 飛ぶ鳥の 清御原の宮に 神ながら 太敷きまして すめろきの 敷きます国と 天の原 岩戸を開き 神上り 上りいましぬ 我が大君 皇子の命の 天の下 知らしめしせば 春花の 貴くあらむと 望月の 満しけむと 天の下 食す国 四方の人の 大船の 思ひ頼みて 天つ水 仰ぎて待つに いかさまに 思ほしめせか つれもなき 真弓の岡に 宮柱 太敷きいまし みあらかを 高知りまして 朝言に 御言問はさぬ 日月の 数多くなりぬれ そこ故に 皇子の宮人 ゆくへ知らずも 



一六八、反歌二首
久堅乃 天見如久 仰見之 皇子乃御門之 荒巻惜毛
ひさかたの あめみるごとく あふぎみし みこのみかどの あれまくをしも

ひさかたの天見るごとく仰ぎ見し皇子の御門の荒れまく惜しも



一六九、反歌
茜刺 日者雖照者 烏玉之 夜渡月之 隠良久惜毛
あかねさす ひはてらせれど ぬばたまの よわたるつきの かくらくをしも

あかねさす日は照らせれどぬばたまの夜渡る月の隠らく惜しも
 或ル本、件ノ歌ヲ以テ後ノ皇子ノ尊ノ殯宮ノ時ノ反歌ト為ス。


一七〇、日並皇子尊殯宮之時柿本朝臣人麻呂作歌一首 并短歌、或本歌一首
嶋宮 勾乃池之 放鳥 人目尓戀而 池尓不潜
しまのみや まがりのいけの はなちとり ひとめにこひて いけにかづかず

嶋の宮まがりの池の放ち鳥人目に恋ひて池に潜かず



一七一、皇子尊宮舎人等慟傷作歌廿三首
高光 我日皇子乃 萬代尓 國所知麻之 嶋宮波母
たかてらす わがひのみこの よろづよに くにしらさまし しまのみやはも

 皇子の尊の宮の舎人等が慟傷(かなし)みてよめる歌二十三首(はたちまりみつ)
高照らす我が日の御子の万代に国知らさまし嶋の宮はも



一七二、皇子尊宮舎人等慟傷作歌廿三首、
嶋宮 上池有 放鳥 荒備勿行 君不座十方
しまのみや うへのいけなる はなちとり あらびなゆきそ きみまさずとも

嶋の宮上の池なる放ち鳥荒びな行きそ君座さずとも



一七三、皇子尊宮舎人等慟傷作歌廿三首、
高光 吾日皇子乃 伊座世者 嶋御門者 不荒有益乎
たかてらす わがひのみこの いましせば しまのみかどは あれずあらましを

高照らす我が日の御子のいましせば島の御門は荒れずあらましを



一七四、皇子尊宮舎人等慟傷作歌廿三首、
外尓見之 檀乃岡毛 君座者 常都御門跡 侍宿為鴨
よそにみし まゆみのをかも きみませば とこつみかどと とのゐするかも

外に見し真弓の岡も君座せば常つ御門と侍宿するかも



一七五、皇子尊宮舎人等慟傷作歌廿三首、
夢尓谷 不見在之物乎 欝悒 宮出毛為鹿 佐日之隈廻乎
いめにだに みずありしものを おほほしく みやでもするか さひのくまみを

夢にだに見ずありしものをおほほしく宮出もするかさ桧の隈廻を



一七六、皇子尊宮舎人等慟傷作歌廿三首、
天地与 共将終登 念乍 奉仕之 情違奴
あめつちと ともにをへむと おもひつつ つかへまつりし こころたがひぬ

天地とともに終へむと思ひつつ仕へまつりし心違ひぬ



一七七、皇子尊宮舎人等慟傷作歌廿三首、
朝日弖流 佐太乃岡邊尓 群居乍 吾等哭涙 息時毛無
あさひてる さだのをかへに むれゐつつ わがなくなみた やむときもなし

朝日照る佐田の岡辺に群れ居つつ我が泣く涙やむ時もなし



一七八、皇子尊宮舎人等慟傷作歌廿三首、
御立為之 嶋乎見時 庭多泉 流涙 止曽金鶴
みたたしの しまをみるとき にはたづみ ながるるなみた とめぞかねつる

み立たしの島を見る時にはたづみ流るる涙止めぞかねつる



一七九、皇子尊宮舎人等慟傷作歌廿三首、
橘之 嶋宮尓者 不飽鴨 佐田乃岡邊尓 侍宿為尓徃
たちばなの しまのみやには あかぬかも さだのをかへに とのゐしにゆく

橘の嶋の宮には飽かぬかも佐田の岡辺に侍宿しに行く



一八〇、皇子尊宮舎人等慟傷作歌廿三首、
御立為之 嶋乎母家跡 住鳥毛 荒備勿行 年替左右
みたたしの しまをもいへと すむとりも あらびなゆきそ としかはるまで

み立たしの島をも家と棲む鳥も荒びな行きそ年かはるまで



一八一、皇子尊宮舎人等慟傷作歌廿三首、
御立為之 嶋之荒礒乎 今見者 不生有之草 生尓来鴨
みたたしの しまのありそを いまみれば おひざりしくさ おひにけるかも

み立たしの島の荒礒を今見れば生ひざりし草生ひにけるかも



一八二、皇子尊宮舎人等慟傷作歌廿三首、
鳥M立 飼之鴈乃兒 栖立去者 檀岡尓 飛反来年
とぐらたて かひしかりのこ すだちなば まゆみのをかに とびかへりこね

鳥座立て飼ひし雁の子巣立ちなば真弓の岡に飛び帰り来ね



一八三、皇子尊宮舎人等慟傷作歌廿三首、
吾御門 千代常登婆尓 将榮等 念而有之 吾志悲毛
わがみかど ちよとことばに さかえむと おもひてありし われしかなしも

我が御門千代とことばに栄えむと思ひてありし我れし悲しも



一八四、皇子尊宮舎人等慟傷作歌廿三首、
東乃 多藝能御門尓 雖伺侍 昨日毛今日毛 召言毛無
ひむがしの たぎのみかどに さもらへど きのふもけふも めすこともなし

東のたぎの御門に侍へど昨日も今日も召す言もなし



一八五、皇子尊宮舎人等慟傷作歌廿三首、
水傳 礒乃浦廻乃 石上乍自 木丘開道乎 又将見鴨
みなつたふ いそのうらみの いはつつじ もくさくみちを またもみむかも

水伝ふ礒の浦廻の岩つつじ茂く咲く道をまたも見むかも



一八六、皇子尊宮舎人等慟傷作歌廿三首、
一日者 千遍参入之 東乃 大寸御門乎 入不勝鴨
ひとひには ちたびまゐりし ひむがしの おほきみかどを いりかてぬかも

一日には千たび参りし東の大き御門を入りかてぬかも



一八七、皇子尊宮舎人等慟傷作歌廿三首、
所由無 佐太乃岡邊尓 反居者 嶋御橋尓 誰加住N無
つれもなき さだのをかへに かへりゐば しまのみはしに たれかすまはむ

つれもなき佐田の岡辺に帰り居ば島の御階に誰れか住まはむ



一八八、皇子尊宮舎人等慟傷作歌廿三首、
旦覆 日之入去者 御立之 嶋尓下座而 嘆鶴鴨
あさぐもり ひのいりゆけば みたたしの しまにおりゐて なげきつるかも

朝ぐもり日の入り行けばみ立たしの島に下り居て嘆きつるかも



一八九、皇子尊宮舎人等慟傷作歌廿三首、
旦日照 嶋乃御門尓 欝悒 人音毛不為者 真浦悲毛
あさひてる しまのみかどに おほほしく ひとおともせねば まうらがなしも

朝日照る嶋の御門におほほしく人音もせねばまうら悲しも



一九〇、皇子尊宮舎人等慟傷作歌廿三首、
真木柱 太心者 有之香杼 此吾心 鎮目金津毛
まきばしら ふときこころは ありしかど このあがこころ しづめかねつも

真木柱太き心はありしかどこの我が心鎮めかねつも



一九一、皇子尊宮舎人等慟傷作歌廿三首、
毛許呂裳遠 春冬片設而 幸之 宇陀乃大野者 所念武鴨
けころもを ときかたまけて いでましし うだのおほのは おもほえむかも

けころもを時かたまけて出でましし宇陀の大野は思ほえむかも



一九二、皇子尊宮舎人等慟傷作歌廿三首、
朝日照 佐太乃岡邊尓 鳴鳥之 夜鳴變布 此年己呂乎
あさひてる さだのをかへに なくとりの よなきかへらふ このとしころを

朝日照る佐田の岡辺に泣く鳥の夜哭きかへらふこの年ころを



一九三、皇子尊宮舎人等慟傷作歌廿三首、
八多篭良我 夜晝登不云 行路乎 吾者皆悉 宮道叙為
はたこらが よるひるといはず ゆくみちを われはことごと みやぢにぞする

畑子らが夜昼といはず行く道を我れはことごと宮道にぞする



一九四、柿本朝臣人麻呂獻泊瀬部皇女忍坂部皇子歌一首 并短歌
飛鳥 明日香乃河之 上瀬尓 生玉藻者 下瀬尓 流觸經 玉藻成 彼依此依 靡相之 嬬乃命乃 多田名附 柔膚尚乎 劔刀 於身副不寐者 烏玉乃 夜床母荒良無 所虚故 名具鮫兼天 氣田敷藻 相屋常念而 玉垂乃 越能大野之 旦露尓 玉裳者O打 夕霧尓 衣者沾而 草枕 旅宿鴨為留 不相君故
とぶとりの あすかのかはの かみつせに おふるたまもは しもつせに ながれふらばふ たまもなす かよりかくより なびかひし つまのみことの たたなづく にきはだすらを つるぎたち みにそへねねば ぬばたまの よとこもあるらむ そこゆゑに なぐさめかねて けだしくも あふやとおもひて たまだれの をちのおほのの あさつゆに たまもはひづち ゆふぎりに ころもはぬれて くさまくら たびねかもする あはぬきみゆゑ

飛ぶ鳥の 明日香の川の 上つ瀬に 生ふる玉藻は 下つ瀬に 流れ触らばふ 玉藻なす か寄りかく寄り 靡かひし 嬬の命の たたなづく 柔肌すらを 剣太刀 身に添へ寝ねば ぬばたまの 夜床も荒るらむ そこ故に 慰めかねて けだしくも 逢ふやと思ひて 玉垂の 越智の大野の 朝露に 玉藻はひづち 夕霧に 衣は濡れて 草枕 旅寝かもする 逢はぬ君故



一九五、柿本朝臣人麻呂獻泊瀬部皇女忍坂部皇子歌一首 并短歌、反歌一首
敷妙乃 袖易之君 玉垂之 越野過去 亦毛将相八方 
しきたへの そでかへしきみ たまだれの をちのすぎゆく またもあはめやも

敷栲の袖交へし君玉垂の越智野過ぎ行くまたも逢はめやも
 


一九六、明日香皇女木P殯宮之時柿本朝臣人麻呂作歌一首 并短歌
飛鳥 明日香乃河之 上瀬 石橋渡 下瀬 打橋渡 石橋 生靡留 玉藻毛叙 絶者生流 打橋 生乎為礼流 川藻毛叙 干者波由流 何然毛 吾王能 立者 玉藻之母許呂 臥者 川藻之如久 靡相之 宣君之 朝宮乎 忘賜哉 夕宮乎 背賜哉 宇都曽臣跡 念之時 春都者 花折挿頭 秋立者 黄葉挿頭 敷妙之 袖携 鏡成 雖見不Q 三五月之 益目頬染 所念之 君与時々 幸而 遊賜之 御食向 木P之宮乎 常宮跡 定賜 味澤相 目辞毛絶奴 然有鴨 綾尓憐 宿兄鳥之 片戀嬬 朝鳥 徃来為君之 夏草乃 念之萎而 夕星之 彼徃此去 大船 猶預不定見者 遣悶流 情毛不在 其故 為便知之也 音耳母 名耳毛不絶 天地之 弥遠長久 思将徃 御名尓懸世流 明日香河 及万代 早布屋師 吾王乃 形見何此焉
とぶとりの あすかのかはの かみつせに いしはしわたし しもつせに うちはしわたす いしはしに おひなびける たまももぞ たゆればおふる うちはしに おひををれる かはももぞ かるればはゆる なにしかも わがおほきみの たたせば たまものもころ こやせば かはものごとく なびかひし よろしききみが あさみやを わすれたまふや ゆふみやを そむきたまふや うつそみと おもひしときに はるへは はなをりかざし あきたてば もみちばかざし しきたへの そでたづさはり かがみなす みれどもあかず もちづきの いやめづらしみ おもほしし きみとときとき いでまして あそびたまひし みけむかふ きのへのみやを とこみやと さだめたまひて あぢさはふ めこともたえぬ しかれかも あやにかなしみ ぬえどりの かたこひづま あさとりの かよはすきみが なつくさの おもひしなえて ゆふつづの かゆきかくゆき おほぶねの たゆたふみれば なぐさもる こころもあらず そこゆゑに せむすべしれや おとのみも なのみもたえず あめつちの いやとほながく しのひゆかむ みなにかかせる あすかがは よろづよまでに はしきやし わがおほきみの かたみかここを

飛ぶ鳥の 明日香の川の 上つ瀬に 石橋渡し 下つ瀬に 打橋渡す 石橋に 生ひ靡ける 玉藻もぞ 絶ゆれば生ふる 打橋に 生ひををれる 川藻もぞ 枯るれば生ゆる なにしかも 我が大君の 立たせば 玉藻のもころ 臥やせば 川藻のごとく 靡かひし 宜しき君が 朝宮を 忘れたまふや 夕宮を 背きたまふや うつそみと 思ひし時に 春へは 花折りかざし 秋立てば 黄葉かざし 敷栲の 袖たづさはり 鏡なす 見れども飽かず 望月の いやめづらしみ 思ほしし 君と時々 出でまして 遊びたまひし 御食向ふ 城上の宮を 常宮と 定めたまひて あぢさはふ 目言も絶えぬ しかれかも あやに悲しみ ぬえ鳥の 片恋づま 朝鳥の 通はす君が 夏草の 思ひ萎えて 夕星の か行きかく行き 大船の たゆたふ見れば 慰もる 心もあらず そこ故に 為むすべ知れや 音のみも 名のみも絶えず 天地の いや遠長く 偲ひ行かむ 御名に懸かせる 明日香川 万代までに はしきやし 我が大君の 形見かここを

一九七、明日香皇女木P殯宮之時柿本朝臣人麻呂作歌一首 并短歌、短歌二首
明日香川 四我良美渡之 塞益者 進留水母 能杼尓賀有萬思
あすかがは しがらみわたし せかませば ながるるみづも のどにかあらまし
 
明日香川しがらみ渡し塞かませば流るる水ものどにかあらまし 

一九八、明日香皇女木P殯宮之時柿本朝臣人麻呂作歌一首 并短歌、短歌二首、
明日香川 明日谷 将見等 念八方  吾王 御名忘世奴
あすかがは あすだに[さへ]みむと おもへやも わがおほきみの みなわすれせぬ
 
明日香川明日だに 見むと思へやも 我が大君の御名忘れせぬ 
 


一九九、高市皇子尊城上殯宮之時柿本朝臣人麻呂作歌一首 并短歌
挂文 忌之伎鴨 言久母 綾尓畏伎 明日香乃 真神之原尓 久堅能 天都御門乎 懼母 定賜而 神佐扶跡 磐隠座 八隅知之 吾大王乃 所聞見為 背友乃國之 真木立 不破山越而 狛劔 和射見我原乃 行宮尓 安母理座而 天下 治賜 食國乎 定賜等 鶏之鳴 吾妻乃國之 御軍士乎 喚賜而 千磐破 人乎和為跡 不奉仕 國乎治跡 皇子随 任賜者 大御身尓 大刀取帶之 大御手尓 弓取持之 御軍士乎 安騰毛比賜 齊流 鼓之音者 雷之 聲登聞麻R 吹響流 小角乃音母 敵見有 虎可S吼登 諸人之 恊流麻R尓 指擧有 幡之靡者 冬木成 春去来者 野毎 著而有火之 風之共 靡如久 取持流 弓波受乃驟 三雪落 冬乃林尓 飃可毛 伊巻渡等 念麻R 聞之恐久 引放 箭之繁計久 大雪乃 乱而来礼 不奉仕 立向之毛 露霜之 消者消倍久 去鳥乃 相競端尓 渡會乃 齊宮従 神風尓 伊吹或之 天雲乎 日之目毛不令見 常闇尓 覆賜而 定之 水穂之國乎 神随 太 敷座而 八隅知之 吾大王之 天下 申賜者 萬代尓 然之毛将有登 木綿花乃 榮時尓 吾大王 皇子之御門乎 神宮尓 装束奉而 遣使 御門之人毛 白妙乃 麻衣著 埴安乃 門之原尓 赤根刺 日之盡 鹿自物 伊波比伏管 烏玉能 暮尓至者 大殿乎 振放見乍 鶉成 伊波比廻 雖侍候 佐母良比不得者 春鳥之 佐麻欲比奴礼者 嘆毛 未過尓 憶毛 未不盡者 言左敝久 百濟之原従 神葬 々伊座而 朝毛吉 木上宮乎 常宮等 高之奉而 神随 安定座奴 雖然 吾大王之 萬代跡 所念食而 作良志之 香来山之宮 萬代尓 過牟登念哉 天之如 振放見乍 玉手次 懸而将偲 恐有騰文
かけまくも ゆゆしきかも いはまくも あやにかしこき あすかの まかみのはらに ひさかたの あまつみかどを かしこくも さだめたまひて かむさぶと いはがくります やすみしし わがおほきみの きこしめす そとものくにの まきたつ ふはやまこえて こまつるぎ わざみがはらの かりみやに あもりいまして あめのした をさめたまひ をすくにを さだめたまふと とりがなく あづまのくにの みいくさを めしたまひて ちはやぶる ひとをやはせと まつろはぬ くにををさめと みこながら よさしたまへば おほみみに たちとりはかし おほみてに ゆみとりもたし みいくさを あどもひたまひ ととのふる つづみのおとは いかづちの こゑときくまで ふきなせる くだのおとも あたみたる とらかほゆると もろひとの おびゆるまでに ささげたる はたのなびきは ふゆこもり はるさりくれば のごとに つきてあるひの かぜのむた なびくがごとく とりもてる ゆはずのさわき みゆきふる ふゆのはやしに つむじかも いまきわたると おもふまで ききのかしこく ひきはなつ やのしげけく おほゆきの みだれてきたれ まつろはず たちむかひしも つゆしもの けなばけぬべく ゆくとりの あらそふはしに わたらひの いつきのみやゆ かむかぜに いふきまとはし あまくもを ひのめもみせず とこやみに おほひたまひて さだめてし みづほのくにを かむながら ふとしきまして やすみしし わがおほきみの あめのした まをしたまへば よろづよに しかしもあらむと  ゆふばなの さかゆるときに わがおほきみ みこのみかどを  かむみやに よそひまつりて つかはしし みかどのひとも しろたへの あさごろもきて はにやすの みかどのはらに あかねさす ひのことごと ししじもの いはひふしつつ ぬばたまの ゆふへになれば おほとのを ふりさけみつつ うづらなす いはひもとほり さもらへど さもらひえねば はるとりの さまよひぬれば なげきも いまだすぎぬに おもひも いまだつきねば ことさへく くだらのはらゆ かみはぶり はぶりいまして あさもよし きのへのみやを とこみやと たかくまつりて かむながら しづまりましぬ しかれども わがおほきみの よろづよと おもほしめして つくらしし かぐやまのみや よろづよに すぎむとおもへや あめのごと ふりさけみつつ たまたすき かけてしのはむ かしこかれども

かけまくも ゆゆしきかも 言はまくも あやに畏き 明日香の 真神の原に ひさかたの 天つ御門を 畏くも 定めたまひて 神さぶと 磐隠ります やすみしし 我が大君の きこしめす 背面の国の 真木立つ 不破山超えて 高麗剣 和射見が原の 仮宮に 天降りいまして 天の下 治めたまひ 食す国を 定めたまふと 鶏が鳴く 東の国の 御いくさを 召したまひて ちはやぶる 人を和せと 奉ろはぬ 国を治めと 皇子ながら 任したまへば 大御身に 大刀取り佩かし 大御手に 弓取り持たし 御軍士を 率ひたまひ 整ふる 鼓の音は 雷の 声と聞くまで 吹き鳴せる 小角の音も 敵見たる 虎か吼ゆると 諸人の おびゆるまでに ささげたる 幡の靡きは 冬こもり 春さり来れば 野ごとに つきてある火の 風の共 靡くがごとく 取り持てる 弓弭の騒き み雪降る 冬の林に つむじかも い巻き渡ると 思ふまで 聞きの畏く 引き放つ 矢の繁けく 大雪の 乱れて来れ まつろはず 立ち向ひしも 露霜の 消なば消ぬべく 行く鳥の 争ふはしに 渡会の 斎きの宮ゆ 神風に い吹き惑はし 天雲を 日の目も見せず 常闇に 覆ひ賜ひて 定めてし 瑞穂の国を 神ながら 太敷きまして やすみしし 我が大君の 天の下 申したまへば 万代に しかしもあらむと 木綿花の 栄ゆる時に 我が大君 皇子の御門を  神宮に 装ひまつりて 使はしし 御門の人も 白栲の 麻衣着て 埴安の 御門の原に あかねさす 日のことごと 獣じもの い匍ひ伏しつつ ぬばたまの 夕になれば 大殿を 振り放け見つつ 鶉なす い匍ひ廻り 侍へど 侍ひえねば 春鳥の さまよひぬれば 嘆きも いまだ過ぎぬに 思ひも いまだ尽きねば 言さへく 百済の原ゆ 神葬り 葬りいまして あさもよし 城上の宮を 常宮と 高く奉りて 神ながら 鎮まりましぬ しかれども 我が大君の 万代と 思ほしめして 作らしし 香具山の宮 万代に 過ぎむと思へや 天のごと 振り放け見つつ 玉たすき 懸けて偲はむ 畏かれども

二〇〇、高市皇子尊城上殯宮之時柿本朝臣人麻呂作歌一首 并短歌、短歌二首
久堅之 天所知流 君故尓 日月毛不知 戀渡鴨
ひさかたの あめしらしぬる きみゆゑに ひつきもしらず こひわたるかも

ひさかたの天知らしぬる君故に日月も知らず恋ひわたるかも

二〇一、高市皇子尊城上殯宮之時柿本朝臣人麻呂作歌一首 并短歌、短歌二首、
埴安乃 池之堤之 隠沼乃 去方乎不知 舎人者迷惑
はにやすの いけのつつみの こもりぬの ゆくへをしらに とねりはまとふ

埴安の池の堤の隠り沼のゆくへを知らに舎人は惑ふ

二〇二、高市皇子尊城上殯宮之時柿本朝臣人麻呂作歌一首 并短歌、或書反歌一首
哭澤之 神社尓三輪須恵 雖祷祈 我王者 高日所知奴
なきさはの もりにみわすゑ いのれども わがおほきみは たかひしらしぬ

哭沢の神社に三輪据ゑ祈れども我が大君は高日知らしぬ

二〇三、但馬皇女薨後穂積皇子冬日雪落遥望御墓悲傷流涕御作歌一首
零雪者 安播尓勿落 吉隠之 猪養乃岡之 塞為巻尓
ふるゆきは あはになふりそ よなばりの ゐかひのをかの せきなさまくに

降る雪はあはにな降りそ吉隠の猪養の岡の塞なさまくに

二〇四、弓削皇子薨時置始東人作歌一首[并短歌]
安見知之 吾王 高光 日之皇子 久堅乃 天宮尓 神随 神等座者 其乎霜 文尓恐美 晝波毛 日之盡 夜羽毛 夜之盡 臥居雖嘆 飽不 足香裳
やすみしし わがおほきみ たかてらす ひのみこ ひさかたの あまつみやに かむながら かみといませば そこをしも あやにかしこみ ひるはも ひのことごと よるはも よのことごと ふしゐなげけど あきたらぬかも

やすみしし 我が大君 高照らす 日の御子 ひさかたの 天つ宮に 神ながら 神といませば そこをしも あやに畏み 昼はも 日のことごと 夜はも 夜のことごと 伏し居嘆けど 飽き足らぬかも 

二〇五、弓削皇子薨時置始東人作歌一首 并短]、反歌一首
王者 神西座者 天雲之 五百重之下尓 隠賜奴
おほきみは かみにしませば あまくもの いほへがしたに かくりたまひぬ

大君は神にしませば天雲の五百重が下に隠りたまひぬ

二〇六、弓削皇子薨時置始東人作歌一首 并短歌、又短歌一首
神樂浪之 志賀左射礼浪 敷布尓 常丹跡君之 所念有計類
ささなみの しがさざれなみ しくしくに つねにときみが おもほせりける

楽浪の志賀さざれ波しくしくに常にと君が思ほせりける

二〇七、柿本朝臣人麻呂妻死之後泣血哀慟作歌二首 并短歌
天飛也 軽路者 吾妹兒之 里尓思有者 懃 欲見騰 不已行者 入目乎多見 真根久徃者 人應知見 狭根葛 後毛将相等 大船之 思憑而 玉蜻 磐垣淵之 隠耳 戀管在尓 度日乃 晩去之如 照月乃 雲隠如 奥津藻之 名延之妹者 黄葉乃 過伊去等 玉梓之 使之言者 梓弓 聲尓聞而 将言為便 世武為便不知尓 聲耳乎 聞而有不得者 吾戀 千重之一隔毛 遣悶流 情毛有八等 吾妹子之 不止出見之 軽市尓 吾立聞者 玉手次 畝火乃山尓 喧鳥之 音母不所聞 玉桙 道行人毛 獨谷 似之不去者 為便乎無見 妹之名喚而 袖曽振鶴 
あまとぶや かるのみちは わぎもこが さとにしあれば ねもころに みまくほしけど やまずゆかば ひとめをおほみ まねくゆかば ひとしりぬべみ さねかづら のちもあはむと おほぶねの おもひたのみて たまかぎる いはかきふちの こもりのみ こひつつあるに わたるひの くれぬるがごと てるつきの くもがくるごと おきつもの なびきしいもは もみちばの すぎていにきと たまづさの つかひのいへば あづさゆみ おとにききて いはむすべ せむすべしらに おとのみを ききてありえねば あがこふる ちへのひとへも なぐさもる こころもありやと わぎもこが やまずいでみし かるのいちに わがたちきけば たまたすき うねびのやまに  なくとりの こゑもきこえず たまほこの みちゆくひとも ひとりだに にてしゆかねば すべをなみ いもがなよびて そでぞふりつる

天飛ぶや 軽の道は 我妹子が 里にしあれば ねもころに 見まく欲しけど やまず行かば 人目を多み 数多く行かば 人知りぬべみ さね葛 後も逢はむと 大船の 思ひ頼みて 玉かぎる 岩垣淵の 隠りのみ 恋ひつつあるに 渡る日の 暮れぬるがごと 照る月の 雲隠るごと 沖つ藻の 靡きし妹は 黄葉の 過ぎて去にきと 玉梓の 使の言へば 梓弓 音に聞きて 言はむすべ 為むすべ知らに 音のみを 聞きてありえねば 我が恋ふる 千重の一重も 慰もる 心もありやと 我妹子が やまず出で見し 軽の市に 我が立ち聞けば 玉たすき 畝傍の山に 鳴く鳥の 声も聞こえず 玉桙の 道行く人も ひとりだに 似てし行かねば すべをなみ 妹が名呼びて 袖ぞ振りつる 
 


二〇八、柿本朝臣人麻呂妻死之後泣血哀慟作歌二首 并短歌、短歌二首
秋山之 黄葉乎茂 迷流 妹乎将求 山道不知母
あきやまの もみちをしげみ まどひぬる いもをもとめむ やまぢしらずも

秋山の黄葉を茂み惑ひぬる妹を求めむ山道知らずも

二〇九、柿本朝臣人麻呂妻死之後泣血哀慟作歌二首 并短歌、短歌二首、
黄葉之 落去奈倍尓 玉梓之 使乎見者 相日所念
もみちばの ちりゆくなへに たまづさの つかひをみれば あひしひおもほゆ

黄葉の散りゆくなへに玉梓の使を見れば逢ひし日思ほゆ

二一〇、柿本朝臣人麻呂妻死之後泣血哀慟作歌二首 并短歌、
打蝉等 念之時尓 取持而 吾二人見之 T出之 堤尓立有 槻木之 己知碁知乃枝之 春葉之 茂之如久 念有之 妹者雖有 憑有之 兒等尓者雖有 世間乎 背之不得者 蜻火之 燎流荒野尓 白妙之 天領巾隠 鳥自物 朝立伊麻之弖 入日成 隠去之鹿齒 吾妹子之 形見尓置有 若兒乃 乞泣毎 取與 物之無者 烏徳自物 腋挟持 吾妹子与 二人吾宿之 枕付 嬬屋之内尓 晝羽裳 浦不樂晩之 夜者裳 氣衝明之 嘆友 世武為便不知尓 戀友 相因乎無見 大鳥乃 羽易乃山尓 吾戀流 妹者伊座等 人云者 石根左久見手 名積来之 吉雲曽無寸 打蝉等 念之妹之 珠蜻 髣髴谷裳 不見思者
うつせみと おもひしときに とりもちて わがふたりみし はしりでの つつみにたてる つきのきの こちごちのえの はるのはの しげきがごとく おもへりし いもにはあれど たのめりし こらにはあれど よのなかを そむきしえねば かぎるひの もゆるあらのに しろたへの あまひれがくり とりじもの あさだちいまして いりひなす かくりにしかば わぎもこが かたみにおける みどりこの こひなくごとに とりあたふ ものしなければ をとこじもの わきばさみもち わぎもこと ふたりわがねし まくらづく つまやのうちに ひるはも うらさびくらし よるはも いきづきあかし なげけども せむすべしらに こふれども あふよしをなみ おほとりの はがひのやまに あがこふる いもはいますと ひとのいへば いはねさくみて なづみこし よけくもぞなき うつせみと おもひしいもが たまかぎる ほのかにだにも みえなくおもへば

うつせみと 思ひし時に 取り持ちて 我がふたり見し 走出の 堤に立てる 槻の木の こちごちの枝の 春の葉の 茂きがごとく 思へりし 妹にはあれど 頼めりし 子らにはあれど 世間を 背きしえねば かぎるひの 燃ゆる荒野に 白栲の 天領巾隠り 鳥じもの 朝立ちいまして 入日なす 隠りにしかば 我妹子が 形見に置ける みどり子の 乞ひ泣くごとに 取り与ふ 物しなければ 男じもの 脇ばさみ持ち 我妹子と ふたり我が寝し 枕付く 妻屋のうちに 昼はも うらさび暮らし 夜はも 息づき明かし 嘆けども 為むすべ知らに 恋ふれども 逢ふよしをなみ 大鳥の 羽がひの山に 我が恋ふる 妹はいますと 人の言へば 岩根さくみて なづみ来し よけくもぞなき うつせみと 思ひし妹が 玉かぎる ほのかにだにも 見えなく思へば


二一一、柿本朝臣人麻呂妻死之後泣血哀慟作歌二首 并短歌、短歌二首
去年見而之 秋乃月夜者 雖照 相見之妹者 弥年放
こぞみてし あきのつくよは てらせれど あひみしいもは いやとしさかる

去年見てし秋の月夜は照らせれど相見し妹はいや年離る

二一二、柿本朝臣人麻呂妻死之後泣血哀慟作歌二首 并短歌、短歌二首、
衾道乎 引手乃山尓 妹乎置而 山徑徃者 生跡毛無
ふすまぢを ひきでのやまに いもをおきて やまぢをゆけば いけりともなし

衾道を引手の山に妹を置きて山道を行けば生けりともなし

二一三、柿本朝臣人麻呂妻死之後泣血哀慟作歌二首 并短歌、或本歌曰
宇都曽臣等 念之時 携手 吾二見之 出立 百兄槻木 虚知期知尓 枝刺有如 春葉 茂如 念有之 妹庭雖在 恃有之 妹庭雖在 世中 背不得者 香切火之 燎流荒野尓 白栲 天領巾隠 鳥自物 朝立伊行而 入日成 隠西加婆 吾妹子之 形見尓置有 緑兒之 乞哭別 取委 物之無者 男自物 腋挾持 吾妹子與 二吾宿之 枕附 嬬屋内尓 日者 浦不怜晩之 夜者 息衝明之 雖嘆 為便不知 雖戀 相縁無 大鳥 羽易山尓 汝戀 妹座等 人云者 石根割見而 奈積来之 好雲叙無 宇都曽臣 念之妹我 灰而座者
うつそみと おもひしときに たづさはり わがふたりみし いでたちの ももえつきのき こちごちに えださせるごと はるのはの しげきがごとく おもへりし いもにはあれど たのめりし いもにはあれど よのなかを そむきしえねば かぎるひの もゆるあらのに しろたへの あまひれがくり とりじもの あさだちいゆきて いりひなす かくりにしかば わぎもこが かたみにおける みどりこの こひなくごとに とりあたふ ものしなければ をとこじもの わきばさみもち わぎもこと ふたりわがねし まくらづく つまやのうちに ひるは うらさびくらし よるは いきづきあかし なげけども せむすべしらに こふれども あふよしをなみ おほとりの はがひのやまに ながこふる いもはいますと ひとのいへば いはねさくみて なづみこし よけくもぞなき うつそみと おもひしいもが はひにてませば

うつそみと 思ひし時に たづさはり 我がふたり見し 出立の 百枝槻の木 こちごちに 枝させるごと 春の葉の 茂きがごとく 思へりし 妹にはあれど 頼めりし 妹にはあれど 世間を 背きしえねば かぎるひの 燃ゆる荒野に 白栲の 天領巾隠り 鳥じもの 朝立ちい行きて 入日なす 隠りにしかば 我妹子が 形見に置ける みどり子の 乞ひ泣くごとに 取り与ふ 物しなければ 男じもの 脇ばさみ持ち 我妹子と 二人我が寝し 枕付く 妻屋のうちに 昼は うらさび暮らし 夜は 息づき明かし 嘆けども 為むすべ知らに 恋ふれども 逢ふよしをなみ 大鳥の 羽がひの山に 汝が恋ふる 妹はいますと 人の言へば 岩根さくみて なづみ来し よけくもぞなき うつそみと 思ひし妹が 灰にてませば


二一四、柿本朝臣人麻呂妻死之後泣血哀慟作歌二首 并短歌、短歌三首
去年見而之 秋月夜者 雖渡 相見之妹者 益年離
こぞみてし あきのつくよは わたれども あひみしいもは いやとしさかる

去年見てし秋の月夜は渡れども相見し妹はいや年離る

二一五、柿本朝臣人麻呂妻死之後泣血哀慟作歌二首 并短歌、短歌三首、
衾路 引出山 妹置 山路念邇 生刀毛無
ふすまぢを ひきでのやまに いもをおきて やまぢおもふに いけるともなし

衾道を引手の山に妹を置きて山道思ふに生けるともなし

二一六、柿本朝臣人麻呂妻死之後泣血哀慟作歌二首 并短歌、短歌三首、
家来而 吾屋乎見者 玉床之 外向来 妹木枕
いへにきて わがやをみれば たまどこの ほかにむきけり いもがこまくら

家に来て我が屋を見れば玉床の外に向きけり妹が木枕


二一七、吉備津釆女死時柿本朝臣人麻呂作歌一首 并短歌
秋山 下部留妹 奈用竹乃 騰遠依子等者 何方尓 念居可 栲紲之 長命乎 露己曽婆 朝尓置而 夕者 消等言 霧己曽婆 夕立而 明者 失等言 梓弓 音聞吾母 髣髴見之 事悔敷乎 布栲乃 手枕纒而 劔刀 身二副寐價牟 若草 其嬬子者 不怜弥可 念而寐良武 悔弥可 念戀良武 時不在 過去子等我 朝露乃如也 夕霧乃如也
あきやまの したへるいも なよたけの とをよるこらは いかさまに おもひをれか たくなはの ながきいのちを つゆこそば あしたにおきて ゆふへは きゆといへ きりこそば ゆふへにたちて あしたは うすといへ あづさゆみ おときくわれも おほにみし ことくやしきを しきたへの たまくらまきて つるぎたち みにそへねけむ わかくさの そのつまのこは さぶしみか おもひてぬらむ くやしみか おもひこふらむ ときならず すぎにしこらが あさつゆのごと ゆふぎりのごと

秋山の したへる妹 なよ竹の とをよる子らは いかさまに 思ひ居れか 栲縄の 長き命を 露こそば 朝に置きて 夕は 消ゆといへ 霧こそば 夕に立ちて 朝は 失すといへ 梓弓 音聞く我れも おほに見し こと悔しきを 敷栲の 手枕まきて 剣太刀 身に添へ寝けむ 若草の その嬬の子は 寂しみか 思ひて寝らむ 悔しみか 思ひ恋ふらむ 時ならず 過ぎにし子らが 朝露のごと 夕霧のごと

二一八、吉備津釆女死時柿本朝臣人麻呂作歌一首[并短歌]、短歌二首
樂浪之 志賀津子等何 罷道之 川瀬道 見者不怜毛
ささなみの しがつのこらが まかりぢの かはせのみちを みればさぶしも

楽浪の志賀津の子らが 罷り道の川瀬の道を見れば寂しも

二一九、吉備津釆女死時柿本朝臣人麻呂作歌一首[并短歌]、短歌二首、
天數 凡津子之 相日 於保尓見敷者 今叙悔
そらかぞふ おほつのこが あひしひに おほにみしかば いまぞくやしき

そら数ふ大津の子が逢ひし日におほに見しかば今ぞ悔しき

二二〇、讃岐狭岑嶋視石中死人柿本朝臣人麻呂作歌一首  并短歌
玉藻吉 讃岐國者 國柄加 雖見不飽 神柄加 幾許貴寸 天地 日月與共 満将行 神乃御面跡 次来 中乃水門従 船浮而 吾榜来者 時風 雲居尓吹尓 奥見者 跡位浪立 邊見者 白浪散動 鯨魚取 海乎恐 行船乃 梶引折而 彼此之 嶋者雖多 名細之 狭岑之嶋乃 荒礒面尓 廬作而見者 浪音乃 茂濱邊乎 敷妙乃 枕尓為而 荒床 自伏君之 家知者 徃而毛将告 妻知者 来毛問益乎 玉桙之 道太尓不知 欝悒久 待加戀良武 愛伎妻等者
たまもよし さぬきのくには くにからか みれどもあかぬ かむからか ここだたふとき あめつち ひつきとともに たりゆかむ かみのみおもと つぎきたる なかのみなとゆ ふねうけて わがこぎくれば ときつかぜ くもゐにふくに おきみれば とゐなみたち へみれば しらなみさわく いさなとり うみをかしこみ ゆくふねの かぢひきをりて をちこちの しまはおほけど なぐはし さみねのしまの ありそもに いほりてみれば なみのおとの しげきはまべを しきたへの まくらになして あらとこに ころふすきみが いへしらば ゆきてもつげむ つましらば きもとはましを たまほこの みちだにしらず おほほしく まちかこふらむ はしきつまらは

玉藻よし 讃岐の国は 国からか 見れども飽かぬ 神からか ここだ貴き 天地 日月とともに 足り行かむ 神の御面と 継ぎ来る 那珂の港ゆ 船浮けて 我が漕ぎ来れば 時つ風 雲居に吹くに 沖見れば とゐ波立ち 辺見れば 白波騒く 鯨魚取り 海を畏み 行く船の 梶引き折りて をちこちの 島は多けど 名ぐはし 狭岑の島の 荒磯面に 廬りて見れば 波の音の 繁き浜辺を 敷栲の 枕になして 荒床に ころ臥す君が 家知らば 行きても告げむ 妻知らば 来も問はましを 玉桙の 道だに知らず おほほしく 待ちか恋ふらむ はしき妻らは

二二一、讃岐狭岑嶋視石中死人柿本朝臣人麻呂作歌一首[并短歌]、短歌二首
妻毛有者 採而多宜麻之 作美乃山 野上乃宇波疑 過去計良受也
妻もあらば摘みて食げまし沙弥の山野の上のうはぎ過ぎにけらずや
つまもあらば つみてたげまし さみのやま ののへのうはぎ すぎにけらずや


二二二、讃岐狭岑嶋視石中死人柿本朝臣人麻呂作歌一首[并短歌]、短歌二首、
奥波 来依荒礒乎 色妙乃 枕等巻而 奈世流君香聞
沖つ波来寄る荒礒を敷栲の枕とまきて寝せる君かも
おきつなみ きよるありそを しきたへの まくらとまきて なせるきみかも


二二三、柿本朝臣人麻呂在石見國臨死時自傷作歌一首
鴨山之 磐根之巻有 吾乎鴨 不知等妹之 待乍将有
鴨山の岩根しまける我れをかも知らにと妹が待ちつつあるらむ
かもやまの いはねしまける われをかも しらにといもが まちつつあるらむ


二二四、柿本朝臣人麻呂死時妻依羅娘子作歌二首
且今日々々々 吾待君者 石水之 貝尓 交而 有登不言八方
今日今日と我が待つ君は石川の峽に 交りてありといはずやも
けふけふと わがまつきみは いしかはの かひに まじりて ありといはずやも


二二五、柿本朝臣人麻呂死時妻依羅娘子作歌二首、
直相者 相不勝 石川尓 雲立渡礼 見乍将偲
直の逢ひは逢ひかつましじ石川に雲立ち渡れ見つつ偲はむ
ただのあひは あひかつましじ いしかはに くもたちわたれ みつつしのはむ


二二六、丹比真人[名闕]擬柿本朝臣人麻呂之意報歌一首
荒浪尓 縁来玉乎 枕尓置 吾此間有跡 誰将告
荒波に寄り来る玉を枕に置き我れここにありと誰れか告げなむ
あらなみに よりくるたまを まくらにおき われここにありと たれかつげなむ


二二七、或本歌曰
天離 夷之荒野尓 君乎置而 念乍有者 生刀毛無
天離る鄙の荒野に君を置きて思ひつつあれば生けるともなし
あまざかる ひなのあらのに きみをおきて おもひつつあれば いけるともなし


二二八、寧樂宮 和銅四年歳次辛亥河邊宮人姫嶋松原見嬢子屍悲嘆作歌二首
妹之名者 千代尓将流 姫嶋之 子松之末尓 蘿生萬代尓
妹が名は千代に流れむ姫島の小松がうれに蘿生すまでに
いもがなは ちよにながれむ ひめしまの こまつがうれに こけむすまでに


二二九、和銅四年歳次辛亥河邊宮人姫嶋松原見嬢子屍悲嘆作歌二首、
難波方 塩干勿有曽祢 沈之 妹之光儀乎 見巻苦流思母
難波潟潮干なありそね沈みにし妹が姿を見まく苦しも
なにはがた しほひなありそね しづみにし いもがすがたを みまくくるしも


二三〇、霊龜元年歳次乙卯秋九月志貴親王薨時作歌一首 并短歌
梓弓 手取持而 大夫之 得物矢手挾 立向 高圓山尓 春野焼 野火登見左右 燎火乎 何如問者 玉桙之 道来人乃 泣涙 WX尓落者 白妙之 衣O漬而 立留 吾尓語久 何鴨 本名言 聞者 泣耳師所哭 語者 心曽痛 天皇之 神之御子之 御駕之 手火之光曽 幾許照而有
梓弓 手に取り持ちて ますらをの さつ矢手挟み 立ち向ふ 高円山に 春野焼く 野火と見るまで 燃ゆる火を 何かと問へば 玉鉾の 道来る人の 泣く涙 こさめに降れば 白栲の 衣ひづちて 立ち留まり 我れに語らく なにしかも もとなとぶらふ 聞けば 哭のみし泣かゆ 語れば 心ぞ痛き 天皇の 神の御子の いでましの 手火の光りぞ ここだ照りたる
あづさゆみ てにとりもちて ますらをの さつやたばさみ たちむかふ たかまとやまに はるのやく のびとみるまで もゆるひを なにかととへば たまほこの みちくるひとの なくなみた こさめにふれば しろたへの ころもひづちて たちとまり われにかたらく なにしかも もとなとぶらふ きけば ねのみしなかゆ かたれば こころぞいたき すめろきの かみのみこの いでましの たひのひかりぞ ここだてりたる


二三一、霊龜元年歳次乙卯秋九月志貴親王薨時作歌一首[并短歌]、短歌二首
高圓之 野邊乃秋芽子 徒 開香将散 見人無尓
高円の野辺の秋萩いたづらに咲きか散るらむ見る人なしに
たかまとの のへのあきはぎ いたづらに さきかちるらむ みるひとなしに


二三二、霊龜元年歳次乙卯秋九月志貴親王薨時作歌一首[并短歌]、短歌二首、
御笠山 野邊徃道者 己伎太雲 繁荒有可 久尓有勿國
御笠山野辺行く道はこきだくも繁く荒れたるか久にあらなくに
みかさやま のへゆくみちは こきだくも しげくあれたるか ひさにあらなくに


二三三、霊龜元年歳次乙卯秋九月志貴親王薨時作歌一首[并短歌]、或本歌曰
高圓之 野邊乃秋芽子 勿散祢 君之形見尓 見管思奴播武
高円の野辺の秋萩な散りそね君が形見に見つつ偲はむ
たかまとの のへのあきはぎ なちりそね きみがかたみに みつつしぬはむ


二三四、霊龜元年歳次乙卯秋九月志貴親王薨時作歌一首[并短歌]、或本歌曰、
三笠山 野邊従遊久道 己伎太久母 荒尓計類鴨 久尓有名國
御笠山野辺ゆ行く道こきだくも荒れにけるかも久にあらなくに
みかさやま のへゆゆくみち こきだくも あれにけるかも ひさにあらなくに


  巻第二了

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            巻第三   雑 歌
            みまきにあたるまき  くさぐさのうた


天皇御遊雷岳之時柿本朝臣人麻呂作歌一首
すめらみこと)の雷岳(いかつちのをか)に御遊(いでま)せる時、柿本朝臣人麻呂がよめる歌一首(ひとつ)

二三五、 
皇者 神二四座者 天雲之 雷之上尓 廬為流鴨
大君は神にしませば天雲の雷の上に廬りせるかも
おほきみは かみにしませば あまくもの いかづちのうへに いほりせるかも
右或本云獻忍壁皇子也 其歌曰
右、或ル本(マキ)ニ云ク、忍壁皇子(オサカベノミコ)ニ献レリ。其ノ歌ニ曰ク、

王 神座者 雲隠伊加土山尓 宮敷座
大君は神にしませば雲隠る雷山に宮敷きいます
おほきみは かみにしませば くもがくる いかづちやまに みやしきいます


二三六、天皇賜志斐嫗御歌一首
不聴跡雖云 強流志斐能我 強語 比者不聞而 朕戀尓家里
いなと言へど強ふる志斐のが強ひ語りこのころ聞かずて我れ恋ひにけり
いなといへど しふるしひのが しひかたり このころきかずて あれこひにけり


二三七、志斐嫗奉和歌一首 
不聴雖謂 語礼々々常 詔許曽 志斐伊波奏 強語登言
いなと言へど語れ語れと宣らせこそ志斐いは申せ強ひ語りと詔る
いなといへど かたれかたれと のらせこそ しひいはまをせ しひかたりとのる


二三八、長忌寸意吉麻呂應詔歌一首
大宮之 内二手所聞 網引為跡 網子調流 海人之呼聲
大宮の内まで聞こゆ網引すと網子ととのふる海人の呼び声
おほみやの うちまできこゆ あびきすと あごととのふる あまのよびこゑ


長皇子遊猟路池之時柿本朝臣人麻呂作歌一首 并短歌
長皇子の猟路野(かりぢぬ)に遊猟(みかり)したまへる時、柿本朝臣人麻呂がよめる歌一首、また短歌(みじかうた

二三九、
八隅知之 吾大王 高光 吾日乃皇子乃 馬並而 三猟立流 弱薦乎 猟路乃小野尓 十六社者 伊波比拝目 鶉己曽 伊波比廻礼 四時自物 伊波比拝 鶉成 伊波比毛等保理 恐等 仕奉而 久堅乃 天見如久 真十鏡 仰而雖見 春草之 益目頬四寸 吾於富吉美可聞
やすみしし 我が大君 高照らす 我が日の御子の 馬並めて 御狩り立たせる 若薦を 狩路の小野に 獣こそば い匍ひ拝め 鶉こそ い匍ひ廻れ 獣じもの い匍ひ拝み 鶉なす い匍ひ廻り 畏みと 仕へまつりて ひさかたの 天見るごとく まそ鏡 仰ぎて見れど 春草の いやめづらしき 我が大君かも
やすみしし わがおほきみ たかてらす わがひのみこの うまなめて みかりたたせる わかこもを かりぢのをのに ししこそば いはひをろがめ うづらこそ いはひもとほれ ししじもの いはひをろがみ うづらなす いはひもとほり かしこみと つかへまつりて ひさかたの あめみるごとく まそかがみ あふぎてみれど はるくさの いやめづらしき わがおほきみかも


二四〇、反歌一首
久堅乃 天歸月乎 網尓刺 我大王者 盖尓為有
ひさかたの天行く月を網に刺し我が大君は蓋にせり
ひさかたの あめゆくつきを あみにさし わがおほきみは きぬがさにせり


二四一、或本反歌一首
皇者 神尓之坐者 真木乃立 荒山中尓 海成可聞
大君は神にしませば真木の立つ荒山中に海を成すかも
おほきみは かみにしませば まきのたつ あらやまなかに うみをなすかも


弓削皇子遊吉野時御歌一首
弓削皇子(ゆげのみこ)の吉野(よしぬ)に遊(いでま)せる時の御歌一首
二四二、
瀧上之 三船乃山尓 居雲乃 常将有等 和我不念久尓
滝の上の三船の山に居る雲の常にあらむと我が思はなくに
たきのうへの みふねのやまに ゐるくもの つねにあらむと わがおもはなくに


二四三、春日王奉和歌一首
王者 千歳二麻佐武 白雲毛 三船乃山尓 絶日安良米也
大君は千年に座さむ白雲も三船の山に絶ゆる日あらめや
おほきみは ちとせにまさむ しらくもも みふねのやまに たゆるひあらめや


二四四、或本歌一首
三吉野之 御船乃山尓 立雲之 常将在跡 我思莫苦二
み吉野の三船の山に立つ雲の常にあらむと我が思はなくに
みよしのの みふねのやまに たつくもの つねにあらむと わがおもはなくに
右ノ一首ハ、柿本朝臣人麻呂ノ歌集ニ出デタリ。


長田王(ながたのおほきみ)の筑紫(つくし)に遣はされ水島を渡りたまふ時の歌二首(ふたつ)

二四五、
如聞 真貴久 奇母 神左備居賀 許礼能水嶋
聞きしごとまこと尊くくすしくも神さびをるかこれの水島
ききしごと まことたふとく くすしくも かむさびをるか これのみづしま

二四六、
葦北乃 野坂乃浦従 船出為而 水嶋尓将去 浪立莫勤
芦北の野坂の浦ゆ船出して水島に行かむ波立つなゆめ
あしきたの のさかのうらゆ ふなでして みづしまにゆかむ なみたつなゆめ


二四七、石川大夫和歌一首  名闕
奥浪 邊波雖立 和我世故我 三船乃登麻里 瀾立目八方
沖つ波辺波立つとも我が背子が御船の泊り波立ためやも
おきつなみ へなみたつとも わがせこが みふねのとまり なみたためやも


二四八、又長田王作歌一首
隼人乃 薩麻乃迫門乎 雲居奈須 遠毛吾者 今日見鶴鴨
隼人の薩摩の瀬戸を雲居なす遠くも我れは今日見つるかも
はやひとの さつまのせとを くもゐなす とほくもわれは けふみつるかも


柿本朝臣人麻呂覊旅歌八首
柿本朝臣人麻呂が覊旅(たび)の歌八首

二四九、
三津埼 浪矣恐 隠江乃 舟公宣奴嶋尓
御津の崎波を畏み隠江の舟公宣奴嶋尓
みつのさき なみをかしこみ こもりえの 舟公宣奴嶋尓


二五〇、
珠藻苅 敏馬乎過 夏草之 野嶋之埼尓 舟近著奴
玉藻刈る敏馬を過ぎて夏草の野島が崎に船近づきぬ
たまもかる みぬめをすぎて なつくさの のしまがさきに ふねちかづきぬ


二五一、
粟路之 野嶋之前乃 濱風尓 妹之結 紐吹返
淡路の野島が崎の浜風に妹が結びし紐吹き返す
あはぢの のしまがさきの はまかぜに いもがむすびし ひもふきかへす


二五二、
荒栲 藤江之浦尓 鈴木釣 泉郎跡香将見 旅去吾乎
荒栲の藤江の浦に鱸釣る海人とか見らむ旅行く我れを
あらたへの ふぢえのうらに すずきつる あまとかみらむ たびゆくわれを


二五三、
稲日野毛 去過勝尓 思有者 心戀敷 可古能嶋所見 
稲日野も行き過ぎかてに思へれば心恋しき加古の島見ゆ 
いなびのも ゆきすぎかてに おもへれば こころこほしき かこのしまみゆ 


二五四、
留火之 明大門尓 入日哉 榜将別 家當不見
燈火の明石大門に入らむ日や漕ぎ別れなむ家のあたり見ず
ともしびの あかしおほとに いらむひや こぎわかれなむ いへのあたりみず


二五五、
天離 夷之長道従 戀来者 自明門 倭嶋所見 
天離る鄙の長道ゆ恋ひ来れば明石の門より大和島見ゆ 
あまざかる ひなのながちゆ こひくれば あかしのとより やまとしまみゆ 


二五六、
飼飯海乃 庭好有之 苅薦乃 乱出所見 海人釣船
笥飯の海の庭よくあらし刈薦の乱れて出づ見ゆ海人の釣船
けひのうみの にはよくあらし かりこもの みだれていづみゆ あまのつりぶね


鴨君足人香具山歌一首 并短歌
鴨君足人(かものきみたりひと)が香具山の歌一首、また短歌

二五七、
天降付 天之芳来山 霞立 春尓至婆 松風尓 池浪立而 櫻花 木乃晩茂尓 奥邊波 鴨妻喚 邊津方尓 味村左和伎 百礒城之 大宮人乃 退出而 遊船尓波 梶棹毛 無而不樂毛 己具人奈四二
天降りつく 天の香具山 霞立つ 春に至れば 松風に 池波立ちて 
桜花 木の暗茂に 沖辺には 鴨妻呼ばひ 辺つ辺に あぢ群騒き ももしきの 大宮人の 退り出て 遊ぶ船には 楫棹も なくて寂しも 漕ぐ人なしに
あもりつく あめのかぐやま かすみたつ はるにいたれば まつかぜに いけなみたちて さくらばな このくれしげに おきへには かもつまよばひ へつへに あぢむらさわき ももしきの おほみやひとの まかりでて あそぶふねには かぢさをも なくてさぶしも こぐひとなしに


二五八、反歌二首
人不榜 有雲知之 潜為 鴦与高部共 船上住
人漕がずあらくもしるし潜きする鴛鴦とたかべと船の上に棲む
ひとこがず あらくもしるし かづきする をしとたかべと ふねのうへにすむ


二五九、反歌
何時間毛 神左備祁留鹿 香山之 鉾椙之本尓 薜生左右二
いつの間も神さびけるか香具山の桙杉の本に苔生すまでに
いつのまも かむさびけるか かぐやまの ほこすぎのもとに こけむすまでに


二六〇、或本歌云
天降就 神乃香山 打靡 春去来者 櫻花 木暗茂 松風丹 池浪飆 邊都遍者 阿遅村動 奥邊者 鴨妻喚 百式乃 大宮人乃 去出 榜来舟者 竿梶母 無而佐夫之毛 榜与雖思
天降りつく 神の香具山 うち靡く 春さり来れば 桜花 木の暗茂に 松風に 池波立ち 辺つ辺には あぢ群騒き 沖辺には 鴨妻呼ばひ ももしきの 大宮人の 退り出て 漕ぎける船は 棹楫も なくて寂しも 漕がむと思へど
あもりつく かみのかぐやま うちなびく はるさりくれば さくらばな このくれしげに まつかぜに いけなみたち へつへには あぢむらさわき おきへには かもつまよばひ ももしきの おほみやひとの まかりでて こぎけるふねは さをかぢも なくてさぶしも こがむとおもへど


柿本朝臣人麻呂獻新田部皇子歌一首 并短歌
柿本朝臣人麻呂が新田部皇子(にひたべのみこ)に献れる歌一首、また短歌

二六一、
八隅知之 吾大王 高輝 日之皇子 茂座 大殿於 久方 天傳来 白雪仕物 徃来乍 益及常世
やすみしし 我が大君 高照らす 日の御子 敷きいます 大殿の上に ひさかたの 天伝ひ来る 雪じもの 行き通ひつつ いや常世まで
やすみしし わがおほきみ たかてらす ひのみこ しきいます おほとののうへに ひさかたの あまづたひくる ゆきじもの ゆきかよひつつ いやとこよまで


二六二、反歌一首
矢釣山 木立不見 落乱 雪驪 朝樂毛
矢釣山木立も見えず降りまがふ雪に騒ける朝楽しも
やつりやま こだちもみえず ふりまがふ ゆきにさわける あしたたのしも


二六三、従近江國上来時刑部垂麻呂作歌一首
馬莫疾 打莫行 氣並而 見弖毛和我歸 志賀尓安良七國
馬ないたく打ちてな行きそ日ならべて見ても我が行く志賀にあらなくに
うまないたく うちてなゆきそ けならべて みてもわがゆく しがにあらなくに


二六四、柿本朝臣人麻呂従近江國上来時至宇治河邊作歌一首
物乃部能 八十氏河乃 阿白木尓 不知代經浪乃 去邊白不母
もののふの八十宇治川の網代木にいさよふ波のゆくへ知らずも
もののふの やそうぢかはの あじろきに いさよふなみの ゆくへしらずも


二六五、長忌寸奥麻呂歌一首
苦毛 零来雨可 神之埼 狭野乃渡尓 家裳不有國
苦しくも降り来る雨か三輪の崎狭野の渡りに家もあらなくに
くるしくも ふりくるあめか みわのさき さののわたりに いへもあらなくに


二六六、柿本朝臣人麻呂歌一首
淡海乃海 夕浪千鳥 汝鳴者 情毛思努尓 古所念
近江の海夕波千鳥汝が鳴けば心もしのにいにしへ思ほゆ
あふみのうみ ゆふなみちどり ながなけば こころもしのに いにしへおもほゆ


二六七、志貴皇子御歌一首
牟佐々婢波 木末求跡 足日木乃 山能佐都雄尓 相尓来鴨
むささびは木末求むとあしひきの山のさつ男にあひにけるかも
むささびは こぬれもとむと あしひきの やまのさつをに あひにけるかも


二六八、長屋王故郷歌一首
吾背子我 古家乃里之 明日香庭 乳鳥鳴成 嬬待不得而
我が背子が古家の里の明日香には千鳥鳴くなり妻待ちかねて
わがせこが ふるへのさとの あすかには ちどりなくなり つままちかねて


二六九、阿倍女郎屋部坂歌一首
人不見者 我袖用手 将隠乎 所焼乍可将有 不服而来来
人見ずは我が袖もちて隠さむを焼けつつかあらむ着ずて来にけり
ひとみずは わがそでもちて かくさむを やけつつかあらむ きずてきにけり

高市連黒人覊旅歌八首
高市連黒人が覊旅(たび)の歌八首

二七〇、
客為而 物戀敷尓 山下 赤乃曽保船 奥榜所見
旅にしてもの恋しきに山下の赤のそほ船沖を漕ぐ見ゆ
たびにして ものこほしきに やましたの あけのそほふね おきをこぐみゆ


二七一、
櫻田部 鶴鳴渡 年魚市方 塩干二家良之 鶴鳴渡
桜田へ鶴鳴き渡る年魚市潟潮干にけらし鶴鳴き渡る
さくらだへ たづなきわたる あゆちがた しほひにけらし たづなきわたる

二七二、
四極山 打越見者 笠縫之 嶋榜隠 棚無小舟
四極山うち越え見れば笠縫の島漕ぎ隠る棚なし小舟
しはつやま うちこえみれば かさぬひの しまこぎかくる たななしをぶね


二七三、
礒前 榜手廻行者 近江海 八十之湊尓 鵠佐波二鳴 
磯の崎漕ぎ廻み行けば近江の海八十の港に鶴さはに鳴く 
いそのさき こぎたみゆけば あふみのうみ やそのみなとに たづさはになく


二七四、
吾船者 枚乃湖尓 榜将泊 奥部莫避 左夜深去来
我が舟は比良の港に漕ぎ泊てむ沖へな離りさ夜更けにけり
わがふねは ひらのみなとに こぎはてむ おきへなさかり さよふけにけり


二七五、
何處 吾将宿 高嶋乃 勝野原尓 此日暮去者
いづくにか我は宿らむ高島の勝野の原にこの日暮れなば
いづくにか われはやどらむ たかしまの かちののはらに このひくれなば


二七六、
妹母我母 一有加母 三河有 二見自道 別不勝鶴
妹も我れも一つなれかも三河なる二見の道ゆ別れかねつる
いももあれも ひとつなれかも みかはなる ふたみのみちゆ わかれかねつる


二七七、
速来而母 見手益物乎 山背 高槻村 散去奚留鴨
早来ても見てましものを山背の高の槻群散りにけるかも
はやきても みてましものを やましろの たかのつきむら ちりにけるかも


二七八、石川少郎歌一首
然之海人者 軍布苅塩焼 無暇 髪梳乃小櫛 取毛不見久尓
志賀の海女は藻刈り塩焼き暇なみ櫛笥の小櫛取りも見なくに
しかのあまは めかりしほやき いとまなみ くしげのをぐし とりもみなくに


二七九、高市連黒人歌二首
吾妹兒二 猪名野者令見都 名次山 角松原 何時可将示
我妹子に猪名野は見せつ名次山角の松原いつか示さむ
わぎもこに ゐなのはみせつ なすきやま つののまつばら いつかしめさむ

二八〇、高市連黒人歌二首、
去来兒等 倭部早 白菅乃 真野乃榛原 手折而将歸
いざ子ども大和へ早く白菅の真野の榛原手折りて行かむ
いざこども やまとへはやく しらすげの まののはりはら たをりてゆかむ


二八一、黒人妻答歌一首
白菅乃 真野之榛原 徃左来左 君社見良目 真野乃榛原
白菅の真野の榛原行くさ来さ君こそ見らめ真野の榛原
しらすげの まののはりはら ゆくさくさ きみこそみらめ まののはりはら


二八二、春日蔵首老歌一首
角障經 石村毛不過 泊瀬山 何時毛将超 夜者深去通都
つのさはふ磐余も過ぎず泊瀬山いつかも越えむ夜は更けにつつ
つのさはふ いはれもすぎず はつせやま いつかもこえむ よはふけにつつ


二八三、高市連黒人歌一首
墨吉乃 得名津尓立而 見渡者 六兒乃泊従 出流船人
住吉の得名津に立ちて見わたせば武庫の泊りゆ出づる船人
すみのえの えなつにたちて みわたせば むこのとまりゆ いづるふなびと


二八四、春日蔵首老歌一首
焼津邊 吾去鹿齒 駿河奈流 阿倍乃市道尓 相之兒等羽裳
焼津辺に我が行きしかば駿河なる阿倍の市道に逢ひし子らはも
やきづへに わがゆきしかば するがなる あべのいちぢに あひしこらはも


二八五、丹比真人笠麻呂徃紀伊國超勢能山時作歌一首
栲領巾乃 懸巻欲寸 妹名乎 此勢能山尓 懸者奈何将有 
栲領巾の懸けまく欲しき妹が名をこの背の山に懸けばいかにあらむ 
たくひれの かけまくほしき いもがなを このせのやまに かけばいかにあらむ 


二八六、春日蔵首老即和歌一首
宜奈倍 吾背乃君之 負来尓之 此勢能山乎 妹者不喚
よろしなへ我が背の君が負ひ来にしこの背の山を妹とは呼ばじ
よろしなへ わがせのきみが おひきにし このせのやまを いもとはよばじ


二八七、幸志賀時石上卿作歌一首 名闕
此間為而 家八方何處 白雲乃 棚引山乎 超而来二家里
ここにして家やもいづく白雲のたなびく山を越えて来にけり
ここにして いへやもいづく しらくもの たなびくやまを こえてきにけり


二八八、穂積朝臣老歌一首
吾命之 真幸有者 亦毛将見 志賀乃大津尓 縁流白波
我が命のま幸くあらばまたも見む志賀の大津に寄する白波
わがいのちの まさきくあらば またもみむ しがのおほつに よするしらなみ


二八九、間人宿祢大浦初月歌二首
天原 振離見者 白真弓 張而懸有 夜路者将吉
天の原振り放け見れば白真弓張りて懸けたり夜道はよけむ
あまのはら ふりさけみれば しらまゆみ はりてかけたり よみちはよけむ


二九〇、間人宿祢大浦初月歌二首、
椋橋乃 山乎高可 夜隠尓 出来月乃 光乏寸
倉橋の山を高みか夜隠りに出で来る月の光乏しき
くらはしの やまをたかみか よごもりに いでくるつきの ひかりともしき


二九一、小田事勢能山歌一首
真木葉乃 之奈布勢能山 之努波受而 吾超去者 木葉知家武
真木の葉のしなふ背の山偲はずて我が越え行けば木の葉知りけむ
まきのはの しなふせのやま しのはずて わがこえゆけば このはしりけむ


二九二、角麻呂歌四首
久方乃 天之探女之 石船乃 泊師高津者 淺尓家留香裳
ひさかたの天の探女が岩船の泊てし高津はあせにけるかも
ひさかたの あまのさぐめが いはふねの はてしたかつは あせにけるかも


二九三、角麻呂歌四首、
塩干乃 三津之海女乃 久具都持 玉藻将苅 率行見
潮干の御津の海女のくぐつ持ち玉藻刈るらむいざ行きて見む
しほひの みつのあまの くぐつもち たまもかるらむ いざゆきてみむ


二九四、角麻呂歌四首、
風乎疾 奥津白波 高有之 海人釣船 濱眷奴
風をいたみ沖つ白波高からし海人の釣舟浜に帰りぬ
かぜをいたみ おきつしらなみ たかからし あまのつりぶね はまにかへりぬ


二九五、角麻呂歌四首、
清江乃 木笶松原 遠神 我王之 幸行處
住吉の岸の松原遠つ神我が大君の幸しところ
すみのえの きしのまつばら とほつかみ わがおほきみの いでましところ


二九六、田口益人大夫任上野國司時至駿河浄見埼作歌二首
廬原乃 浄見乃埼乃 見穂之浦乃 寛見乍 物念毛奈信
廬原の清見の崎の三保の浦のゆたけき見つつ物思ひもなし
いほはらの きよみのさきの みほのうらの ゆたけきみつつ ものもひもなし


二九七、田口益人大夫任上野國司時至駿河浄見埼作歌二首、
晝見騰 不飽田兒浦 大王之 命恐 夜見鶴鴨
昼見れど飽かぬ田子の浦大君の命畏み夜見つるかも
ひるみれど あかぬたごのうら おほきみの みことかしこみ よるみつるかも


二九八、弁基歌一首
亦打山 暮越行而 廬前乃 角太川原尓 獨可毛将宿
真土山夕越え行きて廬前の角太川原にひとりかも寝む
まつちやま ゆふこえゆきて いほさきの すみだかはらに ひとりかもねむ


二九九、大納言大伴卿歌一首 未詳
奥山之 菅葉凌 零雪乃 消者将惜 雨莫零行年
奥山の菅の葉しのぎ降る雪の消なば惜しけむ雨な降りそね
おくやまの すがのはしのぎ ふるゆきの けなばをしけむ あめなふりそね


三〇〇、長屋王駐馬寧樂山作歌二首
佐保過而 寧樂乃手祭尓 置幣者 妹乎目不離 相見染跡衣
佐保過ぎて奈良の手向けに置く幣は妹を目離れず相見しめとぞ
さほすぎて ならのたむけに おくぬさは いもをめかれず あひみしめとぞ


三〇一、長屋王駐馬寧樂山作歌二首、
磐金之 凝敷山乎 超不勝而 哭者泣友 色尓将出八方
岩が根のこごしき山を越えかねて音には泣くとも色に出でめやも
いはがねの こごしきやまを こえかねて ねにはなくとも いろにいでめやも


三〇二、中納言阿倍廣庭卿歌一首
兒等之家道 差間遠焉 野干玉乃 夜渡月尓 競敢六鴨
子らが家道やや間遠きをぬばたまの夜渡る月に競ひあへむかも
こらがいへぢ ややまどほきを ぬばたまの よわたるつきに きほひあへむかも


三〇三、柿本朝臣人麻呂下筑紫國時海路作歌二首
名細寸 稲見乃海之 奥津浪 千重尓隠奴 山跡嶋根者
名ぐはしき印南の海の沖つ波千重に隠りぬ大和島根は
なぐはしき いなみのうみの おきつなみ ちへにかくりぬ やまとしまねは


三〇四、柿本朝臣人麻呂下筑紫國時海路作歌二首、
大王之 遠乃朝庭跡 蟻通 嶋門乎見者 神代之所念
大君の遠の朝廷とあり通ふ島門を見れば神代し思ほゆ
おほきみの とほのみかどと ありがよふ しまとをみれば かむよしおもほゆ


三〇五、高市連黒人近江舊都歌一首
如是故尓 不見跡云物乎 樂浪乃 舊都乎 令見乍本名
かく故に見じと言ふものを楽浪の旧き都を見せつつもとな
かくゆゑに みじといふものを ささなみの ふるきみやこを みせつつもとな


三〇六、幸伊勢國之時安貴王作歌一首
伊勢海之 奥津白浪 花尓欲得 L而妹之 家L為
伊勢の海の沖つ白波花にもが包みて妹が家づとにせむ
いせのうみの おきつしらなみ はなにもが つつみていもが いへづとにせむ


三〇七、博通法師徃紀伊國見三穂石室作歌三首
皮為酢寸 久米能若子我 伊座家留 三穂乃石室者 雖見不飽鴨 
はだ薄久米の若子がいましける 三穂の石室は見れど飽かぬかも 
はだすすき くめのわくごが いましける  みほのいはやは みれどあかぬかも 


三〇八、博通法師徃紀伊國見三穂石室作歌三首、
常磐成 石室者今毛 安里家礼騰 住家類人曽 常無里家留
常磐なす石室は今もありけれど住みける人ぞ常なかりける
ときはなす いはやはいまも ありけれど すみけるひとぞ つねなかりける


三〇九、博通法師徃紀伊國見三穂石室作歌三首、
石室戸尓 立在松樹 汝乎見者 昔人乎 相見如之
石室戸に立てる松の木汝を見れば昔の人を相見るごとし
いはやとに たてるまつのき なをみれば むかしのひとを あひみるごとし


三一〇、門部王詠東市之樹作歌一首 後賜姓大原真人氏也
東 市之殖木乃 木足左右 不相久美 宇倍戀尓家利
東の市の植木の木垂るまで逢はず久しみうべ恋ひにけり
ひむがしの いちのうゑきの こだるまで あはずひさしみ うべこひにけり


三一一、按作村主益人従豊前國上京時作歌一首
梓弓 引豊國之 鏡山 不見久有者 戀敷牟鴨
梓弓引き豊国の鏡山見ず久ならば恋しけむかも
あづさゆみ ひきとよくにの かがみやま みずひさならば こほしけむかも


三一二、式部卿藤原宇合卿被使改造難波堵之時作歌一首
昔者社 難波居中跡 所言奚米 今者京引 都備仁鷄里
昔こそ難波田舎と言はれけめ今は都引き都びにけり
むかしこそ なにはゐなかと いはれけめ いまはみやこひき みやこびにけり


三一三、土理宣令歌一首
見吉野之 瀧乃白浪 雖不知 語之告者 古所念
み吉野の滝の白波知らねども語りし継げばいにしへ思ほゆ
みよしのの たきのしらなみ しらねども かたりしつげば いにしへおもほゆ


三一四、波多朝臣小足歌一首
小浪 礒越道有 能登湍河 音之清左 多藝通瀬毎尓
さざれ波礒越道なる能登瀬川音のさやけさたぎつ瀬ごとに
さざれなみ いそこしぢなる のとせがは おとのさやけさ たぎつせごとに


三一五、暮春之月幸芳野離宮時中納言大伴卿奉勅作歌一首 并短歌 未逕奏上歌
見吉野之 芳野乃宮者 山可良志 貴有師 水可良思 清有師 天地与 長久 萬代尓 不改将有 行幸之宮
み吉野の 吉野の宮は 山からし 貴くあらし 川からし さやけくあらし 天地と 長く久しく 万代に 変はらずあらむ 幸しの宮
みよしのの よしののみやは やまからし たふとくあらし かはからし さやけくあらし あめつちと ながくひさしく よろづよに かはらずあらむ いでましのみや


三一六、暮春之月幸芳野離宮時中納言大伴卿奉勅作歌一首并短歌 未逕奏上歌、反歌
昔見之 象乃小河乎 今見者 弥清 成尓来鴨
昔見し象の小川を今見ればいよよさやけくなりにけるかも
むかしみし きさのをがはを いまみれば いよよさやけく なりにけるかも


三一七、山部宿祢赤人望不盡山歌一首 并短歌
天地之 分時従 神左備手 高貴寸 駿河有 布士能高嶺乎 天原 振放見者 度日之 陰毛隠比 照月乃 光毛不見 白雲母 伊去波伐加利 時自久曽 雪者落家留 語告 言継将徃 不盡能高嶺者
天地の 別れし時ゆ 神さびて 高く貴き 駿河なる 富士の高嶺を 天の原 振り放け見れば 渡る日の 影も隠らひ 照る月の 光も見えず 白雲も い行きはばかり 時じくぞ 雪は降りける 語り継ぎ 言ひ継ぎ行かむ 富士の高嶺は
あめつちの わかれしときゆ かむさびて たかくたふとき するがなる ふじのたかねを あまのはら ふりさけみれば わたるひの かげもかくらひ てるつきの ひかりもみえず しらくもも いゆきはばかり ときじくぞ ゆきはふりける かたりつぎ いひつぎゆかむ ふじのたかねは


三一八、山部宿祢赤人望不盡山歌一首 并短歌、反歌
田兒之浦従 打出而見者 真白衣 不盡能高嶺尓 雪波零家留
田子の浦ゆうち出でて見れば真白にぞ富士の高嶺に雪は降りける
たごのうらゆ うちいでてみれば ましろにぞ ふじのたかねに ゆきはふりける


三一九、詠不盡山歌一首 并短歌
奈麻余美乃 甲斐乃國 打縁流 駿河能國与 己知其智乃 國之三中従 出立有 不盡能高嶺者 天雲毛 伊去波伐加利 飛鳥母 翔毛不上 燎火乎 雪以滅 落雪乎 火用消通都 言不得 名不知 霊母 座神香聞 石花海跡 名付而有毛 彼山之 堤有海曽 不盡河跡 人乃渡毛 其山之 水乃當焉 日本之 山跡國乃 鎮十方 座祇可間 寳十方 成有山可聞 駿河有 不盡能高峯者 雖見不飽香聞
なまよみの 甲斐の国 うち寄する 駿河の国と こちごちの 国のみ中ゆ 出で立てる 富士の高嶺は 天雲も い行きはばかり 飛ぶ鳥も 飛びも上らず 燃ゆる火を 雪もち消ち 降る雪を 火もち消ちつつ 言ひも得ず 名付けも知らず くすしくも います神かも せの海と 名付けてあるも その山の つつめる海ぞ 富士川と 人の渡るも その山の 水のたぎちぞ 日の本の 大和の国の 鎮めとも います神かも 宝とも なれる山かも 駿河なる 富士の高嶺は 見れど飽かぬ
かもなまよみの かひのくに うちよする するがのくにと こちごちの くにのみなかゆ いでたてる ふじのたかねは あまくもも いゆきはばかり とぶとりも とびものぼらず もゆるひを ゆきもちけち ふるゆきを ひもちけちつつ いひもえず なづけもしらず くすしくも いますかみかも せのうみと なづけてあるも そのやまの つつめるうみぞ ふじかはと ひとのわたるも そのやまの みづのたぎちぞ ひのもとの やまとのくにの しづめとも いますかみかも たからとも なれるやまかも するがなる ふじのたかねは みれどあかぬかも


三二〇、詠不盡山歌一首 并短歌、反歌
不盡嶺尓 零置雪者 六月 十五日消者 其夜布里家利
富士の嶺に降り置く雪は六月の十五日に消ぬればその夜降りけり
ふじのねに ふりおくゆきは みなづきの もちにけぬれば そのよふりけり


三二一、詠不盡山歌一首 并短歌、反歌、
布士能嶺乎 高見恐見 天雲毛 伊去羽斤 田菜引物緒
富士の嶺を高み畏み天雲もい行きはばかりたなびくものを
ふじのねを たかみかしこみ あまくもも いゆきはばかり たなびくものを


三二二、山部宿祢赤人至伊豫温泉作歌一首 并短歌
皇神祖之 神乃御言乃 敷座 國之盡 湯者霜 左波尓雖在 嶋山之 宣國跡 極此疑 伊豫能高嶺乃 射狭庭乃 崗尓立而 歌思 辞思為師 三湯之上乃 樹村乎見者 臣木毛 生継尓家里 鳴鳥之 音毛不更 遐代尓 神左備将徃 行幸處
すめろきの 神の命の 敷きませる 国のことごと 湯はしも さはにあれども 島山の 宣しき国と こごしかも 伊予の高嶺の 射狭庭の 岡に立たして 歌思ひ 辞思はしし み湯の上の 木群を見れば 臣の木も 生ひ継ぎにけり 鳴く鳥の 声も変らず 遠き代に 神さびゆかむ 幸しところ
すめろきの かみのみことの しきませる くにのことごと ゆはしも さはにあれども しまやまの よろしきくにと こごしかも いよのたかねの いざにはの をかにたたして うたおもひ ことおもはしし みゆのうへの こむらをみれば おみのきも おひつぎにけり なくとりの こゑもかはらず とほきよに かむさびゆかむ いでましところ


三二三、山部宿祢赤人至伊豫温泉作歌一首 并短歌、反歌
百式紀乃 大宮人之 飽田津尓 船乗将為 年之不知久
ももしきの大宮人の熟田津に船乗りしけむ年の知らなく
ももしきの おほみやひとの にきたつに ふなのりしけむ としのしらなく


三二四、登神岳山部宿祢赤人作歌一首 并短歌
三諸乃 神名備山尓 五百枝刺 繁生有 都賀乃樹乃 弥継嗣尓 玉葛 絶事無 在管裳 不止将通 明日香能 舊京師者 山高三 河登保志呂之 春日者 山四見容之 秋夜者 河四清之 旦雲二 多頭羽乱 夕霧丹 河津者驟 毎見 哭耳所泣 古思者
みもろの 神なび山に 五百枝さし しじに生ひたる 栂の木の いや継ぎ継ぎに 玉葛 絶ゆることなく ありつつも やまず通はむ 明日香の 古き都は 山高み 川とほしろし 春の日は 山し見がほし 秋の夜は 川しさやけし 朝雲に 鶴は乱れ 夕霧に かはづは騒く 見るごとに 音のみし泣かゆ いにしへ思へば
みもろの かむなびやまに いほえさし しじにおひたる つがのきの いやつぎつぎに たまかづら たゆることなく ありつつも やまずかよはむ あすかの ふるきみやこは やまたかみ かはとほしろし はるのひは やましみがほし あきのよは かはしさやけし あさくもに たづはみだれ ゆふぎりに かはづはさわく みるごとに ねのみしなかゆ いにしへおもへば


三二五、登神岳山部宿祢赤人作歌一首 并短歌、反歌
明日香河 川余藤不去 立霧乃 念應過 孤悲尓不有國
明日香河川淀さらず立つ霧の思ひ過ぐべき恋にあらなくに
あすかがは かはよどさらず たつきりの おもひすぐべき こひにあらなくに


三二六、門部王在難波見漁父燭光作歌一首 後賜姓大原真人氏也
見渡者 明石之浦尓 焼火乃 保尓曽出流 妹尓戀久
見わたせば明石の浦に燭す火の穂にぞ出でぬる妹に恋ふらく
みわたせば あかしのうらに ともすひの ほにぞいでぬる いもにこふらく


三二七、或娘子等贈L乾鰒戯請通觀僧之咒願時通觀作歌一首
海若之 奥尓持行而 雖放 宇礼牟曽此之 将死還生
海神の沖に持ち行きて放つともうれむぞこれがよみがへりなむ
わたつみの おきにもちゆきて はなつとも うれむぞこれが よみがへりなむ


三二八、大宰少貳小野老朝臣歌一首
青丹吉 寧樂乃京師者 咲花乃 薫如 今盛有
あをによし奈良の都は咲く花のにほふがごとく今盛りなり
あをによし ならのみやこは さくはなの にほふがごとく いまさかりなり


三二九、防人司佑大伴四綱歌二首
安見知之 吾王乃 敷座在 國中者 京師所念
やすみしし我が大君の敷きませる国の中には都し思ほゆ
やすみしし わがおほきみの しきませる くにのうちには みやこしおもほゆ


三三〇、防人司佑大伴四綱歌二首、
藤浪之 花者盛尓 成来 平城京乎 御念八君
藤波の花は盛りになりにけり奈良の都を思ほすや君
ふぢなみの はなはさかりに なりにけり ならのみやこを おもほすやきみ

三三一、帥大伴卿歌五首
吾盛 復将變八方 殆 寧樂京乎 不見歟将成
我が盛りまたをちめやもほとほとに奈良の都を見ずかなりなむ
わがさかり またをちめやも ほとほとに ならのみやこを みずかなりなむ


三三二、帥大伴卿歌五首、
吾命毛 常有奴可 昔見之 象小河乎 行見為
我が命も常にあらぬか昔見し象の小川を行きて見むため
わがいのちも つねにあらぬか むかしみし きさのをがはを ゆきてみむため


三三三、帥大伴卿歌五首、
淺茅原 曲曲二 物念者 故郷之 所念可聞
浅茅原つばらつばらにもの思へば古りにし里し思ほゆるかも
あさぢはら つばらつばらに ものもへば ふりにしさとし おもほゆるかも


三三四、帥大伴卿歌五首、
萱草 吾紐二付 香具山乃 故去之里乎 忘之為
忘れ草我が紐に付く香具山の古りにし里を忘れむがため
わすれくさ わがひもにつく かぐやまの ふりにしさとを わすれむがため


三三五、帥大伴卿歌五首、
吾行者 久者不有 夢乃和太 湍者不成而 淵有乞
我が行きは久にはあらじ夢のわだ瀬にはならずて淵にありこそ
わがゆきは ひさにはあらじ いめのわだ せにはならずて ふちにありこそ


三三六、沙弥満誓詠綿歌一首 造筑紫觀音寺別當俗姓笠朝臣麻呂也
白縫 筑紫乃綿者 身箸而 未者伎袮杼 暖所見
しらぬひ筑紫の綿は身に付けていまだは着ねど暖けく見ゆ
しらぬひ つくしのわたは みにつけて いまだはきねど あたたけくみゆ


三三七、山上憶良臣罷宴歌一首
憶良等者 今者将罷 子将哭 其彼母毛 吾乎将待曽
憶良らは今は罷らむ子泣くらむそれその母も我を待つらむぞ
おくららは いまはまからむ こなくらむ それそのははも わをまつらむぞ

三三八、大宰帥大伴卿讃酒歌十三首
験無 物乎不念者 一坏乃 濁酒乎 可飲有良師
験なきものを思はずは一杯の濁れる酒を飲むべくあるらし
しるしなき ものをおもはずは ひとつきの にごれるさけを のむべくあるらし


三三九、大宰帥大伴卿讃酒歌十三首、
酒名乎 聖跡負師 古昔 大聖之 言乃宜左
酒の名を聖と負ほせしいにしへの大き聖の言の宣しさ
さけのなを ひじりとおほせし いにしへの おほきひじりの ことのよろしさ


三四〇、大宰帥大伴卿讃酒歌十三首、
古之 七賢 人等毛 欲為物者 酒西有良師
いにしへの七の賢しき人たちも欲りせしものは酒にしあるらし
いにしへの ななのさかしき ひとたちも ほりせしものは さけにしあるらし


三四一、大宰帥大伴卿讃酒歌十三首、
賢跡 物言従者 酒飲而 酔哭為師 益有良之
賢しみと物言ふよりは酒飲みて酔ひ泣きするしまさりたるらし
さかしみと ものいふよりは さけのみて ゑひなきするし まさりたるらし


三四二、大宰帥大伴卿讃酒歌十三首、
将言為便 将為便不知 極 貴物者 酒西有良之
言はむすべ為むすべ知らず極まりて貴きものは酒にしあるらし
いはむすべ せむすべしらず きはまりて たふときものは さけにしあるらし


三四三、大宰帥大伴卿讃酒歌十三首、
中々尓 人跡不有者 酒壷二 成而師鴨 酒二染甞
なかなかに人とあらずは酒壷になりにてしかも酒に染みなむ
なかなかに ひととあらずは さかつぼに なりにてしかも さけにしみなむ


三四四、大宰帥大伴卿讃酒歌十三首、
痛醜 賢良乎為跡 酒不飲 人乎熟見者 猿二鴨似
あな醜賢しらをすと酒飲まぬ人をよく見ば猿にかも似む
あなみにく さかしらをすと さけのまぬ ひとをよくみば さるにかもにむ

三四五、大宰帥大伴卿讃酒歌十三首、
價無 寳跡言十方 一坏乃 濁酒尓 豈益目八方
価なき宝といふとも一杯の濁れる酒にあにまさめやも
あたひなき たからといふとも ひとつきの にごれるさけに あにまさめやも


三四六、大宰帥大伴卿讃酒歌十三首、
夜光 玉跡言十方 酒飲而 情乎遣尓 豈若目八方
夜光る玉といふとも酒飲みて心を遣るにあにしかめやも
よるひかる たまといふとも さけのみて こころをやるに あにしかめやも


三四七、大宰帥大伴卿讃酒歌十三首、
世間之 遊道尓 怜者 酔泣為尓 可有良師
世間の遊びの道に楽しきは酔ひ泣きするにあるべくあるらし
よのなかの あそびのみちに たのしきは ゑひなきするに あるべくあるらし


三四八、大宰帥大伴卿讃酒歌十三首、
今代尓之 樂有者 来生者 蟲尓鳥尓毛 吾羽成奈武
この世にし楽しくあらば来む世には虫に鳥にも我れはなりなむ
このよにし たのしくあらば こむよには むしにとりにも われはなりなむ


三四九、大宰帥大伴卿讃酒歌十三首、
生者 遂毛死 物尓有者 今生在間者 樂乎有名
生ける者遂にも死ぬるものにあればこの世なる間は楽しくをあらな
いけるもの つひにもしぬる ものにあれば このよなるまは たのしくをあらな


三五〇、大宰帥大伴卿讃酒歌十三首、
黙然居而 賢良為者 飲酒而 酔泣為尓 尚不如来
黙居りて賢しらするは酒飲みて酔ひ泣きするになほしかずけり
もだをりて さかしらするは さけのみて ゑひなきするに なほしかずけり


三五一、沙弥満誓歌一首
世間乎 何物尓将譬 旦開 榜去師船之 跡無如
世間を何に譬へむ朝開き漕ぎ去にし船の跡なきごとし
よのなかを なににたとへむ あさびらき こぎいにしふねの あとなきごとし

三五二、若湯座王歌一首
葦邊波 鶴之哭鳴而 湖風 寒吹良武 津乎能埼羽毛
葦辺には鶴がね鳴きて港風寒く吹くらむ津乎の崎はも
あしへには たづがねなきて みなとかぜ さむくふくらむ つをのさきはも


三五三、釋通觀歌一首
見吉野之 高城乃山尓 白雲者 行憚而 棚引所見
み吉野の高城の山に白雲は行きはばかりてたなびけり見ゆ
みよしのの たかきのやまに しらくもは ゆきはばかりて たなびけりみゆ


三五四、日置少老歌一首
縄乃浦尓 塩焼火氣 夕去者 行過不得而 山尓棚引
縄の浦に塩焼く煙夕されば行き過ぎかねて山にたなびく
なはのうらに しほやくけぶり ゆふされば ゆきすぎかねて やまにたなびく


三五五、生石村主真人歌一首
大汝 小彦名乃 将座 志都乃石室者 幾代将經
大汝少彦名のいましけむ志都の石屋は幾代経にけむ
おほなむち すくなひこなの いましけむ しつのいはやは いくよへにけむ


三五六、上古麻呂歌一首
今日可聞 明日香河乃 夕不離 川津鳴瀬之 清有良武 
今日もかも明日香の川の夕さらずかはづ鳴く瀬のさやけくあるらむ 
けふもかも あすかのかはの ゆふさらず かはづなくせの さやけくあるらむ


三五七、山部宿祢赤人歌六首
縄浦従 背向尓所見 奥嶋 榜廻舟者 釣為良下
縄の浦ゆそがひに見ゆる沖つ島漕ぎ廻る舟は釣りしすらしも
なはのうらゆ そがひにみゆる おきつしま こぎみるふねは つりしすらしも


三五八、山部宿祢赤人歌六首、
武庫浦乎 榜轉小舟 粟嶋矣 背尓見乍 乏小舟
武庫の浦を漕ぎ廻る小舟粟島をそがひに見つつ羨しき小舟
むこのうらを こぎみるをぶね あはしまを そがひにみつつ ともしきをぶね

三五九、山部宿祢赤人歌六首、
阿倍乃嶋 宇乃住石尓 依浪 間無比来 日本師所念
阿倍の島鵜の住む磯に寄する波間なくこのころ大和し思ほゆ
あへのしま うのすむいそに よするなみ まなくこのころ やまとしおもほゆ


三六〇、山部宿祢赤人歌六首、
塩干去者 玉藻苅蔵 家妹之 濱L乞者 何矣示
潮干なば玉藻刈りつめ家の妹が浜づと乞はば何を示さむ
しほひなば たまもかりつめ いへのいもが はまづとこはば なにをしめさむ


三六一、山部宿祢赤人歌六首、
秋風乃 寒朝開乎 佐農能岡 将超公尓 衣借益矣
秋風の寒き朝明を佐農の岡越ゆらむ君に衣貸さましを
あきかぜの さむきあさけを さぬのをか こゆらむきみに きぬかさましを


三六二、山部宿祢赤人歌六首、
美沙居 石轉尓生 名乗藻乃 名者告志弖余 親者知友
みさご居る磯廻に生ふるなのりその名は告らしてよ親は知るとも
みさごゐる いそみにおふる なのりその なはのらしてよ おやはしるとも


三六三、山部宿祢赤人歌六首、或本歌曰
美沙居 荒礒尓生 名乗藻乃 吉名者告世 父母者知友
みさご居る荒磯に生ふるなのりそのよし名は告らせ親は知るとも
みさごゐる ありそにおふる なのりその よしなはのらせ おやはしるとも


三六四、笠朝臣金村塩津山作歌二首
大夫之 弓上振起 射都流矢乎 後将見人者 語継金
ますらをの弓末振り起し射つる矢を後見む人は語り継ぐがね
ますらをの ゆずゑふりおこし いつるやを のちみむひとは かたりつぐがね


三六五、笠朝臣金村塩津山作歌二首、
塩津山 打越去者 我乗有 馬曽爪突 家戀良霜
塩津山打ち越え行けば我が乗れる馬ぞつまづく家恋ふらしも
しほつやま うちこえゆけば あがのれる うまぞつまづく いへこふらしも

三六六、角鹿津乗船時笠朝臣金村作歌一首 并短歌
越海之 角鹿乃濱従 大舟尓 真梶貫下 勇魚取 海路尓出而 阿倍寸管 我榜行者 大夫乃 手結我浦尓 海未通女 塩焼炎 草枕 客之有者 獨為而 見知師無美 綿津海乃 手二巻四而有 珠手次 懸而之努櫃 日本嶋根乎
越の海の 角鹿の浜ゆ 大船に 真楫貫き下ろし 鯨魚取り 海道に出でて 喘きつつ 我が漕ぎ行けば ますらをの 手結が浦に 海女娘子 塩焼く煙 草枕 旅にしあれば ひとりして 見る験なみ 海神の 手に巻かしたる 玉たすき 懸けて偲ひつ 大和島根を
こしのうみの つのがのはまゆ おほぶねに まかぢぬきおろし いさなとり うみぢにいでて あへきつつ わがこぎゆけば ますらをの たゆひがうらに あまをとめ しほやくけぶり くさまくら たびにしあれば ひとりして みるしるしなみ わたつみの てにまかしたる たまたすき かけてしのひつ やまとしまねを


三六七、角鹿津乗船時笠朝臣金村作歌一首[并短歌]、反歌
越海乃 手結之浦矣 客為而 見者乏見 日本思櫃
越の海の手結が浦を旅にして見れば羨しみ大和偲ひつ
こしのうみの たゆひがうらを たびにして みればともしみ やまとしのひつ


三六八、石上大夫歌一首
大船二 真梶繁貫 大王之 御命恐 礒廻為鴨
大船に真楫しじ貫き大君の命畏み磯廻するかも
おほぶねに まかぢしじぬき おほきみの みことかしこみ いそみするかも


三六九、石上大夫歌一首、和歌一首
物部乃 臣之壮士者 大王之 任乃随意 聞跡云物曽
物部の臣の壮士は大君の任けのまにまに聞くといふものぞ
もののふの おみのをとこは おほきみの まけのまにまに きくといふものぞ


三七〇、阿倍廣庭卿歌一首
雨不零 殿雲流夜之 潤濕跡 戀乍居寸 君待香光
雨降らずとの曇る夜のぬるぬると恋ひつつ居りき君待ちがてり
あめふらず とのぐもるよの ぬるぬると こひつつをりき きみまちがてり


三七一、出雲守門部王思京歌一首 後賜大原真人氏也
飫海乃 河原之乳鳥 汝鳴者 吾佐保河乃 所念國
意宇の海の河原の千鳥汝が鳴けば我が佐保川の思ほゆらくに
おうのうみの かはらのちどり ながなけば わがさほかはの おもほゆらくに


三七二、山部宿祢赤人登春日野作歌一首 并短歌
春日乎 春日山乃 高座之 御笠乃山尓 朝不離 雲居多奈引 容鳥能 間無數鳴 雲居奈須 心射左欲比 其鳥乃 片戀耳二 晝者毛 日之盡 夜者毛 夜之盡 立而居而 念曽吾為流 不相兒故荷
春日を 春日の山の 高座の 御笠の山に 朝さらず 雲居たなびき 貌鳥の 間なくしば鳴く 雲居なす 心いさよひ その鳥の 片恋のみに 昼はも 日のことごと 夜はも 夜のことごと 立ちて居て 思ひぞ我がする 逢はぬ子故に
はるひを かすがのやまの たかくらの みかさのやまに あささらず くもゐたなびき かほどりの まなくしばなく くもゐなす こころいさよひ そのとりの かたこひのみに ひるはも ひのことごと よるはも よのことごと たちてゐて おもひぞわがする あはぬこゆゑに


三七三、山部宿祢赤人登春日野作歌一首[并短歌]、反歌
高按之 三笠乃山尓 鳴鳥之 止者継流 戀哭為鴨
高座の御笠の山に鳴く鳥の止めば継がるる恋もするかも
たかくらの みかさのやまに なくとりの やめばつがるる こひもするかも


三七四、石上乙麻呂朝臣歌一首
雨零者 将盖跡念有 笠乃山 人尓莫令盖 霑者漬跡裳
雨降らば着むと思へる笠の山人にな着せそ濡れは漬つとも
あめふらば きむとおもへる かさのやま ひとになきせそ ぬれはひつとも


三七五、湯原王芳野作歌一首
吉野尓有 夏實之河乃 川余杼尓 鴨曽鳴成 山影尓之弖
吉野なる菜摘の川の川淀に鴨ぞ鳴くなる山蔭にして
よしのなる なつみのかはの かはよどに かもぞなくなる やまかげにして


三七六、湯原王宴席歌二首
秋津羽之 袖振妹乎 珠匣 奥尓念乎 見賜吾君
あきづ羽の袖振る妹を玉櫛笥奥に思ふを見たまへ我が君
あきづはの そでふるいもを たまくしげ おくにおもふを みたまへあがきみ


三七七、湯原王宴席歌二首、
青山之 嶺乃白雲 朝尓食尓 恒見杼毛 目頬四吾君
青山の嶺の白雲朝に日に常に見れどもめづらし我が君
あをやまの みねのしらくも あさにけに つねにみれども めづらしあがきみ


三七八、山部宿祢赤人詠故太上大臣藤原家之山池歌一首
昔者之 舊堤者 年深 池之瀲尓 水草生家里
いにしへの古き堤は年深み池の渚に水草生ひにけり
いにしへの ふるきつつみは としふかみ いけのなぎさに みくさおひにけり


三七九、大伴坂上郎女祭神歌一首 并短歌
久堅之 天原従 生来 神之命 奥山乃 賢木之枝尓 白香付 木綿取付而 齊戸乎 忌穿居 竹玉乎 繁尓貫垂 十六自物 膝折伏 手弱女之 押日取懸 如此谷裳 吾者祈奈牟 君尓不相可聞
ひさかたの 天の原より 生れ来る 神の命 奥山の 賢木の枝に しらか付け 木綿取り付けて 斎瓮を 斎ひ掘り据ゑ 竹玉を 繁に貫き垂れ 獣じもの 膝折り伏して たわや女の 襲取り懸け かくだにも 我れは祈ひなむ 君に逢はじかも
ひさかたの あまのはらより あれきたる かみのみこと おくやまの さかきのえだに しらかつけ ゆふとりつけて いはひへを いはひほりすゑ たかたまを しじにぬきたれ ししじもの ひざをりふして たわやめの おすひとりかけ かくだにも あれはこひなむ きみにあはじかも


三八〇、大伴坂上郎女祭神歌一首 并短歌、反歌
木綿疊 手取持而 如此谷母 吾波乞甞 君尓不相鴨
木綿畳手に取り持ちてかくだにも我れは祈ひなむ君に逢はじかも
ゆふたたみ てにとりもちて かくだにも あれはこひなむ きみにあはじかも


三八一、筑紫娘子贈行旅歌一首 娘子字曰兒嶋
思家登 情進莫 風候 好為而伊麻世 荒其路
家思ふと心進むな風まもり好くしていませ荒しその道
いへもふと こころすすむな かぜまもり よくしていませ あらしそのみち


三八二、登筑波岳丹比真人國人作歌一首 并短歌
鷄之鳴 東國尓 高山者 佐波尓雖有 朋神之 貴山乃 儕立乃 見杲石山跡 神代従 人之言嗣 國見為築羽乃山矣 冬木成 時敷時跡 不見而徃者 益而戀石見 雪消為 山道尚矣 名積叙吾来煎
鶏が鳴く 東の国に 高山は さはにあれども 二神の 貴き山の 並み立ちの 見が欲し山と 神世より 人の言ひ継ぎ 国見する 筑波の山を 冬こもり 時じき時と 見ずて行かば まして恋しみ 雪消する 山道すらを なづみぞ我が来る
とりがなく あづまのくにに たかやまは さはにあれども ふたかみの たふときやまの なみたちの みがほしやまと かむよより ひとのいひつぎ くにみする つくはのやまを ふゆこもり ときじきときと みずていかば ましてこほしみ ゆきげする やまみちすらを なづみぞわがける


三八三、登筑波岳丹比真人國人作歌一首 并短歌、反歌
築羽根矣 Z耳見乍 有金手 雪消乃道矣 名積来有鴨
筑波嶺を外のみ見つつありかねて雪消の道をなづみ来るかも
つくはねを よそのみみつつ ありかねて ゆきげのみちを なづみけるかも


三八四、山部宿祢赤人歌一首
吾屋戸尓 韓藍種生之 雖干 不懲而亦毛 将蒔登曽念
我がやどに韓藍蒔き生ほし枯れぬれど懲りずてまたも蒔かむとぞ思ふ
わがやどに からあゐまきおほし かれぬれど こりずてまたも まかむとぞおもふ


三八五、仙柘枝歌三首
霰零 吉志美我高嶺乎 險跡 草取可奈和 妹手乎取
霰降り吉志美が岳をさがしみと草取りかなわ妹が手を取る
あられふり きしみがたけを さがしみと くさとりかなわ いもがてをとる


三八六、仙柘枝歌三首、
此暮 柘之左枝乃 流来者 a者不打而 不取香聞将有
この夕柘のさ枝の流れ来ば梁は打たずて取らずかもあらむ
このゆふへ つみのさえだの ながれこば やなはうたずて とらずかもあらむ


三八七、仙柘枝歌三首、
古尓 a打人乃 無有世伐 此間毛有益 柘之枝羽裳
いにしへに梁打つ人のなかりせばここにもあらまし柘の枝はも
いにしへに やなうつひとの なかりせば ここにもあらまし つみのえだはも


三八八、羈旅歌一首 并短歌
海若者 霊寸物香 淡路嶋 中尓立置而 白浪乎 伊与尓廻之 座待月 開乃門従者 暮去者 塩乎令満 明去者 塩乎令于 塩左為能 浪乎恐美 淡路嶋 礒隠居而 何時鴨 此夜乃将明跡侍従尓 寐乃不勝宿者 瀧上乃 淺野之雉 開去歳 立動良之 率兒等 安倍而榜出牟 尓波母之頭氣師
海神は くすしきものか 淡路島 中に立て置きて 白波を 伊予に廻らし 居待月 明石の門ゆは 夕されば 潮を満たしめ 明けされば 潮を干しむ 潮騒の 波を畏み 淡路島 礒隠り居て いつしかも この夜の明けむと さもらふに 寐の寝かてねば 滝の上の 浅野の雉 明けぬとし 立ち騒くらし いざ子ども あへて漕ぎ出む 庭も静けし
わたつみは くすしきものか あはぢしま なかにたておきて しらなみを いよにめぐらし ゐまちづき あかしのとゆは ゆふされば しほをみたしめ あけされば しほをひしむ しほさゐの なみをかしこみ あはぢしま いそがくりゐて いつしかも このよのあけむと さもらふに いのねかてねば たきのうへの あさののきぎし あけぬとし たちさわくらし いざこども あへてこぎでむ にはもしづけし


三八九、羈旅歌一首[并短歌]、反歌
嶋傳 敏馬乃埼乎 許藝廻者 日本戀久 鶴左波尓鳴
島伝ひ敏馬の崎を漕ぎ廻れば大和恋しく鶴さはに鳴く
しまつたひ みぬめのさきを こぎみれば やまとこほしく たづさはになく


譬喩歌

三九〇、紀皇女御歌一首
軽池之 b廻徃轉留 鴨尚尓 玉藻乃於丹 獨宿名久二
軽の池の浦廻行き廻る鴨すらに玉藻の上にひとり寝なくに
かるのいけの うらみゆきみる かもすらに たまものうへに ひとりねなくに


三九一、造筑紫觀世音寺別當沙弥満誓歌一首
鳥総立 足柄山尓 船木伐 樹尓伐歸都 安多良船材乎
鳥総立て足柄山に船木伐り木に伐り行きつあたら船木を
とぶさたて あしがらやまに ふなぎきり きにきりゆきつ あたらふなぎを


三九二、大宰大監大伴宿祢百代梅歌一首
烏珠之 其夜乃梅乎 手忘而 不折来家里 思之物乎
ぬばたまのその夜の梅をた忘れて折らず来にけり思ひしものを
ぬばたまの そのよのうめを たわすれて をらずきにけり おもひしものを


三九三、満誓沙弥月歌一首
不所見十方 孰不戀有米 山之末尓 射狭夜歴月乎 外見而思香
見えずとも誰れ恋ひざらめ山の端にいさよふ月を外に見てしか
みえずとも たれこひざらめ やまのはに いさよふつきを よそにみてしか


三九四、余明軍歌一首
印結而 我定義之 住吉乃 濱乃小松者 後毛吾松
標結ひて我が定めてし住吉の浜の小松は後も我が松
しめゆひて わがさだめてし すみのえの はまのこまつは のちもわがまつ


三九五、笠女郎贈大伴宿祢家持歌三首
託馬野尓 生流紫 衣染 未服而 色尓出来
託馬野に生ふる紫草衣に染めいまだ着ずして色に出でにけり
たくまのに おふるむらさき きぬにしめ いまだきずして いろにいでにけり


三九六、笠女郎贈大伴宿祢家持歌三首、
陸奥之 真野乃草原 雖遠 面影為而 所見云物乎
陸奥の真野の草原遠けども面影にして見ゆといふものを
みちのくの まののかやはら とほけども おもかげにして みゆといふものを

三九七、笠女郎贈大伴宿祢家持歌三首、
奥山之 磐本菅乎 根深目手 結之情 忘不得裳
奥山の岩本菅を根深めて結びし心忘れかねつも
おくやまの いはもとすげを ねふかめて むすびしこころ わすれかねつも


三九八、藤原朝臣八束梅歌二首  八束後名真楯 房前第三子
妹家尓 開有梅之 何時毛々々々 将成時尓 事者将定
妹が家に咲きたる梅のいつもいつもなりなむ時に事は定めむ
いもがいへに さきたるうめの いつもいつも なりなむときに ことはさだめむ


三九九、藤原朝臣八束梅歌二首  八束後名真楯 房前第三子、
妹家尓 開有花之 梅花 實之成名者 左右将為
妹が家に咲きたる花の梅の花実にしなりなばかもかくもせむ
いもがいへに さきたるはなの うめのはな みにしなりなば かもかくもせむ


四〇〇、大伴宿祢駿河麻呂梅歌一首
梅花 開而落去登 人者雖云 吾標結之 枝将有八方
梅の花咲きて散りぬと人は言へど我が標結ひし枝にあらめやも
うめのはな さきてちりぬと ひとはいへど わがしめゆひし えだにあらめやも


四〇一、大伴坂上郎女宴親族之日吟歌一首
山守之 有家留不知尓 其山尓 標結立而 結之辱為都
山守のありける知らにその山に標結ひ立てて結ひの恥しつ
やまもりの ありけるしらに そのやまに しめゆひたてて ゆひのはぢしつ


四〇二、大伴坂上郎女宴親族之日吟歌一首、大伴宿祢駿河麻呂即和歌一首
山主者 盖雖有 吾妹子之 将結標乎 人将解八方
山守はけだしありとも我妹子が結ひけむ標を人解かめやも
やまもりは けだしありとも わぎもこが ゆひけむしめを ひととかめやも


四〇三、大伴宿祢家持贈同坂上家之大嬢歌一首
朝尓食尓 欲見 其玉乎 如何為鴨 従手不離有牟
朝に日に見まく欲りするその玉をいかにせばかも手ゆ離れずあらむ
あさにけに みまくほりする そのたまを いかにせばかも てゆかれずあらむ

四〇四、娘子報佐伯宿祢赤麻呂贈歌一首
千磐破 神之社四 無有世伐 春日之野邊 粟種益乎
ちはやぶる神の社しなかりせば春日の野辺に粟蒔かましを
ちはやぶる かみのやしろし なかりせば かすがののへに あはまかましを


四〇五、佐伯宿祢赤麻呂更贈歌一首
春日野尓 粟種有世伐 待鹿尓 継而行益乎 社師怨焉
春日野に粟蒔けりせば鹿待ちに継ぎて行かましを社し恨めし
かすがのに あはまけりせば ししまちに つぎてゆかましを やしろしうらめし


四〇六、娘子復報歌一首
吾祭 神者不有 大夫尓 認有神曽 好應祀
我が祭る神にはあらず大夫に憑きたる神ぞよく祭るべし
わがまつる かみにはあらず ますらをに つきたるかみぞ よくまつるべし


四〇七、大伴宿祢駿河麻呂娉同坂上家之二嬢歌一首
春霞 春日里之 殖子水葱 苗有跡云師 柄者指尓家牟
春霞春日の里の植ゑ子水葱苗なりと言ひし枝はさしにけむ
はるかすみ かすがのさとの うゑこなぎ なへなりといひし えはさしにけむ


四〇八、大伴宿祢家持贈同坂上家之大嬢歌一首
石竹之 其花尓毛我 朝旦 手取持而 不戀日将無
なでしこがその花にもが朝な朝な手に取り持ちて恋ひぬ日なけむ
なでしこが そのはなにもが あさなさな てにとりもちて こひぬひなけむ


四〇九、大伴宿祢駿河麻呂歌一首
一日尓波 千重浪敷尓 雖念 奈何其玉之 手二巻難寸
一日には千重波しきに思へどもなぞその玉の手に巻きかたき
ひとひには ちへなみしきに おもへども なぞそのたまの てにまきかたき


四一〇、大伴坂上郎女橘歌一首
橘乎 屋前尓殖生 立而居而 後雖悔 驗将有八方
橘を宿に植ゑ生ほし立ちて居て後に悔ゆとも験あらめやも
たちばなを やどにうゑおほし たちてゐて のちにくゆとも しるしあらめやも


四一一、大伴坂上郎女橘歌一首、和歌一首
吾妹兒之 屋前之橘 甚近 殖而師故二 不成者不止
我妹子がやどの橘いと近く植ゑてし故にならずはやまじ
わぎもこが やどのたちばな いとちかく うゑてしゆゑに ならずはやまじ


四一二、市原王歌一首
伊奈太吉尓 伎須賣流玉者 無二 此方彼方毛 君之随意
いなだきにきすめる玉は二つなしかにもかくにも君がまにまに
いなだきに きすめるたまは ふたつなし かにもかくにも きみがまにまに


四一三、大網公人主宴吟歌一首
須麻乃海人之 塩焼衣乃 藤服 間遠之有者 未著穢
須磨の海女の塩焼き衣の藤衣間遠にしあればいまだ着なれず
すまのあまの しほやききぬの ふぢころも まどほにしあれば いまだきなれず


四一四、大伴宿祢家持歌一首
足日木能 石根許其思美 菅根乎 引者難三等 標耳曽結焉
あしひきの岩根こごしみ菅の根を引かばかたみと標のみぞ結ふ
あしひきの いはねこごしみ すがのねを ひかばかたみと しめのみぞゆふ


挽歌

四一五、上宮聖徳皇子出遊竹原井之時見龍田山死人悲傷御作歌一首 小墾田宮御宇天皇代墾田宮御宇者豊御食炊屋姫天皇也諱額田謚推古家有者 妹之手将纒 草枕 客尓臥有 此旅人□怜
家にあらば妹が手まかむ草枕旅に臥やせるこの旅人あはれ
いへにあらば いもがてまかむ くさまくら たびにこやせる このたびとあはれ


四一六、大津皇子被死之時磐余池陂流涕御作歌一首
百傳 磐余池尓 鳴鴨乎 今日耳見哉 雲隠去牟
百伝ふ磐余の池に鳴く鴨を今日のみ見てや雲隠りなむ
ももづたふ いはれのいけに なくかもを けふのみみてや くもがくりなむ


四一七、河内王葬豊前國鏡山之時手持女王作歌三首
王之 親魄相哉 豊國乃 鏡山乎 宮登定流
大君の和魂あへや豊国の鏡の山を宮と定むる
おほきみの にきたまあへや とよくにの かがみのやまを みやとさだむる


四一八、河内王葬豊前國鏡山之時手持女王作歌三首、
豊國乃 鏡山之 石戸立 隠尓計良思 雖待不来座
豊国の鏡の山の岩戸立て隠りにけらし待てど来まさず
とよくにの かがみのやまの いはとたて こもりにけらし まてどきまさず


四一九、河内王葬豊前國鏡山之時手持女王作歌三首、
石戸破 手力毛欲得 手弱寸 女有者 為便乃不知苦
岩戸破る手力もがも手弱き女にしあればすべの知らなく
いはとわる たぢからもがも たよわき をみなにしあれば すべのしらなく


四二〇、石田王卒之時丹生王作歌一首 并短歌
名湯竹乃 十縁皇子 狭丹頬相 吾大王者 隠久乃 始瀬乃山尓 神左備尓 伊都伎坐等 玉梓乃 人曽言鶴 於余頭礼可 吾聞都流 狂言加 我間都流母 天地尓 悔事乃 世開乃 悔言者 天雲乃 曽久敝能極 天地乃 至流左右二 杖策毛 不衝毛去而 夕衢占問 石卜以而 吾屋戸尓 御諸乎立而 枕邊尓 齊戸乎居 竹玉乎 無間貫垂 木綿手次 可比奈尓懸而 天有 左佐羅能小野之 七相菅 手取持而 久堅乃 天川原尓 出立而 潔身而麻之乎 高山乃 石穂乃上尓 伊座都類香物
なゆ竹の とをよる御子 さ丹つらふ 我が大君は こもりくの 初瀬の山に 神さびに 斎きいますと 玉梓の 人ぞ言ひつる およづれか 我が聞きつる たはことか 我が聞きつるも 天地に 悔しきことの 世間の 悔しきことは 天雲の そくへの極み 天地の 至れるまでに 杖つきも つかずも行きて 夕占問ひ 石占もちて 我が宿に みもろを立てて 枕辺に 斎瓮を据ゑ 竹玉を 間なく貫き垂れ 木綿たすき かひなに懸けて 天なる ささらの小野の 七節菅 手に取り持ちて ひさかたの 天の川原に 出で立ちて みそぎてましを 高山の 巌の上に いませつるかも
なゆたけの とをよるみこ さにつらふ わがおほきみは こもりくの はつせのやまに かむさびに いつきいますと たまづさの ひとぞいひつる およづれか わがききつる たはことか わがききつるも あめつちに くやしきことの よのなかの くやしきことは あまくもの そくへのきはみ あめつちの いたれるまでに つゑつきも つかずもゆきて ゆふけとひ いしうらもちて わがやどに みもろをたてて まくらへに いはひへをすゑ たかたまを まなくぬきたれ ゆふたすき かひなにかけて あめなる ささらのをのの ななふすげ てにとりもちて ひさかたの あまのかはらに いでたちて みそぎてましを たかやまの いはほのうへに いませつるかも


四二一、石田王卒之時丹生王作歌一首 并短歌、反歌
逆言之 狂言等可聞 高山之 石穂乃上尓 君之臥有
およづれのたはこととかも高山の巌の上に君が臥やせる
およづれの たはこととかも たかやまの いはほのうへに きみがこやせる


四二二、石田王卒之時丹生王作歌一首[并短歌]、反歌、
石上 振乃山有 杉村乃 思過倍吉 君尓有名國
石上布留の山なる杉群の思ひ過ぐべき君にあらなくに
いそのかみ ふるのやまなる すぎむらの おもひすぐべき きみにあらなくに


四二三、同石田王卒之時山前王哀傷作歌一首
角障經 石村之道乎 朝不離 将歸人乃 念乍 通計萬口波 霍公鳥 鳴五月者 菖蒲 花橘乎 玉尓貫 蘰尓将為登 九月能 四具礼能時者 黄葉乎 折挿頭跡 延葛乃 弥遠永 萬世尓 不絶等念而 将通 君乎婆明日従 外尓可聞見牟
つのさはふ 磐余の道を 朝さらず 行きけむ人の 思ひつつ 通ひけまくは 霍公鳥 鳴く五月には あやめぐさ 花橘を 玉に貫き かづらにせむと 九月の しぐれの時は 黄葉を 折りかざさむと 延ふ葛の いや遠長く 万代に 絶えじと思ひて 通ひけむ 君をば明日ゆ 外にかも見む
つのさはふ いはれのみちを あささらず ゆきけむひとの おもひつつ かよひけまくは ほととぎす なくさつきには あやめぐさ はなたちばなを たまにぬき かづらにせむと ながつきの しぐれのときは もみちばを をりかざさむと はふくずの いやとほながく よろづよに たえじとおもひて かよひけむ きみをばあすゆ よそにかもみむ


四二四、同石田王卒之時山前王哀傷作歌一首、或本反歌二首
隠口乃 泊瀬越女我 手二纒在 玉者乱而 有不言八方
こもりくの泊瀬娘子が手に巻ける玉は乱れてありと言はずやも
こもりくの はつせをとめが てにまける たまはみだれて ありといはずやも


四二五、同石田王卒之時山前王哀傷作歌一首、或本反歌二首、
河風 寒長谷乎 歎乍 公之阿流久尓 似人母逢耶
川風の寒き泊瀬を嘆きつつ君が歩くに似る人も逢へや
かはかぜの さむきはつせを なげきつつ きみがあるくに にるひともあへや


四二六、柿本朝臣人麻呂見香具山屍悲慟作歌一首
草枕 羈宿尓 誰嬬可 國忘有 家待真國
草枕旅の宿りに誰が嬬か国忘れたる家待たまくに
くさまくら たびのやどりに たがつまか くにわすれたる いへまたまくに


四二七、田口廣麻呂死之時刑部垂麻呂作歌一首
百不足 八十隅坂尓 手向為者 過去人尓 盖相牟鴨
百足らず八十隈坂に手向けせば過ぎにし人にけだし逢はむかも
ももたらず やそくまさかに たむけせば すぎにしひとに けだしあはむかも


四二八、土形娘子火葬泊瀬山時柿本朝臣人麻呂作歌一首
隠口能 泊瀬山之 山際尓 伊佐夜歴雲者 妹鴨有牟
こもりくの初瀬の山の山の際にいさよふ雲は妹にかもあらむ
こもりくの はつせのやまの やまのまに いさよふくもは いもにかもあらむ


四二九、溺死出雲娘子火葬吉野時柿本朝臣人麻呂作歌二首
山際従 出雲兒等者 霧有哉 吉野山 嶺霏d
山の際ゆ出雲の子らは霧なれや吉野の山の嶺にたなびく
やまのまゆ いづものこらは きりなれや よしののやまの みねにたなびく


四三〇、溺死出雲娘子火葬吉野時柿本朝臣人麻呂作歌二首、
八雲刺 出雲子等 黒髪者 吉野川 奥名豆颯
八雲さす出雲の子らが黒髪は吉野の川の沖になづさふ
やくもさす いづものこらが くろかみは よしののかはの おきになづさふ


四三一、過勝鹿真間娘子墓時山部宿祢赤人作歌一首 并短歌  東俗語云可豆思賀能麻末能弖胡
古昔 有家武人之 倭文幡乃 帶解替而 廬屋立 妻問為家武 勝壮鹿乃 真間之手兒名之 奥槨乎 此間登波聞杼 真木葉哉 茂有良武 松之根也 遠久寸 言耳毛 名耳母吾者 不可忘
いにしへに ありけむ人の 倭文幡の 帯解き交へて 伏屋立て 妻問ひしけむ 勝鹿の 真間の手児名が 奥つ城を こことは聞けど 真木の葉や 茂くあるらむ 松が根や 遠く久しき 言のみも 名のみも我れは 忘らゆましじ
いにしへに ありけむひとの しつはたの おびときかへて ふせやたて つまどひしけむ かつしかの ままのてごなが おくつきを こことはきけど まきのはや しげくあるらむ まつがねや とほくひさしき ことのみも なのみもわれは わすらゆましじ


四三二、過勝鹿真間娘子墓時山部宿祢赤人作歌一首 并短歌 東俗語云可豆思賀能麻末能弖胡]、反歌
吾毛見都 人尓毛将告 勝壮鹿之 間々能手兒名之 奥津城處
我れも見つ人にも告げむ勝鹿の真間の手児名が奥つ城ところ
われもみつ ひとにもつげむ かつしかの ままのてごなが おくつきところ


四三三、過勝鹿真間娘子墓時山部宿祢赤人作歌一首 并短歌 東俗語云可豆思賀能麻末能弖胡]、反歌、
勝壮鹿乃 真々乃入江尓 打靡 玉藻苅兼 手兒名志所念
葛飾の真間の入江にうち靡く玉藻刈りけむ手児名し思ほゆ
かつしかの ままのいりえに うちなびく たまもかりけむ てごなしおもほゆ


四三四、和銅四年辛亥河邊宮人見姫嶋松原美人屍哀慟作歌四首
加座e夜能 美保乃浦廻之 白管仕 見十方不怜 無人念者 
風早の美穂の浦廻の白つつじ見れども寂しなき人思へば 
かざはやの みほのうらみの しらつつじ みれどもさぶし なきひとおもへば 


四三五、和銅四年辛亥河邊宮人見姫嶋松原美人屍哀慟作歌四首、
見津見津四 久米能若子我 伊觸家武 礒之草根乃 干巻惜裳
みつみつし久米の若子がい触れけむ礒の草根の枯れまく惜しも
みつみつし くめのわくごが いふれけむ いそのくさねの かれまくをしも


四三六、和銅四年辛亥河邊宮人見姫嶋松原美人屍哀慟作歌四首、
人言之 繁比日 玉有者 手尓巻持而 不戀有益雄
人言の繁きこのころ玉ならば手に巻き持ちて恋ひずあらましを
ひとごとの しげきこのころ たまならば てにまきもちて こひずあらましを


四三七、和銅四年辛亥河邊宮人見姫嶋松原美人屍哀慟作歌四首、
妹毛吾毛 清之河乃 河岸之 妹我可悔 心者不持
妹も我れも清みの川の川岸の妹が悔ゆべき心は持たじ
いももあれも きよみのかはの かはきしの いもがくゆべき こころはもたじ


四三八、神龜五年戊辰大宰帥大伴卿思戀故人歌三首
愛人之纒而師 敷細之 吾手枕乎 纒人将有哉
愛しき人のまきてし敷栲の我が手枕をまく人あらめや
うつくしき ひとのまきてし しきたへの わがたまくらを まくひとあらめや


四三九、神龜五年戊辰大宰帥大伴卿思戀故人歌三首、
應還 時者成来 京師尓而 誰手本乎可 吾将枕
帰るべく時はなりけり都にて誰が手本をか我が枕かむ
かへるべく ときはなりけり みやこにて たがたもとをか わがまくらかむ


四四〇、神龜五年戊辰大宰帥大伴卿思戀故人歌三首、
在京 荒有家尓 一宿者 益旅而 可辛苦
都なる荒れたる家にひとり寝ば旅にまさりて苦しかるべし
みやこなる あれたるいへに ひとりねば たびにまさりて くるしかるべし


四四一、神龜六年己巳左大臣長屋王賜死之後倉橋部女王作歌一首
大皇之 命恐 大荒城乃 時尓波不有跡 雲隠座
大君の命畏み大殯の時にはあらねど雲隠ります
おほきみの みことかしこみ おほあらきの ときにはあらねど くもがくります


四四二、悲傷膳部王歌一首
世間者 空物跡 将有登曽 此照月者 満闕為家流
世間は空しきものとあらむとぞこの照る月は満ち欠けしける
よのなかは むなしきものと あらむとぞ このてるつきは みちかけしける


四四三、天平元年己巳攝津國班田史生丈部龍麻呂自經死之時判官大伴宿祢三中作歌一首 并短歌
天雲之 向伏國 武士登 所云人者 皇祖 神之御門尓 外重尓 立候 内重尓 仕奉 玉葛 弥遠長 祖名文 継徃物与 母父尓 妻尓子等尓 語而 立西日従 帶乳根乃 母命者 齊忌戸乎 前坐置而 一手者 木綿取持 一手者 和細布奉 平 間幸座与 天地乃 神祇乞祷 何在 歳月日香 茵花 香君之 牛留鳥 名津匝来与 立居而 待監人者 王之 命恐 押光 難波國尓 荒玉之 年經左右二 白栲 衣不干 朝夕 在鶴公者 何方尓 念座可 欝蝉乃 惜此世乎 露霜 置而徃監 時尓不在之天
天雲の 向伏す国の ますらをと 言はれし人は 天皇の 神の御門に 外の重に 立ち侍ひ 内の重に 仕へ奉りて 玉葛 いや遠長く 祖の名も 継ぎ行くものと 母父に 妻に子どもに 語らひて 立ちにし日より たらちねの 母の命は 斎瓮を 前に据ゑ置きて 片手には 木綿取り持ち 片手には 和栲奉り 平けく ま幸くいませと 天地の 神を祈ひ祷み いかにあらむ 年月日にか つつじ花 にほへる君が にほ鳥の なづさひ来むと 立ちて居て 待ちけむ人は 大君の 命畏み おしてる 難波の国に あらたまの 年経るまでに 白栲の 衣も干さず 朝夕に ありつる君は いかさまに 思ひませか うつせみの 惜しきこの世を 露霜の 置きて去にけむ 時にあらずして
あまくもの むかぶすくにの ますらをと いはれしひとは すめろきの かみのみかどに とのへに たちさもらひ うちのへに つかへまつりて たまかづら いやとほながく おやのなも つぎゆくものと おもちちに つまにこどもに かたらひて たちにしひより たらちねの ははのみことは いはひへを まへにすゑおきて かたてには ゆふとりもち かたてには にきたへまつり たひらけく まさきくいませと あめつちの かみをこひのみ いかにあらむ としつきひにか つつじはな にほへるきみが にほとりの なづさひこむと たちてゐて まちけむひとは おほきみの みことかしこみ おしてる なにはのくにに あらたまの としふるまでに しろたへの ころももほさず あさよひに ありつるきみは いかさまに おもひいませか うつせみの をしきこのよを つゆしもの おきていにけむ ときにあらずして


四四四、天平元年己巳攝津國班田史生丈部龍麻呂自經死之時判官大伴宿祢三中作歌一首 并短歌、反歌
昨日社 公者在然 不思尓 濱松之於 雲棚引
昨日こそ君はありしか思はぬに浜松の上に雲にたなびく
きのふこそ きみはありしか おもはぬに はままつのうへに くもにたなびく


四四五、天平元年己巳攝津國班田史生丈部龍麻呂自經死之時判官大伴宿祢三中 作歌一首  并短歌、反歌、
何時然跡 待牟妹尓 玉梓乃 事太尓不告 徃公鴨
いつしかと待つらむ妹に玉梓の言だに告げず去にし君かも
いつしかと まつらむいもに たまづさの ことだにつげず いにしきみかも


四四六、天平二年庚午冬十二月大宰帥大伴卿向京上道之時作歌五首
吾妹子之 見師鞆浦之 天木香樹者 常世有跡 見之人曽奈吉
我妹子が見し鞆の浦のむろの木は常世にあれど見し人ぞなき
わぎもこが みしとものうらの むろのきは とこよにあれど みしひとぞなき


四四七、天平二年庚午冬十二月大宰帥大伴卿向京上道之時作歌五首、
鞆浦之 礒之室木 将見毎 相見之妹者 将所忘八方
鞆の浦の礒のむろの木見むごとに相見し妹は忘らえめやも
とものうらの いそのむろのき みむごとに あひみしいもは わすらえめやも


四四八、天平二年庚午冬十二月大宰帥大伴卿向京上道之時作歌五首、
礒上丹 根蔓室木 見之人乎 何在登問者 語将告可
礒の上に根延ふむろの木見し人をいづらと問はば語り告げむか
いそのうへに ねばふむろのき みしひとを いづらととはば かたりつげむか


四四九、天平二年庚午冬十二月大宰帥大伴卿向京上道之時作歌五首、
与妹来之 敏馬能埼乎 還左尓 獨之見者 涕具末之毛
妹と来し敏馬の崎を帰るさにひとりし見れば涙ぐましも
いもとこし みぬめのさきを かへるさに ひとりしみれば なみたぐましも


四五〇、天平二年庚午冬十二月大宰帥大伴卿向京上道之時作歌五首、
去左尓波 二吾見之 此埼乎 獨過者 情悲喪 
行くさにはふたり我が見しこの崎をひとり過ぐれば心悲しも 
ゆくさには ふたりわがみし このさきを ひとりすぐれば こころかなしも 


四五一、還入故郷家即作歌三首
人毛奈吉 空家者 草枕 旅尓益而 辛苦有家里
人もなき空しき家は草枕旅にまさりて苦しかりけり
ひともなき むなしきいへは くさまくら たびにまさりて くるしかりけり


四五二、還入故郷家即作歌三首、
与妹為而 二作之 吾山齊者 木高繁 成家留鴨
妹としてふたり作りし我が山斎は木高く茂くなりにけるかも
いもとして ふたりつくりし わがしまは こだかくしげく なりにけるかも


四五三、還入故郷家即作歌三首、
吾妹子之 殖之梅樹 毎見 情咽都追 涕之流
我妹子が植ゑし梅の木見るごとに心咽せつつ涙し流る
わぎもこが うゑしうめのき みるごとに こころむせつつ なみたしながる


四五四、天平三年辛未秋七月大納言大伴卿薨之時歌六首
愛八師 榮之君乃 伊座勢婆 昨日毛今日毛 吾乎召麻之乎
はしきやし栄えし君のいましせば昨日も今日も我を召さましを
はしきやし さかえしきみの いましせば きのふもけふも わをめさましを


四五五、天平三年辛未秋七月大納言大伴卿薨之時歌六首、
如是耳 有家類物乎 芽子花 咲而有哉跡 問之君波母
かくのみにありけるものを萩の花咲きてありやと問ひし君はも
かくのみに ありけるものを はぎのはな さきてありやと とひしきみはも


四五六、天平三年辛未秋七月大納言大伴卿薨之時歌六首、
君尓戀 痛毛為便奈美 蘆鶴之 哭耳所泣 朝夕四天
君に恋ひいたもすべなみ葦鶴の哭のみし泣かゆ朝夕にして
きみにこひ いたもすべなみ あしたづの ねのみしなかゆ あさよひにして


四五七、天平三年辛未秋七月大納言大伴卿薨之時歌六首、
遠長 将仕物常 念有之 君師不座者 心神毛奈思
遠長く仕へむものと思へりし君しまさねば心どもなし
とほながく つかへむものと おもへりし きみしまさねば こころどもなし


四五八、天平三年辛未秋七月大納言大伴卿薨之時歌六首、
若子乃 匍匐多毛登保里 朝夕 哭耳曽吾泣 君無二四天
みどり子の匍ひたもとほり朝夕に哭のみぞ我が泣く君なしにして
みどりこの はひたもとほり あさよひに ねのみぞわがなく きみなしにして


四五九、天平三年辛未秋七月大納言大伴卿薨之時歌六首、
見礼杼不飽 伊座之君我 黄葉乃 移伊去者 悲喪有香
見れど飽かずいましし君が黄葉のうつりい行けば悲しくもあるか
みれどあかず いまししきみが もみちばの うつりいゆけば かなしくもあるか


題詞 七年乙亥大伴坂上郎女悲嘆尼理願死去作歌一首 并短歌

栲角乃 新羅國従 人事乎 吉跡所聞而 問放流 親族兄弟 無國尓 渡来座而 大皇之 敷座國尓 内日指 京思美弥尓 里家者 左波尓雖在 何方尓 念鷄目鴨 都礼毛奈吉 佐保乃山邊尓 哭兒成 慕来座而 布細乃 宅乎毛造 荒玉乃 年緒長久 住乍 座之物乎 生者 死云事尓 不免 物尓之有者 憑有之 人乃盡 草枕 客有間尓 佐保河乎 朝河渡 春日野乎 背向尓見乍 足氷木乃 山邊乎指而 晩闇跡 隠益去礼 将言為便 将為須敝不知尓 徘徊 直獨而 白細之 衣袖不干 嘆乍 吾泣涙 有間山 雲居軽引 雨尓零寸八
栲づのの 新羅の国ゆ 人言を よしと聞かして 問ひ放くる 親族兄弟 なき国に 渡り来まして 大君の 敷きます国に うち日さす 都しみみに 里家は さはにあれども いかさまに 思ひけめかも つれもなき 佐保の山辺に 泣く子なす 慕ひ来まして 敷栲の 家をも作り あらたまの 年の緒長く 住まひつつ いまししものを 生ける者 死ぬといふことに 免れぬ ものにしあれば 頼めりし 人のことごと 草枕 旅なる間に 佐保川を 朝川渡り 春日野を そがひに見つつ あしひきの 山辺をさして 夕闇と 隠りましぬれ 言はむすべ 為むすべ知らに たもとほり ただひとりして 白栲の 衣袖干さず 嘆きつつ 我が泣く涙 有間山 雲居たなびき 雨に降りきや
たくづのの しらきのくにゆ ひとごとを よしときかして とひさくる うがらはらから なきくにに わたりきまして おほきみの しきますくにに うちひさす みやこしみみに さといへは さはにあれども いかさまに おもひけめかも つれもなき さほのやまへに なくこなす したひきまして しきたへの いへをもつくり あらたまの としのをながく すまひつつ いまししものを いけるもの しぬといふことに まぬかれぬ ものにしあれば たのめりし ひとのことごと くさまくら たびなるほとに さほがはを あさかはわたり かすがのを そがひにみつつ あしひきの やまへをさして ゆふやみと かくりましぬれ いはむすべ せむすべしらに たもとほり ただひとりして しろたへの ころもでほさず なげきつつ わがなくなみた ありまやま くもゐたなびき あめにふりきや


四六〇、七年乙亥大伴坂上郎女悲嘆尼理願死去作歌一首 并短歌、反歌
留不得 壽尓之在者 敷細乃 家従者出而 雲隠去寸
留めえぬ命にしあれば敷栲の家ゆは出でて雲隠りにき
とどめえぬ いのちにしあれば しきたへの いへゆはいでて くもがくりにき


四六一、十一年己卯夏六月大伴宿祢家持悲傷亡妾作歌一首
従今者 秋風寒 将吹焉 如何獨 長夜乎将宿
今よりは秋風寒く吹きなむをいかにかひとり長き夜を寝む
いまよりは あきかぜさむく ふきなむを いかにかひとり ながきよをねむ


四六二、十一年己卯夏六月大伴宿祢家持悲傷亡妾作歌一首、弟大伴宿祢書持即和歌一首
長夜乎 獨哉将宿跡 君之云者 過去人之 所念久尓
長き夜をひとりや寝むと君が言へば過ぎにし人の思ほゆらくに
ながきよを ひとりやねむと きみがいへば すぎにしひとの おもほゆらくに


四六三、又家持見砌上瞿麦花作歌一首
秋去者 見乍思跡 妹之殖之 屋前乃石竹 開家流香聞
秋さらば見つつ偲へと妹が植ゑしやどのなでしこ咲きにけるかも
あきさらば みつつしのへと いもがうゑし やどのなでしこ さきにけるかも


四六四、移朔而後悲嘆秋風家持作歌一首
虚蝉之 代者無常跡 知物乎 秋風寒 思努妣都流可聞
うつせみの世は常なしと知るものを秋風寒み偲ひつるかも
うつせみの よはつねなしと しるものを あきかぜさむみ しのひつるかも


四六五、又家持作歌一首 并短歌
吾屋前尓 花曽咲有 其乎見杼 情毛不行 愛八師 妹之有世婆 水鴨成 二人雙居 手折而毛 令見麻思物乎 打蝉乃 借有身在者 露霜乃 消去之如久 足日木乃 山道乎指而 入日成 隠去可婆 曽許念尓 胸己所痛 言毛不得 名付毛不知 跡無 世間尓有者 将為須辨毛奈思
我がやどに 花ぞ咲きたる そを見れど 心もゆかず はしきやし 妹がありせば 水鴨なす ふたり並び居 手折りても 見せましものを うつせみの 借れる身なれば 露霜の 消ぬるがごとく あしひきの 山道をさして 入日なす 隠りにしかば そこ思ふに 胸こそ痛き 言ひもえず 名づけも知らず 跡もなき 世間にあれば 為むすべもなし
わがやどに はなぞさきたる そをみれど こころもゆかず はしきやし いもがありせば みかもなす ふたりならびゐ たをりても みせましものを うつせみの かれるみなれば つゆしもの けぬるがごとく あしひきの やまぢをさして いりひなす かくりにしかば そこもふに むねこそいたき いひもえず なづけもしらず あともなき よのなかにあれば せむすべもなし


四六六、又家持作歌一首 并短歌、反歌
時者霜 何時毛将有乎 情哀 伊去吾妹可 若子乎置而
時はしもいつもあらむを心痛くい行く我妹かみどり子を置きて
ときはしも いつもあらむを こころいたく いゆくわぎもか みどりこをおきて


四六七、又家持作歌一首[并短歌]、反歌、
出行 道知末世波 豫 妹乎将留 塞毛置末思乎
出でて行く道知らませばあらかじめ妹を留めむ関も置かましを
いでてゆく みちしらませば あらかじめ いもをとどめむ せきもおかましを


四六八、又家持作歌一首 并短歌、反歌、
妹之見師 屋前尓花咲 時者經去 吾泣涙 未干尓
妹が見しやどに花咲き時は経ぬ我が泣く涙いまだ干なくに
いもがみし やどにはなさき ときはへぬ わがなくなみた いまだひなくに


四六九、悲緒未息更作歌五首
如是耳 有家留物乎 妹毛吾毛 如千歳 憑有来
かくのみにありけるものを妹も我れも千年のごとく頼みたりけり
かくのみに ありけるものを いももあれも ちとせのごとく たのみたりけり


四七〇、悲緒未息更作歌五首、
離家 伊麻須吾妹乎 停不得 山隠都礼 情神毛奈思
家離りいます我妹を留めかね山隠しつれ心どもなし
いへざかり いますわぎもを とどめかね やまかくしつれ こころどもなし


四七一、悲緒未息更作歌五首、
世間之 常如此耳跡 可都知跡 痛情者 不忍都毛
世間し常かくのみとかつ知れど痛き心は忍びかねつも
よのなかし つねかくのみと かつしれど いたきこころは しのびかねつも


四七二、悲緒未息更作歌五首、
佐保山尓 多奈引霞 毎見 妹乎思出 不泣日者無
佐保山にたなびく霞見るごとに妹を思ひ出泣かぬ日はなし
さほやまに たなびくかすみ みるごとに いもをおもひで なかぬひはなし


四七三、悲緒未息更作歌五首、
昔許曽 外尓毛見之加 吾妹子之 奥槨常念者 波之吉佐寳山
昔こそ外にも見しか我妹子が奥つ城と思へばはしき佐保山
むかしこそ よそにもみしか わぎもこが おくつきとおもへば はしきさほやま


四七四、十六年甲申春二月安積皇子薨之時内舎人大伴宿祢家持作歌六首
挂巻母 綾尓恐之 言巻毛 齊忌志伎可物 吾王 御子乃命 萬代尓 食賜麻思 大日本 久邇乃京者 打靡 春去奴礼婆 山邊尓波 花咲乎為里 河湍尓波 年魚小狭走 弥日異 榮時尓 逆言之 狂言登加聞 白細尓 舎人装束而 和豆香山 御輿立之而 久堅乃 天所知奴礼 展轉 O打雖泣 将為須便毛奈思
かけまくも あやに畏し 言はまくも ゆゆしきかも 我が大君 皇子の命 万代に 見したまはまし 大日本 久迩の都は うち靡く 春さりぬれば 山辺には 花咲きををり 川瀬には 鮎子さ走り いや日異に 栄ゆる時に およづれの たはこととかも 白栲に 舎人よそひて 和束山 御輿立たして ひさかたの 天知らしぬれ 臥いまろび ひづち泣けども 為むすべもなし
かけまくも あやにかしこし いはまくも ゆゆしきかも わがおほきみ みこのみこと よろづよに めしたまはまし おほやまと くにのみやこは うちなびく はるさりぬれば やまへには はなさきををり かはせには あゆこさばしり いやひけに さかゆるときに およづれの たはこととかも しろたへに とねりよそひて わづかやま みこしたたして ひさかたの あめしらしぬれ こいまろび ひづちなけども せむすべもなし


四七五、十六年甲申春二月安積皇子薨之時内舎人大伴宿祢家持作歌六首、反歌
吾王 天所知牟登 不思者 於保尓曽見谿流 和豆香蘇麻山
我が大君天知らさむと思はねばおほにぞ見ける和束杣山
わがおほきみ あめしらさむと おもはねば おほにぞみける わづかそまやま


四七六、十六年甲申春二月安積皇子薨之時内舎人大伴宿祢家持作歌六首、反歌、
足桧木乃 山左倍光 咲花乃 散去如寸 吾王香聞
あしひきの山さへ光り咲く花の散りぬるごとき我が大君かも
あしひきの やまさへひかり さくはなの ちりぬるごとき わがおほきみかも


四七七、十六年甲申春二月安積皇子薨之時内舎人大伴宿祢家持作歌六首、
挂巻毛 文尓恐之 吾王 皇子之命 物乃負能 八十伴男乎 召集聚 率比賜比 朝猟尓 鹿猪踐起 暮猟尓 鶉雉履立 大御馬之 口抑駐 御心乎 見為明米之 活道山 木立之繁尓 咲花毛 移尓家里 世間者 如此耳奈良之 大夫之 心振起 劔刀 腰尓取佩 梓弓 靭取負而 天地与 弥遠長尓 万代尓 如此毛欲得跡 憑有之 皇子乃御門乃 五月蝿成 驟驂舎人者 白栲尓 服取著而 常有之 咲比振麻比 弥日異 更經見者 悲呂可聞
かけまくも あやに畏し 我が大君 皇子の命の もののふの 八十伴の男を 召し集へ 率ひたまひ 朝狩に 鹿猪踏み起し 夕狩に 鶉雉踏み立て 大御馬の 口抑へとめ 御心を 見し明らめし 活道山 木立の茂に 咲く花も うつろひにけり 世間は かくのみならし ますらをの 心振り起し 剣太刀 腰に取り佩き 梓弓 靫取り負ひて 天地と いや遠長に 万代に かくしもがもと 頼めりし 皇子の御門の 五月蝿なす 騒く舎人は 白栲に 衣取り着て 常なりし 笑ひ振舞ひ いや日異に 変らふ見れば 悲しきろかも
かけまくも あやにかしこし わがおほきみ みこのみことの もののふの やそとものをを めしつどへ あどもひたまひ あさがりに ししふみおこし ゆふがりに とりふみたて おほみまの くちおさへとめ みこころを めしあきらめし いくぢやま こだちのしげに さくはなも うつろひにけり よのなかは かくのみならし ますらをの こころふりおこし つるぎたち こしにとりはき あづさゆみ ゆきとりおひて あめつちと いやとほながに よろづよに かくしもがもと たのめりし みこのみかどの さばへなす さわくとねりは しろたへに ころもとりきて つねなりし ゑまひふるまひ いやひけに かはらふみれば かなしきろかも


四七八、十六年甲申春二月安積皇子薨之時内舎人大伴宿祢家持作歌六首、反歌
波之吉可聞 皇子之命乃 安里我欲比 見之活道乃 路波荒尓鷄里
はしきかも皇子の命のあり通ひ見しし活道の道は荒れにけり
はしきかも みこのみことの ありがよひ めししいくぢの みちはあれにけり


四七九、十六年甲申春二月安積皇子薨之時内舎人大伴宿祢家持作歌六首、反歌、
大伴之 名負靭帶而 萬代尓 憑之心 何所可将寄
大伴の名に負ふ靫帯びて万代に頼みし心いづくか寄せむ
おほともの なにおふゆきおびて よろづよに たのみしこころ いづくかよせむ


四八〇、悲傷死妻高橋朝臣作歌一首 并短歌
白細之 袖指可倍弖 靡寐 吾黒髪乃 真白髪尓 成極 新世尓 共将有跡 玉緒乃 不絶射妹跡 結而石 事者不果 思有之 心者不遂 白妙之 手本矣別 丹杵火尓之 家従裳出而 緑兒乃 哭乎毛置而 朝霧 髣髴為乍 山代乃 相樂山乃 山際 徃過奴礼婆 将云為便 将為便不知 吾妹子跡 左宿之妻屋尓 朝庭 出立偲 夕尓波 入居嘆會 腋挾 兒乃泣毎 雄自毛能 負見抱見 朝鳥之 啼耳哭管 雖戀 効矣無跡 辞不問 物尓波在跡 吾妹子之 入尓之山乎 因鹿跡叙念
白栲の 袖さし交へて 靡き寝し 我が黒髪の ま白髪に なりなむ極み 新世に ともにあらむと 玉の緒の 絶えじい妹と 結びてし ことは果たさず 思へりし 心は遂げず 白栲の 手本を別れ にきびにし 家ゆも出でて みどり子の 泣くをも置きて 朝霧の おほになりつつ 山背の 相楽山の 山の際に 行き過ぎぬれば 言はむすべ 為むすべ知らに 我妹子と さ寝し妻屋に 朝には 出で立ち偲ひ 夕には 入り居嘆かひ 脇ばさむ 子の泣くごとに 男じもの 負ひみ抱きみ 朝鳥の 哭のみ泣きつつ 恋ふれども 験をなみと 言とはぬ ものにはあれど 我妹子が 入りにし山を よすかとぞ思ふ
しろたへの そでさしかへて なびきねし わがくろかみの ましらかに なりなむきはみ あらたよに ともにあらむと たまのをの たえじいいもと むすびてし ことははたさず おもへりし こころはとげず しろたへの たもとをわかれ にきびにし いへゆもいでて みどりこの なくをもおきて あさぎりの おほになりつつ やましろの さがらかやまの やまのまに ゆきすぎぬれば いはむすべ せむすべしらに わぎもこと さねしつまやに あしたには いでたちしのひ ゆふへには いりゐなげかひ わきばさむ このなくごとに をとこじもの おひみむだきみ あさとりの ねのみなきつつ こふれども しるしをなみと こととはぬ ものにはあれど わぎもこが いりにしやまを よすかとぞおもふ


四八一、悲傷死妻高橋朝臣作歌一首 并短歌、反歌
打背見乃 世之事尓在者 外尓見之 山矣耶今者 因香跡思波牟
うつせみの世のことにあれば外に見し山をや今はよすかと思はむ
うつせみの よのことにあれば よそにみし やまをやいまは よすかとおもはむ


四八二、悲傷死妻高橋朝臣作歌一首 并短歌、反歌、
朝鳥之 啼耳鳴六 吾妹子尓 今亦更 逢因矣無
朝鳥の哭のみし泣かむ我妹子に今またさらに逢ふよしをなみ
あさとりの ねのみしなかゆ わぎもこに いままたさらに あふよしをなみ

                 巻第三了

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            巻第四    相 聞
             よまきにあたるまき  したしみうた

四八四、難波天皇妹奉上在山跡皇兄御歌一首
一日社 人母待吉 長氣乎 如此耳待者 有不得勝
一日こそ人も待ちよき長き日をかくのみ待たば有りかつましじ
ひとひこそ ひともまちよき ながきけを かくのみまたば ありかつましじ


四八五、崗本天皇御製一首[并短歌]
神代従 生継来者 人多 國尓波満而 味村乃 去来者行跡 吾戀流 君尓之不有者 晝波 日乃久流留麻弖 夜者 夜之明流寸食 念乍 寐宿難尓登 阿可思通良久茂 長此夜乎
神代より 生れ継ぎ来れば 人さはに 国には満ちて あぢ群の 通ひは行けど 我が恋ふる 君にしあらねば 昼は 日の暮るるまで 夜は 夜の明くる極み 思ひつつ 寐も寝かてにと 明かしつらくも 長きこの夜を
かむよより あれつぎくれば ひとさはに くににはみちて あぢむらの かよひはゆけど あがこふる きみにしあらねば ひるは ひのくるるまで よるは よのあくるきはみ おもひつつ いもねかてにと あかしつらくも ながきこのよを


四八六、崗本天皇御製一首 并短歌、反歌
山羽尓 味村驂 去奈礼騰 吾者左夫思恵 君二四不在者
山の端にあぢ群騒き行くなれど我れは寂しゑ君にしあらねば
やまのはに あぢむらさわき ゆくなれど われはさぶしゑ きみにしあらねば


四八七、崗本天皇御製一首[并短歌]、反歌、
淡海路乃 鳥篭之山有 不知哉川 氣乃己呂其侶波 戀乍裳将有
近江道の鳥篭の山なる不知哉川日のころごろは恋ひつつもあらむ
あふみちの とこのやまなる いさやかは けのころごろは こひつつもあらむ


四八八、額田王思近江天皇作歌一首
君待登 吾戀居者 我屋戸之 簾動之 秋風吹
君待つと我が恋ひ居れば我が宿の簾動かし秋の風吹く
きみまつと あがこひをれば わがやどの すだれうごかし あきのかぜふく


四八九、風乎太尓 
戀流波乏之 風小谷 将来登時待者 何香将嘆
風をだに恋ふるは羨し風をだに来むとし待たば何か嘆かむ
かぜをだに こふるはともし かぜをだに こむとしまたば なにかなげかむ


四九〇、吹黄刀自(ふきのとじ)歌二首
真野之浦乃 与騰乃継橋 情由毛 思哉妹之 伊目尓之所見
真野の浦の淀の継橋心ゆも思へや妹が夢にし見ゆる
まののうらの よどのつぎはし こころゆも おもへやいもが いめにしみゆる


四九一、
河上乃 伊都藻之花乃 何時々々 来益我背子 時自異目八方
川上のいつ藻の花のいつもいつも来ませ我が背子時じけめやも
かはかみの いつものはなの いつもいつも きませわがせこ ときじけめやも


四九二、田部忌寸櫟子任大宰時歌四首
衣手尓 取等騰己保里 哭兒尓毛 益有吾乎 置而如何将為 
衣手に取りとどこほり泣く子にもまされる我れを置きていかにせむ 
ころもでに とりとどこほり なくこにも まされるわれを おきていかにせむ


四九三、田部忌寸櫟子任大宰時歌四首、
置而行者 妹将戀可聞 敷細乃 黒髪布而 長此夜乎 
置きていなば妹恋ひむかも敷栲の黒髪敷きて長きこの夜を 
おきていなば いもこひむかも しきたへの くろかみしきて ながきこのよを


四九四、田部忌寸櫟子任大宰時歌四首、
吾妹兒乎 相令知 人乎許曽 戀之益者 恨三念
我妹子を相知らしめし人をこそ恋のまされば恨めしみ思へ
わぎもこを あひしらしめし ひとをこそ こひのまされば うらめしみおもへ


四九五、田部忌寸櫟子任大宰時歌四首、
朝日影 尓保敝流山尓 照月乃 不Q君乎 山越尓置手
朝日影にほへる山に照る月の飽かざる君を山越しに置きて
あさひかげ にほへるやまに てるつきの あかざるきみを やまごしにおきて


四九六、柿本朝臣人麻呂歌四首
三熊野之 浦乃濱木綿 百重成 心者雖念 直不相鴨
み熊野の浦の浜木綿百重なす心は思へど直に逢はぬかも
みくまのの うらのはまゆふ ももへなす こころはもへど ただにあはぬかも


四九七、柿本朝臣人麻呂歌四首、
古尓 有兼人毛 如吾歟 妹尓戀乍 宿不勝家牟
いにしへにありけむ人も我がごとか妹に恋ひつつ寐ねかてずけむ
いにしへに ありけむひとも あがごとか いもにこひつつ いねかてずけむ


四九八、柿本朝臣人麻呂歌四首、
今耳之 行事庭不有 古 人曽益而 哭左倍鳴四
今のみのわざにはあらずいにしへの人ぞまさりて音にさへ泣きし
いまのみの わざにはあらず いにしへの ひとぞまさりて ねにさへなきし


四九九、柿本朝臣人麻呂歌四首、
百重二物 来及毳常 念鴨 公之使乃 雖見不飽有武
百重にも来及かぬかもと思へかも君が使の見れど飽かずあらむ
ももへにも きしかぬかもと おもへかも きみがつかひの みれどあかずあらむ


五〇〇、碁檀越徃伊勢國時留妻作歌一首
神風之 伊勢乃濱荻 折伏 客宿也将為 荒濱邊尓
神風の伊勢の浜荻折り伏せて旅寝やすらむ荒き浜辺に
かむかぜの いせのはまをぎ をりふせて たびねやすらむ あらきはまへに


五〇一、柿本朝臣人麻呂歌三首
未通女等之 袖振山乃 水垣之 久時従 憶寸吾者
娘子らが袖布留山の瑞垣の久しき時ゆ思ひき我れは
をとめらが そでふるやまの みづかきの ひさしきときゆ おもひきわれは


五〇二、柿本朝臣人麻呂歌三首、
夏野去 小壮鹿之角乃 束間毛 妹之心乎 忘而念哉
夏野行く牡鹿の角の束の間も妹が心を忘れて思へや
なつのゆく をしかのつのの つかのまも いもがこころを わすれておもへや


五〇三、柿本朝臣人麻呂歌三首、
珠衣乃 狭藍左謂沈 家妹尓 物不語来而 思金津裳
玉衣のさゐさゐしづみ家の妹に物言はず来にて思ひかねつも
たまきぬの さゐさゐしづみ いへのいもに ものいはずきにて おもひかねつも


五〇四、柿本朝臣人麻呂妻歌一首
君家尓 吾住坂乃 家道乎毛 吾者不忘 命不死者
君が家に我が住坂の家道をも我れは忘れじ命死なずは
きみがいへに わがすみさかの いへぢをも われはわすれじ いのちしなずは


五〇五、安倍女郎歌二首
今更 何乎可将念 打靡 情者君尓 縁尓之物乎
今さらに何をか思はむうち靡き心は君に寄りにしものを
いまさらに なにをかおもはむ うちなびき こころはきみに よりにしものを


五〇六、安倍女郎歌二首、
吾背子波 物莫念 事之有者 火尓毛水尓母 吾莫七國
我が背子は物な思ひそ事しあらば火にも水にも我れなけなくに
わがせこは ものなおもひそ ことしあらば ひにもみづにも われなけなくに


五〇七、駿河F女歌一首
敷細乃 枕従久々流 涙二曽 浮宿乎思家類 戀乃繁尓
敷栲の枕ゆくくる涙にぞ浮寝をしける恋の繁きに
しきたへの まくらゆくくる なみたにぞ うきねをしける こひのしげきに


五〇八、三方沙弥歌一首
衣手乃 別今夜従 妹毛吾母 甚戀名 相因乎奈美
衣手の別かる今夜ゆ妹も我れもいたく恋ひむな逢ふよしをなみ
ころもでの わかるこよひゆ いももあれも いたくこひむな あふよしをなみ


五〇九、丹比真人笠麻呂下筑紫國時作歌一首[并短歌]
臣女乃 匣尓乗有 鏡成 見津乃濱邊尓 狭丹頬相 紐解不離 吾妹兒尓 戀乍居者 明晩乃 旦霧隠 鳴多頭乃 哭耳之所哭 吾戀流 干重乃一隔母 名草漏 情毛有哉跡 家當 吾立見者 青旗乃 葛木山尓 多奈引流 白雲隠 天佐我留 夷乃國邊尓 直向 淡路乎過 粟嶋乎 背尓見管 朝名寸二 水手之音喚 暮名寸二 梶之聲為乍 浪上乎 五十行左具久美 磐間乎 射徃廻 稲日都麻 浦箕乎過而 鳥自物 魚津左比去者 家乃嶋 荒礒之宇倍尓 打靡 四時二生有 莫告我 奈騰可聞妹尓 不告来二計謀
臣の女の 櫛笥に乗れる 鏡なす 御津の浜辺に さ丹つらふ 紐解き放けず 我妹子に 恋ひつつ居れば 明け暮れの 朝霧隠り 鳴く鶴の 音のみし泣かゆ 我が恋ふる 千重の一重も 慰もる 心もありやと 家のあたり 我が立ち見れば 青旗の 葛城山に たなびける 白雲隠る 天さがる 鄙の国辺に 直向ふ 淡路を過ぎ 粟島を そがひに見つつ 朝なぎに 水手の声呼び 夕なぎに 楫の音しつつ 波の上を い行きさぐくみ 岩の間を い行き廻り 稲日都麻 浦廻を過ぎて 鳥じもの なづさひ行けば 家の島 荒磯の上に うち靡き 繁に生ひたる なのりそが などかも妹に 告らず来にけむ
おみのめの くしげにのれる かがみなす みつのはまべに さにつらふ ひもときさけず わぎもこに こひつつをれば あけくれの あさぎりごもり なくたづの ねのみしなかゆ あがこふる ちへのひとへも なぐさもる こころもありやと いへのあたり わがたちみれば あをはたの かづらきやまに たなびける しらくもがくる あまさがる ひなのくにべに ただむかふ あはぢをすぎ あはしまを そがひにみつつ あさなぎに かこのこゑよび ゆふなぎに かぢのおとしつつ なみのうへを いゆきさぐくみ いはのまを いゆきもとほり いなびつま うらみをすぎて とりじもの なづさひゆけば いへのしま ありそのうへに うちなびき しじにおひたる なのりそが などかもいもに のらずきにけむ


五一〇、丹比真人笠麻呂下筑紫國時作歌一首[并短歌]、反歌
白細乃 袖解更而 還来武 月日乎數而 徃而来猿尾
白栲の袖解き交へて帰り来む月日を数みて行きて来ましを
しろたへの そでときかへて かへりこむ つきひをよみて ゆきてこましを


五一一、幸伊勢國時當麻麻呂大夫妻作歌一首
吾背子者 何處将行 己津物 隠之山乎 今日歟超良武
我が背子はいづく行くらむ沖つ藻の名張の山を今日か越ゆらむ
わがせこは いづくゆくらむ おきつもの なばりのやまを けふかこゆらむ


五一二、草嬢歌一首
秋田之 穂田乃苅婆加 香縁相者 彼所毛加人之 吾乎事将成
秋の田の穂田の刈りばかか寄りあはばそこもか人の我を言成さむ
あきのたの ほたのかりばか かよりあはば そこもかひとの わをことなさむ


五一三、志貴皇子御歌一首
大原之 此市柴乃 何時鹿跡 吾念妹尓 今夜相有香裳
大原のこのいち柴のいつしかと我が思ふ妹に今夜逢へるかも
おほはらの このいちしばの いつしかと あがおもふいもに こよひあへるかも


五一四、阿倍女郎歌一首
吾背子之 盖世流衣之 針目不落 入尓家良之 我情副
我が背子が着せる衣の針目おちず入りにけらしも我が心さへ
わがせこが けせるころもの はりめおちず いりにけらしも あがこころさへ


五一五、中臣朝臣東人贈阿倍女郎歌一首
獨宿而 絶西紐緒 忌見跡 世武為便不知 哭耳之曽泣
ひとり寝て絶えにし紐をゆゆしみと為むすべ知らに音のみしぞ泣く
ひとりねて たえにしひもを ゆゆしみと せむすべしらに ねのみしぞなく


五一六、阿倍女郎答歌一首
吾以在 三相二搓流 絲用而 附手益物 今曽悔寸
我が持てる三相に搓れる糸もちて付けてましもの今ぞ悔しき
わがもてる みつあひによれる いともちて つけてましもの いまぞくやしき


五一七、大納言兼大将軍大伴卿歌一首
神樹尓毛 手者觸云乎 打細丹 人妻跡云者 不觸物可聞
神木にも手は触るといふをうつたへに人妻といへば触れぬものかも
かむきにも てはふるといふを うつたへに ひとづまといへば ふれぬものかも


五一八、石川郎女歌一首 即佐保大伴大家也
春日野之 山邊道乎 与曽理無 通之君我 不所見許呂香聞
春日野の山辺の道をよそりなく通ひし君が見えぬころかも
かすがのの やまへのみちを よそりなく かよひしきみが みえぬころかも


五一九、大伴女郎歌一首 今城王之母也今城王後賜大原真人氏也
雨障 常為公者 久堅乃 昨夜雨尓 将懲鴨
雨障み常する君はひさかたの昨夜の夜の雨に懲りにけむかも
あまつつみ つねするきみは ひさかたの きぞのよのあめに こりにけむかも


五二〇、大伴女郎歌一首 今城王之母也今城王後賜大原真人氏也、後人追同歌一首
久堅乃 雨毛落粳 雨乍見 於君副而 此日令晩
ひさかたの雨も降らぬか雨障み君にたぐひてこの日暮らさむ
ひさかたの あめもふらぬか あまつつみ きみにたぐひて このひくらさむ


五二一、藤原宇合大夫遷任上京時常陸娘子贈歌一首
庭立 麻手苅干 布暴 東女乎 忘賜名
庭に立つ麻手刈り干し布曝す東女を忘れたまふな
にはにたつ あさでかりほし ぬのさらす あづまをみなを わすれたまふな


五二二、京職藤原大夫贈大伴郎女歌三首 卿諱曰麻呂也
D嬬等之 珠篋有 玉櫛乃 神家武毛 妹尓阿波受有者
娘子らが玉櫛笥なる玉櫛の神さびけむも妹に逢はずあれば
をとめらが たまくしげなる たまくしの かむさびけむも いもにあはずあれば


五二三、京職藤原大夫贈大伴郎女歌三首 卿諱曰麻呂也、
好渡 人者年母 有云乎 何時間曽毛 吾戀尓来
よく渡る人は年にもありといふをいつの間にぞも我が恋ひにける
よくわたる ひとはとしにも ありといふを いつのまにぞも あがこひにける


五二四、京職藤原大夫贈大伴郎女歌三首 卿諱曰麻呂也、
蒸被 奈胡也我下丹 雖臥 与妹不宿者 肌之寒霜
むし衾なごやが下に伏せれども妹とし寝ねば肌し寒しも
むしふすま なごやがしたに ふせれども いもとしねねば はだしさむしも


五二五、京職藤原大夫贈大伴郎女歌三首 卿諱曰麻呂也、大伴郎女和歌四首
狭穂河乃 小石踐渡 夜干玉之 黒馬之来夜者 年尓母有粳
佐保川の小石踏み渡りぬばたまの黒馬来る夜は年にもあらぬか
さほがはの こいしふみわたり ぬばたまの くろまくるよは としにもあらぬか


五二六、京職藤原大夫贈大伴郎女歌三首 卿諱曰麻呂也、大伴郎女和歌四首、
千鳥鳴 佐保乃河瀬之 小浪 止時毛無 吾戀者
千鳥鳴く佐保の川瀬のさざれ波やむ時もなし我が恋ふらくは
ちどりなく さほのかはせの さざれなみ やむときもなし あがこふらくは


五二七、京職藤原大夫贈大伴郎女歌三首 卿諱曰麻呂也、大伴郎女和歌四首、
将来云毛 不来時有乎 不来云乎 将来常者不待 不来云物乎
来むと言ふも来ぬ時あるを来じと言ふを来むとは待たじ来じと言ふものを
こむといふも こぬときあるを こじといふを こむとはまたじ こじといふものを


五二八、京職藤原大夫贈大伴郎女歌三首 卿諱曰麻呂也、大伴郎女和歌四首、
千鳥鳴 佐保乃河門乃 瀬乎廣弥 打橋渡須 奈我来跡念者
千鳥鳴く佐保の川門の瀬を広み打橋渡す汝が来と思へば
ちどりなく さほのかはとの せをひろみ うちはしわたす ながくとおもへば


五二九、又大伴坂上郎女歌一首
佐保河乃 涯之官能 少歴木莫苅焉 在乍毛 張之来者 立隠金
佐保川の岸のつかさの柴な刈りそねありつつも春し来たらば立ち隠るがね
さほがはの きしのつかさの しばなかりそね ありつつも はるしきたらば たちかくるがね


五三〇、天皇賜海上女王御歌一首 寧樂宮即位天皇也
赤駒之 越馬柵乃 緘結師 妹情者 疑毛奈思
赤駒の越ゆる馬柵の標結ひし妹が心は疑ひもなし
あかごまの こゆるうませの しめゆひし いもがこころは うたがひもなし


五三一、天皇賜海上女王御歌一首 寧樂宮即位天皇也、海上王奉和歌一首 
梓弓 爪引夜音之 遠音尓毛 君之御幸乎 聞之好毛
梓弓爪引く夜音の遠音にも君が御幸を聞かくしよしも
あづさゆみ つまびくよおとの とほとにも きみがみゆきを きかくしよしも


五三二、大伴宿奈麻呂宿祢歌二首 [佐保大納言卿之第三子也]
打日指 宮尓行兒乎 真悲見 留者苦 聴去者為便無
うちひさす宮に行く子をま悲しみ留むれば苦し遣ればすべなし
うちひさす みやにゆくこを まかなしみ とむればくるし やればすべなし


五三三、大伴宿奈麻呂宿祢歌二首 [佐保大納言卿之第三子也]、
難波方 塩干之名凝 飽左右二 人之見兒乎 吾四乏毛
難波潟潮干のなごり飽くまでに人の見る子を我れし羨しも
なにはがた しほひのなごり あくまでに ひとのみるこを われしともしも


五三四、安貴王歌一首 并短歌
遠嬬 此間不在者 玉桙之 道乎多遠見 思空 安莫國 嘆虚 不安物乎 水空徃 雲尓毛欲成 高飛 鳥尓毛欲成 明日去而 於妹言問 為吾 妹毛事無 為妹 吾毛事無久 今裳見如 副而毛欲得
遠妻の ここにしあらねば 玉桙の 道をた遠み 思ふそら 安けなくに 嘆くそら 苦しきものを み空行く 雲にもがも 高飛ぶ 鳥にもがも 明日行きて 妹に言どひ 我がために 妹も事なく 妹がため 我れも事なく 今も見るごと たぐひてもがも
とほづまの ここにしあらねば たまほこの みちをたどほみ おもふそら やすけなくに なげくそら くるしきものを みそらゆく くもにもがも たかとぶ とりにもがも あすゆきて いもにことどひ あがために いももことなく いもがため あれもことなく いまもみるごと たぐひてもがも


五三五、安貴王歌一首 并短歌、反歌
敷細乃 手枕不纒 間置而 年曽經来 不相念者
敷栲の手枕まかず間置きて年ぞ経にける逢はなく思へば
しきたへの たまくらまかず あひだおきて としぞへにける あはなくおもへば


五三六、門部王戀歌一首
飫宇能海之 塩干乃鹵之 片念尓 思哉将去 道之永手呼
意宇の海の潮干の潟の片思に思ひや行かむ道の長手を
おうのうみの しほひのかたの かたもひに おもひやゆかむ みちのながてを


五三七、高田女王贈今城王歌六首
事清 甚毛莫言 一日太尓 君伊之哭者 痛寸敢物
言清くいたもな言ひそ一日だに君いしなくはあへかたきかも
こときよく いともないひそ ひとひだに きみいしなくは あへかたきかも


五三八、高田女王贈今城王歌六首、
他辞乎 繁言痛 不相有寸 心在如 莫思吾背子
人言を繁み言痛み逢はずありき心あるごとな思ひ我が背子
ひとごとを しげみこちたみ あはずありき こころあるごと なおもひわがせこ


五三九、高田女王贈今城王歌六首、
吾背子師 遂常云者 人事者 繁有登毛 出而相麻志乎
我が背子し遂げむと言はば人言は繁くありとも出でて逢はましを
わがせこし とげむといはば ひとごとは しげくありとも いでてあはましを


五四〇、高田女王贈今城王歌六首、
吾背子尓 復者不相香常 思墓 今朝別之 為便無有都流
我が背子にまたは逢はじかと思へばか今朝の別れのすべなかりつる
わがせこに またはあはじか とおもへばか けさのわかれの すべなかりつる


五四一、高田女王贈今城王歌六首、
現世尓波 人事繁 来生尓毛 将相吾背子 今不有十方
この世には人言繁し来む世にも逢はむ我が背子今ならずとも
このよには ひとごとしげし こむよにも あはむわがせこ いまならずとも


五四二、高田女王贈今城王歌六首、
常不止 通之君我 使不来 今者不相跡 絶多比奴良思
常やまず通ひし君が使ひ来ず今は逢はじとたゆたひぬらし
つねやまず かよひしきみが つかひこず いまはあはじと たゆたひぬらし


五四三、神龜元年甲子冬十月幸紀伊國之時為贈従駕人所誂娘子作歌一首 并短歌 笠朝臣金村
天皇之 行幸乃随意 物部乃 八十伴雄与 出去之 愛夫者 天翔哉 軽路従 玉田次 畝火乎見管 麻裳吉 木道尓入立 真土山 越良武公者 黄葉乃 散飛見乍 親 吾者不念 草枕 客乎便宜常 思乍 公将有跡 安蘇々二破 且者雖知 之加須我仁 黙然得不在者 吾背子之 徃乃萬々 将追跡者 千遍雖念 手弱女 吾身之有者 道守之 将問答乎 言将遣 為便乎不知跡 立而爪衝
大君の 行幸のまにま もののふの 八十伴の男と 出で行きし 愛し夫は 天飛ぶや 軽の路より 玉たすき 畝傍を見つつ あさもよし 紀路に入り立ち 真土山 越ゆらむ君は 黄葉の 散り飛ぶ見つつ にきびにし 我れは思はず 草枕 旅をよろしと 思ひつつ 君はあらむと あそそには かつは知れども しかすがに 黙もえあらねば 我が背子が 行きのまにまに 追はむとは 千たび思へど 手弱女の 我が身にしあれば 道守の 問はむ答へを 言ひやらむ すべを知らにと 立ちてつまづく
おほきみの みゆきのまにま もののふの やそとものをと いでゆきし うるはしづまは あまとぶや かるのみちより たまたすき うねびをみつつ あさもよし きぢにいりたち まつちやま こゆらむきみは もみちばの ちりとぶみつつ にきびにし われはおもはず くさまくら たびをよろしと おもひつつ きみはあらむと あそそには かつはしれども しかすがに もだもえあらねば わがせこが ゆきのまにまに おはむとは ちたびおもへど たわやめの わがみにしあれば みちもりの とはむこたへを いひやらむ すべをしらにと たちてつまづく


五四四、神龜元年甲子冬十月幸紀伊國之時為贈従駕人所誂娘子作歌一首 并短歌 笠朝臣金村、反歌
後居而 戀乍不有者 木國乃 妹背乃山尓 有益物乎
後れ居て恋ひつつあらずは紀の国の妹背の山にあらましものを
おくれゐて こひつつあらずは きのくにの いもせのやまに あらましものを


五四五、神龜元年甲子冬十月幸紀伊國之時為贈従駕人所誂娘子作歌一首 并短歌 笠朝臣金村、反歌、
吾背子之 跡履求 追去者 木乃關守伊 将留鴨
我が背子が跡踏み求め追ひ行かば紀の関守い留めてむかも
わがせこが あとふみもとめ おひゆかば きのせきもりい とどめてむかも


五四六、二年乙丑春三月幸三香原離宮之時得娘子作歌一首 并短歌 笠朝臣金村
三香乃原 客之屋取尓 珠桙乃 道能去相尓 天雲之 外耳見管 言将問 縁乃無者 情耳 咽乍有尓 天地 神祇辞因而 敷細乃 衣手易而 自妻跡 憑有今夜 秋夜之 百夜乃長 有与宿鴨
三香の原 旅の宿りに 玉桙の 道の行き逢ひに 天雲の 外のみ見つつ 言問はむ よしのなければ 心のみ 咽せつつあるに 天地の 神言寄せて 敷栲の 衣手交へて 己妻と 頼める今夜 秋の夜の 百夜の長さ ありこせぬかも
みかのはら たびのやどりに たまほこの みちのゆきあひに あまくもの よそのみみつつ こととはむ よしのなければ こころのみ むせつつあるに あめつちの かみことよせて しきたへの ころもでかへて おのづまと たのめるこよひ あきのよの ももよのながさ ありこせぬかも


五四七、二年乙丑春三月幸三香原離宮之時得娘子作歌一首 并短歌 笠朝臣金村、反歌
天雲之 外従見 吾妹兒尓 心毛身副 縁西鬼尾
天雲の外に見しより我妹子に心も身さへ寄りにしものを
あまくもの よそにみしより わぎもこに こころもみさへ よりにしものを

五四八、二年乙丑春三月幸三香原離宮之時得娘子作歌一首 并短歌 笠朝臣金村、反歌、
今夜之 早開者 為便乎無三 秋百夜乎 願鶴鴨
今夜の早く明けなばすべをなみ秋の百夜を願ひつるかも
こよひの はやくあけなば すべをなみ あきのももよを ねがひつるかも

五四九、五年戊辰大宰少貳石川足人朝臣遷任餞于筑前國蘆城驛家歌三首
天地之 神毛助与 草枕 羈行君之 至家左右
天地の神も助けよ草枕旅行く君が家にいたるまで
あめつちの かみもたすけよ くさまくら たびゆくきみが いへにいたるまで


五五〇、五年戊辰大宰少貳石川足人朝臣遷任餞于筑前國蘆城驛家歌三首、
大船之 念憑師 君之去者 吾者将戀名 直相左右二
大船の思ひ頼みし君が去なば我れは恋ひむな直に逢ふまでに
おほぶねの おもひたのみし きみがいなば あれはこひむな ただにあふまでに


五五一、五年戊辰大宰少貳石川足人朝臣遷任餞于筑前國蘆城驛家歌三首、
山跡道之 嶋乃浦廻尓 縁浪 間無牟 吾戀巻者
大和道の島の浦廻に寄する波間もなけむ我が恋ひまくは
やまとぢの しまのうらみに よするなみ あひだもなけむ あがこひまくは


五五二、大伴宿祢三依歌一首
吾君者 和氣乎波死常 念可毛 相夜不相夜 二走良武
我が君はわけをば死ねと思へかも逢ふ夜逢はぬ夜二走るらむ
あがきみは わけをばしねと おもへかも あふよあはぬよ ふたはしるらむ


五五三、丹生女王贈大宰帥大伴卿歌二首
天雲乃 遠隔乃極 遠鷄跡裳 情志行者 戀流物可聞
天雲のそくへの極み遠けども心し行けば恋ふるものかも
あまくもの そくへのきはみ とほけども こころしゆけば こふるものかも


五五四、丹生女王贈大宰帥大伴卿歌二首、
古人乃 令食有 吉備能酒 病者為便無 貫簀賜牟
古人のたまへしめたる吉備の酒病めばすべなし貫簀賜らむ
ふるひとの たまへしめたる きびのさけ やめばすべなし ぬきすたばらむ


五五五、大宰帥大伴卿贈大貳丹比縣守卿遷任民部卿歌一首
為君 醸之待酒 安野尓 獨哉将飲 友無二思手
君がため醸みし待酒安の野にひとりや飲まむ友なしにして
きみがため かみしまちざけ やすののに ひとりやのまむ ともなしにして


五五六、賀茂女王贈大伴宿祢三依歌一首 
筑紫船 未毛不来者 豫 荒振公乎 見之悲左
筑紫船いまだも来ねばあらかじめ荒ぶる君を見るが悲しさ
つくしふね いまだもこねば あらかじめ あらぶるきみを みるがかなしさ


五五七、土師宿祢水道従筑紫上京海路作歌二首
大船乎 榜乃進尓 磐尓觸 覆者覆 妹尓因而者
大船を漕ぎの進みに岩に触れ覆らば覆れ妹によりては
おほぶねを こぎのすすみに いはにふれ かへらばかへれ いもによりては


五五八、土師宿祢水道従筑紫上京海路作歌二首、
千磐破 神之社尓 我挂師 幣者将賜 妹尓不相國
ちはやぶる神の社に我が懸けし幣は賜らむ妹に逢はなくに
ちはやぶる かみのやしろに わがかけし ぬさはたばらむ いもにあはなくに


五五九、大宰大監大伴宿祢百代戀歌四首
事毛無 生来之物乎 老奈美尓 如是戀乎毛 吾者遇流香聞
事もなく生き来しものを老いなみにかかる恋にも我れは逢へるかも
こともなく いきこしものを おいなみに かかるこひにも われはあへるかも


五六〇、大宰大監大伴宿祢百代戀歌四首、
孤悲死牟 後者何為牟 生日之 為社妹乎 欲見為礼
恋ひ死なむ後は何せむ生ける日のためこそ妹を見まく欲りすれ
こひしなむ のちはなにせむ いけるひの ためこそいもを みまくほりすれ


五六一、大宰大監大伴宿祢百代戀歌四首、
不念乎 思常云者 大野有 三笠社之 神思知三
思はぬを思ふと言はば大野なる御笠の杜の神し知らさむ
おもはぬを おもふといはば おほのなる みかさのもりの かみししらさむ


五六二、大宰大監大伴宿祢百代戀歌四首、
無暇 人之眉根乎 徒 令掻乍 不相妹可聞
暇なく人の眉根をいたづらに掻かしめつつも逢はぬ妹かも
いとまなく ひとのまよねを いたづらに かかしめつつも あはぬいもかも


五六三、大伴坂上郎女歌二首
黒髪二 白髪交 至耆 如是有戀庭 未相尓
黒髪に白髪交り老ゆるまでかかる恋にはいまだ逢はなくに
くろかみに しろかみまじり おゆるまで かかるこひには いまだあはなくに


五六四、大伴坂上郎女歌二首、
山菅之 實不成事乎 吾尓所依 言礼師君者 与孰可宿良牟
山菅の実ならぬことを我れに寄せ言はれし君は誰れとか寝らむ
やますげの みならぬことを われによせ いはれしきみは たれとかぬらむ


五六五、賀茂女王歌一首
大伴乃 見津跡者不云 赤根指 照有月夜尓 直相在登聞
大伴の見つとは言はじあかねさし照れる月夜に直に逢へりとも
おほともの みつとはいはじ あかねさし てれるつくよに ただにあへりとも


五六六、大宰大監大伴宿祢百代等贈驛使歌二首
草枕 羈行君乎 愛見 副而曽来四 鹿乃濱邊乎
草枕旅行く君を愛しみたぐひてぞ来し志賀の浜辺を
くさまくら たびゆくきみを うるはしみ たぐひてぞこし しかのはまべを


五六七、大宰大監大伴宿祢百代等贈驛使歌二首、
周防在 磐國山乎 将超日者 手向好為与 荒其道
周防なる磐国山を越えむ日は手向けよくせよ荒しその道
すはなる いはくにやまを こえむひは たむけよくせよ あらしそのみち


五六八、大宰帥大伴卿被任大納言臨入京之時府官人等餞卿筑前國蘆城驛家歌四首
三埼廻之 荒礒尓縁 五百重浪 立毛居毛 我念流吉美
み崎廻の荒磯に寄する五百重波立ちても居ても我が思へる君
みさきみの ありそによする いほへなみ たちてもゐても あがもへるきみ


五六九、大宰帥大伴卿被任大納言臨入京之時府官人等餞卿筑前國蘆城驛家歌四首、
辛人之 衣染云 紫之 情尓染而 所念鴨
韓人の衣染むといふ紫の心に染みて思ほゆるかも
からひとの ころもそむといふ むらさきの こころにしみて おもほゆるかも


五七〇、大宰帥大伴卿被任大納言臨入京之時府官人等餞卿筑前國蘆城驛家歌四首、
山跡邊 君之立日乃 近付者 野立鹿毛 動而曽鳴
大和へに君が発つ日の近づけば野に立つ鹿も響めてぞ鳴く
やまとへに きみがたつひの ちかづけば のにたつしかも とよめてぞなく


五七一、大宰帥大伴卿被任大納言臨入京之時府官人等餞卿筑前國蘆城驛家歌四首、
月夜吉 河音清之 率此間 行毛不去毛 遊而将歸
月夜よし川の音清しいざここに行くも行かぬも遊びて行かむ
つくよよし かはのおときよし いざここに ゆくもゆかぬも あそびてゆかむ


五七二、大宰帥大伴卿上京之後沙弥満誓贈卿歌二首
真十鏡 見不飽君尓 所贈哉 旦夕尓 左備乍将居
まそ鏡見飽かぬ君に後れてや朝夕にさびつつ居らむ
まそかがみ みあかぬきみに おくれてや あしたゆふへに さびつつをらむ


五七三、大宰帥大伴卿上京之後沙弥満誓贈卿歌二首、
野干玉之 黒髪變 白髪手裳 痛戀庭 相時有来
ぬばたまの黒髪変り白けても痛き恋には逢ふ時ありけり
ぬばたまの くろかみかはり しらけても いたきこひには あふときありけり


五七四、大納言大伴卿和歌二首
此間在而 筑紫也何處 白雲乃 棚引山之 方西有良思
ここにありて筑紫やいづち白雲のたなびく山の方にしあるらし
ここにありて つくしやいづち しらくもの たなびくやまの かたにしあるらし


五七五、大納言大伴卿和歌二首、
草香江之 入江二求食 蘆鶴乃 痛多豆多頭思 友無二指天
草香江の入江にあさる葦鶴のあなたづたづし友なしにして
くさかえの いりえにあさる あしたづの あなたづたづし ともなしにして


五七六、大宰帥大伴卿上京之後筑後守葛井連大成悲嘆作歌一首
従今者 城山道者 不樂牟 吾将通常 念之物乎
今よりは城の山道は寂しけむ我が通はむと思ひしものを
いまよりは きのやまみちは さぶしけむ わがかよはむと おもひしものを


五七七、大納言大伴卿新袍贈攝津大夫高安王歌一首
吾衣 人莫著曽 網引為 難波壮士乃 手尓者雖觸
我が衣人にな着せそ網引する難波壮士の手には触るとも
あがころも ひとになきせそ あびきする なにはをとこの てにはふるとも


五七八、大伴宿祢三依悲別歌一首
天地与 共久 住波牟等 念而有師 家之庭羽裳
天地とともに久しく住まはむと思ひてありし家の庭はも
あめつちと ともにひさしく すまはむと おもひてありし いへのにははも


五七九、余明軍與大伴宿祢家持歌二首
奉見而 未時太尓 不更者 如年月 所念君
見まつりていまだ時だに変らねば年月のごと思ほゆる君
みまつりて いまだときだに かはらねば としつきのごと おもほゆるきみ


五八〇、余明軍與大伴宿祢家持歌二首
足引乃 山尓生有 菅根乃 懃見巻 欲君可聞
あしひきの山に生ひたる菅の根のねもころ見まく欲しき君かも
あしひきの やまにおひたる すがのねの ねもころみまく ほしききみかも


五八一、大伴坂上家之大娘報贈大伴宿祢家持歌四首
生而有者 見巻毛不知 何如毛 将死与妹常 夢所見鶴
生きてあらば見まくも知らず何しかも死なむよ妹と夢に見えつる
いきてあらば みまくもしらず なにしかも しなむよいもと いめにみえつる


五八二、大伴坂上家之大娘報贈大伴宿祢家持歌四首、
大夫毛 如此戀家流乎 幼婦之 戀情尓 比有目八方
ますらをもかく恋ひけるをたわやめの恋ふる心にたぐひあらめやも
ますらをも かくこひけるを たわやめの こふるこころに たぐひあらめやも


五八三、大伴坂上家之大娘報贈大伴宿祢家持歌四首、
月草之 徙安久 念可母 我念人之 事毛告不来
月草のうつろひやすく思へかも我が思ふ人の言も告げ来ぬ
つきくさの うつろひやすく おもへかも わがおもふひとの こともつげこぬ


五八四、大伴坂上家之大娘報贈大伴宿祢家持歌四首、
春日山 朝立雲之 不居日無 見巻之欲寸 君毛有鴨
春日山朝立つ雲の居ぬ日なく見まくの欲しき君にもあるかも
かすがやま あさたつくもの ゐぬひなく みまくのほしき きみにもあるかも


五八五、大伴坂上郎女歌一首
出而将去 時之波将有乎 故 妻戀為乍 立而可去哉
出でていなむ時しはあらむをことさらに妻恋しつつ立ちていぬべしや
いでていなむ ときしはあらむを ことさらに つまごひしつつ たちていぬべしや


五八六、大伴宿祢稲公贈田村大嬢歌一首 
不相見者 不戀有益乎 妹乎見而 本名如此耳 戀者奈何将為
相見ずは恋ひずあらましを妹を見てもとなかくのみ恋ひばいかにせむ
あひみずは こひずあらましを いもをみて もとなかくのみ こひばいかにせむ


五八七、笠女郎贈大伴宿祢家持歌廿四首
吾形見 々管之努波世 荒珠 年之緒長 吾毛将思
我が形見見つつ偲はせあらたまの年の緒長く我れも偲はむ
わがかたみ みつつしのはせ あらたまの としのをながく われもし
のはむ


五八八、笠女郎贈大伴宿祢家持歌廿四首、
白鳥能 飛羽山松之 待乍曽 吾戀度 此月比乎
白鳥の飛羽山松の待ちつつぞ我が恋ひわたるこの月ごろを
しらとりの とばやままつの まちつつぞ あがこひわたる このつきごろを


五八九、笠女郎贈大伴宿祢家持歌廿四首、
衣手乎 打廻乃里尓 有吾乎 不知曽人者 待跡不来家留
衣手を打廻の里にある我れを知らにぞ人は待てど来ずける
ころもでを うちみのさとに あるわれを しらにぞひとは まてどこずける


五九〇、笠女郎贈大伴宿祢家持歌廿四首、
荒玉 年之經去者 今師波登 勤与吾背子 吾名告為莫
あらたまの年の経ぬれば今しはとゆめよ我が背子我が名告らすな
あらたまの としのへぬれば いましはと ゆめよわがせこ わがなのらすな


五九一、笠女郎贈大伴宿祢家持歌廿四首、
吾念乎 人尓令知哉 玉匣 開阿氣津跡 夢西所見
我が思ひを人に知るれか玉櫛笥開きあけつと夢にし見ゆる
わがおもひを ひとにしるれか たまくしげ ひらきあけつと いめにしみゆる


五九二、笠女郎贈大伴宿祢家持歌廿四首、
闇夜尓 鳴奈流鶴之 外耳 聞乍可将有 相跡羽奈之尓
闇の夜に鳴くなる鶴の外のみに聞きつつかあらむ逢ふとはなしに
やみのよに なくなるたづの よそのみに ききつつかあらむ あふとはなしに


五九三、笠女郎贈大伴宿祢家持歌廿四首、
君尓戀 痛毛為便無見 楢山之 小松之下尓 立嘆鴨
君に恋ひいたもすべなみ奈良山の小松が下に立ち嘆くかも
きみにこひ いたもすべなみ ならやまの こまつがしたに たちなげくかも


五九四、笠女郎贈大伴宿祢家持歌廿四首、
吾屋戸之 暮陰草乃 白露之 消蟹本名 所念鴨
我がやどの夕蔭草の白露の消ぬがにもとな思ほゆるかも
わがやどの ゆふかげくさの しらつゆの けぬがにもとな おもほゆるかも


五九五、笠女郎贈大伴宿祢家持歌廿四首、
吾命之 将全牟限 忘目八 弥日異者 念益十方
我が命の全けむ限り忘れめやいや日に異には思ひ増すとも
わがいのちの またけむかぎり わすれめや いやひにけには おもひますとも


五九六、笠女郎贈大伴宿祢家持歌廿四首、
八百日徃 濱之沙毛 吾戀二 豈不益歟 奥嶋守
八百日行く浜の真砂も我が恋にあにまさらじか沖つ島守
やほかゆく はまのまなごも あがこひに あにまさらじか おきつしまもり


五九七、笠女郎贈大伴宿祢家持歌廿四首、
宇都蝉之 人目乎繁見 石走 間近君尓 戀度可聞
うつせみの人目を繁み石橋の間近き君に恋ひわたるかも
うつせみの ひとめをしげみ いしはしの まちかききみに こひわたるかも


五九八、笠女郎贈大伴宿祢家持歌廿四首、
戀尓毛曽 人者死為 水無瀬河 下従吾痩 月日異
恋にもぞ人は死にする水無瀬川下ゆ我れ痩す月に日に異に
こひにもぞ ひとはしにする みなせがは したゆわれやす つきにひにけに


五九九、笠女郎贈大伴宿祢家持歌廿四首、
朝霧之 欝相見之 人故尓 命可死 戀渡鴨
朝霧のおほに相見し人故に命死ぬべく恋ひわたるかも
あさぎりの おほにあひみし ひとゆゑに いのちしぬべく こひわたるかも


六〇〇、笠女郎贈大伴宿祢家持歌廿四首、
伊勢海之 礒毛動尓 因流波 恐人尓 戀渡鴨
伊勢の海の礒もとどろに寄する波畏き人に恋ひわたるかも
いせのうみの いそもとどろに よするなみ かしこきひとに こひわたるかも


六〇一、笠女郎贈大伴宿祢家持歌廿四首、
従情毛 吾者不念寸 山河毛 隔莫國 如是戀常羽
心ゆも我は思はずき山川も隔たらなくにかく恋ひむとは
こころゆも わはおもはずき やまかはも へだたらなくに かくこひむとは


六〇二、笠女郎贈大伴宿祢家持歌廿四首、
暮去者 物念益 見之人乃 言問為形 面景尓而
夕されば物思ひまさる見し人の言とふ姿面影にして
ゆふされば ものもひまさる みしひとの こととふすがた おもかげにして


六〇三、笠女郎贈大伴宿祢家持歌廿四首、
念西 死為物尓 有麻世波 千遍曽吾者 死變益
思ふにし死にするものにあらませば千たびぞ我れは死にかへらまし
おもひにし しにするものに あらませば ちたびぞわれは しにかへらまし


六〇四、笠女郎贈大伴宿祢家持歌廿四首、
劔大刀 身尓取副常 夢見津 何如之恠曽毛 君尓相為
剣大刀身に取り添ふと夢に見つ何のさがぞも君に逢はむため
つるぎたち みにとりそふと いめにみつ なにのさがぞも きみにあはむため


六〇五、笠女郎贈大伴宿祢家持歌廿四首、
天地之 神理 無者社 吾念君尓 不相死為目
天地の神の理なくはこそ我が思ふ君に逢はず死にせめ
あめつちの かみのことわり なくはこそ あがおもふきみに あはずしにせめ


六〇六、笠女郎贈大伴宿祢家持歌廿四首、
吾毛念 人毛莫忘 多奈和丹 浦吹風之 止時無有
我れも思ふ人もな忘れおほなわに浦吹く風のやむ時もなし
われもおもふ ひともなわすれ おほなわに うらふくかぜの やむときもなし


六〇七、笠女郎贈大伴宿祢家持歌廿四首、
皆人乎 宿与殿金者 打礼杼 君乎之念者 寐不勝鴨
皆人を寝よとの鐘は打つなれど君をし思へば寐ねかてぬかも
みなひとを ねよとのかねは うつなれど きみをしおもへば いねかてぬかも


六〇八、笠女郎贈大伴宿祢家持歌廿四首、
不相念 人乎思者 大寺之 餓鬼之後尓 額衝如
相思はぬ人を思ふは大寺の餓鬼の後方に額つくごとし
あひおもはぬ ひとをおもふは おほてらの がきのしりへに ぬかつくごとし


六〇九、笠女郎贈大伴宿祢家持歌廿四首、
従情毛 我者不念寸 又更 吾故郷尓 将還来者
心ゆも我は思はずきまたさらに我が故郷に帰り来むとは
こころゆも わはおもはずき またさらに わがふるさとに かへりこむとは


六一〇、笠女郎贈大伴宿祢家持歌廿四首、
近有者 雖不見在乎 弥遠 君之伊座者 有不勝自
近くあれば見ねどもあるをいや遠く君がいまさば有りかつましじ
ちかくあれば みねどもあるを いやとほく きみがいまさば ありかつましじ


六一一、笠女郎贈大伴宿祢家持歌廿四首、大伴宿祢家持和歌二首
今更 妹尓将相八跡 念可聞 幾許吾胸 欝悒将有
今さらに妹に逢はめやと思へかもここだ我が胸いぶせくあるらむ
いまさらに いもにあはめやと おもへかも ここだあがむね いぶせくあるらむ


六一二、笠女郎贈大伴宿祢家持歌廿四首、大伴宿祢家持和歌二首、
中々者 黙毛有益乎 何為跡香 相見始兼 不遂尓
なかなかに黙もあらましを何すとか相見そめけむ遂げざらまくに
なかなかに もだもあらましを なにすとか あひみそめけむ とげざらまくに


六一三、山口女王贈大伴宿祢家持歌五首
物念跡 人尓不所見常 奈麻強尓 常念弊利 在曽金津流
もの思ふと人に見えじとなまじひに常に思へりありぞかねつる
ものもふと ひとにみえじと なまじひに つねにおもへり ありぞかねつる


六一四、山口女王贈大伴宿祢家持歌五首、
不相念 人乎也本名 白細之 袖漬左右二 哭耳四泣裳
相思はぬ人をやもとな白栲の袖漬つまでに音のみし泣くも
あひおもはぬ ひとをやもとな しろたへの そでひつまでに ねのみしなくも


六一五、山口女王贈大伴宿祢家持歌五首、
吾背子者 不相念跡裳 敷細乃 君之枕者 夢所見乞
我が背子は相思はずとも敷栲の君が枕は夢に見えこそ
わがせこは あひおもはずとも しきたへの きみがまくらは いめに
みえこそ


六一六、山口女王贈大伴宿祢家持歌五首、
劔大刀 名惜雲 吾者無 君尓不相而 年之經去礼者
剣太刀名の惜しけくも我れはなし君に逢はずて年の経ぬれば
つるぎたち なのをしけくも われはなし きみにあはずて としのへぬれば


六一七、山口女王贈大伴宿祢家持歌五首、
従蘆邊 満来塩乃 弥益荷 念歟君之 忘金鶴
葦辺より満ち来る潮のいや増しに思へか君が忘れかねつる
あしへより みちくるしほの いやましに おもへかきみが わすれかねつる


六一八、大神女郎贈大伴宿祢家持歌一首
狭夜中尓 友喚千鳥 物念跡 和備居時二 鳴乍本名
さ夜中に友呼ぶ千鳥物思ふとわびをる時に鳴きつつもとな
さよなかに ともよぶちとり ものもふと わびをるときに なきつつもとな


六一九、大伴坂上郎女怨恨歌一首 并短歌
押照 難波乃菅之 根毛許呂尓 君之聞四手 年深 長四云者 真十鏡 磨師情乎 縦手師 其日之極 浪之共 靡珠藻乃 云々 意者不持 大船乃 憑有時丹 千磐破 神哉将離 空蝉乃 人歟禁良武 通為 君毛不来座 玉梓之 使母不所見 成奴礼婆 痛毛為便無三 夜干玉乃 夜者須我良尓 赤羅引 日母至闇 雖嘆 知師乎無三 雖念 田付乎白二 幼婦常 言雲知久 手小童之 哭耳泣管 俳徊 君之使乎 待八兼手六
おしてる 難波の菅の ねもころに 君が聞こして 年深く 長くし言へば まそ鏡 磨ぎし心を ゆるしてし その日の極み 波の共 靡く玉藻の かにかくに 心は持たず 大船の 頼める時に ちはやぶる 神か離くらむ うつせみの 人か障ふらむ 通はしし 君も来まさず 玉梓の 使も見えず なりぬれば いたもすべなみ ぬばたまの 夜はすがらに 赤らひく 日も暮るるまで 嘆けども 験をなみ 思へども たづきを知らに たわや女と 言はくもしるく たわらはの 音のみ泣きつつ た廻り 君が使を 待ちやかねてむ
おしてる なにはのすげの ねもころに きみがきこして としふかく ながくしいへば まそかがみ とぎしこころを ゆるしてし そのひのきはみ なみのむた なびくたまもの かにかくに こころはもたず おほぶねの たのめるときに ちはやぶる かみかさくらむ うつせみの ひとかさふらむ かよはしし きみもきまさず たまづさの つかひもみえず なりぬれば いたもすべなみ ぬばたまの よるはすがらに あからひく ひもくるるまで なげけども しるしをなみ おもへども たづきをしらに たわやめと いはくもしるく たわらはの ねのみなきつつ たもとほり きみがつかひを まちやかねてむ


六二〇、大伴坂上郎女怨恨歌一首 并短歌、反歌
従元 長謂管 不令恃者 如是念二 相益物歟
初めより長く言ひつつ頼めずはかかる思ひに逢はましものか
はじめより ながくいひつつ たのめずは かかるおもひに あはましものか


六二一、西海道節度使判官佐伯宿祢東人妻贈夫君歌一首
無間 戀尓可有牟 草枕 客有公之 夢尓之所見
間なく恋ふれにかあらむ草枕旅なる君が夢にし見ゆる
あひだなく こふれにかあらむ くさまくら たびなるきみが いめにしみゆる


六二二、西海道節度使判官佐伯宿祢東人妻贈夫君歌一首、佐伯宿祢東人和歌一首
草枕 客尓久 成宿者 汝乎社念 莫戀吾妹
草枕旅に久しくなりぬれば汝をこそ思へな恋ひそ我妹
くさまくら たびにひさしく なりぬれば なをこそおもへ なこひそわぎも


六二三、池邊王宴誦歌一首
松之葉尓 月者由移去 黄葉乃 過哉君之 不相夜多焉
松の葉に月はゆつりぬ黄葉の過ぐれや君が逢はぬ夜ぞ多き
まつのはに つきはゆつりぬ もみちばの すぐれやきみが あはぬよぞおほき


六二四、天皇思酒人女王御製歌一首 女王者穂積皇子之孫女也
道相而 咲之柄尓 零雪乃 消者消香二 戀云君妹
道に逢ひて笑まししからに降る雪の消なば消ぬがに恋ふといふ我妹
みちにあひて ゑまししからに ふるゆきの けなばけぬがに こふといふわぎも


六二五、高安王L鮒贈娘子歌一首 高安王者後賜姓大原真人氏
奥弊徃 邊去伊麻夜 為妹 吾漁有 藻臥束鮒
沖辺行き辺を行き今や妹がため我が漁れる藻臥束鮒
おきへゆき へをゆきいまや いもがため わがすなどれる もふしつかふな


六二六、八代女王獻天皇歌一首
君尓因 言之繁乎 古郷之 明日香乃河尓 潔身為尓去 
君により言の繁きを故郷の明日香の川にみそぎしに行く 
きみにより ことのしげきを ふるさとの あすかのかはに みそぎしにゆく 


六二七、娘子報贈佐伯宿祢赤麻呂歌一首
吾手本 将巻跡念牟 大夫者 變水f 白髪生二有
我がたもとまかむと思はむ大夫は変若水求め白髪生ひにけり
わがたもと まかむとおもはむ ますらをは をちみづもとめ しらかおひにけり


六二八、娘子報贈佐伯宿祢赤麻呂歌一首、佐伯宿祢赤麻呂和歌一首
白髪生流 事者不念 變水者 鹿煮藻闕二毛 求而将行
白髪生ふることは思はず変若水はかにもかくにも求めて行かむ
しらかおふる ことはおもはず をちみづは かにもかくにも もとめてゆかむ


六二九、大伴四綱宴席歌一首
奈何鹿 使之来流 君乎社 左右裳 待難為礼
何すとか使の来つる君をこそかにもかくにも待ちかてにすれ
なにすとか つかひのきつる きみをこそ かにもかくにも まちかてにすれ


六三〇、佐伯宿祢赤麻呂歌一首
初花之 可散物乎 人事乃 繁尓因而 止息比者鴨
初花の散るべきものを人言の繁きによりてよどむころかも
はつはなの ちるべきものを ひとごとの しげきによりて よどむころかも


六三一、湯原王贈娘子歌二首 志貴皇子之子也
宇波弊無 物可聞人者 然許 遠家路乎 令還念者
うはへなきものかも人はしかばかり遠き家路を帰さく思へば
うはへなき ものかもひとは しかばかり とほきいへぢを かへさくおもへば


六三二、湯原王贈娘子歌二首 志貴皇子之子也、
目二破見而 手二破不所取 月内之 楓如 妹乎奈何責
目には見て手には取らえぬ月の内の楓のごとき妹をいかにせむ
めにはみて てにはとらえぬ つきのうちの かつらのごとき いもをいかにせむ


六三三、湯原王贈娘子歌二首 志貴皇子之子也、娘子報贈歌二首
幾許 思異目鴨 敷細之 枕片去 夢所見来之
ここだくも思ひけめかも敷栲の枕片さる夢に見え来し
ここだくも おもひけめかも しきたへの まくらかたさる いめにみえこし


六三四、湯原王贈娘子歌二首 [志貴皇子之子也]、娘子報贈歌二首、
家二四手 雖見不飽乎 草枕 客毛妻与 有之乏左
家にして見れど飽かぬを草枕旅にも妻とあるが羨しさ
いへにして みれどあかぬを くさまくら たびにもつまと あるがともしさ


六三五、湯原王亦贈歌二首
草枕 客者嬬者 雖率有 匣内之 珠社所念
草枕旅には妻は率たれども櫛笥のうちの玉をこそ思へ
くさまくら たびにはつまは ゐたれども くしげのうちの たまをこそおもへ


六三六、湯原王亦贈歌二首、
余衣 形見尓奉 布細之 枕不離 巻而左宿座
我が衣形見に奉る敷栲の枕を放けずまきてさ寝ませ
あがころも かたみにまつる しきたへの まくらをさけず まきてさねませ


六三七、娘子復報贈歌一首
吾背子之 形見之衣 嬬問尓 余身者不離 事不問友
我が背子が形見の衣妻どひに我が身は離けじ言とはずとも
わがせこが かたみのころも つまどひに あがみはさけじ こととはずとも


六三八、湯原王亦贈歌一首
直一夜 隔之可良尓 荒玉乃 月歟經去跡 心遮
ただ一夜隔てしからにあらたまの月か経ぬると心惑ひぬ
ただひとよ へだてしからに あらたまの つきかへぬると こころまどひぬ


六三九、娘子復報贈歌一首
吾背子我 如是戀礼許曽 夜干玉能 夢所見管 寐不所宿家礼
我が背子がかく恋ふれこそぬばたまの夢に見えつつ寐ねらえずけれ
わがせこが かくこふれこそ ぬばたまの いめにみえつつ いねらえずけれ


六四〇、湯原王亦贈歌一首
波之家也思 不遠里乎 雲居尓也 戀管将居 月毛不經國
はしけやし間近き里を雲居にや恋ひつつ居らむ月も経なくに
はしけやし まちかきさとを くもゐにや こひつつをらむ つきもへなくに


六四一、娘子復報贈歌一首
絶常云者 和備染責跡 焼大刀乃 隔付經事者 幸也吾君
絶ゆと言はばわびしみせむと焼大刀のへつかふことは幸くや我が君
たゆといはば わびしみせむと やきたちの へつかふことは さきくやあがきみ


六四二、湯原王歌一首
吾妹兒尓 戀而乱者 久流部寸二 懸而縁与 余戀始
我妹子に恋ひて乱ればくるべきに懸けて寄せむと我が恋ひそめし
わぎもこに こひてみだれば くるべきに かけてよせむと あがこひそめし

六四三、紀郎女怨恨歌三首 鹿人大夫之女名曰小鹿也安貴王之妻也
世間之 女尓思有者 吾渡 痛背乃河乎 渡金目八
世の中の女にしあらば我が渡る痛背の川を渡りかねめや
よのなかの をみなにしあらば わがわたる あなせのかはを わたりかねめや


六四四、紀郎女怨恨歌三首 鹿人大夫之女名曰小鹿也安貴王之妻也、
今者吾羽 和備曽四二結類 氣乃緒尓 念師君乎 縦左久思者
今は我はわびぞしにける息の緒に思ひし君をゆるさく思へば
いまはわは わびぞしにける いきのをに おもひしきみを ゆるさくおもへば


六四五、紀郎女怨恨歌三首 鹿人大夫之女名曰小鹿也安貴王之妻也、
白細乃 袖可別 日乎近見 心尓咽飯 哭耳四所泣
白栲の袖別るべき日を近み心にむせひ音のみし泣かゆ
しろたへの そでわかるべき ひをちかみ こころにむせひ ねのみしなかゆ


六四六、大伴宿祢駿河麻呂歌一首
大夫之 思和備乍 遍多 嘆久嘆乎 不負物可聞
ますらをの思ひわびつつたびまねく嘆く嘆きを負はぬものかも
ますらをの おもひわびつつ たびまねく なげくなげきを おはぬものかも


六四七、大伴坂上郎女歌一首
心者 忘日無久 雖念 人之事社 繁君尓阿礼
心には忘るる日なく思へども人の言こそ繁き君にあれ
こころには わするるひなく おもへども ひとのことこそ しげききみにあれ


六四八、大伴宿祢駿河麻呂歌一首
不相見而 氣長久成奴 比日者 奈何好去哉 言借吾妹
相見ずて日長くなりぬこの頃はいかに幸くやいふかし我妹
あひみずて けながくなりぬ このころは いかにさきくや いふかしわぎも


六四九、大伴坂上郎女歌一首
夏葛之 不絶使乃 不通有者 言下有如 念鶴鴨
夏葛の絶えぬ使のよどめれば事しもあるごと思ひつるかも
なつくずの たえぬつかひの よどめれば ことしもあるごと おもひつるかも


六五〇、大伴宿祢三依離復相歡歌一首
吾妹兒者 常世國尓 住家良思 昔見従 變若益尓家利
我妹子は常世の国に住みけらし昔見しより変若ましにけり
わぎもこは とこよのくにに すみけらし むかしみしより をちましにけり


六五一、大伴坂上郎女歌二首
久堅乃 天露霜 置二家里 宅有人毛 待戀奴濫
ひさかたの天の露霜置きにけり家なる人も待ち恋ひぬらむ
ひさかたの あめのつゆしも おきにけり いへなるひとも まちこひぬらむ


六五二、大伴坂上郎女歌二首、
玉主尓 珠者授而 勝且毛 枕与吾者 率二将宿
玉守に玉は授けてかつがつも枕と我れはいざふたり寝む
たまもりに たまはさづけて かつがつも まくらとわれは いざふたりねむ


六五三、大伴宿祢駿河麻呂歌三首
情者 不忘物乎 儻 不見日數多 月曽經去来
心には忘れぬものをたまさかに見ぬ日さまねく月ぞ経にける
こころには わすれぬものを たまさかに みぬひさまねく つきぞへにける


六五四、大伴宿祢駿河麻呂歌三首、
相見者 月毛不經尓 戀云者 乎曽呂登吾乎 於毛保寒毳
相見ては月も経なくに恋ふと言はばをそろと我れを思ほさむかも
あひみては つきもへなくに こふといはば をそろとわれを おもほさむかも


六五五、大伴宿祢駿河麻呂歌三首、
不念乎 思常云者 天地之 神祇毛知寒 邑礼左變
思はぬを思ふと言はば天地の神も知らさむ邑礼左変
おもはぬを おもふといはば あめつちの かみもしらさむ (邑礼左変)


六五六、大伴坂上郎女歌六首
吾耳曽 君尓者戀流 吾背子之 戀云事波 言乃名具左曽
我れのみぞ君には恋ふる我が背子が恋ふといふことは言のなぐさぞ
あれのみぞ きみにはこふる わがせこが こふといふことは ことのなぐさぞ


六五七、大伴坂上郎女歌六首、
不念常 日手師物乎 翼酢色之 變安寸 吾意可聞
思はじと言ひてしものをはねず色のうつろひやすき我が心かも
おもはじと いひてしものを はねずいろの うつろひやすき あがこころかも


六五八、大伴坂上郎女歌六首、
雖念 知僧裳無跡 知物乎 奈何幾許 吾戀渡
思へども験もなしと知るものを何かここだく我が恋ひわたる
おもへども しるしもなしと しるものを なにかここだく あがこひわたる


六五九、大伴坂上郎女歌六首、
豫 人事繁 如是有者 四恵也吾背子 奥裳何如荒海藻
あらかじめ人言繁しかくしあらばしゑや我が背子奥もいかにあらめ
あらかじめ ひとごとしげし かくしあらば しゑやわがせこ おくもいかにあらめ


六六〇、大伴坂上郎女歌六首、
汝乎与吾乎 人曽離奈流 乞吾君 人之中言 聞起名湯目
汝をと我を人ぞ離くなるいで我が君人の中言聞きこすなゆめ
なをとあを ひとぞさくなる いであがきみ ひとのなかごと ききこすなゆめ


六六一、大伴坂上郎女歌六首、
戀々而 相有時谷 愛寸 事盡手四 長常念者
恋ひ恋ひて逢へる時だにうるはしき言尽してよ長くと思はば
こひこひて あへるときだに うるはしき ことつくしてよ ながくとおもはば


六六二、市原王歌一首
網兒之山 五百重隠有 佐堤乃埼 左手蝿師子之 夢二四所見
網児の山五百重隠せる佐堤の崎さで延へし子が夢にし見ゆる
あごのやま いほへかくせる さでのさき さではへしこが いめにしみゆる


六六三、安都宿祢年足歌一首
佐穂度 吾家之上二 鳴鳥之 音夏可思吉 愛妻之兒
佐保渡り我家の上に鳴く鳥の声なつかしきはしき妻の子
さほわたり わぎへのうへに なくとりの こゑなつかしき はしきつまのこ


六六四、大伴宿祢像見歌一首
石上 零十方雨二 将關哉 妹似相武登 言義之鬼尾
石上降るとも雨につつまめや妹に逢はむと言ひてしものを
いそのかみ ふるともあめに つつまめや いもにあはむと いひてしものを


六六五、安倍朝臣蟲麻呂歌一首
向座而 雖見不飽 吾妹子二 立離徃六 田付不知毛
向ひ居て見れども飽かぬ我妹子に立ち別れ行かむたづき知らずも
むかひゐて みれどもあかぬ わぎもこに たちわかれゆかむ たづきしらずも


六六六、大伴坂上郎女歌二首
不相見者 幾久毛 不有國 幾許吾者 戀乍裳荒鹿
相見ぬは幾久さにもあらなくにここだく我れは恋ひつつもあるか
あひみぬは いくひささにも あらなくに ここだくあれは こひつつもあるか


六六七、大伴坂上郎女歌二首、
戀々而 相有物乎 月四有者 夜波隠良武 須臾羽蟻待
恋ひ恋ひて逢ひたるものを月しあれば夜は隠るらむしましはあり待て
こひこひて あひたるものを つきしあれば よはこもるらむ しましはありまて


六六八、厚見王歌一首
朝尓日尓 色付山乃 白雲之 可思過 君尓不有國
朝に日に色づく山の白雲の思ひ過ぐべき君にあらなくに
あさにけに いろづくやまの しらくもの おもひすぐべき きみにあらなくに


六六九、春日王歌一首 志貴皇子之子母曰多紀皇女也
足引之 山橘乃 色丹出与 語言継而 相事毛将有
あしひきの山橘の色に出でよ語らひ継ぎて逢ふこともあらむ
あしひきの やまたちばなの いろにいでよ かたらひつぎて あふこともあらむ


六七〇、湯原王歌一首
月讀之 光二来益 足疾乃 山寸隔而 不遠國
月読の光りに来ませあしひきの山きへなりて遠からなくに
つくよみの ひかりにきませ あしひきの やまきへなりて とほからなくに


六七一、湯原王歌一首、和歌一首 
月讀之 光者清 雖照有 惑情 不堪念
月読の光りは清く照らせれど惑へる心思ひあへなくに
つくよみの ひかりはきよく てらせれど まとへるこころ おもひあへなくに

六七二、安倍朝臣蟲麻呂歌一首
倭文手纒 數二毛不有 壽持 奈何幾許 吾戀渡
しつたまき数にもあらぬ命もて何かここだく我が恋ひわたる
しつたまき かずにもあらぬ いのちもて なにかここだく あがこひわたる


六七三、大伴坂上郎女歌二首
真十鏡 磨師心乎 縦者 後尓雖云 驗将在八方
まそ鏡磨ぎし心をゆるしてば後に言ふとも験あらめやも
まそかがみ とぎしこころを ゆるしてば のちにいふとも しるしあらめやも


六七四、大伴坂上郎女歌二首、
真玉付 彼此兼手 言齒五十戸常 相而後社 悔二破有跡五十戸
真玉つくをちこち兼ねて言は言へど逢ひて後こそ悔にはありといへ
またまつく をちこちかねて ことはいへど あひてのちこそ くいにはありといへ


六七五、中臣女郎贈大伴宿祢家持歌五首
娘子部四 咲澤二生流 花勝見 都毛不知 戀裳摺可聞
をみなへし佐紀沢に生ふる花かつみかつても知らぬ恋もするかも
をみなへし さきさはにおふる はなかつみ かつてもしらぬ こひもするかも


六七六、中臣女郎贈大伴宿祢家持歌五首、
海底 奥乎深目手 吾念有 君二波将相 年者經十方
海の底奥を深めて我が思へる君には逢はむ年は経ぬとも
わたのそこ おくをふかめて あがおもへる きみにはあはむ としはへぬとも


六七七、中臣女郎贈大伴宿祢家持歌五首、
春日山 朝居雲乃 欝 不知人尓毛 戀物香聞
春日山朝居る雲のおほほしく知らぬ人にも恋ふるものかも
かすがやま あさゐるくもの おほほしく しらぬひとにも こふるものかも


六七八、中臣女郎贈大伴宿祢家持歌五首、
直相而 見而者耳社 霊剋 命向 吾戀止眼
直に逢ひて見てばのみこそたまきはる命に向ふ我が恋やまめ
ただにあひて みてばのみこそ たまきはる いのちにむかふ あがこひやまめ


六七九、中臣女郎贈大伴宿祢家持歌五首、
不欲常云者 将強哉吾背 菅根之 念乱而 戀管母将有
いなと言はば強ひめや我が背菅の根の思ひ乱れて恋ひつつもあらむ
いなといはば しひめやわがせ すがのねの おもひみだれて こひつつもあらむ


六八〇、大伴宿祢家持与交遊別歌三首
盖毛 人之中言 聞可毛 幾許雖待 君之不来益
けだしくも人の中言聞かせかもここだく待てど君が来まさぬ
けだしくも ひとのなかごと きかせかも ここだくまてど きみがきまさぬ


六八一、大伴宿祢家持与交遊別歌三首、
中々尓 絶年云者 如此許 氣緒尓四而 吾将戀八方
なかなかに絶ゆとし言はばかくばかり息の緒にして我れ恋ひめやも
なかなかに たゆとしいはば かくばかり いきのをにして あれこひめやも


六八二、大伴宿祢家持与交遊別歌三首、
将念 人尓有莫國 懃 情盡而 戀流吾毳
思ふらむ人にあらなくにねもころに心尽して恋ふる我れかも
おもふらむ ひとにあらなくに ねもころに こころつくして こふるあれかも


六八三、大伴坂上郎女歌七首
謂言之 恐國曽 紅之 色莫出曽 念死友
言ふ言の畏き国ぞ紅の色にな出でそ思ひ死ぬとも
いふことの かしこきくにぞ くれなゐの いろにないでそ おもひしぬとも


六八四、大伴坂上郎女歌七首、
今者吾波 将死与吾背 生十方 吾二可縁跡 言跡云莫苦荷
今は我は死なむよ我が背生けりとも我れに依るべしと言ふといはなくに
いまはわは しなむよわがせ いけりとも われによるべし といふといはなくに


六八五、大伴坂上郎女歌七首、
人事 繁哉君之 二鞘之 家乎隔而 戀乍将座
人言を繁みか君が二鞘の家を隔てて恋ひつつまさむ
ひとごとを しげみかきみが ふたさやの いへをへだてて こひつつまさむ


六八六、大伴坂上郎女歌七首、
比者 千歳八徃裳 過与 吾哉然念 欲見鴨
このころは千年や行きも過ぎぬると我れやしか思ふ見まく欲りかも
このころは ちとせやゆきも すぎぬると われかしかおもふ みまくほりかも


六八七、大伴坂上郎女歌七首、
愛常 吾念情 速河之 雖塞々友 猶哉将崩
うるはしと我が思ふ心速川の塞きに塞くともなほや崩えなむ
うるはしと あがもふこころ はやかはの せきにせくとも なほやくえなむ


六八八、大伴坂上郎女歌七首、
青山乎 横g雲之 灼然 吾共咲為而 人二所知名
青山を横ぎる雲のいちしろく我れと笑まして人に知らゆな
あをやまを よこぎるくもの いちしろく われとゑまして ひとにしらゆな


六八九、大伴坂上郎女歌七首、
海山毛 隔莫國 奈何鴨 目言乎谷裳 幾許乏寸
海山も隔たらなくに何しかも目言をだにもここだ乏しき
うみやまも へだたらなくに なにしかも めごとをだにも ここだともしき


六九〇、大伴宿祢三依悲別歌一首
照月乎 闇尓見成而 哭涙 衣沾津 干人無二
照る月を闇に見なして泣く涙衣濡らしつ干す人なしに
てるつきを やみにみなして なくなみだ ころもぬらしつ ほすひとなしに


六九一、大伴宿祢家持贈娘子歌二首
百礒城之 大宮人者 雖多有 情尓乗而 所念妹
ももしきの大宮人は多かれど心に乗りて思ほゆる妹
ももしきの おほみやひとは おほかれど こころにのりて おもほゆるいも


六九二、大伴宿祢家持贈娘子歌二首、
得羽重無 妹二毛有鴨 如此許 人情乎 令盡念者
うはへなき妹にもあるかもかくばかり人の心を尽さく思へば
うはへなき いもにもあるかも かくばかり ひとのこころを つくさくおもへば


六九三、大伴宿祢千室歌一首
如此耳 戀哉将度 秋津野尓 多奈引雲能 過跡者無二
かくのみし恋ひやわたらむ秋津野にたなびく雲の過ぐとはなしに
かくのみし こひやわたらむ あきづのに たなびくくもの すぐとはなしに


六九四、廣河女王歌二首 穂積皇子之孫女上道王之女也
戀草呼 力車二 七車 積而戀良苦 吾心柄
恋草を力車に七車積みて恋ふらく我が心から
こひくさを ちからくるまに ななくるま つみてこふらく わがこころから


六九五、廣河女王歌二首 穂積皇子之孫女上道王之女也、
戀者今葉 不有常吾羽 念乎 何處戀其 附見繋有
恋は今はあらじと我れは思へるをいづくの恋ぞつかみかかれる
こひはいまは あらじとわれは おもへるを いづくのこひぞ つかみかかれる


六九六、石川朝臣廣成歌一首 後賜姓高圓朝臣氏也
家人尓 戀過目八方 川津鳴 泉之里尓 年之歴去者
家人に恋過ぎめやもかはづ鳴く泉の里に年の経ぬれば
いへびとに こひすぎめやも かはづなく いづみのさとに としのへぬれば


六九七、大伴宿祢像見歌三首
吾聞尓 繋莫言 苅薦之 乱而念 君之直香曽
我が聞きに懸けてな言ひそ刈り薦の乱れて思ふ君が直香ぞ
わがききに かけてないひそ かりこもの みだれておもふ きみがただかぞ


六九八、大伴宿祢像見歌三首、
春日野尓 朝居雲之 敷布二 吾者戀益 月二日二異二
春日野に朝居る雲のしくしくに我れは恋ひ増す月に日に異に
かすがのに あさゐるくもの しくしくに あれはこひます つきにひにけに


六九九、大伴宿祢像見歌三首、
一瀬二波 千遍障良比 逝水之 後毛将相 今尓不有十方
一瀬には千たび障らひ行く水の後にも逢はむ今にあらずとも
ひとせには ちたびさはらひ ゆくみづの のちにもあはむ いまにあらずとも


七〇〇、大伴宿祢家持到娘子之門作歌一首
如此為而哉 猶八将退 不近 道之間乎 煩参来而
かくしてやなほや罷らむ近からぬ道の間をなづみ参ゐ来て
かくしてや なほやまからむ ちかからぬ みちのあひだを なづみまゐきて


七〇一、河内百枝娘子贈大伴宿祢家持歌二首
波都波都尓 人乎相見而 何将有 何日二箇 又外二将見
はつはつに人を相見ていかにあらむいづれの日にかまた外に見む
はつはつに ひとをあひみて いかにあらむ いづれのひにか またよそにみむ


七〇二、河内百枝娘子贈大伴宿祢家持歌二首、
夜干玉之 其夜乃月夜 至于今日 吾者不忘 無間苦思念者
ぬばたまのその夜の月夜今日までに我れは忘れず間なくし思へば
ぬばたまの そのよのつくよ けふまでに われはわすれず まなくしおもへば


七〇三、巫部麻蘇娘子歌二首
吾背子乎 相見之其日 至于今日 吾衣手者 乾時毛奈志
我が背子を相見しその日今日までに我が衣手は干る時もなし
わがせこを あひみしそのひ けふまでに わがころもでは ふるときもなし


七〇四、巫部麻蘇娘子歌二首、
栲縄之 永命乎 欲苦波 不絶而人乎 欲見社
栲縄の長き命を欲りしくは絶えずて人を見まく欲りこそ
たくなはの ながきいのちを ほりしくは たえずてひとを みまくほりこそ


七〇五、大伴宿祢家持贈童女歌一首
葉根蘰 今為妹乎 夢見而 情内二 戀渡鴨
はねかづら今する妹を夢に見て心のうちに恋ひわたるかも
はねかづら いまするいもを いめにみて こころのうちに こひわたるかも


七〇六、童女来報歌一首
葉根蘰 今為妹者 無四呼 何妹其 幾許戀多類
はねかづら今する妹はなかりしをいづれの妹ぞここだ恋ひたる
はねかづら いまするいもは なかりしを いづれのいもぞ ここだこひたる


七〇七、粟田女娘子贈大伴宿祢家持歌二首
思遣 為便乃不知者 片h之 底曽吾者 戀成尓家類 
思ひ遣るすべの知らねば片もひの底にぞ我れは恋ひ成りにける
おもひやる すべのしらねば かたもひの そこにぞあれは こひなりにける


七〇八、粟田女娘子贈大伴宿祢家持歌二首、
復毛将相 因毛有奴可 白細之 我衣手二 齊留目六
またも逢はむよしもあらぬか白栲の我が衣手にいはひ留めむ
またもあはむ よしもあらぬか しろたへの わがころもでに いはひとどめむ


七〇九、豊前國娘子大宅女の歌一首
夕闇者 路多豆多頭四 待月而 行吾背子 其間尓母将見
夕闇は道たづたづし月待ちて行ませ我が背子その間にも見む
ゆふやみは みちたづたづし つきまちて いませわがせこ そのまにもみむ


七一〇、安都扉娘子歌一首
三空去 月之光二 直一目 相三師人之 夢西所見
み空行く月の光にただ一目相見し人の夢にし見ゆる
みそらゆく つきのひかりに ただひとめ あひみしひとの いめにしみゆる


七一一、丹波大女娘子歌三首
鴨鳥之 遊此池尓 木葉落而 浮心 吾不念國
鴨鳥の遊ぶこの池に木の葉落ちて浮きたる心我が思はなくに
かもどりの あそぶこのいけに このはおちて うきたるこころ わがおもはなくに


七一二、丹波大女娘子歌三首、
味酒呼 三輪之祝我 忌杉 手觸之罪歟 君二遇難寸
味酒を三輪の祝がいはふ杉手触れし罪か君に逢ひかたき
うまさけを みわのはふりが いはふすぎ てふれしつみか きみにあひかたき


七一三、丹波大女娘子歌三首、
垣穂成 人辞聞而 吾背子之 情多由多比 不合頃者
垣ほなす人言聞きて我が背子が心たゆたひ逢はぬこのころ
かきほなす ひとごとききて わがせこが こころたゆたひ あはぬこのころ


七一四、大伴宿祢家持贈娘子歌七首
情尓者 思渡跡 縁乎無三 外耳為而 嘆曽吾為
心には思ひわたれどよしをなみ外のみにして嘆きぞ我がする
こころには おもひわたれど よしをなみ よそのみにして なげきぞわがする


七一五、大伴宿祢家持贈娘子歌七首、
千鳥鳴 佐保乃河門之 清瀬乎 馬打和多思 何時将通
千鳥鳴く佐保の川門の清き瀬を馬うち渡しいつか通はむ
ちどりなく さほのかはとの きよきせを うまうちわたし いつかかよはむ


七一六、大伴宿祢家持贈娘子歌七首、
夜晝 云別不知 吾戀 情盖 夢所見寸八
夜昼とい別き知らず我が恋ふる心はけだし夢に見えきや
よるひると いふわきしらず あがこふる こころはけだし いめにみえきや


七一七、大伴宿祢家持贈娘子歌七首、
都礼毛無 将有人乎 獨念尓 吾念者 惑毛安流香
つれもなくあるらむ人を片思に我れは思へばわびしくもあるか
つれもなく あるらむひとを かたもひに われはおもへば わびしくもあるか


七一八、大伴宿祢家持贈娘子歌七首、
不念尓 妹之咲N乎 夢見而 心中二 燎管曽呼留
思はぬに妹が笑ひを夢に見て心のうちに燃えつつぞ居る
おもはぬに いもがゑまひを いめにみて こころのうちに もえつつぞをる


七一九、大伴宿祢家持贈娘子歌七首、
大夫跡 念流吾乎 如此許 三礼二見津礼 片念男責
ますらをと思へる我れをかくばかりみつれにみつれ片思をせむ
ますらをと おもへるわれを かくばかり みつれにみつれ かたもひをせむ


七二〇、大伴宿祢家持贈娘子歌七首、
村肝之 情揣而 如此許 余戀良苦乎 不知香安類良武
むらきもの心砕けてかくばかり我が恋ふらくを知らずかあるらむ
むらきもの こころくだけて かくばかり あがこふらくを しらずかあるらむ


七二一、獻天皇歌一首 大伴坂上郎女在佐保宅作也
足引乃 山二四居者 風流無三 吾為類和射乎 害目賜名
あしひきの山にしをれば風流なみ我がするわざをとがめたまふな
あしひきの やまにしをれば みやびなみ わがするわざを とがめたまふな


七二二、大伴宿祢家持歌一首
如是許 戀乍不有者 石木二毛 成益物乎 物不思四手
かくばかり恋ひつつあらずは石木にもならましものを物思はずして
かくばかり こひつつあらずは いはきにも ならましものを ものもはずして


七二三、大伴坂上郎女従跡見庄賜留宅女子大嬢歌一首 并短歌
常呼二跡 吾行莫國 小金門尓 物悲良尓 念有之 吾兒乃刀自緒 野干玉之 夜晝跡不言 念二思 吾身者痩奴 嘆丹師 袖左倍沾奴 如是許 本名四戀者 古郷尓 此月期呂毛 有勝益土
常世にと 我が行かなくに 小金門に もの悲しらに 思へりし 我が子の刀自を ぬばたまの 夜昼といはず 思ふにし 我が身は痩せぬ 嘆くにし 袖さへ濡れぬ かくばかり もとなし恋ひば 故郷に この月ごろも 有りかつましじ
とこよにと わがゆかなくに をかなどに ものかなしらに おもへりし あがこのとじを ぬばたまの よるひるといはず おもふにし あがみはやせぬ なげくにし そでさへぬれぬ かくばかり もとなしこひば ふるさとに このつきごろも ありかつましじ


七二四、大伴坂上郎女従跡見庄賜留宅女子大嬢歌一首 并短歌、反歌
朝髪之 念乱而 如是許 名姉之戀曽 夢尓所見家留
朝髪の思ひ乱れてかくばかり汝姉が恋ふれぞ夢に見えける
あさかみの おもひみだれて かくばかり なねがこふれぞ いめにみえける


七二五、獻天皇歌二首 大伴坂上郎女在春日里作也
二寶鳥乃 潜池水 情有者 君尓吾戀 情示左祢
にほ鳥の潜く池水心あらば君に我が恋ふる心示さね
にほどりの かづくいけみづ こころあらば きみにあがこふる こころしめさね


七二六、獻天皇歌二首 大伴坂上郎女在春日里作也、
外居而 戀乍不有者 君之家乃 池尓住云 鴨二有益雄
外に居て恋ひつつあらずは君が家の池に住むといふ鴨にあらましを
よそにゐて こひつつあらずは きみがいへの いけにすむといふ かもにあらましを


七二七、大伴宿祢家持贈坂上家大嬢歌二首 離絶數年復會相聞徃来
萱草 吾下紐尓 著有跡 鬼乃志許草 事二思安利家理
忘れ草我が下紐に付けたれど醜の醜草言にしありけり
わすれくさ わがしたひもに つけたれど しこのしこくさ ことにしありけり


七二八、大伴宿祢家持贈坂上家大嬢歌二首 離絶數年復會相聞徃]、
人毛無 國母有粳 吾妹子与 携行而 副而将座
人もなき国もあらぬか我妹子とたづさはり行きて副ひて居らむ
ひともなき くにもあらぬか わぎもこと たづさはりゆきて たぐひてをらむ


七二九、大伴坂上大嬢贈大伴宿祢家持歌三首
玉有者 手二母将巻乎 欝瞻乃 世人有者 手二巻難石
玉ならば手にも巻かむをうつせみの世の人なれば手に巻きかたし
たまならば てにもまかむを うつせみの よのひとなれば てにまきかたし


七三〇、大伴坂上大嬢贈大伴宿祢家持歌三首、
将相夜者 何時将有乎 何如為常香 彼夕相而 事之繁裳
逢はむ夜はいつもあらむを何すとかその宵逢ひて言の繁きも
あはむよは いつもあらむを なにすとか そのよひあひて ことのしげきも


七三一、大伴坂上大嬢贈大伴宿祢家持歌三首、
吾名者毛 千名之五百名尓 雖立 君之名立者 惜社泣
我が名はも千名の五百名に立ちぬとも君が名立たば惜しみこそ泣け
わがなはも ちなのいほなに たちぬとも きみがなたたば をしみこそなけ


七三二、又大伴宿祢家持和歌三首
今時者四 名之惜雲 吾者無 妹丹因者 千遍立十方
今しはし名の惜しけくも我れはなし妹によりては千たび立つとも
いましはし なのをしけくも われはなし いもによりては ちたびたつとも


七三三、又大伴宿祢家持和歌三首、
空蝉乃 代也毛二行 何為跡鹿 妹尓不相而 吾獨将宿
うつせみの世やも二行く何すとか妹に逢はずて我がひとり寝む
うつせみの よやもふたゆく なにすとか いもにあはずて わがひとりねむ


七三四、又大伴宿祢家持和歌三首、
吾念 如此而不有者 玉二毛我 真毛妹之 手二所纒乎
我が思ひかくてあらずは玉にもがまことも妹が手に巻かれなむ
わがおもひ かくてあらずは たまにもが まこともいもが てにまかれなむ


七三五、同坂上大嬢贈家持歌一首
春日山 霞多奈引 情具久 照月夜尓 獨鴨念
春日山霞たなびき心ぐく照れる月夜にひとりかも寝む
かすがやま かすみたなびき こころぐく てれるつくよに ひとりかもねむ


七三六、又家持和坂上大嬢歌一首
月夜尓波 門尓出立 夕占問 足卜乎曽為之 行乎欲焉
月夜には門に出で立ち夕占問ひ足占をぞせし行かまくを欲り
つくよには かどにいでたち ゆふけとひ あしうらをぞせし ゆかまくをほり


七三七、同大嬢贈家持歌二首
云々 人者雖云 若狭道乃 後瀬山之 後毛将會君
かにかくに人は言ふとも若狭道の後瀬の山の後も逢はむ君
かにかくに ひとはいふとも わかさぢの のちせのやまの のちもあはむきみ


七三八、同大嬢贈家持歌二首、
世間之 苦物尓 有家良之 戀尓不勝而 可死念者
世の中の苦しきものにありけらし恋にあへずて死ぬべき思へば
よのなかの くるしきものに ありけらし こひにあへずて しぬべきおもへば


七三九、又家持和坂上大嬢歌二首
後湍山 後毛将相常 念社 可死物乎 至今日毛生有
後瀬山後も逢はむと思へこそ死ぬべきものを今日までも生けれ
のちせやま のちもあはむと おもへこそ しぬべきものを けふまでもいけれ


七四〇、又家持和坂上大嬢歌二首、
事耳乎 後毛相跡 懃 吾乎令憑而 不相可聞
言のみを後も逢はむとねもころに我れを頼めて逢はざらむかも
ことのみを のちもあはむと ねもころに われをたのめて あはざらむかも


七四一、更大伴宿祢家持贈坂上大嬢歌十五首
夢之相者 苦有家里 覺而 掻探友 手二毛不所觸者
夢の逢ひは苦しかりけりおどろきて掻き探れども手にも触れねば
いめのあひは くるしかりけり おどろきて かきさぐれども てにもふれねば


七四二、更大伴宿祢家持贈坂上大嬢歌十五首、
一重耳 妹之将結 帶乎尚 三重可結 吾身者成
一重のみ妹が結ばむ帯をすら三重結ぶべく我が身はなりぬ
ひとへのみ いもがむすばむ おびをすら みへむすぶべく わがみはなりぬ


七四三、更大伴宿祢家持贈坂上大嬢歌十五首、
吾戀者 千引乃石乎 七許 頚二将繋母 神之諸伏
我が恋は千引の石を七ばかり首に懸けむも神のまにまに
あがこひは ちびきのいはを ななばかり くびにかけむも かみのまにまに


七四四、更大伴宿祢家持贈坂上大嬢歌十五首、
暮去者 屋戸開設而 吾将待 夢尓相見二 将来云比登乎
夕さらば屋戸開け設けて我れ待たむ夢に相見に来むといふ人を
ゆふさらば やとあけまけて われまたむ いめにあひみに こむといふひとを


七四五、更大伴宿祢家持贈坂上大嬢歌十五首、
朝夕二 将見時左倍也 吾妹之 雖見如不見 由戀四家武
朝夕に見む時さへや我妹子が見れど見ぬごとなほ恋しけむ
あさよひに みむときさへや わぎもこが みれどみぬごと なほこほしけむ


七四六、更大伴宿祢家持贈坂上大嬢歌十五首、
生有代尓 吾者未見 事絶而 如是_怜 縫流嚢者
生ける世に我はいまだ見ず言絶えてかくおもしろく縫へる袋は
いけるよに われはいまだみず ことたえて かくおもしろく ぬへるふくろは


七四七、更大伴宿祢家持贈坂上大嬢歌十五首、
吾妹兒之 形見乃服 下著而 直相左右者 吾将脱八方
我妹子が形見の衣下に着て直に逢ふまでは我れ脱かめやも
わぎもこが かたみのころも したにきて ただにあふまでは われぬかめやも


七四八、更大伴宿祢家持贈坂上大嬢歌十五首、
戀死六 其毛同曽 奈何為二 人目他言 辞痛吾将為
恋ひ死なむそこも同じぞ何せむに人目人言言痛み我がせむ
やじぞ なにせむに ひとめひとごと こちたみわがせむ


七四九、更大伴宿祢家持贈坂上大嬢歌十五首、
夢二谷 所見者社有 如此許 不所見有者 戀而死跡香
夢にだに見えばこそあらめかくばかり見えずしあるは恋ひて死ねとか
いめにだに みえばこそあれ かくばかり みえずてあるは こひてしねとか


七五〇、更大伴宿祢家持贈坂上大嬢歌十五首、
念絶 和備西物尾 中々荷 奈何辛苦 相見始兼
思ひ絶えわびにしものを中々に何か苦しく相見そめけむ
おもひたえ わびにしものを なかなかに なにかくるしく あひみそめけむ


七五一、更大伴宿祢家持贈坂上大嬢歌十五首、
相見而者 幾日毛不經乎 幾許久毛 久流比尓久流必 所念鴨
相見ては幾日も経ぬをここだくもくるひにくるひ思ほゆるかも
あひみては いくかもへぬを ここだくも くるひにくるひ おもほゆるかも


七五二、更大伴宿祢家持贈坂上大嬢歌十五首、
如是許 面影耳 所念者 何如将為 人目繁而
かくばかり面影にのみ思ほえばいかにかもせむ人目繁くて
かくばかり おもかげにのみ おもほえば いかにかもせむ ひとめしげくて


七五三、更大伴宿祢家持贈坂上大嬢歌十五首、
相見者 須臾戀者 奈木六香登 雖念弥 戀益来
相見てはしましも恋はなぎむかと思へどいよよ恋ひまさりけり
あひみては しましもこひは なぎむかと おもへどいよよ こひまさりけり


七五四、更大伴宿祢家持贈坂上大嬢歌十五首、
夜之穂杼呂 吾出而来者 吾妹子之 念有四九四 面影二三湯
夜のほどろ我が出でて来れば我妹子が思へりしくし面影に見ゆ
よのほどろ わがいでてくれば わぎもこが おもへりしくし おもかげにみゆ


七五五、更大伴宿祢家持贈坂上大嬢歌十五首、
夜之穂杼呂 出都追来良久 遍多數 成者吾胸 截焼如
夜のほどろ出でつつ来らくたび数多くなれば我が胸断ち焼くごとし
よのほどろ いでつつくらく たびまねく なればあがむね たちやくごとし

七五六、大伴田村家之大嬢贈妹坂上大嬢歌四首
外居而 戀者苦 吾妹子乎 次相見六 事計為与
外に居て恋ふれば苦し我妹子を継ぎて相見む事計りせよ
よそにゐて こふればくるし わぎもこを つぎてあひみむ ことはかりせよ


七五七、大伴田村家之大嬢贈妹坂上大嬢歌四首、
遠有者 和備而毛有乎 里近 有常聞乍 不見之為便奈沙
遠くあらばわびてもあらむを里近くありと聞きつつ見ぬがすべなさ
とほくあらば わびてもあらむを さとちかく ありとききつつ みぬがすべなさ


七五八、大伴田村家之大嬢贈妹坂上大嬢歌四首、
白雲之 多奈引山之 高々二 吾念妹乎 将見因毛我母
白雲のたなびく山の高々に我が思ふ妹を見むよしもがも
しらくもの たなびくやまの たかだかに あがおもふいもを みむよしもがも


七五九、大伴田村家之大嬢贈妹坂上大嬢歌四首、
何 時尓加妹乎 牟具良布能 穢屋戸尓 入将座
いかならむ時にか妹を葎生の汚なきやどに入りいませてむ
いかならむ ときにかいもを むぐらふの きたなきやどに いりいませてむ


七六〇、大伴坂上郎女従竹田庄贈女子大嬢歌二首
打渡 竹田之原尓 鳴鶴之 間無時無 吾戀良久波
うち渡す武田の原に鳴く鶴の間なく時なし我が恋ふらくは
うちわたす たけたのはらに なくたづの まなくときなし あがこふらくは


七六一、大伴坂上郎女従竹田庄贈女子大嬢歌二首、
早河之 湍尓居鳥之 縁乎奈弥 念而有師 吾兒羽裳_怜
早川の瀬に居る鳥のよしをなみ思ひてありし我が子はもあはれ
はやかはの せにゐるとりの よしをなみ おもひてありし あがこはもあはれ


七六二、紀女郎贈大伴宿祢家持歌二首 女郎名曰小鹿也
神左夫跡 不欲者不有 八多也八多 如是為而後二 佐夫之家牟可聞
神さぶといなにはあらずはたやはたかくして後に寂しけむかも
かむさぶと いなにはあらず はたやはた かくしてのちに さぶしけむかも


七六三、紀女郎贈大伴宿祢家持歌二首 女郎名曰小鹿也、
玉緒乎 沫緒二搓而 結有者 在手後二毛 不相在目八方
玉の緒を沫緒に搓りて結べらばありて後にも逢はざらめやも
たまのをを あわをによりて むすべらば ありてのちにも あはざらめやも


七六四、紀女郎贈大伴宿祢家持歌二首 女郎名曰小鹿也、大伴宿祢家持和歌一首
百年尓 老舌出而 与余牟友 吾者不Q 戀者益友
百年に老舌出でてよよむとも我れはいとはじ恋ひは増すとも
ももとせに おいしたいでて よよむとも われはいとはじ こひはますとも


七六五、在久邇京思留寧樂宅坂上大嬢大伴宿祢家持作歌一首
一隔山 重成物乎 月夜好見 門尓出立 妹可将待
一重山へなれるものを月夜よみ門に出で立ち妹か待つらむ
ひとへやま へなれるものを つくよよみ かどにいでたち いもかまつらむ


七六六、在久邇京思留寧樂宅坂上大嬢大伴宿祢家持作歌一首、藤原郎女聞之即 和歌一首
路遠 不来常波知有 物可良尓 然曽将待 君之目乎保利
道遠み来じとは知れるものからにしかぞ待つらむ君が目を欲り
みちとほみ こじとはしれる ものからに しかぞまつらむ きみがめをほり


七六七、大伴宿祢家持更贈大嬢歌二首
都路乎 遠哉妹之 比来者 得飼飯而雖宿 夢尓不所見来
都路を遠みか妹がこのころはうけひて寝れど夢に見え来ぬ
みやこぢを とほみかいもが このころは うけひてぬれど いめにみえこぬ


七六八、大伴宿祢家持更贈大嬢歌二首、
今所知 久邇乃京尓 妹二不相 久成 行而早見奈
今知らす久迩の都に妹に逢はず久しくなりぬ行きて早見な
いましらす くにのみやこに いもにあはず ひさしくなりぬ ゆきてはやみな


七六九、大伴宿祢家持報贈紀女郎歌一首
久堅之 雨之落日乎 直獨 山邊尓居者 欝有来
ひさかたの雨の降る日をただ独り山辺に居ればいぶせかりけり
ひさかたの あめのふるひを ただひとり やまへにをれば いぶせかりけり


七七〇、大伴宿祢家持従久邇京贈坂上大嬢歌五首
人眼多見 不相耳曽 情左倍 妹乎忘而 吾念莫國
人目多み逢はなくのみぞ心さへ妹を忘れて我が思はなくに
ひとめおほみ あはなくのみぞ こころさへ いもをわすれて わがおもはなくに


七七一、大伴宿祢家持従久邇京贈坂上大嬢歌五首、
偽毛 似付而曽為流 打布裳 真吾妹兒 吾尓戀目八
偽りも似つきてぞするうつしくもまこと我妹子我れに恋ひめや
いつはりも につきてぞする うつしくも まことわぎもこ われにこひめや


七七二、大伴宿祢家持従久邇京贈坂上大嬢歌五首、
夢尓谷 将所見常吾者 保杼毛友 不相志思者 諾不所見有武
夢にだに見えむと我れはほどけども相し思はねばうべ見えずあらむ
いめにだに みえむとわれは ほどけども あひしおもはねば うべみえずあらむ


七七三、大伴宿祢家持従久邇京贈坂上大嬢歌五首、
事不問 木尚味狭藍 諸弟等之 練乃村戸二 所詐来
言とはぬ木すらあじさゐ諸弟らが練りのむらとにあざむかえけり
こととはぬ きすらあじさゐ もろとらが ねりのむらとに あざむかえけり


七七四、大伴宿祢家持従久邇京贈坂上大嬢歌五首、
百千遍 戀跡云友 諸弟等之 練乃言羽者 吾波不信
百千たび恋ふと言ふとも諸弟らが練りのことばは我れは頼まじ
ももちたび こふといふとも もろとらが ねりのことばは われはたのまじ


七七五、大伴宿祢家持贈紀女郎歌一首
鶉鳴 故郷従 念友 何如裳妹尓 相縁毛無寸
鶉鳴く古りにし里ゆ思へども何ぞも妹に逢ふよしもなき
うづらなく ふりにしさとゆ おもへども なにぞもいもに あふよしもなき


七七六、紀女郎報贈家持歌一首
事出之者 誰言尓有鹿 小山田之 苗代水乃 中与杼尓四手
言出しは誰が言にあるか小山田の苗代水の中淀にして
ことでしは たがことにあるか をやまだの なはしろみづの なかよどにして


七七七、大伴宿祢家持更贈紀女郎歌五首
吾妹子之 屋戸乃籬乎 見尓徃者 盖従門 将返却可聞
我妹子がやどの籬を見に行かばけだし門より帰してむかも
わぎもこが やどのまがきを みにゆかば けだしかどより かへしてむかも


七七八、大伴宿祢家持更贈紀女郎歌五首、
打妙尓 前垣乃酢堅 欲見 将行常云哉 君乎見尓許曽
うつたへに籬の姿見まく欲り行かむと言へや君を見にこそ
うつたへに まがきのすがた みまくほり ゆかむといへや きみをみにこそ


七七九、大伴宿祢家持更贈紀女郎歌五首、
板盖之 黒木乃屋根者 山近之 明日取而 持将参来
板葺の黒木の屋根は山近し明日の日取りて持ちて参ゐ来む
いたぶきの くろきのやねは やまちかし あすのひとりて もちてまゐこむ


七八〇、大伴宿祢家持更贈紀女郎歌五首、
黒樹取 草毛苅乍 仕目利 勤和氣登 将譽十方不有 
黒木取り草も刈りつつ仕へめどいそしきわけとほめむともあらず 
くろきとり かやもかりつつ つかへめど いそしきわけと ほめむともあらず 


七八一、大伴宿祢家持更贈紀女郎歌五首、
野干玉能 昨夜者令還 今夜左倍 吾乎還莫 路之長手呼
ぬばたまの昨夜は帰しつ今夜さへ我れを帰すな道の長手を
ぬばたまの きぞはかへしつ こよひさへ われをかへすな みちのながてを


七八二、紀女郎L物贈友歌一首 女郎名曰小鹿也
風高 邊者雖吹 為妹 袖左倍所沾而 苅流玉藻焉
風高く辺には吹けども妹がため袖さへ濡れて刈れる玉藻ぞ
かぜたかく へにはふけども いもがため そでさへぬれて かれるたまもぞ


七八三、大伴宿祢家持贈娘子歌三首
前年之 先年従 至今年 戀跡奈何毛 妹尓相難
をととしの先つ年より今年まで恋ふれどなぞも妹に逢ひかたき
をととしの さきつとしより ことしまで こふれどなぞも いもにあひかたき


七八四、大伴宿祢家持贈娘子歌三首、
打乍二波 更毛不得言 夢谷 妹之手本乎 纒宿常思見者
うつつにはさらにもえ言はず夢にだに妹が手本を卷き寝とし見ば
うつつには さらにもえいはず いめにだに いもがたもとを まきぬとしみば


七八五、大伴宿祢家持贈娘子歌三首、
吾屋戸之 草上白久 置露乃 壽母不有惜 妹尓不相有者
我がやどの草の上白く置く露の身も惜しからず妹に逢はずあれば
わがやどの くさのうへしろく おくつゆの みもをしくあらず いもにあはずあれば


七八六、大伴宿祢家持報贈藤原朝臣久須麻呂歌三首
春之雨者 弥布落尓 梅花 未咲久 伊等若美可聞
春の雨はいやしき降るに梅の花いまだ咲かなくいと若みかも
はるのあめは いやしきふるに うめのはな いまださかなく いとわかみかも


七八七、大伴宿祢家持報贈藤原朝臣久須麻呂歌三首、
如夢 所念鴨 愛八師 君之使乃 麻祢久通者
夢のごと思ほゆるかもはしきやし君が使の数多く通へば
いめのごと おもほゆるかも はしきやし きみがつかひの まねくかよへば


七八八、大伴宿祢家持報贈藤原朝臣久須麻呂歌三首、
浦若見 花咲難寸 梅乎殖而 人之事重三 念曽吾為類
うら若み花咲きかたき梅を植ゑて人の言繁み思ひぞ我がする
うらわかみ はなさきかたき うめをうゑて ひとのことしげみ おもひぞわがする


七八九、又家持贈藤原朝臣久須麻呂歌二首
情八十一 所念可聞 春霞 軽引時二 事之通者
心ぐく思ほゆるかも春霞たなびく時に言の通へば
こころぐく おもほゆるかも はるかすみ たなびくときに ことのかよへば


七九〇、又家持贈藤原朝臣久須麻呂歌二首、
春風之 聲尓四出名者 有去而 不有今友 君之随意
春風の音にし出なばありさりて今ならずとも君がまにまに
はるかぜの おとにしいでなば ありさりて いまならずとも きみがまにまに


七九一、藤原朝臣久須麻呂来報歌二首
奥山之 磐影尓生流 菅根乃 懃吾毛 不相念有哉
奥山の岩蔭に生ふる菅の根のねもころ我れも相思はざれや
おくやまの いはかげにおふる すがのねの ねもころわれも あひおもはざれや


七九二、藤原朝臣久須麻呂来報歌二首、
春雨乎 待常二師有四 吾屋戸之 若木乃梅毛 未含有
春雨を待つとにしあらし我がやどの若木の梅もいまだふふめり
はるさめを まつとにしあらし わがやどの わかきのうめも いまだふふめり


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     巻第五     雜 歌
       いつまきにあたるまき くさぐさのうた


大宰帥大伴卿報凶問歌一首 
禍故重疊 凶問累集 永懐崩心之悲 獨流断腸之泣 但依兩君大助傾命纔継耳 
禍故重畳(かさな)り、凶問累(しき)りに集まる。永(ひたぶる)に心を崩す悲しみを懐き、独り腸を断つ泣(なみだ)を流す。但両君の大助に依りて傾命纔(わづか)に継ぐのみ。筆言を尽さず。古今歎く所なり。

七九三、余能奈可波 牟奈之伎母乃等 志流等伎子 伊与余麻須万須 加奈之可利家理
世間は空しきものと知る時しいよよますます悲しかりけり
よのなかは むなしきものと しるときし いよよますます かなしかりけり


盖聞 四生起滅方夢皆空 三界漂流喩環不息 所以維摩大士在于方丈 有懐染疾之患 釋迦能仁坐於雙林 無免泥j之苦 故知 二聖至極不能拂力負之尋至 三千世界誰能逃黒闇之捜来 二鼠競走而度目之鳥旦飛 四蛇争侵而過隙之駒夕走 嗟乎痛哉 紅顏共三従長逝 素質与四徳永滅 何圖偕老違於要期 獨飛生於半路 蘭室屏風徒張 断腸之哀弥痛 枕頭明鏡空懸 染k之涙逾落 泉門一掩 無由再見 嗚呼哀哉 愛河波浪 已先滅 苦海煩悩亦無結  従来厭離此穢土  本願託生彼浄刹 日本挽歌一首
盖し聞く、四生の起滅は、夢に方(あた)りて皆空なり。三界の漂流は、環の息まざるに喩ふ。所以に維摩大士は方丈に在りて、疾に染む患(うれひ)を懐くこと有り。釋迦能仁は双林に坐し、泥(ない)オン*の苦を免るること無しと。故に知る、二聖至極すら、力負の尋(つ)ぎて至るを払ふこと能はず。三千世界、誰か能く黒闇の捜り来たるを逃れむ。二鼠(にそ)競ひ走りて、目を度(わた)る鳥旦(あした)に飛び、四蛇争ひ侵して、隙を過ぐる駒夕に走る。嗟乎(ああ)痛きかな。紅顏三従と共に長逝し、素質四徳と与(とも)に永滅す。何そ図らむ、偕老要期に違ひ、独飛半路に生ぜむとは。蘭室の屏風徒らに張り、断腸の哀しみ弥よ痛し。枕頭の明鏡空しく懸かり、染ヰン*の涙逾よ落つ。泉門一掩すれば、再見に由無し。嗚呼哀しきかな。 愛河の波浪已く先づ滅び 苦海の煩悩また結ぶこと無し 従来此の穢土を厭離す 本願生を彼の浄刹に託せむ 日本挽歌(かなしみのやまとうた)一首、

七九四、
大王能 等保乃朝廷等 斯良農比 筑紫國尓 泣子那須 斯多比枳摩斯提 伊企陀尓母 伊摩陀夜周米受 年月母 伊摩他阿良祢婆 許々呂由母 於母波奴阿比陀尓 宇知那i枳 許夜斯努礼 伊波牟須弊 世武須弊斯良尓 石木乎母 刀比佐氣斯良受 伊弊那良婆 迦多知波阿良牟乎 宇良賣斯企 伊毛乃美許等能 阿礼乎婆母 伊可尓世与等可 尓保鳥能 布多利那良i為 加多良比斯 許々呂曽牟企弖 伊弊社可利伊摩須
大君の 遠の朝廷と しらぬひ 筑紫の国に 泣く子なす 慕ひ来まして 息だにも いまだ休めず 年月も いまだあらねば 心ゆも 思はぬ間に うち靡き 臥やしぬれ 言はむすべ 為むすべ知らに 岩木をも 問ひ放け知らず 家ならば 形はあらむを 恨めしき 妹の命の 我れをばも いかにせよとか にほ鳥の ふたり並び居 語らひし 心背きて 家離りいます
おほきみの とほのみかどと しらぬひ つくしのくにに なくこなす したひきまして いきだにも いまだやすめず としつきも いまだあらねば こころゆも おもはぬあひだに うちなびき こやしぬれ いはむすべ せむすべしらに いはきをも とひさけしらず いへならば かたちはあらむを うらめしき いものみことの あれをばも いかにせよとか にほどりの ふたりならびゐ かたらひし こころそむきて いへざかりいます


反し歌

七九五、
伊弊尓由伎弖 伊可尓可阿我世武 摩久良豆久 都摩夜左夫斯久 於母保由倍斯母
家に行きていかにか我がせむ枕付く妻屋寂しく思ほゆべしも
いへにゆきて いかにかあがせむ まくらづく つまやさぶしく おもほゆべしも


七九六、
伴之伎与之 加久乃未可良尓 之多比己之 伊毛我己許呂乃 須別毛須別那左
はしきよしかくのみからに慕ひ来し妹が心のすべもすべなさ
はしきよし かくのみからに したひこし いもがこころの すべもすべなさ


七九七、
久夜斯可母 可久斯良摩世婆 阿乎尓与斯 久奴知許等其等 美世摩斯母乃乎
悔しかもかく知らませばあをによし国内ことごと見せましものを
くやしかも かくしらませば あをによし くぬちことごと みせましものを


七九八、
伊毛何美斯 阿布知乃波那波 知利奴倍斯 和何那久那美多 伊摩陀飛那久尓
妹が見し楝の花は散りぬべし我が泣く涙いまだ干なくに
いもがみし あふちのはなは ちりぬべし わがなくなみた いまだひなくに


七九九、
大野山 紀利多知和多流 和何那宜久 於伎蘇乃可是尓 紀利多知和多流
大野山霧立ちわたる我が嘆くおきその風に霧立ちわたる
おほのやま きりたちわたる わがなげく おきそのかぜに きりたちわたる


令反或情歌一首 并序
或有人 知敬父母忘於侍養 不顧妻子軽於脱l
自称倍俗先生 意氣雖揚青雲之上 身體猶在塵俗之中 未驗修行得道之聖 蓋是亡命山澤之民 所以指示三綱更開五教 遣之以歌令反其或 歌曰
惑へる情(こころ)を反(かへ)さしむる歌一首、また序
或る人、父母敬はずして、侍養を忘れ、妻子を顧みざること脱履よりも軽し。自ら異俗先生(せむじやう)と称る。意気青雲の上に揚がると雖も、身体は猶塵俗の中に在り。未だ修行得道の聖を験(し)らず。蓋し是山沢に亡命する民なり。所以(かれ)三綱を指示(しめ)して、更に五教を開く。遣るに歌を以て、其の惑ひを反さしむ。その歌に曰く、

八〇〇、 
父母乎 美礼婆多布斗斯 妻子見礼婆 米具斯宇都久志 余能奈迦波 加久叙許等和理 母智騰利乃 可可良波志母与 由久弊斯良祢婆 宇既具都遠 奴伎都流其等久 布美奴伎提 由久智布比等波 伊波紀欲利 奈利提志比等迦 奈何名能良佐祢 阿米弊由迦婆 奈何麻尓麻尓 都智奈良婆 大王伊摩周 許能提羅周 日月能斯多波 雨麻久毛能 牟迦夫周伎波美 多尓具久能 佐和多流伎波美 企許斯遠周 久尓能麻保良叙 可尓迦久尓 保志伎麻尓麻尓 斯可尓波阿羅慈迦
父母を 見れば貴し 妻子見れば めぐし愛し 世間は かくぞことわり もち鳥の かからはしもよ ゆくへ知らねば 穿沓を 脱き棄るごとく 踏み脱きて 行くちふ人は 石木より なり出し人か 汝が名告らさね 天へ行かば 汝がまにまに 地ならば 大君います この照らす 日月の下は 天雲の 向伏す極み たにぐくの さ渡る極み 聞こし食す 国のまほらぞ かにかくに 欲しきまにまに しかにはあらじか
ちちははを みればたふとし めこみれば めぐしうつくし よのなかは かくぞことわり もちどりの かからはしもよ ゆくへしらねば うけぐつを ぬきつるごとく ふみぬきて ゆくちふひとは いはきより なりでしひとか ながなのらさね あめへゆかば ながまにまに つちならば おほきみいます このてらす ひつきのしたは あまくもの むかぶすきはみ たにぐくの さわたるきはみ きこしをす くにのまほらぞ かにかくに ほしきまにまに しかにはあらじか

八〇一、反歌
比佐迦多能 阿麻遅波等保斯 奈保々々尓 伊弊尓可弊利提 奈利乎斯麻佐尓
ひさかたの天道は遠しなほなほに家に帰りて業を為まさに
ひさかたの あまぢはとほし なほなほに いへにかへりて なりをしまさに


思子等歌一首 并序 
釋迦如来金口正説 等思衆生如羅m羅 又説 愛無過子 至極大聖尚有愛子之心 況乎世間蒼生誰不愛子乎
子等を思(しぬ)ふ歌一首、また序
釋迦如来金口(こんく)正に説きたまへらく、等しく衆生を思ふこと、羅ゴ羅*の如しとのたまへり。又説きたまへらく、愛は子に過ぐること無しとのたまへり。至極の大聖すら、子を愛(うつく)しむ心有り。況乎(まして)世間の蒼生(あをひとぐさ)、誰か子を愛まざる。

八〇二、
宇利波米婆 胡藤母意母保由 久利波米婆 麻斯提斯農波由 伊豆久欲利 枳多利斯物能曽 麻奈迦比尓 母等奈可可利提 夜周伊斯奈佐農
瓜食めば 子ども思ほゆ 栗食めば まして偲はゆ いづくより 来りしものぞ まなかひに もとなかかりて 安寐し寝なさぬ
うりはめば こどもおもほゆ くりはめば ましてしぬはゆ いづくより きたりしものぞ まなかひに もとなかかりて やすいしなさぬ


八〇三、反歌
銀母 金母玉母 奈尓世武尓 麻佐礼留多可良 古尓斯迦米夜母
銀も金も玉も何せむにまされる宝子にしかめやも
しろかねも くがねもたまも なにせむに まされるたから こにしかめやも

哀世間難住歌一首 并序
易集難排八大辛苦 難遂易盡百年賞樂 古人所歎今亦及之 所以因作一章之歌 以撥二毛之歎 其歌曰
世間(よのなか)の住(とどま)り難きを哀しめる歌一首、また序
集め易く排し難し、八大辛苦。遂げ難く尽し易し、百年の賞楽。古人の歎きし所、今また及ぶ。所以因(かれ)一章の歌を作みて、以て二毛の歎きを撥(のぞ)く。其の歌に曰く、

八〇四、
世間能 周弊奈伎物能波 年月波 奈何流々其等斯 等利都々伎 意比久留母能波 毛々久佐尓 勢米余利伎多流 遠等n良何 遠等n佐備周等 可羅多麻乎 多母等尓麻可志 余知古良等 手多豆佐波利提 阿蘇比家武 等伎能佐迦利乎 等々尾迦祢 周具斯野利都礼 美奈乃和多 迦具漏伎可美尓 伊都乃麻可 斯毛乃布利家武 久礼奈為能 意母提乃宇倍尓 伊豆久由可 斯和何伎多利斯 麻周羅遠乃 遠刀古佐備周等 都流伎多智 許志尓刀利波枳 佐都由美乎 多尓伎利物知提 阿迦胡麻尓 志都久良宇知意伎 波比能利提 阿蘇比阿留伎斯 余乃奈迦野 都祢尓阿利家留 遠等n良何 佐那周伊多斗乎 意斯比良伎 伊多度利与利提 麻多麻提乃 多麻提佐斯迦閇 佐祢斯欲能 伊久陀母阿羅祢婆 多都可豆恵 許志尓多何祢提 可由既婆 比等尓伊等波延 可久由既婆 比等尓邇久麻延 意余斯遠波 迦久能尾奈良志 多麻枳波流 伊能知遠志家騰 世武周弊母奈新
世間の すべなきものは 年月は 流るるごとし とり続き 追ひ来るものは 百種に 迫め寄り来る 娘子らが 娘子さびすと 唐玉を 手本に巻かし [白妙の 袖振り交はし 紅の 赤裳裾引き]よち子らと 手携はりて 遊びけむ 時の盛りを 留みかね 過ぐしやりつれ 蜷の腸 か黒き髪に いつの間か 霜の降りけむ 紅の [丹のほなす]面の上に いづくゆか 皺が来りし [常なりし 笑まひ眉引き 咲く花の 移ろひにけり 世間は かくのみならし]ますらをの 男さびすと 剣太刀 腰に取り佩き さつ弓を 手握り持ちて 赤駒に 倭文鞍うち置き 這ひ乗りて 遊び歩きし 世間や 常にありける 娘子らが さ寝す板戸を 押し開き い辿り寄りて 真玉手の 玉手さし交へ さ寝し夜の いくだもあらねば 手束杖 腰にたがねて か行けば 人に厭はえ かく行けば 人に憎まえ 老よし男は かくのみならし たまきはる 命惜しけど 為むすべもなし
よのなかの すべなきものは としつきは ながるるごとし とりつつき おひくるものは ももくさに せめよりきたる をとめらが をとめさびすと からたまを たもとにまかし [しろたへの そでふりかはし くれなゐの あかもすそひき]よちこらと てたづさはりて あそびけむ ときのさかりを とどみかね すぐしやりつれ みなのわた かぐろきかみに いつのまか しものふりけむ くれなゐの [にのほなす]おもてのうへに いづくゆか しわがきたりし [つねなりし ゑまひまよびき さくはなの うつろひにけり よのなかは かくのみならし]ますらをの をとこさびすと つるぎたち こしにとりはき さつゆみを たにぎりもちて あかごまに しつくらうちおき はひのりて あそびあるきし よのなかや つねにありける をとめらが さなすいたとを おしひらき いたどりよりて またまでの たまでさしかへ さねしよの いくだもあらねば たつかづゑ こしにたがねて かゆけば ひとにいとはえ かくゆけば ひとににくまえ およしをは かくのみならし たまきはる いのちをしけど せむすべもなし


八〇五、反歌
等伎波奈周 迦久斯母何母等 意母閇騰母 余能許等奈礼婆 等登尾可祢都母
常磐なすかくしもがもと思へども世の事なれば留みかねつも
ときはなす かくしもがもと おもへども よのことなれば とどみかねつも

伏辱来書 具承芳旨 忽成隔漢之戀 復傷抱梁之意 唯羨去留無恙 遂待披雲耳 歌詞兩首 大宰帥大伴卿
太宰帥大伴の卿の相聞歌(したしみうた)

八〇六、
多都能馬母 伊麻勿愛弖之可 阿遠尓与志 奈良乃美夜古尓 由吉帝己牟丹米
龍の馬も今も得てしかあをによし奈良の都に行きて来むため
たつのまも いまもえてしか あをによし ならのみやこに ゆきてこむため


八〇七、
宇豆都仁波 安布余志勿奈子 奴婆多麻能 用流能伊昧仁越 都伎提美延許曽
うつつには逢ふよしもなしぬばたまの夜の夢にを継ぎて見えこそ
うつつには あふよしもなし ぬばたまの よるのいめにを つぎてみえこそ

大伴淡等謹状
伏辱来書 具承芳旨 忽成隔漢之戀 復傷抱梁之意 唯羨去留無恙 遂待披雲耳 歌詞兩首 大宰帥大伴卿
答歌二首
大伴淡等(たびと)謹状。
伏して来書を辱(かたじけな)くす。具(つぶさ)に芳旨を承る。忽ち漢を隔つる恋を成し、復た梁を抱く意を傷む。唯羨(とも)しくは、去留恙無く、遂に雲を披(ひら)かむことを待つのみ。
答ふる歌二首

八〇八、
多都乃麻乎 阿礼波毛等米牟 阿遠尓与志 奈良乃美夜古邇 許牟比等乃多仁
龍の馬を我れは求めむあをによし奈良の都に来む人のたに
たつのまを あれはもとめむ あをによし ならのみやこに こむひとのたに


八〇九、
多陀尓阿波須 阿良久毛於保久 志岐多閇乃 麻久良佐良受提 伊米尓之美延牟
直に逢はずあらくも多く敷栲の枕去らずて夢にし見えむ
ただにあはず あらくもおほく しきたへの まくらさらずて いめにしみえむ

梧桐日本琴一面 [對馬結石山孫枝]此琴夢化娘子曰 
余託根遥嶋之崇巒 晞o九陽之休光 長帶烟霞逍遥山川之阿 遠望風波
出入鴈木之間 唯恐 百年之後空朽溝壑 偶遭良匠散為小琴不顧質麁音少 恒希君子左琴 即歌曰
梧桐の日本琴一面(ひとつ) 對馬ノ結石山ノ孫枝ナリ此の琴、夢に娘子(をとめ)に化(な)りて曰けらく、「余(われ)根を遥島の崇巒(すうれむ)に託(よ)せ、幹(から)を九陽(くやう)の休光に晞(さら)す。長く烟霞を帯びて、山川の阿(くま)に逍遥す。遠く風波を望みて、雁木の間に出入りす。唯百年の後、空しく溝壑(こうがく)に朽ちなむことを恐れき。偶(たまた)ま長匠に遭ひて、散りて小琴と為りき。質麁(あら)く音少きを顧みず、恒に君子(うまひと)の左琴とならむことを希ふ」といひて、即ち歌ひけらく、

八一〇、
伊可尓安良武 日能等伎尓可母 許恵之良武 比等能比射乃倍 和我麻久良可武
いかにあらむ日の時にかも声知らむ人の膝の上我が枕かむ
いかにあらむ ひのときにかも こゑしらむ ひとのひざのへ わがまくらかむ


僕報詩詠曰
僕(われ)その詩詠(うた)に報(こた)へけらく

八一一、
許等々波奴 樹尓波安里等母 宇流波之吉 伎美我手奈礼能 許等尓之安流倍志
言とはぬ木にはありともうるはしき君が手馴れの琴にしあるべし
こととはぬ きにはありとも うるはしき きみがたなれの ことにしあるべし

跪承芳音 嘉懽交深 乃知 龍門之恩復厚蓬身之上 戀望殊念常心百倍 謹和白雲之什以奏野鄙之歌 房前謹状
跪きて芳音を承はる。嘉懽交(こもごも)深し。乃ち龍門の恩復た蓬身の上に厚きことを知りぬ。恋望殊念、常心に百倍す。謹みて白雲の什に和へて、野鄙の歌を奏(たてまつ)る。房前謹状。

八一二、
許等騰波奴 紀尓茂安理等毛 和何世古我 多那礼之美巨騰 都地尓意加米移母
言とはぬ木にもありとも我が背子が手馴れの御琴地に置かめやも
こととはぬ きにもありとも わがせこが たなれのみこと つちにおかめやも


筑前國怡土郡深江村子負原 臨海丘上有二石 大者長一尺二寸六分 圍一尺八寸六分 重十八斤五兩 小者長一尺一寸 圍一尺八寸 重十六斤十兩 並皆堕圓状如鷄子 其美好者不可勝論 所謂p尺璧是也 去深江驛家二十許里近在路頭 公私徃来 莫不下馬跪拜 古老相傳曰 徃者息長足日女命征討新羅國之時 用茲兩石挿著御袖之中以為鎮懐 所以行人敬拜此石 乃作歌曰、
筑前国怡土郡(いとのこほり))深江村(ふかえのむら)子負原(こふのはら)、海に臨(そ)ひたる丘の上に二の石有り。大きなるは長さ一尺(ひとさかまり)二寸(ふたき)六分(むきだ)、囲(うだ)き一尺八寸(やき)六分、重さ十八斤(とをまりむはかり)五両(いつころ)。小さきは長さ一尺一寸、囲き一尺八寸、重さ十六斤十両。並皆(みな)楕円にして状鶏の子の如し。其の美好(うるはし)きこと、勝(あ)へて論ふベからず。所謂径尺璧これなり 或は云く、此の二の石は肥前国彼杵郡平敷の石にして、占に当りて取ると。深江の駅家を去ること二十許里(はたさとばかり)、近く路頭在り。公私の往来、馬より下りて跪拝(をろが)まざるは莫し。古老相伝へて曰く、往者(いにしへ)息長足日女(おきながたらしひめ)の命、新羅の国を征討(ことむけ)たまひし時、茲の両の石を用(もち)て御袖の中に挿著(さしはさ)みたまひて、以て鎮懐と為したまふと 実はこれ御裳の中なり。所以(かれ)行人(みちゆきひと)此の石を敬拝すといへり。乃ち歌よみすらく、

八一三、
可既麻久波 阿夜尓可斯故斯 多良志比n 可尾能弥許等 可良久尓遠 武氣多比良宜弖 弥許々呂遠 斯豆迷多麻布等 伊刀良斯弖 伊波比多麻比斯 麻多麻奈須 布多都能伊斯乎 世人尓 斯n斯多麻比弖 余呂豆余尓 伊比都具可祢等 和多能曽許 意枳都布可延乃 宇奈可美乃 故布乃波良尓 美弖豆可良 意可志多麻比弖 可武奈何良 可武佐備伊麻須 久志美多麻 伊麻能遠都豆尓 多布刀伎呂可N
かけまくは あやに畏し 足日女 神の命 韓国を 向け平らげて 御心を 鎮めたまふと い取らして 斎ひたまひし 真玉なす 二つの石を 世の人に 示したまひて 万代に 言ひ継ぐかねと 海の底 沖つ深江の 海上の 子負の原に 御手づから 置かしたまひて 神ながら 神さびいます 奇し御魂 今のをつづに 貴きろかむ
かけまくは あやにかしこし たらしひめ かみのみこと からくにを むけたひらげて みこころを しづめたまふと いとらして いはひたまひし またまなす ふたつのいしを よのひとに しめしたまひて よろづよに いひつぐかねと わたのそこ おきつふかえの うなかみの こふのはらに みてづから おかしたまひて かむながら かむさびいます くしみたま いまのをつづに たふときろかむ


八一四、
阿米都知能 等母尓比佐斯久 伊比都夏等 許能久斯美多麻 志可志家良斯母
天地のともに久しく言ひ継げとこの奇し御魂敷かしけらしも
あめつちの ともにひさしく いひつげと このくしみたま しかしけらしも

梅花歌卅二首 并序
天平二年正月十三日 萃于帥老之宅 申宴會也 于時初春令月 氣淑風和梅披鏡前之粉 蘭薫珮後之香 加以 曙嶺移雲 松掛羅而傾盖 夕岫結霧鳥封q而迷林 庭舞新蝶 空歸故鴈 於是盖天坐地 促膝飛觴 忘言一室之裏 開衿煙霞之外 淡然自放 快然自足 若非翰苑何以r情 詩紀落梅之篇古今夫何異矣 宜賦園梅聊成短詠、
太宰帥大伴の卿の宅に宴してよめる*
梅の花の歌三十二首(みそぢまりふたつ)、また序
天平二年(ふたとせといふとし)正月(むつき)の十三日(とをかまりみかのひ)、帥(かみ)の老(おきな)の宅(いへ)に萃(つど)ひて、宴会を申(の)ぶ。時に初春の令月、気淑く風和ぐ。梅は鏡前の粉を披(ひら)き、蘭は珮後の香を薫らす。加以(しかのみにあらず)曙は嶺に雲を移し、松は羅(うすきぬ)を掛けて盖(きぬかさ)を傾け、夕岫(せきしふ)に霧を結び、鳥はうすもの*に封(こも)りて林に迷ふ。庭には舞ふ新蝶あり、空には帰る故雁あり。是に天を盖にし地を坐(しきゐ)にして、膝を促して觴(さかづき)を飛ばし、言を一室の裏(うち)に忘れ、衿を煙霞の外に開き、淡然として自放に、快然として自ら足れり。若し翰苑にあらずは、何を以てか情(こころ)をのベむ*。請ひて落梅の篇を紀(しる)さむと。古今それ何ぞ異ならむ。園梅を賦し、聊か短詠(みじかうた)を成(よ)むベし。

八一五、
武都紀多知 波流能吉多良婆 可久斯許曽 烏梅乎乎岐都々 多努之岐乎倍米 大貳紀卿
正月立ち春の来らばかくしこそ梅を招きつつ楽しき終へめ 大貳紀卿
むつきたち はるのきたらば かくしこそ うめををきつつ たのしきをへめ


八一六、
烏梅能波奈 伊麻佐家留期等 知利須義受 和我覇能曽能尓 阿利己世奴加毛 少貳小野大夫
梅の花今咲けるごと散り過ぎず我が家の園にありこせぬかも 少貳小野大夫
うめのはな いまさけるごと ちりすぎず わがへのそのに ありこせぬかも


八一七、
烏梅能波奈 佐吉多流僧能々 阿遠也疑波 可豆良尓須倍久 奈利尓家良受夜 少貳粟田大夫
梅の花咲きたる園の青柳は蘰にすべくなりにけらずや 少貳粟田大夫
うめのはな さきたるそのの あをやぎは かづらにすべく なりにけらずや


八一八、梅花歌卅二首 并序
波流佐礼婆 麻豆佐久耶登能 烏梅能波奈 比等利美都々夜 波流比久良佐武 筑前守山上大夫
春さればまづ咲くやどの梅の花独り見つつや春日暮らさむ 筑前守山上大夫
はるされば まづさくやどの うめのはな ひとりみつつや はるひくらさむ


八一九、
余能奈可波 古飛斯宜志恵夜 加久之阿良婆 烏梅能波奈尓母 奈良麻之勿能怨 豊後守大伴大夫
世の中は恋繁しゑやかくしあらば梅の花にもならましものを 豊後守大伴大夫
よのなかは こひしげしゑや かくしあらば うめのはなにも ならましものを


八二〇、
烏梅能波奈 伊麻佐可利奈理 意母布度知 加射之尓斯弖奈 伊麻佐可利奈理 筑後守葛井大夫
梅の花今盛りなり思ふどちかざしにしてな今盛りなり 筑後守葛井大夫
うめのはな いまさかりなり おもふどち かざしにしてな いまさかりなり


八二一、
阿乎夜奈義 烏梅等能波奈乎 遠理可射之 能弥弖能々知波 知利奴得母與斯 笠沙弥
青柳梅との花を折りかざし飲みての後は散りぬともよし 笠沙弥
あをやなぎ うめとのはなを をりかざし のみてののちは ちりぬともよし


八二二、
和何則能尓 宇米能波奈知流 比佐可多能 阿米欲里由吉能 那何列久流加母 主人
我が園に梅の花散るひさかたの天より雪の流れ来るかも 主人
わがそのに うめのはなちる ひさかたの あめよりゆきの ながれくるかも


八二三、
烏梅能波奈 知良久波伊豆久 志可須我尓 許能紀能夜麻尓 由企波布理都々 大監伴氏百代
梅の花散らくはいづくしかすがにこの城の山に雪は降りつつ 大監伴氏百代
うめのはな ちらくはいづく しかすがに このきのやまに ゆきはふりつつ


八二四、 
烏梅乃波奈 知良麻久怨之美 和我曽乃々 多氣乃波也之尓 于具比須奈久母 小監阿氏奥嶋
梅の花散らまく惜しみ我が園の竹の林に鴬鳴くも 小監阿氏奥嶋
うめのはな ちらまくをしみ わがそのの たけのはやしに うぐひすなくも


八二五、
烏梅能波奈 佐岐多流曽能々 阿遠夜疑遠 加豆良尓志都々 阿素i久良佐奈 小監土氏百村
梅の花咲きたる園の青柳を蘰にしつつ遊び暮らさな 小監土氏百村
うめのはな さきたるそのの あをやぎを かづらにしつつ あそびくらさな


八二六、
有知奈i久 波流能也奈宜等 和我夜度能 烏梅能波奈等遠 伊可尓可和可武 大典史氏大原
うち靡く春の柳と我がやどの梅の花とをいかにか分かむ 大典史氏大原
うちなびく はるのやなぎと わがやどの うめのはなとを いかにかわかむ


八二七、 
波流佐礼婆 許奴礼我久利弖 宇具比須曽 奈岐弖伊奴奈流 烏梅我志豆延尓 小典山氏若麻呂
春されば木末隠りて鴬ぞ鳴きて去ぬなる梅が下枝に 小典山氏若麻呂
はるされば こぬれがくりて うぐひすぞ なきていぬなる うめがしづえに


八二八、
比等期等尓 乎理加射之都々 阿蘇倍等母 伊夜米豆良之岐 烏梅能波奈加母 大判事丹氏麻呂
人ごとに折りかざしつつ遊べどもいやめづらしき梅の花かも 大判事丹氏麻呂
ひとごとに をりかざしつつ あそべども いやめづらしき うめのはなかも


八二九、
烏梅能波奈 佐企弖知理奈波 佐久良婆那 都伎弖佐久倍久 奈利尓弖阿良受也 藥師張氏福子
梅の花咲きて散りなば桜花継ぎて咲くべくなりにてあらずや 藥師張氏福子
うめのはな さきてちりなば さくらばな つぎてさくべく なりにてあらずや


八三〇、
萬世尓 得之波岐布得母 烏梅能波奈 多由流己等奈久 佐吉和多留倍子 筑前介佐氏子首
万代に年は来経とも梅の花絶ゆることなく咲きわたるべし 筑前介佐氏子首
よろづよに としはきふとも うめのはな たゆることなく さきわたるべし


八三一、
波流奈例婆 宇倍母佐枳多流 烏梅能波奈 岐美乎於母布得 用伊母祢奈久尓 壹岐守板氏安麻呂
春なればうべも咲きたる梅の花君を思ふと夜寐も寝なくに 壹岐守板氏安麻呂
はるなれば うべもさきたる うめのはな きみをおもふと よいもねなくに


八三二、
烏梅能波奈 乎利弖加射世留 母呂比得波 家布能阿比太波 多努斯久阿流倍斯 神司荒氏稲布
梅の花折りてかざせる諸人は今日の間は楽しくあるべし 神司荒氏稲布
うめのはな をりてかざせる もろひとは けふのあひだは たのしくあるべし


八三三、
得志能波尓 波流能伎多良婆 可久斯己曽 烏梅乎加射之弖 多努志久能麻米 大令史野氏宿奈麻呂
年のはに春の来らばかくしこそ梅をかざして楽しく飲まめ 大令史野氏宿奈麻呂
としのはに はるのきたらば かくしこそ うめをかざして たのしくのまめ


八三四、
烏梅能波奈 伊麻佐加利奈利 毛々等利能 己恵能古保志枳 波流岐多流良斯 小令史田氏肥人
梅の花今盛りなり百鳥の声の恋しき春来るらし 小令史田氏肥人
うめのはな いまさかりなり ももとりの こゑのこほしき はるきたるらし


八三五
波流佐良婆 阿波武等母比之 烏梅能波奈 家布能阿素i尓 阿比美都流可母 藥師高氏義通
春さらば逢はむと思ひし梅の花今日の遊びに相見つるかも 藥師高氏義通
はるさらば あはむともひし うめのはな けふのあそびに あひみつるかも


八三六、
烏梅能波奈 多乎利加射志弖 阿蘇倍等母 阿岐太良奴比波 家布尓志阿利家利 陰陽師礒氏法麻呂
梅の花手折りかざして遊べども飽き足らぬ日は今日にしありけり 陰陽師礒氏法麻呂
うめのはな たをりかざして あそべども あきだらぬひは けふにしありけり


八三七、
波流能努尓 奈久夜s隅比須 奈都氣牟得 和何弊能曽能尓 s米何波奈佐久 算師志氏大道
春の野に鳴くや鴬なつけむと我が家の園に梅が花咲く 算師志氏大道
はるののに なくやうぐひす なつけむと わがへのそのに うめがはなさく


八三八、
烏梅能波奈 知利麻我比多流 乎加肥尓波 宇具比須奈久母 波流加多麻氣弖 大隅目榎氏鉢麻呂
梅の花散り乱ひたる岡びには鴬鳴くも春かたまけて 大隅目榎氏鉢麻呂
うめのはな ちりまがひたる をかびには うぐひすなくも はるかたまけて


八三九、
波流能努尓 紀理多知和多利 布流由岐得 比得能美流麻提 烏梅能波奈知流 筑前目田氏真上
春の野に霧立ちわたり降る雪と人の見るまで梅の花散る 筑前目田氏真上
はるののに きりたちわたり ふるゆきと ひとのみるまで うめのはなちる


八四〇、
波流楊那宜 可豆良尓乎利志 烏梅能波奈 多礼可有可倍志 佐加豆岐能倍尓  壹岐目村氏彼方
春柳かづらに折りし梅の花誰れか浮かべし酒坏の上に 壹岐目村氏彼方
はるやなぎ かづらにをりし うめのはな たれかうかべし さかづきのへに


八四一、
于遇比須能 於登企久奈倍尓 烏梅能波奈 和企弊能曽能尓 佐伎弖知流美由  對馬目高氏老
鴬の音聞くなへに梅の花我家の園に咲きて散る見ゆ 對馬目高氏老
うぐひすの おときくなへに うめのはな わぎへのそのに さきてちるみゆ


八四二、
和我夜度能 烏梅能之豆延尓 阿蘇i都々 宇具比須奈久毛 知良麻久乎之美 薩摩目高氏海人
我がやどの梅の下枝に遊びつつ鴬鳴くも散らまく惜しみ[薩摩目高氏海人]
わがやどの うめのしづえに あそびつつ うぐひすなくも ちらまくをしみ


八四三、
宇梅能波奈 乎理加射之都々 毛呂比登能 阿蘇夫遠美礼婆 弥夜古之叙毛布 土師氏御道
梅の花折りかざしつつ諸人の遊ぶを見れば都しぞ思ふ 土師氏御道
うめのはな をりかざしつつ もろひとの あそぶをみれば みやこしぞもふ


八四四、
伊母我陛邇 由岐可母不流登 弥流麻提尓 許々陀母麻我不 烏梅能波奈可毛 小野氏國堅
妹が家に雪かも降ると見るまでにここだもまがふ梅の花かも 小野氏國堅
いもがへに ゆきかもふると みるまでに ここだもまがふ うめのはなかも


八四五、
宇具比須能 麻知迦弖尓勢斯 宇米我波奈 知良須阿利許曽 意母布故我多米
鴬の待ちかてにせし梅が花散らずありこそ思ふ子がため
うぐひすの まちかてにせし うめがはな ちらずありこそ おもふこがため


八四六、
可須美多都 那我岐波流卑乎 可謝勢例杼 伊野那都可子岐 烏梅能波那可毛
霞立つ長き春日をかざせれどいやなつかしき梅の花かも
かすみたつ ながきはるひを かざせれど いやなつかしき うめのはなかも

員外思故郷歌兩首
かずよりほか)故郷(くに)思(しぬ)ふ歌両首(ふたつ)

八四七、
和我佐可理 伊多久々多知奴 久毛尓得夫 久須利波武等母 麻多遠知米也母
我が盛りいたくくたちぬ雲に飛ぶ薬食むともまた変若めやも
わがさかり いたくくたちぬ くもにとぶ くすりはむとも またをちめやも


八四八、
久毛尓得夫 久須利波牟用波 美也古弥婆 伊夜之吉阿何微 麻多越知奴倍之
雲に飛ぶ薬食むよは都見ばいやしき我が身また変若ぬべし
くもにとぶ くすりはむよは みやこみば いやしきあがみ またをちぬべし

後追和梅歌四首
後に追ひて和(よ)める梅(うめのはな)の歌四首

八四九、
能許利多留 由棄仁末自例留 宇梅能半奈 半也久奈知利曽 由吉波氣奴等勿
残りたる雪に交れる梅の花早くな散りそ雪は消ぬとも
のこりたる ゆきにまじれる うめのはな はやくなちりそ ゆきはけぬとも


八五〇、
由吉能伊呂遠 有婆比弖佐家流 有米能波奈 伊麻左加利奈利 弥牟必登母我聞
雪の色を奪ひて咲ける梅の花今盛りなり見む人もがも
ゆきのいろを うばひてさける うめのはな いまさかりなり みむひともがも


八五一、
和我夜度尓 左加里尓散家留 宇梅能波奈 知流倍久奈里奴 美牟必登聞我母
我がやどに盛りに咲ける梅の花散るべくなりぬ見む人もがも
わがやどに さかりにさける うめのはな ちるべくなりぬ みむひともがも


八五二、
烏梅能波奈 伊米尓加多良久 美也備多流 波奈等阿例母布 左氣尓于可倍許曽 
梅の花夢に語らくみやびたる花と我れ思ふ酒に浮かべこそ
うめのはな いめにかたらく みやびたる はなとあれもふ さけにうかべこそ


遊於松浦河序 
余以暫徃松浦之縣逍遥 聊臨玉嶋之潭遊覧 忽値釣魚女子等也 花容無雙 光儀無匹 開柳葉於眉中發桃花於頬上 意氣凌雲 風流絶世 僕問曰 誰郷誰家兒等 若疑神仙者乎 娘等皆咲答曰 兒等者漁夫之舎兒 草菴之微者 無郷無家 何足稱云 唯性便水 復心樂山 或臨洛浦而徒羨玉魚 乍臥巫峡以空望烟霞 今以邂逅相遇貴客 不勝感應輙陳u曲 而今而後豈可非偕老哉 下官對曰 唯々 敬奉芳命 于時日落山西 驪馬将去 遂申懐抱 因贈詠歌曰、
松浦河(まつらがは)に遊びて贈り答ふる歌八首、また序
余(われ)暫く松浦県(まつらがた)に往きて逍遥し、玉島の潭に臨みて遊覧するに、忽ち魚釣る女子等に値(あ)へり。花容双び無く、光儀匹ひ無し。柳葉を眉中に開き、桃花を頬上に発(ひら)く。意気雲を凌ぎ、風流世に絶えたり。僕(われ)問ひけらく、「誰が郷誰が家の児等ぞ。若疑(けだし)神仙ならむか」。娘(をとめ)等皆咲みて答へけらく、「児等は漁夫の舎(いへ)の児、草菴の微(いや)しき者、郷も無く家も無し。なぞも称(な)を云(の)るに足らむ。唯性水に便り、復た心に山を楽しぶ。或は洛浦に臨みて、徒に王魚を羨(とも)しみ、乍(あるい)は巫峡に臥して空しく烟霞を望む。今邂逅(わくらば)に貴客(うまひと)に相遇(あ)ひ、感応に勝へず、輙ち款曲を陳ぶ。今より後、豈に偕老ならざるべけむや」。下官(おのれ)対ひて曰く、「唯々(をを)、敬みて芳命を奉(うけたま)はりき」。時に日は山西に落ち、驪馬(りば)去なむとす。遂に懐抱を申(の)べ、因て詠みて贈れる歌に曰く、

八五三、
阿佐里須流 阿末能古等母等 比得波伊倍騰 美流尓之良延奴 有麻必等能古等
あさりする海人の子どもと人は言へど見るに知らえぬ貴人の子と
あさりする あまのこどもと ひとはいへど みるにしらえぬ うまひとのこと


八五四、答詩曰
多麻之末能 許能可波加美尓 伊返波阿礼騰 吉美乎夜佐之美 阿良波佐受阿利吉
玉島のこの川上に家はあれど君をやさしみあらはさずありき
たましまの このかはかみに いへはあれど きみをやさしみ あらはさずありき

蓬客等更贈歌三首
蓬客等(をのれ)また贈れる歌三首


八五五、
麻都良河波 可波能世比可利 阿由都流等 多々勢流伊毛何 毛能須蘇奴例奴
松浦川川の瀬光り鮎釣ると立たせる妹が裳の裾濡れぬ
まつらがは かはのせひかり あゆつると たたせるいもが ものすそぬれぬ


八五六、
麻都良奈流 多麻之麻河波尓 阿由都流等 多々世流古良何 伊弊遅斯良受毛
松浦なる玉島川に鮎釣ると立たせる子らが家道知らずも
まつらなる たましまがはに あゆつると たたせるこらが いへぢしらずも


八五七
等富都比等 末都良能加波尓 和可由都流 伊毛我多毛等乎 和礼許曽末加米
遠つ人松浦の川に若鮎釣る妹が手本を我れこそ卷かめ
とほつひと まつらのかはに わかゆつる いもがたもとを われこそまかめ

娘等更報歌三首
をとめら)また報ふる歌三首

八五八、
和可由都流 麻都良能可波能 可波奈美能 奈美邇之母波婆 和礼故飛米夜母
若鮎釣る松浦の川の川なみの並にし思はば我れ恋ひめやも
わかゆつる まつらのかはの かはなみの なみにしもはば われこひめやも


八五九、
波流佐礼婆 和伎覇能佐刀能 加波度尓波 阿由故佐婆斯留 吉美麻知我弖尓
春されば我家の里の川門には鮎子さ走る君待ちがてに
はるされば わぎへのさとの かはとには あゆこさばしる きみまちがてに


八六〇、
麻都良我波 奈々勢能與騰波 与等武等毛 和礼波与騰麻受 吉美遠志麻多武
松浦川七瀬の淀は淀むとも我れは淀まず君をし待たむ
まつらがは ななせのよどは よどむとも われはよどまず きみをしまたむ

後人追和之詩三首 帥老
後れたる人の追ひて和(よ)める詩(うた)三首 都帥老

八六一、
麻都良河波 可波能世波夜美 久礼奈為能 母能須蘇奴例弖 阿由可都流良武
松浦川川の瀬早み紅の裳の裾濡れて鮎か釣るらむ
まつらがは かはのせはやみ くれなゐの ものすそぬれて あゆかつるらむ


八六二、
比等未奈能 美良武麻都良能 多麻志末乎 美受弖夜和礼波 故飛都々遠良武
人皆の見らむ松浦の玉島を見ずてや我れは恋ひつつ居らむ
ひとみなの みらむまつらの たましまを みずてやわれは こひつつをらむ


八六三、
麻都良河波 多麻斯麻能有良尓 和可由都流 伊毛良遠美良牟 比等能等母斯佐
松浦川玉島の浦に若鮎釣る妹らを見らむ人の羨しさ
まつらがは たましまのうらに わかゆつる いもらをみらむ ひとのともしさ


宜啓 伏奉四月六日賜書 跪開封函 拜讀芳藻 心神開朗以懐泰初之月鄙懐除v 若披樂廣之天 至若羈旅邊城 懐古舊而傷志 年矢不停憶平生而落涙 但達人安排 君子無悶 伏冀 朝宜懐w之化暮存放龜之術 架張趙於百代 追松喬於千齡耳 兼奉垂示 梅苑芳席 群英x藻 松浦玉潭 仙媛贈答類否壇各言之作 疑衡皐税駕之篇 耽讀吟諷感謝歡怡 宜戀主之誠 誠逾犬馬仰徳之心 心同葵y 而碧海分地白雲隔天 徒積傾延 何慰勞緒 孟秋膺節 伏願萬祐日新 今因相撲部領使謹付片紙 宜謹啓 不次 
奉和諸人梅花歌一首
吉田連宜(よしだのむらじよろし)が答ふる歌四首
宜(よろし)啓(まを)す。伏して四月の六日の賜書を奉(うけたまは)り、跪きて封函を開き、芳藻を拝読するに、心神の開朗たること、泰初が月を懐(うだ)きしに似たり。鄙懐の除こること、樂廣が天を披(ひら)きしが若し。至若(しかのみにあらず)、辺域に羇旅し、古旧を懐ひて志を傷ましむ。年矢停まらず、平生を憶ひて涙を落(なが)す。但達人は排に安みし、君子は悶り無し。伏して冀(こひねがは)くは、朝に雉(きぎし)*を懐(なつ)くる化を宣べ、暮に亀を放つ術を存(たも)ち、張趙を百代に架し、松喬を千齢に追はむのみ。兼ねて垂示を奉はる、梅苑の芳席、群英藻をのべ*、松浦の玉潭、仙媛の贈答、杏壇各言の作に類(たぐ)へ、衡皐税駕の篇に疑(なぞら)ふ。耽読吟諷し、感謝歓怡す。宜(よろし)主を恋(しぬ)ふ誠、誠に犬馬に逾ゆ。徳を仰ぐ心、心葵(きつ)カク*に同じ。而るに碧海地を分ち、白雲天を隔て、徒に傾延を積む。何(なぞ)も労緒を慰めむ。孟秋膺節、伏して願はくは万祐日新たむことを。今相撲部領使(すまひことりつかひ)に因りて、謹みて片紙を付く。宜謹みて啓す。不次。
諸人の梅の花の歌に和(なぞら)へ奉(まつ)る一首(ひとうた)

八六四、
於久礼為天 那我古飛世殊波 弥曽能不乃 于梅能波奈尓忘 奈良麻之母能乎
後れ居て長恋せずは御園生の梅の花にもならましものを
おくれゐて ながこひせずは みそのふの うめのはなにも ならましものを


八六五、和松浦仙媛歌一首
伎弥乎麻都 々々良乃于良能 越等賣良波 等己与能久尓能 阿麻越等賣可忘
君を待つ松浦の浦の娘子らは常世の国の海人娘子かも
きみをまつ まつらのうらの をとめらは とこよのくにの あまをとめかも


思君未盡重題二首
君を思ふこと未だ尽きずてまた題(しる)せる二首(うたふたつ)

八六六、
波漏々々尓 於忘方由流可母 志良久毛能 知弊仁邊多天留 都久紫能君仁波
はろはろに思ほゆるかも白雲の千重に隔てる筑紫の国は
はろはろに おもほゆるかも しらくもの ちへにへだてる つくしのくには


八六七、
枳美可由伎 氣那我久奈理奴 奈良遅那留 志満乃己太知母 可牟佐飛仁家里
君が行き日長くなりぬ奈良道なる山斎の木立も神さびにけり
きみがゆき けながくなりぬ ならぢなる しまのこだちも かむさびにけり


憶良誠惶頓首謹啓 憶良聞 方岳諸侯 都督刺使 並依典法 巡行部下 察其風俗 意内多端口外難出 謹以三首之鄙歌 欲寫五蔵之欝結 其歌曰
山上臣憶良が松浦の歌三首(みつ)
憶良誠惶頓首謹啓す。憶良聞く、方岳の諸侯、都督の刺使、並(みな)典法に依りて部下を巡行し、其の風俗を察(み)る。意内端多く、口外出し難し。謹みて三首の鄙歌を以て、五蔵の欝結を写さむとす。其の歌に曰く、

八六八、
麻都良我多 佐欲比賣能故何 比列布利斯 夜麻能名乃尾夜 伎々都々遠良武
松浦県佐用姫の子が領巾振りし山の名のみや聞きつつ居らむ
まつらがた さよひめのこが ひれふりし やまのなのみや ききつつをらむ


八六九、
多良志比賣 可尾能美許等能 奈都良須等 美多々志世利斯 伊志遠多礼美吉
足姫神の命の魚釣らすとみ立たしせりし石を誰れ見き 
たらしひめ かみのみことの なつらすと みたたしせりし いしをたれみき


八七〇、
毛々可斯母 由加奴麻都良遅 家布由伎弖 阿須波吉奈武遠 奈尓可佐夜礼留
百日しも行かぬ松浦道今日行きて明日は来なむを何か障れる
ももがしも ゆかぬまつらぢ けふゆきて あすはきなむを なにかさやれる


大伴佐提比古郎子 特被朝命奉使藩國 艤棹言歸 稍赴蒼波 妾也松浦[佐用嬪面]嗟此別易 歎彼會難 即登高山之嶺 遥望離去之船 悵然断肝黯然銷魂 遂脱領巾麾之 傍者莫不流涕 因号此山曰領巾麾之嶺也 乃作歌曰
領巾麾(ひれふり)の嶺(ね)を詠める歌一首
大伴佐提比古(さでひこ)の良子(いらつこ)、特(ひとり)朝命(おほみこと)を被(かが)ふり、藩国(みやつこくに)に奉使(ま)けらる。艤棹(ふなよそひ)して帰(ゆ)き、稍蒼波を赴(あつ)む。その妾(め)松浦佐用嬪面(さよひめ)、此の別れの易きを嗟(なげ)き、彼(そ)の会ひの難きを嘆く。即ち高山の嶺に登りて遥かに離(さか)り去(ゆ)く船を望む。悵然として腸を断ち、黯然として魂(たま)を銷(け)つ。遂に領巾を脱きて麾(ふ)る。傍者流涕(かなし)まざるはなかりき。因(かれ)此の山を領巾麾の嶺と曰(なづ)くといへり。乃ち作歌(うたよみ)すらく、

八七一、
得保都必等 麻通良佐用比米 都麻胡非尓 比例布利之用利 於返流夜麻能奈
遠つ人松浦佐用姫夫恋ひに領巾振りしより負へる山の名
とほつひと まつらさよひめ つまごひに ひれふりしより おへるやまのな


八七二、後人追和
夜麻能奈等 伊賓都夏等可母 佐用比賣何 許能野麻能閇仁 必例遠布利家牟
山の名と言ひ継げとかも佐用姫がこの山の上に領巾を振りけむ
やまのなと いひつげとかも さよひめが このやまのへに ひれをふりけむ


八七三、
余呂豆余尓 可多利都夏等之 許能多氣仁 比例布利家良之 麻通羅佐用嬪面
万世に語り継げとしこの丘に領巾振りけらし松浦佐用姫
よろづよに かたりつげとし このたけに ひれふりけらし まつらさよひめ


八七四、
宇奈波良能 意吉由久布祢遠 可弊礼等加 比礼布良斯家武 麻都良佐欲比賣
海原の沖行く船を帰れとか領巾振らしけむ松浦佐用姫
うなはらの おきゆくふねを かへれとか ひれふらしけむ まつらさよひめ


八七五、
由久布祢遠 布利等騰尾加祢 伊加婆加利 故保斯苦阿利家武 麻都良佐欲比賣
行く船を振り留みかねいかばかり恋しくありけむ松浦佐用姫
ゆくふねを ふりとどみかね いかばかり こほしくありけむ まつらさよひめ


八七六、書殿餞酒日倭歌四首
阿麻等夫夜 等利尓母賀母夜 美夜故麻提 意久利摩遠志弖 等比可弊流母能
天飛ぶや鳥にもがもや都まで送りまをして飛び帰るもの
あまとぶや とりにもがもや みやこまで おくりまをして とびかへるもの


八七七、書殿餞酒日倭歌四首、
比等母祢能 宇良夫禮遠留尓 多都多夜麻 美麻知可豆加婆 和周良志奈牟迦
ひともねのうらぶれ居るに龍田山御馬近づかば忘らしなむか
ひともねの うらぶれをるに たつたやま みまちかづかば わすらしなむか


八七八、書殿餞酒日倭歌四首、
伊比都々母 能知許曽斯良米 等乃斯久母 佐夫志計米夜母 吉美伊麻佐受斯弖
言ひつつも後こそ知らめとのしくも寂しけめやも君いまさずして
いひつつも のちこそしらめ とのしくも さぶしけめやも きみいまさずして


八七九、書殿餞酒日倭歌四首、
余呂豆余尓 伊麻志多麻比提 阿米能志多 麻乎志多麻波祢 美加度佐良受弖
万世にいましたまひて天の下奏したまはね朝廷去らずて
よろづよに いましたまひて あめのした まをしたまはね みかどさらずて


八八〇、敢布私懐歌三首
阿麻社迦留 比奈尓伊都等世 周麻比都々 美夜故能提夫利 和周良延尓家利
天離る鄙に五年住まひつつ都のてぶり忘らえにけり
あまざかる ひなにいつとせ すまひつつ みやこのてぶり わすらえにけり


八八一、敢布私懐歌三首、
加久能未夜 伊吉豆伎遠良牟 阿良多麻能 吉倍由久等志乃 可伎利斯良受提
かくのみや息づき居らむあらたまの来経行く年の限り知らずて
かくのみや いきづきをらむ あらたまの きへゆくとしの かぎりしらずて


八八二、敢布私懐歌三首、
阿我農斯能 美多麻々々比弖 波流佐良婆 奈良能美夜故尓 n佐宜多麻波祢
我が主の御霊賜ひて春さらば奈良の都に召上げたまはね
あがぬしの みたまたまひて はるさらば ならのみやこに めさげたまはね


八八三、三嶋王後追和松浦佐用嬪面歌一首
於登尓吉岐 目尓波伊麻太見受 佐容比賣我 必礼布理伎等敷 吉民萬通良楊満
音に聞き目にはいまだ見ず佐用姫が領巾振りきとふ君松浦山
おとにきき めにはいまだみず さよひめが ひれふりきとふ きみまつらやま


八八四、大伴君熊凝歌二首 
國遠伎 路乃長手遠 意保々斯久 計布夜須疑南 己等騰比母奈久
国遠き道の長手をおほほしく今日や過ぎなむ言どひもなく
くにとほき みちのながてを おほほしく けふやすぎなむ ことどひもなく


八八五、大伴君熊凝歌二首 
朝露乃 既夜須伎我身 比等國尓 須疑加弖奴可母 意夜能目遠保利
朝露の消やすき我が身他国に過ぎかてぬかも親の目を欲り
あさつゆの けやすきあがみ ひとくにに すぎかてぬかも おやのめをほり

筑前國守山上憶良敬和為熊凝述其志歌六首 并序
大伴君熊凝者 肥後國益城郡人也 年十八歳 以天平三年六月十七日為相撲使某國司官位姓名従人 参向京都 為天不幸在路獲疾 即於安藝國佐伯郡高庭驛家身故也臨終之時 長歎息曰 傳聞 假合之身易滅 泡沫之命難駐 所以千聖已去 百賢不留 况乎凡愚微者何能逃避 但我老親並在菴室 侍我過日 自有傷心之恨 望我違時 必致喪明之泣 哀哉我父痛哉我母 不患一身向死之途 唯悲二親 在生之苦 今日長別 何世得覲 乃作歌六首而死 其歌曰
筑前の国司守(みこともちのかみ)山上憶良が、熊凝に為(かは)りて其の志を述ぶる歌に敬みて和(なぞら)ふるうた六首、また序
大伴君熊凝は、肥後国(ひのみちのしりのくに)益城郡(ましきのこほり)の人なり。年十八歳(とをまりやつ)。天平三年(みとせといふとし)六月(みなつき)の十七日(とをかまりなぬかのひ)を以て、相撲使(すまひのつかひ)某の国の司(みこともち)官位姓名の従人(ともびと)と為り、京都(みやこ)に参向(まゐのぼ)る。天為るかも不幸、路に在りて疾を獲、即ち安藝国佐伯郡(さいきのこほり)高庭(たかには)の駅家(うまや)にて、身故(みまか)りぬ。臨終(まか)らむとする時、長歎息(なげ)きて曰く、「伝へ聞く、仮合の身滅び易く、泡沫の命駐め難し。所以に千聖已く去り、百賢留まらず。况乎(まして)凡愚の微しき者、何ぞも能く逃れ避らむ。但我が老親、並(みな)菴室に在りて、我を侍つこと日を過ぐし、自ら心を傷む恨み有らむ。我を望むこと時を違へり。必ず明を喪ふ泣(なみだ)を致さむ。哀しき哉我が父、痛き哉我が母。一身死に向かふ途を患(うれ)へず、唯二親在生の苦を悲しむ。今日長く別れ、何れの世かも観ることを得む」。乃ち歌六首(むつ)を作(よ)みて死(みまか)りぬ。其の歌に曰く、

八八六、
宇知比佐受 宮弊能保留等 多羅知斯夜 波々何手波奈例 常斯良奴 國乃意久迦袁 百重山 越弖須疑由伎 伊都斯可母 京師乎美武等 意母比都々 迦多良比遠礼騰 意乃何身志 伊多波斯計礼婆 玉桙乃 道乃久麻尾尓 久佐太袁利 志婆刀利志伎提 等許自母能 宇知許伊布志提 意母比都々 奈宜伎布勢良久 國尓阿良婆 父刀利美麻之 家尓阿良婆 母刀利美麻志 世間波 迦久乃尾奈良志 伊奴時母能 道尓布斯弖夜 伊能知周疑南
うちひさす 宮へ上ると たらちしや 母が手離れ 常知らぬ 国の奥処を 百重山 越えて過ぎ行き いつしかも 都を見むと 思ひつつ 語らひ居れど おのが身し 労はしければ 玉桙の 道の隈廻に 草手折り 柴取り敷きて 床じもの うち臥い伏して 思ひつつ 嘆き伏せ
らく 国にあらば 父とり見まし 家にあらば 母とり見まし 世間は かくのみならし 犬じもの 道に伏してや 命過ぎなむ
うちひさす みやへのぼると たらちしや ははがてはなれ つねしらぬ くにのおくかを ももへやま こえてすぎゆき いつしかも みやこをみむと おもひつつ かたらひをれど おのがみし いたはしければ たまほこの みちのくまみに くさたをり しばとりしきて とこじもの うちこいふして おもひつつ なげきふせらく くににあらば ちちとりみまし いへにあらば ははとりみまし よのなかは かく
のみならし いぬじもの みちにふしてや いのちすぎなむ


八八七、
多良知子能 波々何目美受提 意保々斯久 伊豆知武伎提可 阿我和可留良武
たらちしの母が目見ずておほほしくいづち向きてか我が別るらむ
たらちしの ははがめみずて おほほしく いづちむきてか あがわかるらむ


八八八、
都祢斯良農 道乃長手袁 久礼々々等 伊可尓可由迦牟 可利弖波奈斯尓 
常知らぬ道の長手をくれくれといかにか行かむ糧はなしに 
つねしらぬ みちのながてを くれくれと いかにかゆかむ かりてはなしに 


八八九、
家尓阿利弖 波々何刀利美婆 奈具佐牟流 許々呂波阿良麻志 斯奈婆斯農等母 
家にありて母がとり見ば慰むる心はあらまし死なば死ぬとも 
いへにありて ははがとりみば なぐさむる こころはあらまし しなばしぬとも 


八九〇、
出弖由伎斯 日乎可俗閇都々 家布々々等 阿袁麻多周良武 知々波々良波母 
出でて行きし日を数へつつ今日今日と我を待たすらむ父母らはも 
いでてゆきし ひをかぞへつつ けふけふと あをまたすらむ ちちははらはも 


八九一、
一世尓波 二遍美延農 知々波々袁 意伎弖夜奈何久 阿我和加礼南 
一世にはふたたび見えぬ父母を置きてや長く我が別れなむ
ひとよには ふたたびみえぬ ちちははを おきてやながく あがわかれなむ 


八九二、貧窮問答歌一首 并短歌
風雜 雨布流欲乃 雨雜 雪布流欲波 為部母奈久 寒之安礼婆 堅塩乎 取都豆之呂比 糟湯酒 宇知須々呂比弖 之z夫可比 鼻i之i之尓 志可登阿良農 比宜可伎撫而 安礼乎於伎弖 人者安良自等 富己呂倍騰 寒之安礼婆 麻被 引可賀布利 布可多衣 安里能許等其等 伎曽倍騰毛 寒夜須良乎 和礼欲利母 貧人乃 父母波 飢寒良牟 妻子等波 乞々泣良牟 此時者 伊可尓之都々可 汝代者和多流 天地者 比呂之等伊倍杼 安我多米波 狭也奈里奴流 日月波 安可之等伊倍騰 安我多米波 照哉多麻波奴 人皆可 吾耳也之可流 和久良婆尓 比等々波安流乎 比等奈美尓 安礼母作乎 綿毛奈伎 布可多衣乃 美留乃其等 和々氣佐我礼流 可々布能尾 肩尓打懸 布勢伊保能 麻宜伊保乃内尓 直土尓 藁解敷而 父母波 枕乃可多尓 妻子等母波 足乃方尓 圍居而 憂吟 可麻度柔播 火氣布伎多弖受 許之伎尓波 久毛能須可伎弖 飯炊 事毛和須礼提 奴延鳥乃 能杼与比居尓 伊等乃伎提 短物乎 端伎流等 云之如 楚取 五十戸良我許恵波 寝屋度麻R 来立呼比奴 可久婆可里 須部奈伎物能可 世間乃道
かぜまじり あめふるよの あめまじり ゆきふるよは すべもなく さむくしあれば かたしほを とりつづしろひ かすゆざけ うちすすろひて しはぶかひ はなびしびしに しかとあらぬ ひげかきなでて あれをおきて ひとはあらじと ほころへど さむくしあれば あさぶすま ひきかがふり ぬのかたきぬ ありのことごと きそへども さむきよすらを われよりも まづしきひとの ちちははは うゑこゆらむ めこどもは こふこふなくらむ このときは いかにしつつか ながよはわたる あめつちは ひろしといへど あがためは さくやなりぬる ひつきは あかしといへど あがためは てりやたまはぬ ひとみなか あのみやしかる わくらばに ひととはあるを ひとなみに あれもつくるを わたもなき ぬのかたぎぬの みるのごと わわけさがれる かかふのみ かたにうちかけ ふせいほの まげいほのうちに ひたつちに わらときしきて ちちははは まくらのかたに めこどもは あとのかたに かくみゐて うれへさまよひ かまどには ほけふきたてず こしきには くものすかきて いひかしく こともわすれて ぬえどりの のどよひをるに いとのきて みじかきものを はしきると いへるがごとく しもととる さとをさがこゑは ねやどまで きたちよばひぬ かくばかり すべなきものか よのなかのみち

風交り 雨降る夜の 雨交り 雪降る夜は すべもなく 寒くしあれば 堅塩を とりつづしろひ 糟湯酒 うちすすろひて しはぶかひ 鼻びしびしに しかとあらぬ ひげ掻き撫でて 我れをおきて 人はあらじと 誇ろへど 寒くしあれば 麻衾 引き被り 布肩衣 ありのことごと 着襲へども 寒き夜すらを 我れよりも 貧しき人の 父母は 飢ゑ凍ゆらむ 妻子どもは 乞ふ乞ふ泣くらむ この時は いかにしつつか 汝が世は渡る 天地は 広しといへど 我がためは 狭くやなりぬる 日月は 明しといへど 我がためは 照りやたまはぬ 人皆か 我のみやしかる わくらばに 人とはあるを 人並に 我れも作るを 綿もなき 布肩衣の 海松のごと わわけさがれる かかふのみ 肩にうち掛け 伏廬の 曲廬の内に 直土に 藁解き敷きて 父母は 枕の方に 妻子どもは 足の方に 囲み居て 憂へさまよひ かまどには 火気吹き立てず 甑には 蜘蛛の巣かきて 飯炊く ことも忘れて ぬえ鳥の のどよひ居るに いとのきて 短き物を 端切ると いへるがごとく しもと取る 里長が声は 寝屋処まで 来立ち呼ばひぬ かくばかり すべなきものか 世間の道



八九三、貧窮問答歌一首[并短歌]、
世間乎 宇之等夜佐之等 於母倍杼母 飛立可祢都 鳥尓之安良祢婆
世間を憂しとやさしと思へども飛び立ちかねつ鳥にしあらねば
よのなかを うしとやさしと おもへども とびたちかねつ とりにしあらねば


八九四、好去好来歌一首 反歌二首
神代欲理 云傳久良久 虚見通 倭國者 皇神能 伊都久志吉國 言霊能 佐吉播布國等 加多利継 伊比都賀比計理 今世能 人母許等期等 目前尓 見在知在 人佐播尓 満弖播阿礼等母 高光 日御朝庭 神奈我良 愛能盛尓 天下 奏多麻比志 家子等 撰多麻比天 勅旨 [反云 大命]戴持弖 唐能 遠境尓 都加播佐礼 麻加利伊麻勢 宇奈原能 邊尓母奥尓母 神豆麻利 宇志播吉伊麻須 諸能 大御神等 船舳尓 [反云 布奈能閇尓]道引麻遠志 天地能 大御神等 倭 大國霊 久堅能 阿麻能見虚喩 阿麻賀氣利 見渡多麻比 事畢 還日者 又更 大御神等 船舳尓 御手打掛弖 墨縄遠 播倍多留期等久 阿遅可遠志 智可能岫欲利 大伴 御津濱備尓 多太泊尓 美船播将泊 都々美無久 佐伎久伊麻志弖 速歸坐勢
かむよより いひつてくらく そらみつ やまとのくには すめかみの いつくしきくに ことだまの さきはふくにと かたりつぎ いひつがひけり いまのよの ひともことごと めのまへに みたりしりたり ひとさはに みちてはあれども たかてらす ひのみかど かむながら めでのさかりに あめのした まをしたまひし いへのこと えらひたまひて おほみこと [おほみこと]いただきもちて からくにの とほきさかひに つかはされ まかりいませ うなはらの へにもおきにも かむづまり うしはきいます もろもろの おほみかみたち ふなのへに [ふなのへに]みちびきまをし あめつちの おほみかみたち やまとの おほくにみたま ひさかたの あまのみそらゆ あまがけり みわたしたまひ ことをはり かへらむひには またさらに おほみかみたち ふなのへに みてうちかけて すみなはを はへたるごとく あぢかをし ちかのさきより おほともの みつのはまびに ただはてに みふねははてむ つつみなく さきくいまして はやかへりませ

神代より 言ひ伝て来らく そらみつ 大和の国は 皇神の 厳しき国 言霊の 幸はふ国と 語り継ぎ 言ひ継がひけり 今の世の 人もことごと 目の前に 見たり知りたり 人さはに 満ちてはあれども 高照らす 日の朝廷 神ながら 愛での盛りに 天の下 奏したまひし 家の子と 選ひたまひて 大御言 [反云 大みこと]戴き持ちて もろこしの 遠き境に 遣はされ 罷りいませ 海原の 辺にも沖にも 神づまり 領きいます もろもろの 大御神たち 船舳に [反云 ふなのへに]導きまをし 天地の 大御神たち 大和の 大国御魂 ひさかたの 天のみ空ゆ 天翔り 見わたしたまひ 事終り 帰らむ日には またさらに 大御神たち 船舳に 御手うち掛けて 墨縄を 延へたるごとく あぢかをし 値嘉の崎より 大伴の 御津の浜びに 直泊てに 御船は泊てむ 障みなく 幸くいまして 早帰りませ



八九五、好去好来歌一首 反歌二首、反歌
大伴 御津松原 可吉掃弖 和礼立待 速歸坐勢
大伴の御津の松原かき掃きて我れ立ち待たむ早帰りませ
おほともの みつのまつばら かきはきて われたちまたむ はやかへりませ


八九六、好去好来歌一首 反歌二首、反歌、
難波津尓 美船泊農等 吉許延許婆 紐解佐氣弖 多知婆志利勢武
難波津に御船泊てぬと聞こえ来ば紐解き放けて立ち走りせむ
なにはつに みふねはてぬと きこえこば ひもときさけて たちばしりせむ


八九七、老身重病經年辛苦及思兒等歌七首  長一首短六首
霊剋 内限者 平氣久 安久母阿良牟遠 事母無 裳無母阿良牟遠 世間能 宇計久都良計久 伊等能伎提 痛伎瘡尓波 鹹塩遠 潅知布何其等久 益々母 重馬荷尓 表荷打等 伊布許等能其等 老尓弖阿留 我身上尓 病遠等 加弖阿礼婆 晝波母 歎加比久良志 夜波母 息豆伎阿可志 年長久 夜美志渡礼婆 月累 憂吟比 許等々々波 斯奈々等思騰 五月蝿奈周 佐和久兒等遠 宇都弖々波 死波不知 見乍阿礼婆 心波母延農 可尓可久尓 思和豆良比 祢能尾志奈可由
たまきはる うちのかぎりは たひらけく やすくもあらむを こともなく もなくもあらむを よのなかの うけくつらけく いとのきて いたききずには からしほを そそくちふがごとく ますますも おもきうまにに うはにうつと いふことのごと おいにてある あがみのうへに やまひをと くはへてあれば ひるはも なげかひくらし よるはも いきづきあかし としながく やみしわたれば つきかさね うれへさまよひ ことことは しななとおもへど さばへなす さわくこどもを うつてては しにはしらず みつつあれば こころはもえぬ かにかくに おもひわづらひ ねのみしなかゆ

たまきはる うちの限りは 平らけく 安くもあらむを 事もなく 喪なくもあらむを 世間の 憂けく辛けく いとのきて 痛き瘡には 辛塩を 注くちふがごとく ますますも 重き馬荷に 表荷打つと いふことのごと 老いにてある 我が身の上に 病をと 加へてあれば 昼はも 嘆かひ暮らし 夜はも 息づき明かし 年長く 病みしわたれば 月重ね 憂へさまよひ ことことは 死ななと思へど 五月蝿なす 騒く子どもを 打棄てては 死には知らず 見つつあれば 心は燃えぬ かにかくに 思ひ煩ひ 音のみし泣かゆ



八九八、老身重病經年辛苦及思兒等歌七首 長一首短六首、反歌
奈具佐牟留 心波奈之尓 雲隠 鳴徃鳥乃 祢能尾志奈可由
慰むる心はなしに雲隠り鳴き行く鳥の音のみし泣かゆ
なぐさむる こころはなしに くもがくり なきゆくとりの ねのみしなかゆ


八九九、老身重病經年辛苦及思兒等歌七首 [長一首短六首]、反歌、
周弊母奈久 苦志久阿礼婆 出波之利 伊奈々等思騰 許良尓佐夜利奴
すべもなく苦しくあれば出で走り去ななと思へどこらに障りぬ
すべもなく くるしくあれば いではしり いななとおもへど こらにさやりぬ


九〇〇、老身重病經年辛苦及思兒等歌七首 長一首短六首、反歌、
富人能 家能子等能 伎留身奈美 久多志須都良牟 こ綿良波母
富人の家の子どもの着る身なみ腐し捨つらむ絹綿らはも
とみひとの いへのこどもの きるみなみ くたしすつらむ きぬわたらはも


九〇一、老身重病經年辛苦及思兒等歌七首 長一首短六首、反歌、
麁妙能 布衣遠陀尓 伎世難尓 可久夜歎敢 世牟周弊遠奈美
荒栲の布衣をだに着せかてにかくや嘆かむ為むすべをなみ
あらたへの ぬのきぬをだに きせかてに かくやなげかむ せむすべをなみ


九〇二、老身重病經年辛苦及思兒等歌七首 [長一首短六首]、反歌、
水沫奈須 微命母 栲縄能 千尋尓母何等 慕久良志都
水沫なすもろき命も栲縄の千尋にもがと願ひ暮らしつ
みなわなす もろきいのちも たくづなの ちひろにもがと ねがひくらしつ


九〇三、老身重病經年辛苦及思兒等歌七首 長一首短六首、反歌、
倭文手纒 數母不在 身尓波在等 千年尓母何等 意母保由留加母 
去神龜二年作之 但以類故更載於茲
しつたまき かずにもあらぬ みにはあれど ちとせにもがと おもほゆるかも

去る神龜二年之を作る。但し類を以ての故に更に茲に載す
しつたまき数にもあらぬ身にはあれど千年にもがと思ほゆるかも 


九〇四、戀男子名古日歌三首 長一首短二首
世人之 貴慕 七種之 寶毛我波 何為 和我中能 産礼出有 白玉之 吾子古日者 明星之 開朝者 敷多倍乃 登許能邊佐良受 立礼杼毛 居礼杼毛 登母尓戯礼 夕星乃 由布弊尓奈礼婆 伊射祢余登 手乎多豆佐波里 父母毛 表者奈佐我利 三枝之 中尓乎祢牟登 愛久 志我可多良倍婆 何時可毛 比等々奈理伊弖天 安志家口毛 与家久母見武登 大船乃 於毛比多能無尓 於毛波奴尓 横風乃 尓布敷可尓 覆来礼婆 世武須便乃 多杼伎乎之良尓 志路多倍乃 多須吉乎可氣 麻蘇鏡 弖尓登利毛知弖 天神 阿布藝許比乃美 地祇 布之弖額拜 可加良受毛 可賀利毛 神乃末尓麻尓等 立阿射里 我例乞能米登 須臾毛 余家久波奈之尓 漸々 可多知都久保里 朝々 伊布許等夜美 霊剋 伊乃知多延奴礼 立乎杼利 足須里佐家婢 伏仰 武祢宇知奈氣吉 手尓持流 安我古登婆之都 世間之道
よのひとの たふとびねがふ ななくさの たからもわれは なにせむに わがなかの うまれいでたる しらたまの あがこふるひは あか
ぼしの あくるあしたは しきたへの とこのへさらず たてれども をれども ともにたはぶれ ゆふつづの ゆふへになれば いざねよと てをたづさはり ちちははも うへはなさがり さきくさの なかにをねむと うつくしく しがかたらへば いつしかも ひととなりいでて あしけくも よけくもみむと おほぶねの おもひたのむに おもはぬに よこしまかぜの にふふかに おほひきたれば せむすべの たどきをしらに しろたへの たすきをかけ まそかがみ てにとりもちて あまつかみ あふぎこひのみ くにつかみ ふしてぬかつき かからずも かかりも かみのまにまにと たちあざり われこひのめど しましくも よけくはなしに やくやくに かたちつくほり あさなさな いふことやみ たまきはる いのちたえぬれ たちをどり あしすりさけび ふしあふぎ むねうちなげき てにもてる あがことばしつ よのなかのみち

世の人の 貴び願ふ 七種の 宝も我れは 何せむに 我が中の 生れ出でたる 白玉の 我が子古日は 明星の 明くる朝は 敷栲の 床の辺去らず 立てれども 居れども ともに戯れ 夕星の 夕になれば いざ寝よと 手を携はり 父母も うへはなさがり さきくさの 中にを寝むと 愛しく しが語らへば いつしかも 人と成り出でて 悪しけくも 吉けくも見むと 大船の 思ひ頼むに 思はぬに 邪しま風の にふふかに 覆ひ来れば 為むすべの たどきを知らに 白栲の たすきを掛け まそ鏡 手に取り持ちて 天つ神 仰ぎ祈ひ祷み 国つ神 伏して額つき かからずも かかりも 神のまにまにと 立ちあざり 我れ祈ひ祷めど しましくも 吉けくはなしに やくやくに かたちつくほり 朝な朝な 言ふことやみ たまきはる 命絶えぬれ 立ち躍り 足すり叫び 伏し仰ぎ 胸打ち嘆き 手に持てる 我が子飛ばしつ 世間の道



九〇五、戀男子名古日歌三首 長一首短二首、反歌
和可家礼婆 道行之良士 末比波世武 之多敝乃使 於比弖登保良世
わかければ みちゆきしらじ まひはせむ したへのつかひ おひてとほらせ

若ければ道行き知らじ賄はせむ黄泉の使負ひて通らせ



九〇六、戀男子名古日歌三首 長一首短二首、反歌、
布施於吉弖 吾波許比能武 阿射無加受 多太尓率去弖 阿麻治思良之米
ふせおきて われはこひのむ あざむかず ただにゐゆきて あまぢしらしめ

布施置きて我れは祈ひ祷むあざむかず直に率行きて天道知らしめ



               巻第一〜第五了

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